国鉄105系電車

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国鉄105系電車
呉線の105系。手前2両が新造車、奥2両が改造車。
呉線の105系。手前2両が新造車、奥2両が改造車。
基本情報
運用者 日本国有鉄道
東日本旅客鉄道
西日本旅客鉄道
導入年 1981年 - 1990年
総数 新造60両、改造66両
主要諸元
編成 2両編成
軌間 1,067mm
電気方式 直流1,500V
最高運転速度 100 km/h
設計最高速度 100 km/h
起動加速度 2.0km/h/s
減速度(常用) 3.5 km/h/s
減速度(非常) 5.0 km/h/s
車両定員 座席48・立席88(改造先頭車)
自重 37.2t (クモハ105形 改造車)
42.5t (クモハ105形 新製車)
28.9t(クハ104形)
全長 20,000 mm
全幅 2,832 mm
全高 3,935 mm
車体材質 普通鋼
主電動機出力 110 kW
駆動方式 中空軸平行カルダン駆動方式
歯車比 91:15 (6.07)
制御方式 抵抗制御(永久直列)・弱め界磁
制御装置 CS51形電動カム軸式
制動装置 発電ブレーキ併用電磁直通空気ブレーキ
備考
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105系電車(105けいでんしゃ)は、日本国有鉄道(国鉄)が1981年昭和56年)から製造した直流通勤形電車である。国鉄分割民営化後は東日本旅客鉄道(JR東日本)と西日本旅客鉄道(JR西日本)に承継されたが、JR東日本のものは既に全廃されている。

それまで地方電化線区で使用されてきた旧形電車を代替するもので、小単位編成組成に適したシステムを備える。

登場の経緯~「1M方式」について[編集]

三大都市圏で使用する通勤形電車は、1980年(昭和55年)頃までにごく一部の例外を除き新性能電車への置き換えが完了していた。しかし、それ以外の地方電化ローカル線には依然として戦前から1950年代に製造された吊り掛け駆動方式40系72系などのいわゆる「旧形国電」が数多く残存し、製造後30年以上が経過して車体の老朽化や設備の陳腐化が進んでいた。一部には車体を新性能車と同等のものに更新した「アコモ改善車」と呼ばれる車両も存在したが、走行性能や整備面での新性能車との差が大きく、遠からず車両運用上の支障となることも明白であった。このため、これらの路線の旧形国電については大都市圏の線区に最新式の車両を投入する事で捻出される新性能電車を転用したり、既存系列の新性能車両新製増備で置き換えを進める構想を立てていた。

だが、利用者の少ない時間帯に2両編成の列車を運行している路線では、既存の新性能車両では置き換えにくい事情があった。旧形国電では走行に必要な機器は電動車1両で完結した状態ですべて搭載しており、MT比1対1の2両編成を自在に組むことが可能なシステムを持っていた。これに対して新性能電車は長編成を組む大都市圏での運用を前提に電動車2両で1つの機構として完成するユニット電動車方式(MM´方式)を採用しており、2両編成を組んだ場合は2両とも電動車とならざるを得ない。これはローカル線では過剰性能の上に不経済であり、変電所容量などに問題が出る可能性もあった。

そこで、旧形国電と同様にMT比1対1の2両編成を組むことができるように、電動車1両に走行機器を集約した構造を持つ車両として開発されたのが本系列である。これが「1M方式」であり、後年同様の思想を持って誕生した車両(119系)を含めて「1M国電」や「新性能1M国電」という通称で呼ぶこともある。

設計[編集]

国鉄における1M方式の新性能電車としてはすでにクモユ141形郵便車143系事業用車荷物車での実績があったが、これらは駅間距離の長い線区を113系115系電車と併結して高速走行するのに適した性能を有している。しかし本系列投入線区は駅間距離が短く最高速度も低いため、性能面ではむしろ大都市の通勤電車の主力である103系に相当するものが求められる。

このため新設計にあたっては、経済性を重視しシステムを簡素化すること、新設計品である主制御器・主抵抗器以外は極力標準品を採用すること、将来の投入が予想される線区にも配慮したシステムを採用することに重点がおかれた[1]

