国鉄C12形蒸気機関車

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国鉄C12形蒸気機関車
茅野駅東口広場のC12 67
茅野駅東口広場のC12 67
基本情報
運用者 鉄道省日本国有鉄道
製造所 日立製作所三菱重工業
川崎車輛汽車製造
日本車輌製造
製造年 1932年 - 1947年
製造数 282両
主要諸元
軸配置 1C1
軌間 1,067 mm
全長 11,350 mm
全高 3,900 mm
機関車重量 50.05 t
動輪上重量 32.00 t(運転整備時)
動輪径 1,400 mm
軸重 10.90 t(第3動輪上)
シリンダ数 単式2気筒
シリンダ
(直径×行程)
400 mm × 610 mm
弁装置 ワルシャート式
ボイラー圧力 14.0 kg/cm2
大煙管
(直径×長さ×数)
127 mm×3,200 mm×16本
小煙管
(直径×長さ×数)
45 mm×3,200 mm×68本
火格子面積 1.30 m2
全伝熱面積 73.3 m2
過熱伝熱面積 19.8 m2
全蒸発伝熱面積 53.5 m2
煙管蒸発伝熱面積 46.1 m2
火室蒸発伝熱面積 7.4 m2
燃料 石炭
燃料搭載量 1.50 t
水タンク容量 5.5 m3
制動装置 自動空気ブレーキ
最高運転速度 75 km/h
最大出力 592 PS
動輪周出力 505 PS
シリンダ引張力 8,290 kg
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C12の罐

国鉄C12形蒸気機関車(こくてつC12がたじょうききかんしゃ)は、日本国有鉄道(国鉄)の前身である鉄道省が製造した過熱式タンク式蒸気機関車である。

軸重制限のある簡易線規格路線用の小型軽量な機関車として設計され、本形式からテンダー式C56形が派生した。

誕生の背景[編集]

昭和時代に入り主要幹線の整備が一通り終わると、大きな需要の見込めない閑散支線の建設が進められた。しかし折からの経済恐慌が深刻化し、建設費を低く抑えるため簡易線が数多く建設された。このような路線には軸重が軽く、運転コストの低い新形の小型機関車が要求されたため、C12形が製造されることになった。

製造[編集]

若桜駅構内のC12 167(後方より)

鉄道省(国鉄)向けとしては1932年(昭和7年)から1940年(昭和15年)まで、および1947年(昭和22年)に282両が製造されている。製造メーカーは川崎車輛汽車製造会社日立製作所日本車輌製造三菱重工業の5社である。火室は深く設計され焚火(ふんか)しやすく、C12 38以降は、アーチ管を増設して伝熱面積を増加し、蒸発量を増やす改良が行なわれている。

このほか鉄道省以外に納入され、戦時買収などにより鉄道省に引き継がれ、C12形に編入された同形車が11両 (C12 265 - 275) あるため、ラストナンバーはC12 293となっている。

なお、基本的にはデフレクターを装備していないが、C11形と同型のデフレクターを装備した車両も少数だが存在した。

製造年次ごとの番号と両数は次のとおりである。

  • 1932年 - C12 1 - 5(5両)
  • 1933年 - C12 6 - 45, 54 - 58,66 - 68(48両)
  • 1934年 - C12 46 - 53, 59 - 65, 69 - 98(45両)
  • 1935年 - C12 99 - 127(29両)
  • 1936年 - C12 128 - 138(11両)
  • 1937年 - C12 139 - 166(28両)
  • 1938年 - C12 167 - 204(38両)
  • 1939年 - C12 205 - 234(30両)
  • 1940年 - C12 235 - 264(30両)
  • 1947年 - C12 276 - 293(18両)

