国鉄203系電車
| 国鉄203系電車 | |
|---|---|
|
JR常磐緩行線で運用されていた203系 | |
| 基本情報 | |
| 運用者 |
日本国有鉄道 東日本旅客鉄道 |
| 製造所 |
川崎重工業[1] 東急車輛製造[1] 日本車輌製造[1] 近畿車輛[1] |
| 製造年 | 1982年 - 1986年 |
| 製造数 | 17編成170両 |
| 運用開始 | 1982年11月15日 |
| 運用終了 | 2011年9月26日 |
| 投入先 | 常磐緩行線 |
| 主要諸元 | |
| 編成 | 10両編成(6M4T) |
| 軌間 | 1,067 mm(狭軌) |
| 電気方式 | 直流 1,500 V(架空電車線方式) |
| 最高運転速度 |
常磐緩行線:90 km/h 千代田線:80 km/h |
| 設計最高速度 | 110 km/h |
| 起動加速度 | 3.3 km/h/s |
| 減速度(常用) | 3.3 km/h/s |
| 編成定員 |
先頭車:座席 48人・立席 88人[3] 中間車:座席 54人・立席 90人[3] |
| 全長 | 20,000 mm[2] |
| 全幅 | 2,800 mm[2] |
| 全高 | 4,086 mm[6] |
| 車体 | アルミニウム合金 |
| 主電動機 | 直巻整流子電動機 (MT60) |
| 主電動機出力 | 150 kW × 4基 |
| 駆動方式 | 中空軸平行カルダン駆動方式 |
| 歯車比 | 14:85 (6.07)[2] |
| 編成出力 | 3,600 kW |
| 定格速度 | 48.0 km/h |
| 制御方式 |
サイリスタチョッパ制御 (CH1A) 弱め界磁制御 (CS53A) |
| 制動装置 | 回生ブレーキ併用電磁直通ブレーキ、直通予備ブレーキ、手ブレーキ[2] |
| 保安装置 |
ATS-S, ATC-4A(製造時)[4] ATS-SN, ATC-10(晩年)[5] |
国鉄203系電車(こくてつ203けいでんしゃ)は、日本国有鉄道(国鉄)が1982年(昭和57年)から投入し[7]、2011年(平成23年)9月26日まで運用されていた[8]地下鉄乗り入れに対応した直流通勤形電車である。
国鉄の分割民営化までは全車両が松戸電車区に在籍し[1]、民営化後は全車両が東日本旅客鉄道(JR東日本)に継承され[1]松戸車両センター所属となった[1]。
登場時より常磐緩行線および相互直通運転先の帝都高速度交通営団(現・東京地下鉄)千代田線で運用されていたが、2011年9月26日までにすべての編成が営業運転から離脱した[8]。一部編成はインドネシアのPT KAI Commuter Jabodetabekやフィリピン国鉄に譲渡された[9][10][11]。
本稿では、各編成を「マト51」(「松戸車両センター第51編成」の略)のように呼称する。
目次
概要[編集]
常磐緩行線と帝都高速度交通営団(営団、現:東京地下鉄)千代田線との相互直通運転に充当されていた103系1000番台[7]に代わる車両として、1982年から導入された[7]。乗り入れ協定によって、勾配の多い区間でも高加減速が求められることから[2]、基本設計を踏襲した201系[12]と同様のサイリスタチョッパ制御を採用し、同時にアルミ製車体を採用して車体の軽量化とさらなるコストダウンを図ることとなった[6]。
1982年に量産先行車であるマト51[6]が、続いて1984年に量産型のマト52-58(合計70両。ここまでが0番台に区分される)[13]が製造され、その後1985年から1986年にかけては、201系軽装車[14]や205系[14]を参考に設計変更を行ったマト61-69(合計90両、100番台)[13]が9編成増備された。
登場以来、全編成が松戸電車区(国鉄時代)[1]→松戸車両センター(民営化後、JR東日本)所属[1]となり、常磐緩行線および直通先の営団地下鉄千代田線で運用されていたが、2010年からE233系2000番台による置き換えが開始され、2011年9月26日をもって全編成が営業運転から離脱した[8]。
新造と増備[編集]
新造の背景[編集]
本系列の導入前は、常磐緩行線と帝都高速度交通営団(現:東京地下鉄)千代田線との相互直通運転用に、国鉄では103系1000番台を直通開始当初から運用していたが[7]、抵抗制御であるため加速時や発電ブレーキでの廃熱が地下鉄トンネル内の温度上昇をもたらしていた[7]。さらに、主抵抗器が冷却扇を持たない自然通風方式であったこと、同様に抵抗制御車の運用されていた東西線とは異なり、比較的長い単線トンネル区間を高速で走行するために冷却が不十分で車内の温度上昇や、発熱による主制御器の誤作動、床下機器の劣化があったこと、営団との協定の起動加速度が性能の限界だったため、重量増となる冷房装置が搭載できないこと、などの問題点があった(常磐緩行線#複々線化の沿革と問題も参照)[注釈 1]。また、電機子チョッパ制御や回生ブレーキを採用する営団6000系に比べて消費電力が大きく[注釈 2]、国鉄は営団車との電力消費量の差額を営団に支払うよう会計検査院から指導を受けていた[15][注釈 3]。このような経緯もあり、営団側からも国鉄に対し、早期のチョッパ制御化を望む申し入れがなされていた[7]。