台車・機器[編集]

電動車1両で走行可能なシステムを採用し、電動車1両あたり付随車1両を連結する構成で経済性を確保している。運転に必要な機器類はすべて電動車に搭載しているため、1両で入換等にも使用可能である。基本は1M1Tであるが、1M2Tでも旧形電車の1M1Tに相当する性能が発揮できる[1][注釈 1]

台車と主電動機には、当時の国鉄の標準的通勤形電車であった103系と共通のDT33系台車とMT55系主電動機を装備した。1:6.07 (15:91)の歯車比発電ブレーキ付、応荷重装置空転検知装置付である点も103系と同様である[1]

主回路については、簡素化と小型化のためMT55形4台で永久直列回路を組み[注釈 2]直並列組合わせ制御は行わない[注釈 3]主制御器は新たに開発された1M方式用のCS51形で、103系程には高加速性能を要さないものと割り切って制御段数もより少なく設計されている[注釈 4]。また単一ユニット走行時の冗長性確保の観点から、電動発電機 (MG) 停止時も最寄り駅まで走行可能なように制御に必要な電源は常にバッテリーから供給している[1]。主電動機を台車単位で開放可能とし、非常時には2個モーターでの走行も可能である[1]。変電所容量の小さい線区を走行する際は、運転台の切り替えスイッチで限流値を低く設定できるようになっている[1]

MR147形主抵抗器は、電動送風機を廃した自然冷却方式が特徴である。

MGについては、103系冷房改造時の発生品であるMH97-DM61A(容量:20kVA)を流用している。空気圧縮機 (CP) については国鉄型電車の汎用品であるMH80A-C1000形を採用している。

グループ構成[編集]

本系列には、大別して2つのグループが存在する。

  1. 105系として新規製造された3扉車
  2. 103系から改造編入された4扉車

新規製造車[編集]

105系 新造車
クモハ105形0番台(2006年3月26日 宇部新川駅)
クモハ105形0番台
(2006年3月26日 宇部新川駅)
基本情報
運用者 日本国有鉄道
西日本旅客鉄道
製造所 東急車輛製造
近畿車輛
日立製作所
製造年 1981年
製造数 60両
運用範囲 福塩線宇部線小野田線ほか
主要諸元
保安装置 ATS-SW
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クモハ105-7 福山駅
クハ104-6 福山駅

1981年初頭に福塩線および宇部線小野田線の旧形電車の置き換え用に製造されたグループである。車体の基本構造は103系と同じで、先頭車の前頭部は踏切事故を考慮した強化型で運用の都合から貫通型となり、窓周りに201系と同様の黒色ジンカート処理を施している[注釈 5]。側面は両開きの客用扉を片側3か所とし、戸閉め装置は自動・半自動両用である。無人駅での車掌業務に配慮し、417系同様に[1]扉の開閉は編成中のどの運転台からでも操作が可能である。車端部側窓上部に電動行先表示器を備えるが、連結した際に隣り合うのを防ぐため点対称の配置で取り付けられている[1]。内装のカラースキームは201系に準じたものとされた。座席はすべてロングシートであるが、長時間の乗車に配慮して座面の奥行きを深く、また高さを下げたものとしている。ローカル線での運用が主となるため冷房装置は搭載されなかった[2]。また将来、同系列を他の線区に投入する際は、抑速ブレーキや耐寒耐雪設備を容易に追加・変更できる構造となっている[2][注釈 6]

形式[編集]

当初の計画どおりに制御電動車クモハ105形と制御車クハ104形を連結した2両編成を標準としたが、4両編成での運転がある福塩線には運転台設置のコストを省いた中間電動車モハ105形と付随車サハ105形も用意され、クモハ-サハ-モハ-クハの4両編成が4本落成した。

