つくば科学万博の交通

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つくば科学万博の交通(つくばかがくばんぱくのこうつう)は、国際科学技術博覧会の交通機関について解説する。

つくば科学万博マスコット「コスモ星丸」が描かれたエキスポライナーのヘッドマーク

会場アクセス[編集]

鉄道と道路のインフラが同時整備された。鉄道のメインルートは、万博開催期間限定で日本国有鉄道(国鉄)常磐線(現・東日本旅客鉄道常磐線)に設置された仮設臨時駅の万博中央駅で乗降し、2両連接バス「スーパーシャトル」に乗って万博会場北ゲートまで往復できた[1]。また、常磐線土浦駅[注釈 1]と常磐線牛久駅から会場間を往復する在来型シャトルバスが用意された[1]。このほかに、国鉄東北本線古河駅から会場まで往復する国鉄バスも用意されている[1]

いっぽう道路では、常磐自動車道をメインルートに、東京方面からは谷田部インターチェンジを降りてサイエンス大通りを使うか、谷田部仮出口[注釈 2]を降りて国道408号(牛久学園通り)を経て会場へと向かうルートと、水戸方面からは桜土浦インターチェンジを降りて、学園東大通りエキスポ大通りを経て会場へと向かうルートが、それぞれひと目でわかるように設置された案内標識により案内された[1]。団体バスは会場内駐車場を利用することができ、自家用車利用者は場外東駐車場に駐車して、東駐車場から会場までは「動く歩道」で移動できた[1]。 開催期間中の会場周辺およびアクセス路となる一般幹線道路や各交差点では、シャトルバスが時間に正確な運航ができるように、交通渋滞回避ための大規模な交通規制が敷かれた[1]

万博中央駅[編集]

万博中央駅
万博中央駅
万博開催を機に白色青帯へ塗装変更した415系電車
万博開催を機に白色青帯へ塗装変更した415系電車

国鉄常磐線牛久駅 - 荒川沖駅間(牛久駅から4.0キロ、荒川沖駅から2.6キロ地点、現ひたち野うしく駅)に開催直前の3月14日[注釈 3]から閉幕日の9月16日まで臨時駅として万博中央駅(ばんぱくちゅうおうえき 英語表記:BAMPAKU-CHŪŌ STATION)を設置した。万博客を迎える鉄道の表玄関となるため、1日最大20万人の乗降者に対応できるよう設計され、この当時の名古屋駅、京都駅にも匹敵する規模があった[2]。西口は、シャトルバスが発着する6本のバースと白や黄色の巨大テントが張られた待合広場があり、東口は、連接バス「スーパーシャトル」100台の待機場が併設された[2]。営業する国鉄は、マスコットマークや天井パネル、BGMでパビリオンさながらのムード作りをしたり、記念乗車券の発売を行った[2]

  • ホームは長さ310mの相対式2面[2]
  • 跨線橋2基、出改札口を設置[2]
  • 構内には旅行センター国鉄直営売店を設置。
  • 停車は7時30分 - 22時40分頃に発着する普通列車と後述の臨時快速列車「エキスポライナー」に限られ、特急列車はすべて通過。

万博閉幕後に取り壊される前提で建設され[2]1982年(昭和57年)7月から約2年8ケ月をかけて完成し、1985年(昭和60年)3月8日に関係者を集めた完成記念式典が行われた[3]。地元民は閉幕後も「万博中央駅」の恒久的存続を請願したものの、国鉄は設備が仮のものであるといった理由などで拒否したため、この地に同駅が存在した証に上下線間連絡用跨線橋を残すことを承諾させ、さらに「飛翔」と題された記念碑を設置した。

臨時駅開設13年後の1998年平成10年)3月14日に同駅設置場所を新たにひたち野うしく駅として開設。これに伴い跨線橋は撤去され、碑は牛久市役所にて保管後、ひたち野西公園(現:ひたち野みずべ公園)へ移設されたが、2009年(平成21年)にひたち野うしく駅西口に再移設された。駅舎正面にあった駅名看板は現在も市役所の倉庫に保管されている[4]という。

