国鉄ヨ5000形貨車

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国鉄ヨ5000形貨車
ヨ5000形、ヨ14234 1985年3月、東北本線内
ヨ5000形、ヨ14234
1985年3月、東北本線
基本情報
車種 車掌車
運用者 日本国有鉄道
所有者 日本国有鉄道
製造所 東急車輛製造協三工業
製造年 1962年(昭和37年)
製造数 100両
種車 ヨ3500形
改造所 大宮工場
改造年 1959年(昭和34年)
改造数 1,078両
主要諸元
車体色 淡緑3号黄緑6号
軌間 1,067 mm
全長 7,830 mm
全幅 2,640 mm
全高 3,750 mm
自重 9.6 t
換算両数 1.0
走り装置 二段リンク式
車輪径 860 mm
軸距 4,200 mm
最高速度 85 km/h
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国鉄ヨ5000形貨車(こくてつヨ5000がたかしゃ)は、日本国有鉄道(国鉄)において1959年(昭和34年)から1968年(昭和43年)頃までに製造、または改造により登場した事業用貨車車掌車)である。

概要[編集]

1959年(昭和34年)に、汐留駅 - 梅田駅間において高速貨物列車が運転されることになったが、それまでの主力車掌車ヨ2000形ヨ3500形はいずれも75km/h対応だったので、最高運転速度が85km/hであるこの列車には使用できなかった。そこで、ヨ3500形の軸箱支持装置を二段リンク化改造し、最高許容速度85km/hとして登場したのが本形式である。

その後、ヨ5000形としての新製車や、新たにヨ3500形の二段リンク化改造車を改番・編入した車両も本形式に加わったが、ヨ3500形から改番・編入した車両については両数が不明であるため、ヨ5000形全体としての両数は不明。

本形式は、国鉄の主力車掌車として北海道を除く全国で使用されたが、1986年(昭和61年)に貨物列車の車掌乗務が原則廃止されて本来の用途を喪失したこともあり、JRに継承された一部の車両を除く全車が廃車された。

旧国鉄では乗務員からは、後継のヨ6000よりも居住性が良好(軸距が長く蛇行動が少なく、長椅子がより長い)だったため、ヨ6000やヨ8000に比べると古い形式であったが好評であった。 またヨ5000の形式を短縮してヨゴレやヨゴマルとも呼ばれていた。

構造[編集]

ヨ3500形の軸箱支持装置を最高許容速度85km/hとするために二段リンク式に改造したが、車体についてはほとんどそのままとされたため、リベットのついた外観やカンバス張りの屋根等構造的にはヨ3500形とほぼ同じで、室内の3人分の執務机と椅子、長椅子、石炭ストーブ(ダルマストーブ。5800番台は石油ストーブ)といった車掌室装備も同一となっている。

また、ヨ5000形として新製された車両は、全溶接構造が採用されたため車体からリベットがなくなっているが、変更されたのは車体の製造方法のみで機器構成や室内装備等についてはヨ3500形改造のヨ5000形と殆ど同一である。

区分[編集]