クモハ105形0番台
新造された制御電動車。主電動機、主制御器、主抵抗器パンタグラフ、MG、CPなど運転に必要な機器をすべて搭載する。
モハ105形0番台
新造された中間電動車。クモハ105形0番台から運転台を廃した構造を持っていたが、すでに形式消滅している。
クハ104形0番台
新造された制御車
サハ105形
新造された付随車。クハ104形0番台から運転台を廃した構造を持っていたが、すでに形式消滅している。

クモハ105形27両・モハ105形4両・クハ104形25両・サハ105形4両の計60両が製造され、福塩線用として府中電車区(後の府中鉄道部)に24両、宇部・小野田線用として宇部電車区(後の宇部新川鉄道部)に36両が配置された。

しかし、運用の合理化のために福塩線のモハ・サハ105形は1984年(昭和59年)と1985年(昭和60年)に新造車と同一の運転台を取り付ける改造が実施され、それぞれクモハ105形とクハ104形に編入された。新造車とは乗務員室側扉直後の窓配置が異なる。番号は新造車の続番で、新旧対照は次の通り。

  • モハ105-1 - 4 → クモハ105-28 - 31
  • サハ105-1 - 4 → クハ104-26 - 29

また、1984年には可部線の72系置き換え用としてクモハ105形2両とクハ104形5両が両区から広島運転所に移動している。

現在の陣容は、クモハ105形31両とクハ104形27両の計58両である。クモハ105形の中には編成を組まず、単独で増結用とされている車両も存在している。

改造編入車[編集]

西日本地区向け[編集]

105系 改造車(西日本向け)
桜井・和歌山線用の集中式冷房搭載編成。(2006年8月27日 和歌山駅)
桜井・和歌山線用の集中式冷房搭載編成。
(2006年8月27日 和歌山駅)
基本情報
運用者 日本国有鉄道
西日本旅客鉄道
種車 103系1000番台、0番台
改造所 日本国有鉄道長野工場
日本国有鉄道名古屋工場
日本国有鉄道吹田工場
日本国有鉄道幡生工場
改造年 1984年、1990年
改造数 61両 + 補充車1両
運用範囲 桜井線和歌山線ほか
主要諸元
保安装置 ATS-SW
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桜井線・和歌山線用のクハ105形0番台
(2008年3月6日 和歌山駅)
クハ105形100番台
(2003年8月25日 横川駅)
桜井線・和歌山線用のクハ104形500番台
(1984年 淀川電車区)
改造車グループ唯一の分散式冷房搭載車であるクハ104-551
(2003年9月21日 和歌山駅)
クハ104-601
(2005年6月19日 広駅)

1984年の奈良線和歌山線五条駅 - 和歌山駅間・紀勢本線和歌山駅 - 和歌山市駅間(奈良電車区配属)の電化開業用および可部線(広島運転所配属)の旧形電車置き換え用のグループである。

当時、折からの国鉄改革により設備投資が抑制されていたことからローカル線区向け車両の新造ができず、203系の投入で常磐緩行線から捻出された103系(1000番台、一部0番台も)と阪和線で余剰になっていたサハ103-66を活用して奈良・和歌山線用に48両、可部線用に13両の計61両が改造され、前者は奈良電車区[注釈 7]に、後者は広島運転所に配置された。改造工事は長野名古屋吹田幡生の各工場にて施工された。

改造種車が103系であることから新規製造車グループとは異なる片側4扉の車体となっているが、制御機器は同様のものを新調しており、台車や主電動機も元々同型であるため、両グループの性能は同一で相互の併結・混結も可能であるが、客用扉の自動・半自動の切換えについては、種車である103系のドアエンジンの構造上対応が困難なため、奈良電車区配置車両は通年自動扱い、広島運転所配置車両は通年半自動扱いとされた[2][注釈 8]。ただし、広島の車両については、新規製造車グループと併結した場合に相手方の自動・半自動の切換えが行えるよう、運転台に切換えスイッチを設けているのが特徴である[3]

