国鉄485系電車

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国鉄485系電車
クハ481-38他7両
クハ481-38他7両
営業最高速度 120 km/h*
設計最高速度 160 km/h
起動加速度 1.3km/h/s(MT比1:1)- 1.6km/h/s(同2:1)
車体材質 普通鋼
軌間 1,067mm
電気方式 直流1,500V
交流20,000V(50Hz・60Hz)
出力 120kW
主電動機 MT54形直流直巻電動機
定格速度 72.0km/h(全界磁)・116.0km/h(40%界磁)
歯車比 22:77(1:3.50)
駆動装置 中空軸平行カルダン駆動方式
制御装置 CS15系制御器
抵抗制御・直並列組合せ・弱め界磁
台車 DT32・TR69
インダイレクトマウント空気バネ台車
制動方式 発電ブレーキ併用電磁直通ブレーキ
勾配抑速ブレーキ
保安装置 ATS-S(登場時)
ATS-P(一部)
ATC-L(3000番台の一部)
製造メーカー 川崎車両→川崎重工業日立製作所日本車輌製造東急車輛製造汽車製造近畿車輛
備考 * 基本値。湖西線で130km/h、津軽海峡線で140km/h運行を実施。

485系電車(485けいでんしゃ)は、日本国有鉄道(国鉄)が設計・製造した交流直流両用特急形電車である。

本項では、本系列の母体となった481系483系および信越本線の協調運転用489系の各系列についても記述・解説する。

目次

概要[編集]

1950年代半ば以降、国鉄は地方線区の電化では地上設備の低廉性などから交流電化を推進し、各地に直流電化方式との接続点となるデッドセクションが生じた。さらに特急列車の運転区間が地方線区に拡大され上述の異電源方式区間への直通運転要求に応えるために製造されたのが本系列である。

1964年昭和39年)から関西⇔北陸九州用に直流/交流60Hz対応の481系電車が、翌1965年から関東⇔東北用に直流/交流50Hz対応の483系電車が製造された。1968年からは交流の周波数が50・60Hz両対応となった485系電車が製造され本系列の統一形式名となった。

1971年には派生系列として信越本線横川 - 軽井沢間(碓氷峠)でEF63形補助機関車との協調運転に対応した489系電車の製造も開始された。

本系列は1979年まで製造が行われ、四国を除く日本各地の特急列車に投入された。当初は主に東京大阪名古屋などの大都市圏と交流電化された東北・北陸・九州方面直通特急で、山陽東北上越の各新幹線開業後は新幹線連絡特急などで運用された。

国鉄分割民営化時には東日本旅客鉄道(JR東日本)・西日本旅客鉄道(JR西日本)・九州旅客鉄道(JR九州)に継承され、1990年代以降では団体専用列車ジョイフルトレインへの改造も施工された。一方で老朽化と後継系列の登場により廃車も進行し、2011年4月現在で他系列への改造車を除くと定期運用を持つのはJR東日本のみであり、定期運用が終了したJR西日本・JR九州では保留車もしくは波動運用対応車のみが車籍を有する。

外観・設備[編集]

外観は151・161系→181系の流れを踏襲しており、先頭部は同様のボンネット型を採用した。ただし1972年以降製造の後期形クハ481形は、ほぼ同時期に登場した183系電車と同様のデザインに変更されたため定員が8人増加した。

床下機器の寸法に合わせ、床面の高さを近郊形・急行形の車両よりも10mm高い1,230mmとし、屋根高さも151系に比べて120mm高くされたが、使用される路線のプラットホームの高さに合せるべく扉にはステップを設置するとともに、東北・北陸などの寒冷地区投入を考慮した耐雪耐寒構造で製造された。

サービス面では側面行先表示に当初は従来通りサボを使用したが、初期車では自動巻取式方向幕搭載準備工事が国鉄車両としては初めて施工された。方向幕使用開始時は18コマ対応、後期形以降は40コマ対応の装置が搭載され、後に40コマ対応へ統一された。

冷房装置は、前期形ではAU12形分散式冷房装置1基ないし2基をキノコ形ケースに収め先頭車は5基、中間車は6基を屋根上に搭載する。ただしモハ480形・モハ482形・モハ484形・モハ488形は、パンタグラフや交流機器などの艤装スペースとの関係からAU12形は3基搭載に制限され冷房能力が不足するため車内機器室に床置形のAU41形を3基搭載する。しかし後期形以降では大幅に変更された(詳細は後述)。

走行性能[編集]


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電動車はMM'ユニット方式が採用された。交流電化区間では交流を直流に整流して用いる、401系・421系電車からの一貫した手堅い間接式の機器構成を踏襲。M車には山岳区間での使用も考慮して抑速ブレーキを搭載した自動ノッチ戻し機構付きのCS15系制御装置を、M'車には交流区間で直流電源を供給する主変圧器主整流器などの機器を搭載する。

主電動機は定格出力120kWのMT54系特急形電車としては初めて搭載。歯車比22:77(1:3.50)によりMT比1:1でも20程度の勾配が登坂可能で経済性が向上した。最高運転速度も120km/hに引き上げられた。

DT32E形動力台車
DT32E形動力台車
TR69H形付随台車
TR69H形付随台車

台車は揺枕吊を廃止しインダイレクトマウント空気バネ台車DT32A形を電動車に、TR69A型を付随車に採用。後期形では同系台車の改良型にマイナーチェンジも行われた。

パンタグラフは直流区間での離線対策から2基搭載をしていたが、国鉄末期以降は架線の損耗を減らすため原則として第2パンタグラフの使用を中止もしくは撤去した。ただしJR東日本の一部車両では架線霜取のため、130km/h運転を行う湖西線では引き続き離線対策のため2基使用を行う。

新造車[編集]

横軽区間用協調機器を搭載する489系を除いて主変圧器の対応周波数に関係しない制御・付随車は、481形が483系・485系でも引続き増備された[注 1]。またサロ481形九州配置車は1980年に食堂車の連結が中止されたため1979年以降に洋式トイレ・洗面所を車販準備室に変更する改造を施工したほか、サシ481形は食堂営業廃止による不連結や他形式への改造により1989年に廃形式となった。

481系[編集]

交流60Hz対応車で新製時には向日町運転所(後の京都総合運転所→現・吹田総合車両所京都支所)へ集中配置された。

北陸本線金沢 - 富山操車場(現・富山貨物)間交流電化完成により1964年10月1日のダイヤ改正で新設された「雷鳥」「しらさぎ」に充当を目的にモハ481形・480形電動車ユニット11組22両と制御・付随車19両の計41両が新製されたが、車両落成が同年10月末と遅れた影響などにより運転開始は12月25日に延期された。

翌1965年には151系で運転されていた九州特急「つばめ」「はと」の下関以西電気機関車牽引ならびに山陽本線上り広島 - 八本松補助機関車連結解消目的の置換えで増備された。

クハ481-1 - 18
クハ481形 赤スカート車「ひげ」省略後
クハ481形 赤スカート車
「ひげ」省略後
クハ481-1 勝田区転入後「ひげ」復活・クリームスカート※スカート部タイフォン設置に注意
クハ481-1 勝田区転入後
「ひげ」復活・クリームスカート
※スカート部タイフォン設置に注意

制御車。ボンネット形先頭部にはクハ151形・161形同様に150kVA電動発電機(MG)と容量3,000l/minの空気圧縮機(CP)が搭載されるが、以下の相違点がある。

  • 運転台は後方に監視窓を設置するものの屋根への造形が若干異なるほか、前灯横左右のマーカーライト[注 2]が省略された。
  • 当初は後方防護用として編成最後部となる場合には下部前照灯に赤色フィルターを取付たほか、不時停車時用に交互点滅回路が搭載されたが、ATSの完備等により1966年10月に廃止された。
  • ボンネット外気取入グリルがクハ151形の2箇所から3箇所に増設された。
  • 1964年新製車の1 - 8は、登場当初スカートを赤色とした以外は151系(181系)に準じた塗装になっていたが、翌1965年増備車の9 - 18より交直両用車であることを示すべく下部ライトケースの上に赤い「ひげ(眉)」と呼ばれる塗装の追加と赤いスカートの付け根にクリーム帯を追加した塗装に変更された。後に1 - 8も同様の塗色に変更され、これが「交流60Hz区間限定編成(481系)」を示すことになった。

新造時にはバックミラーが取付けられていたが、破損が多く保守困難なため大半が後述の増備車も含み1970年代前半に撤去された。本グループは山陽新幹線博多開業に伴う1975年3月10日のダイヤ改正で九州地区へ転出後、12・14・17は鹿児島所属時代に、その他は1985年の勝田電車区への再転出後1986年3月までに郡山工場(現・郡山総合車両センター)で検査の際にスカート部がクリーム色に変更されたほか、1977年以降に下部ライトケース上の赤い「ひげ(眉)」が省略された。しかし仙台所ならびに勝田区に転出後の1985年以降に「ひげ」が復元された。

分割民営化時にはJR東日本に承継され、独自塗装への変更や密着連結器への交換などを施工。2000年までに訓練車編成に組成された車両を除き廃車。2007年に最後まで残存した17も廃車となった。

クハ481形製造メーカー別分類
新製時形態 新製
配置
予算 製造
年次
川崎
車輌
日立
製作所
スカート ひげ スリット
向日町 39年第1次民有車両 1964 1 - 4 5 - 8
39年第4次債務 1965 9 - 14 15 - 18


モハ481・480-1 - 26

北陸[注 3]・山陽・九州特急で運用されたが、1975年に全車鹿児島運転所(現・鹿児島車両センター)へ転属し九州地区のみで運用された。

1982年より老朽化に伴う廃車が始まり、1985年に全車廃車となった[注 4]

モハ481+480形製造メーカー別分類
新製配置 予算 製造年次 川崎車輌 日立製作所
向日町 39年第1次民有車両 1964 1 - 5 6 - 11
39年第4次債務 1965 12 - 20 21 - 26


サロ481-1 - 18

1等車(現・グリーン車)で客室定員は48名。レイアウトは前位側から和式トイレ+洗面所・客室・出入台・専務車掌室・洋式トイレ+洗面所と181系とは異なる。

サロ481形製造メーカー別分類
新製配置 予算 製造年次 川崎車輌 日立製作所 汽車会社
向日町 39年第1次民有車両 1964   1 - 7
39年第4次債務 1965 8 - 13 14 - 18  


サシ481-1 - 9

調理に電気レンジを使用するため自車給電用70kVAのMGを搭載する食堂車。基本構造はサシ151形に準じているが、回送運転台が調理室側妻面にも設置されるほか、当初からFRP製椅子を採用するなどサシ151形との相違点がある。また、それまでの電車・気動車の食堂車に設置されていた列車位置表示器は本形式より廃止された。

サシ481形製造メーカー別分類
新製配置 予算 製造年次 近畿車輛
向日町 39年第1次民有車両 1964 1 - 5
39年第4次債務 1965 6 - 9


483系[編集]

1965年10月ダイヤ改正東北本線盛岡電化完成に伴いキハ80系で運転されていた盛岡特急「やまびこ[注 5]仙台特急「ひばり」電車化用として仙台運転所(現・仙台車両センター)へ集中配置された交流50Hz用対応車である。

クハ481-19 - 28
クハ481形 クリームスカート車
東北地区用タイフォン移設工事施工済

50Hz対応を示す点からスカートがクリーム色に変更された。

1982年の東北新幹線開業による運用減により、19・20・22・24が南福岡電車区(現・南福岡車両区)へ転出したが、その後の検査等で入場時に下部ライトケース上の赤い「ひげ(眉)」が省略された。しかし、仙台所ならびに勝田区へ再転出した1985年以降に「ひげ」を復元した。またこの運用減では21・23・27・28が向日町所へ転出しているが、このグループは1986年に上沼垂へ再転出をした。

1985年に仙台所残存の25・26と1982年の九州転出車が、勝田区に転入。このため上述の上沼垂転出車も含め分割民営化時にはJR東日本に承継された。2000年までに訓練車編成に組成された24・26を除き廃車されたが、この2両も2007年までに廃車。

26が鉄道博物館で静態保存されているが、同車はボンネット外気取入グリルが2箇所の変則車である。

クハ481形製造メーカー別分類
新製時形態 新製
配置
予算 製造
年次
日本
車輌
近畿
車輛
スカート ひげ スリット
クリーム 仙台 39年第4次債務 1965 19・20 21 - 26
39年第5次債務 1967 27・28  


モハ483・482-1 - 15

モハ481・480形との大きな差異は搭載する主変圧器で、基本構造は共通する。1982年に8から老朽廃車が開始されたが、12 - 15は1985年に仙台運転所から勝田電車区(現・勝田車両センター)へ転属、JR東日本に承継され1990年に廃車された。

モハ483+482形製造メーカー別分類
新製配置 予算 製造年次 日本車輌 汽車会社 日立製作所
仙台 39年第4次債務 1965 1 - 4 5 - 8  
39年第5次債務 9・10 11 - 13
40年第2次民有車両 1966   14・15


サロ481-19 - 25

本グループは1968年に編成変更により全車クロ481形50番台へ改造された。

サロ481形製造メーカー別分類
新製配置 予算 製造年次 汽車会社
仙台 39年第4次債務 1965 19 - 22
39年第5次債務 23 - 25


サシ481-10 - 14
サシ481形製造メーカー別分類
新製配置 予算 製造年次 近畿車輛
仙台 39年第1次民有車両 1965 10 - 13
39年第4次債務 14


485系[編集]

電動車ユニットが交流50・60Hz共用とし国鉄在来線すべての電化方式に対応する3電源形のモハ485・484形に変更されたグループで、1968年から1979年まで製造された。

  • 3電源区間を直通する定期列車は大阪 - 青森の「白鳥」のみだったが、本来の目的は車両運用と全国的な広域転属の自由度にあった。

製造期間は長期に及びその間に大きな設計変更や派生形式の製造などが行われたほか、TM14形主変圧器は冷却ならびに絶縁用に使用されていたPCB(ポリ塩化ビフェニル)油の毒性が問題[注 6]となったために新造車では1974年製の1500番台から絶縁油にシリコン油を使用したTM20形に変更され、それ以前の車両にも交換が施工された。

前期型(1968年 - 1972年)[編集]

1972年製造車[注 7]は空気バネをベローズ式からダイヤフラム式に変更したDT32E・TR69E形となった。

クハ481-29 - 40
クハ481-33
JR九州レッドエクスプレス色
縦型ボンネット外気取入グリル

スカートを483系グループの19 - 28と同じ眉付きクリーム色としたほか、1969年製以降の30 - ならびに後述のクロ481-5は、ボンネット外気取入グリルのスリット形状が横型から縦型に設計変更された。また後方防護用の赤色フィルターや不時停車時用の交互点滅回路は新造時から未装備である。

向日町配置車は1975年に全車鹿児島運転所へ、1985年に仙台配置の29・30は向日町所へ転出、1986年に上沼垂へ再転出した。

九州地区配置車は1977年以降「ひげ(眉)」が省略されたが、仙台所ならびに勝田区に再転出した31・32・34・36・38・40は1985年以降「ひげ」を復元。

分割民営化時には29 - 32・34・36・38・40がJR東日本に、その他がJR九州に承継された。両社共に独自塗装への変更や密着連結器への交換などの改造が施工されたが、JR九州では1996年(平成8年)までに、JR東日本では2000年までにジョイフルトレインの種車となった車両を除き廃車された。

クハ481形製造メーカー別分類
新製時形態 新製
配置
予算 製造
年次
日立
製作所
日本
車輌
近畿
車輛
東急
車輛
スカート ひげ スリット
クリーム 仙台 42年第2次債務 1968   29  
43年第4次債務 1969   30  
向日町   31・32 33・34
43年第5次債務 35・36  
44年民有車両 1970   37・38
45年第1次債務 1971 39・40  


クロ481-1 - 5
クロ481-1

1968年の奥羽本線山形磐越西線喜多方電化完成により「やまばと」「あいづ 」が本系列化されることになったが、仙台運転所の編成には次の制約が課された。

  • 奥羽本線板谷峠急勾配区間で自力走行のためM:T比2:1以上の確保。
  • 磐越西線でのホーム有効長問題から食堂車と1等車を同時連結の上で9両化。

このため日本車輌製造で製造され仙台運転所に集中配置されたのが本形式である。定員は36名。車掌室・トイレ・洗面所・出入口を客室後位側に設置し、冷房装置はAU12形を4基搭載する。また既配置のサロ481形→クロ481形50番台改造工事も施工されたが、新造車も改造車に合わせた設計となったため全長はクハ481形0番台よりも短い21,100mmとなった。

1・2は1975年に南福岡へ、3 - 5は1983年に鹿児島車両管理所でクハ481形600番台へ改造施工された上で同所に転出したが、1両はクロ481形に復元されて原番号に復帰。全車とも分割民営化時にはJR九州に承継。1995年までに廃車となった。

クロ481-1 - 5 履歴
車両
番号
製造
会社
予算 落成日 新製
配置
九州地区
転属
クハ481
改造
廃車日 備考
1 日車 42年第2次債務 1968.06.03 仙台 1975.05.30
南福岡
  1993.04.23
鹿児島
 
2 1968.06.04 1975.06.06
南福岡
3 1968.06.06 1983.10.05
鹿児島
601 1993.11.07
鹿児島
4 1968.06.06 602 1993.03.24
鹿児島
1988.12.04
クロ481-4に復元
5 43年第4次債務 1969.06.27 1983.10.31
鹿児島
603 1995.03.24
南福岡
九州鉄道記念館
静態保存車


クロ・クハ481形100番台

以下の設計変更が実施されたため番台区分されたグループである。

  • 前照灯を白熱灯からシールドビームに変更。
  • MGの小型・大容量化(150kVA→210kVA)でボンネット内から床下へ移設。
  • ボンネット内部の搭載機器はCPのみとし冷却用外気取入口にダクト状のカバーを装着。
  • タイフォンはクハ481・クロ481とも101のみスカート部設置で落成したが、102以降はボンネットに移設された[注 8]

クハ481・クロ481とも101 - 103が1971年製造のほかは、すべて1972年製造である。

クロ481-1041992年7月 博多
クロ481-104
1992年7月 博多
クロ481-101 - 104

全車仙台運転所に新製配置された[注 9]。1982年には4両とも南福岡区に転出、分割民営化でJR九州に承継。1988年に鹿児島所に転出し、1995年から1996年にかけて全車廃車となった。

クロ481-101 - 104 履歴
車両番号 製造会社 予算 落成日 新製配置 南福岡転属 鹿児島転属 廃車日
101 日車 45年第2次債務 1971.06.30 仙台 1982.12.02 1988.03.07 1995.03.24
102 東急 46年本予算 1971.12.23 1982.10.02 1988.03.02
103 日立 1971.12.22 1982.09.25 1988.03.01 1995.10.05
104 46年第1次債務 1972.02.24 1982.10.15 1988.02.27 1996.03.31


クハ481形100番台
クハ481形100番台
クハ481-101 - 126

101 - 104が仙台に、105 - 108・111・112・119 - 124[注 10]が向日町運転所に、109[注 11]・110・113 - 118・125・126が青森運転所に新製配置された。しかし青森配置車は、全車1973年1月までに向日町へ転出。101 - 104も1985年に向日町に転出したためグループ全車が向日町に配置された[注 12]。しかし、分割民営化直前の1986年11月 - 12月にかけて向日町から以下の10両が転出した。

  • 104・107 - 110・113・115・124・125
  • 102

この結果102のみがJR東日本に、他はJR西日本に承継されたが、2004年までに全車が廃車となった。

クハ481形100番台製造メーカー別分類
新製配置 予算 製造年次 東急車輛 日立製作所 日本車輌 川崎重工業
仙台 45年第2次債務 1971   101  
46年本予算 102 103  
46年第1次債務 1972   104  
青森 46年第2次債務   125・126   109・110・113 - 118
向日町 105・106 119 - 124 107・108 111・112


モハ485・484-1 - 96
モハ485-72 モハ484-72
モハ485-72
モハ484-72

基本設計はモハ481+480・モハ483+482から踏襲されているが、3電源対応のほか車側表示灯を側扉寄りから車体中央寄りにする設計変更が行われた。

向日町運転所には481系の、仙台運転所には483系の増備車として配置されたほか、1972年からは青森運転所(現・青森車両センター)にも配置された。

分割民営化時にはJR東日本・JR西日本・JR九州に承継されたが、JR九州では1994年までに、JR東日本では訓練車編成に組みこまれたモハ485-61が2007年に、JR西日本では京都総合運転所配置車が2011年にそれぞれ廃車となり区分消滅した

モヤ484-2から復元されたモハ484-61が鉄道博物館で静態保存されている。

モハ485・484形製造メーカー別分類
製造年次 新製配置 東急車輛 日立製作所 日本車輌 近畿車輛 汽車会社 川崎重工業
1968 仙台 1 - 12 13 - 17  
1969   18 - 20  
向日町 24 - 27 28 - 30   21 - 23  
1970 仙台   34 - 36   37 - 43  
向日町 31 - 33  
1971 仙台 50 - 53 54 - 57 47 - 49  
向日町   44 - 46  
1972 仙台   58 - 61  
向日町 62 - 64 82 - 88 65 - 67   72 - 74
青森   89 - 96   68 - 71
75 - 81


サハ481-1 - 14

高需要から12両化される「ひばり」「やまびこ」用として、1970年から1972年にかけて全車仙台運転所に新製配置された。

  • 1972年に1・2はサハ489形に改造、3 - 11は1975年に南福岡電車区に転出。1978年に12 - 14はサハ481形100番台と交換する形で向日町運転所に転出後、1984年 - 1985年にクハ480形へ改造。未改造車は1996年 - 2000年にかけて全車廃車となり区分消滅した[注 14]
サハ481形製造メーカー別分類
製造年次 新製配置 日本車輌 汽車会社 東急車輛 日立製作所
1970 仙台 1 - 5 6 - 10  
1971 11   12 13
1972   14


サロ481-26 - 51
サロ481形製造メーカー別分類
製造
年次
新製
配置
川崎
重工業
日立
製作所
近畿
車輛
東急
車輛
日本
車輌
1969 向日町   26・27・30・31 28 - 29  
1970   34・35   32・33  
1972 41・42 46 - 49   36・37 38・39
青森 40・43 - 45 50・51  


サシ481-15 - 39
サシ481-39 サシ481-37車内
サシ481-39
サシ481-37車内

1965年までに製造された1 - 14とは内装に若干の差異があり、客室窓のカーテンがベネシャンブラインドになるなどの設計変更が行われた。

サシ481形製造メーカー別分類
製造年次 新製配置 近畿車輌 日立製作所 日本車輌 東急車輛 川崎重工業
1968 仙台 15・16 17 - 20  
1969   21  
向日町 22 - 24  
1970   26   25  
1971 仙台   28   27  
1972   29  
向日町   36・37 31 30 33
青森   38・39 32   34・35


中期型(1972年 - 1973年)[編集]

サシ481-52AU13E形分散式冷房装置搭載 サシ481-40車内冷風吹出口が小型化
サシ481-52
AU13E形分散式冷房装置搭載
サシ481-40車内
冷風吹出口が小型化

1972年下半期から製造されたグループで、向日町運転所・仙台運転所・青森運転所に新製配置された。また以下に示す大きな設計変更が実施された。

  • クハ481形は将来予想される分割・併合運転を考慮しボンネットを廃止して前面貫通形[注 15]を採用した。
  • モハ484形は冷房装置は1基で1両全体を冷房できるAU71形集中式冷房装置に、その他の形式ではAU13E形分散式冷房装置5基搭載へ変更となり、特徴的なきのこ形カバーを持つAU12形や薄板プレスの車内ルーバーは廃止され機能面が優先された。

上述2形式は定員変更も実施されたため新たにクハ481形では200番代、モハ484形では200番代のほか後述する600番代の番台区分がされたが、モハ485形・サロ481形・サシ481形は冷房装置以外に大きな設計変更がないために在来車の続番とされた。

クハ481-201 - 263
クハ481形200番台
2002年11月20日 新疋田 - 敦賀

上述した貫通型への設計変更のほか、210KVA MGと容量を2,000l/minに変更したCPを床下搭載とした上で連結面車体長も21,000mmと短縮されたが、客室スペースは拡大されたため定員は0・100番台から8名増の64名となった。

  • 構造的にはクハネ581形・583形同様に外扉を設けて貫通扉などを隠すが、外扉の開閉は空気シリンダーにより自動化された。前頭の列車名表示器は貫通扉の幅に制約され、小型の正方形で手動式である。
  • 営業運転での正面貫通路の使用開始は1985年3月14日ダイヤ改正による「くろしお[注 16]からで、それ以前から使用する見込みのない車両は腐食防止や隙間風対策の観点から外扉の溶接、あるいは貫通路を完全に埋込む改造が施工された。
  • 分割併合運用については1976年から長崎本線・佐世保線の「かもめ」・「みどり」でも実施されたが、この時は正面貫通路を一切使用していない。
  • 本区分は全部で63両が製造されたが、新造時にその2/3に当る201 - 224・227 - 230・235 - 238・254 - 263の42両が青森運転所に、225・226・231 - 234・239 - 253の21両が向日町運転所に集中配置された。
  • 青森には100番台車も10両が配置されていたが、200番台配置に伴い全車が向日町運転所に早期転属となった。これは、当時東北本線系統と奥羽本線系統の特急を福島駅で分割・併合運転する計画があり、その準備段階として集中配置を行ったためだが、ホーム有効長の問題、奥羽本線板谷峠急勾配によるM:T比2:1の制約、新形式導入の必要性や輸送量などの諸事情[注 17]等で計画は白紙に戻された。さらに欠点である隙間風や居住性の悪さが乗務員から敬遠され、300番台以降の非貫通型クハに置換えが進み青森配置車は国鉄時代に北陸・九州地区へ全車転出[注 18]している。
  • 青森配置車の203・204[注 19]・207・208には電気連結器と自動解結装置および自動貫通幌引出装置が試験的に装着されていた。これらは分割・併合運用の際に作業の省力化を狙ったものだったが、数回テストされたにとどまり、1976年に撤去[注 20]されている。
  • 運転室への昇降は、1972年製造車は足場を設ける方式、1973年製造車は0・100番台と同様の階段式を採用。

2013年4月現在、JR九州所属の256のみが波動輸送対応で運用されるほかは廃車もしくは保留車となっている。

クハ481形200番台製造メーカー別分類
製造
年次
新製
配置
東急
車輛
日本
車輌
川崎
重工業
日立
製作所
近畿
車輛
1972 青森 201 - 204 205・206
211・212
207・208
213 - 218
227・228
209・210
219・220
 
向日町   225・226  
1973 青森 235
258・259
221 - 224
254・255
229・230
256・257
237・238
262・263
236
260・261
向日町 233・234
245・246
243・244 231・232
251 - 253
239 - 242
247 - 250
 


モハ484-201 - 308
モハ484-206
モハ484-206

AU71形搭載によりAU41形床置冷房装置収納機器室と業務用室を廃止したため定員が8名増加し72名となった。

  • 一方でモハ485形は続番とされたためそれまで一致していたMM'ユニットの車両番号が不揃いとなった。
モハ484-601 - 602

200番台に車掌室と業務用室を設けたための番台区分。定員は200番台より8名少ない64名。分割民営化でJR九州に承継された。

  • 一般に特急列車の専務車掌室は編成中央部にあるグリーン車のものを使用する傾向があるが、東北特急では仙台運転所編成が上野方先頭車にクロ481形を組み込み、青森運転所編成もサロ481形は2号車に連結していたため編成中央部付近に専務車掌室を持つ普通車が必要となり本番台区分が製造された。この構造は後の1000・1500番台に承継された。
モハ484形製造メーカー別分類
製造
年次
新製
配置
東急
車輛
日本
車輌
川崎
重工業
日立
製作所
近畿
車輛
1972 青森 201 - 208 209 - 212
221 - 224
213 - 216
230 - 233
247・248
602
217 - 220  
向日町   225 - 229
243 - 246
234 - 236  
1973 青森 293 - 296 237 - 239
285 - 288
601
289 - 292 262 - 264
301 - 308
297 - 300
向日町 256 - 258
273・274
240 - 242
271・272
277
249 - 255
281 - 284
265 - 270
275・276
278 - 280
259 - 261


