茅野駅

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茅野駅
JR Chuo-Main-Line Chino Station West Exit.jpg
茅野駅駅舎(2021年6月)
ちの
Chino
青柳 (7.2 km)
(6.7 km) 上諏訪*
所在地 長野県茅野市塚原茅野町1
北緯35度59分38.85秒 東経138度9分8.12秒 / 北緯35.9941250度 東経138.1522556度 / 35.9941250; 138.1522556座標: 北緯35度59分38.85秒 東経138度9分8.12秒 / 北緯35.9941250度 東経138.1522556度 / 35.9941250; 138.1522556
所属事業者 東日本旅客鉄道(JR東日本)
所属路線 中央本線
キロ程 195.2 km(東京起点)
電報略号 チノ[1]
駅構造 地上駅橋上駅
ホーム 2面3線[1]
乗車人員
-統計年度-
2,696人/日(降車客含まず)
-2020年-
開業年月日 1905年明治38年)11月25日[1]
備考 直営駅管理駅
みどりの窓口[1]
標高:790.3m[1]
* この間に普門寺信号場有り(当駅から3.7km先)。
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東口(2008年6月)

茅野駅(ちのえき)は、長野県茅野市塚原茅野町1にある、東日本旅客鉄道(JR東日本)中央本線である[1]

概要[編集]

標高790.3メートル、諏訪地域の東に位置する茅野市の中心駅である。市内の八ヶ岳白樺湖蓼科高原車山高原など多くの観光地の玄関口で[1]諏訪大社上社前宮・本宮の最寄り駅でもある。諏訪地方で6年に1度行われる御柱祭のうち、上社の木落しが行われる「木落し坂」は当駅より約600メートル新宿方の中央本線に面している。駅長配置の直営駅で、管理駅として新宿方の隣駅青柳駅を管理していたが、信濃境駅すずらんの里駅 間の各駅を管理していた富士見駅の委託化に伴い、同区間の管理が当駅に移管されている。

かつては年間を通じてすべての列車が停車していた隣駅の上諏訪駅と異なり、当駅は急行や特急あずさ」、貨物列車の一部が通過や季節停車となる時代が長かったが、観光需要の高まりを受け、現駅舎供用開始の1986年3月以降はすべての旅客列車が停車している。また甲府-上諏訪間電化の1964年以降は飯田線の一部列車が岡谷経由で当駅まで乗り入れている。茅野-上諏訪間に設けられている普門寺信号場から岡谷駅までの区間は、辰野支線を除く中央東線唯一の単線区間で、ダイヤ上のネックになっているが今のところ複線化の予定はない。

また、戦時特例として当駅側線の扱いで1944年に敷設された[2]花蒔(北山村大字芹ヶ沢字花蒔下、現・茅野市北山芹ヶ沢)までの貨物専用側線、日本鋼管鉱業諏訪鉱業所専用側線(通称・諏訪鉄山鉄道)が1947年まで乗り入れていた[3]

歴史[編集]

駅構造[編集]

駅舎に接して単式ホーム1面1線、その奥に島式ホーム1面2線とあわせて2面3線を有する地上駅である。のりばは単式ホームにあるのが1番線(下り本線)、島式ホームにあるのが西口側から2番線(中線)、3番線(上り本線)である。3番線と東口との間に側線が2線敷かれているが架線はない。ホームの売店は2番線、3番線側ホームにある。

戦時中に諏訪鉱業所専用線が接続していた構内東側の側線群はかつて4線あり、中央線乗り入れの飯田線旧型国電などの夜間滞泊や当駅で貨物列車に解結される貨車の留置に使用されていたが、1985年の駅東口建設時に東側の2線が撤去されて駐輪場に転用されたのち、茅野市民館の用地の一部となった。また名古屋方の1番線西側にも、大型上屋を持つ貨物ホーム1面、貨物側線2線と貨物置場を持つ貨物取扱所があったが、1984年の貨物営業廃止と1985年着工の新駅舎建設に伴い、跡地は公園と市営駐車場用地に転用された。

西口にある2階建の駅舎は開駅以来の木造駅舎を増改築した旧駅舎を解体し、国鉄時代の1986年3月に完成した橋上駅舎[5]で、駅舎2階にみどりの窓口[1]自動券売機指定席券売機を含む)、自動改札機(Suica利用可)、立ち食いそば屋[1]、売店[1]などが設置されている。駅舎と跨線橋には2000年エレベーターが設置された。駅舎1階は茅野警察署茅野駅前交番があり、隣接して1990年代に営業していたびゅうプラザ跡が閉鎖された状態で残っている。

