カネミ油症事件

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カネミ油症事件(カネミゆしょうじけん)とは、1968年に、ポリ塩化ビフェニル(PCB)などが混入した食用油を摂取した人々に障害等が発生した、主として福岡県長崎県を中心とした西日本一帯の食中毒事件。油を摂取した患者からは、皮膚に色素が沈着した状態の赤ちゃん(いわゆる「黒い赤ちゃん」)が生まれた。胎盤を通してだけでなく、母乳を通じて新生児の皮膚が黒くなったケースもあった。この「黒い赤ちゃん」は社会に衝撃を与え、事件の象徴となった。学界でも国際会議で「YUSHO」と呼称され、世界的な関心を集めた[1]。「国内最大級の食品公害」と表現されることもある[2]

概要[編集]

福岡県北九州市小倉北区(事件発生当時は小倉区)にあるカネミ倉庫株式会社で作られた食用油(こめ油・米糠油[3]「カネミライスオイル」の製造過程で、脱臭のために熱媒体として使用されていたPCB(ポリ塩化ビフェニル)が、配管作業ミスで配管部から漏れて混入し、これが加熱されてダイオキシン変化した。このダイオキシンを油を通して摂取した人々に、顔面などへの色素沈着や塩素挫瘡(クロルアクネ)などの異常、頭痛、手足のしびれ、肝機能障害などを引き起こした。

原因の究明まで[編集]

患者発生の直前の1968年(昭和43年)春、カネミ倉庫製の「ダーク油」を添加した配合飼料を与えられた40万羽が変死[4]、同年3月頃から西日本一帯で、ニキビ状の吹出物が体中に出来る奇妙な皮膚炎にかかる人が続出。