基本方針[編集]
この問題を解決するため、先に登場していた201系に倣う方向で本形式の基本設計が検討された[12]。しかしながら、勾配区間が多い千代田線内でも乗り入れ協定に基づく高加減速が求められることから[2]、編成重量をより軽量化して主電動機への負担を減じる方策が必要とされた[2]。そのため、201系で採用されていたサイリスタチョッパ制御を本形式でも採用しつつ、201系の鋼製車体に対しアルミ製車体とすることで、主電動機への負担を抑えながら103系1000番台に比べ電動車比率を減少させ[注釈 4]、同時に製造費用の削減も達成した[6]。
増備[編集]
まず量産先行車として0番台10両編成1本(1982年8月27日に川崎重工業兵庫工場で落成・出場したクハ203-1以下10両編成、マト51)が製造され、営団・国鉄双方の乗務員などによる各種訓練を実施したのち[16]、11月14日の我孫子 - 取手間複々線完成記念の出発式に記念列車として使用され[17][16][注釈 5]、複々線化完成日の翌11月15日から一般営業運転を開始した[16]。なお、この増備は先述の区間が開業したことに伴って国鉄車の運用が増加したことによるものであり、在来車の置き換えを目的としたものではなかった[18]。
続いて、103系1000番台を置き換えるため[19]、1984年(昭和59年)2月から3月にかけて0番台量産車7本が製造され[1]、翌1985年(昭和60年)3月製造分からは台車を同年1月末に落成した205系と同一のボルスタレス台車に改めて建造費縮減および軽量化を図った100番台が9本投入された[1]。これにより従来の103系1000番台は56両が1984年に105系500番台に改造されて転配されたほか、104両が1986年(昭和61年)までに常磐快速線・成田線(我孫子 - 成田間)へ転用された。これら一連の増備によって、1986年には常磐緩行線の国鉄車は冷房化率100%を達成した[20]。
構造[編集]
車体[編集]
203系は軽量なアルミ合金車体を採用し、騒音の低減や営団との協定加速度 (3.3 km/h/s[21])性能を、より少ない電動車(MT比)で実現している[注釈 4]。国鉄の通勤形電車でアルミ合金車体を採用したのは1969年(昭和44年)まで投入が続けられた301系以来である[22][注釈 6]。地下鉄に乗り入れるため地下鉄対応車両となっており、A-A基準に適合し[23]、前面中央部には内側にはしごを備えた[24]非常用貫通扉を設けている[注釈 7]。
車体構成は軽量化のため、従来の骨組み工法ではなく大形の押出形材を用いた全溶接組立工法を採用しており[2]、アルミ車体の採用によって同時期に増備が進められていた普通鋼製の201系より1両あたり6t以上の軽量化を実現している[2]。
なお、前頭部にはそれまでに採用例のないデザインが与えられた。前面部分の上半部および裾部に傾斜が付き、腰部が一段張り出した形状で、行先表示器、運行番号表示器、JNRマークが窓縁とともに黒地で統一され、アクセントとなっている。この形状は乗り入れ先の営団6000系・小田急9000形の正面を折衷したデザインとも評されている[注釈 8]。
国鉄通勤形電車(いわゆる国電)の標準形である片側4扉の20m車体であるが、軽量化・地下区間を走るという理由で[23]戸袋窓を廃したことから、車両の外観は従来車とは異なっている。なお、同時期に筑肥線向けに製造された103系1500番台やその後の205系にも戸袋窓は設置されていない。また、客用ドアおよび妻面の引き戸はアルミハニカム製のものを使用している[23][25]ほか、車体強度を稼ぐため構体の厚みが201系等より若干増したことにより、72系920番台や101系試作車のように雨樋が構体に埋め込まれているといった特徴がある。
すべての車両が銀色のアルミ無塗装地に常磐緩行線のラインカラーであるエメラルドグリーン(青緑1号[6])の帯(側面は幅300mmの粘着テープ[23]、先頭部は幅530mmのFRP製素材[23])を巻いている。乗り入れ先の千代田線のラインカラーもグリーンではあるが、本系列のものとは色調が異なる。
301系以降の地下鉄乗り入れ車両共通の特徴として、前頭部運転台上[18]と、量産先行車を除く各車の側面幕板部(片面につき2箇所)にJNRマーク(紺色)が表記されていた[14]。正面のマークは、分割民営化時に、ガラスの上から黒地に白いJRマークが入ったカラーフィルムが被せられた[26]。側面のJNRマークは消され、先頭車の乗務員室直後の客用ドアの戸袋左右1か所ずつ、黒のJRマーク表記がされた。