跨線橋とは別にコンコースが構内をまたがっており、東口駅前広場に連絡している。新駅舎建設時に設けられた現在の跨線橋の新宿方に隣接して旧駅舎時代の構内跨線橋が倉庫として残存していたが、現跨線橋へのエレベーター設置工事を行った2000年に解体撤去された。

2番・3番ホーム上には1955年ごろ、地元の住民が八ヶ岳冷山(茅野市北山)から運び出した黒曜石が「一駅一名物」として展示されている[1]。かつては観光駅としてホーム上にシラカバも植えられていた。

のりば[編集]

番線 路線 方向 行先 備考
1 中央本線 下り 塩尻松本長野方面[9]  
2 待避・始発列車
上り 小淵沢甲府新宿方面[9] 待避列車
3  

(出典:JR東日本:駅構内図

駅弁[編集]

やまのごはん

丸政の駅弁が販売されている。

主な駅弁は下記の通り[10]

  • やまのごはん
  • 元気甲斐
  • 小淵沢丸政の信州牛御辨當

駅自動放送・発車メロディ[編集]

接近放送・発車放送には、カンノD型放送が使用されている。発車メロディーはカンノ製で曲名はなく、整理番号でいう「長野4番」が使用されている(「茅野1番」とも呼ばれる)。以前は、「長野1-1番」(現在下諏訪駅で使用されているメロディーの音色違い)も使用されていた。

利用状況[編集]

JR東日本によると、2020年度(令和2年度)の1日平均乗車人員は2,696人である[利用客数 1]

なお、2000年度(平成12年度)以降の推移は以下のとおりである。

乗車人員推移
年度 1日平均
乗車人員
出典
2000年(平成12年) 3,674 [利用客数 2]
2001年(平成13年) 3,678 [利用客数 3]
2002年(平成14年) 3,861 [利用客数 4]
2003年(平成15年) 3,815 [利用客数 5]
2004年(平成16年) 3,843 [利用客数 6]
2005年(平成17年) 3,670 [利用客数 7]
2006年(平成18年) 3,514 [利用客数 8]
2007年(平成19年) 3,566 [1][利用客数 9]
2008年(平成20年) 3,563 [利用客数 10]
2009年(平成21年) 3,441 [1][利用客数 11]
2010年(平成22年) 3,429 [利用客数 12]
2011年(平成23年) 3,372 [利用客数 13]
2012年(平成24年) 3,537 [利用客数 14]
2013年(平成25年) 3,604 [利用客数 15]
2014年(平成26年) 3,558 [利用客数 16]
2015年(平成27年) 3,715 [利用客数 17]
2016年(平成28年) 3,791 [利用客数 18]
2017年(平成29年) 3,753 [利用客数 19]
2018年(平成30年) 3,778 [利用客数 20]
2019年(令和元年) 3,668 [利用客数 21]
2020年(令和02年) 2,696 [利用客数 1]

駅周辺[編集]

茅野駅西口にある再開発商業施設「ベルビア」。駅舎からのコンコースが接続する中央出入口がかつての駅前商店街入り口に相当する。中央出入口北側のエレベーターからバス待合所にかけて、再開発前は旅館「永明館」とスーパーマーケット「松電ストア」(旧諏訪自動車車庫)があった(2008年)
東口駅前広場の蒸気機関車C12 67。画面右奥には明治・大正期の繭倉を移築した地紙世商店の寒天倉庫が2004年まで存在した

コンコースを挟んだ駅舎北側にはステーションビルMIDORI運営の駅ビル「Mont8(モンエイト)」があり、西口駅前広場を挟んだ西側には、同地にあった駅前商店街や民家を撤去して1987年に開業した再開発商業施設「BELLVIA(ベルビア)」、東口には旧・茅野市民会館(1967年完成)や寒天問屋倉庫などを取り壊して2005年に完成した文化複合施設「茅野市民館」がある。

西口駅前広場には中央本線建設時に撤去された姥塚古墳[11]の由来を伝える石碑(1966年建立)や、近年の弥生通り再開発工事で出土した巨石が展示されている[12]。再開発後の弥生通りに新設された「茅野駅前縄文公園」 には2体の国宝土偶のレプリカがある。