  • 1954年(昭和29年)4月 : 鐘淵化学工業高砂工場でカネクロールPCB)を製造開始する[5]
  • 1961年(昭和36年)4月29日 : 小倉市カネミ倉庫が、三和油脂より脱臭装置を導入し、米ぬか精製装置を導入して米ぬか精製油の製造を開始する[5]。かねみ倉庫が鐘淵化学工業の勧めによりPCBを熱媒体利用を始める。
  • 1963年(昭和38年) : この頃から北九州・飯塚市等各地で患者に症状が出始める[5]
  • 1968年(昭和43年)
    • 1月31日 : カネミ倉庫製油工場で6号脱臭缶(旧2号脱臭缶)試運転開始した[5]
    • 2月中旬 : 西日本各地で鶏の大量死や産卵の急激な低下など多発した[5]
    • 2月下旬 : 福岡県農政部、県下家畜保健衛生所2社(東急エビス産業、林兼産業)製の飼料のうちカネミ倉庫製ダーク油を使用した銘柄の給与中止を命令する[5]
    • 3月18日 : 農林省(現・農林水産省)福岡肥飼料検査所が九州・山口の各県に特定飼料の使用停止と回収を指示する[5]
    • 3月22日 : 福岡肥飼料検査所飼料課長の矢幅雄二らが、カネミ倉庫本社工場で実態調査を実施する[5]
    • 6月7日 : 九州大学病院皮膚科で、3歳の女児が痤瘡(にきび)様皮疹と診断され、8月には女児の家族全員が同様の症状となって受診した。
    • 6月14日 : 農林省家畜衛生試験場が福岡肥飼料検査所に病性鑑定回答書を提出し「油脂そのものの変質による中毒と考察される」と記載する[5]
    • 8月15日 : 九州大学の五島応安講師は患者に「ライスオイルが共通」と説明する[5]
    • 8月19日 : 厚生省予防衛生研究所(現・国立感染症研究所)の俣野景紀典が、農水省流通飼料課にダーク油の提供依頼を拒否され、厚生省食品衛生課長補佐の杉山太幹に精製油の注意を促す[5]
    • 9月7日 : 第26回日本皮膚科学会大分地方会で九州大学の都外川幸雄らが報告する[5]
    • 10月3日 : 患者の一人が「奇病が集団発生している」と福岡県大牟田保健所に訴え、使用中のカネミライスオイルを提出、分析を依頼する。
    • 10月10日 : 朝日新聞が同日の夕刊で報道。
    • 10月11日 : 福岡県衛生部は九州大学病院に職員を派遣し、調査を開始。北九州市衛生局は同日にカネミ倉庫に立ち入り調査を実施し、サンプルを採取して九大に分析を依頼した[6]
    • 10月15日 : 厚生省が大阪以西の各府県に米ぬか油販売停止と患者の報告を指示する[5]
    • 10月18日 : 九州大学が医学部に油症外来を開設して集団検診を始める[6]
    • 10月19日 : 九州大学油症研究班が、油症の診断基準を決定し発表する[5]
    • 10月24日 : 北九州市で油症の母親が黒褐色の赤ちゃんを死産する[5]
    • 10月27日 : 国立衛生研究所がカネミライスオイルから多量の塩素を検出する[5]
    • 11月4日 : 油症研究班が、カネミ油に含まれた有機塩素化合物ガスクロマトグラフのパターンが、鐘淵化学(現・株式会社カネカ)のPCB製品・カネクロール400のパターンと一致することを証明した[6]
1969年(昭和44年) 長崎県発行 油症関連資料
  • 1969年(昭和44年)
    • 3月20日 : 長崎県が「油症関係資料」を取りまとめ、油症の総括及び、五島玉之浦町地区や五島奈留島地区の被害者を状況を記録した[7]
    • 医学専門誌『福岡医学雑誌』60巻5号には、患者から生まれた死産女子の解剖結果が報告されている。そこでは、副腎皮質が奇形であったことが示唆され、性器の肥大・突出があったことも書かれている[要出典]
    • 5月31日:北九州市がカネミ倉庫の営業を再開させる。
    • 6月 : 北九州市が厚生省に「回収油の精製後の販売先及び数量」等を報告した[8]
    • 11月 : カネミ倉庫が北九州市小倉保健所に、食品衛生法第4条該当により廃棄を命じたカネミ油(廃棄分)503ドラムを販売したことを報告した[9]
  • 1971年(昭和46年) : 専門誌『産科と婦人科』8月号に、患者の性機能に関する報告が掲載された。経血が茶褐色に汚くなったことや性ステロイドの減少が見られることを踏まえ、「PCB中毒はあらゆる意味で女性性機能を障害すると考えざるを得ない」とまとめている。
  • 1972年(昭和47年) : 『福岡医学雑誌』63巻10号には、「PCBは単独では女性ホルモン様作用を発揮しないが、estradiolと共存すればその作用を増強する」と報告されている[10]
  • 1972年(昭和47年):通産省の行政指導によりPCBの製造中止及び回収を
  • 1972年(昭和47年)9月23日:紙野トシエ、[[紙野柳蔵]]ら無期限で座り込みに入る。
  • 1975年(昭和50年) : 九州大学助教授の長山淳哉[11]らの研究により、ダイオキシン類のポリ塩化ジベンゾフラン (PCDF) が事件に関係していることが判明した。
  • 1978年12月1日(昭和53年):兵庫県高砂市の鐘淵化学工業の排水路である大木曽水路のPCB汚泥処理工事に着工する。
  • 1979年(昭和54年):台湾で米ぬか油による中毒が発生し患者千人以上と発表される(台湾油症)。
  • 1987年(昭和62年) : カネミ倉庫が、300リットルの油を引き取ったことを北九州市衛生局長に報告した[12]
  • 1988年6月16日(昭和63年):油症研究班総会でPCDF(ダイオキシン類の一種であるポリ塩化ジベンゾフラン)が油症の主原因と報告される。
  • 2002年平成14年) : 当時の厚生労働大臣だった坂口力が、厚生官僚の反対を押し切り、「カネミ油症の原因物質はPCBよりもPCDFの可能性が強い」と認めた。発症の原因物質はPCDF及びCo-PCBであると確実視されており、発症因子としての役割は前者が85%、後者が15%とされている。

被害認定[編集]

日本全国でおよそ1万4,000人が被害を訴えたが、認定患者数は2006年末時点で1,906人と少ない。うち、相当数が既に死亡している。家族が同じ物を食べて被害にあったにも拘らず、家族のうち1人だけが被害者に認定されるケースもあるなど、認定の基準が被害者には曖昧なものであった。