モハ485-97 - 206
モハ485形製造メーカー別分類
製造
年次
新製
配置
東急
車輛
日本
車輌
川崎
重工業
日立
製作所
近畿
車輛
1972 青森 97 - 104 105 - 108
117 - 120
109 - 112
126 - 129
144 - 146
113 - 116  
向日町   121 - 125
140 - 143
130 - 132  
1973 青森 191 - 194 133 - 136
183 - 186
187 - 190 160 - 162
199 - 206
195 - 198
向日町 154 - 156
171・172
147 - 153
169・170
147 - 153
179 - 182
163 - 168
173 - 178
157 - 159


サロ481-52 - 103
サロ481形製造メーカー別分類
製造
年次
新製
配置
東急
車輛
日本
車輌
川崎
重工業
日立
製作所
近畿
車輛
1972 青森 52 - 55 56・57・59 64・72・73 58  
向日町   60 - 63
70・71
65・66  
1973 青森 101 67・99 100 103 102
仙台   84 - 86  
向日町 79 - 81
91・92
68・69 74 - 78
97・98
87 - 90
93 - 96
82・83


サシ481-40 - 72
サシ481形製造メーカー別分類
製造
年次
新製
配置
東急
車輛
日本
車輌
川崎
重工業
日立
製作所
近畿
車輛
1972 青森 40・41 42・45 43・48
54・55
44  
向日町   46・47 49・53  
1973 青森 70 50・68 69 72 71
仙台   60  
向日町 58・64 51・52
63・67
56・57
65・66
61・62 59


後期型(1974年 - 1976年)[編集]

1974年から製造されたグループ。新たに金沢運転所・南福岡電車区・秋田運転区にも新製配置され、以下の設計変更・改良が行われた。

  • クハ481形が貫通扉を廃止した結果新たに300番台の番台区分を実施。
  • 他形式の車両番号は中期型からの続番である。
  • 台車は電動車がDT32E形、付随車はTR69E形。
  • クハ481-311・313・315 - 354・サロ481-115 - 133・サハ481形100番台はブレーキシリンダをダイヤフラムシリンダとしたTR69H形に変更。
  • 普通車座席を従来のT-17系回転クロスシートからR-51系簡易リクライニングシートに変更。
  • 一部車両で循環式汚物処理装置準備工事[注 21]を施工。

以後に製造された1000・1500番台は基本的にこのグループの仕様を踏襲している。

クハ481-301 - 354
クハ481-333

200番台ベースのデザインであるが、分割・併合を伴う運用の必要性を欠き、隙間風などに問題のあった貫通路の廃止と運転室の居住性改善などの設計変更による区分で1974年以降に製造された。

  • 車体長を250mm延長し0・100番台と同じ連結面車体長が21,250mmとなり、同時に運転室床上スペースが余ったため助士席下部へCPを移設。
  • 200番台で廃止された運転室後部の後方確認用小窓を復活。
  • 列車名表示器は大型の長方形で側面方向幕連動の電動式に変更。
  • 342・348・350の3両が後述の3000番台改造を施工。

2013年4月現在JR東日本に所属する332・334・346・347・351・352の6両が現存。

クハ481形300番台製造メーカー別分類
製造年次 新製配置 東急車輛 川崎重工業 日立製作所
1974 向日町   301・302・304
金沢 303・305
306・308
  307・310
仙台   312・314  
1975 青森 332 - 337 311・313・315 342
金沢   318 - 327 343・344
仙台 328 - 331 316・317 338 - 341
1976 青森   345 - 352
仙台   353・354


モハ484-607
モハ484-607
モハ484-309 - 345
モハ484-603 - 614

青森・仙台に新製配置後分割民営時までに各地に転配され、603がJR東日本に、604以降はJR西日本に承継[注 22]された。

モハ484形製造メーカー別分類
製造
年次
新製
配置
東急
車輛
川崎
重工業
日立
製作所
1974 仙台   309・310 603 - 607
向日町   311 - 315
金沢 316 - 322   323 - 325
1975 青森   610・611
仙台   608・609
金沢   329 - 336 343 - 345
南福岡 337 - 342 326 - 328  
1976 青森   612 - 614


モハ485-207 - 255
  • 229は1990年3月18日に「にちりん47号」で運用中に踏切事故で受けた床の大きな損傷からの復旧に際し保留車となっていた23から車体流用をしたため冷房装置がAU12形6基の異端車となった。
モハ485形製造メーカー別分類
製造
年次
新製
配置
東急
車輛
川崎
重工業
日立
製作所
1974 仙台   207・208 224 - 228
向日町   209 - 213
金沢 214 - 220   221 - 223
1975 青森   251・252
仙台   249・250
金沢   232 - 239 246 - 248
南福岡 240 - 245 229 - 231  
1976 青森   253 - 255


サハ481-15 - 19
  • 15が仙台運転所に配置されたが、16 - 19は「雷鳥」「しらさぎ」増結用として金沢運転所(現・金沢総合車両所)に配置された。
  • 1978年の東北地区3MG化でサハ481形100番台を捻出する必要性から、15は車両交換、16 - 19は転出車補填の形で向日町運転所に集中配置となったが、1984年以降は先頭車化改造の種車となった。
サハ481-101 - 118

1976年に製造された付随車。基本番台から後位側に車販準備室・業務用室を設置する設計変更により定員が8名減の64名となり番台区分された。

  • 新製時は向日町と南福岡に集中配置されたが、床下にMG・CP設置準備工事が施工されていたことから、1978年10月のダイヤ改正で東北特急3MG化のため一部が仙台運転所へと転属した。
  • 110・111の2両はクハ182-1・2に改造されたが、1985年3月ダイヤ改正で16両全車が再び向日町に集中配置となった。

後に大部分がクハ481形や183系・189系の先頭車に改造された。108・109の2両[注 23]が1998年に廃車されて区分消滅した。

サハ481形製造メーカー別分類
製造
年次
新製
配置
東急
車輛
川崎
重工業
日立
製作所
近畿
車輛
1974 仙台   15  
金沢 16・17   18  
1975   19  
1976 向日町   101 - 113
南福岡   114 - 118  


サロ481-104 - 133
  • 1975年に「つばさ」本系列化名義で製造された115・116・122・123・127・128の6両は床下にMG・CPを搭載、前位車端部に車販準備室・車販コーナー設置といった当初から1000番台改造を前提にした仕様変更が実施された。
サロ481形製造メーカー別分類
製造
年次
新製
配置
東急
車輛
川崎
重工業
日立
製作所
1974 仙台   114
金沢 108 - 111   112・113
向日町   104 - 107
1975 青森   130
秋田 122・123 115・116 127・128
仙台 124・125   126・128
金沢   117 - 121 131・132
1976 青森   133


サシ481-73 - 76
サシ481形製造メーカー別分類
製造年次 新製配置 東急車輛 日立製作所
1974 金沢 75 76
向日町   73・74


1500番台[編集]

1500番台
クハ481-1508

1974年に製造された北海道向け特別耐寒耐雪形の番台区分である。

函館本線の電化区間であり道央都市間連絡の要となる札幌 - 旭川間では、冬期も安定した性能を誇る711系電車による急行「かむい」やノンストップ急行「さちかぜ」が堅調な実績を上げていた。そのため711系をベースとした新型交流専用特急車が計画されたが、TM14形を含む従来形主変圧器絶縁冷却に使われていたPCB油の性が判明し、油種変更に対応するため計画は一時頓挫する。だが、沿線と北海道総局の期待が強いことと無害なシリコーン油を使用するTM20形主変圧器が開発されたため、北海道向けに300番台をベースに改良した本グループを暫定的に投入する事が決定。以下の設計変更が行われた。

  • 北海道地区での運用は6両モノクラス編成としたために本区分番台ではモハ485・484形とクハ481形のみの製造。モハ484形は専務車掌室・車内販売準備室設置とした600番台の構造を踏襲。
  • 台車は耐寒耐雪強化タイプとし呼吸式軸箱のほか、電動車では両抱き式耐雪ブレーキならびに鋳鉄製制輪子対応のDT32G形を、クハ481形では踏面清掃装置付のTR69G形を装着した[1]
  • 床下機器箱には凍結防止用ヒーター追加のほか、粉雪浸入防止シール類を新設した。
  • クハ481形は300番台と同様の非貫通型であるが、運転台上前照灯を降雪時の視認ならびに被視認性向上のため2基に増設・ワイパーを4本に増強・運転台側面ガラスも熱線入りに変更。

1973年度第1次債務で川崎重工業(現・川崎重工業車両カンパニー)と日立製作所笠戸事業所の2社により新造され、22両全車が札幌運転所へ配置された。初年度は耐寒耐雪装備の試用を兼ねた青森運転所への貸渡名目で大阪 - 青森間の「白鳥」に投入された[注 24]。翌1975年1月から順次札幌に回送され、同年7月18日[注 25]から新設L特急「いしかり[注 26]」として運転が開始された。

さらに北海道での運用開始後の1976年苗穂工場で以下の改造を施工。

  • 尾灯が自車の巻き上げで付着するで確認できなくなることが判明したため車体内側から電球を交換する標準タイプから外側より交換する外はめ式に変更。
  • 前頭部連結器を密着自動形に交換[注 27]
  • 暖房装置ならびに凍結防止ヒーターの強化。

しかし本来は本州地区での使用が前提とされた車両であるため冬期には以下のトラブルが多発した。

  • 無接点制御装置搭載の711系に対し本系列では主制御器などの電装部品に可動部品や接点が多く侵入した粉雪の融解による絶縁不良や再凍結による動作不良。
  • 走行中は負圧となる車内に北海道特有の粉雪が出入口から大量に侵入し凍結した客用扉の不作動[注 28]による遅延・運転打切り・運休が続発。
    • このため編成をMM'1ユニット減の4両に短縮。運転間隔を1時間から2時間とする計画運休による間引きで予備車と折り返し整備時間を確保した。

これら各種トラブルの根本的解決はなされず、1978年に北海道専用特急電車となる781系試作車を開発。量産車が製造された後の1980年夏までに1500番台は全車が青森運転所に転出。分割民営化時には全車がJR東日本に承継された。

クハ481-1501 - 1508
本州転属後は青森に残った車両と上沼垂運転区・南秋田運転所に転属する車両に別れたが、最終的には全車とも一度は新潟に配置された。JR化後は新潟車を中心にグレードアップ改造が施工された。各車のその後と現状を以下に示す。
1501
1987年にクロハ481-1020へ改造。1999年にクロハ481-3020にリニューアル改造され、2006年に新潟車両センターに転属。R28編成に組み込まれている。
1502・1503
2006年にジョイフルトレイン「彩(いろどり)」のクロ481-1502・1503に改造改番。長野総合車両センターN201編成。
1504・1505
勝田車両センター所属のK60編成。波動輸送対応のため定期運用はない。2013年1月で運用離脱し廃車回送された[2]
1506
2000年にクハ481-3506へリニューアル改造され新潟車両センターR24編成の6号車に組込まれた。JR羽越本線脱線事故で大破したため2007年3月31日付で廃車となった。
1507
新潟車両センターT21編成に組込まれたが2006年6月1日付で廃車。
1508
クハ481-15082008年4月以前の上沼垂色時代 クハ481-15082008年6月以降の旧国鉄色に復活後
クハ481-1508
2008年4月以前の上沼垂色時代
クハ481-1508
2008年6月以降の旧国鉄色に復活後
1508はJR化以降も主に秋田・青森に所属したが、2000年に新潟車両センターに転属しT18編成の6号車に組込まれた。
  • ATS-P形が2度目の青森所属時代に装備されており、以前は「ムーンライトえちご」で現在は「能登」の第1予備ならびに波動輸送対応編成でもある。
  • 1982年の広域転配の際に鹿児島運転所への牽引車運用に投入されたことで、電化区間の最北端・最南端両方への到来実績がある。
クハ481形1500番台履歴
車両
番号
製造会社
落成日
新製配置
転属 改造 現状
1501 川重
1974.05.23
札幌
青森
1980.09.10
  クロハ481-1020
1987.12.24
クロハ481-3020
新潟R28編成
1502 青森
1980.08.10
新潟
1986.09.19
長野
2006.05.22
  クロ481-1502
2007.01.05
長野N201編成
1503 新潟
1986.10.28
  クロ481-1503
2007.01.05
1504 青森
1980.06.11
勝田
2002.12.06
  2013.01廃車
1505 日立
1974.04.25
札幌
新潟
1986.09.19
 
1506 青森
1980.09.10
秋田
1992.07.01
新潟
1997.03.27
  クハ481-3506
2000.12.12
2007.03.31
事故廃車
1507 日立
1974.06.01
札幌
青森
1980.09.28
新潟
1986.10.15
  2006.06.01
廃車
1508 秋田
1987.07.01
青森
1992.07.01
新潟
2000.07.02
  新潟T18編成


モハ485・484-1501 - 1507
青森転属後は1985年に向日町運転所へ再転属。1986年11月1日には上沼垂運転区に再々転属。全車が床面かさ上げ・側窓の天地方向の拡大・背面テーブル付フリーストップ式リクライニングシートへの交換とシートピッチ拡大などの指定席車両対応の「グレードアップ改造」が施工されたが、2001年から2002年にかけて老朽化のために廃車となった。
モハ485+484形1500番台履歴
車両番号 製造会社 落成日 新製配置 青森
転属
向日町
転属
上沼垂
転属
廃車日
1501 川重 1974.05.23 札幌 1980.09.10 1985.02.14 1986.11.01 2001.07.19
1502 1980.08.10 1985.02.05 2001.06.13
1503 1980.06.11 1985.02.14 2002.04.02
1504 日立 1974.04.25 1980.08.10 2001.04.03
1505 1980.09.10 2002.04.02
1506 1974.06.01 1980.09.28 1985.03.14 2001.04.03
1507 1985.02.05 2001.11.21


1000番台[編集]

本系列は元々耐寒耐雪構造ではあったが、それでも冬期の東北・北陸方面の特に日本海側ではしばしば寒冷が原因の故障を起こした。これに対して、1500番台および183系1000番台をベースに本州向け耐寒耐雪強化形として1976年から製造された番台区分である。当初は「つばさ」用として秋田運転区に新製配置。1978年からは青森運転所にも新製配置された。基本番台後期形からは以下の設計変更が行われた。

  • 床下機器の配置見直しや密閉化を実施。
  • クハ481形乗務員室の暖房を強化。
  • MGにトラブルが発生してもサービス電源を確保する目的からサロ481形にMG・CPを搭載する3MG化を実施。
  • トラブル発生時には運転席からMGの給電区分を即時変更できるよう総括制御用とは別にKE76形ジャンパ連結器1基を用いた引通線が増設された。このため在来車との混結も可能だが、その際にはMGの給電区分変更機能などは喪失する。
  • 上記対応のためクハ481形は片渡りとなり方向転換が不可[注 29]となった。
  • モハ484形は600番台の構造を取入れた専務車掌室付きである[注 30]
  • サロ481形は前位車端部のトイレ・洗面所を車販準備室・車販コーナー設置に仕様変更。
  • 台車はDT32E形・TR69H形を装着。
  • 循環式汚物処理装置を搭載し使用開始。

1978年製造のクハ481-1013ならびにモハ485・484-1025以降の車両は以下の設計変更が実施された。

  • 簡易リクライニングシートを背もたれが倒れた状態でロックが可能なR-51BN形に変更。
  • モハ484形の屋根上ランボード構造を変更。
  • モハ485・484形の車端部に埋め込み型手摺りを設置。

本区分番台では食堂車のサシ481形は製造されず「つばさ」電車化時投入グループではAU13E形冷房装置を搭載する基本番台車に引通線増設などの対策を施工し、改番せず原番号のまま充当。1978年10月ダイヤ改正用増備グループでは、従来と同じ工事施工車に加えてAU13E形冷房装置を搭載するサシ489形に同様の施工をしたサシ481形80番台を充当した。

1979年6月19日に川崎重工業が製造したモハ485・484-1085 - 1088・クハ481-1040 - 1043の落成を最後に本系列の製造が終了した。

485系1000番台製造メーカー別分類
モハ485+モハ484
製造年次 配置 日立製作所 日本車輌 東急車輛 近畿車輛 川崎重工業
1976 秋田 1001 - 1008
1021 - 1024
1009 - 1012 1013 - 1016 1017 - 1020  
1978 1069 - 1080 1042 - 1049   1050 - 1053
青森   1038 - 1041 1025 - 1030 1057 - 1065  
1979   1031 - 1037 1066 - 1068 1054 - 1056
秋田   1081 - 1084   1085 - 1088
クハ481
製造年次 配置 日立製作所 日本車輌 東急車輛 近畿車輛 川崎重工業
1976 秋田 1001 - 1004
1011・1012
1005・1006 1007・1008 1009・1010  
1978 1032 - 1037 1021 - 1026  
青森   1019・1020 1013 -1016 1027 -1031  
1979   1017・1018  
秋田   1038・1039   1040 - 1043
サロ481
製造年次 配置 日立製作所 日本車輌 東急車輛 近畿車輛  
1976 秋田 1001・1002
1006
1003 1004 1005  
1979   1007・1008  


489系[編集]

489系
489系
EF63形との協調運転
EF63形との協調運転

信越本線横川 - 軽井沢間の碓氷峠は最大66.7‰の急勾配区間であるため通過車両はEF63形の推進・牽引による無動力運転となる上に台枠・連結器の強化などの通称横軽対策が必要で電車は最大8両編成までと制限されていたが、1967年に165系電車をベースに開発された169系電車ではEF63形と協調運転を行うことにより12両編成まで増車することが可能となった。また1972年3月15日ダイヤ改正でそれまで客車急行で運転されていた「白山」の特急格上げ[注 31]が決定し、同列車用として485系に協調運転装置を搭載した派生系列が489系である。したがって485系とは基本設計は共通としながらも以下の相違点が存在する。

  • EF63形と連結される上り方のクハ489形500・600・700番台は、連結器カバーが省略されブレーキホース(500番台のみ)と協調制御用KE70形ジャンパ連結器が搭載された。これによりクハ489形はクハ481形と異なり片渡りで方向転換ができない構造となったため上り方と下り方で番台区分が異なる。
  • ボンネットタイプのクハ489形500番台はクハ180形同様に前面自動連結器が常時剥き出しの状態にされているが、カバーの装着は可能である[注 32]
  • 編成間では485系と共通する総括制御回線とは別途に協調制御回線を増設する方式[注 33]を採用したため付随車についてもすべて489形の別形式となり、協調機能は失われるものの485系との混結運転も可能である。

1971年 - 1974年までにTc14組28両・Ts28両・MM'ユニット42組84両・TdならびにTが14両ずつの12両x14編成計168両[注 34]が落成。本来の目的である信越特急「白山」「あさま」「そよかぜ」のほか、「雷鳥[注 35]」「しらさぎ」でも運用された。

1978年 - 1979年に編成組成ならびに運用変更の点からサロ489形1000番台10両を追加新造。分割民営化後の1990年にJR東日本が2両を485系から改造編入をしており総車両数は180両であるが、編成組成や用途変更による他形式への改造や廃車があるため全車両が一斉に揃ったことはなく、サシ489形は1988年に、サハ489形[注 36]は1991年に廃形式となった。

分割民営化時にはJR東日本とJR西日本に承継されたが、1997年の長野新幹線開業による信越本線横川 - 軽井沢間廃止で存在意義を失った[3]ことや老朽化によりJR東日本所属車は全車廃車。JR西日本所属車も他系列への置換えで廃車となり、2013年現在では金沢総合車両所のクハ489-1のみが車籍を有する。

485系のデザイン過渡期と同時期に製造されたため以下で解説を行うそれぞれに対応する区分番台が存在する。

前期型(1971年 - 1972年)[編集]

クハ489形0番台タイフォンがスカートにある1971年製造車 クハ489形500番台タイフォンがボンネットにある1972年製造車
クハ489形0番台
タイフォンがスカートにある1971年製造車
クハ489形500番台
タイフォンがボンネットにある1972年製造車
サシ489-4
サシ489-4

485系0番台に準ずるグループ。ただしクハ489形はクハ481形100番台に準じており、下り方は0番台、上り方は500番台に区分されるほか、1971年製造車と1972年上期製造車では以下の差異が存在する。

1971年製造車
  • 同年7月に夏期臨時列車への充当目的[注 37]も兼ね向日町運転所へ同所の485系と共通の11両編成で落成・配置されたグループである。
  • 同年秋よりEF63形との協調運転テストを行い年末にはスキー臨時列車である「あさま銀嶺」で実戦投入のリハーサルとも言うべき横軽区間での営業運転が行われた。
  • クハ489形(1・2・501・502)のタイフォンはスカート部に設置。
  • 台車はDT32A・TR69A形を装着。
1972年上期製造車
  • 当初からサハ489形組込の12両編成で落成した「白山」格上げ名義による向日町運転所に配置されたグループである。
  • クハ489形(3 - 5・503[注 38] - 505)のタイフォンはボンネット部に設置。
  • 台車はこれ以降300・700番台グループまでDT32E・TR69E形を装着。

なお、1971年製造2編成分のサハ489形は1972年に1両を新製。「白山」運転開始から8か月経った同年11月にサハ481形を改造し充当されたが、本グループでは後にCP搭載の追加改造を施工。またサシ489形は編成数に対して1両製造数が足りないが、サシ181形改造の100番台を充当して対応した。

489系製造メーカー別分類
形式 製造年次 予算 東急車輛 近畿車輛
モハ489+488 1971 45年第2次債務 1 - 3 4 - 6
1972 46年本予算 7 - 9 10 - 15
クハ489 1971 45年第2次債務 1・501 2・502
1972 46年本予算 3・503 4・5・504・505
サロ489 1971 45年第2次債務 1・2 3・4
1972 46年本予算 5・6 7 - 10
サハ489 1971 45年第2次債務  
1972 46年本予算 1・2 3・4
サシ489 1971 45年第2次債務 1 2
1972 46年本予算   3・4


中期型(1972年 - 1973年)[編集]

クハ489-201
貫通扉封鎖工事施工後

485系200番台と同じく先頭車貫通化や冷房装置変更などが実施された1972年下期以降製造のグループである。

  • モハ488形と下り方クハは200番台、上り方クハは0・500番台とは異なり+400の600番台に区分(他の車両は0番台の続番)された。
  • クハ489形のCP容量がベースとなるクハ481形200番台同様3,000l/min→2,000l/minに減少した。しかし、横軽区間でパンクさせた空気バネ台車への圧縮空気供給時間を0・500番台と同等にさせるため600番台は2基搭載とした。
  • サハ489形は基本番台を踏襲するが当初からCPを搭載する。

また本区分では1972年下期製造車と1973年製造車では以下の相違が存在する。

1972年下期製造車
  • 向日町運転所へ「白山」2往復化[注 39]と同所の485系との共通予備車名義により11両x3編成で落成配置されたグループである。
  • サハ489形1両はサハ481形改造車を充当。サシ489形1両はサシ181形改造の100番台を充当。
1973年製造車
  • 「白山」3往復化と間合い運用の「あさま」1往復投入名義で製造された12両x2編成と1972年下期製造車組込用サハ489形2両。同年3月15日より「白山」運用が移管されたこともあり、本グループより新製配置が金沢運転所に変更された。
  • 向日町所属車は3月15日付で0・500番台2編成と200・600番台1編成。7月に0・500番台2編成と200・600番台1編成。9月に200・600番台1編成が金沢に転出。11両のままとされた0・500番台1編成[注 40]のみ向日町に残存し引続き共通予備車とされたが、翌1974年4月に純増備となる485系(クハ481形300番台初落成車)が配置されたため金沢に転出した。

クハ489形200番台は2003年に、600番台は2011年に廃区分番台となった。

489系製造メーカー別分類
形式 製造年次 予算 東急車輛 近畿車輛 日立製作所
モハ489 1972 47年第1次民有車両 16 - 18 19 - 21 22
1973 47年第1次債務 23 - 25 26 - 30  
モハ488 1972 47年第1次民有車両 201 - 203 204 - 206 207
1973 47年第1次債務 208 - 210 211 - 215  
クハ489 1972 47年第1次民有車両 201・601 202・602 203・603
1973 47年第1次債務 204・604 205・605  
サロ489 1972 47年第1次民有車両 11・12 13・14  
1973 47年第1次債務 15・16 17 - 20  
サハ489 1972 47年第1次民有車両  
1973 47年第1次債務 5 6 - 8  
サシ489 1972 47年第1次民有車両 5 6  
1973 47年第1次債務 7   8


後期型(1974年 - 1979年)[編集]

クハ489形300番台JR化後の白山色塗装 サシ489-9
クハ489形300番台
JR化後の白山色塗装
サシ489-9

1975年3月10日ダイヤ改正で金沢運転所では、「雷鳥」増発分ならびに「しらさぎ」運用が向日町からの移管により担当となること。485系との共通予備車とする目的から1974年に製造された485系300番台に対応するグループ。以下の設計変更が実施された。

  • 普通車座席を簡易リクライニングシートに変更。
  • クハ489形は非貫通型となり、下り方を300番台、上り方を+400の700番台(他の車両は0・200番台の続番)に区分。また700番台は600番台と同様の理由でCPを2基とし、300番台も含めて床下搭載とした。
  • このため助手席下部のCP用機器搬入口が無いことから外見上からクハ481形と判別が可能である。

クハ489形300番台は2004年に、700番台は2010年に廃区分番台となった。

489系製造メーカー別分類
形式 製造年次 予算 東急車輛 近畿車輛 日立製作所
モハ489 1974 48年第3次民有車両   35 - 37 31 - 34
48年第1次債務 38 - 40  
48年第2次債務   41・42
モハ488 48年第3次民有車両   220 - 222 216 - 219
48年第1次債務 223 - 225  
48年第2次債務   226・227
クハ489 48年第3次民有車両   303・703 301・302・701・702
48年第1次債務 304・704  
サロ489 48年第3次民有車両   23・24 21・22
48年第1次債務 25 - 27  
48年第2次債務   28
サハ489 48年第3次民有車両   10 9
48年第1次債務 11・12  
サシ489 48年第3次民有車両   10 9
48年第1次債務 11  
48年第2次債務   12


1000番台

1978年10月ダイヤ改正より共通運用となった「白山」「はくたか」は3MG・8M4T編成化されたが、三相回路配電盤搭載のサシ489形とCP搭載のサハ489形が編成から外されるため、同時期に製造されたサロ481形1000番台同様に210kVA MGとC2000形CPを搭載した上で協調運転機能を装備するサロ489形1000番台を組み込むことになり、1978年・1979年に10両が新製された。また本グループのみ台車はTR69H形を装着する。

1004が1988年にMG・CPを撤去しサロ489-101に改造され、それ以外の車両もクロ481形・480形へ改造されたため1991年までに廃区分番台となった。

サロ489形1000番台履歴
車両番号 製造会社 落成日 配置 改造後車番 施工工場 施工日
1001 東急 1978.09.07 金沢 クロ481-2001 吹田 1989.02.15
1002 日車 1978.07.06 クロ480-1001 1988.02.08
1003 クロ481-2003 1989.04.06
1004 サロ489-101 松任 1988.12.17
1005 クロ480-1002 吹田 1988.02.15
1006 東急 1979.03.16 クロ481-2002 1989.03.07
1007 日車 1979.07.11 クロ481-2004 1991.06.24
1008 クロ480-1003 1988.02.05
1009 クロ481-2005 1991.02.09
1010 クロ480-1004 1988.02.05


改造車[編集]

485系・489系の改造車は、軽微な引通線改造や電装解除、さらには車体構体を載せ換える大掛りな物まで多種多様であり、車両番号の変更のない改造事例もある。特記する場合を除いて改造施工工場等の名称は、当時のもので表記する。

クロ481形[編集]