明治の開駅時には一面の水田地帯だったが、駅舎が設けられた甲州街道側の駅西方はまもなく商店などが集積した。新宿方には関西本線の二代目木曽川橋梁または二代目揖斐・長良川橋梁(ともに1928年供用開始)の工事用仮橋のものと推測されているラチス桁を転用した跨線人道橋(現存)が1931年に完成し、大正末期から民家や飲食店が急速に建ち並んで新市街を形成した駅東側の塚原区旭町(現・仲町区)と駅前が直結された。さらに1985年の駅舎新築工事に伴い、市役所通りの西端突き当たりにあった民家や商店、倉庫を立ち退かせて駅構内を横切る東西連絡通路と駅前広場が設けられ、このとき当駅に初めて「東口」が誕生した。

かつては当地から国内外向けに出荷される寒天製品保管用の寒天倉庫[13]が駅構内側線群に面して幾棟も並んで威容を誇り、戦中戦後にかけて長く当駅を象徴する光景となっていた。これらの倉庫は岡谷方面の製糸業者のほか、当駅北側に隣接した信厚館製糸場(跡地はのち信濃寒天工業組合、現・茅野市民館用地の一部)など、昭和初期の大恐慌で廃業した製糸工場の繭倉を転用したものである[13]。しかし旧授産所跡地への茅野市民会館(1967年開館)建設や、スーパーマーケット魚力茅野店の旧信厚館跡地への進出(1971年、のち西友茅野店)で数を減らし、最終的に2004年から2005年にかけて行われた茅野市民館建設工事と東口再整備に伴い、残っていた3棟(寒天問屋地紙世商店所有)がすべて取り壊され消滅した。整備後の東口駅前広場には旧市民会館駐車場に保存されていた蒸気機関車C12 67が移転している。

西口の「モンエイト」は、旧貨物ホーム用地を転用して1986年長野鉄道管理局の関連企業・長野ステーションビル株式会社がオープンした商業施設で、後年のテナント撤退を受け、一部は茅野商工会議所運営の「茅野・産業振興プラザ」に転用されている。また「ベルビア」は、地元商店街と県外資本による大型施設で商業活性化を図ろうと、茅野商工会議所などが1980年に策定した駅周辺4か所への「大型店配備計画」[14]の掉尾として、駅前にバスターミナル・松電ストアを持っていた諏訪バスと駅前商店街が、市の再開発事業にあわせて岡島百貨店甲府市)をキーテナントに招き1987年にオープンしたものである。しかし「茅野岡島」は業績低迷に苦しみ、テナント権利を茅野市に譲渡して2000年に撤退。館内は再開発前からの地元事業者などが残るだけとなったため、対応に迫られた市は子育て支援施設などの市施設を空きフロア対策として入居させたが、「ベルビア」全体の利用はその後も長く低迷が続いている[15]

ベルビア内にあるアルピコ交通バスカウンターと待合所は旧駅舎時代、諏訪自動車(諏訪バス)が駅舎正面の商店街入り口付近に設けていた車庫(「永明館」北隣、のち松電ストア)と駅舎北西の商店街裏に設けていたバスターミナルを引き継いだもので、2018年までは「諏訪バスターミナル」を名乗っていた。車庫跡の松電ストアとバスターミナルは共にベルビア用地の一部となっており、現在のバスカウンターは元のバスターミナルの場所に近い。

茅野市都市計画部は駅舎・「モンエイト」と「ベルビア」に挟まれた西口広場について、2031年度までの約10年間を計画期間とする大規模な再開発事業の基本計画を新たに策定している。素案では低迷が続く「ベルビア」の救済のため、「ベルビア」以降40年間で通算3回目となる駅周辺への巨額インフラ投資を再び実施する構想を盛り込み、駅前の南北を遮断して規模の大きいバス・タクシーベイおよび一般車両ベイを再建設するほか、「モンエイト」を解体し、旧貨物取扱所跡地にかけて大規模マンションなどを建設[16]するとしている。

バス路線[編集]