側面行先表示器は、種車の103系が未装備のため装備していない。MGは、種車(モハ102形1000番台)が10kVAのものを装備しているため、奈良電車区に投入したクモハ105形にはこれを流用したが、需給上不足が生じることから、広島地区に投入するクモハ105形については新規製造車グループ同様の20kVAのものを装備した。応荷重装置も実用上問題ないため種車のものを流用している。奈良・和歌山線向けの改造車には自動解結装置と電気連結器を設けた。

形式[編集]
クモハ105形500番台(501-532:32両)
モハ103形・102形1000番台から改造された制御電動車。新造車に準じた運転台(ただし、前面窓下の手すりの位置が若干高い)が取り付けられた。搭載機器は両車で揃えられ、モハ102形を種車とする車両はパンタグラフも追加設置された。奈良電車区に501-524が、広島運転所に525-532が配置された。番号の新旧対照は次の通り。
  • モハ103-1031・1012・1051・1027・1063・1007・1020・1011・1023・1024・1050・1043・1054・1019・1014・1015・1062・1042・1006・モハ102-1050・1043・1054・1014・1042・モハ103-1035・1059・モハ102-1035・1059・1062・1006・1015・1019 → クモハ105-501 - 532
クハ105形0番台(1-14:14両)
クハ103形1000番台から改造された制御車。運転台は種車のものがそのまま利用されているが、種車では非常用であった貫通路が常時使用される前提となるため前面に幌枠を、運転室内に貫通時締め切り用の仕切りが新設されている。常磐緩行線時代のATCは撤去された。改造前に奇数向きの車両は方向転換され、全車両が偶数向きに統一されている。改造後は奈良区に配置された[注釈 9]が、一部は広島運転所に転出した。番号の新旧対照は次の通り。
  • クハ103-1016・1015・1024・1018・1017・1012・1032・1029・1031・1013・1014・1023・1021・1030 → クハ105-1 - 14
クハ105形100番台(101-104:4両)
クハ103形0番台から改造された制御車。種車が地上用で貫通路を持たなかったため、前面は非貫通である。前面下半分を補強の上、改造前に奇数向きの車両は方向転換され、全車が偶数向きに統一されている。全車が広島運転所に配置されていたが、和歌山から転属したクハ105形0番台に置き換えられて消滅した。番号の新旧対照は次の通り。
  • クハ103-73・11・12・25 → クハ105-101 - 104
クハ104形500番台(501-510:10両)
モハ102形1000番台から改造された制御車。電装解除され、これに伴い台車をDT33形動力台車から101系発生品のDT21T形付随台車に交換されている。運転台は新造車に準じたものが取り付けられた。側面の主電動機と電動発電機用冷却風取り入れ口は一部を除き従前のまま残されている。全車奈良電車区に配置。番号の新旧対照は次の通り。
  • モハ102-1031・1012・1051・1027・1063・1007・1020・1011・1023・1024 → クハ104-501 - 510
クハ104形550番台(551:1両)
1990年にモハ102形0番台から改造された制御車。1989年11月、上記のクハ105形0番台のうちクハ105-7が桜井線を走行中、ダンプカーとの踏切事故によって右側面を大きく損傷したため1990年に廃車となった。それに伴い、代替として明石電車区所属のモハ102-385を電装解除の上先頭車化改造したもの。運転台部分は先のクハ105-7のものを切り継いだため、元0番台ながらクハ103形1000番台独特の前面を有する。改造時にWAU102形分散式冷房装置と冷房用MGが取り付けられた。奈良電車区に配置。番号の新旧対照は次の通り。
  • モハ102-385 → クハ104-551
クハ104形600番台(601:1両)
サハ103形0番台から改造された制御車。新造車に準じた運転台が取り付けられた。広島運転所に配置。番号の新旧対照は次の通り。
  • サハ103-66 → クハ104-601

クハ105形100番台以外は運転台直後の戸袋窓がない。クハ105形0番台は103系時代にATCの機器室とされていたため、その他は運転台ユニットとの接合場所となったためである。

東日本地区向け[編集]