エキスポライナー号[編集]

JNR kiha58 expoliner.jpg
JNR 415 expo liner.jpg
「エキスポライナー」3態 キハ58系(上) 415系電車(中) EF81 18+12系客車
「エキスポライナー」3態
キハ58系(上)
415系電車(中)
EF81 18+12系客車

上野駅我孫子駅取手駅大宮駅[注釈 4] - 万博中央駅・土浦駅間に、下り7時 - 16時台・上り12時 - 22時台に臨時快速列車エキスポライナー」が設定された。

運転区間の途中となる取手駅 - 藤代駅間に直流電化交流電化の接点であるデッドセクションが存在するため、同列車に使用できる電車はさほど数の多くない交直流電車に限定された。

  • 開催直前の1985年3月のダイヤ改正で、急行列車寝台列車の削減[注釈 5]による余剰捻出車も多数投入した。
    • 原則としてすべての列車に博覧会のキャラクターである「コスモ星丸」を描いたヘッドマークが掲出された。
    • 20系客車583系電車[注釈 6]に見られる寝台車座席車扱いやキハ58系気動車による列車も存在した。またグリーン車は料金を徴収しない普通車開放扱いとなった。
    • 寝台車については、座席になっている寝台の組み立てを行うことが横行し、車内アナウンスで「寝台を組み立てないでください」と再三の注意喚起が行われた。
  • 20系や12系などの客車の牽引に対しては、EF81形の増備で余剰となったEF80形が充てられた。これらのEF80形は万博終了後に用途廃止となり翌年までに廃車となった。
  • 上野駅のホームなどに余裕がないことから上野に行けない分は我孫子駅・取手駅のいずれかで上野・大手町方面の定期運転列車(快速・各駅停車)と「エキスポライナー」を接続させた。

元々需要に反して列車本数が少なかった[5]取手駅 - 土浦駅間の利用客にとってエキスポライナーの運転は日常の需要に応える結果となり、利用率が良かった列車については博覧会終了後も毎日運転の予定臨時列車を経て定期列車化された。

エキスポドリーム号[編集]

JNR ef8o 39 expodream.jpg
「エキスポドリーム」2態 EF80 39+20系客車(上) 583系電車(下)
「エキスポドリーム」2態
EF80 39+20系客車(上)
583系電車(下)

万博会場付近は宿泊施設が不足していたため、6月1日 - 9月15日にかけ「エキスポライナー」で運用されていた寝台車の583系電車・20系客車を土浦駅で列車ホテルとし、翌朝万博会場駅まで運転する「エキスポドリーム」を設定した[注釈 7]

  • 同年8月の事例では、583系・20系共に土浦駅で21時37分 - 47分に客扱いを行い、その後留置線で翌朝まで待機。翌朝7時43分 - 7時53分に再び土浦駅で再度客扱いを行った後に万博中央駅に8時3分到着というダイヤであった。
  • 寝台券は日本旅行代理店で土浦駅 - 万博会場駅間に有効な乗車券を持っている者に対してのみ販売されたが、均一3,000円とされた。
    • 当時のB寝台料金は20系客車上中下段・583系電車の上中段が5,000円、583系電車下段が6,000円。
  • 20系客車による列車は、土浦駅での入替による機回し省略の観点から、廃車が近いEF80形を両端に連結したプッシュプル運行とした。

割引乗車券やサービス[編集]

科学万博往復割引きっぷ
科学万博キャリーサービス
  • 駅に荷物を預けて宿まで運んでもらうか、逆に宿から駅まで荷物を送り、万博会場は荷物を持たずに見物できるようにしたシステムで東京駅・上野駅・土浦駅で取扱。

スーパーシャトルバス[編集]