クロ481-51
1987年 佐世保
51 - 57
1968年10月のダイヤ改正で東北特急は上野方先頭車をクロ481形とした9両編成に統一されることになり、郡山工場で仙台運転所所属のサロ481形全車[注 41]に施工された先頭車化改造である。
改造は種車の車体一部を分解し、当該台枠上に車両新製時と同様の方式でボンネット型運転台を組上げる工法が採用された。その際に台枠の延長は行われていないためクハ481形0番台よりも全長が短いほか、新製車の0番台も改造車の設計に合わせたことから差異はほとんど見られない。
改造後も仙台所属で運用されたが、1975年に7両とも南福岡電車区に転属。国鉄時代に52・54が余剰老朽化で、53が事故で廃車となった。残りの4両はJR九州に承継されたが1995年までに全車廃車となった。
  • サロ481-19 - 25→クロ481-51 - 57
301
1990年に小倉工場(現・小倉総合車両センター)でクハ481-243に施工された全室グリーン車化改造。出入台前位に乗務員室を増設したため乗降扉横の窓は2分割されたほか、窓配置とシートピッチは一致しない。1両のみの区分であったが2000年に廃車となった。
  • クハ481-243→クロ481-301
2001 - 2005・2101
1989年の北陸特急「スーパー雷鳥」運転開始に伴いサロ489形1000番台に吹田工場でパノラマ型運転台を新設した制御車化改造。
車内は当時流行の2+1配置(乗客用扉から運転席に向かって通路を挟んで向かって左側が2席、右側が1席)のシートが設置[注 42]された。
681系「サンダーバード」の投入により「しらさぎ」にコンバートされたが、「しらさぎ」も683系に置換えられたため旧国鉄色に塗色変更のうえで2011年3月11日まで「雷鳥」で運用された。
2101は種車がサハ481-118となるための区分で窓配置・車体長・台車形式が異なる。
  • サロ489-1001・1006・1003・1007・1009→クロ481-2001 - 2005
  • サハ481-118→クロ481-2101
クロ481-2201
2001年 米原
2201・2301 - 2303
クハ481形の客室を座席配置2+1のグリーン車に改造した区分。
2201はクハ481形200番台が種車で1992年に「かがやき」「きらめき」増発用として松任工場で改造。2003年に廃車。
  • クハ481-224→クロ481-2201
2300番台はクハ481形300番台が種車で1990年の「かがやき」「きらめき」へのグリーン車連結に際して吹田工場で改造施工。2003年に京都総合運転所へ転属し「雷鳥」で運用された後の2009年にクロ183-2707 - 2709へ再改造された。
  • クハ481-307・325・327→クロ481-2301 - 2303
2351
「スーパー雷鳥」編成の「しらさぎ」転用に際し先頭グリーン車が不足するために金沢総合車両所でクハ489形に改造を施工したための区分。2003年に廃車。
  • クハ489-301→クロ481-2351

クロ480形[編集]

1 - 15
クロ480形0番台
1984 - 1985年に「有明」短編成化に伴いサロ481形を鹿児島車両管理所と小倉工場で制御車化改造した下り向き専用車。
  • クロ481形50番台とは異なり、クハ481形300番台車に準じた運転台が台枠ごと接合される形となったため、外観および定員などは大きく異なる。
    • 1 - 4はAU12形5基搭載の初期車からの改造車だが、後年冷房容量増強のために後位にAU13E形を1基増設。
    • 5 - はAU13E形搭載車で改造時に1基撤去して4基搭載に変更したが、のちにAU13E形を1基運転台側に増設。
  • 15両全車がJR九州に承継されたが、11・12は後に半室普通車化再改造によりクロハ480-51・52となった。
後年は「かもめ」・「にちりん」でも運用されたが、2000年までに全車廃車となった。
  • サロ481-40・43 - 45・53・56・58・64・67・76・78・83・87・103・130→クロ480-1 - 15
1001 - 1004・2301
1988年に「北越」短編成化に伴い吹田工場で改造。種車がサロ489形1000番台のため番号区分された。
  • 0番台同様に運転台は元のトイレ・洗面所側に設置。車販準備室をトイレ・洗面所に改造の上で全車金沢総合車両所に配置。
    • 1991年に1002は「かがやき」用として吹田工場で車掌室を撤去し座席配置を2+1としたクロ480-2301に再改造。
1000番台は2004年までに、2301も2010年4月30日付で廃車され廃形式となった。
  • サロ489-1002・1005・1008・1010→クロ480-1001 - 1004
  • クロ480-1002→クロ480-2301

サロ481形[編集]

134・135
1983年に鹿児島車両管理所でサロ489形から横軽協調装置を撤去してサロ481形に編入したグループ。基本番台新製車の続番となっているが489系0・500番台グループが種車のためクーラーはAU12形を搭載。2両とも分割民営化時にはJR九州に承継されたが1990年に廃車。
  • サロ489-6・8→サロ481-134・135
501 - 509
サロ481-507
1985年3月ダイヤ改正で登場した「雷鳥」の和式グリーン車「だんらん」用改造車。
  • サシ481形が種車で改造施工は吹田・鷹取の両工場。
  • 車内は衝立で1卓4名の7室に仕切られた和式仕様となり、調理室部に種車の機器を一部流用したビュフェを設置し、側窓下には金帯が入れられた。なお調理室部分から向かって右側が通路となる。
  • 調理室側の回送運転台を撤去。
一部列車の「スーパー雷鳥」化により1989年に運用を離脱、502 - 505・508・509はラウンジ付きグリーン車サロ481形2000番台に改造されたが、残りの3両は運用離脱後全く使用されないまま向日町運転所に放置され1993年に廃車。
  • サシ481-54・55・69 - 71・73・74・81・82→サロ481-501 - 509
1051 - 1056
サロ481-1051
当初から車販準備室やMG・CPを設置し、1000番台車に準じた仕様のサロ481-115・116・122・123・127・128が種車。
  • 1978年の東北地区特急列車増発時に1000番台対応引通線追加改造などを土崎工場で施工・改番。
    • 1000番台車との差異は行先表示器の位置[注 43]・クーラーの位置・客用扉に違いがある程度である。
1989年に1051がサハ481形300番台に、1990年に1052・1053がサロ489形1050番台へ改造され、残りは1994年に廃車。
  • サロ481-115・116・122・123・127・128→サロ481-1051 - 1056
1501 - 1506
本系列への編入を予定して製造されたサロ181形1100番台[注 44]を181系としての運用が終了した1982 - 1983年に盛岡・土崎・郡山の3工場で改造編入したグループ。
  • 改造落成後は青森運転所に配置され、1985年の「ひたち」増発時に勝田電車区に転属した。1989年から老朽車取替のため1両を除きクハ481形1100番台に改造[注 45]され、残った1両も1997年にジョイフルトレインの改造種車となって区分消滅した。
1500番台新製車との関連は全くない。
  • サロ181-1101 - 1106→サロ481-1501 - 1506
2001 - 2006
JR西日本が「スーパー雷鳥」用として1989年と1991年にサロ481形500番台のうち6両を吹田工場で以下の再改造を施工した為の区分。全体的にサシ481に準じた間取となっている。
  • 座敷部[注 46]を2+1配置のリクライニングシートに変更。座席定員は18名。
    • 元調理室側から向かって通路を挟んだ左側が2席、右側が1席。クロ481形2000番台と同様の配置であるが、背摺りは前方眺望を考慮する必要がない為、ヘッドレストの小型化がされていない一般形状に。
  • ビュフェ部をコンビニエンスラウンジに変更。
    • カウンター部分[注 47]を売店とし、カウンター・商品陳列棚・ジュースクーラー・冷蔵ショーケース等を設置(カウンター内の冷蔵庫はサシ481形時代からのものを流用)。中央寄りのカウンター側[注 48]には大型ソファーをコの字状に、逆側には背もたれの無い床机状のソファーを縦に3席配置。なお窓の下には長テーブルを設置。
    • 中央仕切壁付近にはビデオデッキとモニターテレビ、そしてカード式公衆電話を設置。床はローンテックスを施工し、タイルカーペットを敷設。
  • 種車を方向転換し、側面に方向幕を新設。
  • クロ481形改造種車搭載のCPを移設した為に常時クロ481形の次位に連結されたが、2001年の「しらさぎ」転用時の編成替えで対象から外れて廃車され、CPはモハ485形500番台に再移設。台車はサハ481形600・700番台に転用された。
  • ラウンジ部分に関し、バブル期を反映して白(なお座席は薄紫)基調とした明るい雰囲気だった登場時に対し、廃車直前の末期は茶色を基調としてシックで落ち着いた和の雰囲気となっていた。車両全体としては、座席類等の更新を除きレイアウトが登場時より変化する事は無かった。
  • 種車の500番台共々、詳細な車内データや残存資料が極端に少ないのが特徴。
  • サロ481-502 - 505・508・509→サロ481-2001 - 2006

クロハ481形[編集]

特急列車の短編成化と少なからず要求されるグリーン車需要に対応すべく、クハ481形の客室前位にグリーン室を設置した形式である。

1 - 13
クロハ481-5
クロハ481-5
グリーン室座席
グリーン室座席
1987 - 1988年に小倉工場で計13両が改造された。
  • 1 - 8は種車がクハ481形200番台。
  • 9 - 13は種車がクハ481形300番台
  • グリーン席は3列×5席。
1993年に1がクハ481-226に復元。2000年に9 - 13が廃車。残りの車両も2012年までに廃車された。
  • クハ481-226・232・233・234・239・241・251・262・312・328・329・341・353→クロハ481-1 - 13


201 - 208
JRkyushu-kuroha481-203.jpg
クロハ481-203外観(上)車内(下)
クロハ481-203
外観(上)
車内(下)
1986 - 1987年に熊本発着「有明」3両編成化によりクモハ485形100番台と編成組成することから、小倉工場でクハ481形200番台8両に改造施工。
  • 200番台区分だが、施工は0番台よりも先である。
  • グリーン室座席は、当初新幹線0系電車廃車発生品3列×3席を流用したが、分割民営化後の1989年に201を除いて0番台と同数の新型シート3列×5席に交換。
全車がJR九州に承継されたが2012年までに廃車となった。
  • クハ481-236・242・244・248 - 250・252・259→クロハ481-201 - 208
209 - 215
1986 - 1987年に「北近畿」用として吹田工場で改造施工された。
  • グリーン席座席配置は2+2で、普通席との仕切部窓を縮小。
1991年に213はクハ481-201へ復元。それ以外はクロハ183形800番台に改造されて区分消滅。
  • クハ481-209 - 212・201・204・205→クロハ481-209 - 215
301 - 303
クハ481形300番台からの改造車。
  • 301・302は1986年吹田工場施工の「北近畿」用。
    • 301は1989年にクハ481-309へ復元。
    • 302は1990年にクロハ183形へ改造。
  • 303は1989年土崎工場施工の「たざわ」用。
    • 2000年に復元と同時にリニューアル改造されクハ481-3348となり区分消滅。
  • クハ481-309・354・348→クロハ481-301 - 303


1001 - 1030
クロハ481-1023
クロハ481-1023
クロハ481-1003
クロハ481-1003
1986 - 1988年・1993年に土崎工場と青森運転所でクハ481形1000・1500番台から改造された。投入列車に仕様を合わせたため施工内容に若干の差異がある。
  • 1001 - 1009
    • 「たざわ」用グループでグリーン室定員12名、普通室定員は44名の偶数向き片渡り構造。同形式としては最初に誕生したグループ。最初期落成車はクロハ480形とされたが[4]、僅かな期間で本形式に改められた。1009は新潟車両センター転属後に定員を「いなほ」用に合わせた変更を施工。
  • 1010 - 1021・1028 - 1030
    • 「はつかり」用グループでグリーン室定員16名、普通室定員36名の奇数向き片渡り構造。1011・1018・1028 - 1030は「いなほ」用として新潟車両センターへ転属した際に偶数向き方向転換改造を施工。
  • 1022 - 1027
    • 「いなほ」用グループで客室定員は「はつかり」用と同じだが、偶数向き片渡り構造。
後に3000番台化やクハ481形への復元。さらに3000番台改造と同時にクハ復元など改造経緯が複雑な車両も存在する。
2012年4月現在では新潟車両センターに所属する1009・1011・1018・1022・1023・1025・1026・1028 - 1030の10両が現存。所属車の多くがグリーン室部分冷房装置をAU13E形2基からAU112形への交換を施工。
クロハ481形1000番台改造一覧
クハ481 1018 1024 1012 1032 1026 1034 1036 1008 1014 1001 1003 1009 1015 1017 1021
クロハ481 1001 1002 1003 1004 1005 1006 1007 1008 1009 1010 1011 1012 1013 1014 1015
備考 3F   3 3FG 3F   3   3   3 F F 3
クハ481 1023 1031 1033 1039 1501 1013 1042 1002 1004 1028 1038 1040 1019 1035 1041
クロハ481 1016 1017 1018 1019 1020 1021 1022 1023 1024 1025 1026 1027 1028 1029 1030
備考 3 3   3 3 3   3   3  
備考
  • F:クハ481形復元車
  • 3:3000番台改造車
  • 3F:3000番台改造・クハ481形復元同時施工車
  • 3FG:3000番台改造時クハ481形復元同時施工→再クロハ化改造施工
現在の車両番号
  • F:クハ481形の番号
  • 3:クロハ481形の番号+2000
  • 3F・3FG:クハ481形の番号+2000
1501
クロハ481-1501
元々は485系への編入を予定して製造されたサロ181-1101。181系運用終了後、サロ481-1501に改造。さらに「ひたち」の老朽化先頭車取替用としてクハ481-1104に再改造されるも1993年に「ビバあいづ」用として再々改造された。
  • 他のクロハ481形がクハ481形ベースの改造車であるのに対して、この車両のみサロ481形ベースとなっているために種車の小窓が並ぶ窓配置である。
181系グループの車体を使用した最後の車両でもあり、勝田車両センターK40編成に組み込まれ臨時列車で運用されたが、2013年1月に運用を離脱し郡山総合車両センターに廃車回送された。
  • サロ181-1101→サロ481-1501→クハ481-1104→クロハ481-1501


クロハ480形[編集]

本形式はクロハ481形同様に客室前位にグリーン室を設置した形式であるが、種車の差異により2種類の番台区分が存在する。

基本番台
1986年に「たざわ」用としてクハ481形1000番台を改造したグループ。最初期落成車のみ本形式とされたが、短期間でクロハ481形1000番台に改番された。
50番台
1987年 - 1988年にかけてクロ480形を種車に改造されたグループ。
  • 改造施工は小倉工場で前位側のグリーン席5列を残して後位側を普通車化。
52は1992年にクロ480-12へ復元。51は2001年に廃車。
  • クロ480-11・12→クロハ480-51・52

クハ481形[編集]

501・502
クハ481-501(元・クハ181-109) クハ481-502(元・クハ180-5)
クハ481-501
(元・クハ181-109)
クハ481-502
(元・クハ180-5)
1984年2月ダイヤ改正で九州地区特急列車増発による先頭車不足解消のため上越新幹線開業で保留車となっていたクハ181-109・クハ180-5に鹿児島車両管理所で施工した本系列化改造。
  • 車体は181系時代のままで屋根上前灯なし。他の本系列車両との床面高さや屋根の高さも異なる。
  • 検電アンテナは改造当初からクハ481形後期形車と同型のものを設置している。
  • 502は種車となったクハ180-5同様に自動連結器カバー無し[注 49]
  • 塗色も落成当初は501の連結器カバーを赤一色に変更した以外はボンネットの赤帯やグレーのスカートなど181系時代のままであったが、のちに赤帯抹消・スカートのクリーム色化などを施工。
  • 1986年11月改正で設定された「にちりん」の下関発着列車に充当された際に交直切替スイッチがないため小倉で運転打切というトラブルが発生したことからスイッチ取付の追加改造を施工。
落成後1980年代は1年おきに南福岡と鹿児島を交互転属するような動きをしたが、501は1993年に南福岡で、502が1991年に鹿児島で廃車された。
  • クハ181-109・クハ180-5→クハ481-501・502
601 - 603
クハ481-601(元・クロ481-3)1987年 熊本 クハ481-603車内九州鉄道記念館保存車
クハ481-601
(元・クロ481-3)
1987年 熊本
クハ481-603車内
九州鉄道記念館保存車
1983年に東北新幹線開業で保留車となったクロ481-3 - 5に鹿児島車両管理所で施工。国鉄時代に施工された本系列唯一の格下げ改造である。
  • 車掌室部分を客室化。
    • 種車の小窓が並ぶ窓配置のまま残されているが、窓割と座席間隔は一致しない。
    • 座席は、当時「サロンエクスプレス東京」への改造で不要となった14系座席車の簡易リクライニングシートを転用。
3両ともJR九州に承継され1980年代は1年おきに南福岡と鹿児島を交互転属するような動きをしたが、601は1995年に廃車、602は1988年にクロ481-4に復元後1993年に廃車、603は静態保存された。
  • クロ481-3 - 5→クハ481-601 - 603
701・751 - 753
北陸特急の増発・短編成化および福知山線・山陰本線城崎電化による「北近畿」新設に伴い、サハ489形にクハ481形300番台に準じた運転台を取付て制御車化改造を施工したグループ。
クハ481-701
701
1985年に松任工場で後期型車を種車にして改造。新製車同様に210KVAMGを床下にCPを運転台下に搭載するが、以下の相違点がある。
  • 屋根上のAU13E形分散式冷房装置搭載位置。
  • 運転室側面窓の後ろがやや間延び。
  • トイレと洗面所の位置が逆。
分割民営化時にはJR西日本に承継されたが、2011年に廃車。
  • サハ489-11→クハ481-701
751 - 753
クハ481-753
1986年に幡生車両所(現・下関総合車両所)で改造されたが、701との相違点が発生したための番台区分。
  • MG出力が160KVA。CPも床下搭載としたため助手席下側の機器室搬入口もない。
  • 種車の関係で751・752は冷房装置がAU12形を搭載する[注 50]
分割民営化時には、751・752がJR西日本に承継され1991年に183系に再改造。753がJR東日本に承継され2001年にジョイフルトレイン「きらきらうえつ」に再改造され廃区分となった。
  • サハ489-202・203・5→クハ481-751 - 753


801・802・851
クハ481-801
「くろしお」で使用されていたクハ480形のうち「北近畿」転用車にMG・CPの取付改造を施工したグループ。
801・802
1986年に大宮工場が施工。
  • 210KVAMG・CP共床下搭載としたため機器類は全面的に配置を変更。
851
MG出力が160kVAによる区分で1987年に吹田工場が施工。
801を除いて1990年に183系800番台に再改造。801は2010年8月20日付で廃車され廃区分番台となった。
  • クハ480-8・6・5→クハ481-801・802・851
1101 - 1108
常磐線で運用されていたクハ481形初期車置き換えのため、1989年 - 1991年にかけてサロ481形1000・1500番台を先頭車化と同時に普通車格下げ改造したグループで施工は郡山工場。
  • グリーン車の窓配置がそのまま残されたため小窓が並ぶ。
E653系電車の投入に伴い、「ビバあいづ」用のクロハ481-1501に改造された1両とジョイフルトレイン「せせらぎ」の種車となった2両以外は1999年 - 2000年に廃車となり廃区分番台となった。
  • サロ481-1003・1004・1006・1501 - 1505→クハ481-1101 - 1108
ロール式ヘッドマーク改造車
1970年代初頭に吹田工場で向日町運転所所属のクハ481-2 - 7・9 - 11・15 - 18・37・38に施工した改造。
  • 盗難防止と交換作業省力化という点から行われたもので、ヘッドマーク内側の照明部分に電気指令式の方向幕システムを搭載した。
    • 故障時[注 51]には、ヘッドマーク正面向って右側に取付けられたクランクハンドルの差込口で手動操作も可能なものであった。もちろん従来のプラスチックヘッドマークも装着可能である。難点は、奥まって付いているため晴天の日中判読しにくいことであった。
  • 1975年の向日町から九州転出後はロールマークは使用されていないが[注 52]、差込口が残されているので識別は可能である。
ロールマークで確認されている列車名
  • 「つばめ」「はと」「しおじ」「うずしお」「みどり」「なは」「日向」「雷鳥」「しらさぎ」「北越」「はくたか」「有明」「白山」「かもめ」「にちりん」
ビデオカー改造車
「ビデオ特急」表示
1980年より鹿児島車両管理所配置のクハ481-33・35・37・39に施工。
  • サービス向上の一環として運転台仕切にスクリーンの設置・床面を雛壇式とし、出入口付近に「ビデオ特急」のステッカーを貼付てビデオ上映を実施。
主に「有明」で運用されたが、JR移行直前に上映中止となりビデオ機器も後に撤去。
仙台運転所ボンネット車タイフォン移設工事
仙台運転所新製配置クハ481-19 - 30ならびにクロ481-1 - 5・51 - 57に施工された改造。
  • クハ481形0番台および同車をベースにしたクロ481形0・50番台のタイフォンは、スカート部設置で次の3タイプが存在した。
    • カバーなし
    • 中折れ式カバー装着
    • 回転式タイフォンカバー装着
  • しかし、東北地区では冬期の積雪ならびに漂着による動作不良防止やタイフォン保護の観点から、1970年代前半にはボンネット部への移設が施工された。
    • 屋根上前灯カバーもホイッスル部のスリットから雪が入って中に溜まるのを防ぐため、カバー後方を切欠いている。そのために向日町配置車との区別が可能になった。
    • クハ481・クロ481-101も100番台で唯一スカート部にタイフォンを設置して登場したが、1973年に他車と同じ位置に改造された。その名残としてタイフォン上部に手擦が残存する。
向日町運転所100番台車キハ65形連結改造
密着連結器への交換およびジャンパ連結器の設置などを施工[注 53]
  • 1986年12月から大阪 - 和倉温泉間に臨時特急「ゆぅトピア和倉」を運行することになった。この列車は当時非電化だった七尾線に乗り入れることからキハ65形改造車によるジョイフルトレインで、金沢以西は「雷鳥」に無動力で牽引される方法が採られた。
  • 同所所属の100番台車の多くが1989年3月以降運用上の制約を避けるため200番台・300番台車と同様のシステムとした改造を施工。該当車は次の車両。
    • クハ481-101・103・105・106・111・112・118 - 123
勝田電車区0番台車2編成併結運転対応改造
クハ481-382編成併結改造車向日町所属時代にロールマーク式改造施工済クランクハンドル差込み口が確認できる クハ481-332新潟転属後も勝田区時代のジャンパ栓受けが残存
クハ481-38
2編成併結改造車
向日町所属時代にロールマーク式改造施工済
クランクハンドル差込み口が確認できる
クハ481-332
新潟転属後も勝田区時代のジャンパ栓受けが残存
1993年以降「ひたち」の2編成併結の14両編成運転に対応すべく勝田電車区所属のクハ481-31・32・34・36・38・40に施工した改造。
  • 前面スカートの一部を欠取り、連結器の密着型への交換および制御回路用KE70形ジャンパ連結器を設置。
    • 上り方は正面向って左側、下り方は右側に設けたため、引通しが片渡りとなり方向が固定[注 54]された。
    • 下り方先頭となる車両にはジャンパ栓とジャンパ栓受けも設置されたが、これは同区の300番台・1100番台車にも設置された。栓受けは他区所転出後もそのまま残された車両[注 55]もある。


クハ480形[編集]

クハ480-3貫通扉埋込み改造前
クハ480-3
貫通扉埋込み改造前
クハ480-9貫通扉埋込み改造後
クハ480-9
貫通扉埋込み改造後

1985年の「くろしお」増発には、経費節減のため新幹線開業などで余剰となった本系列を投入することになったが、不足する先頭車両を1984年 - 1985年に長野・広島・幡生の各工場と新津車両所(現・新津車両製作所)でサハ481・489形から改造した。

  • クハ481形200番台に準じた貫通型運転台が取付けられたが、分割・併合運転を頻繁に行うため一枚貫通扉の簡単な構造とした。
    • 貫通幌があるクハ481形200番台との正面併結が前提であるために貫通幌を考慮しない構造である[注 56]
    • 貫通扉の特急マークは落成当初、一般的な立体型の物を一部車両が付けていたが、貫通路構成時に通行に支障を来たすため短期間で平面型の物に交換された[注 57]
  • 短編成用のためMG・CPは未搭載で、サハ489形からの改造車についてはCPを撤去している。
  • AU12形冷房装置搭載の初期車も種車となったほか、交流区間に一切乗入れない運用などが当時は注目された。

1986年に「くろしお」が381系電車に再度統一されることになり、全11両のうち「みどり」「にちりん」用として南福岡電車区に8両、「北近畿」用として福知山運転所(現・福知山電車区)に3両が転属した。

  • 南福岡転出車は車体改修時に貫通扉を埋込まれるなどの改造がされたが、2000年までに全車廃車となった。
  • 福知山転出車は寒冷地向け対策を施した上で1986年に2両がクハ481形800番台[注 58]、1987年に1両がクハ481形850番台[注 59]に改造された後に1両を除き183系化改造された。
    • サハ481-12 - 19・サハ489-201・204・252→クハ480-1 - 11


クモハ485形[編集]

1 - 15
クモハ485-9 運転席側後部グリルは機器室通風用 クモハ485-1 助手席下側グリルは主電動機冷却風取入口
クモハ485-9
運転席側後部グリルは機器室通風用
クモハ485-1
助手席下側グリルは主電動機冷却風取入口
1984年 - 1985年にモハ485形以下の改造を施工。
  • 前位側にクハ481形300番台同様の運転台を設置し制御電動車化。
  • 運転台後部を機器室とし110kVA・MGおよびCPを搭載。
  • 機器室後部に出入台を設置し、定員は16名減って56名。
改造両数はクロ480形0番台と編成組成をすることから同数の15両で、施工は鹿児島車両管理所・小倉工場・幡生工場。
分割民営化時には全車JR九州に承継。2013年4月現在5のみが車籍を有する。
  • モハ485-97・98・100 - 102・104・105・109・111・113・116・118・120・134・145→クモハ485-1 - 15


101 - 108
1986年に熊本発着「有明」の3両編成用として鹿児島車両管理所・小倉工場でモハ485形以下の改造を施工。
  • 前位側にクハ481形300番台同様の運転台を設置し制御電動車化。
  • 短編成用のため、0番台と異なり機器室は未設置とし、MG・CPを省略し定員64名
  • 出入台および行先表示器は後位側に移設。
後に「ハウステンボス」に転用。さらに「K&H」カラーに変更。2013年現在では旧国鉄色の塗装変更された102のみが保留車で車籍を有する。
  • モハ485-202・231・240 - 245→クモハ485-101 - 108
201 - 207
クモハ485形200番台
1991年に「スーパー雷鳥」の七尾線乗り入れに伴い付属編成用として、吹田工場・松任工場でモハ485形に以下の改造を施工。
  • 前位に切妻貫通型の運転台を設置し制御電動車化。
  • 後位車端に電話室を設置。
  • 指定席車仕様として座席床面を70mm嵩上、R55系フリーストップリクライニングシートを1,010mmピッチで配置し、定員は60名。
後に「しらさぎ」に転用されたが、683系化で全車運用から外れて2003年に205が廃車。他の車両は交流機器使用停止措置の上でクモハ183形200番台に改造された。
  • モハ485-219・220・235・236・246・247・239→クモハ485-201 - 207
1001 - 1009
クモハ485-1008
1986年に「たざわ」短編成化のために土崎工場で改造された区分。MG・CPは省略されたが、編成中のMGが1基のみとなることから非常用の電源装置ならびに充電装置を搭載。
1001・1009は1997年にジョイフルトレイン「ニューなのはな」の改造種車となった。
2011年に秋田車両センター所属の1005・1006・1008の3両が廃車となり廃区分番台となった。
  • モハ485-1017・1048・1019・1072・1080・1079・1073・1023・1076→クモハ485-1001 - 1009


モハ485形[編集]

501 - 506
モハ485-501
2001年の「スーパー雷鳥」編成「しらさぎ」転用に際し編成から外れるサロ481形2000番台からCPを移設し改番した区分で改造施工は金沢総合車両所。
  • 「スーパー雷鳥」時代にトイレ・洗面所を撤去し自動販売機を設置し床下水タンク跡にCPを設置。
    • モハ485-234・222・218・232・248・237→モハ485-501 - 506

サハ481形[編集]