105系 改造車(東日本向け)
仙石線用のクハ105形100番台(1990年1月13日 陸前原ノ町駅)
仙石線用のクハ105形100番台
(1990年1月13日 陸前原ノ町駅)
基本情報
運用者 日本国有鉄道
東日本旅客鉄道
種車 103系0番台
改造所 日本国有鉄道郡山工場
改造年 1987年
改造数 4両
廃車 1998年
運用範囲 仙石線
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1987年(昭和62年)には、仙石線石巻近郊の区間列車用に郡山工場で2両編成2本4両が追加改造されている[4]仙台車両センター宮城野派出所#過去の配置車両も参照。

こちらは103系0番台の4両編成1本が種車とされ、中間の2両を先頭車に改造する形で登場した[4]。制御電動車と制御車の向きは統一されている[4]。追加された運転台の機器の一部は同時期に廃車になった101系のものが再用された[4]。また、当時103系が水色塗装だったのに対し、本系列では白地ベースに赤と青の太帯塗装であった[4]

形式[編集]
クモハ105形100番台(101:1両)
クモハ103形0番台から改造された制御電動車[4]。種車が地上用で貫通路を持たなかったため、前面は非貫通である。番号の新旧対照は次の通り。
  • クモハ103-149 → クモハ105-101[4]
クモハ105形600番台(601:1両)
モハ102形0番台から改造された制御電動車[4]。クモハ103形0番台に準じた運転台とパンタグラフ、およびクモハ105形100番台と同一の機器が搭載された。番号の新旧対照は次の通り。
  • モハ102-315 → クモハ105-601[4]
クハ105形100番台(105:1両)
クハ103形500番台から改造された制御車[4]。これも種車が地上用で貫通路を持たなかったため、前面は非貫通である。これらの種車は冷房改造車であるが、105系化に伴い電動車から冷房用MGが無くなるため、代替に冷房用MGが搭載された。西日本地区の既存のクハ105形100番台の続番とされている。なお、種車は仙石線がタブレットを使用している時代に転入した車両のため、乗務員室直後の戸袋窓が閉鎖されていて、105系化改造時もそのままだったが、その後の入場時に整備され、戸袋窓がある状態にて営業入りした。番号の新旧対照は次の通り。
  • クハ103-599 → クハ105-105[4]
クハ105形600番台(601・1両)
サハ103形0番台から改造された制御車[4]。方向転換の上でクハ103形500番台に準じた運転台が取り付けられた。こちらも冷房用MGが搭載されている。番号の新旧対照は次の通り。
  • サハ103-240 → クハ105-601[4]

国鉄分割民営化後の動向[編集]

JR東日本[編集]

塗色変更後の仙石線車

民営化時には仙石線向け4両をそのまま引き継ぎ、引き続き同線で使用していたが、1990年(平成2年)に103系と同じスカイブルーに塗り替えられた。当初はスカイブルー1色であったが、103系との識別のため、2か月ほどで前面に2本の白帯が追加された。1998年平成10年)に浦和電車区から転属した103系更新車2編成に置き換えられて運用を離脱し、廃車となった。除籍後は、600番台が横須賀線久里浜駅構内にある横浜支社訓練センターで、100番台が武蔵野線新秋津駅構内にある八王子支社訓練センターで乗務員訓練用(車籍のない機械扱い)として用いられており、塗装もオリジナルのものに変更された。しかし600番台については2008年(平成20年)6月に209系を改造した新しい訓練車に置き換えられ、また100番台も同年10月に置き換えられた。その後600番台については傷みが酷いためそのまま訓練センター内で解体され、100番台はEF64形電気機関車に牽引され長野総合車両センターへ配給輸送され、解体された[5]

JR西日本[編集]

民営化時には仙石線用を除く121両全車が承継された。上記の事故で1両が廃車となったものの、代替車が用意されたので、2005年(平成17年)10月頃に103系改造車の老朽廃車が発生(後述)するまでは121両のまま推移していた。

2016年10月1日時点では96両が以下の4区所に配置されている[6]