側窓は下段上昇・上段下降式の外はめ式ユニット窓であるが、201系のものとは異なり、上段窓はバランサーのない引っかけ式のもの(開ける際は持ち上げた状態で内側に引いて落とし、閉める際は上に引き上げた状態で上部を外側に押して引っかける)であり[27]、先述の協定により開口高さが150mm以内とされていたことから[28]、下段窓の開口高さは150mmにとどめられた[27]。登場時には連結部の妻面にも窓が設置されていた[14]が、1999年1月から2月にかけて[13]転落防止幌を装備した際に封鎖されている[14]。
台車[編集]
台車は0番台には201系量産車の台車を基本として設計した円筒案内支持方式のDT46A形(電動車)、TR234形(制御車・付随車)を採用した[2]。本系列の台車は軽量化のため、201系よりも動力台車・付随台車ともに台車枠を薄肉化している。また、基礎ブレーキ装置はDT46A形では片押し踏面ブレーキを踏襲したが、TR234形では軽量化のためにディスクブレーキを廃し、両抱き踏面式を採用している[24]。この結果、1台車あたりの重量は201系量産車のDT46に対しDT46A形で約 170 kg、TR231A形に対しTR234形で約 750 kg の軽量化を実現している[29]。
その後、建造費節減が図られた100番台では、同時期製造の205系の台車と同様の円錐積層ゴム支持方式ボルスタレス構造のDT50A形(電動車)、TR235A形(制御車・付随車)が採用された[19]。構造は205系のものとほぼ同じだが、台枠の厚みの関係上空気バネ支持高さが異なるのが相違点である[30]。また、基礎ブレーキは動力台車は変更ないが、付随台車は片押し踏面式とディスクブレーキ(205系0番台では1軸2ディスク式だが、203系100番台は1軸1ディスク式)の併用型とした[31] 。この台車は部品点数が少なく保守が容易で軽量、さらにコストパフォーマンスに優れた台車である[31]。
機器類[編集]
機器類は201系をベースにしており、主制御器はサイリスタチョッパ制御方式である。地下線走行を考慮して、歯車比を201系の1:5.60から1:6.07に変更して引張力を向上させている。チョッパ装置には、201系のCH1型 (400A - 2,500V[32]) より主サイリスタを大容量化したCH1A型 (1,000A - 2,500V[32])(EF67形電気機関車搭載機器と同型)を採用した[4]。201系では車体側面に冷却用空気の取り込み口を設けていたが、本形式では301系と同様に床下の吸い込み口に濾過器を取り付ける方式となった[33]。
素子を大容量化することは使用数が削減され、コストダウンを図れるだけでなく、機器の小形軽量化を図れるという利点がある。これらの機器全体の見直しを行うことで201系のCH1形よりもCH1A形は約 400 kg の軽量化を実現している[27] 。このチョッパ装置は2相2重方式(各相 300 Hz 出力)で合成周波数 600 Hz を出力し、MT60形主電動機8台を制御するものである(1C8M制御)。
ブレーキは応荷重装置付き電機子チョッパ制御回生ブレーキ併用電磁直通空気ブレーキ (SELR) に加え、自動空気ブレーキの制御弁として3圧力式のE制御弁を採用した。営団との協定による高い減速度に合わせ、回生ブレーキも全界磁での使用とされた(201系では45%弱め界磁)。定格電流での回生ブレーキ力は、電動車1ユニットあたり約 9,500 kg であり、201系の約 6,000 kg よりも大幅に強化されている。
回生ブレーキ使用時は、全界磁であることと歯車比が大きいことが相まって、回生電圧が架線電圧を大幅に上回るため、50 km/h 以上からブレーキを使用する際には0.4オームの直列抵抗が挿入される[27]。しかしながら、ブレーキ抵抗を挿入してもなお 60 km/h 以上では高速絞りが作用し、70 km/h 以上の速度域では回生ブレーキ力は201系よりも弱くなる。すなわち、203系は高速における回生ブレーキ力の減弱と引き換えに、地下鉄線内における性能向上の要請に特化した設計が採用されている。
また保安装置としてATS-S形およびATC-4A形[注釈 9](廃車時はATS-SN形およびATC-10形)を搭載しているほか、列車無線装置として、営団線用の誘導無線、国鉄線用の空間波無線を装備している[34]。
乗務員室内では運転機器の配置を103系1000番台および営団6000系に合わせるため、主幹制御器は縦軸式のMC54B[30]、ブレーキ弁はME41A[35]を搭載している。これは、当時の営団地下鉄千代田線乗り入れ協定において、機器仕様が規定されている[36]ためである。
補助電源装置にはDM106形の190kVAブラシレスMG(電動発電機)[2]を、空気圧縮機 (CP) にはレシプロ式MH3075A-C2000M形[37]を使用しており、これらは201系量産車で実績のあるものである[2]。
接客設備[編集]