2004年9月29日、厚生労働省の所管組織である国の「油症治療研究班(九州大学医学部を中心とする研究グループ)」は、新たに血液中のダイオキシン濃度を検査項目に加えた新認定基準を発表した。また、自然界では、ダイオキシンに曝露したことの影響と見られる生殖器官の異常など動物の奇形も見られるが、直接の被害者が男性の場合、精子など遺伝子へのダイオキシン類による被害があっても、親から子へと胎内を通じて直接、子孫に影響があると考えられる女性と違い、血中のダイオキシン濃度測定だけでは、世代を超えた影響は関知しえないという問題もある。

裁判[編集]

民事[編集]

・1970年、被害者らは食用油を製造したカネミ倉庫・PCBを製造した鐘淵化学工業(カネカ)・国の3者を相手取って賠償請求訴訟を起こした。

・1977年10月5日:福岡民事第一審判決で、原告がカネミ倉庫、鐘淵化学工業(カネカ)にほぼ全面勝訴する。

二審では被害者側が国に勝訴し、約830人が仮払いの賠償金約27億円を受け取ったが、最高裁では逆転敗訴の可能性が強まったため、被害者側は訴えを取り下げた。この結果、被害者らには先に受け取った仮払いの賠償金の返還義務が生じることになったが、既に生活費として使ってしまっていたケースも多く、返還に窮した被害者の中からは自殺者も出るに至った。なお、カネカは仮払い金の返還を請求する権利を有していたが、被害者らがカネカに責任がないことを認める代償として、仮払い金の返還請求権を行使しないという内容で和解に至った。

提訴は、関係者の思惑から全国統一訴訟団と油症福岡訴訟団に分かれて提起された。全国統一訴訟は国を相手にしていたが、福岡訴訟団は時間節約を目的として国を外し、カネカとカネミ倉庫を相手とした。和解終結後の認定患者に対しては、カネミ倉庫は訴訟患者の和解条件と同様の取り扱いをしているが、医療費自己負担分の支払い、一律23万円の一時金、死亡時3万円の葬祭料の支払い。鐘淵化学工業(カネカ)は新規認定患者約80人に対しては和解金300万円を支払っていない。理由として訴訟時に原告であった人だけを対象としてカネカに責任は無いとする条件で和解した為、その後の認定患者への責任は無いとしている。

2008年5月、「カネミ油症新認定訴訟」を福岡地裁小倉支部に提出するが、カネミ倉庫(株)の製造・販売した過失を認め、原告らがカネミ汚染油を摂取した為にカネミ油症に罹患したと認めながら、「除斥期間により権利が消滅している」として、原告全員の請求を棄却した[13]。原告は控訴していたが、福岡高裁2014年2月24日、一審判決を支持しこれを棄却。 2015年6月2日に最高裁第三小法廷(木内道祥裁判長)が上告を棄却し、判決が確定した。

刑事[編集]

1970年3月24日、当時の社長・加藤三之輔と男性工場長が、業務上過失傷害容疑で福岡地検小倉支部に告訴され、刑事裁判が行われた。 裁判で社長は無罪判決を受け、1978年3月24日に判決が確定したが、工場長は禁錮1年6月の実刑判決を受け福岡高裁に控訴、1982年1月25日に判決が確定し、服役した。

現状[編集]

発生から年数が経過し、特に首都圏などの東日本で事件の風化が進んでいたが、2004年の認定基準の見直しなどもあって、事件が再び注目を集めることとなった。仮払金の返還問題についても、特例法による国の債権放棄など、被害者救済に向けた検討が与野党で始まっている。ただ、なお残る健康被害、被害者への差別・偏見など、問題は多く残されている。

被害者の検査は定期的に行われているが、具体的な治療法が発見されておらず、認定者の高齢化も相まって、検査に訪れる人は年々少なくなっている。またPCBは内分泌攪乱化学物質の疑いがあるため、被害者の子供、その孫にも実質的に被害が及んでいる可能性があるが、被害者の認定が曖昧なため(先述)、実質どの程度影響しているのか、調査も進んでいない。