西口のバスターミナルから発着する。特記無き路線は、アルピコ交通による運行である。

  • 1番のりば
    • 渋の湯線:渋の湯ゆき(尖石縄文考古館・明治温泉経由)
    • 理科大線:諏訪東京理科大学ゆき
    • 岡谷線:岡谷駅ゆき(上諏訪駅・岡谷市役所前経由)(平日のみ。土日・祝祭日、お盆・年末年始は運休)
  • 2番のりば
    • 北八ヶ岳ロープウエイ線:北八ヶ岳ロープウエイゆき(中大塩団地・蓼科湖・プール平・小三室経由)
    • 蓼科高原ラウンドバス:車山高原ゆき(尖石縄文考古館・横谷峡・蓼科湖・北八ヶ岳ロープウエイ・白樺湖経由)
    • 麦草峠線:麦草峠ゆき(堀・糸萱・横谷峡・横谷観音入口経由)
    • メルヘン街道バス:横谷観音ゆき(糸萱・横谷峡経由)
  • 3番のりば
    • 白樺湖線:上諏訪駅ゆき(柏原・白樺湖・車山高原・霧ヶ峰・新田上経由)
  • 4番のりば
  • 5番のりば
  • 6番のりば
    • 丸山線:丸山上ゆき・東向ヶ丘入口ゆき(長嶺中学校・田沢経由)(茅野バス観光)
    • 御狩野線(月曜日):御狩野公民館ゆき(中央病院・長嶺中学上・坂室・木舟・金沢下町・青柳経由)(アルピコタクシー)
    • 御狩野線(火〜金曜日):御狩野公民館ゆき(坂室・木舟・金沢下町・青柳経由)(アルピコタクシー)
    • 豊平・泉野線:豊平・泉野方面(茅野バス観光)※デマンドバス方式、利用登録制(市民のみ利用可)
    • 茅野市福祉バス「ビーナちゃん」
      • 柏原線:柏原区上ゆき(神ノ原・鬼場・米沢支所・北山小学校・柏原経由)※火曜のみ
      • 中道線:中道公民館ゆき(神ノ原・中沢・山田上・中道・上槻木・経由)※火曜のみ
      • 丸山線:望岳の湯ゆき(長嶺中学上・田沢・丸山経由)※火曜のみ
      • 東向ヶ丘線:望岳の湯ゆき(長嶺中学・坂室・東向ヶ丘・丸山上経由)※水曜のみ
      • 大日影経由考古館線:尖石縄文考古館ゆき(神ノ原・鬼場・上古田・大日影・南大塩経由)※水曜のみ
      • 市街地西循環線:アクアランド茅野・宮川口・西山方面(循環)※水曜のみ
      • 白井出線:白井出ゆき(神ノ原・鬼場・中大塩中央・尖石縄文考古館・須栗平経由)※木曜のみ
      • 玉川循環線:中央病院ゆき(山田・穴山・望岳の湯経由)※木曜のみ
      • 横谷峡・金山線:横谷峡入口ゆき・金山ゆき(神ノ原・中大塩団地・糸萱経由)※金曜のみ
      • 小泉経由考古館線:尖石縄文考古館ゆき(神ノ原・小泉上・鬼場・南大塩経由)※金曜のみ
      • 白井出・北大塩線:白井出ゆき(南大塩・中大塩団地上・宝勝寺・芹ケ沢・須栗平経由)※金曜のみ
  • 7番のりは
    • 定期バス降車専用
  • 8・9番のりば(ビル南側)
    • 標柱なし(バスベイのみ) 
  • 10番のりば(ビル南側)
    • 定期バス降車専用
  • 駅舎側エレベータ前のりば(JRバス関東
    • 高遠線:高遠駅ゆき(古屋敷・伊那藤沢経由)※毎年4月の特定日のみ運行 ※2020年度は高遠城址さくら祭りの中止に伴い運休。
    • 南アルプスジオライナー号:仙流荘(南アルプス林道バス営業所)ゆき(直行)※夏季特定日運行

隣の駅[編集]

※特急「あずさ」の隣の停車駅は列車記事を参照。

東日本旅客鉄道(JR東日本)
中央本線
青柳駅 - 茅野駅 - (普門寺信号場) - 上諏訪駅

脚注[編集]

[脚注の使い方]

記事本文[編集]