車内は全席ロングシートである。各部の構造やカラースキームは201系を基本としている。天井は白[27]、側壁はクリーム色9号[27]の内装板を使用し、床敷物は薄茶色[27]としている。当初の座席表地は両端3人掛け部をロームブラウン色(こげ茶色)、中央の1人分をヘーゼルナッツ色(うすいオレンジ色)としたものである[2]。なお、シルバーシートについてはグレーの表地を使用している[27]。JR東日本化後はミントブルー色の区分柄表地への交換が実施された[14]。
また、利用者の要請が強かった冷房装置についても常磐緩行線用の車両で初めて搭載し、快適性の向上が図られた。冷房装置は同時期製造の201系で採用された省エネルギー形のAU75G形 (42,000 kcal/h・48.9 kW) を搭載している[23]。室内への送風はダクトを用いたラインフロー方式で[23]、各車にはラインデリア(補助送風機)4台が設けられている[23]。ただし、営団がトンネル冷房[注釈 10]を進めていた頃は、放熱を懸念した営団側からの要請もあり、冷房の使用は地上線のみに限定されていた[33]。
量産1次車[編集]
1984年(昭和59年)2月から3月にかけて製造された量産1次車では、下記の設計変更が実施された。
- 側面の車両記号番号表記は、量産先行車であるマト51編成はラインカラーと同色の文字により表記されたアルミ製プレートを貼り付けていたのに対し、本グループ以降は車体に直接黒色の文字で表記されている[14]
- つり革の留め具をステンレス製から樹脂製に変更[14]
- 運転台に昇降するための車体側面ステップの形状を変更[14]
- 車体側面上部に「JNR」マークを設置(国鉄民営化に伴い撤去)[14]
- 回生ブレーキを全界磁・弱め界磁切替方式に変更[14][注釈 11]
量産2次車[編集]
1985年3月から翌1986年3月にかけて製造された量産2次車では下記のような設計変更が実施され、100番台へと区分されている。
- 屋根の塗り厚さを変更(3mm→2mm)[14]
- 標準化のため床面の色を変更[14]
- 以下は205系で初採用した仕様を反映したものである。
- 以下は201系軽装車で採用したコストダウンを図るための仕様変更点である。
外観は0番台と大差ないが、0番台比でモハ203形は3.6t[39]、モハ202形は3.2t[39]の軽量化をそれぞれ実現している。
性能試験[編集]
量産先行車であるマト51編成が1982年11月に営業運転に入ってからおよそ半年後の1983年6月15~22日(19、20両日は試験なし)、地下鉄直通用車両として予め意図した性能を達成できているか否かを確認するため[注釈 12]の性能試験が行われた[12]。
試験は「定置試験」と「走行試験」に分かれる。前者は停止した状態でブレーキやMGの性能、ATCの動作確認を行うものであり、後者は力行・ブレーキ・台車・換気性能や通し運転での性能確認、および勾配起動性能の確認が目的であった[12]。
試験編成はマト51編成であり、10両中6両で何らかの試験が行われた。車両ごとに行われた試験の内容は下表の通りである[12]。
← 取手 綾瀬・代々木上原 →
| |||||||||||
| 形式 | クハ203-1 | モハ203-1 | モハ202-1 | サハ203-1 | モハ203-2 | モハ202-2 | サハ203-2 | モハ203-3 | モハ202-3 | クハ202-1 | |
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 搭載機器 | 車体振動 | ブレーキ性能 台車応力 |
力行性能 | 客室換気 | 客室換気 | 車体振動 | |||||
編成[編集]
形式[編集]
形式は下記の5種類である。
- クハ203形(Tc) - 取手方先頭車[40]。
- クハ202形(Tc') - 綾瀬・代々木上原方先頭車[40]。
- モハ203形(M) - 電動車[40]。制御装置および集電装置(パンタグラフ)を搭載する[2]。
- モハ202形(M') - 電動車[40]。電動発電機および電動空気圧縮機を搭載する[2]。
- サハ203形(T) - 付随車。
編成表[編集]
← 取手
| |||||||||||
| 号車 | 10 | 9 | 8 | 7 | 6 | 5 | 4 | 3 | 2 | 1 | |
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 形式 | クハ203 (Tc) |
モハ203 (M) |
モハ202 (M') |
サハ203 (T) |
モハ203 (M) |
モハ202 (M') |
サハ203 (T) |
モハ203 (M) |
モハ202 (M') |
クハ202 (Tc') | |
| 搭載機器 | CHOP,PT | MG,CP | CHOP,PT | MG,CP | CHOP,PT | MG,CP | |||||
| 車両重量 (t) |