モハ485形電装解除車(JR九州)
1992 - 1994年に「ハウステンボス」用にモハ485形の電装解除をした車両[注 60]。改造施工は鹿児島車両所・小倉工場。2000年までに全車廃車となった。
  • モハ485-93・126・153・159・163・195→サハ481同番号
201
1983年に小倉工場でサハ489-251から横軽協調装置とCPを取り外しサハ481形に復元した車両。
  • 元番号に戻らずに新たな区分が割り当てられた。
JR九州に承継されたが1990年に廃車。
  • サハ481-1→サハ489-51→サハ489-251→サハ481-201
301 - 308
1989年の651系電車による「スーパーひたち」登場に伴い通常の「ひたち」は短編成モノクラス化されることになった。そのため車販準備室装備普通車の必要が発生しサハ481形100番台が転用されたが、不足分は保留車のサロ481形1050番台・サロ183形1050番台・サロ189形50番台から郡山工場で改造された。
  • 種車の形式は多岐に渡っているが、これらはすべて元々サロ481形0番台車からの改造車であり種車による差異はほとんどない[注 61]
E653系の投入による置換えで2000年までに廃車・区分消滅。
  • サロ481-126・129・1051・サロ183-1054・1051・サロ189-51 - 53→サハ481-301 - 308
サハ481-501
(しらさぎ用塗装)
501 - 503
「しらさぎ」用付属編成の捻出と「スーパー雷鳥」用編成の10両貫通編成化を目的として、1997年にサロ481形より金沢総合車両所[注 62]で改造。外観は種車と大差なく窓配置と座席間隔が一致しない。
  • サロ481-66・121・131→サハ481-501 - 503


サハ481-601
601 - 604
2001年の「スーパー雷鳥」編成の「しらさぎ」への転用時にモハ484形を電装解除した区分。種車のAU71形集中式冷房装置も流用された。
602はかがやき編成時代にトイレ・洗面所を撤去し電話室と自販機が設置されたが、サハ改造時にトイレ・洗面所に復元した。
  • モハ484-333・335・332・331→サハ481-601 - 604


サハ481-702
701・702・751
2003年の「しらさぎ」「加越」への683系電車投入による「雷鳥」転用で、サハ481形が500・600番台の7両では不足することからモハ485形の電装解除により充当したための区分。
  • 751は種車が1000番台による区分。
  • モハ485-227・228・1029→サハ481-701・702・751


サシ481形[編集]

1000番台対応引通線改造車
1000番台は3MG化が行われトラブル発生時には運転席から給電区分変更できるなどの設計変更が行われた。1000番台と編成組成するサシ481形では、在来車に対応する引き通し線増設改造で対応することになり全車土崎工場施工・秋田運転区配置とされた。
  • 本来ならサシ481形1000番台ともいえる改造ながら番号変更は行われていない。本グループでは1976年施工車と1978年施工車に分類できる。
1976年施工車
つばさ」電車化時1000番台落成までの暫定投入された200番台車と同時に秋田運転区に配置された57 - 59・61 - 63の6両が該当する。
  • 1973年に向日町運転所へ新製配置。1975年に山陽新幹線博多開業により南福岡電車区へ転属するも長崎本線・佐世保線の電化工事の遅れから休車扱いとなりで秋田運転区に再転属。他の車両が1000番台置換え後に南福岡へ復帰後も秋田に残って改造されたグループである。
    • 1982年に57 - 59が向日町に、61 - 63が金沢に転出しているが、全車1986年3月までに廃車された。
1978年施工車
  • 増発のために1978年に金沢運転所から転入した65 - 67(1973年製)・75・76(1974年製)・サシ489形改造の80番台3両の計8両が該当する。
    • 81 - 83の3両は、種車が「白山」の食堂車廃止で捻出された1974年製のサシ489-10 - 12による区分で引き通し線増設改造と同時に横軽協調運転装置の撤去を施工した。
このグループは1982年に金沢に再転属後に複雑な経歴を残しており、24系客車化改造を施工され寝台特急「北斗星」運用に投入された車両が4両、そのうち1両は2011年現在も車籍を有する。
  • 65・66
    • 1986年3月31日 - 廃車
  • 67
    • 1986年3月31日 - 廃車
    • 1987年2月2日 - 車籍復活→松任工場でスシ24 501に改造
    • 1987年4月1日 - JR北海道に承継(札幌運転所 配置)
    • 2008年4月30日 - 廃車
  • 75
    • 1986年3月31日 - 廃車
    • 1987年3月23日 - 車籍復活→吹田工場でスシ24 502に改造
    • 1987年4月1日 - JR北海道に承継(札幌運転所 配置)
    • 2008年4月30日 - 廃車
  • 76
    • 1986年3月31日 - 廃車
    • 1987年3月20日 - 車籍復活→新津車両所でスシ24 503に改造
    • 1987年4月1日 - JR北海道に承継(札幌運転所 配置)
    • 2008年4月30日 - 廃車
  • 81(元・サシ489-10)
    • 1985年3月2日 - 吹田工場でサロ481-508に改造(向日町運転所 配置)
    • 1987年4月1日 - JR西日本に承継
    • 1991年3月2日 - 吹田工場でサロ481-2006に改造(金沢運転所 配置)
    • 2001年12月26日 - 廃車
  • 82(元・サシ489-11)
    • 1985年3月5日 - 吹田工場でサロ481-508に改造(向日町運転所 配置)
    • 1987年4月1日 - JR西日本に承継
    • 1991年1月20日 - 吹田工場でサロ481-2005に改造(金沢運転所 配置)
    • 2001年11月6日 - 廃車

サロ489形[編集]

101
1988年にサロ489-1004のMG・CPをサハ481-118→クロ481-2101の改造に供出するため松任工場で撤去・改番。2003年に廃車。
  • サロ489-1004→サロ489-101
1051・1052
1990年に長野工場でサロ481形1050番台に横軽協調装置を搭載する489系化改造を施工。長野配置で運用されたが長野新幹線開通により上沼垂に転属。以後は上沼垂色に変更されT編成に組み込まれて運用された。後にT編成からサロが外された以後もVIP対応車で防弾ガラスなどを備えお召列車用としての装備を持つことから長らく保留車となっていたが、2010年10月に廃車。
  • (サロ481-122・116)→サロ481-1053・1052→サロ489-1051[5]・1052

モハ489形[編集]

「ラウンジ&コンビニエンスカー」改造車
1989年に「白山」用のモハ489-18 - 21に施工された改造。
  • 前位側窓4枚分の座席を撤去してショーケースを備えたラウンジに改装。
  • 洗面所→冷蔵庫・トイレ→倉庫に変更。
  • 座席定員は32名に減少したが改番は未実施。
全車金沢総合車両所に配置されたが、2002年に18が廃車。残りの3両は「能登」で運用されたが、運用終了後2012年までに廃車となった。
「白山」以外の昼行特急で運用される時は、コンビニエンスコーナーの営業は行われず、専ら車内販売の基地として使用された。

サハ489形[編集]

51・52→251・252
1972年にサハ481形へ横軽協調装置を搭載を行いサハ489形50番台に改造改番。
EF63形との協調運転時にパンクさせる空気バネ台車への空気再供給を短時間で行う改善[注 63]目的から翌1973年にCPを取付250番台に再改番。
施工はすべて吹田工場。
  • サハ481-1・2→サハ489-51・52→サハ489-251・252
201 - 204
サハ489-1 - 4には当初CP未搭載であったが250番台と同じ理由で1973年に吹田工場で取付施工と改番を実施した。
  • このためサハ489形の1 - 4は欠番となった。
1985年と1986年に他形式に改造されて区分消滅した。
  • サハ489-1 - 4→サハ489-201 - 204

サシ489形[編集]

83
元は1974年に製造され金沢運転所に配置されたサシ489-12である。
  • 1978年10月19日に「白山」の編成変更(3MG化。食堂車の廃止)により土崎工場で横軽協調装置を取外されると同時に485系1000番台対応の引通線追加改造を施工。サシ481-83となり秋田運転区に転属。
  • 1982年11月12日に「白山」食堂車復活により横軽協調装置を松任工場で再装着してサシ489-83へ改造。
    • 金沢運転所への再配置で1985年の「白山」食堂車全廃後は保留車となる。
  • 1987年3月11日の分割民営化直前に北長野運転所に転属。JR東日本に承継。
  • 1988年2月23日に新津車両所でスシ24 506に改造され尾久客車区(現・尾久車両センター)に配置。
    • 24系化改造の際には調理室の小窓がひとつ埋められている。
2010年現在も「北斗星」で運用中。
  • サシ489-12→サシ481-83→サシ489-83→スシ24 506
101・102
1972年に長野工場(現・長野総合車両センター)でサシ181形100番台に施工した489系化転用改造。
  • 調理室側回送運転台を増設。
  • 種車の181系のため枕ばりの低いTR69C形台車を改造の上で床面高さを調整。
    • ただし、若干車体断面が異なるのが外観上の相違点。
  • 内装関係の改造は未施工。
    • ベネシャンブラインドや「あずさ」充当を記念して壁面に飾られた中央東線沿線の名峰のレリーフもそのまま残存。
2両とも1986年に廃車。
  • サシ181-102・103→サシ489-101・102

津軽海峡線対応車[編集]

1000番台津軽海峡線対応改造車
CP床下移設のために搬入口のグリルが塞がれている。

青森車両センター所属車のうち海峡線青函トンネル)運用に充当する車両に施工された改造。

  • モハ484形は第1パンタグラフを高速走行に優れたPS26B形へ交換。
  • クハ・クロハ481形はATC-L形を搭載し、CPの床下移設も同時施工された。


「あいづ」用改造[編集]

1993年に「あいづ」は郡山発着となった際に独自の改装を施工した専用編成が用意された。その後「あいづデスティネーションキャンペーン」で復活した際も独自改造が行われた専用編成が投入されている。全編成とも仙台車両センターに所属し郡山総合車両センターが改造施工を担当した。

「ビバあいづ」編成
「ビバあいづ」
1993年に登場した編成。勝田電車区所属の6両編成に以下の改造を行い投入した。
  • 銀色をベースとした専用塗装。
  • 先頭車運転室屋根上部前灯の撤去。
  • クハ481-1104の運転室寄り客室を定員16名のグリーン室に変更しクロハ481-1501に改造。
  • 3号車に組み込まれたモハ485-1008を定員0名のフリースペース「インビテーションカー“赤べこ”」に改造。車内は会津若松市の歴史や観光案内、物産品の展示などが行われていたが、1998年12月には再び座席車に復元された。
2002年の運用終了後はMM'ユニット1008が廃車され、4両が勝田電車区に再転出。塗装変更されK40編成として運用されたが2013年に廃車となった。
← 郡山・喜多方
クハ481 モハ484 モハ485 モハ484 モハ485 クロハ481
345 1008 1053 1501


「あいづデスティネーションキャンペーン」編成
2005年改造車 2006年改造車
2005年改造車
2006年改造車
「ビバあいづ」運転終了後に元青森運転所のA7編成を2005年に改造した編成、A3編成を2006年に改造した編成の2本があるが、いずれも以下の共通する改造を施工。
2006年改造車 車内 交換された座席
2006年改造車 車内
交換された座席
  • クロハ481形をクハ481形に復元。
  • 座席交換とシートピッチの拡大(1,100mm定員380名→319名)。
  • 保安装置にATS-P形を追加。
    • 2006年度改造車はATS-Ps形も追加。
  • 外板塗装の変更。
    • 2005年度改造車は、東武100系電車と同色塗装[6]
    • 2006年度改造車は、会津大学短期大学部学生のデザインをベースとした赤と黒の2色に「あいづデスティネーションキャンペーン」のマスコットキャラクター「あかべぇ」をまとわせた専用塗装。
再改造後の2005年改造車
2005年度改造車は、キャンペーン終了後に先頭車正面の列車愛称表示器の撤去・運転台部分を1枚窓の新しい構体へ交換・3号車の業務用室を多目的室へ変更・東武鉄道用ATSと列車無線ならびに自動放送装置搭載などの再改造が施工され小山車両センターに転出。東武鉄道乗り入れ特急「日光・きぬがわ」に投入されていたが、253系1000番台の投入に伴い2011年2月10日に仙台車両センターに再度転出。
2006年度改造車は仙台に所属し快速「あいづライナー」で運用中であるが、2011年6月に国鉄色への塗装変更を施工。
改造
年次
← 上野・新宿・郡山・喜多方
会津若松・仙台 →
クハ481 モハ484 モハ485 モハ484 モハ485 クハ481
2005年 334 1058 1055 1017[注 64]
2006年 1016 1077 1032 1015[注 65]


3000番台[編集]

485系3000番台

1996年から2001年にかけて、JR東日本が1000番台車を中心に行ったリニューアル改造車。全車共通の改造内容を以下で解説する。

  • 外板塗装の変更。
  • 側窓の下辺を台枠から845mmとし、窓の大型化と窓ガラスの内側取付ユニット化。
  • モハ484形の遮断器空気式(ABB)から真空式(VCB)に換装。
  • 化粧板の張替。
  • 出入台照明のダウンライト化。
  • 貫通引戸と側引戸をハニカム構造で軽量化を図った物に交換。扉ストッパーのキャッチャ式化。電気式となるパルサーチの検知方式を採用し、客室仕切戸を自動化[7]
  • 出入台と運転室の床敷物をノンスリップタイプに交換。
  • 各車両の仕切戸と妻引戸上部に電光表示の室内案内情報装置・号車番号案内装置・禁煙表示装置の設置。
  • 行先表示器・前面列車名表示器のLED化。
  • トイレを真空吸引式洋式に交換。従来の洗面所を撤去し、ユニット式になる男子トイレと小スペース用洗面所を新設した。
  • 車内放送のオルゴールクラシック音楽を採用[注 66]

室内は、以下の改装が行われた。

グリーン車
  • 新幹線200系電車と同様の荷棚、カーテンキセを含めたFRPカバーへの交換。
  • クロハ481形は4列のまま新型シートに交換、サロ481形は種車が3列シートのグレードアップ車のためモケット張替を施工。
3000番台 普通車車内
普通車
  • シートピッチは910mmのままフリーストップリクライニングと座面のスライドが可能な物に交換。
  • 荷棚も新タイプへ変更。
  • 喫煙車への空気清浄機の取付。
  • 一部車両に車椅子対応座席の設置などのバリアフリー化
  • モハ485形の一部車両への車販準備室と電話室の設置。

この一連の改造で大きく変わったのは先頭車のクハ・クロハ481形で、以下の改造が施工された。

  • 従来の運転台屋根部分をすべて撤去し、新しい屋根構体に載せ換えて前面ガラスを1枚の大型ガラス化。
  • 前面にFRP製マスクを取付け、愛称表示機をLED化。
  • スカート部へのカバー取付。
  • 前灯・尾灯の配置を変更。
  • 補助電源はMGからSIVに、CPも静音床下搭載タイプの2,500l/minへ増大した物に換装。

改造施工は、土崎工場(現・秋田総合車両センター)と青森運転所東派出所[注 67]。9両編成2本・6両編成12本と増結用MM'ユニット3組6両の96両が改造され、青森運転所と上沼垂運転区に配置された。2005年12月25日に発生したJR羽越本線脱線事故により大破し、物的証拠として山形県警察押収されたR24編成は、捜査の終了により全車2007年3月31日付で、本区分番台初の廃車となった。

2011年現在で青森車両センターには「白鳥」用6両のA編成3本・「つがる」用4両のB編成3本・増結用MM'ユニット7組14両[8]の44両が配置されていた。所属車両のうちクロハ481-3021・クハ481-3005の2両[注 68]を除く42両が津軽海峡線対応車となっていたが、2012年にモハ485・484-3014のMM'ユニットがジョイフルトレイン「ジパング」の種車となり郡山総合車両センターで改造後に盛岡車両センターに転属となった。また2006年には旧A9編成のクロハ481-3020・クハ481-3350・モハ485・484-3056の4両が、JR羽越本線脱線事故による車両補完のために新潟車両センターに転属している。

新潟車両センターには6両のR編成7本と増結用MM'ユニット1組2両の44両が配置され、「北越」「いなほ」を中心に運用されている。

なお、青森車と新潟車について次のような違いがある。

青森車両センター所属車(MM'ユニットを増結し8両での運転) 新潟車両センター所属車
青森車両センター所属車
(MM'ユニットを増結し8両での運転)
新潟車両センター所属車
  • 外板塗装は、どちらも白と青を基調にしたものであるが、青森車は若干紫に近い青。新潟車は、側引戸と連結面周辺がアクセント的な要素で緑色に塗装されている。
  • クハ・クロハの前面マスク部分の塗装が異なる。青森車は黄色で「North East Express 485」「EAST JAPAN RAILWAY COMPANY」のロゴが、新潟車は緑色で運転台下付近にJRのロゴマークが入る。
  • 乗務員扉前に青森車は先頭部と同じロゴが入る。
  • 新潟車は9両編成で「はくたか」運用に充当されていたR26編成(旧R1編成)とR27編成(旧R2編成)は翼をモチーフにした銀色のエンブレムを装着していたが、R26編成は2009年の、R27編成は2011年の、秋田総合車両センター検査入場でそれぞれ撤去された[9]
    • この2編成は北越急行ほくほく線入線のために搭載されていたATS-P形を現在も引き続き装備しており、かつては「ムーンライトえちご」の第2予備、現在は波動輸送などで首都圏に入線することもある。

編成[編集]

新潟所属のR1・2編成が「はくたか」運用離脱後は、青森・新潟車共に6両編成で車両構成は同じになったが、組成は異なる。

2010年12月3日までの編成
号車 1 2 3 4 5 6 青森車・新潟車共通事項
4号車は車いす対応車
5号車は車販準備室・電話室設置
青森車
クハ
481
モハ
484
モハ
485
モハ
484
モハ
485
クロハ
481
青森 →
号車 6 5 4 3 2 1
新潟車
クハ
481
モハ
485
モハ
484
モハ
485
モハ
484
クロハ
481
新潟
青森・金沢・新宿

青森基準で見た場合、編成的にはクロハが先端で同じ位置になるが、MM'ユニットと号車名が逆向きとなる。

2010年12月4日以降の編成
号車 1 2 3 4 5 6 青森車
3号車は車いす対応車
2号車は車販準備室・電話室設置
新潟車
4号車は車いす対応車
5号車は車販準備室・電話室設置
青森車
A編成
クロハ
481
モハ
485
モハ
484
モハ
485
モハ
484
クハ
481
← 函館・新青森
青森 →
号車 1 2 3 4  
青森車
B編成
クロハ
481
モハ
485
モハ
484
クハ
481 
秋田
青森 →
号車 6 5 4 3 2 1
新潟車
クハ
481
モハ
485
モハ
484
モハ
485
モハ
484
クロハ
481
← 新潟
金沢・新宿・秋田 →

東北新幹線新青森延伸開業に伴うダイヤ改正で以下の変更点が発生した。

  • 青森車は「白鳥」運用でグリーン車の向きを789系「スーパー白鳥」と統一するため方向転換を行いA編成とした。また秋田以北の「いなほ」と「かもしか」を「つがる」に統一、4両のB編成とした上で秋田まで運用範囲が広がった。
  • 新潟車は「いなほ」運用が秋田までとなった。

このため秋田基準で見た場合、編成的にはクロハ481形は逆位置だが号車名は一致、秋田側MM'ユニットは同位置だが号車順が反対となる。

形式[編集]

羽越本線脱線事故により廃車となった車両には「※」を付した。

モハ485-3056
モハ485-3056
モハ484-3056
モハ484-3056
モハ485・484-<3009>・[3014]・(※3018)・<3022>・(3030)・<3031>・(3033)・(3034)・<3035>・(3037)・<3038>・3039・(3040)・※3044・<3046>・<3047>・<3049>・3050・<3051>・3054・3056・<3059>・(3060)・<3062>・(3065)・3066・<3067>・<3068>・3070・3075・<3081>・3086・<3087>
  • ( )は新潟車両センター所属モハ484形車いす対応車。
  • < >は青森車両センター所属津軽海峡線対応車。
  • [ ]は盛岡車両センター所属ジパング用改造車。
車番は原番号+2000。モハ485形の定員は72名。一部の車両ではトイレを車販準備室に、洗面所を電話室と荷物置場に変更している。モハ484形では、一部の車両にバリアフリー対応の車いす対応大型洋式トイレ、多目的室を新設。客室出入台側に車いす対応座席を2脚設置した。通常車が定員64名であるのに対し、車いす対応車は58名となっている。
クハ481-[3005]・<3006>・<3010>・(3011)・3018・<3020>・<3022>・<3030>・(3034)・3043・3342・3348・3350・※3506
  • ( )は新潟車両センター所属ATS-P形搭載車。
  • < >は青森車両センター所属津軽海峡線対応車。
  • [ ]は青森車両センター所属津軽海峡線非対応車。
車番は1000・1500番台からの改造車が原番号+2000、300番台からの改造車が原番号+3000、クロハ481形からの復元改造車はクハ時代の原番号に基づく。
クロハ481-3015
クロハ481- 3004・3008・※3010・<3012>・<3015>・<3016>・<3017>・<3019>・3020・[3021]・3024・(3026)・3027・(3037)
  • ( )は新潟車両センター所属ATS-P形搭載車。
  • < >は青森車両センター所属津軽海峡線対応車。
  • [ ]は青森車両センター所属津軽海峡線非対応車。
車番は原番号+2000。定員はグリーン室16名・普通室36名。3026・3037は2006年に編成替えのため新潟車両センターで施工されたクハ481-3026・3037からの改造車。
サロ481-3106・3107
車番は原番号+3000。グレードアップ改造車のサロ481-106・107に再改造施工。新潟車両センター所属で旧R-1・2編成に組み込まれていた。同編成の6両モノクラス化で定期運用から外れ長らく保留車となっていたが、2008年10月に廃車。これによりサロ481形は廃形式となった。

JR九州改修車[編集]

JR九州が783系以降の新型車との格差を解消するために行った以下の改造施工内容である。

  • ドーンデザイン研究所(代表取締役水戸岡鋭治)が提案した車体塗装に変更。
  • グリーン席を3列シートに統一。
  • グリーン車ならびに喫煙普通車へ空気清浄機を取付。
  • トイレへ換気扇の取付。
  • クロ480形を含む5両編成のモハ485形はトイレ・洗面所を業務員室・車販準備室に変更。
  • 普通車座席をリクライニングシートに交換(一部はモケット張替のみ)。

この改修は全車に施され、以下の6種類が登場した。

  • RED EXPRESS(Dk10 - 16・Do31編成)
  • KIRISHIMA EXPRESS(2000年に一旦消滅 2004年に復活 2010年に国鉄色への塗装変更で再度消滅[10]
  • 旧国鉄色(2000年にミレニアム記念で登場:Do2編成)その後Dk9(元KIRISHIMA EXPRESS)が2010年に変更。
  • KAMOME EXPRESS(消滅)
  • MIDORI EXPRESS(消滅)
  • HUIS TEN BOSCH(消滅 当時は4両編成でMc(緑)+M'(青)+T(黄)+Tc(緑)の配色だったが「きりしま」「ひゅうが」に転用する際にTが廃車。Mc(緑)+M'(黄)+Tc(青)の「K&H色」となった。Do1・3 - 7・Dk8編成が該当。)

ジョイフルトレイン[編集]

本系列をベースとしたジョイフルトレインは、以下で解説する車両があり、すべてJR東日本で改造され所有している。

なお、編成全体の詳細はジョイフルトレイン(「リゾートエクスプレスゆう」と「NO.DO.KA/のどか」については183系も)を参照。

型式[編集]

全車とも改造車で、車体構体を流用したケースや、下回りだけ流用して全く新しい車両構体に載せ換えをした車両まで様々ある。

モロ485形
1 - 9

2以降はすべて構体を新規に製造して載せ換えて、お座敷(和式)電車として誕生している。また、2・4・8・9が公衆電話、3・5・7がトイレを備えるほか、休息室や更衣室も備えている。

1:「リゾートエクスプレスゆう」の中間電動車。1998年10月の和式化で定員が33名から28名と変更されている。
  • サロ189-6→モロ485-1
2・3:「宴」の中間電動車。定員はともに28名。
  • モハ485-56・37→モロ485-2・3
4・5:「華」の中間電動車。定員はともに28名。
  • モハ485-87・149→モロ485-4・5
6・7:「ニューなのはな」の中間電動車。6は定員が畳敷44・座席64名。7は畳敷40・座席56名。
  • モハ485-1017・1076→クモハ485-1001・1009→モロ485-6・7
8:「やまなみ」の中間電動車。定員28名。2011年「リゾートやまどり」に再改造。
  • モハ485-58→モロ485-8
9:「せせらぎ」の中間電動車。定員32名。2011年「リゾートやまどり」に再改造。
  • モハ485-1071→モロ485-9
1007・1024

「彩(いろどり)」の中間電動車。構体は種車の物を流用。室内は4人用簡易コンパートメントで構成され、座席をフルフラットにすることも可能である。3号車(1024・定員28名)にはマッサージチェアとパウダールーム、5号車(1007・定員22名)には車いす対応座席とトイレ、添乗員室を装備。

  • モハ485-1007・1024→モロ485-1007・1024
モロ484形
1 - 11

パンタグラフ付中間電動車で各車ごとで誕生の経緯が異なる。-4以降はすべて構体を新規に製造して載せ換えてお座敷(和式)電車として誕生している。本グループのパンタグラフはオリジナルのモハ484形と異なり、すべて1基搭載に変更されている。また、4 - 8・10・11の低屋根部はミーティングルームを備えている。

1:モハ484-701の項目を参照のこと。
2・3:「リゾートエクスプレスゆう」。1998年10月の和式化で定員が39名→32名と変更されている。
  • サロ189-7・8→モロ484-2・3
4・5:「宴」。定員24名。
  • モハ484-56・37→モロ484-4・5
6・7:「華」。定員24名。
  • モハ484-87・251→モロ484-6・7
8・9:「ニューなのはな」。定員は畳敷28・座席40名。低屋根部に8は車販準備室・テレホンカード公衆電話を、9は業務室・多目的室、畳敷への転換機構のない固定クロスシート4組を備える。
  • モハ484-1017・1076→モロ484-8・9
10:「やまなみ」。定員24名。2011年「リゾートやまどり」に再改造。
  • モハ484-58→モロ484-10
11:「せせらぎ」。定員32名。2011年「リゾートやまどり」に再改造。
  • モハ484-1071→モロ484-11
1007・1024

「彩(いろどり)」。構体は種車の物を流用。2号車(1024)は、室内は4人用簡易コンパートメントで構成され、座席をフルフラットにすることも可能。4号車(1007)は、フリースペースでソファとテーブルを備えている。BOSE社製のスピーカーと液晶ディスプレイを設置。車端部に設けられた多目的室は扉で仕切ることが可能。反対側には喫煙室も設置される。種車の第2パンタグラフを撤去し、第1パンタグラフは本系列初となるシングルアーム式PS32形を搭載しており、狭小トンネルである中央本線への乗り入れを可能としている。

  • モハ484-1007・1024→モロ484-1007・1024
クモロ485形
1:クモハ485形700番台を参照。
2:「リゾートエクスプレスゆう」の下り(常磐線基準)向き制御電動車。1998年10月の和式化で定員が21名→20名と変更されている。トイレ・洗面所を装備。
  • サロ189-5→クモロ485-2
クロ481-1502・1503

「彩(いろどり)」の制御車。室内は1列+2列の回転リクライニングシートとした。運転室背後に談話スペースを設け、32Vの液晶モニタには前面展望映像も映し出される。前面の愛称表示機も市販の40Vワイド液晶モニタに交換されている。中央本線の狭小トンネル対策のために静電アンテナを後位に移動し、屋根上のヘッドライトは撤去している。

  • クハ481-1502・1503→クロ481-1502・1503
クロ485形

すべて構体を新規に製造して載せ換え、お座敷(和式)電車として誕生している。全車MG・CPを搭載。3を除いた先頭部に展望室を持つ。

1:「宴」の奇数向き制御車。定員24名。
  • クハ481-25→クロ485-1
2:「華」の奇数向き制御車。定員24名。
  • クハ481-21→クロ484-2
3:「ニューなのはな」の奇数向き制御車。定員は畳敷32・座席48名。
  • サロ481-1007→クロ485-3
4:「やまなみ」の奇数向き制御車。定員24名。2012年「ジパング」に再改造。
  • クハ481-40→クロ485-4
5:「せせらぎ」の奇数向き制御車。定員28名。「やまなみ」と併結運転するために高圧用のKE10形ジャンパ栓がなくなり、制御用のKE70形が取り付けられている。外観は「やまなみ」と比べて前灯が四角形になり、上部にプロジェクタランプが追加されている。2011年「リゾートやまどり」に再改造。
  • サロ181-1102→サロ481-1502→クハ481-1105→クロ485-5
クロ484形