製造会社別の番号と両数は次のとおりである。

  • 汽車製造(44両)
    • C12 1 - 11(製造番号1182 - 1192)
    • C12 54 - 65(製造番号1213 - 1224)
    • C12 84 - 89(製造番号1248 - 1253)
    • C12 107 - 109(製造番号1337 - 1339)
    • C12 148 - 154(製造番号1463 - 1469)
    • C12 157 - 161(製造番号1485 - 1489)
  • 川崎車輛(56両)
    • C12 12 - 26(製造番号1417 - 1431)
    • C12 46 - 53(製造番号1463 - 1470)
    • C12 78 - 83(製造番号1488 - 1493)
    • C12 106(製造番号1610)
    • C12 114 - 135(製造番号1611 - 1614, 1618 - 1627, 1689 - 1696)
    • C12 144 - 147(製造番号1771 - 1774)
  • 日立製作所(55両)
    • C12 27 - 31(製造番号468 - 472)
    • C12 38 - 41(製造番号496 - 499)
    • C12 66 - 68(製造番号517 - 519)
    • C12 90 - 94(製造番号567 - 571)
    • C12 99(製造番号625)
    • C12 110 - 113(製造番号683 - 686)
    • C12 136 - 138(製造番号734 - 736)
    • C12 235 - 264(製造番号1262 - 1291)
  • 日本車輌製造(110両)
    • C12 32 - 34(製造番号270 - 272)
    • C12 42, 43(製造番号286, 287)
    • C12 69 - 72(製造番号296 - 299)
    • C12 100 - 102(製造番号339 - 341)
    • C12 139 - 143(製造番号470 - 474)
    • C12 155, 156(製造番号480, 481)
    • C12 162 - 234(製造番号482 - 485, 568 - 593, 649 - 661, 724 - 753)
    • C12 276 - 293(製造番号1478 - 1495)
  • 三菱重工業(17両)
    • C12 35 - 37(製造番号120 - 122)
    • C12 44, 45(製造番号123, 124)
    • C12 73 - 77(製造番号136 - 140)
    • C12 95 - 98(製造番号151 - 154)
    • C12 103 - 105(製造番号158 - 160)

鉄道省以外向けの同形機[編集]

小型軽量で軸重が軽いC12形は、国鉄規格の車幅が特認を要するものの地方私鉄や産業用鉄道向けにも最適で、同形機が外地を含む全国各地の私鉄専用鉄道などに37両が製造・供給されている。このうち11両は、台湾総督府鉄道および樺太庁鉄道向けに製造されたものである。鉄道省向けの製造は1940年(昭和15年)で一段落しているが、民間向けの製造はそれ以後に行なわれたものが多い。

これらのうち、樺太庁鉄道に納入された4両は南樺太の内地化により、播丹鉄道(現在の加古川線)に納入された1両、相模鉄道(現在の相模線部分)に納入された2両、小倉鉄道(現在の日田彦山線)に納入された4両は戦時買収により鉄道省籍に編入され、国鉄の番号を与えられた。

なお、国鉄籍のC12形にはお召し列車牽引の記録がないが、島原鉄道の4 (→ C1205) は購入後間もない1949年(昭和24年)5月25日に牽引にあたっている。

  • 三菱石炭油化工業(樺太)[注釈 1] - 1両
    • C122 - 1940年・川崎車輛(製造番号2392)
  • 小倉鉄道 - 4両(1943年国有化)
    • C1211 - 1941年・日本車輛製造(製造番号959) → C12 267
    • C1212 - 1941年・日本車輛製造(製造番号968) → C12 268
    • C1213 - 1941年・日本車輛製造(製造番号969) → C12 269
    • C1214 - 1941年・日本車輛製造(製造番号970) → C12 270
  • 日本窒素海南興業石碌鉄道(海南島) - 2両
    • C121 - 1941年・日本車輛製造(製造番号971)
    • C122 - 1941年・日本車輛製造(製造番号972)
  • 定山渓鉄道 - 1両
    • C121 - 1942年・日本車輛製造(製造番号1069) → 1957年、日本鉱業豊羽鉱山専用鉄道に譲渡
  • 相模鉄道 - 2両(1944年国有化) → 相模鉄道の蒸気機関車#20形・C12形も参照されたい。
    • 21 - 1942年・日本車輛製造(製造番号1070) → C12 274
    • 22 - 1942年・日本車輛製造(製造番号1071) → C12 275
  • 常総鉄道 - 1両(飽和式で大煙管を装備せず)
    • 51 - 1942年・日本車輛製造(製造番号1075)
  • 播丹鉄道 - 1両(1943年国有化)
    • C12 266 - 1944年・日立製作所(製造番号1782。鉄道省向けのものを割譲。買収後完成し、直接省籍に編入)
  • 南薩鉄道 - 3両
    • 12 - 1944年・汽車製造(製造番号2352:角形の蒸気ドーム被い、砂箱を装備)
    • 13 - 1948年・日本車輛製造(製造番号1499)
    • 14 - 1949年・日本車輛製造(製造番号1522)
  • 同和鉱業片上鉄道 - 1両
    • 10 - 1944年・日立製作所(製造番号1781) → C12-201(1968年10月29日廃車)
  • 島原鉄道 - 5両
    • 1 - 1948年・日本車輛製造(製造番号1497) → 1952年改番C1201
    • 2 - 1948年・日本車輛製造(製造番号1498) → 1952年改番C1202
    • 3 - 1949年・日本車輛製造(製造番号1519) → 1952年改番C1203
    • 4 - 1949年・日本車輛製造(製造番号1520) → 1952年改番C1205
    • 5 - 1949年・日本車輛製造(製造番号1521) → 1952年改番C1206
  • 日本炭鉱 - 2両
    • C1201 - 1949年・日立製作所(製造番号1859)
    • C1202 - 1952年・日立製作所(製造番号12071)
  • 樺太庁鉄道恵須取鉄道 - 4両(1943年鉄道省に編入)
    • C12 1 - 1941年・日立製作所(製造番号1411) → C12 265(1943年省籍編入。鉄道省向け(C12 265を予定)だったが、恵須取鉄道向けに割譲され、樺太庁鉄道恵須取工事事務所に配属)
    • (C12 2, C12 3) - 1943年・日立製作所(製造番号1556, 1557) → C12 271, C12 272(恵須取鉄道向け。完成が遅れ、直接省籍に編入)
    • (C12 4) - 1942年・日本車輛製造(製造番号1068) → C12 273(恵須取鉄道向け。完成が遅れ、直接省籍に編入)

