石井幸孝
いしい よしたか 石井 幸孝 | |
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生誕 |
1932年10月12日(92歳) 日本・広島県呉市 |
国籍 | 日本 |
市民権 | 日本 |
出身校 |
東京都立新宿高等学校 東京大学工学部機械工学科 |
石井 幸孝(いしい よしたか、1932年10月12日 - )は、日本の鉄道技術者。実業家、九州旅客鉄道(JR九州)初代社長。広島県呉市出身。
経歴
[編集]東京都立新宿高等学校、東京大学工学部機械工学科卒業。1955年日本国有鉄道(国鉄)に入社。蒸気機関車の補修を皮切りに、油まみれの工場勤務からスタート。1959年、本社臨時車両設計事務所でディーゼル車両の担当技師として車両設計・開発を担当。キハ81系「はつかり」、キハ82系、キハ58系、DD51形、DE10形などディーゼル車両開発最盛期の仕事に携わった[1][2]。ディーゼル特急「はつかり」を東北本線に導入した当時は故障に泣かされ、毎晩徹夜で修理作業に当たったという。
機械畑出身だがその後、総裁室調査役、広島鉄道管理局長などの管理職としても能力を発揮。1982年工作局長、1985年車両局長、常務理事・首都圏本部長となり、国鉄分割・民営化後の東日本での作業計画を手掛け国鉄改革に携わった。また北陸新幹線整備などにも関わる[3]。1986年九州総局長となり1987年、民営化で発足した九州旅客鉄道株式会社(JR九州)初代代表取締役社長に就任。
早速、「部内本位からお客様本位」「系統本位から会社本位」「予算本位から収支本位」など「国鉄流10の反省」を提唱。自らも営業能力の高さを発揮し精力的なトップセールスを行い多角化を推進した。デザイン戦略を経営戦略として位置付け、水戸岡鋭治をデザイナーに起用し787系電車「つばめ」、883系電車「ソニック」、885系電車「かもめ」、九州新幹線800系電車「つばめ」など多くの斬新なデザインの特急車両を世に出し、他の交通機関との激しい競争で当初厳しい経営を予想されたJR九州の業績アップの原動力とした[4][5][6]。これらの車両はブルーリボン賞、ブルネル賞など国内外の多くの賞を受賞した。
また、九州新幹線の整備、博多 - 釜山間国際航路「ビートル」の開設や熊本駅、鹿児島中央駅、由布院駅などの整備や駅舎改装、博多駅コンコースの大改装、「あそBOY」などの観光列車を次々と走らせるなど、鉄道を通じて九州各地のまちづくりやインフラ整備、および九州観光に大きな業績を残し国鉄行政改革をJR九州で実践した[7][8][9]。
1997年会長に就任[10]、2002年退任したが、この間九州ニュービジネス協議会会長、九州21世紀委員会会長、九州・山口経済連合会副会長、在福岡ニュージーランド名誉領事、福岡県日韓親善協会会長、福岡県サッカー協会会長など多くの要職に携わった。また、1988年のオリエント・エクスプレス '88日本運行にも携わった。会長退任後、福岡市長選に立候補を予定していたが、体調を崩し断念した。
数々の国鉄車両に関する書籍物を執筆・発行した実績もあり、自身も鉄道ファンである。
年表
[編集]- 1932年10月:広島県呉市にて生誕
- 1951年3月:東京都立新宿高等学校卒業
- 1951年4月:東京大学教養学部理科Ⅰ類入学
- 1955年3月:東京大学工学部機械工学科卒業
- 1955年4月:国鉄入社
- 1956年:小樽築港機関区見習機関士
- 1961年:車両設計事務所技師(ディーゼル車両担当)
- 1968年:本社工作局車両課課長補佐
- 1972年:北海道総局車両管理室長
- 1976年:大船工場長
- 1981年:広島鉄道管理局長
- 1982年:本社工作局長
- 1985年:本社車両局長
- 1986年:九州総局長
- 1987年4月:九州旅客鉄道株式会社(JR九州)初代代表取締役社長就任
- 1997年6月24日:同社会長就任[10]
- 2002年:退任
- 2014年11月:旭日重光章受章[11]
著書
[編集]- 『蒸気機関車』中公新書 1976年
- 『入門鉄道車両』交友社 1971年、改訂版1980年
- 『キハ58物語 津々浦々くまなく走ったディーゼル急行1900両』JTBキャンブックス、2003
- 『DD51物語: 国鉄ディーゼル機関車2400両の開発と活躍の足跡』JTBキャンブックス、2004
- 『キハ82物語 「はつかり」で始まったディーゼル特急半世紀の物語』JTBキャンブックス、2005
- 『九州特急物語: 創業からJR九州までの120年』JTBキャンブックス、2007
- 『キハ47物語 ローカル線の主役一般形キハの歩み』 (キャンブックス. 鉄道) JTBパブリッシング, 2009.3
- 『戦中・戦後の鉄道 激動十五年間のドラマ』 (キャンブックス 鉄道) JTBパブリッシング, 2011.10
- 『人口減少と鉄道』朝日新書 2018年3月
- 『国鉄―「日本最大の企業」の栄光と崩壊』中公新書 2022年8月
- 共編著
脚注
[編集]- ^ 「「戦中・戦後の鉄道 激動十五年間のドラマ」 石井幸孝さん」『西日本新聞』2011年11月13日。オリジナルの2011年11月15日時点におけるアーカイブ。
- ^ 石井幸孝さんの出版を祝う会。 - ウェイバックマシン(2014年10月16日アーカイブ分) - 編集長敬白アーカイブ
- ^ “北陸新幹線の高崎-軽井沢間の線路選定”. 2022年12月17日閲覧。
- ^ 一志治夫「なぜ「水戸岡デザイン」は人を熱狂させるのか」『PRESIDENT Online』、プレジデント社、2011年3月21日、2022年12月17日閲覧。
- ^ 平成の世にサムライを探して|第七十六回 水戸岡鋭治「九州新幹線のデザイナーが語る、デザインの真髄〜先例を次々に打ち破る終わりなき鉄道デザインの旅」 - ウェイバックマシン(2012年6月6日アーカイブ分) - 日立ソリューションズ
- ^ 「キハ58系、485系…リニューアルの基本は「懐かしくて新しい」 水戸岡鋭治のお仕事(下)」『zakzak』2008年8月22日。2022年12月17日閲覧。
- ^ 石井 幸孝 九州旅客鉄道 会長 - 九州トップファイル[リンク切れ]
- ^ RKB HomePage ==元気 by 福岡==2007年6月3日 - ウェイバックマシン(2018年6月28日アーカイブ分) - RKB毎日放送
- ^ 「新幹線、鹿児島から開通した理由-初代JR九州社長“苦難”語る+(1/2ページ)」『Ceron』(MSN産経ニュース)。オリジナルの2016年3月5日時点におけるアーカイブ。
- ^ a b 「JR7社14年のあゆみ」『交通新聞』交通新聞社、2001年4月2日、9面。
- ^ “秋の叙勲 旭日大綬章に坂根元小松製作所社長ら”. SankeiBiz (2014年11月3日). 2018年9月27日時点のオリジナルよりアーカイブ。2023年2月6日閲覧。
参考文献
[編集]外部リンク
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