3以降は構体を新規に製造して載せ換えてお座敷(和式)電車として誕生している。全車MG・CPを搭載。3・4・6・7は先頭部に展望室を設置。

1:クハ484-701の項目を参照のこと。
2:「リゾートエクスプレスゆう」の偶数向き制御車。1998年10月の和式化で定員が21名から20名と変更されている。
  • サロ183-1008→クロ484-2
3:「宴」の偶数向き制御車。定員24名。
  • クハ481-22→クロ484-3
4:「華」の偶数向き制御車。定員24名。
  • クハ481-28→クロ484-4
5:「ニューなのはな」の偶数向き制御車。定員は畳敷32・座席48名。
  • サロ181-1106→サロ481-1506→クロ484-5
6:「やまなみ」の偶数向き制御車。定員24名。2012年「ジバング」に再改造。
  • クハ481-34→クロ484-6
7:「せせらぎ」の偶数向き制御車。定員28名。「やまなみ」と併結運転するために高圧用のKE10形ジャンパ栓がなくなり、制御用のKE70形が取付けられている。外観は「やまなみ」と比べて前灯が四角形になり、上部にプロジェクタランプが追加されている。2011年「リゾートやまどり」に再改造。
  • サロ181-1104→サロ481-1504→クハ481-1107→クロ484-7
サロ485-1
サロ485-1
サロ485-1
車内
車内

「リゾートエクスプレスゆう」のラウンジカー。MG・CP搭載。ドーム型の展望席とステージ・サービスカウンター。AVコントロール室が設置されたイベントスペースを持つ。

  • サロ481-1002→サロ485-1


クモハ485-701

元は1990年8月に登場した「シルフィード」の制御電動車。165系からの改造車である「パノラマエクスプレスアルプス」(現・富士急行2000形電車)と同じ構造で、運転席を2階[注 69]にし前面展望スペースを備える。2001年10月にカーペット敷き電車「NO.DO.KA/のどか」に改称ならびに普通車化再改造を施工。

  • サロ189-2→クモロ485-1→クモハ485-701
モハ484-701

元は1990年8月に登場した「シルフィード」の中間電動車。パンタグラフ部分は低屋根化して狭小トンネル区間走行対応の1基搭載とした上でトイレ・洗面所・更衣室を設置。2001年10月の再改造で定員を30名→36名に変更。

  • サロ189-3→モロ484-1→モハ484-701
クハ484-701

元は1990年8月に登場した「シルフィード」の制御車。クモハ485-701と同様の前面構造を持つ。MG・CPのほか非電化区間でサービス用電源を自力で供給するための発電用ディーゼルエンジンを床下に搭載。2001年10月の再改造で定員が24名→32名に変更された。

  • サロ189-4→クロ484-1→クハ484-701
モハ485-701+モハ484-702

「きらきらうえつ」のMM'ユニット。モハ485-702は3号車で定員40名、リクライニングシート装備の座席車で、業務用室・多目的室を設置している。モハ484-702は4両編成の2号車の和風ラウンジカーでパンタグラフ部分低屋根化して狭小トンネル区間走行対応の1基搭載とした上で茶屋(ミニビュフェ)としたほか18名分のボックス席(フリースペース)と反対側車端部に映像ゾーンを持つ。

  • モハ485・484-1078→モハ485-701+モハ484-702
クハ485-701・クハ484-702

「きらきらうえつ」の制御車。種車の下回りを流用し、構体を新規に製造して載せ換えた。定員38名。トイレ・洗面所、パイプいすを備えた簡易展望スペースが設置されている。

  • クハ481-349→クハ485-701
  • サハ489-5→クハ481-753→クハ484-702
モハ485・484-703・704

2011年、東急車輛製造で「せせらぎ」と「やまなみ」を種車に再改造した「リゾートやまどり」用中間電動車。ユニット703が2・3号車で704が4・5号車。ユニット間の車両番号を統一させたためにモハ485-702は欠番となった。

  • (モハ485-58)→モロ485-8→モハ485-703
  • (モハ485-1071)→モロ485-9→モハ485-704
  • (モハ484-58)→モロ484-10→モハ484-703
  • (モハ484-1071)→モロ484-11→モハ484-704
クハ485・484-703

上述の「リゾートやまどり」用制御車。種車は「せせらぎ」用制御車。車両番号を統一させるためにクハ485-702は欠番となった。

  • (サロ181-1102→サロ481-1502→クハ481-1105)→クロ485-5→クハ485-703
  • (サロ181-1104→サロ481-1504→クハ481-1107)→クロ484-7→クハ484-703
モハ485・484-3014

盛岡支社所有のジョイフルトレイン「ジパング」用中間電動車。2012年に青森車両センター所属だった増結用MM'ユニットから捻出され郡山総合車両センターで改造。改造に伴う改番は未実施。

クハ485・484-704

上述の「ジパング」用制御車。種車は「リゾートやまどり」再改造で余剰となった「やまなみ」用クロ485・484形で郡山総合車両センターで普通車化を含んだ再改造を施工された。

  • (クハ481-40)→クロ485-4→クハ485-704
  • (クハ481-34)→クロ484-6→クハ484-704

他系列への改造車[編集]

181系電車への改造車[編集]

  • サロ481-26 - 28→サロ181-1051 - 1053

183系電車への改造車[編集]

JR東日本所属車[編集]
  • サハ489-7・9・サハ481-107・105・104→クハ183-101 - 105
  • サハ489-8・6→クハ183-151・152
  • サハ481-110・111→クハ182-1・2
  • サハ481-117・103・112・104・102→クハ182-101 - 105
  • サロ481-90・98・112・133→サロ183-1051 - 1054
1051・1054は、1989年にサハ481形300番台に格下げ改造のうえ勝田電車区へ転出した。その後、E653系の投入に伴い2000年までに全車が廃車されている。
1052・1053は、1988年サロ481-98・112に復元改造され、同時にシートの3列化などのグレードアップ改造も行われた。
JR西日本所属車[編集]
交流機器の撤去、もしくは使用停止によって183系化された200・700・800番台の改造車。制御回路は485系と共通しており、直流区間内であれば無改造の485系との併結運転も可能であるが、本来の183系であるJR東日本車とはジャンパ連結器が違うことから併結はできない。

189系電車への改造車[編集]

  • モハ485-109・203 - 205→モハ189-501 - 504
  • モハ484-301・305 - 307→モハ188-501 - 504
  • サハ481-113・106→クハ188-101・102
  • サハ481-101・115→クハ188-601・602
  • サロ481-110・111・113→サロ189-51 - 53

113系電車への改造車[編集]

  • サロ481-26・27→サロ181-1051・1052→サロ110-302・303
  • サロ489-1 - 5・10 - 12・7・9・17・18→サロ110-351 - 362
  • サロ489-19 - 22・24・サロ481-93・95・96→サロ110-1351 - 1358

24系客車への改造車[編集]

  • サロ481-52・101・102→オハ24 301 - 303
1990年に「なは」のレガートシート車へ3両が改造された。車体内外の改造のほか、引通回路の変更、ブレーキ装置のCL化が施工された。
  • サシ489-3・4・サシ481-52→スシ24 1 - 3
JR西日本宮原総合運転所所属。1988年イベント用に鷹取工場で改造後、翌年からは「トワイライトエクスプレス」で使用されている。
  • サシ481-67・75・76・64・68・サシ489-83・7・サシ481-50→スシ24 501 - 508
1987年 - 1989年に「北斗星」用として車体色・引通回路の変更、ブレーキ装置のCL化、耐寒耐雪構造の強化、青函トンネル通過に伴う防火対策、回送運転台の撤去、ダイニング内装のグレードアップと食堂座席定員を40名から28名へ変更[11]などの改造が施工された。
501 - 503・508がJR北海道札幌運転所、504 - 507がJR東日本尾久車両センター所属となったが、2008年にJR北海道所属車は廃車となった。

訓練車[編集]

勝田電車区訓練車K26編成

1991年にJR東日本では、乗務員を対象に定期的に行う異常時の取扱いや応急処置等の教育訓練のため保留車を訓練用に整備することになった。そのために本系列でもモハ484形を種車にしたモヤ484形訓練車が改造で落成した。

モヤ484-1・2
改造施工は1が青森運転所、2が郡山工場。室内は座席を一部撤去して、テーブルとパイプ椅子を持込みミーティングルームとし、備品収納用ロッカーや視聴覚教育モニタ、ビデオを搭載するためのラックを装備する。外観上は白線2本と「訓練車」の表記が追加され、一般車とは区別される。
  • モハ484-60・61→モヤ484-1・2

訓練車編成は青森運転所と勝田電車区に以下の2編成[注 70]が配置された。

編成番号
← 上野
青森 →
クハ481 モヤ484 モヤ485 クハ481
青森運転所
A13編成
16 1 60 24
勝田電車区
K26編成
26 2 61 17

2001年には勝田所属のクハ481-17が60Hz仕様赤スカートに復元されたが、青森車が2005年に廃車。勝田車も2007年に廃車となったが、2両が静態保存された。

保存車・民間転用車両[編集]

鉄道車両としての使命を終え、廃車後に静態保存やカットモデルとなる以外に車両を丸ごと他の施設に転用する例もある。485系の場合は圧倒的に食堂車が多いが、閉店し解体される車両も少なくない。

クハ481-603
クハ481-603
クハ481-26
クハ481-26
クハ481-603(元・クロ481-5)
廃車後も解体されずJR九州小倉工場に留置されていたが、のちに修復され、2003年に開館した福岡県北九州市門司区九州鉄道記念館で一般公開されている。
クハ481-26・モハ484-61
JR東日本勝田車両センターに所属していた訓練車編成中の2両に対し、屋根の色を灰色から国鉄時代の銀色に、クハ481-26の機首部分の前灯をシールドビームから本来の白熱灯[注 71]に復元し、ボンネット側面上部にステンレス製のJNRロゴマークを復活させるなどの整備とモヤ484-2のモハ484-61への復元を郡山総合車両センターで行い、2007年10月埼玉県さいたま市大宮区に開館した鉄道博物館に保存。
クハ489-501
JR西日本金沢総合車両所に所属していた元H01編成の大阪・上野方先頭車。2012年6月1日に廃車された後、石川県小松市に譲渡され2013年4月よりJR小松駅近くの「土居原ボンネット広場」にて保存。
クハ481-246
2013年から九州鉄道記念館で前頭部のみ保存。RED EXPRESS色で運転室内部に立ち入ることが可能である。
クロ481-2001
吹田総合車両所で保管[12]
サシ489-9
茨城県鹿嶋市で個人経営のレストランに転用されたが、車体の腐食が激しくなり2008年7月に解体された。
サシ481-48
岩手県盛岡市にある太田スポーツセンターの横で喫茶店として1988年頃にオープンしたが、1990年代後半には閉店となった。
サシ489-1・2
1989年頃、京浜東北線蒲田駅前で「グルメステーション蒲田」に転用され、その後ラーメン店に改装されるも再び閉店。車両も撤去・解体された。
サシ481-24・26・30 サロ481-16
1986年4月、西鹿児島駅(現・鹿児島中央駅)前にサシ481-26を転用したイタリアンレストラン「ヴェズビオ」がオープンした。同店はおりからのバブル景気イタリア料理ブームに乗り、支店を南宮崎駅前にサシ481-30を、川内駅にサロ481-16を使い開業、小倉駅前にはサシ481-24を使ったフレンチレストラン「トランドール」も開店させた。経営母体は国鉄九州総局で分割民営化後はJR九州に引き継がれた。しかし、景気の後退による利用者の減少や施設の老朽化により閉店、車両もすべて解体された。
サシ481-43・サロ481-99
青森県八戸市の個人が購入した。サシは食堂、サロは学習塾に転用されたが、現在ではどちらも使われていない。
サシ481-27 
モハネ583・582-95・サロ455-31・キハ58 92・キユニ28 20と共に宮城県大崎市の「たかともワンダーファーム」が館内施設として購入し、同車はレストランとして営業を行っていた。しかし、2008年9月に車体腐食のため解体された。
サロ481-41
北海道勇払郡むかわ町字汐見にあるドライブインに転用された。国鉄分割民営化時にJR北海道へ承継された車両で、1990年の廃車後にサハネ581-14・36と共にこの場所に移設された。閉店後は現場に放置され、サハネ581形は横転するなどして状態も非常に悪く2005年頃に解体された。

事故廃車[編集]

余剰・老朽化以外による事故廃車は本系列全体で18両ある。

モハ485-117・モハ484-221・クロ481-53
1981年6月7日13時53分頃に特急「かもめ・みどり11号」で運用中の当該車両が長崎本線久保田 - 牛津間の柳掘橋梁付近左側半径800mカーブで脱線。同年7月27日付で廃車となったが、国鉄時代に発生した唯一の事故廃車である。
モハ489-220 - 222・モハ488-35 - 37・クハ489-202・602・サロ489-14
1996年11月24日17時05分頃長野駅構内で特急「あさま88号」として発車した当該車両編成に構内回送中の189系電車9両編成が接触。窓ガラス10数枚と車体側面に損傷を受けた程度であったが、翌年に迫った長野新幹線開業による余剰が決定していたことと経年から修繕せずにそのまま廃車。
モハ485+484-3018・3044・クハ481-3506・クロハ481-3010
2005年12月25日に発生したJR羽越本線脱線事故の当該車両。警察の保全命令解除後に2007年3月31日付で全車廃車。2013年4月22日、JR東日本は新潟県中越地震東日本大震災の被災車両と共に福島県白河市に建設予定の総合研修センターで保存すると発表した[13]

運用実績[編集]

国鉄時代[編集]

485系は北陸特急「雷鳥」「しらさぎ」用として登場し、さらに東北方面や山陽方面に進出、「つばめ」「はつかり」「つばさ」「白鳥」などに充当された。その後は新幹線の開業により、短距離・短編成の特急を多く生み出し、民営化に至る。

北海道地区[編集]

1974年4月 - 1980年9月、札幌運転所に配置。詳細は1500番台を参照。ただし、分割民営化時にJR北海道へ承継された車両がある。詳細は後述。

東日本地区[編集]

東北を中心とした東日本地区での使用車両は、以下の車両基地に配置された。

1965年、仙台運転所に44両を配置し「ひばり」2往復「やまびこ」1往復に以下の編成で運用を開始。

← 上野
仙台・盛岡 →
1 2 3 4 5 6 7 8 9 10
クハ
481
モハ
482
モハ
483
サロ
481
サシ
481
モハ
482
モハ
483
モハ
482
モハ
483
クハ
481
備考
  • 運転開始当初は一部車両が落成待ちのため、翌1966年3月まで「ひばり」1往復は盛岡方MM'ユニット1組減車の8両で運転。
  • 繁忙期には増4号車としてサロ481形1両を増結(向日町所の編成と同一組成)し、運転された実績がある。

1968年のダイヤ改正では奥羽本線山形以南電化により「やまばと「あいづ」も運転を開始するが、板谷峠越えのためにMT比2:1。磐越西線内ホーム有効長の関係から9両に抑えられかつ食堂車を連結する制約のためにダイヤ改正前の6月11日からクロ481形組込6M3T編成に組換えられた[注 72]。しかしその後も増発と長編成化が実施され、1972年から1973年にかけて東北地区での運用は大きな変化を迎えることになる。

  • 1972年3月15日ダイヤ改正
    • 「やまびこ」2往復「ひばり」2往復[注 73]「やまばと」1往復増発。
  • 1972年10月2日ダイヤ改正
    • 一部列車のエル特急
    • 羽越本線の全線電化によりキハ80系で運転されていた「白鳥」「いなほ」の本系列化[注 74]すると共に「いなほ」は1往復増発の2往復になり増発分は青森まで運転区間を延長
    • 常磐線特急「ひたち」を本系列化し上野 - 平(現・いわき)・原ノ町・仙台で5往復運転
    • 「ひばり」2往復「やまびこ」2往復増発

これらの増発により仙台運転所に続いて青森運転所にも配置。さらに増備は続き、11月3日からは休日運転の「やまびこ」1往復を運転開始。翌1973年3月1日からは「はつかり」季節列車1往復の運転も開始された。

1973年1月31日からは「ひばり」でグリーン車2両組込13両編成の運転が開始され以下のようになった。

← 上野・大阪
仙台・青森 →
仙台運転所編成
9両
(6M3T)
クロ
481
モハ
484
モハ
485
モハ
484
モハ
485
サシ
481
モハ
484
モハ
485
クハ
481
 
12両
(8M4T)
クロ
481
モハ
484
モハ
485
モハ
484
モハ
485
サシ
481
モハ
484
モハ
485
サハ
481
モハ
484
モハ
485
クハ
481
 
13両
(8M5T)
クロ
481
サロ
481
モハ
484
モハ
485
モハ
484
モハ
485
サシ
481
モハ
484
モハ
485
サハ
481
モハ
484
モハ
485
クハ
481
青森運転所編成
12両
(8M4T)
クハ
481
サロ
481
モハ
484
モハ
485
モハ
484
モハ
485
サシ
481
モハ
484
モハ
485
モハ
484
モハ
485
クハ
481
 
13両
(8M5T)
クハ
481
サロ
481
サロ
481
モハ
484
モハ
485
モハ
484
モハ
485
サシ
481
モハ
484
モハ
485
モハ
484
モハ
485
クハ
481
備考
  • 仙台運転所MM'ユニットはモハ483・モハ482の場合あり
  • 仙台運転所13両編成は「ひばり」専用
  • 青森運転所13両編成は「白鳥」専用
  • 当時、青森運転所の運用は長距離かつ仙台・盛岡・秋田などで停泊が続き1週間近く帰所できず、不定期列車で丸一日上野口で停泊や折り返し間合の時間を長めに取られる物も存在した。これは首都圏側に配置車両がなかったため車両故障や雪による遅延でダイヤが混乱した際、後続の折り返し列車に停泊編成を充当させることで定時性確保や不用意な運休を避けるための措置である。しかし運用変更を多用すると検修周期の問題が発生し、予定外の場所で検査切れになるケースもあるため青森⇔上野で回送列車を仕立てたり仙台運転所の車両で代走させるなど青森運転所の苦労は絶えなかったという。
  • 度重なる増備にも関わらず車両不足や運用に余裕がないなどの諸事情で本来特急列車として運転されるところを455・457系電車による急行列車として運転された列車に臨時急行「エコーもりおか」と仙台 - 青森の「くりこま」がある。詳細についてはこちらも参照。

1973年10月1日ダイヤ改正では「はつかり」「ひばり」2往復「ひたち」1往復を増発。1975年3月10日ダイヤ改正でさらに「ひたち」が2往復増発で8往復体制となるが、仙台運転所の12両編成からはクロ481形とサハ481形をクハ481形とサロ481形に差替えた。

1975年11月には奥羽本線秋田駅電化によりキハ181系で運転されていた「つばさ」を電車化。秋田運転区に当初は200番台、翌年から1000番台が投入されるが、この頃が東北方面本系列特急のピークである。

  • 「つばさ」は1日2往復運転のために本来3編成でも運用が可能なところ、有効時間帯の見直しも含め4編成での運用を行った。これは豪雪地帯である奥羽本線内で雪による遅延に備え、当初は在来車による運行であるために用心したからである。そのため秋田運転区には、使用48両・予備車を含めて66両(1976年4月の1000番台置換え後は72両)と大量配置がなされた。
  • 他の東北特急のグリーン車が上野寄りの1号車(クロ481形使用列車)、2号車(583系も含む)だったのに対して「つばさ」では6号車に組込まれていた。これは3MG方式を導入する1000番台投入時に再び編成変更して、乗客などに混乱を与えない配慮もあったが、トラブル発生時に運転台から給電区分を簡単に変更できるようにするため、編成中央部付近にMG・CP装備のサロ481形1000番台が組成されている方が都合がいいためでもある。
  • また、上野口特急グリーン車の連結位置に関しては、信越・上越方面の列車も含めて連結位置を統一する動きがあり、1978年10月の改正で仙台所のクロ481形組込編成と臨時列車として設定されていた183系1000番台7両編成の「白根」を除き、上野口定期特急電車のグリーン車は6号車(2両組込編成は7号車も)に統一された。

1978年10月2日ダイヤ改正では、「はつかり」1往復「ひばり」2往復「ひたち」3往復増発「やまばと」1往復区間延長→により「つばさ:増発を実施したが、東北本線・高崎線で規格ダイヤが導入され特急列車の所要時間が軒並み増大した。また、仙台の9両編成がサシ481形→サハ481形に置換えられたほか、食堂車を営業休止する列車も設定された。

1982年の東北・上越新幹線大宮暫定開業では、奥羽本線系統の特急は一部残されたものの軒並み廃止・削減され、主力は以下の新幹線連絡列車となった。また「鳥海」を除いて食堂車は編成から外された。

  • 盛岡⇔青森(東北本線経由)「はつかり」
  • 盛岡⇔秋田・青森(田沢湖線・奥羽本線経由)「たざわ」
  • 新潟⇔秋田・青森「いなほ」
  • 従来の上野発着「いなほ」は、1本のみ残置され「鳥海」に改称

1985年3月14日ダイヤ改正による東北・上越新幹線上野開業では東北特急は新幹線連絡の性格を強め短編成化が実施されると共に以下の変更を実施。

  • 「やまばと」全廃
  • 「鳥海」臨時列車格下げ
  • 「白鳥」の担当を向日町運転所に移管
  • 東北本線経由で本系列による上野発着列車は「つばさ」と共通運用の「あいづ」各1往復。
  • 常磐線急行「ときわ」はすべて「ひたち」に格上げし運用を勝田電車区に移管 下り12本・上り11本を増発し下り24本・上り23本の運転体制に変更
  • これにより仙台運転所の本系列配置がゼロになると共に九州からクハ481形初期ボンネット車が多数転入した。

1986年11月1日ダイヤ改正では上沼垂運転区にも配置され「白鳥」を担当。この体制で国鉄分割民営化を迎えた。

西日本地区[編集]

西日本地区での歴史は、1964年に向日町運転所に新製配置された481系41両が「雷鳥」「しらさぎ」へ投入されたことに始まる。

また東海道新幹線開業により新大阪 - 博多に運転区間を変更した「つばめ」「はと」は、車両数の問題と交流区間の走行距離が短かったことから直流用の151系で運転[注 75]されたが、翌1965年10月には九州特急用増備車が落成。「つばめ」は名古屋 - 熊本に運転区間が延長され東海道・山陽方面での運用を開始した。

本系列増備に伴い151系は181系へ改造されるが、関東地区での増発のために181系は転出を繰り返し、1973年に向日町の181系配置はゼロとなった。一方、山陽本線には1968年10月ダイヤ改正以降583系が優先的に投入されたため山陽-九州間の運用は大阪-大分間の「みどり」だけとなったが、1969年には上野 - 金沢間運転の「はくたか」も「雷鳥」と共通運用を組んで向日町で受持ち、東は上野、西は大分までの広域運用を担当した。

  • 「はくたか」の交流区間は60Hzのため、金沢で「雷鳥」を介して向日町の481・485系と共通運用を組むことになった。しかし、冬期は豪雪地帯の上越線を経由するため下り「はくたか」は大幅な遅延も多く、その場合には「雷鳥」から上り「はくたか」に入る予定の編成を「雷鳥」で大阪に戻し、遅延した下り「はくたか」を上り「はくたか」で上野に送り返す運用が組まれていた。しかし、こちらも「はくたか」の遅延が慢性化し、折り返し運用が続くと当該編成が向日町に戻ることができず、検修の問題や金沢運転所の489系による代走などの弊害が発生していた。

1972年3月15日の山陽新幹線岡山暫定開業により連絡特急が岡山発着になるも「しおじ」は大阪発着として残存。これ以降本系列は山陽-九州運用に本格的に投入され、また4月27日には「みどり」の間合い運用日豊本線博多-大分間の「にちりん」にも投入され、九州島内運用も実施。1973年10月には「なは」への投入、さらに1974年4月25日には南宮崎電化で運用区間が延長、向日町所属車は新潟・上野・宮崎・西鹿児島とさらに広域運用が行われるようになった。しかし、1975年3月10日に山陽新幹線博多開業により、山陽本線昼行特急は全廃。向日町所属車は北陸運用使用車を除いて南福岡と鹿児島に転出した。

一方、北陸地区への車両配置は1972年の「白山」運転開始の翌1973年に489系を向日町から金沢運転所へ転出させたことが起源で「白山」のみならず「雷鳥」「しらさぎ」「北越」にも投入した。1975年に「雷鳥」が米原経由から湖西線経由に変更となり「加越」の運転開始に伴い485系も金沢に配置された。その後489系は「白山」の間合い運用で「あさま」への投入、1978年には3MG化と食堂車が廃止され「白山」と上越線経由の「はくたか」は共通運用化。上越新幹線開業で「はくたか」廃止、食堂車の復活→再廃止などがあったが、分割民営化を前に「あさま」用189系補完のため27両が長野運転所に転属している。

また、1985年3月のダイヤ改正では紀勢本線の「くろしお」を4往復増発する際、他地区で余剰となっていた485系44両を日根野電車区に配置し充当したが、諸事情により翌1986年11月1日のダイヤ改正で福知山運転区と南福岡電車区に全車転出した。詳細はこちらを参照のこと。

九州地区[編集]

九州地区における運用は1965年に始まるが、配置区所は向日町運転所で本州からの直通運用が主体であった。1975年の山陽新幹線博多開業により本州からの昼行特急がなくなり、余剰車が南福岡電車区と鹿児島運転所に転入。後に青森運転所や仙台運転所からも車両が転入するが、一部は本州に再転出した。九州地区に新製配置された車両は長崎本線・佐世保線電化用名義のMM'ユニット9組18両[注 76]とサハ481形100番台5両のみである。

1976年には長崎本線・佐世保線全線電化より「有明」「にちりん」に加え「かもめ」「みどり」にも充当された。当初は大部分の列車が肥前山口で併結・解結を行っていたが、1986年11月の改正ではすべて分離運転となった。

  • この体制は民営化後に783系による運用が開始するまで継続した。

1980年代に入ると初期車の置換えも始まり、鹿児島所属の481系MM'ユニットならびにサシ481形AU12形分散式冷房装置搭載車[注 77]は1985年までに淘汰された。またこの頃からモハ484形第2パンタグラフの撤去も開始された[注 78]

1984年2月改正では九州内の583系運用が終了。1985年3月および1986年11月の改正では充当列車は変わらないものの急行列車からの格上げや増発により運用数が大幅に増加した。また増発による短編成化も推進され先頭車化改造や半室グリーン車化が推進され「有明」では3両編成も組成された。

DE10 1755+スハフ12電源車で非電化区間に乗りいれた「有明」(画像はJR化後)
DE10 1755+スハフ12電源車で非電化区間に乗りいれた「有明」
(画像はJR化後)

1987年3月には当時非電化だった豊肥本線熊本 - 水前寺間で「有明」をDE10形ディーゼル機関車の牽引・推進により、当初はスハフ12形、その後は電源車に改造したヨ8000形28000番台を連結して、毎日運転の臨時普通列車として入線させた。

  • この乗り入れは後に783系投入後も引続き1994年7月まで行われた。

分割民営化時にはJR九州に324両が承継された。

広域転配[編集]

485系で3電源方式を採用した真の狙いは、電源方式を選ばない特性から全国に渡る広域転配を可能にしたことである。実際に、国鉄時代には以下のような広域転配が何度となく行われた。

山陽新幹線博多開業[編集]

山陽新幹線博多開業により山陽本線の昼行特急は全廃され、新幹線連絡の「有明」「にちりん」が増発されることになった。そのため北陸方面で運用する車両を除き、向日町運転所の485系が南福岡電車区と鹿児島運転所に転属した。

  • 鹿児島には、モハ481・480形を含む初期車中心、南福岡には200番台中心に振分けられている。これは、長崎本線・佐世保線電化時に分割・併合運用を行うことが予定されていたためである。
  • 上記のような鹿児島向けと南福岡向け、そして向日町に残る車両の振分けをするため、半年近く前から編成替えや運用に細心の注意を払い準備していた。転属のための回送列車を極力減らし、そのまま改正ダイヤでの新列車運転をスムーズに行うため、前日に九州や下関、広島で運用が終了する編成は軒並み転属車で運転された。
  • 少数ではあるが、東北地区の予備車確保のため青森運転所と仙台運転所に転属した車両もある。

奥羽本線・長崎本線・佐世保線電化[編集]