0番台 | 27.0 | 35.9 | 36.1 | 24.4 | 35.9 | 36.1 | 24.4 | 35.9 | 36.1 | 26.5 |
| 100番台 | 24.2 | 32.3 | 32.9 | 21.9 | 32.3 | 32.9 | 21.9 | 32.3 | 32.9 | 23.9 | |
| 番台・編成番号 | 車両番号 | ||||||||||
| 0番台 | マト51 マト52 マト53 マト54 マト55 マト56 マト57 マト58 |
1 2 3 4 5 6 7 8 |
1 4 7 10 13 16 19 22 |
1 4 7 10 13 16 19 22 |
1 3 5 7 9 11 13 15 |
2 5 8 11 14 17 20 23 |
2 5 8 11 14 17 20 23 |
2 4 6 8 10 12 14 16 |
3 6 9 12 15 18 21 24 |
3 6 9 12 15 18 21 24 |
1 2 3 4 5 6 7 8 |
| 100番台 | マト61 マト62 マト63 マト64 マト65 マト66 マト67[41] マト68 マト69 |
101 102 103 104 105 106 107 108 109 |
101 104 107 110 113 116 119 122 125 |
101 104 107 110 113 116 119 122 125 |
101 103 105 107 109 111 113 115 117 |
102 105 108 111 114 117 120 123 126 |
102 105 108 111 114 117 120 123 126 |
102 104 106 108 110 112 114 116 118 |
103 106 109 112 115 118 121 124 127 |
103 106 109 112 115 118 121 124 127 |
101 102 103 104 105 106 107 108 109 |
※車両番号は2008年5月時点[13]
※2011年9月に、車両故障に起因する組み替えが行われている。詳細は「置き換え」を参照。
- 製造メーカー[6]
- 川崎重工業 - マト51、52、54、58、62、65、67、68
- 日本車輌製造 - マト53、55、64、66
- 東急車輌製造 - マト56、63、69
- 近畿車輛 - マト57、61
運用[編集]
落成以来、2011年(平成23年)9月に運用を終了するまで、10両編成17本170両すべてが松戸車両センター(旧・松戸電車区)に配置され、常磐緩行線および相互直通運転先の営団(現:東京メトロ)千代田線で運用された[1]。
常磐緩行線では1987年(昭和62年)以降、207系900番台ともに共通運用されていたほか、1999年秋より209系1000番台が投入されたが、これらは少数派であり[注釈 13]E233系2000番台の投入まではこの路線の主力車両であった[注釈 14]。しかし、2010年後半から後述のE233系2000番台への置き換えが本格的に始まった。
千代田線と直通運転している小田急電鉄の列車無線やATSは搭載されなかったため、同社には入線しなかった。
置き換え[編集]
JR東日本から2007年(平成19年)3月に、E233系の常磐緩行線仕様車(2000番台)を新たに投入し、2008年夏以降に営業運転を開始することが発表された[42]が、後に2009年3月にJR東日本が発表した設備投資計画では、常磐緩行線へのE233系の導入は2009年度からと訂正され[43]、実際の投入は2009年度に1編成、2010年度に10編成、2011年度に7編成となった。
2009年度導入編成は同年9月より営業運転を開始、207系900番台を置き換え[44]、続いて2010年度以降は本系列の置き換えを行った。
前述の通り、一部編成はインドネシアのPT KAI Commuter Jabodetabekとフィリピン国鉄に譲渡されている[9][10][11][45] 。インドネシアに譲渡されたのは廃車となった車両のうちマト51・52・66・68・69編成の10両編成5本(50両)[45]、フィリピン国鉄に譲渡されたのは廃車となった車両のうちマト53・54・55・67編成の10両編成4本(40両)である[46][45]。なおインドネシアには同時期に廃車された東京メトロ6000系も譲渡されており並ぶ姿も見られる。
これらの車両はインドネシア譲渡分は2011年8月から9月に海上輸送により陸揚げされ[45]、フィリピン国鉄譲渡分は新潟東港から2011年9月にマト67編成が、11月にマト53・54・55編成がフィリピンに海上輸送により陸揚げされた[46]。なお、前記した以外の車両、10両編成8本80両は、個人に売却されたクハ203-103以外は すべて解体処分されている[45]。