こうした状況を受け、カネミ油症事件関係仮払金返還債権の免除についての特例に関する法律(カネミ油症事件仮払金返還債権免除特例法 平成19年法律第81号)が2007年通常国会で可決され、成立した。その結果、一定の収入基準以下の被害者に対する仮払金返還請求を国が放棄し、仮払金問題は一応決着するに至った。そのほか国が2008年1回に限り、油症の定期健康診断を受けた患者に対し、20万円の健康管理手当を支給することが決定した。

しかしまだ、カネミ倉庫の棚上げになっている500万円の未払い補償金問題が残っている。これは、「医療費自己負担分の支払いをカネミ倉庫が続ける限り、500万円の和解金に関しては強制執行等を行わない」として和解したため、カネミ倉庫からは一律23万円の一時金しか支払いがなされていないからである。

現状において、カネミ倉庫が医療費自己負担分の支払い原資としているのは、農林水産省から預託された政府保管米の預託料の年間約2億円で、うち約6000万円程度が医療費支払いに充てられている。福岡県と長崎県の場合、被害者の多い地区では油症患者医療券を窓口で提示すれば、一部の医療機関では自己負担分の支払いなしで受診可能である。しかし、それ以外の地区ではいったん自己負担した後に領収書を郵送し、後日(1ヶ月後)ゆうちょ銀行口座に振り込まれるようになっている。

1970年の三者合意によって、カネミ倉庫に対して政府保管米を随意契約によって預託し、その保管料年間2億円によって被害者の医療費助成が行われていたが、2010年9月をもって政府はその契約を政府保管米事業の民間委託に伴い解除した。2011年以降、米の入庫が行われなくなったため、被害者の間で医療費の支払いに関して不安が広がっていた。同年秋、農水省は政府保管米事業の業務委託契約を一部変更し、「必要な場合には預け先を指定できる」とする内容に変更し、カネミ倉庫への政府保管米預け入れ業務が再開された。

1996年6月:農林水産省九州農政局がカネミ油症被害者に仮払金の返還について督促状を送付する。

2002年6月29日:カネミ油症被害者支援センターが設立される。

2006年4月17日:日本弁護士連合会が、油症被害者の人権救済について国やカネカ等に勧告書等を提出する。

2009年:カネミ油症被害者支援センターが第23回東京弁護士会人権賞受賞[14]

2011年:「カネミ油症被害者恒久救済に関する請願」署名33y,592筆を国会に提出

2012年(平成24年)8月29日、カネミ油症患者に関する施策の総合的な推進に関する法律案が参議院本会議で可決成立し、同年9月5日にカネミ油症患者に関する施策の総合的な推進に関する法律(カネミ油症救済法 平成24年法律第82号)として公布・施行された。内容は

  • 国が年1回行なう認定患者及び同居家族への健康調査に対する協力費名目で、年間19万円を支給すること
  • 国はカネミ倉庫の経営支援として、委託している備蓄米の保管量を増やし、代わりにカネミ側が未払いの一時金(年5万円)を認定患者に支払うこと

などとなっている。ただし、既に死亡している患者に対する救済策は無く、カネミ倉庫が支払う和解金の一部支払金(年5万円)も対象外である。

カネミ側は「和解金の一部を支払う」としているが、年間5万円の支払いの場合、元金の500万円の返済完了は2113年(平成125年)で、金利を入れた場合は2223年(平成235年)以降にずれ込むとみられる。

2013年6月19日:第1回の三者(被害者・国・カネミ倉庫)協議会が開催される。

2013年8月25日:カネミ油症五島の会事務局長の宿輪敏子さんが、ダイオキシン国際会議おいて、元ベトナム戦争枯葉剤被害者兵士と共に被害を訴える。

台湾油症事件では、PCBダイオキシン類の毒性の遺伝を認め、台湾油症認定された母から生まれた子は油症認定されるが、日本のカネミ油症事件では油症二世を認定していないので、症状が出ても認定基準値に達していないと認定されない[15]

五島市福江総合福祉保健センターには、カネミ油症コーナーが開設されている。

==被害者団体==[編集]

関西を中心に被害者団体が存在し、国やカネミ倉庫との三者協議や集会に参加している。

・油症被害者関西連絡会(大阪府・兵庫県等)

・カネミ油症被害者五島市の会(長崎県五島市)

・長崎市油症患者の会(長崎市)

・長崎県本土地区油症被害者の会(長崎県)