外地に渡ったC12形[編集]

軍の要請による供出[編集]

ベトナムのダラット駅に保存されている元C12形

C12形はC56形とともに軽量小型を買われ、戦時中の作戦に用いるため軍部の徴発を受けることになった。1938年(昭和13年)から1939年(昭和14年)にかけて60両が1m軌間に改造され、北支(中国大陸)の華北交通へと送られている。中華人民共和国成立後は、プレ51形、その後PL51形と改称され、そのうち一部はのちにベトナムに送られ、PL131型として専用線で健在である。

1943年(昭和18年)には2両が供出され、1,067 mm軌間のままジャワに送られている。戦後はインドネシア国鉄に編入され、C32形 (C3201, C3202) となって、1970年代まで使用された。

本形式の特別廃車(供出)の状況は次のとおりである。

  • 1938年(40両) - C12 101 - 140(5月に15両、8月に20両、11月に5両)
  • 1939年(20両) - C12 141 - 160(3月に全部)
  • 1943年(2両) - C12 94, 168(11月および12月に各1両)

南樺太のC12形[編集]

樺太庁鉄道に納入された同型機1両 (C12 1) は1943年(昭和18年)4月1日、樺太庁鉄道が鉄道省に編入されたためC12 265となり、さらに建設中の恵須取鉄道未成線)向けに3両の増備車 (C12 2 - 4) が製作されていたが、こちらは編入後に落成し、直接鉄道省籍 (C12 271 - 273) となった。このほかにも、民間工場の専用線用に2両が製造されている。これらは、1945年(昭和20年)、日本が太平洋戦争敗戦するとともにソビエト連邦接収され、以後の消息は明らかでない。

台湾のC12形[編集]

台湾のCK124

日本が領有していた台湾台湾総督府鉄道向けに7両が日本車輌製造で製造され、同じくC12形 (C12 1 - 7) として使用された。台湾のC12形には日本のC56形と同様のデフレクターが装備され、日本のC12形と印象が異なっている[注釈 2]

太平洋戦争後は台湾鉄路管理局が引き継ぎ、CK120形 (CK121 - CK127) と改称され、引き続き支線区で使用されていたが、1979年6月の西部幹線電化に伴い廃車され、CK124のみ新北投線新北投駅で静態保存されたが、他の6両は解体された。

CK124は、1988年の新北投線廃止と台北捷運淡水線の工事開始に伴い、北投駅に隣接していた職員訓練施設に移送の上引き続き展示されたが、2001年に動態復元が決定し、台北工場で整備ののち、同年6月9日に復活運転を果たした。現在は、彰化扇形庫を基地に、不定期ながら台湾各地で運転されている。

海南島のC12形[編集]

海南島にあった日本窒素の工場の専用鉄道に納入された2両があったが、こちらも太平洋戦争後の消息は不明である。

同じく外地に渡ったC56形については戦後の情報も多く、現在でもタイで数多く保存され、日本に戻ってきたものもあるのに対して、C12形については日本に戻ってきた例はなく、現地での情報もほとんどない。

参考文献[編集]

  • 頼徳湘・曹志明「台湾鉄路管理局のCK 120形タンク機関車」
交友社『鉄道ファン』2001年1月号 No.477 pp.130 - 131
  • 都築雅人「ベトナム最後のC12形」
交友社『鉄道ファン』2002年5月号 No.493 pp.128 - 131

国内に残ったC12形[編集]

足尾線を走るC12 41(1970年)