奥羽本線の山形 - 秋田間電化により、キハ181系で運行されていた「つばさ」に耐寒設備を強化した1000番台の投入が1976年に予定されたが、電化工事は1975年秋に完成していた。

一方、長崎本線・佐世保線電化は1975年に完成予定であったが、工事の遅れで1976年に延期された。そこで、山陽新幹線博多開業によって向日町から南福岡に転属したものの休車扱いとなっていた「かもめ」「みどり」充当用200番台車を一時的に秋田運転区に転属させ、「つばさ」に充当することになる。しかし、この転用は以下の理由が絡み合う複雑なものであった。

  • 長崎・佐世保特急は分割併合のためクハ481形200番台の使用を予定していたが、逆に東北地区では隙間風の侵入や居住性で乗務員からの不評も多く300番台の投入が要求されていたため車両交換を伴う必要。
  • 「みどり」は4両編成でかつグリーン車連結のために仙台所属のクロ481形を転用させる計画。
  • 転入前の向日町時代と各列車の編成が大きく異なる。
向日町→南福岡転属編成(6M5T)
クハ
481
モハ
484
モハ
485
サロ
481
サロ
481
サシ
481
モハ
484
モハ
485
モハ
484
モハ
485
クハ
481
 
「つばさ」編成(8M4T)
クハ
481
モハ
484
モハ
485
モハ
484
モハ
485
サロ
481
サシ
481
モハ
484
モハ
485
モハ
484
モハ
485
クハ
481
「かもめ」「みどり」編成(6M6T)
クハ
481
モハ
484
モハ
485
サロ
481
サハ
481
モハ
484
モハ
485
クハ
481
クハ
481
モハ
484
モハ
485
クロ
481
かもめ みどり
備考
  • クハ481形・モハ484形は全車200番台

このため南福岡の休車は以下に分類された。

  • 南福岡残留車
  • 秋田転出車
  • 仙台転出車(クハ481形200番台・サロ481形のみ)
    • 仙台転出車と同所のクロ481形・サハ481形が交換される形で南福岡に転入
    • クロ481形は方向転換もされるため郡山工場で事前に両渡り構造への改造を施工[注 79]
  • 青森転出車(クハ481形200番台・サロ481形のみ)
    • 別途製造されたMM'ユニットと組合せ今後の増発と予備車確保名目

上述の転配とは別にクハ481形300番台20両・サロ481形8両・MM'ユニット9組18両が新製された。

  • クハは東北地区取替名義で青森・仙台に配置。
    • 青森配置車で捻出された200番台が秋田に転出。
  • サロ2両は仙台に配置。6両(サロ481-115・116・122・123・127・128)は「つばさ」用として秋田に配置。
  • MM'ユニットは長崎・佐世保電化名義のために書類上南福岡配置を経て秋田転出。

これによって、在来車で組成された「つばさ」は次のような66両で構成されていた。

  • クハ481形200番台12両は、青森から10両、南福岡から2両の転入車。
  • MM'ユニット21組42両は、南福岡からの転入車。
  • サロ481形6両は、新製車。
  • サシ481形6両は、南福岡からの転入車。

翌1976年に1000番台が落成。秋田に配置されたことにより、サシ481形を除いた全車が南福岡に再転出した。

  • 同時にサロ481形が青森から1両、さらに東北地区へクハ481形300番台の投入による捻出で200番台が青森から6両、仙台から2両が南福岡に転出した。

1978年10月改正と特急増発[編集]

1978年10月の白紙ダイヤ改正では、急行列車の特急格上げで増収を図り、特急が36本増えた代わりに急行が57本削減された。特に東北地区は利用率が高かったために増発が集中、大量の485系が必要になった。

また、首都圏対北陸を運行する「白山」「はくたか」は増発も行われると同時に信越特急「あさま」、上越特急「とき」とのグリーン車連結位置の共通化と食堂車の不連結、並びに3MG化がされた。そのため次の車両が新造されることになるが、一部列車の増発は車両落成の遅れから1979年7月1日にずれ込んだ。

  • 485系1000番台167両(クハ481形 - 31両、サロ481形 - 2両、MM'ユニット64組128両)を青森運転所と秋田運転区に集中配置。
  • サロ489形1000番台10両を金沢運転所に配置。

東北地区への1000番台集中投入により、捻出された青森運転所の在来車は、仙台運転所と金沢運転所に転出することになった。

  • 青森→金沢転属車(44両)
    • クハ481形6両、MM'ユニット19組38両
  • 青森→仙台転属車(34両)
    • クハ481形7両、MM'ユニット13組26両、サロ481形1両

さらに、仙台運転所の9両編成からサシ481形をサハ481形へ置き換えることになった。同時に3MG化も行われるためにMG・CP搭載準備工事が施行されていた向日町運転所の100番台と車両交換を行っている。

  • 仙台→向日町転属のサハ481-12 - 15
  • 向日町→仙台転属のサハ481-101 - 107
    • 仙台転入車が多いのは、13両編成置き換え分も含まれているため。
    • 仙台転入車は1985年3月に向日町へ全車出戻り転属をしている。
    • サハ481形補充のために金沢所属の16 - 19も向日町転属となった。

また逼迫する国鉄財政の中で新製費を抑えるため、不足するグリーン車や食堂車は改造で対応することになった。このため次のような改造が行われた。

  • サロ481形1000番台化改造(南福岡電車区→秋田運転区)
    • 115・116・122・123・127・128→1051 - 1056に改造。
  • サシ481形1000番対応引通線追加改造(金沢運転所→秋田運転区)
    • 65 - 67・75・76の5両に施行。
  • サシ489形→サシ481形1000番対応引通線追加改造(金沢運転所→秋田運転区)
    • 10 - 12の3両をサシ481-81 - 83に改造。
  • サロ481形→サロ181形改造(鹿児島運転所→新潟運転所上沼垂支所)
    • 25 - 27→サロ181-1051 - 1053
  • サロ481形→サロ183形改造
    • 90・98→サロ183-1051・1052(南福岡電車区→新潟運転所上沼垂支所)
    • 112→サロ183-1053(金沢運転所→新潟運転所上沼垂支所)
    • 133→サロ183-1054(青森運転所→新潟運転所上沼垂支所)
  • サロ481形→サロ189形改造(金沢運転所→長野運転所)
    • 110・111・113→サロ189-51 - 53

さらに2年後の1980年には、北海道で使用されていた1500番台22両が札幌運転所から青森運転所に転属してくると玉突きで200番台車が青森から南福岡電車区に転属している。また、仙台運転所からもクハ481形200番台2両とサロ481形1両、MM'ユニット4組8両の計11両が南福岡に転属している。これらの車両は、1980年10月1日国鉄ダイヤ改正で九州地区の増発に充当された。

東北・上越新幹線開業[編集]

1982年11月15日のダイヤ改正では、6月に開業した東北新幹線の増発と上越新幹線の大宮暫定開業により、本系列を使用した在来線特急は以下の動きがあった。

  • 首都圏と直結する「ひばり」「やまびこ」「とき」「はくたか」は全廃。その他の特急は大幅削減。主力は新幹線連絡列車に移行。
  • 常磐特急「ひたち」は余剰車を使って増発を実施。
  • 北陸・九州地区では増発を実施。
  • 「白山」の食堂車復活。

このために青森運転所・秋田運転区・仙台運転所を中心に他地区へ次のような広域転配が実施された。

  • 青森運転所からの転出車両
    • 青森運転所→向日町運転所(8両)
      • MM'ユニット4組8両
    • 青森運転所→南福岡電車区(43両)
      • MM'ユニット15組30両 サロ481形13両
    • 青森運転所→鹿児島運転所(22両)
      • MM'ユニット10組20両 サロ481形2両
  • 秋田運転区からの転出車両
    • 秋田運転区→金沢運転所(11両)
      • サシ481形11両(ただし1両はサシ489形に改造して転属)
    • 秋田運転区→向日町運転所(3両)
      • サシ481形3両
  • 仙台運転所からの転出車両
    • 仙台運転所→向日町運転所(12両)
      • MM'ユニット2組4両 クハ481形4両 サロ481形4両
    • 仙台運転所→南福岡電車区(16両)
      • クハ481形12両 クロ481形4両
    • 仙台運転所→鹿児島運転所(14両)
      • MM'ユニット7組14両

鹿児島への転出は中間車のみで、老朽化していたモハ481形・480形の取替がその目的であったと言われている。これらの転属車と引換えにモハ481形・480形ユニットは大量廃車が進み、翌年末には3ユニット6両のみが残存、1985年に全廃となった。

東北地区内では次のような転属が行われた。

  • 青森運転所→仙台運転所(12両)
    • MM'ユニット6組12両
  • 青森運転所→秋田運転区(12両)
    • クハ481形1000番台12両
  • 秋田運転区→青森運転所(9両)
    • 1000番台MM'ユニット3組6両 サロ481形1050番台3両

「ひたち」編成ではサシ→サハ置換えのために九州から仙台への転出も実施された。

  • 南福岡電車区→仙台運転所(3両)
    • サハ481-112 - 114

さらに運用の終了した181系から1978年製のサロ181形1100番台の485系化改造が 施工されたほか、「あさま」増発用に485系の189系化改造も施工された。

  • サロ181形→サロ481形改造(新潟運転所上沼垂支所→青森運転所 6両)
    • サロ181-1101 - 1106→サロ481-1501 - 1506
  • モハ485・484形→モハ189・188形改造(青森運転所→長野運転所 8両)
    • モハ485-199・203 - 205→モハ189-501 - 504
    • モハ484-301・305 - 307→モハ188-501 - 504

分割民営化前・短編成化[編集]

1985年3月14日のダイヤ改正では東北・上越新幹線上野開業後も残存した「つばさ」1往復・「あいづ」・常磐特急「ひたち」・信越特急「あさま」「白山」・近距離運転の新特急を除き上野乗り入れが打ち切られたが、捻出された車両で他地区での増発を行った。また短編成化の推進によって不足する先頭車の確保も要求されたが、本系列はすでに製造が終了しており、これらには食堂車やグリーン車を含めた余剰車の再利用、つまり改造も含めた以下の広域転配が行われた。

東北地区特急列車運用の見直しと短編成化
九州地区から勝田区に転入「ひたち」に投入されたクハ481形赤スカート車
九州地区から勝田区に転入
「ひたち」に投入されたクハ481形赤スカート車

東北地区では車両の余剰化が激しく、今回の改正では編成替えのために向日町への転出と南福岡・鹿児島への転出が多数を占めることになる。また、「ひたち」は急行「ときわ」を全廃し格上げが行われる増発が図られることになるが、同時に仙台運転所から勝田電車区への移管となるための転属が行われた。増発用車両は青森と仙台の余剰車が充てられるが、同時にクハ481形を非ボンネット形からボンネット形への置換えが行われ、九州地区から大量に初期車が転入した。これは短編成化した際の座席確保の点から、改正後11両編成となる「ひたち」にボンネット車を充当させることで短編成車に非ボンネット車を充当させるのが目的で、引換えに東北地区からはクハ481形200・300番台が軒並み向日町や九州地区に転出した。

  • 九州地区から勝田電車区に転入したクハ481形
    • 鹿児島所属車
      • 1 - 13・15・16・18・20・34・36・38・40
    • 南福岡所属車
      • 14・17・19・22・24・31・32

この移動は改正前の1984年から行われており、改正前に転入した1 - 4・8・9・12・14・15・17 - 19・22・36・40は一旦仙台所属となり、改正に合わせて勝田に再転出[注 80]という形を採った。なお、この一連の移管により仙台運転所は配置がなくなった。

また、1000番台の東北地区から他地域転出が初めて行われ、青森運転所や秋田運転区からMM'ユニットのみだが、向日町運転所に転属が行われている。同時に1500番台のMM'ユニットも全車青森から向日町に転属したが、翌年全車が上沼垂に再転属している。

「雷鳥」をはじめとする北陸特急からの食堂車の廃止と和式グリーン車「だんらん」(サロ481形500番台)の導入

向日町ベースでは食堂車の廃止が行われ、サシ481形改造の和式グリーン車サロ481形500番台「だんらん」の連結、並びに編成替えと増発に必要な車両が青森、秋田、仙台から転入している。翌1986年3月に余剰となったサロ・サシ481形が廃車となったが、一部車両は分割民営化直前に車籍を復活している。

「くろしお」増発分に余剰車投入
「くろしお」投入のクハ481形200番代

気動車急行「きのくに」を置換える形で「くろしお」を4往復増発することになったが、本来381系電車を投入すべきところを経費節減のために余剰化していた本系列を日根野電車区に投入し対処することになった[注 81]

  • モハ485・484形ユニット 青森運転所・仙台電車区から11組22両が転入
    • モハ484形は車掌室装備の600番台。
  • クハ481形200番台 南福岡電車区から11両が転入
  • クハ480形11両
    • 向日町運転所・金沢運転所所属のサハ481・489形を先頭車化改造し投入

紀勢本線は季節や区間によって乗客数の変動が大きいため、4両編成を2本つなぎ合わせて対応することになった。その際に不足する先頭車は付随車改造のクハ480形を充当、同時に4両と短編成のためMG・CPはクハ481形からの供給で充分と判断され、未搭載となっている。しかし、天王寺 - 新宮の所要時間は振り子式車両の381系と比べ1時間半ほど長く、従来の気動車急行列車と大差がなく苦情も多発したため、運用を見直し翌1986年11月1日のダイヤ改正で日根野から485系は撤退し、一部のクハ481形はクロハ481形に、クハ480形はMG・CPが搭載されクハ481形に改造され、福知山運転区に転属し「北近畿」に転用される車両[注 82]と九州地区に復帰する車両とに分けられた。

九州地区の短編成化と初期車老朽化による置換え

1984年2月のダイヤ改正で増発を行った際には短編成化による先頭車不足から、東北・上越新幹線開業による保留車をクハ481形に改造対応した。さらに本改正では、モハ485形→クモハ485形・サロ481形に運転台を取付けクロ480形にするなどの短編成化改造を多数施工し対応した。モハ485形→クモハ485形への改造は、定員数の問題からモハ484形200番台のユニットが充当されたために鹿児島運転所の初期車は南福岡車と交換が行われたほか、青森運転所からMM'ユニット9組18両が転入。また、東北地区にボンネット形クハを大量供出した見返りに非ボンネットクハ16両が南福岡電車区に転入した。

この後、先頭車化改造や半室グリーン車のクロハ481形への改造が頻繁に行われるようになり、短編成化はさらに推進された。そして、国鉄分割民営化時に安定した承継と列車運行を前提とした国鉄最後のダイヤ改正が行われる。この改正では、分社化時のJR各社の車両運用や供給も考慮された車両転配が行われた。本系列に関しては、些細な転配を除くと次の点が目立った点である。

  • 日本海縦貫線に関係する特急車両配置基地の見直しを行い、新潟運転所上沼垂支所を上沼垂運転区と独立させ、青森運転所・秋田運転区・向日町運転所から転入。「雷鳥」「白鳥」「北越」の運用を担当することになった。
  • 金沢運転所の489系は、200番台車を中心に27両が「あさま」用として長野第一運転区に転属。

こうして、483系8両、485系1,087両(付随車含む)、489系164両がJRに引継がれることとなった。

国鉄分割・民営化後[編集]

2012年7月現在235両が在籍し、JR北海道・JR東日本・JR西日本の3社で営業運転を行っている。しかし、最も車齢の若い車両でも製造から30年以上を経ていることや後継車両の登場とアスベスト問題から[注 83]廃車が着実に進行中である。

現在、定期運用を持つのはJR東日本所属車のみであり、JR西日本所属車は保留車のみ、JR九州所属車は保留車と波動用車両のみとなっている。

JR北海道[編集]

函館に乗り入れたJR東日本所属の485系3000番台

所属車はないが、JR東日本青森車両センター所属車が「白鳥」(1988年3月13日 - 2002年11月30日は「はつかり」)で函館まで乗り入れている。かつては1000番台も投入されたが、現在では3000番台津軽海峡線走行対応編成で運転される。ただし、車両故障時には予備車が少ないために函館運輸所789系による代走が行われるケースもある。JR北海道と東日本の乗務員交代は原則として蟹田で行われるが、一部列車は青森で行われる。

国鉄からの承継車
1500番台の北海道撤退後、サシ481-50とサロ481-37・41・47・60・63・94がJR北海道に承継され札幌運転所に配置された。
  • サシ481-50は1987年3月27日に青森運転所から転入。当初は車籍抹消後レストランに転用するという計画もあったが、「北斗星」1往復(3号・4号)が季節運転から定期列車へ格上げされ食堂車組込が必要となり、1989年に苗穂工場でスシ24 508に改造された。2008年3月のダイヤ改正まで使用され同年4月30日付で廃車となった。
  • サロ481形は全車向日町運転所の所属車両で1986年3月31日にいったん廃車扱いとされ渡道。分割民営化直前の1987年3月6日に車籍復活したが、営業運転に使われることなく1990年に全車廃車となった。ジョイフルトレインの種車に使われるという計画もあったがその真偽は不明。

JR東日本[編集]

JR中で最も多い461両が継承された。新幹線の開業や後継車両の導入により数を減らし2012年現在では485系のみが保留車を含めて201両在籍。主に東北・上越新幹線との連絡特急列車や快速列車などのフィーダー輸送に充当されているケースが多い。

一部車両は同社の客車によるジョイフルトレインを置換える改造がされており、定期運用を持たないジョイフルトレインのみの配置基地も6センターとなる。

全般検査は秋田総合車両センターが新潟所属車、長野総合車両センターが自センター所属の「彩(いろどり )」、他の車両はすべて郡山総合車両センター[注 84]が担当する。

なおJR西日本所属車も以前は「白鳥」「雷鳥」「北越」「白山」などで乗入れていたが、2010年3月13日のダイヤ改正で「能登」が不定期格下げになったことにより乗り入れは終了した。

青森車両センター(盛アオ)[編集]
「つがる」で運用される3000番台青森所属車

1972年に配置が開始され、東北新幹線開業後は「はつかり」「いなほ」(南秋田運転所と共管)などの新幹線連絡特急に使用されたほか波動対応の編成や運用も多く1992年には夜行急行「津軽」にも投入された。そのため首都圏乗り入れも考慮したATS-P形搭載車も在籍していた。1996年からはリニューアル改造車の3000番台が登場し、2010年12月3日までは6両のA編成6本と増結用のMM'ユニット4組8両で「白鳥」「つがる」ならびに間合い運用の津軽線普通列車に投入された。同年12月4日以降は「白鳥」用6両編成3本と「つがる」・青い森鉄道線青森 - 浅虫温泉間快速列車1往復(5552M・5553M)用4両編成3本に組み替えられたが、2011年4月23日をもって4両編成は定期運用を同センターのE751系に置換え。この結果余剰廃車が発生したほか、モハ485・484-3014ユニットはジョイフルトレイン『ジパング』に再改造され盛岡車両センターへ転出した。

2012年4月現在では「白鳥」用6両3本(A1・A5・A6編成)、波動輸送ならびに臨時「つがる」用4両1本(A8編成)、増結用MM'ユニット3組6両(ただし1組2両は保留車)の3000番台28両が配置される[14]

青森車両センター所属車編成表
 
← 青森
函館・弘前 →
 
編成番号 クハ481 モハ484 モハ485 モハ484 モハ485 クロハ481 備考
A1 3006 3062 3031 3016  
A5 3022 3047 3022 3017
A6 3030 3046 3059 3012
A8 3005   3035 3021 ATC未搭載
増結用   3061 3081    
保留車 3049  
仙台車両センター(仙セン)[編集]
A1・A2編成(国鉄特急色)
A1・A2編成(国鉄特急色)
A3・A4編成(ラッピング車両)
A3・A4編成(ラッピング車両)

東北特急撤退後の1993年に特急「ビバあいづ」用編成が配置されたが、その後2回の編成の入れ替えが行われ2012年現在では以下の6両編成2本が在籍する。

A1・A2編成
  • 2006年夏の臨時特急「あいづ・仙台あいづ」用に郡山総合車両センターで「あかべぇ」塗装への変更を含む改造を施工された編成。2007年2月 - 3月には、千葉県勝浦市で行われた「かつうらビッグひな祭り」向けの臨時特急「かつうらひなまつり[注 85]」に充当されたほか、同年夏には「この夏も会津へ2007キャンペーン」の一環として上野 - 喜多方の臨時特急「あいづ」に投入された[注 86]。2011年春に郡山総合車両センターに入場し国鉄特急色に塗装変更を実施[15]、6月2日の「あいづライナー」より運用に復帰した[16]
A3・A4編成
  • 元青森運転所A7編成。2002年の「あいづ」運行に際し転入した。2005年度「あいづデスティネーションキャンペーン」に合わせて改造され、臨時特急「あいづ・アクセスあいづ」に充当された。運行終了後に東武日光線直通特急「日光・きぬがわ」用に再改造され小山車両センターに転出。小山在籍時はG55・G58編成とされた。2011年6月[17]に「日光・きぬがわ」を253系1000番台に置換えたため余剰となり本センターに再転入した[18]
※編成表は#「あいづ」用改造を参照。

定期運用は磐越西線郡山 - 会津若松間の快速「あいづライナー」3往復で以前はA1・A2編成が充当されていたが、2012年2月25日よりA3・A4編成を投入し[19]、A1・A2編成は波動輸送と「あいづライナー」代走用として運用されている。

新潟車両センター(新ニイ)[編集]

1986年11月1日に実施された国鉄最後のダイヤ改正で、分社化時のJR各社の車両運用や供給を考慮した車両転配ならびに日本海縦貫線に関係する特急車両配置基地の見直しを行った結果、青森運転所・秋田運転区・向日町運転所からの転入により配置基地となった。2012年現在では111両が配置され、現役車両の約半数が集結するJRグループ最大の本系列配置基地である。

特急「いなほ」「北越」・快速くびき野」・臨時快速「ムーンライトえちご」のほか、新潟地区のライナー列車の運用を担当するが、特徴として定期では秋田[注 87] - 金沢間[注 88]ならびに信越本線新井までの広域運用を組んでおり、さらにシーズンによっては新宿・大阪まで運用される[注 89]

2013年春以降にE657系導入で余剰となるE653系を転入させ順次置換えていく予定であることが報道された[20]

上沼垂色T13編成
上沼垂色T13編成
3000番台R28編成
3000番台R28編成
旧国鉄色K2編成
旧国鉄色K2編成
T編成(T11 - 18編成 6両×8本 48両)

上沼垂色のT11 - 17編成と2008年6月に旧国鉄色へ塗装変更[注 90]されたT18編成が在籍。後述のR編成とは共通運用で「いなほ」「北越」「くびき野」快速「らくらくトレイン村上」などに充当されている。

  • 2001年3月3日ダイヤ改正までは「雷鳥」用9両のT1 - 6編成[注 91]も在籍していたが、同改正で「雷鳥」の新潟乗入れが廃止され運用離脱。廃車のほかは「くびき野」用4両のT21・22編成となったが、2006年にT21編成のクハ481形を除いて6両がジョイフルトレイン「彩(いろどり)」に改造された。
R編成(R21 - 23・25 - 28編成 6両×7本 増結用モハ485・484-3086 44両)

1997年に登場したリニューアル改造の3000番台車による編成。

  • R26・R27編成は、元々はサロ481形を組込んだ「はくたか」用9両のR1・2編成。2005年3月1日改正で681系・683系に運用変更されたため6両編成化を行い現編成となった。
  • R28編成は、羽越本線脱線事故当該のR24編成補完として2006年に青森車両センターから転入の4両と増結用のMM'ユニットで組成された。
K編成(K1・2編成 6両×2本 12両)

旧国鉄色でATS-P形ならびに車内減光装置搭載の臨時快速「ムーンライトえちご」用編成である。ただし「ムーンライトえちご」が運転されない日にはT・R編成の運用に投入されることもあるほか、同一装備を持つT18編成と共にJR東日本管内で運転されるリバイバルトレインなどのイベント列車に投入されることも多い。

  • 予備編成がないために検査・故障[注 92]などの際は同一装備のT18編成が投入される。

元は2003年4月に「ムーンライトえちご」「フェアーウェイ」運用に投入されていた165系を置換えるために青森運転所から転入した編成であったが、2010年3月13日ダイヤ改正で「ムーンライトえちご」の臨時列車格下げならびに「フェアーウェイ」廃止により同運用は首都圏配置の183系電車に移管[注 93][21]されたために2012年3月17日ダイヤ改正までは以下の運用に投入されていた。

  • 定期夜光急行「能登」の臨時列車格下げにより同運用をJR西日本金沢総合車両所より移管。また共通運用を組む「ホームライナー鴻巣3号・古河3号[注 94]」・「北越3号・8号(「能登」運転日のみ)」にも投入。
  • 2012年3月17日ダイヤ改正で「能登」の設定消滅ならびに「ホームライナー鴻巣3号・古河3号」が大宮総合車両センター所属の185系電車に移管となったため現状となった。
ジョイフルトレイン(3両編成×1本 4両編成×1本 7両)

「NO.DO.KA」「きらきらうえつ」

その他に保留車としてVIP仕様で防弾対策を施工されたサロ489形1050番台2両が配置されていたが、2010年10月に廃車となりJR東日本から489系が全廃となった。

同センター配置車両は、運用の変更に伴う編成変更を以下の形態で数度実施している。

1986年:配置開始時
当初は以下の9両編成が組成され大阪 - 青森間「白鳥」・大阪 - 新潟間「雷鳥」・「北越」・臨時「いなほ」で運用された。
1986年の編成
編成番号
← 大阪
青森 →
T1 - T8 クハ
481
モハ
484
モハ
485
サロ
481
モハ
484
モハ
485
モハ
484
モハ
485
クハ
481
「白鳥」運用配置直後の上沼垂車1987年 秋田 「雷鳥」運用上沼垂色グレードアップ編成1991年 大阪
「白鳥」運用
配置直後の上沼垂車
1987年 秋田
「雷鳥」運用
上沼垂色グレードアップ編成
1991年 大阪
1988年12月から1990年12月にかけて自由席車両の全車簡易リクライニングシート化・指定席車両のシート交換とピッチ拡大・窓の大型化・グリーン車の3列シート化などのグレードアップ改造が実施された。
  • 工事施工編成は通称「上沼垂色」と呼ばれる新塗装に変更され、後に当センター配置車両の標準色ともいえる形になった。
また1990年には3両編成のジョイフルトレイン「シルフィード」が配置された。
1997年:「いなほ」運用の移管
秋田新幹線の工事・開業に関連して1996年3月30日ダイヤ改正では、「いなほ」運用の青森運転所担当分が移管され、クロハ481形組込みの6両編成が転入した。
1997年3月22日ダイヤ改正では、上述した「いなほ」運用の南秋田運転所担当分が移管され全列車担当となった。一方で「白鳥」運用を向日町運転所に移管し、新たに北越急行ほくほく線を経由する「はくたか」運用を担当することになり、充当用9両編成x2本に1998年までに3000番台化改造工事が施工された。
1998年の編成
編成番号
← 大阪
青森 →
T1 - T6
R1・R2
クハ
481
モハ
484
モハ
485
サロ
481
モハ
484
モハ
485
モハ
484
モハ
485
クハ
481
T11 - T20 クロハ
481
モハ
484
モハ
485
モハ
484
モハ
485
クハ
481
 
シルフィード クロ
484
モロ
484
クモロ
485
 
1999年には6両編成からMM'ユニット1組をカットした4両編成が組成され「いなほ」「みのり」に充当されたほか、E653系に置換えられ余剰となった勝田電車区所属車両の一部が転入し状態の悪い車両を置換える玉突き転配が実施された。
2001年:「雷鳥」区間短縮による変更
2001年3月3日ダイヤ改正では、大阪 - 新潟間の「雷鳥」が金沢を境に「雷鳥」「北越」に系統分離され「雷鳥」運用が終了。9両編成は「はくたか」用R1・R2編成のみとなり、余剰車は一部廃車となったほか以下に転用された。
  • 「北越」増発用として6両編成に再組成し、一部は3000番台化改造を施工。
  • 「みのり」充当用全車普通車の4両編成(T21・T22編成)に再組成。
これらとは別に青森運転所A12編成が共通予備用として転入しT18編成となった。
ジョイフルトレインは「シルフィード」に普通車格下げ改造を施工し「NO・DO・KA」へリニューアル、また新たに4両編成の「きらきらうえつ」が配置された。
2001年の編成
編成番号
← 大阪
青森 →
R1・R2 クハ
481
モハ
484
モハ
485
サロ
481
モハ
484
モハ
485
モハ
484
モハ
485
クハ
481
T11 - T18
R21 - R25
クロハ
481
モハ
484
モハ
485
モハ
484
モハ
485
クハ
481
 