  1. ^ a b c d e f g h i j k l m n o 信濃毎日新聞社出版部『長野県鉄道全駅 増補改訂版』信濃毎日新聞社、2011年7月24日、64頁。ISBN 9784784071647
  2. ^ 「戦時下の建設と改良」『日本国有鉄道百年史・第11巻』p.280、公共企業体日本国有鉄道、1973年。
  3. ^ 「戦時下における鉄道輸送」『茅野市史・下巻』p.546、茅野市、1988年3月31日
  4. ^ 歴史でめぐる鉄道全路線 国鉄・JR 5号、25頁
  5. ^ a b 鉄道ジャーナル』第20巻第7号、鉄道ジャーナル社、1986年7月、 119頁。
  6. ^ 歴史でめぐる鉄道全路線 国鉄・JR 5号、27頁
  7. ^ “茅野駅にエレベーター”. 交通新聞 (交通新聞社): p. 3. (2000年4月11日) 
  8. ^ a b “Suicaの一部サービスをご利用いただける駅が増えます” (日本語) (PDF) (プレスリリース), 東日本旅客鉄道, (2013年11月29日), オリジナルの2019年2月14日時点におけるアーカイブ。, https://web.archive.org/web/20200214164402/https://www.jreast.co.jp/press/2013/20131114.pdf 2020年3月24日閲覧。 
  9. ^ a b 駅構内図(茅野駅)”. 東日本旅客鉄道. 2019年11月21日閲覧。
  10. ^ 『JR時刻表』2017年3月号、交通新聞社、2017年、 552頁。
  11. ^ 直径31mの円墳で8世紀末築造とみられている。
  12. ^ 長野県茅野市のJR茅野駅近くに祭られている 毎日新聞(2015年09月11日)
  13. ^ a b 「地場産業の進展」『茅野市史・下巻』pp.516-517、1988年3月31日、茅野市
  14. ^ 計画に基づきほかに西友茅野店が移転した「イオ」(塚原)、「諏訪バスプラザ」(丸万・松電ストア、塚原)、「メリーパーク」(松電ストア・ケーヨー、宮川茅野)が立て続けにオープンしたが、「イオ」と「諏訪バスプラザ」はテナント撤退で現存せず、オープン時の出店スキームを維持できているのは国道20号沿いのメリーパークのみである。
  15. ^ 「中心市街地における大型空き店舗等遊休不動産の活用に係る調査・研究事業報告書 平成23年度中心市街地商業等活性化支援業務」経済産業省商務流通グループ中心市街地活性化室、2012年3月。
  16. ^ 茅野駅西口駅前広場リニューアル基本計画(概要版) 茅野市都市建設部都市建設課

利用状況[編集]

  1. ^ a b 各駅の乗車人員(2020年度)”. 東日本旅客鉄道. 2021年7月20日閲覧。
  2. ^ 各駅の乗車人員(2000年度)”. 東日本旅客鉄道. 2019年4月18日閲覧。
  3. ^ 各駅の乗車人員(2001年度)”. 東日本旅客鉄道. 2019年4月18日閲覧。
  4. ^ 各駅の乗車人員(2002年度)”. 東日本旅客鉄道. 2019年4月18日閲覧。
  5. ^ 各駅の乗車人員(2003年度)”. 東日本旅客鉄道. 2019年4月18日閲覧。
  6. ^ 各駅の乗車人員(2004年度)”. 東日本旅客鉄道. 2019年4月18日閲覧。
  7. ^ 各駅の乗車人員(2005年度)”. 東日本旅客鉄道. 2019年4月18日閲覧。
  8. ^ 各駅の乗車人員(2006年度)”. 東日本旅客鉄道. 2019年4月18日閲覧。
  9. ^ 各駅の乗車人員(2007年度)”. 東日本旅客鉄道. 2019年4月18日閲覧。
  10. ^ 各駅の乗車人員(2008年度)”. 東日本旅客鉄道. 2019年4月18日閲覧。
  11. ^ 各駅の乗車人員(2009年度)”. 東日本旅客鉄道. 2019年4月18日閲覧。
  12. ^ 各駅の乗車人員(2010年度)”. 東日本旅客鉄道. 2019年4月18日閲覧。
  13. ^ 各駅の乗車人員(2011年度)”. 東日本旅客鉄道. 2019年4月18日閲覧。
  14. ^ 各駅の乗車人員(2012年度)”. 東日本旅客鉄道. 2019年4月18日閲覧。
  15. ^ 各駅の乗車人員(2013年度)”. 東日本旅客鉄道. 2019年4月18日閲覧。
  16. ^ 各駅の乗車人員(2014年度)”. 東日本旅客鉄道. 2019年4月18日閲覧。
  17. ^ 各駅の乗車人員(2015年度)”. 東日本旅客鉄道. 2019年4月18日閲覧。
  18. ^ 各駅の乗車人員(2016年度)”. 東日本旅客鉄道. 2019年4月18日閲覧。
  19. ^ 各駅の乗車人員(2017年度)”. 東日本旅客鉄道. 2019年4月18日閲覧。
  20. ^ 各駅の乗車人員(2018年度)”. 東日本旅客鉄道. 2019年7月10日閲覧。
  21. ^ 各駅の乗車人員(2019年度)”. 東日本旅客鉄道. 2020年7月10日閲覧。

参考文献[編集]

  • 曽根悟(監修)「中央本線」『週刊 歴史でめぐる鉄道全路線 国鉄・JR』第5号、朝日新聞出版、2009年8月9日。

関連項目[編集]

外部リンク[編集]