戦後も国内に残った残存機、および戦後に補充製造された新製機は全国各地の比較的短距離の閑散線区、あるいは入換用として長く使用された。気動車の進出に伴い1959年から廃車が始まったが、貨物輸送のある簡易線などの需要もあり、後継機の開発の遅れから蒸気機関車の末期まで使用された。

譲渡[編集]

本形式の払下げは、次の5両のみである。

保存機[編集]

SL末期まで使用された形式にもかかわらず、梅小路蒸気機関車館には収蔵されなかったが、各地で静態保存されており、そのうちの2両が動態復元された。現在、動態保存としての運転が行われているのは1両のみである。

動態保存機[編集]

C12 66[編集]

真岡鐵道所有の動態保存機C12 66
(2018年4月1日 真岡鐵道 北真岡 - 西田井間)

現在、日本国内では真岡鐵道C12 66が動態保存されている。詳細は以下のとおり。

日立製作所の笠戸工場で1933年(昭和8年)11月29日に竣工した(製造番号 517)。同年12月8日に鹿児島機関庫に新製配置され、指宿線で使用された。1937年(昭和12年)12月には東北地方の小牛田運転区、1938年(昭和13年)2月8日には宮古機関区、1939年(昭和14年)9月17日には釜石機関区、同年11月12日には弘前機関区と移動を頻繁に繰り返した。そして、1944年(昭和19年)10月3日に上諏訪機関区に所属してからは、上諏訪駅をはじめ、岡谷駅辰野駅などの構内の入換作業や、善知鳥峠を走行する列車の補助機関車(補機)に使用された。しかし、ディーゼル機関車の普及により1972年(昭和47年)3月22日に会津若松機関区に転属し、郡山工場に入場した。C12 60と重連で川俣線を走行し、同年5月14日廃車となり、岩代川俣駅の跡地で静態保存されることになった。

1991年(平成3年)ごろ、真岡鐵道が観光のための蒸気機関車牽引列車(SL列車)の運行を計画しており、各地でタンク機関車を探していたところ、当機が選ばれた。1992年(平成4年)12月18日に大宮工場(現・大宮総合車両センター)へ入場し、1993年(平成5年)11月17日に火入れ式が行われ、同年12月7日に再び走行が可能となった。

1994年(平成6年)1月14日に車籍復活し、同年2月16日に試運転を開始、3月27日より下館 - 茂木間の「SLもおか」として運転を開始した。1998年(平成10年)11月24日から約1か月間、北海道旅客鉄道(JR北海道)に貸し出され、NHK連続テレビ小説すずらん』の撮影用の列車として、同時に貸し出された高崎車両センター旧型客車2両とともに留萌本線で運転されたこともあった。

自動列車停止装置 (ATS) は、東日本旅客鉄道株式会社(JR東日本)乗り入れ用のATS-SNを装備しているが、上記の北海道以外でのJR線での運転は今のところ実績がない。ただし、例外として定期検査を受け持つ大宮総合車両センターにおいて、例年5月に開催されるJRおおみや鉄道ふれあいフェアのイベントにも登場している。この際、2014年の開催では大宮工場時代を含め操業120周年を迎えたことから、検査終了間際の時に走行する試験線を利用して高崎車両センターの旧型客車3両および折り返し用のDE10形を連結して体験乗車を行っている。

上記以外の動態保存機[編集]

台湾にも同形のCK124が動態で残っており、2008年4月、台湾北部の平渓線で観光列車として月一回の運行が開始された[4]。 また、静態保存機の中でも、鳥取県若桜鉄道若桜駅に現在置かれているC12 167については、駅構内の専用線路での自力走行を可能にするべく整備が行われ、現在は、コンプレッサーによる圧縮空気を動力源として、展示線にて運転が行われている。将来的に火を入れて、本来の動態保存機としての復元に向けて、復元にかかる費用の募金活動が行われている。同様に明智駅展示のC12 244についても、リニア中央新幹線の開業に合わせて営業運転を行うべく、復元する計画があり、[5]2015年8月10日には明智駅構内を圧縮空気を使用してデモ走行を行った。

過去の動態保存機[編集]