E233系による置き換えが進行したため[47]、2011年(平成23年)9月1日からはマト55編成に「ありがとう203系」ヘッドマークが掲出[48][49]されたが、9月中旬にモハ203-15・モハ202-15のユニットが故障したため、すでに運用離脱していたマト54編成のモハ203-12・モハ202-12ユニットと入れ替えられた[26][5]のち、9月26日に最後まで残っていた同編成が営業運転から離脱した[8]。マト55編成離脱後は再びマト54編成とユニットを入れ替え、正規の編成へと戻した。
国外譲渡車[編集]
インドネシア[編集]
インドネシアのPT KAI Commuter Jabodetabekに譲渡された車両は前面にスカートと投石からガラスを保護する金網、側面扉にステップを増設するなどの改造が行われ、8両編成に組成され2011年12月よりジャカルタの都市近郊路線で運行を開始した。 2012年頃より車内外の日本語掲示物の撤去が始まり、車体の日本語表記なども消去されている。
| 元マト51 | クハ203-1 | モハ203-1 | モハ202-1 | サハ203-1 | サハ203-2 | モハ203-3 | モハ202-3 | クハ202-1 |
| 元マト52 | クハ203-2 | モハ203-4 | モハ202-4 | サハ203-3 | サハ203-4 | モハ203-6 | モハ202-6 | クハ202-2 |
| 元マト66 | クハ203-106 | モハ203-116 | モハ202-116 | サハ203-111 | サハ203-112 | モハ203-118 | モハ202-118 | クハ202-106 |
| 元マト68 | クハ203-108 | モハ203-122 | モハ202-122 | サハ203-115 | サハ203-116 | モハ203-124 | モハ202-124 | クハ202-108 |
| 元マト69 | クハ203-109 | モハ203-125 | モハ202-125 | サハ203-117 | サハ203-118 | モハ203-127 | モハ202-127 | クハ202-109 |
8両編成化によって余剰になったモハユニットは休車扱いとなっている。
フィリピン[編集]
2011年11月に、フィリピンのフィリピン国鉄に譲渡された車両は、マニラ首都圏でディーゼル機関車による牽引で、客車として運行するための改造を受けた。4両編成7本(28両)が組成され、「A」の車両がアラバン(Alabang)側である。
2013年10月までに、先に日本から譲渡され運行されていた12系や14系客車を置き換えた。ディーゼル機関車が先頭となる編成で運行され、クハが先頭となった推進運転は行われない。
先頭車前面、側面窓には金網を取り付けて投石による破壊を防止している、車両によっては側面扉のガラスを鉄板に交換している場合もある。編成の端になった元中間車「D」は、貫通扉のガラスを鉄板に交換し施錠している。連結器は自動連結器に交換され、尾灯などの追設は行われていない。
客車として使用するための電源が必要なことから、クハの室内に発電機を設置した。第1編成のクハ203-107は、運転台と逆側の車端部に発電機を搭載しており、唯一側面にルーバーが設置されているのが特徴となっている。この車両だけ、発電機室を編成中央側に持っているため、隣の車両と通り抜けができない。利便性向上のため、第2編成以降は運転台側に発電機を設置している。
客車化にあたって、電装品などの撤去は特に行われておらず、主電動機・床下機器なども、電車として使用されていた時代とほぼ同様である。
| 編成番号 | A | B | C | D |
|---|---|---|---|---|
| EMU-1 | クハ203-107(01A) | モハ203-11(01B) | モハ202-7(01C) | サハ203-9(01D) |
| EMU-2 | クハ202-4(02A) | モハ202-11(02B) | モハ203-7(02C) | モハ202-12(02D) |
| EMU-3 | クハ203-5(03A) | モハ203-9A(03B) | モハ202-9(03C) | サハ203-10(03D) |
| EMU-4 | クハ203-4(04A) | モハ203-13(04B) | モハ202-10(04C) | サハ203-14(04D) |
| EMU-5 | クハ203-3(05A) | モハ203-121(05B) | モハ202-120(05C) | サハ203-8(05D) |
| EMU-6 | クハ202-3(06A) | モハ202-15(06B) | モハ203-15(06C) | サハ203-7(06D) |
| EMU-7 | クハ202-107(07A) | モハ203-120(07B) | モハ202-8(07C) | モハ203-10(07D) |