T19 クハ
481
モハ
484
モハ
485
モハ
484
モハ
485
クハ
481
 
T21・T22 クハ
481
モハ
484
モハ
485
クハ
481
 
きらきらうえつ クハ
484
モハ
484
モハ
485
クハ
485
 
NO・DO・KA クハ
484
モハ
484
クモハ
485
 
2002年12月には波動用T19編成が勝田電車区に転出してK60編成となったほか、2003年には青森運転所の6両編成x2本(A10・A11編成)が、老朽化した「ムーンライトえちご」用165系置換えを目的に転入しK1・K2編成となった。
2005年:「はくたか」運用終了による変更
2005年3月1日ダイヤ改正では、「はくたか」運用を681・683系に置換えたため9両のR1・R2編成は定期運用を失い6両のR26・R27編成に再組成されたほか、サロ481形は休車、MM'ユニット2組は増結用に転用された。これに関連して余剰となった「くびきの」用4両のT21・T22編成は長野総合車両センターに転出した。
同年12月25日に発生した羽越本線での脱線事故によりR24編成が使用不能となり、2006年に青森車両センターから4両が転入。増結用MM'ユニットとR28編成を組成した。
2006年の編成表
 
← 大阪
青森 →
 
編成番号 クロハ
481
モハ
484
モハ
485
モハ
484
モハ
485
クハ
481
備考
T11 1009 1085 1061 1029 上沼垂色
T12 1026 1015 1016 1027
T13 1025 1041 1064 1025
T14 1018 1043 1012 352
T15 1022 1052 1036 1007
T16 1011 1045 1020 351
T17 1023 1083 1010 332
T18 1029 1082 1074 1508 国鉄色
ATS-P
車内減光装置搭載
K1 1028 1057 1088 346
K2 1030 1021 1042 347
R21 3024 3070 3037 3018  
R22 3004 3066 3065 3348
R23 3027 3039 3075 3043
R24 3010 3018 3044 3506 2007.03.31事故廃車
R25 3008 3050 3034 3342  
R26 3026 3060 3033 3034 旧R1編成 ATS-P搭載
R27 3037 3054 3030 3011 旧R2編成 ATS-P搭載
R28 3020 3056 3040 3350 MM'ユニット3040を除き青森転入車
増結用   3086  
保留車 サロ481
3106
サロ481
3107
サロ489
1051
サロ489
1052
  サロ481形2両は2008年10月廃車
サロ489形2両は2010年10月廃車
きらきらうえつ クハ484
702
モハ484
702
モハ485
702
クハ485
701
 
NO・DO・KA クハ484
701
モハ484
701
クモハ485
701
 
その他[編集]

不定期運用のみの配置基地について解説を行う。

小山車両センター(宮ヤマ)

ジョイフルトレイン「宴」(G4・5編成)「華」(G6・7編成)の6両編成2本が所属。

以前は本系列による大手私鉄東武日光線への直通運転となる新宿 - 東武日光・鬼怒川温泉間の「日光」「きぬがわ」用6両編成のG55・G58編成1本も所属していた[22]。2011年6月4日より「日光」「きぬがわ」は253系1000番台へ置換えで[23]、仙台車両センターに転出した。

勝田車両センター(水カツ)

ジョイフルトレイン「リゾートエクスプレスゆう」(K30編成)が所属。

1985年に仙台から「ひたち[注 95]」運用の移管で本系列配置基地となった以降、1992年から翌1993年までは「あいづ」の運用も担当。クハ481形初期車・483系MM'ユニット・各種改造車と所属車両のバリエーションにも富んでいたが、1998年のE653系投入で同年12月をもって定期運用は消滅。1999年までに一般型車両は訓練車編成を除いて全車転属もしくは廃車となった。

K60編成 K40編成
K60編成
K40編成

その後2002年に波動輸送用とし上沼垂から6両のT19編成が、翌2003年には仙台からビバあいづ編成のMM'ユニット1組を抜いた4両が転入[注 96]し、それぞれK60・K40編成となった。K60編成が2004年に、K40編成が2005年に「白イルカ」のニックネームを持つ同センターオリジナル塗装に塗り替えられ、主に「ぶらり鎌倉号」「ぶらり高尾散策号」などの臨時急行・快速列車や団体列車で運用された。

  • K60編成は上沼垂時代にグレードアップ改造されたために客室窓拡大を施工。

2007年には訓練車が、2013年1月にK40編成・K60編成が相次いで郡山総合車両センターへ廃車回送された[24][2]。2013年3月16日のダイヤ改正による「フレッシュひたち」運用終了で余剰化するE653系[注 97]に置換える。

長野総合車両センター(長ナノ)

ジョイフルトレイン「彩(いろどり)」6両編成1本(N201編成)が所属。

1986年11月から「あさま」用489系9両編成3本が在籍したが、長野新幹線開業後の2000年までに全車廃車となった経歴がある。

高崎車両センター(髙タカ)

ジョイフルトレイン「リゾートやまどり」6両編成1本が所属。

幕張車両センター(千マリ)

ジョイフルトレイン「ニューなのはな」6両編成1本が所属。

盛岡車両センター(盛モリ)

ジョイフルトレイン「ジパング」4両編成1本が所属。

過去の配置車両基地
秋田車両センター「かもしか」専用色(現在は消滅[25]) 秋田車両センター「かもしか」専用色(現在は消滅[25])
秋田車両センター「かもしか」専用色(現在は消滅[25]
秋田車両センター(秋アキ)

民営化直後は「つばさ」「いなほ」「たざわ」などを担当したほか、1992年までは「つばさ」の間合いで「あいづ」にも投入されるなど広域運用が組まれていた。しかし、山形新幹線や秋田新幹線の開業による在来線特急の廃止や「いなほ」の上沼垂区への運用移管などで運用を縮小。末期は「かもしか」用の3両編成3本のみが配置されていた。2010年12月4日の東北新幹線新青森開業に伴うダイヤ改正により特急「かもしか」が「つがる」に吸収される発展的解消と同時に、青森車両センターに運用移管となったため定期運用が消滅[注 98]。その後は波動輸送対応で団体列車・臨時列車で運用[26]されたが、2011年内に全車が廃車となり配置車両が消滅した。

JR東海[編集]

国鉄時代から一貫して交直流電車の配置がない東海地区では、481系電車登場と共に「しらさぎ」で名古屋への乗入れを開始し、1965年 - 1972年には「つばめ」にも投入された。分割民営化以後はエリア内に交流電化区間ならびに承継車両はないもののJR西日本所属車が2003年まで「しらさぎ」と間合いで「ホームライナー大垣・関ヶ原」で定期運用されていた。団体臨時列車では日蓮正宗法華講連合会向けとして金沢・糸魚川方面←(北陸本線・東海道本線身延線)→富士宮の運用も存在したが、どちらも現在では683系電車に置換えられた。

JR西日本[編集]

435両が継承されたが108両が183系電車に改造[注 99]。MM'ユニットの組換を頻繁に行ったのも同社の特徴である。1990年代後半からは681・683系の登場により急速に数を減らし、2011年3月のダイヤ改正により同社所属車の定期運用が消滅。その後は順次廃車が進行し2012年7月現在ではクハ489-1のみが保留車として在籍するだけとなっている[27]。なおJR東日本新潟車両センター所属車が「北越」で乗り入れている。

金沢総合車両所(金サワ)[編集]

2012年6月1日現在で元H01編成のクハ489-1のみが在籍する[28]。かつて同所には485系も大量に配置されており以下のような形態の編成が在籍していた。

「白山」「能登」用(H編成) 9両編成 1987年 - 2012年
H01編成
H01編成
H02編成
H02編成
「白山色」時代のH編成1996年8月 横川 - 軽井沢
「白山色」時代のH編成
1996年8月 横川 - 軽井沢

JR化後も「白山」運用では横軽区間が介在するために489系による限定編成が組まれ専用の「白山色」塗装が施されていた。当初はクハ489形に300・700番台を組み込む編成も存在したが、現状のボンネットクハによるH01 - H03編成となったのは1993年3月18日の改正からである。同改正では間合い運用で「あさま」にも投入されたほか、夜行急行「能登」と共通運用とされた。1997年の長野新幹線開業による「白山」廃止後は上越線経由に変更された「能登」と間合いによる「ホームライナー鴻巣3号」・「ホームライナー古河3号」の定期運用に投入されていた。同編成には以下の特徴があった。

  • 2001年から2002年までに「白山色」から旧国鉄色(雨樋はオリジナルと異なりクリーム4号)に塗替え。
  • ATS-P形・デジタル列車無線機・夜行運用対応客室減光装置を搭載。

このため臨時「はくたか」や京葉線直通団体列車(通称・舞浜臨)の波動運用や山陽本線でのリバイバル列車にも投入された実績がある。

2010年3月13日ダイヤ改正で「能登」臨時列車化とJR東日本新潟車両センターへの運用移管により以下の状況になった。

H01編成
  • 両端クハ489形が1971年製車。定期運用消滅後も引き続き臨時・団体列車や「はくたか」の代走運用に投入されていたが、2011年3月下旬の一般乗客向けさよなら運転後は同所内で事故対策訓練に使用されたほか2012年4月16日 - 17日には映画撮影を目的とした貸切列車[29][30]に投入。同年5月15日に運用検修センターから本所まで回送[31]。同年6月1日付でクハ489-1以外の8両が廃車され、クハ489-501が小松市の土居原ボンネット公園で静態保存。他車は解体された。
H02編成
  • 両端クハが1972年製車で新潟方車(0番台)の屋根上前照灯横ホイッスルカバーがないのが特徴。定期最終上り「能登」充当後に返却回送を兼ねた団体臨時列車「リバイバルとき」に投入。さらに吹田工場へ回送されて2012年5月20日付で廃車。
H03編成
  • 両端クハが1972年製車。定期最終下り「能登」充当後に松任本所へ回送されて2012年9月30日付で廃車。
金沢総合車両所H編成(2010年3月改正直前)
 
← 大阪・上野
新潟・越後湯沢
編成
番号
クハ489 モハ488 モハ489 サロ489 モハ488 モハ489 モハ488 モハ489 クハ489
H01 501 4 4 23 204 19 6 6 1
H02 503 207 22 27 206 21 2 2 3
H03 505 215 30 25 205 20 13 13 5
波動輸送用(H04編成) 7両編成 2002年 - 2009年

上述のH編成とは別に共通予備編成だったZ01編成からコンビニエンスカーMM'ユニットを抜き取った489系のみで組成される編成。同編成は7両のまま波動運用に投入されるほか、予備もしくはH01 - H03編成のMM'ユニットを組込み「能登」運用に投入された実績もあるが、2009年に廃車となった。

「しらさぎ」「加越」用K編成
「しらさぎ」「加越」用K編成
「かがやき」色S編成
「かがやき」色S編成
「はくたか」用V編成
「はくたか」用V編成
「スーパー雷鳥」専用色R編成
「スーパー雷鳥」専用色R編成
「あおさぎ」色Y編成
「あおさぎ」色Y編成
「しらさぎ」「加越」用(初代K編成) 7両・3両編成 1988年 - 2001年

4号車のサロ481形、京都総合運転所から転属してきたクハ481形100番台と以前より同所所属のクハ489形を中心に組成された旧国鉄色編成。

1998年からは「スーパー雷鳥」から転用のクモハ485形200番台を組込んだ増結用3両のK11 - 13編成が登場し、以下の編成に区分された。

  • 米原方先頭車のクハ481形200番台に電気連結器を装備し、3両付属編成と連結可能としたK0番台
    • K0番台+K10番台編成で組成された7+3の10両編成の運用が可能。
  • 米原方先頭車が非貫通型で電気連結器未装備のK20番台
    • 運用離脱までクハ481形100番台を中心に組成されたが、K27編成はK0番台編成予備のため例外的にクハ489形600番台に電気連結器を装備。
「かがやき」「きらめき」用(S編成) ハイグレード車6両編成(登場当初は4両編成) 1988年 - 1996年

「かがやき色」と呼ばれる専用塗装。金沢方にクロ480-2301・クロ481-2201・2300番台を連結。

「はくたか」用(V編成) ハイグレード車8両編成 1996年 - 2002年

当初は「かがやき」「きらめき」でも運用された。ATS-P形取付とともに塗装変更が行われた。

  • かつて福知山電車区に配置されていた183系A, C編成の塗装と酷似するが、福知山車との相違点は地色が灰色な点。

金沢寄り先頭車両はクロ481形2300番台を連結する。

「はくたか」用V編成
← 金沢
越後湯沢 →
クロ
481
モハ
484
モハ
485
モハ
484
モハ
485
モハ
484
モハ
485
クハ
481
「スーパー雷鳥」用(R編成) ハイグレード車10両(当初は7両)編成 1989年 - 2001年

大阪方先頭車にクロ481形2000・2100番台を連結し、2号車にサロ481形2000番台を組込んたデラックス編成。

  • 1989年3月の登場時は7両編成×3本、1990年3月のダイヤ改正にて9両編成に増結。
  • 1991年9月ダイヤ改正では3編成を増備。さらに七尾線和倉電化に伴う乗入れを行うことから、分割運用可能な7+3両編成×6本に組替となり、7号車=クハ481形200番台・8号車=クモハ485形200番台を組込。
    • 七尾線乗入れ時は付属編成を金沢で分割し、基本編成のみ入線。
    • 1997年10月ダイヤ改正時で3編成は7号車=サハ481形500番台・8号車=モハ485形にそれぞれ差替えられ10両固定編成となった。そのため、七尾線乗入れ編成は分割編成限定運用となった。
「しらさぎ」用(Y編成) ハイグレード車7・10両編成 2001年 - 2003年

青とオレンジのラインが入る通称「あおさぎ色[32]

  • Y01 - Y04編成…付属編成併結可能7両編成
  • Y11 - Y13編成…付属3両編成
  • Y21 - Y23編成…7両固定編成
    • 富山方にY22編成はクロ481-2101、Y23編成はクロ481-2351、他編成はクロ481形2000番台を連結。
「しらさぎ」用Y編成
編成
← 米原
富山・名古屋 →
Y01 - Y04
Y21 - Y23
  クハ
481
モハ
484
モハ
485
サハ
481
モハ
484
モハ
485
クロ
481
Y11 - Y13 クハ
481
モハ
484
クモハ
485
 
「加越」「北越」用(O編成) 6両編成 1988年 - 2001年

米原方にクロ480形1000番台を連結。

  • O02編成には、前述のH編成・初代K編成以外で唯一のボンネット車クハ481-112を連結。
    • 1991年に京都総合運転所から転入の「ゆぅトピア和倉」併結対応改造施工車。
「加越」用(2代目K編成) 4・6両編成 2001年 - 2003年

O編成とV編成の余剰車をベースに組成した旧国鉄色で金沢方にクロ481形2200・2300番台を連結する。

  • K1 - K3編成…4両編成
  • K4 - K6編成…K1 - K3編成用増結MM'ユニット
  • K11 - K13編成…6両編成
共通予備編成(Y31 - Y33編成) 7両編成 2001年 - 2005年

サロ481形組込の元K編成。

  • Y31 - Y32編成は波動輸送対応編成。
  • Y33編成は増結用MM'ユニットでH04編成に組込んで「はくたか」や「能登」運用にも充当された。
    • 当編成の廃車により金沢から485系の配置がなくなった。
京都総合運転所(近キト)[編集]

国鉄向日町運転所時代から本系列最初の配置車両基地でありJR化後は「雷鳥」「北越」などの北陸特急を主に運用。489系との混結や「シュプール号」などでの夜行運用に対応した客室減光装置装備編成も在籍し、1997年3月 - 2001年3月までは在来線電車特急として最長運転距離となる「白鳥」にも投入され青森まで広域運用されていたが、それ以降は「雷鳥」のみが定期運用となった。2011年3月12日ダイヤ改正で「雷鳥」は「サンダーバード」に統合され同月11日の「雷鳥33号」を最後に本系列での定期運用を終了。同年8月までに全車廃車となった[33]

なお分割民営化後も北陸特急の運用形態の変更に伴う大きな編成変更を度々実施しており、その動きを以下で解説する。

1987年:分割民営化時

以下の編成が在籍。

向日町運転所485系(1987年)[34]
 
← 大阪
富山 →
10両
9本
クハ
481
モハ
484
モハ
485
サロ
481
サロ
481
-500
モハ
484
モハ
485
モハ
484
モハ
485
クハ
481
9両
13本
クハ
481
モハ
484
モハ
485
サロ
481
モハ
484
モハ
485
モハ
484
モハ
485
クハ
481
 
1989年:「スーパー雷鳥」運行開始に伴う一部運用の見直し

サロ481形500番台組込10両編成のうち3本を分割し18両が金沢運転所へ転出。残存編成は「だんらん」廃止により、号車にサロ481形組込9両編成に変更・統一。

  • 「ゆぅトピア和倉」併結編成は密着連結器・ジャンパ連結器装備の制約からクハ481形200・300番台組込編成の限定運用であったが、運用効率化の観点から同年10月までに100番台にも併結対応改造を施工(詳細は前述)。
1991年3月・9月:「スーパー雷鳥」を含む金沢運転所担当列車増発に伴う転出

1990年10月より計19両が金沢運転所へ転出。

  • 9両編成×15本
  • 1991年度から1992年度にかけて以下の改造工事を施工。
    • サロ481形の大阪側洗面所をカード式公衆電話室に改装。
    • 各車の洗面所改良。
    • A03・A05編成に夜行運用対応の客室減光装置を装備。
1996年3月:山陰本線園部 - 綾部間電化開業に伴う福知山運転所担当列車増発に伴う転属[注 100]と変更

以下の編成に組成変更。

  • 4号車サロ481形組込9両編成×9本。
    • A02・A03・A06編成に客室減光装置を装備。583系との併結運用にも本編成が使用された。
    • 多客期には一部編成に増結用MM'ユニット組込の11両編成[注 101]で運用。

その後、各編成の座席定員を統一するため、1999年迄に中間車を以下の様に編成を組み替え。

  • 2・3号車及び7・8号車MM'ユニットは基本番台後期型に限定
  • 5・6号車MM'ユニットは基本番台前期型・1000番台に限定
    • 5号車のモハ484形業務用室は1999年9 - 11月に車販準備室に改造。
2001年3月3日のダイヤ改正に伴う増備
クハ481形100番台による特急「白鳥」
クハ481形100番台による特急「白鳥」

「スーパー雷鳥」が681・683系化されて消滅。大阪-青森間の「白鳥」が、「雷鳥」・「北越」・「いなほ」に分割されて廃止。

  • 「雷鳥」は新潟発着列車が「雷鳥」・「北越」に分割され、ダイヤ改正前の9往復から10往復に増発。上沼垂運転区担当運用3往復が移管され、すべて当所での運用となった。
  • 2001年2月22日に金沢総合車両所より「しらさぎ」「加越」用初代K編成のうちK25編成7両が転入。増結用予備MM'ユニットを組込みA10編成とし、4号車サロ481形組込9両編成×10本となった。
  • この後に金沢総合車両所の「スーパー雷鳥」・「しらさぎ」で使用されていた車両が一部転入し、先頭車両をクハ481形100番台と交換する形で「雷鳥」編成に組込み。
2003年:「しらさぎ」「加越」への683系電車化による変更

クハ481形100番台・サロ481形は同年9月までに運用離脱 → 廃車も含め大規模な編成組替を実施[注 102]。金沢総合車両所より以下の車両が転入。

  • 「しらさぎ」用車両…計25両
    • クロ481形2000・2100番台…6両
    • モハ485形500番台組込MM'ユニット…6組12両
    • サハ481形500・600番台…7両
  • 「加越」用車両…計5両
    • クロ480形2300番台・クロ481形2300番台…4両
    • クハ481形300番台…1両

不足するサハ481形は、モハ485形よりサハ481形700・750番台へ3両改造施工により落成させ、以下の組成変更を実施。

  • 1号車=パノラマグリーン車(クロ481形2000・2100番台)組込9両編成×6本(A01 - A06編成[注 103]
    • 2号車はCP搭載のモハ485形500番台
    • 「雷鳥」4・5・9・12・17・30・31・38・41・48号に充当[注 104]
  • 1号車=非パノラマグリーン車(クロ480形2300番台・クロ481形2300番台)組込9両編成×4本(A07 - A10編成[注 105]
    • 3号車のトイレ・洗面所撤去を施工
    • 「雷鳥」8・13・16・34・37・47号に充当
    • 予備編成が無いためパノラマ編成が充当される場合があった。

さらに各編成の座席定員を統一するため中間車は以下の車両で編成組成となった。

  • 2 - 4号車は金沢総合車両所より転属のグレードアップ車を充当
  • 3号車=モハ484形は車掌室装備600番台・1000番台に限定
  • 5・6号車MM'ユニットは基本番台前期型・1000番台に限定
    • 6号車のモハ484形は90を除いて1999年9 - 11月に業務用室→車販準備室改造施工。90も転入後に改造施工。
  • 7・8号車MM'ユニットは基本番台後期形に限定
京都総合運転所485系(2003年)
 
← 大阪
金沢 →
編成
番号
クロ
481
モハ
485
モハ
484
サハ
481
モハ
485
モハ
484
モハ
485
モハ
484
クハ
481
A01 2001 504 606 604 1004 1004 162 264 323
A02 2002 505 1029 501 72 72 128 232 801
A03 2003 501 1025 601 82 82 211 313 701
A04 2004 502 613 602 73 73 213 315 322
A05 2005 503 607 603 90 90 9-26 8-211 9-702
A06 2101 506 605 503 1026 1026 190 292 326
A07 2301 1025 1025 751 75 75 186 288 9-604
A08 2302 1003 1003 701 80 80 212 314 9-704
A09 2303 252 611 702 76 76 141 244 228
A10 0-2301 251 610 502 81 81 119 223 324
備考
  • 9-=489形
  • 8-=488形
  • 0-=480形
A04編成
A04編成
2009年10月1日:「雷鳥」5往復減便による変更

パノラマグリーン車を連結していないA07 - A09編成が定期運用から離脱することになり、残存編成間で一部車両交換を実施。

  • クハ489-604:A07 → A04編成
  • クハ489-704・モハ485・484-1003:A08 → A10編成
  • モハ485・484-80:A08 → A06編成
  • モハ485・484-76・サハ481-702:A09 → A01編成

離脱編成は4 - 6号車のサハ481形+MM'ユニット1組を廃車とし、残存した6両が2009年9月から12月にかけて183系に改造され福知山電車区に転出[35][36][37]

2010年3月13日:「雷鳥」定期列車1往復化による変更

定期運用が「雷鳥8・33号」のみとなり、編成も9両からサハ481形+MM'ユニット1組をカットした6両に減車。ただし多客期には「雷鳥」もサハ481形+MM'ユニットを増結した9両で運用されるケースも発生したため、各編成の組成両数固定化は未実施[38]

A02・A10編成は運用離脱しその後廃車。A05編成は同年夏の多客期輸送終了後に、A04編成は2011年に運用離脱となり廃車となった。

2011年3月12日:「雷鳥」廃止による定期運用終了

同年3月27日運転の団体臨時列車を最後に運用離脱。順次吹田工場へ廃車回送を実施。同年8月までに全車が廃車となった。

JR四国[編集]

サンポート高松号

電化区間が1986年まで存在せず、1988年まで瀬戸大橋が開通していなかったこともあり国鉄時代から四国への入線はなかったが、2001年5月12日・13日に高松駅再開発事業で完成した施設「サンポート高松」の名称をそのまま列車名に使用した大阪 - 高松の臨時急行で初入線している。なお、電化区間であっても予讃線箕浦以西は狭小トンネルのため入線不可となっている。

JR九州[編集]

JR化後は南福岡・鹿児島に続き大分鉄道事業部大分車両センターにも配属された。また下関発着の「にちりん」が廃止されたため直流区間機器を撤去して交流専用車となった。

1989年 - 1992年には「有明」がキハ183系1000番台「オランダ村特急」と世界初の気動車との動力協調運転を行ったが、783系以降の新型特急電車の台頭に伴い充当列車も徐々に減少。1992年の「つばめ」への787系投入により鹿児島本線熊本以南の、1994年には「有明」の783系統一により同線鳥栖以南の運用を終了。1995年からは改修車の廃車も始まり、1999年までにサロ481形およびボンネット車は全廃となった。

その一方で1992年に登場した「ハウステンボス」、1995年に「にちりん」を系統分割した「きりしま」、1997年には博多 - 大分間の「にちりん」から改称された「ソニック」に大分区への入出庫を兼ねた1往復へ充当された。博多 - 肥前山口間では「かもめ」「みどり」「ハウステンボス」の3列車を併結し[注 106]、旅客列車としては九州最長の13両編成で運転された[注 107]

2000年3月には885系による「白いかもめ」就役と「みどり」「ハウステンボス」が783系に統一されたことで長崎本線・佐世保線の定期列車運用を終了。

一方この改正ではこれらの車両を「にちりん」から系統分割した「ひゅうが」に投入[注 108]。翌2001年3月には885系「白いソニック」の投入と博多乗入れ「にちりん」への783系充当・「にちりんシーガイア」「ドリームにちりん」集約により博多乗入れが終了。この運用の大幅な縮小により2年間で106両が一気に廃車され消滅した形式・区分番台も発生した。

その後は「にちりん」「きりしま」「ひゅうが」などで運用されたが、2011年3月12日のダイヤ改正で転属してきた783系・787系などに置換えられ定期運用が終了となり[39][注 109]、波動輸送対応となる一部車両を除いて廃車となった。そのうち2012年3月12日に小倉総合車両センターへ廃車回送されたDk11編成は[40]、4月28日に幕張メッセで行われたニコニコ動画の大規模イベント「ニコニコ超会議」の企画「485系公開解体買付ショー」の提供車両とされ、解体が行われた[41]

2013年4月現在では大分車両センターに8両が在籍する。

大分鉄道事業部大分車両センター(分オイ)[編集]
Do2編成
Do2編成
Do32編成
Do32編成

大分電車区時代の1994年3月1日付で南福岡電車区から転入し初めて本系列が配置された。その後1995年4月20日までに鹿児島運転所などとの転出入が実施され、同日現在で43両(4両編成10本・3両編成1本)が配置となり「にちりん」で運用された。

その後は「にちりん」運用の見直しや883系・885系投入により廃車・南福岡区への転出が行われ、2000年3月11日ダイヤ改正で一旦定期運用を失ったが、臨時列車などの波動運用対応用として7両のDo21編成ならびに5両のDo31編成の計12両が残存となった[42]

2006年3月18日ダイヤ改正では鹿児島所からの運用移管により定期運用が復活した。運用に投入される3両のDo1 - 7編成と増結用MM'ユニット2組4両の計25両が同日付で鹿児島総合車両所から転入した。5両のDo31編成は引き続き波動輸送用とされ、Do21編成のうち3両は鹿児島所に転出、残るMM'ユニット2組4両は増結用とされ、2011年3月12日まで以下の列車で運用された[43]

  • 「にちりん」「ひゅうが」「きりしま」(宮崎発着列車のみ)
  • 「みどり」(有田陶器市臨時のみで現在は設定なし)
  • 宮崎 - 都城「さわやかライナー/ホームライナー」
  • 宮崎・南宮崎 - 宮崎空港普通列車。

定期運用終了後は、RED EXPRESS色とK&H色の編成が2012年度内までに全廃となったが、波動輸送対応用として3両のDo2編成と5両のDo32編成の計8両が在籍する。ただしDo2編成は2011年6月26日に運転された団体列車「ありがとう485系~かもめ・みどり~」を最後に運用を離脱し現在は保留車である。

  • Do2編成は鹿児島所属時の2000年10月6日付でミレニアム記念として415系475系キハ58系キハ66系などと共に国鉄色に変更された。
  • Do32編成はRED EXPRESS保留車をリニューアルした旧Dk9編成がベースで2010年8月にKIRISHIMA EXPRESS色から国鉄色に変更。同年12月に鹿児島から転入し増結用MM'ユニットのモハ485-196+モハ484-298を組込んだ編成。転入後は『485系さよなら企画』の一環で「にちりん」「きりしま」で運用された[44]
大分車両センター所属車編成表
 