コンテナ特急「たから」に連結されたヨ5000形

本形式は、全盛期で1,100両以上が在籍したが、改造や新製により4つのグループに区分することができる。

5000番台 (ヨ5000 - ヨ5011)
東海道本線の高速貨物列車に使用するため、1959年(昭和34年)大宮工場において12両がヨ3500形より改造された。
このうち、ヨ5005 - ヨ5011は日本初のコンテナ専用特急貨物列車「たから」号用となったため、塗色も連結されるコンテナ車チキ5000形とコンテナに合わせて車体が淡緑3号、台枠部が赤3号とされ、日本初のコンテナ特急をアピールするために貨物列車としては異例(これも日本初)の電照式の「たから」のテールサインとその取り付け支持金具、電照電源用コンセントも取り付けられた。
その後車体色は、1964年(昭和39年)6月19日総裁達第326号により黄緑6号に改められた。この塗装色の車は、22両(ヨ5000 - ヨ5011、ヨ5090 - ヨ5096、ヨ5136 - ヨ5138)が存在した。
なお、「たから」号用以外の車両の塗色はである。また、たから号用の車両も後に黒に改められた。
1987年(昭和62年)度に区分消滅。
5050番台 (ヨ5050 - ヨ5149)
ヨ3500形に代わる新しい車掌車として1962年(昭和37年)に東急車輛製造協三工業で100両が新造されたが、改造の5000番台と区別するために5050番台とされた。
4枚窓の車体や室内構成、黒色の塗色等は基本的に5000番台と変わらないが、車体が全溶接構造となったためにリベットのないすっきりした車体になったのが特徴である。
後年、29両が低屋根化改造を受けて後述の5800番台となった。
1989年(平成元年)に区分消滅。
5800番台 (ヨ5800 - ヨ5828)
従来、北九州地区の石炭列車の緩急車にはセフ1が使用されていたが、老朽化が目立ってきたため、その置き換え用としてヨ5000新製車(5050番台)より29両が1977年(昭和52年)から1979年(昭和54年)にかけて若松工場で改造された。
石炭車に連結されたまま高さの低い石炭積み込みホッパー施設に乗り入れることから、屋根が車体中心から緩い角度で両側に傾斜した低屋根構造の鋼板製平屋根となり、屋根上のベンチレーターはストーブ用の1基を除いて全て撤去されているのが特徴で、車番も電車の低屋根車(800番台)にならって5800番台となっている。また、近年の改造であるため暖房用ストーブは石炭から石油ストーブに変更されている。
この当時、新型車掌車としてヨ8000形が量産されていたが、ヨ8000形の車掌室ユニットは屋根が深く低屋根化改造が難しいことや、新製したばかりの車掌車を改造するのは得策でないこと、石炭列車の今後の運転予測からあまり両数が必要とされないことから比較的年式の新しいヨ5000形の新製車から改造したものである。
当初は北九州地区限定で運用されていたが、石炭列車が廃止された後は運用限定も解除され、他形式の車掌車と同等に使用された。
1989年(平成元年)に区分消滅。
13500番台
1967年(昭和42年)以降にヨ3500形を二段リンク化改造した車両を、元の番号+10000の車番を付与してヨ5000に編入したもので、未改造の車両があるため欠番が存在する。
改造はヨ5000 - ヨ5011と同様、軸箱支持装置の変更が主だったものであるため、ヨ3500と外観はほとんど変わらない。そのため、ベンチレータの数等が車両によって異なる等の差異がある。また、ヨ3500形の初期車から改造されたものは、4枚の窓が中央に寄っており、デッキ部が鋼棒組み立て構造となっている等戦前型ヨ2000形と似た外観が特徴。

現状[編集]

1986年(昭和61年)の貨物列車緩急車連結廃止により使用されなくなったため、大半が余剰廃車になった。また、一部の車両は1987年(昭和62年)の国鉄分割民営化東日本旅客鉄道等に継承されたが、老朽化もあって現在は全車が廃車となっている。

廃車後は一部が無人駅の駅舎に転用されているほか、静態保存された車両や、一般に売却されて事務所や倉庫として使用されているものも多く、日本各地に点在している。

一方で、二段リンク化が未改造の車両(ヨ3500)には現存している車両も存在する。これについては国鉄ヨ3500形貨車を参照のこと。

保存車[編集]

以下の車両などが現在も保存されている。なお、鉄道会社以外に売却され倉庫として使用されているものは除いている。

昭和の杜に保存されたヨ13712
世田谷公園に保存されるヨ5000形車掌車ヨ14740(2015年3月14日)

脚注[編集]

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  1. ^ 宇都宮貨物ターミナルにて保存されていたが、2015年3月1日に京都に移設された。塗装はたから号時代に戻された。
  2. ^ 当初は大井川鐵道千頭駅で保存。その後大代川側線に他の車両と共に移動した。当車と貨車以外は2016年4月中に解体されたが、当車はその後もホキ800・チキ300・ト100等と共に留置されていた。2016年夏にト100は復元を目指したプロジェクトに売却、ホッパ車も同じ頃復帰を目指して再整備となり、当車は東武博物館に譲渡された。産業文化遺産として東武鉄道の南栗橋工場にて保存予定。

参考文献[編集]

  • 鉄道公報
  • 『日本の貨車-技術発達史-』(貨車技術発達史編纂委員会編著、社団法人 日本鉄道車輌工業会刊、2008年)

関連項目[編集]