現地では「モハ」や「サハ」の日本語で車両を管理していない関係上、サハ203-9との区別のためモハ203-9にAの表記が追加されている。
脚注[編集]
注釈[編集]
- ^ これ以外にも、乗り心地の悪い台車や座席、加減速時の衝動と異音の大きさ、主電動機やブレーキ管圧開放時の騒音(ブレーキをかけるたびに圧縮された空気が放出されて大きな音がする)など、居住性、快適性は103系が設計された1963年(昭和38年)当時の水準からほとんど向上しておらず、相互乗り入れを行っている営団や小田急の車両に比べ著しく劣っていた。
- ^ 列車の消費電力は「消費電力=加速時の電力消費-減速時の回生ブレーキの回生電力」となる。このため回生ブレーキがない103系の場合、加速時の電力消費が全て消費電力となっていた。
- ^ 後年、小田急小田原線との直通運転が実施された際には、同様に小田急が営団に電力消費量の差額分を支払っていた(『鉄道ピクトリアル』通巻805号、pp.162-163)
- ^ a b 103系1000番台は8M2Tであったが、本形式は6M4Tとなった(.『鉄道ファン』通巻259号、p.67)
- ^ 試運転列車であり、営業列車ではなかった(『鉄道ファン』通巻262号、p.54)
- ^ 通勤形に限定しなければ、381系や東北・上越新幹線向けの200系もアルミ製車両である(『電気車の科学』通巻415号、p.22)
- ^ 車内からのみ開閉できる構造であり、外側には取ってがついていない(『鉄道ファン』通巻259号、p.68)
- ^ イカロス出版『鉄道図鑑』JR・国鉄編より
- ^ ATC-4A形は、ATC-4形にチョッパ制御用速度検知 (30 km/h、50 km/h) を追加したもの(『電気車の科学』通巻415号、p.30)
- ^ トンネル全体を冷やすことで車両に冷房を搭載せずに冷却効果を得る方式。当時の千代田線ではまだ未施工であったが、膨大な電力が必要になることから他路線でも後に一般的な車両冷房に移行した
- ^ 高速走行時における回生率向上と、M車の制輪子が摩耗するのを防ぐため(『鉄道ピクトリアル』通巻774号、p.24)
- ^ そのため、201系ですでに試験を行った制御装置関連については対象から除外された(『電気車の科学』通巻429号、p.25)
- ^ 前者は10両1編成、後者は10両2編成(いずれも2008年5月時点。『JR電車編成表 08夏号』、p.72より)
- ^ ただ、営団(現:東京メトロ)6000系が最盛期に35編成(350両)存在したため、あくまでJRが保有する車両としての主力であった
出典[編集]
- ^ a b c d e f g h i j k l 『鉄道ピクトリアル』通巻774号、p.72
- ^ a b c d e f g h i j k l m n o 『電気車の科学』通巻415号、p.25
- ^ a b 『鉄道ファン』通巻259号付図
- ^ a b 『電気車の科学』通巻415号、p.28
- ^ a b 『Rail Magazine』通巻339号、p.62
- ^ a b c d e f 『鉄道ピクトリアル』通巻774号、p.22
- ^ a b c d e f 『鉄道ファン』通巻259号、p.64
- ^ a b c d 『Rail Magazine』通巻339号、p.57
- ^ a b KRL COMMUTER JABODETABEK - Pengadaan Jasa Supply and Delivery of Used EMU IV 2010
- ^ a b 日本の中古電車に熱視線 9月に引退した通勤車両、フィリピンで第二の人生 Archived 2012年4月14日, at the Wayback Machine. 2011年11月26日、msn産経ニュース
- ^ a b 『鉄道ピクトリアル』通巻780号、p.72,78,79
- ^ a b c d e 『電気車の科学』通巻429号、p.25
- ^ a b c d 『JR電車編成表 08夏号』、p.72
- ^ a b c d e f g h i j k l m n o p 『鉄道ピクトリアル』通巻774号、p.24
- ^ 『鉄道ピクトリアル』通巻805号、pp.162-163
- ^ a b c 『鉄道ファン』通巻262号、p.106
- ^ 『鉄道ファン』通巻262号、p.54
- ^ a b 『鉄道ピクトリアル』通巻774号、p.21
- ^ a b 『鉄道ピクトリアル』通巻774号、p.57
- ^ 『ヤマケイ・レイル・グラフィックス 国鉄車両形式集 5 直流系電車 通勤編』p.83
- ^ 『東京地下鉄道千代田線建設史』p.363
- ^ 『電気車の科学』通巻415号、p.22
- ^ a b c d e f g h 『鉄道ファン』通巻259号、p.68
- ^ a b 『鉄道ジャーナル』通巻189号、p.100
- ^ 『鉄道ジャーナル』通巻189号、p.99
- ^ a b 『Rail Magazine』通巻339号、p.61