大井川鐵道でかつてC12 164が動態保存されていた。詳細は以下のとおり。

1937年(昭和12年)9月に日本車輌製造で製造された(製造番号 484)。同年9月12日に上諏訪機関区に新製配置され、1949年(昭和24年)3月1日岡山機関区に転属してからは、周辺の機関区などの構内の入れ換え作業や、貨物列車に使用された。1961年(昭和36年)3月31日には厚狭機関区に転属し、宇部線等で石灰列車に使用された。1973年(昭和48年)3月末に運用を終了し、木曽福島機関区で保管され、同年9月20日に廃車となったが、同24日静岡県本川根町(現・川根本町)に引き取られ、千頭駅で展示されていた。大井川鉄道(現・大井川鐵道)で修復され、再び走行が可能となった。1976年(昭和51年)7月9日よりC11 227を動態保存している同鉄道で、予備機として使用されることになり、まれにC11 227と重連で運転されたこともある。しかし、1984年(昭和59年)5月に検査切れのために休車になり、千頭駅で保管された。その後、本機の復活を目指す団体「公益財団法人日本ナショナルトラスト」が現れたことにより、市民の募金で1987年(昭和62年)に動態復元され、同年7月25日に臨時SL急行「トラストトレイン」(1か月に1回運行)として運転を開始した。しかし、2005年(平成17年)にATSの設置を義務付けられたため、同年4月23日をもって運転を休止、翌月から休車扱い[注釈 4]となった。ATS装置設置費用確保のための募金活動を実施したが、募金総額は半分程度しか集まらず、かつ休車扱いとなってから5年以上が経過してATSの整備だけの問題ではなくなってきていたことから、日本ナショナルトラストは同機の動態保存としての維持を終了し、再度静態保存に移行することを募金協力者に通知した。現在、大井川鐵道が車体の塗装を整備した上で、2011年(平成23年)に新設した新金谷駅転車台での展示車両として活用中である。2016年(平成28年)9月28日、大井川鐵道が日本ナショナルトラストと同年9月1日付で寄託契約を締結し、再び動態保存運転への再復活に向けて乗り出した[6]
主要諸元は以下のとおり。
  • 全長 - 11.350m
  • 全高 - 3.900m
  • 全幅 - 2.946m
  • 重量 - 50.0t
  • 空重量 - 39.00t

静態保存機[編集]

小樽市総合博物館をはじめ、全国各地に静態保存機がある。

  • 東北地方
  • 関西地方
    • C12 38 - 大阪府大阪市住之江区 大阪市住之江区南港中アチハ株式会社(2016年に共栄興業より、京浜鋼管112号機とともに搬出。今後はD51 827・京浜鋼管112号機とともに圧縮空気で動態保存される予定)
  • 中国地方
    • C12 167 - 鳥取県八頭郡若桜町若桜鉄道若桜駅構内」※圧縮空気により可動。(2007年8月7日まで、兵庫県多可郡多可町加美区「多可町加美地域局」(旧加美町役場)に保存されていた)

脚注[編集]

注釈[編集]

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  1. ^ 大正10年9月4日運行開始[1]
  2. ^ C12 199など、内地(日本)にはC11と同型のデフレクターを装備したC12形がごく少数ながら存在した。
  3. ^ 船舶不足により海上輸送が困難なため専用線(周防富田駅-セメント工場間)を昭和19年10月開通[2]
  4. ^ 正式に休車となったのは2008年6月からである。
  5. ^ ダラット駅の説明書きには1936年製造と書かれている。

出典[編集]

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  1. ^ 『地方鉄道及軌道一覧:昭和18年4月1日現在』(国立国会図書館近代デジタルライブラリー)
  2. ^ 『徳山曹達70年史 道標はるかに』85頁写真掲載 (電子ブック)
  3. ^ 澤内一晃・星良助「北海道の専用鉄道車両」『鉄道史料』No.120、高井薫平『小型蒸気機関車全記録』東日本編、講談社、2012年、40頁
  4. ^ NHKニュース 2008年4月18日 「台湾で昔の日本製SLを運行」
  5. ^ “【社会】リニアからSL乗車 岐阜県、明知鉄道結ぶ構想”. 中日新聞. (2014年2月18日). http://www.chunichi.co.jp/s/article/2014021890085743.html 2014年2月18日閲覧。 
  6. ^ 鉄道文化財の動態復元に向けて合意のお知らせ (PDF)
  7. ^ 小牟田哲彦 『ダラット高原のミニ列車——林芙美子の小説『浮雲』の舞台』 鉄道ジャーナル2005年9月号pp.124 - 125

参考文献[編集]

  • 臼井茂信「日本蒸気機関車形式図集成」1969年、誠文堂新光社
  • 臼井茂信「機関車の系譜図 4」1972年、交友社
  • 高田隆雄監修「万有ガイドシリーズ12 蒸気機関車 日本編」1981年、小学館
  • 寺島京一「台湾鉄道の蒸気機関車について」レイルNo.23(1988年)プレス・アイゼンバーン刊