← 鹿児島
小倉 →
 
編成 クモハ485 モハ484 モハ485 モハ484 クハ481 備考
Do2 102 328   230 保留車
Do32 5 206 196 298 256  
過去の配置車両基地[編集]
南福岡車両区(本ミフ)

「有明」「かもめ」「みどり」「ハウステンボス」「にちりん」などに使用されていたが、後継車両の導入によって次第に数を減らすと同時に運用を縮小し、2001年3月3日のダイヤ改正で定期運用が消滅した。その後は残存車両が波動輸送に使用されていたが、2004年2月までに大分や鹿児島への転出や廃車によって配置車両が消滅した。

鹿児島総合車両所(本カコ)
「KIRISHIMA EXPRESS」色時代のDk9編成
「KIRISHIMA EXPRESS」色時代のDk9編成

Dk8・10編成[注 110](3両)・Dk11 - 16編成[注 111](5両編成)の計36両が配置されていたが、2011年3月12日をもって以下の運用を終了し、2012年度までに全廃となった。

Dk8・10編成
Dk11 - 16編成
  • 「にちりん」
  • 「きりしま」
  • 「さわやかライナー3号」「ホームライナー2号」
  • 宮崎・南宮崎 - 宮崎空港普通列車 

その他のエピソード[編集]

  • 国鉄時代に大量に増備され、日本各地で特急列車に広く用いられたが、2010年現在鳥取県・島根県・愛媛県とJRの電化区間が存在しない徳島県・高知県および普通鉄道のない沖縄県の6県では走行実績がない。また神奈川県静岡県奈良県・香川県は定期列車での入線はなく、すべて臨時列車もしくは回送など非営業列車によるもの。三重県はジョイフルトレインのシルフィード(当時)のみ。山梨県はクハ481-10[注 112]とJR東日本のジョイフルトレインによる入線のみである。
  • JR化後には列車別・基地別に様々な塗装が登場したことで、転属直後や貸出・運用変更。故障などで予備車を連結した際など混色編成になることも多くなった。上沼垂運転区のT編成に「ひたち色」のMM'ユニットが組込まれたり、「シュプール号」で京都総合運転所の583系電車との併結運転[注 113]や旧国鉄色のMM'ユニット組込みが好例。また、北陸地区での103系USJ色の車両展示のために電源車として使用されたこともある。これらを撮影するファンも多く、鉄道趣味雑誌などでもその写真が掲載された。本系列の運用が減った現在ではそのような光景が実現することは極めて稀である。
  • 富山地方鉄道の所有する16010形10030形の一部がJR九州の廃車発生品である制御装置・台車・主電動機を再利用している。同社はかつて「スーパー雷鳥」で本系列や急行「立山」などで457・475系の乗り入れ実績があるために扱いに慣れているという理由で廃車発生品を導入した。

脚注[編集]

  1. ^ ただし、国鉄時代の先頭車化改造ではクハ480形・クロ480形。分割民営化後にJR東日本がジョイフルトレイン化改造でクハ485形・クハ484形を制式化している。
  2. ^ 交互点滅灯もしくはウインカーランプとも呼称。
  3. ^ 共通運用の「はくたか」を含む。
  4. ^ 一部車両の座席はキハ58系ジョイフルトレイン「らくだ号」に転用された。
  5. ^ 「つばさ」盛岡編成から独立させ別愛称への変更。
  6. ^ 1968年の「カネミ油症事件」をきっかけに1972年の生産・使用の中止等の行政指導を経て、1974年に製造および輸入が原則禁止された。
  7. ^ MM'ユニット62 - 96・クハ481-105 - 126・サハ481-14・サロ481-36 - 51・サシ481-29 - 39が該当。
  8. ^ 後に101もボンネットに移設。
  9. ^ クハ481-101 - 104もそれぞれ同日に仙台に配置された。
  10. ^ 123・124は書類上は向日町配置のまま1973年2月まで青森に長期貸し出しという経歴がある。
  11. ^ スカートはクリーム1色が正式であるが、109は60Hz用赤スカート塗装で落成。1972年5月青森運転所へ配置され同年9月に向日町へ転出した。
  12. ^ 101は仙台から向日町に転属する間に書類上のみではあるが1985年3月14日 - 3月22日の9日間だけ勝田電車区に所属した経歴を持つ。
  13. ^ クハ481-227・305・318・321 - 323・343・クハ489-303・703と交換。
  14. ^ 改造後の車両は、16がクハ183-851として福知山運転所電車センターで現存。
  15. ^ この前頭デザインは183系や583系ならびに後述の300・1000・1500番台先頭車と共に愛好者から俗に「炊飯器」「電気釜」とも呼ばれる。
  16. ^ 国鉄時代唯一の正面貫通路使用例。
  17. ^ 冬期は屈指の豪雪地帯である奥羽本線は列車が遅延することも多く、分割・併合運用では他列車への影響も問題視されたためとも言われている。
  18. ^ JR東日本承継車は民営化直前に向日町から上沼垂へ転属した258・260・261の3両のみであり、このグループは転属が多く新製から同一基地所属のまま廃車になったのは253のみである。
  19. ^ クハ481-204は分割民営化直前の1987年2月にクロハ481-214へ改造され、JR西日本に承継。1990年6月にはクロハ183-801へ再改造され、その後も福知山運転所(現・福知山電車区)のB41編成に組み込まれている。本車は踏切事故復旧時に前面貫通扉を埋込んでいるが、スカートには電気連結器装着時代の痕跡が確認できる。
  20. ^ 分割民営化後に西日本・九州所属車の一部に電気連結器・自動解結装置を装着した車両が登場した。
  21. ^ 車両側には装置及び汚物タンクを搭載するが、当時は地上側処理施設の整備が遅れていたため完成までは配管をタンクに接続せず流し管を別に設置し線路上に汚物を垂れ流す方法がとられた。
  22. ^ 4両が1990年にモハ182形800番台に改造。
  23. ^ この2両は向日町から1986年に青森へ転出。1988年3月に「たざわ」の多客期増結用として南秋田運転所へ再転出。1989年3月に勝田電車区に再々転出し「ひたち」で運用と常に動きを共にした。
  24. ^ 投入理由は13両編成による限定運用のため。行先表示器の字幕は札幌配置前提のものが装着されていたため前面側面ともに「白鳥」関係の表示コマがなくステッカーで対応。
  25. ^ 当初は7月1日からの予定であったが、労働争議の縺れによるストライキのために18日からの運転と変更になった。
  26. ^ 当初はノンストップ急行「さちかぜ」の愛称を引き継ぐ予定だったが、増収目的の格上げとの風評を避けるため「いしかり」に変更された。
  27. ^ 車両故障が発生した際にED76形500番台DD51形による牽引を行うための交換で本州復帰時に通常の密着形に再交換を実施。
  28. ^ 次駅までの短い時間でも凍結するため停車駅では大型のやかんをいくつも用意して「いしかり」の到着に備えて停車と同時に駅員がドアに湯をかけてまわり溶かした。
  29. ^ 後年に改造で方向転換を行った車両もある。
  30. ^ これは将来のモノクラス化を想定したものである。
  31. ^ 1969年にそれまでキハ82系で運転されていた「はくたか」が電車化される際には横軽区間で最大8両編成の制約から、専用編成の組成ならびに輸送力低下の問題点が発生し向日町運転所の11両編成により上越線経由へ変更した経緯がある。
  32. ^ 初期車は解放テコ部分を切り欠いた連結器カバーを装着して落成しており、製造直後や21世紀になってからのリバイバルトレインでも装着されて運用された実績がある。
  33. ^ 169系での総括制御は165系との混結ではKE64形ジャンパ連結器2基で、169系単独で協調制御も行う場合はKE70形ジャンパ連結器を用いた方式を採用。
  34. ^ うち4両は181系・485系からの改造車
  35. ^ 当初は向日町に配置されたため送り込みを兼ねた共通運用とされた。
  36. ^ サハ489形14両中11両が先頭車化改造の種車。1両がサハ481形復元改造を施工。未改造で廃車は10・12の2両のみ。
  37. ^ 向日町所の定期運用にも組込まれ九州地区での運転も確認されている。
  38. ^ 1974年から1976年頃にかけてクハ489-503はスカートが本来のクリーム4号ではなく、クハ181形同様グレーに塗られていた時期がある。
  39. ^ 1972年11月25日より急行「妙高」1往復の運転区間延長を兼ねた格上げ。
  40. ^ モハ489・488-7 - 9・クハ489-3・503・サロ489-5・8・サシ489-102
  41. ^ 種車は全車汽車製造が製造。
  42. ^ 展望の観から点シートはヘッドレスト部分が小型化されるなど、以後のJR西日本におけるパノラマ型展望車の基礎となった。
  43. ^ 1050番台車は車販準備室、1000番台車は乗務員室の位置にある
  44. ^ 181系時代はサボ受が設置された以外は、サロ481・489形1000番台と外観上の大きな違いない。
  45. ^ この時点でまだサボ受が残る車両もあった。
  46. ^ 食堂車時代の食堂部分。
  47. ^ サシ481形時代の調理室車端部寄りの一角。
  48. ^ サシ481形時代の業務用扉から車内に向かって左側
  49. ^ 横軽区間用KE64形ジャンパ連結器も残存。
  50. ^ 751・752は「北近畿」用に改造されたが、早期したため最末期の「くろしお」運用にも投入された。
  51. ^ 大きな表示幕の為、巻上げ時に時々引っかかる欠点もあった。
  52. ^ JR化後「ひたち」で運用されていた勝田配置車両が、イベントで展示された際に表示された事がある。
  53. ^ 後に「ゴールデンエクスプレスアストル」や「シュプール&リゾート」でもこの機能が発揮された。
  54. ^ 前面のみが片渡りで後部側は従来からの両渡りのままのため併結運転は不可能になるが方向転換は可能である。
  55. ^ 2009年4月現在での現存車は新潟車両センターT17編成のクハ481-332のみ。
  56. ^ クハ481形200番台同様に貫通幌を外付けで取付けることは可能だが、この場合は必然的に貫通幌が剥き出しの状態となる。またこのケースでの営業運転実績は無い。
  57. ^ キハ181系気動車で運用されていた頃の「つばさ」は基本7両+付属4両の11両編成とされたが、編成中間のキハ181形立体型特急マークが貫通路構成時に通行支障をきたすことから同様例として取り外された。そのため「つばさ」基本7両編成の間合い運用となる「あおば」の秋田方キハ181形ではマークが外された状態で運転された。なお、分割・併合運転が多数存在したキハ82系で運用されていた列車に関しては、この様な措置は採られていない。
  58. ^ 福知山転属前に落成したため「くろしお」運用にも投入。
  59. ^ 1986年11月のダイヤ改正で新設された「北近畿」には1編成のみクハ480形が連結された。
  60. ^ ユニットを組成していたモハ484形は廃車。
  61. ^ 303には種車の車販準備室が残存。
  62. ^ 600番台・700番台・751も金沢総合車両所で改造。
  63. ^ これは189系のサロ189形でMGとCP双方を装備する100番台の他、0番台についてもCPを装備することにフィードパックされている。
  64. ^ クロハ481-1014より復元
  65. ^ クロハ481-1013より復元
  66. ^ ヨハン・シュトラウス2世美しく青きドナウ」、ヨハン・ゼバスティアン・バッハ「主よ、人の望みの喜びよ」、アントニオ・ヴィヴァルディ」、フェリックス・メンデルスゾーン「春の歌」など。
  67. ^ 青森での改造は中間車のMM'ユニットのみで最終の塗装行程は土崎工場で行っている。
  68. ^ このためクロハ481-3021・クハ481-3005が組み込まれたA8編成は、「つがる」運用限定で「白鳥」には投入されない。
  69. ^ 名鉄パノラマカー小田急ロマンスカーのような完全な2階建てではない。
  70. ^ どちらもクハ481形は481系時代に向日町運転所と483系時代に仙台運転所に新製配置された車両で、電動車も1972年製造の仙台→青森→仙台→勝田と同じ経歴を持つユニットで組成された。
  71. ^ 2005年に廃車されたクハ481-17から移植。
  72. ^ ただし夏期繁忙期の7月19日 - 9月24日までは増発用早期落成MM'ユニットを仙台方クハ481形の次位に組込み11両編成での運転を実施。
  73. ^ ただし1往復は583系を充当
  74. ^ キハ80系の広域転配の関係から9月27日に実施。
  75. ^ 下関 - 門司間はEF30形交直流電気機関車、門司 - 博多間はED73形交流電気機関車が牽引。電源車としてサヤ420形を連結して車内電源を確保した。
  76. ^ 書類上は南福岡電車区に配置されたものの同所では使用されず秋田運転区に転出している。
  77. ^ 九州内でのサシ481形の食堂営業は1980年9月30日で廃止済
  78. ^ 撤去形態は碍子のみ残す物や完全撤去など様々であった。
  79. ^ 先頭部同士での連結ができないこともあり回送経路は複雑な動きを要求された。
  80. ^ 20・22・24も3両は1982年に仙台から九州地区に一旦転属しており、再び東日本エリアに出戻る形となった。
  81. ^ 自社保有の気動車で「きのくに」に連結して乗り入れを行っていた南海電気鉄道は、置き換え用に本系列の購入を検討していることが1982年に全国紙の関西版で報じられたが、結局実現せずに乗り入れを取りやめた。
  82. ^ その後全車が他区所へ転出か、交流機器を撤去または使用停止にして183系電車に改造されたために485系としての配置は既にない。
  83. ^ 本系列はすべてアスベストを使用しており、JR東日本は未撤去車両を全廃した。
  84. ^ 青森車両センター所属車の回送ルートは青森 - (奥羽本線)- 秋田 - (羽越本線) - 新津 - (信越本線) - 宮内 - (上越線) - 高崎 - (高崎線) - 大宮 - (東北本線) - 田端信号場 - (田端貨物線) - 三河島 - (常磐線) - 馬橋 - (武蔵野貨物支線) - 南流山 - (武蔵野線) - 武蔵浦和 - (武蔵野貨物支線) - 与野 - (東北本線) - 郡山となる経路をとる。これは東北本線青森 - 盛岡間を青い森鉄道IGRいわて銀河鉄道経由とすると線路使用料が発生するためで倍以上の回り道となっても費用削減が可能なため。また、入出場の際は同センター所属の双頭型両用連結器を装備したEF81 134・136・139・141のいずれかに牽引される無動力回送となっている。これは青森車がATS-P形を搭載していないためで、田端信号場を経由するのは方転・機回しの手間を省くためである。
  85. ^ 高尾 - 安房鴨川の運転のため充当期間中は幕張車両センターに貸し出し名義となる。なお、2008年以降は幕張所属の183系や松本車両センター所属のE257系0番台が投入されている。
  86. ^ この際に「あいづライナー」は同センターの583系で運行されている。2008年以降も夏期に臨時特急「あいづ」として投入されている。
  87. ^ 2010年12月4日の東北新幹線八戸 - 新青森間延伸開業に伴うダイヤ改正以前は「いなほ」運用で青森まで運用されていたが、系統分離により秋田 - 青森間の昼行特急列車を「つがる」に統一したため秋田までの運用となった。
  88. ^ 日本海縦貫線のおよそ半分の距離となる586.5km。
  89. ^ 2004年10月27日 - 11月28日には10月23日に発生した新潟県中越地震の影響で上越新幹線越後湯沢 - 新潟間が不通になり、長野新幹線への乗り継ぎを図るため新潟から越後線・信越本線経由の臨時快速列車に充当され特急「みのり」廃止以来久々に長野まで運用された。
  90. ^ ただし、側面の車両番号はステンレス切抜き文字ではなく白色のステッカー貼付による。
  91. ^ 当初はT1 - T8編成とされていたが、「はくたか」充当用2編成は1998年までに3000番台化工事が施工されR1・R2編成に区分された。
  92. ^ 「ムーンライトえちご」が定期運行されていた時期は首都圏側停泊中に車両故障が発生すると、備車を新潟から回送あるいは運休させるしか対処法がなく、2007年2月2日下り「ムーンライトえちご」に充当予定のT18編成が大宮総合車両センター車両検査科東大宮センターから回送中に車両故障を起こした際には、急遽同センターのOM102編成(183系1000番台)を投入し代走させた。なお、この編成はモノクラスのため本来グリーン車利用客に対してグリーン料金の払戻しとグレードアップ車である3号車の同番号席に、3号車の指定券を持っていた乗客は1号車の同番号席への振替が行われた。
  93. ^ 主に大宮総合車両センター常駐で幕張車両センター所属のマリ31・32編成が投入された。
  94. ^ このため「能登」が運転されない日はいずれかの編成が尾久車両センターに終日滞留となりホームライナー運用に投入された。ただし「能登」が運転されない期間が長期化した際の検査スケジュールや車両故障発生の場合は、回送もしくは配給列車により編成の入替が行われた。
  95. ^ 1991年には非電化の鹿島臨海鉄道大洗までディーゼル機関車牽引で乗り入れる夏季臨時特急「ビーチイン大洗ひたち」の運転が計画されたが、同年5月14日に発生した信楽高原鐵道列車衝突事故から「不測の事態への対応がしにくい」等の理由により、数度の試運転を実施したのみで営業運転は取り止められた。
  96. ^ ビバあいづ投入前は、勝田所属であったため出戻り転属でもある
  97. ^ 当初はいわき - 仙台間の新設特急に転用される予定であったが、福島第一原子力発電所事故により計画が白紙となり余剰となった。
  98. ^ 秋田支社管内(主に奥羽本線)で臨時快速に投入されるケースもあった。また2007年2月12日には青森車両センター所属車が不足したため、秋田から回送し臨時特急「つがる」2往復に充当された。
  99. ^ 183系200・700・800番台への改造車は福知山電車区に配置。特急網「北近畿ビッグXネットワーク」で運用されている。
  100. ^ 金沢総合車両所からの転入車もある。
  101. ^ 3号車 - 4号車に増結したため、グリーン車は4号車→6号車に変更。
  102. ^ 定期運用は9月20日にA08編成のクハ481-120が、臨時運用では同月20・21日の「懐かしの雷鳥」投入のクハ481-101・103・サロ481形3両を組込んだ11両編成が最終運行。
  103. ^ 編成組替当初はA02・A05 - A07・A09・A10編成。
  104. ^ 運転開始時は4・13・17・34・47・48号に充当。
  105. ^ 編成組替当初はA01・A03・A04・A08編成。
  106. ^ 「かもめ」5両、「みどり」「ハウステンボス」はそれぞれ4両。
  107. ^ 2011年3月改正までは783系も同様に13両編成を組んでいた。
  108. ^ 「きりしま&ひゅうが塗装」が登場する12月までは暫定措置として一切のレタリングなどを隠して運行。
  109. ^ ただし787系の転属措置と運用の都合から改正当日の一部列車は鹿児島総合車両所の本系列5両編成で運転された。
  110. ^ Dk10編成は大分のDo21編成からMM'ユニット2組を外した編成。クハ481-213は現在クハで唯一のRED EXPRESS色。
  111. ^ Dk12編成は2006年9月17日に発生したJR日豊本線脱線転覆事故により被災したが、同年12月に復旧したクロハ481-4と大分車両センターの波動用MM'ユニットを組込み運用に復帰した。
  112. ^ ボンネットの一部を欠き取りビデオカメラを設置して「シミュレーター用映像撮影車」としてJR東日本管内各地を走行。中央本線・篠ノ井線入線に際し屋根上前灯の撤去をし189系に連結されての走行となった。- 出展元:『鉄道ファン』交友社 1990年2月号(№346)p108
  113. ^ 北陸トンネルでの防災のため583系としては営業列車で唯一の先頭貫通路使用例。

出典[編集]

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  1. ^ 本州復帰時に標準品のDT32E・TR69H形に交換
  2. ^ a b 485系K60編成が郡山総合車両センターへ - 『鉄道ファン』交友社 railf.jp鉄道ニュース 2013年1月23日
  3. ^ このため車両検査時に横軽対策車を示す車号表示前に付く「●」マークを省略した車両も存在する。
  4. ^ 出典元:月刊「鉄道ジャーナル」(鉄道ジャーナル社)1986年9月号。
  5. ^ 長野配置時代の1995年5月12日に1051は「90年代観光振興行動計画(TAP90's)」に基づく「栃木・群馬観光立県推進地方会議」の視察団が利用する臨時列車「臨時特急ほのぼの号」中軽井沢-高崎間で運転された際に増3号車として「ゆう」と同色に塗り替え編成に組込まれた記録がある。
  6. ^ 後に「日光・きぬがわ」用へ転用改造することを前提としていたため。
  7. ^ ドア挟み防止センサー内蔵
  8. ^ 増結用MM'ユニットの数組は転属または廃車予定である。 - 出展元:『レイルマガジン』2011年2月号より。
  9. ^ 「485系R27編成の「はくたかエンブレム」が消える」交友社『鉄道ファン』railf.jp 鉄道ニュース 2011年6月21日
  10. ^ "485系Dk9編成が国鉄色に”. 交友社 railf.jp (2010年8月8日). 2010年8月9日閲覧。
  11. ^ 504 - 506の食堂定員は当初40名であったが、後に他車同様の28名に変更。
  12. ^ 吹田総合車両所が一般公開される”. 鉄道ファン(railf.jp). 2013年11月10日閲覧。
  13. ^ "脱線新幹線車両を社員安全教育に JR東日本、研修施設に保存" 2013/04/22 05:23 共同通信 2013年5月16日閲覧。
  14. ^ 『JR電車編成表』2012冬 ジェー・アール・アール 交通新聞社 2011年
  15. ^ 485系「あかべぇ」編成が国鉄特急色に”. 交友社『鉄道ファン』railf.jp 鉄道ニュース (2011年6月3日). 2011年6月6日閲覧。
  16. ^ 快速“あいづライナー”,485系国鉄色編成で運転開始”. 交友社『鉄道ファン』railf.jp 鉄道ニュース (2011年6月5日). 2011年6月6日閲覧。
  17. ^ 当初は2011年4月16日に253系1000番台への置換えと小山からの転出が予定されていたが、前月に発生した東北地方太平洋沖地震影響で列車そのものが運休となり置換えも延期となった。
  18. ^ 253系1000番代 〈日光〉〈きぬがわ〉への導入延期 - ネコ・パブリッシング『鉄道ホビダス』最新鉄道情報、2011年3月24日
  19. ^ “あいづライナー”に485系ラッピング車両”. 交友社『鉄道ファン』railf.jp 鉄道ニュース (2012年2月27日). 2012年2月8日閲覧。
  20. ^ “JR、特急の省エネ化加速 国鉄時代の車両置換え”. MSN産経ニュース (産業経済新聞社). (2012年9月8日). http://sankei.jp.msn.com/life/news/120908/trd12090819120011-n1.htm 2012年9月8日閲覧。 
  21. ^ 「“ムーンライトえちご”,183系で運転」交友社『鉄道ファン』railf.jp 鉄道ニュース 2010年3月20日
  22. ^ 予備車がないため検査や車両故障などの場合は列車名にも「スペーシア」の愛称を付け東武100系電車で代走、東武車も使用できない場合は大宮総合車両センター所属の189系・OM201編成「彩野」が投入されていた。
  23. ^ 新車両が4日運行開始 JR・東武直通特急 記念品プレゼントも - 下野新聞 2011年5月26日
  24. ^ 485系K40編成が郡山総合車両センターへ - 『鉄道ファン交友社 railf.jp鉄道ニュース 2013年1月17日
  25. ^ 鉄道ファン「JR車両ファイル2012」p.35
  26. ^ “つがる”51号に「かもしか」色の485系 - 『鉄道ファン』交友社 railf.jp 2010年12月13日
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  28. ^ 鉄道ダイヤ情報』(交通新聞社)2012年9月号「JR車両のうごき(2012年4月1日 - 6月30日分)」より。
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  38. ^ 『Rail Magazine』327号(2010年12月号)、ネコ・パブリッシング
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  43. ^ 『JR電車編成表』2010夏、ジェー・アール・アール、交通新聞社、2010年、p.218、ISBN 9784330143101
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参考文献[編集]

交友社

鉄道ファン

  • 1978年10月号 No.210「交直流特急電車PART.1」
  • 1978年11月号 No.211「交直流特急電車PART.2」
  • 1983年3月号 No.263「電車の引越し大作戦」
  • 1985年4月号 No.288「485系20年」
  • 1985年11月号 No.295「がんばれボンネット特急」
  • 1987年4月号 No.312「485系とその一族」
  • 1989年5月号 No.337「新車ガイド JR西日本"スーパー雷鳥"用485系」
  • 1990年12月号 No.354「新車ガイド シルフィード登場」
  • 1991年6月号 No.362「新車ガイド RESORT EXPRESS ゆう」
  • 1992年3月号 No.371「485系特急形電車」
  • 1992年7月号 No.375「惜別485系“つばさ”」
  • 1994年8月号 No.400「新車ガイド JR東日本485系お座敷電車『宴』」
  • 1996年6月号 No.422「新車ガイド JR東日本485系3000番台」
  • 1997年2月号 No.430「ボンネットSTYLE」
  • 1997年7月号 No.435「新車ガイド JR東日本485系お座敷電車『華』」
  • 1998年4月号 No.444「新車ガイド JR東日本485系『ニューなのはな』」
  • 1998年10月号 No.450「今どきの485系」
  • 1999年7月号 No.459「新車ガイド JR東日本485系お座敷電車『やまなみ』」
  • 2000年8月号 No.472「特集:食堂・オープンスペース」・・・サロ481-2000末期ラウンジの姿が掲載。
  • 2001年6月号 No.482「新車ガイド JR東日本485系お座敷電車『せせらぎ』」
  • 2002年2月号 No.490「新車ガイド JR東日本485系『きらきらうえつ』」
  • 2003年12月号 No.512「月光形 その顔の世界」
  • 2007年8月号 No.556「ラストスパート485・583系」
  • 2009年5月号 No.577「北陸特急ものがたり」
  • 2011年6月号 No.602「485系パーフェクト」
  • 2012年6月号 No.614「485系でたどるJRの25年」
  • 「JR車両ファイル」各年度掲載号

鉄道ジャーナル社

鉄道ジャーナル

  • 1997年8月号 No.370「JR特急のスタンダード485系電車」
  • 2001年12月号 No.422「今も活躍を続ける国鉄標準型特急電車485系の現状」
  • 2007年3月号 No.485「JR20年を駆け抜けた485系特急電車を語る」
  • 2013年11月号 No.565「485系時代の終焉」

電気車研究会

鉄道ピクトリアル』  

  • 1988年7月号 No.498「485・489系特急形電車PART.1」
  • 1988年8月号 No.499「485・489系特急形電車PART.2」
  • 2001年8月号 No.705「485系電車の現状」
  • 2011年4月号 No.846「485・489系電車」
  • 「JR電車ライブラリーシリーズ2 特急形交直流・交流電車」

ネコ・パブリッシング

レイルマガジン

  • 1991年3月号 No.89「I LOVE ボンネット」
  • 1991年7月号 No.93「新ジョイフルトレインゆう」
  • 1991年8月号 No.94「もっと知りたいボンネット」
  • 1994年12月号 No.135「485系総整理」
  • 2003年4月号 No.235「さらばボンネット特急」
  • 2006年8月号 No.275「485系『雷鳥』最後の戦士」
  • 2010年12月号 No.327「485系最前線」
  • 「列車名変遷大辞典」 ISBN 9784777051823

イカロス出版

『Jトレイン』

  • 2003年 Vol.9「北陸路のボンネット特急」
  • 2007年 Vol.28「原色特急485・489系」

『名列車列伝シリーズ』

  • 「特急雷鳥&485系電車NOW」
  • 「特急ひたち&ボンネット特急」
  • 「特急はくたか&北陸の485/489系」

『新名列車列伝シリーズ』

  • 「東北線の名列車電車篇」
  • 「交直両用特急形電車形式485系」

誠文堂新光社

『鉄道画報』

  • 2007年 No.10「485系交直流特急電車」

学習研究社

『鉄道ナビ』

  • 2001年 Vol.2「特急電車485系分類大百科」

学研パブリッシング

  • 今田保著・諸河久写真「よみがえる485系」 ISBN 9764054059081

JTBパブリッシング

関連項目[編集]

国鉄24系客車

外部リンク[編集]