スーパーシャトルバス

万博中央駅から13キロメートル離れた会場までを結ぶアクセスバスとして、スウェーデンボルボB10M(ボディは富士重工業製)の連節バスを使用して運行[6]。会場への所要時間は約20分[2]。全長17.99メートル [注釈 8]。 乗車定員は162人(座席53人・立席108人・運転手1人)[2]。料金は大人600円、小人300円で[2]、支払いは会場の北ゲート入り口で行われた。運転手が後車室内の乗客の状況や車外後方の安全を確認するためのモニターテレビを有しており、バスの発着管理を効率よくさばくために、コンピュータを利用した運行管理システムを利用した[7]

運行請負事業者(計31社、いずれも開催当時の社名)と担当車両数(計100台)を以下に示す[8]。このルートに関しては地域外の事業者が担い、関東鉄道など地元業者の担当はなかった。

閉幕後の去就は以下のとおり。

その他のバス[編集]

万博中央駅以外にも周辺駅から連絡バスが会場まで運行されていた。こちらは日頃から地元・県南県西地域で乗合バスを運行している各事業者が輸送を担当し、各者とも新車を投入した。国鉄(土浦自動車営業所)・関東鉄道(谷田部営業所(現・つくば中央営業所)・土浦営業所)・茨城観光自動車(下高津営業所・竜ヶ崎営業所)・大利根交通自動車東武鉄道(境営業所)の各者である。

  • 土浦駅
    • 3 - 10分間隔・所要約30分
  • 牛久駅
    • 30 - 60分間隔・所要約30分
  • 関東鉄道常総線 水海道駅
    • 10 - 40分間隔(多客期3 - 7分間隔)・所要約30分
  • 古河駅
    • 座席定員制「エキスポ号」を1日4往復・所要1時間20分

サブ会場エキスポセンターとの連絡バス[編集]

  • つくばセンターバスターミナル
    開催3日前(1985年3月14日)に開設を間に合わせたバスターミナル。新治郡桜村吾妻一丁目(現・つくば市吾妻一丁目)のつくばセンタービル前に所在。この地は万博開催前後に学園都市の中心地として成立した。当時はまだつくば駅がなく、高速バスも運行されていなかった。
    • 3 - 10分間隔・所要約10分

オフィシャル・エアライン[編集]

JA8119 B747-SR46
万博ロゴマーク
(日本航空123便墜落事故当該機)

日本航空が「オフィシャル・エアライン」となり、ほぼすべての機材に万博のロゴマークを入れて運行したほか、多くのパッケージツアーを主催した。一方で、開催期間中の8月12日日本航空123便墜落事故が発生。この事故で死亡した者の中には、同博覧会帰りの観光客も多数いた。

ヘリコプター[編集]

東亜国内航空朝日航洋新日本国内航空により、東京国際空港東京ヘリポート・新東京国際空港(現・成田国際空港)などから万博会場へヘリコプター便が運行されていた。飛行時間は30分以内で料金は13,800 - 19,580円。会場のヘリポートからは西口ゲートまでバスで送迎された。バスの乗車時間は約8分。つくばヘリポートは未開業。

会場内交通機関[編集]

HSST[編集]

HSST-03
HSST-03
岡崎市南公園に移設されたHSST-03
岡崎市南公園に移設されたHSST-03
ビスタライナー (エキスポランド移設後)
ビスタライナー
(エキスポランド移設後)

HSST方式磁気浮上式鉄道。当博覧会期間中は試験車両のHSST-03を使用してデモ運行を行った。HSSTは、2005年開催の愛知万博に先立って開通した愛知高速交通東部丘陵線で実用化された。

ビスタライナー[編集]

Cブロック北ゲート - Dブロックエキスポプラザの間を連絡するコンピュータ制御のミニモノレール。4人乗り観覧車に似たかご形車両17両連結で4編成が泉陽興業で製造された。

スカイライド[編集]

Dブロック内で使用されたロープウェイ。終了後、東武動物公園に移設され2003年まで使用。運賃は大人500円、子供300円[12]