和歌山線・紀勢線・桜井線で運行される車両は、先述の通りかつては奈良電車区に所属していたが、その後新和歌山車両センター(当時)に転出し、現在、奈良線では使用されていない。

製造コストを抑える目的から冷房装置は搭載されていなかったが、国鉄時代の1985年(昭和60年)から集中式AU75系列による冷房改造が始まった。新造車については113系などに似た天井になり、扇風機はなくなったが、改造編入車の天井は103系と同様の形態になっており、扇風機は残存している。しかし、AU75系列での冷房化改造には車体補強などの改造が必要である等、コストのかかるものであった。そこで、1988年(昭和63年)からは架線の直流1,500Vを直接電源とする床置形のWAU202形簡易冷房機をクモハの室内車端部に設置する方式の改造に変更され、1992年(平成4年)には全車が冷房車となった。

1989年(平成元年)からはワンマン運転対応への改造が実施されており、ほとんどの車両で施工済みである。新在家派出所所属の車両は全車が本系列への編入改造時に電気連結器も装備されている。

新造車グループには延命リニューアル(正式名称:体質改善30N)工事が施工された。内容は、側窓の交換(113系リニューアル車と同等の上段下降・下段固定の黒サッシ)、窓枠の交換(113系と同様の銀色枠)、雨樋の張上化、内装化粧板の張り替え、腐食しやすい箇所のステンレス化などで、同時にクハ104形にトイレが設置された。紀勢本線用については車椅子対応となり、車椅子スペースも設置されたが、岡山広島支社管内配置の車両は改造車グループと同じユニットを使用したため、車椅子対応ではなく客用ドアとトイレの間に空きスペースがある他、トイレ前の座席も存置されている。この差異は、紀勢本線用のトイレ設置に際しては沿線地方自治体の補助があったのに対し、山陽地区用はJR西日本独自の工事だったことから起きた。この新造車グループに対するリニューアル工事は全車両が完了した。

冷却性能が悪く、しばしば故障するなど信頼性に乏しいWAU202形を搭載した車両は、リニューアルと同時に103系などの廃車発生品である分散式WAU102形3基に交換された。WAU102形も冷却性能はAU75系列などには劣るものの、WAU202形よりは向上している。また、103系からの改造編入車ではクハ104-551のみがWAU102形を搭載している。

改造車グループでは103系延命NB工事に準じた延命工事が行われたが、ごく一部に施工されたのみで終了した。103系では現存するほぼ全車が腐食防止のために戸袋窓を埋め込んでいるが、これも本系列ではごく少数にとどまっている。現在はクハ車へのトイレの設置が進んでいるが、スペースの関係(ドアが新造車よりも外側に設置されているため)で車椅子対応ではない。

2004年(平成16年)に快速マリンライナー」で運用されていた213系が岡山エリアの普通列車運用に転用されたのに伴い、岡山電車区所属車両に余剰が発生し、0番台の一部がリニューアル施工とトイレ設置の上、新和歌山車両センター(現:吹田総合車両所日根野支所新在家派出所)へ転出し、塗装も和歌山支社色であるオーシャングリーンにラベンダー帯に変更された。

ラッピング列車「旅万葉」
(2010年1月)

2004年の台風16号によって岡山区F8編成が宇野線宇野駅構内留置中に高潮により水没し、一緒に留置中だった岡山区の115系D18編成とともに使用不能となり、長期間下関地域鉄道部下関車両センター(現:下関総合車両所)で修理工事が行われていた。その後営業運転に復帰したが、その時期は115系D18編成より遅れた。

2005年10月より、広島運転所(現:下関総合車両所広島支所)所属103系0番台改造車の制御車であるクハ105形100番台は元和歌山所属の105系(上記リニューアル車の転入で余剰となった車両。こちらも103系からの改造だが経年が浅い)制御車への置き換えが進行し、2007年2月8日に最後まで残っていたクハ105-102がクハ105-11に差し替えられたことで完了した。次いで103系1000番台からの改造編入車(4扉車)で状態の悪い車両も廃車が進行している。

