三河島駅

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三河島駅
三河島駅(駅舎は左側高架下)
三河島駅(駅舎は左側高架下)
みかわしま - Mikawashima
所在地 東京都荒川区西日暮里一丁目6-10
所属事業者 JR logo (east).svg東日本旅客鉄道(JR東日本)
電報略号 ミマ
駅構造 高架駅
ホーム 1面2線
乗車人員
-統計年度-
10,373人/日(降車客含まず)
-2014年-
開業年月日 1905年明治38年)4月1日
乗入路線 3 路線
所属路線 常磐線(快速)
(正式には常磐線
キロ程 1.2km(日暮里起点)
上野から3.4km
日暮里 (1.2km)
(2.2km) 南千住
所属路線 常磐線(貨物支線・田端貨物線)
キロ程 0.0km(三河島起点)
(1.6km) 田端
所属路線 常磐線(貨物支線・隅田川貨物線)
キロ程 0.0km(三河島起点)
(3.2km) 隅田川
備考 区 東京都区内
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三河島駅(みかわしまえき)は、東京都荒川区西日暮里一丁目にある、東日本旅客鉄道(JR東日本)常磐線である。

乗り入れ路線[編集]

当駅に乗り入れている路線は常磐線のみだが、本線のほか、当駅からは田端駅田端信号場駅)方面への支線(田端貨物線)と隅田川駅方面へ向かう支線(隅田川貨物線)が分岐する。支線は田端信号場駅方面は貨物列車と臨時列車が、隅田川駅方面は貨物列車のみが使用する。

旅客駅には常磐線快速電車および中距離電車のみが停車し、東京メトロ千代田線に直通する常磐線各駅停車は当駅を経由しない。したがって、複々線区間で常磐線各駅停車のみが停車する綾瀬亀有金町へ向かう利用客は、北千住駅で常磐線各駅停車に乗り換える必要がある。取手以北へ直通する中距離電車はかつて日中しか停車しなかったが、2004年3月13日のダイヤ改正以降は、通勤快速・特別快速を除くすべての中距離電車が停車するようになった。

当駅は、特定都区市内制度における「東京都区内」に属している。

年表[編集]

駅構造[編集]

島式ホーム1面2線を有する高架駅である。本線の両側にはホームのない線路がある。下り線側は田端信号場駅方面から来て南千住駅寄りで合流する。合流地点は三河島事故が起きた現場である。上り線側は田端信号場駅と隅田川駅を結ぶ単線で南千住駅寄りに上り線からの渡り線がある。改札口南千住駅寄りの1か所のみの設置されている。ホーム上屋は短かったが、2011年平成23年)に増設工事が完了、ホーム長の過半をカバーすることになった。

自動改札機、指定席券売機(稼働時間 7:00 - 23:50)、乗車駅証明書発行機(稼働時間 始発 - 7:00)設置。 かつてはみどりの窓口が設置されていたが、指定席券売機指定席券などを購入することが可能となったため、2005年11月20日をもって廃止された。

2010年12月よりエレベーター設置工事が行われ、翌年4月、完了した。

のりば[編集]

番線 路線 方向 行先 備考
1 常磐線(快速) 上り 日暮里上野東京品川方面
上野東京ライン含む)
東京駅から東海道線へ直通(品川駅まで)
2 常磐線(快速)・成田線 下り 北千住松戸取手成田土浦水戸方面

(出典:JR東日本:駅構内図

利用状況[編集]

2014年度の1日平均乗車人員は10,373人である[1]。常磐線のJR東日本東京支社管内(上野駅 - 取手駅)の駅の中では最も少なく、東京23区内では越中島駅上中里駅尾久駅に次いで4番目に少ない。