・油症医療恒久救済対策協議会(福岡県)

・田川被害者の会(福岡県田川市等)

・カネミ油症被害者福岡地区の会(福岡県)

・カネミ油症新認定訴訟原告団(福岡県)

・北九州カネミ油症被害者の会(福岡県)

・広島油症被害者の会(広島県)

・広島県カネミ油症被害者の会(広島県)

・カネミ油症被害者高知連絡会(高知県)

・カネミ油症関東連絡会

福江総合福祉保健センターのカネミ油症コーナー

映像・書籍[編集]

テレビ番組[編集]

映画[2][編集]

  • 『生木が立ち枯れていくごとく』(1976年、岡田道仁監督)
  • 『食卓の肖像』(2010年、金子サトシ監督)

書籍[編集]

  • 食品公害と被害者救済―カネミ油症事件の被害と政策過程 宇田 和子
  • 怨怒の民-カネミ油症患者の記録-紙野柳蔵
  • カネミが地獄を連れてきた 火の玉のごとく修羅の20年 矢野トヨコ
  • 黒い赤ちゃん カネミ油症34年の記録 それは人類史上初の環境ホルモン汚染だった 明石昇二郎
  • カネミ油症苦闘の記録 地獄と向き合って44年 矢野忠義 矢野トヨコ
  • 矢野トヨコかく生きたり あるカネミ油症被害者の歩み ISBN 9784939042676
  • 油症は病気のデパート カネミ油症患者の救済を求めて ISBN 9784939042614
  • 検証・カネミ油症事件 ISBN 9784846104221
  • 回復への祈り-カネミ油症40年記念誌-長崎県五島市

脚注[編集]

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  1. ^ 明石昇二郎 『黒い赤ちゃん-カネミ油症34年の空白』 講談社 2002年 p.132 国際会議Dioxin99
  2. ^ a b 食品公害「カネミ油症」「まだ終わっていない」きょう豊島で上映会『東京新聞』朝刊2018年10月10日(都心面)2018年10月14日閲覧
  3. ^ カネミ倉庫では、2013年8月現在、引き続き食用こめ油・米糠油を製造している(外部リンクの公式ウェブサイトに記載あり)。
  4. ^ 1985年(昭和60年)2月13日付毎日新聞夕刊
  5. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p 下田守「カネミ油症の被害と人権侵害の広がり」、『下関市立大学論集』第50巻第1号、下関市立大学学会、2007年3月、 93-106頁。
  6. ^ a b c 原田正純、浦崎貞子、蒲池近江、荒木千史、上村早百合、藤野糺、下津浦明、津田敏秀「カネミ油症事件の現況と人権」、『社会関係研究』第11巻1・2、熊本学園大学社会関係学会、2006年2月27日、 1-50頁。
  7. ^ 「油症関係資料」1969年(昭和44年)3月20日 長崎県発行
  8. ^ 1969年(昭和44年)6月12日付「厚生省報告事項」北九州市
  9. ^ 1969年(昭和44年)11月28日付北九州市衛生局長宛て「カネミ油(廃棄分)の販売について」北九州市小倉保健所長
  10. ^ 福岡医学雑誌 63巻10号(1972) (PDF)”. 福岡医学会. p. 34 (2010年2月10日). 2018年10月20日閲覧。
  11. ^ 2002年当時、国の「油症治療研究班」メンバーで、九州大学医療技術短期大学助教授
  12. ^ 1987年(昭和62年)7月21日付北九州市衛生局長宛て「油の受領、保管及び処分の件」カネミ倉庫代表取締役加藤三之輔
  13. ^ カネミ油症「新認定訴訟」で正義ある判決を求める要請書
  14. ^ インタビュー第23回東京弁護士会人権賞受賞_カネミ油症被害者支援センター
  15. ^ NHK ETV特集「毒と命~カネミ油症 母と子の記録~」

参考文献[編集]

関連文献[編集]

  • 塚元久雄、吉村英敏「ライスオイル中毒症(いわゆる油症)特にその原因毒物の化学的究明について」、『衛生化学』第15巻第4号、日本薬学会、1969年、 213-218頁、 doi:10.1248/jhs1956.15.213

関連項目[編集]

外部リンク[編集]