2009年11月29日から「奈良旅万葉ラッピング列車」の第一編成「旅万葉」が運行を開始した(桜井線#奈良旅万葉ラッピング列車の運転を参照)。また、同年12月6日からコンテスト優秀作品の「万葉の四季」が運行を開始した。これらは車内もラッピングされており、座席モケットも茶系のものに交換されている。

なお、2016年3月26日ダイヤ改正により広島地区の車両は3扉車に統一された[7]ため、広島支所所属の103系1000番台からの改造編入車(4扉車)は、3月25日をもって運用から外れ、4月15日付で廃車された。下関総合車両所運用検修センターの4扉車については、長らくクモハのみが増結用として2両在籍していたが、広島支所による227系増備により余剰になった3扉車に置き換えられ、同年6月16日付で廃車された。

塗装[編集]

BYR color wheel.svg この節ではを扱っています。閲覧環境によっては、色が適切に表示されていない場合があります。
瀬戸内地区地域統一色
(2011年1月9日 福山駅)
ラッピング列車「万葉の四季彩」
(2010年8月11日)
和歌山地区の青緑色車
(2010年8月11日)

車両総数に比して塗装のバリエーションが非常に多いのが本系列の特徴である。なお、名称は便宜上付けたものである。

現在見られる塗装[編集]

  • 瀬戸内地区地域統一色
    • JR西日本が2009年度から行っている地域に合わせた統一塗装で、瀬戸内地方の豊かな海に反射する陽光をイメージして、濃黄色の塗装が施されている[8][9]。2010年以降、以下の塗色は濃黄色一色に塗り替えられる予定。
  • 福塩色
    • 山吹色(黄5号)に紺(青20号)の帯が窓下に1本入る。福塩線の車両に塗られる。


  • 和歌山地区地域統一色
    • JR西日本が2009年度から行っている地域に合わせた統一塗装で、太平洋の鮮やかさをイメージして、青緑色の塗装が施されている。2010年には吹田工場に入場していた103系改造車のP4編成が青緑色の単色塗装に変更され、同年5月22日に出場した[8][10]。以降順次塗り替えられ、2016年3月1日に完了した[11]。なお、一部の編成は「奈良旅万葉ラッピング列車」となっている[12]

過去に見られた塗装[編集]

訓練車色A
(2006年10月26日 久里浜駅付近)
訓練車色B
(2008年8月7日 八王子支社総合訓練センター)
  • 旧広島色
    • 朱1色(朱色1号)。広島鉄道管理局管内配置の車両に塗装されたが、JR移行時に新広島色に変更されて消滅している。
  • 新広島色
    • 白地にJR西日本のコーポレートカラーである「青」と広島県木であるもみじと山口県木であるアカマツをイメージした「赤」の帯が各1本ずつ入る[13]。のちに台車や床下機器はグレー塗装とされている。

現在は瀬戸内地域統一色に変更され消滅。

  • 旧仙石色
    • 白に赤と紺のストライプ。1995年にスカイブルー単一塗装を経て新仙石色に変更され、消滅。
  • 新仙石色
    • 同線のスカイブルー(青22号)1色の103系が消滅するのと入れ替わるようにして登場。旧仙石線色から103系と同じスカイブルーの単一塗装に変更されたが、103系との識別のため、2か月ほどで細い白線2本が前面の窓下に追加された。
  • 旧和歌山色
    • 肌色(クリーム1号)に朱(朱色3号)の帯が窓下に1本入る。和歌山地区で運用される103系からの改造車などに見られた。和歌山地区地域統一色などに変更。
  • 新和歌山色
    • オーシャングリーンにラベンダーの帯が窓下に1本入る。2010年時点では新造車のみがこの塗装であった。和歌山地区地域統一色に変更。吹田総合車両所日根野支所に配置されている117系4両編成や113系2両編成の一部はこの塗装が残っている。
  • 訓練車色a
    • 横須賀線久里浜駅構内にある横浜支社訓練センターで使用された訓練車の独自塗装。白色・青色・水色にアクセントとして黄色を入れている。255系の塗装に類似していた。
  • 訓練車色b
    • 白を基調にオレンジの帯が窓下に1本入り、アクセントとして黄色と灰色が入れられる。こちらは八王子支社訓練センター(武蔵野線新秋津駅付近)で使用されていた。