ポレポレバス[編集]

トヨタ自動車マイクロバスコースター」をベースにした会場内巡回バス。

  • 「ポレポレ」とは、スワヒリ語で「ゆっくり」という意味。
  • 運賃は大人200円、子供100円。身障者や高齢者への利用サービスを考えて、唯一、会場内の他の乗物よりも安く抑えて設定された[12]
  • 通常会場内は自動車の走行がないため、注意を促す意味から童謡「かっこう」のメロディーを流して走行した。
  • ワンマン運転のため、乗務員が停留所での運賃収受や車椅子の乗降補助を容易にする観点から左ハンドルを採用した。
  • 8台中4台は、車椅子乗降リフト付き車両でフロント部分を除き窓ガラスがなかったため、雨天・荒天時は運休するケースもあった。

脚注[編集]

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注釈[編集]

  1. ^ 土浦駅は特急が利用できた。
  2. ^ 万博中央駅同様、開催期間限定で常磐自動車道下り線に仮設出口が設けられた。
  3. ^ 国鉄のダイヤ改正が同日であったため開幕3日前に先行開業。
  4. ^ 大宮発着列車は武蔵野線経由で運転。
  5. ^ 常磐・東北線の昼行電車急行はこの改正で全廃。
  6. ^ 大宮発着の23号・28号。
  7. ^ 国鉄分割民営化後、西日本旅客鉄道(JR西日本)はこの事例を参考に「エキスポトレインわしゅう」・「ナインドリーム甲子園」を運転し、九州旅客鉄道(JR九州)もこのような列車を運転していたことがある。
  8. ^ このバスが、日本の公道を走ることは初めてのことで[2]、日本の車両制限の長さを70cmオーバーしていたが特別に認められた[6]
  9. ^ しかし代表者が不祥事で逮捕されたため、現在の所在は不明である。
  10. ^ スポンサーは富士フイルム

出典[編集]

  1. ^ a b c d e f 「鉄道道路交通案内 会場周辺交通規制図」『いはらき茨城新聞社、1985年3月16日付日刊、37面。
  2. ^ a b c d e f g h i j 「“国鉄パビリオン”万博中央駅」『いはらき茨城新聞社、1985年3月8日付日刊、10-11面。
  3. ^ 「万博中央駅オープン - 鉄道観客輸送のかなめ」『いはらき』茨城新聞社、1985年3月9日付日刊、1面。
  4. ^ 32年間眠りつづけたコスモ星丸を発掘した(デイリーポータルZ)
  5. ^ 牛久駅改札口付近1983年(牛久市民提供写真) Archived 2007年10月24日, at the Wayback Machine.
    1983年時点で日中の普通列車は毎時1 - 2本程度
  6. ^ a b いばらき建設技術研究会;立原信永、2002、「茨城の道路づくり (PDF) 」 、『いばらきの建設文化を語る懇談会 -現場における建設技術の継承を目指して-』、公益社団法人土木学会関東支部茨城会 p. 11
  7. ^ オーム社 新電気別冊科学万博ハイテクガイド 1985年3月15日
  8. ^ バスラマ・インターナショナル SPECIAL8 富士重工業のバス事業」(ぽると出版)より。
  9. ^ 下野新聞2010年4月10日付け 18日未明に18メートルの「連節バス」試運転 宇都宮の愛好家 Archived 2010年9月7日, at the Wayback Machine.
  10. ^ 下野新聞2010年4月21日付け 連節バス無難に走行 宇都宮で試運転 Archived 2010年9月7日, at the Wayback Machine.
  11. ^ a b 「HSST - 地表を飛ぶ」いばらき新時代-2-『いはらき茨城新聞社、1985年1月3日付日刊、1面。
  12. ^ a b c d 「ちょっぴり高め?乗り物料金」科学万博 つくば'85『いはらき茨城新聞社、1985年1月31日付日刊、1面。

関連項目[編集]