- ^ a b c d e f g h 『鉄道ファン』通巻259号、p.71
- ^ 『東京地下鉄道千代田線建設史』p.372
- ^ 『鉄道ファン』通巻259号、p.72
- ^ a b 『鉄道ピクトリアル』通巻774号、p.31
- ^ a b イカロス出版「形式201系」内の203系電車の台車記事。
- ^ a b 『Rail Magazine』通巻339号、p.59
- ^ a b 『鉄道ピクトリアル』通巻774号、p.23
- ^ 『電気車の科学』通巻415号、p.30
- ^ 『鉄道ファン』通巻259号、p.69
- ^ 『東京地下鉄道千代田線建設史』p.364
- ^ 『鉄道ファン』通巻259号、p.73
- ^ 鉄道図書刊行会「鉄道ピクトリアル」1985年5月臨時増刊号新車年鑑1985年版「203系量産車」45頁記事。
- ^ a b 『鉄道ピクトリアル』通巻774号、p.32
- ^ a b c d 『電気車の科学』通巻415号、p.23
- ^ 1995年3月20日に地下鉄サリン事件の被害に遭った編成
- ^ 「常磐緩行線(東京メトロ千代田線直通)に新型電車を導入 -E233系直流電車-」 (PDF) 2007年3月6日、東日本旅客鉄道
- ^ 「2009年度設備投資計画について」 (PDF) 2009年3月23日、東日本旅客鉄道
- ^ E233系がメトロ初登場 たった1両のレア車両207系は引退へ Archived 2009年6月2日, at the Wayback Machine.(産経ニュース、2009年5月30日付。題は原文のまま)
- ^ a b c d e 鉄道図書刊行会「鉄道ピクトリアル」2013年10月号「インドネシアを走る日本の電車」記事。
- ^ a b 『鉄道ピクトリアル』通巻780号、pp.78-79
- ^ “団塊世代”車両が次々引退…「203系」9月で見納め - 2011年9月22日 ZAKZAK
- ^ “203系マト55編成にヘッドマーク”. 交友社『鉄道ファン』railf.jp. 2011年9月9日閲覧。
- ^ “【JR東】203系に「ありがとうマーク」掲出”. ネコ・パブリッシング『鉄道ホビダス』. 2011年9月9日閲覧。
参考文献[編集]
書籍[編集]
- 『ヤマケイ・レイル・グラフィックス 国鉄車両形式集5 直流系電車通勤編』 山と渓谷社、2007年6月。ISBN 978-4-635-06825-3。
- 帝都高速度交通営団 『東京地下鉄道千代田線建設史』 帝都高速度交通営団、1983年6月。※非売品
- ジェー・アール・アール 『JR電車編成表 '08夏号』 ジェー・アール・アール、2008年6月。ISBN 978-4-88283-049-8。
雑誌記事[編集]
- 石津一正「203系チョッパ電車登場」、『鉄道ファン』第259号、交友社、1982年11月、 64-73頁。
- 「1982/11鉄道ファンVol.22No.259付図」、『鉄道ファン』第259号、交友社、1982年11月。
- 山本五兵衛「常磐線我孫子-取手間複々線化完成」、『鉄道ファン』第262号、交友社、1983年2月、 54-55頁。
- 大島正「201系・203系電車の話題」、『鉄道ファン』第262号、交友社、1983年2月、 106頁。
- 津久井静男「203系通勤形直流電車」、『電気車の科学』第415号、電気車研究会、1982年11月、 22-30頁。
- 真野辰哉「203系通勤形直流電車の性能試験」、『電気車の科学』第429号、電気車研究会、1984年1月、 25-28頁。
- 「201系・203系電車のプロフィール」、『鉄道ピクトリアル』第774号、電気車研究会、2006年4月、 10-33頁。
- 稲岡誠二、芳田あきら「201系・203系電車 研究詳説」、『鉄道ピクトリアル』第774号、電気車研究会、2006年4月、 46-61頁。
- 「201系・203系電車 車歴表」、『鉄道ピクトリアル』第774号、電気車研究会、2006年4月、 62-72頁。
- 里田啓「私の鉄道人生75年史 新交通システムへの関与」、『鉄道ピクトリアル』第805号、電気車研究会、2008年7月、 162-163頁。
- 斎藤幹雄「フィリピン国鉄南方線はいま 2011年の現況レポート」、『鉄道ピクトリアル』第860号、電気車研究会、2012年3月、 72-79頁。
- 津久井静男「国鉄203系直流電車」、『鉄道ジャーナル』第189号、鉄道ジャーナル社、1982年11月、 95-100頁。
- 「さようなら 207系900番台」、『Rail Magazine』第317号、ネコ・パブリッシング、2010年2月、 68-71頁。
- 「さようなら 国鉄最後のアルミ製通勤型電車203系」、『Rail Magazine』第339号、ネコ・パブリッシング、2011年12月、 57-62頁。
関連項目[編集]
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