注釈[編集]

  1. ^ 登場以来これまでの間、営業運転においてそのような編成が組成されたことはない。
  2. ^ MT55は、元々架線電圧が1,500Vの路線で2両分8個単位で用いられる端子電圧375 Vの主電動機である。
  3. ^ 105系は定格速度が低いため、直並列制御を行う143系より起動時の抵抗ロスは少ないとされている。
  4. ^ 主幹制御器との対応は、2ノッチ=抵抗制御最終段、3ノッチ=弱界磁2段目まで、4ノッチ=弱界磁4段となる。
  5. ^ このデザインモチーフは鉄道愛好者から「パンダ」と呼ばれ、後述の改造先頭車の他、後続のローカル線用車両である119系筑肥線用の103系1500番台にも踏襲された。
  6. ^ この設計方針に基づいて、投入する線区に応じて抑速ブレーキや耐寒構造が実装された系列が119系である。
  7. ^ 奈良電車区配置車のうちクモハ105-516とクハ105-1は改造後同年5月 - 9月に広島運転所が借入れて旧和歌山色のまま可部線で使用されている。
  8. ^ 広島運転所の車両は、後年になり半自動・自動の切換えが行われるようになった車両もあった。ただし、切換はワンタッチではなく、毎回ドアエンジンの小改造が必要(毎年冬季の前後に実施)で、2007年頃から改造作業が取り止めとなったため現在半自動扱いはない。
  9. ^ 1は、改造直後に短期間広島運転所に貸し出され、可部線で使用されていた。

出典[編集]

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  1. ^ a b c d e f g h 石津一正「105系通勤形直流電車の概要」、『鉄道ピクトリアル』、電気車研究会、1981年4月、 pp41-45。
  2. ^ a b c 鉄道ファン 1982年12月号』 - 交友社
  3. ^ 『鉄道ピクトリアル 1984年10月号』 電気車研究会 野元浩「103系の105系化工事」
  4. ^ a b c d e f g h i j k l m 鉄道ジャーナル』第21巻第7号、鉄道ジャーナル社、1987年6月、 108頁。
  5. ^ 横浜総合訓練センターにも新訓練車登場。 - 鉄道ホビダス・編集長敬白)
  6. ^ ジェー・アール・アール編『JR電車編成表』2017冬 ジェー・アール・アール、交通新聞社、2016年。ISBN 9784330737164
  7. ^ “平成28年ダイヤ改正についてのプレスリリース(2015年12月18日、広島支社)” (PDF) (プレスリリース), JR西日本, (2015年12月18日), https://www.westjr.co.jp/press/article/items/151218_06_hiroshima.pdf 2016年1月17日閲覧。 
  8. ^ a b ローカル線“一色二鳥”ご当地カラー JR西、塗装の経費削減 - イザ!(産経新聞) 2010年1月8日
  9. ^ 岡山電車区105系F2編成が黄色塗装に - 『鉄道ファン』 交友社 railf.jp鉄道ニュース 2010年3月28日
  10. ^ 105系P4編成が青緑色に - 『鉄道ファン』交友社 railf.jp鉄道ニュース 2010年5月23日
  11. ^ ジェー・アール・アール編『JR電車編成表』2016夏 ジェー・アール・アール、交通新聞社、2016年、p.167。ISBN 9784330682167
  12. ^ 105系ラッピング編成が試運転 - 『鉄道ファン』交友社 railf.jp鉄道ニュース 2012年6月28日
  13. ^ 『鉄道ファン』通巻337号、1989年5月、交友社、p.55

参考文献[編集]

  • 日向旭「105系・119系電車の概要」 『鉄道ピクトリアル』2012年4月号、2012年、pp.41 - 75、電気車研究会

関連項目[編集]


外部リンク[編集]