近年の推移は下記の通り。

年度別1日平均乗車人員[2][3]
年度 1日平均
乗車人員
出典
1992年(平成04年) 9,082 [* 1]
1993年(平成05年) 9,101 [* 2]
1994年(平成06年) 8,959 [* 3]
1995年(平成07年) 8,842 [* 4]
1996年(平成08年) 8,808 [* 5]
1997年(平成09年) 8,652 [* 6]
1998年(平成10年) 8,578 [* 7]
1999年(平成11年) 8,702 [* 8]
2000年(平成12年) [JR 1] 9,060 [* 9]
2001年(平成13年) [JR 2] 9,280 [* 10]
2002年(平成14年) [JR 3] 9,688 [* 11]
2003年(平成15年) [JR 4] 9,733 [* 12]
2004年(平成16年) [JR 5] 9,794 [* 13]
2005年(平成17年) [JR 6] 9,743 [* 14]
2006年(平成18年) [JR 7] 9,900 [* 15]
2007年(平成19年) [JR 8] 10,100 [* 16]
2008年(平成20年) [JR 9] 10,148 [* 17]
2009年(平成21年) [JR 10] 10,130 [* 18]
2010年(平成22年) [JR 11] 10,063 [* 19]
2011年(平成23年) [JR 12] 9,763 [* 20]
2012年(平成24年) [JR 13] 9,867 [* 21]
2013年(平成25年) [JR 14] 10,242 [* 22]
2014年(平成26年) [JR 15] 10,373 [* 23]

駅周辺[編集]

駅周辺

駅の出口は尾竹橋通りに面している。当駅から日暮里駅までの線路は弧を描くような急カーブになっており、直線距離では日暮里駅・西日暮里駅町屋駅も徒歩圏内にも入るほどの近さにある。

江戸時代、三河島には徳川家康が遷都の際、開墾のために三河から連れてきた伊藤氏(伊藤七家)などの農家が居住して稲作を行っていた。 明治時代には上野の戦いから逃れた彰義隊の残兵が伊藤家に匿われた経緯も史記に残っている。日暮里出身の吉村昭の「彰義隊」に詳しい。

明治から大正までは湿地帯や農家の屋敷も残る田園地帯であった。また、文京区柳沢吉保邸であった六義園に展示されている江戸地図に三河島近辺は田畑の表記になっている。

明治以降、屠殺場皮革工場、また下水処理場(三河島水再生センター)などの施設が建設されるようになり、戦前戦後にかけて、それらの工場や施設に日本人労働者や朝鮮半島出身者(多くが済州島出身者)が移住して働くようになった[4][5]。そのような経緯から現在では駅周辺は焼肉店などハングルの看板が並ぶコリア・タウンともなっており、朝鮮学校もある。規模的には川崎新大久保などの他コミュニティよりも比較的規模も活気も小さい。高度経済成長とともに金物加工や印刷、製紙や箱工場も増え、工業地域となった。

1962年には「国鉄戦後五大事故」の一つとされる死者160人を出した三河島列車衝突事故が発生した。

「三河島」という地名は荒川区で広範囲にわたる地域名であったが、前述の鉄道事故のイメージを払拭するために1968年ごろ廃止され、三河島の中心部は「荒川」に、周辺部は他の地名に組み入れられ、現在では駅名や保育園の名前などとして残るのみとなっている[5]

バス路線[編集]

駅前の尾竹橋通り沿いにある「三河島駅前」バス停から発着する。

隣の駅[編集]

東日本旅客鉄道
常磐線(快速)
特別快速
通過
快速
日暮里駅 - 三河島駅 - 南千住駅
常磐線貨物支線(田端貨物線)
三河島駅 - 田端駅田端信号場駅
常磐線貨物支線(隅田川貨物線)
三河島駅 - 隅田川駅

脚注[編集]

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  1. ^ 各駅の乗車人員 - JR東日本
  2. ^ 東京都統計年鑑
  3. ^ 数字で表す荒川区(区勢概要) - 荒川区
  4. ^ 「荒川区史・下」(1989年3月刊)
  5. ^ a b 2008年9月22日 東京新聞

出典[編集]

JR東日本の2000年度以降の乗車人員
東京都統計年鑑

関連項目[編集]

外部リンク[編集]