近鉄16000系電車
| 近鉄16000系電車 | |
|---|---|
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16000系旧塗装(河内天美駅付近) | |
| 基本情報 | |
| 運用者 | 近畿日本鉄道 |
| 製造所 | 近畿車輛 |
| 製造年 | 1965年 - 1977年 |
| 製造数 | 20両 |
| 投入先 | 南大阪線・吉野線 |
| 主要諸元 | |
| 編成 | 2両・4両編成 |
| 軌間 | 1,067 mm |
| 電気方式 |
直流1,500V (架空電車線方式) |
| 最高運転速度 | 110 km/h |
| 起動加速度 | 2.3 km/h/s |
| 減速度(常用) | 4.0 km/h/s |
| 編成定員 |
2両編成:128名 4両編成:256名 |
| 全長 | 20,500 mm |
| 全幅 | 2,740 mm |
| 全高 | 3,840 mm(モ16000形)・3,795 mm(ク16100形) mm |
| 主電動機 | 三菱電機 MB-3082-A |
| 主電動機出力 | 135 kW |
| 駆動方式 | WNドライブ |
| 歯車比 | 6.13 |
| 編成出力 |
2両編成:540 kW 4両編成:1,080 kW |
| 制御装置 | 抵抗制御 |
| 制動装置 |
電磁直通ブレーキ (HSC-D) (抑速・発電制動付) |
| 保安装置 | 近鉄型ATS、列車選別装置、列車無線装置 |
近鉄16000系電車(きんてつ16000けいでんしゃ)は、近畿日本鉄道が1965年(昭和40年)に導入した特急形車両。狭軌線の南大阪線・吉野線向けとして設計された最初の特急用車両で、1965年3月18日に大阪阿部野橋 - 吉野間で営業運転を開始した。それまで観光シーズンに運用されていたモ5820形による「かもしか号」の代替としての位置づけである。
本項では譲渡車の大井川鉄道16000系電車についても述べる。増備車の16010系は近鉄16010系電車を参照。
解説の便宜上、本項では大阪阿部野橋方先頭車の車両番号(車号)+F(Formation=編成の略)を編成名として記述する(例:モ16001以下2両編成=16001F)。また、近鉄16000系の解説に使用する写真については、大井川鉄道16000系の写真も適宜使用する。
登場の経緯
[編集]1964年(昭和39年)の東海道新幹線開業に伴って、近鉄特急の主軸とされていた名阪特急は乗客数激減が見込まれた。名阪間輸送シェアは1964年(昭和39年)前半には名阪特急が約70パーセントであったが、新幹線開業後の同年後半には36.8パーセント、1966年(昭和41年)には年間で19パーセントと激減した[注 1]。近鉄は新幹線開通に合わせて方針を転換し、新幹線利用客を大阪・京都・名古屋から伊勢志摩・奈良・吉野などの観光地へ誘致する特急列車ネットワークの構築を開始した[注 2]。
東海道新幹線開業と同日の1964年(昭和39年)10月1日ダイヤ改正では、上本町駅(現・大阪上本町駅)・近畿日本名古屋駅(現・近鉄名古屋駅)と宇治山田をそれぞれ結ぶ阪伊・名伊特急の増発とともに、京都線・橿原線では京都 - 橿原神宮駅(現・橿原神宮前)間を結ぶ京橿特急が新設され、同年12月には京都 - 近畿日本奈良(現・近鉄奈良)間の京奈特急が運行を開始した。橿原神宮駅にて橿原線と接続する狭軌線の南大阪線と吉野線についても、京都線・橿原線と同様の有料特急の定期運行が強く求められるようになった。
従来、軌間の相違で他路線からの直通不能な南大阪・吉野線系統については、両線を所轄する天王寺営業局の独自施策として1959年(昭和34年)8月からの一般車による快速「かもしか」の設定、1960年(昭和35年)2月15日の旧伊勢電気鉄道車の改造による専用車(モ5820形)を用いた同列車の観光シーズンを中心とした不定期有料特急「かもしか」への格上げ、さらに翌1961年(昭和36年)9月21日には「かもしか」の快速への格下げと増発の同時実施など、大阪阿部野橋 - 吉野間を直結する優等列車の運行が模索されてきた。
そこで近鉄本社は、この「かもしか」の実績を基本にしつつ、橿原神宮前駅での京橿特急との接続を基本としたダイヤ編成とすることで古都京都を訪れた観光客を吉野地区へ誘致し、また橿原神宮前での京橿特急との、そして京橿特急の大和八木での大阪線阪伊特急との接続をそれぞれ利用して南大阪地区からの観光客を京都・奈良・伊勢の各地区へ誘致する、定期有料特急(吉野特急)を新設[注 3]し、回遊型の観光客誘致政策を本格化させる構想を立てた。この構想に基づき、南大阪線・吉野線用として大阪線特急車に準じた接客設備を備える本格的な特急車の新造が決定された。
当時の大阪線特急車の基幹系列であった11400系「新エースカー」の各部寸法を南大阪線系統の事情に合わせて手直しした車体に、当時量産が進められつつあった南大阪線用通勤車である6900系(のちの6000系)用主電動機、それに専用の制御器や台車を組み合わせた狭軌線専用特急車が新たに設計され、1965年に16000系が登場した。
1966年には京伊特急の運行が開始され、さらに1973年には京都と難波(現・大阪難波)を結ぶ阪京特急の新設と特急ネットワークの拡大が順次実施された。各方面合わせて1日あたり60往復前後、京橿特急だけでも20往復前後の特急列車が京都を発着し、京橿特急に接続する吉野特急を含む京都を基点とする特急ネットワークが成長してゆくことになる。
構造
[編集]車種構成・編成
[編集]車種構成は以下の4形式からなる。
- モ16000形
- 大阪阿部野橋方制御電動車 (Mc) 。車内販売準備室を設置。定員64名。
- ク16100形
- 吉野方制御車 (Tc) 。電動発電機と空気圧縮機を搭載。洗面所・トイレを設置。定員64名。
- モ16050形
- 中間電動車 (M) 。定員76名。
- サ16150形
- 付随車 (T) 。電動発電機と空気圧縮機を搭載。洗面所・トイレを設置。定員72名。
編成はモ16000形とク16100形を組み合わせた2両編成8本とその間にサ16150形とモ16050形を挿入した4両編成1本があり、電算記号(編成記号)は、2・4両編成ともにYを使用する。第8編成のみY08とY51で構成される[1]。
必要に応じて南大阪線では2・4・6・8両編成で、吉野線では各特急停車駅のプラットホーム有効長の制約から2・4両編成で、それぞれ運用される。なお、編成に当たっては16000系のほか、26000系・16200系以外の南大阪線・吉野線用特急車各系列も混用される。このため、例えば大阪阿部野橋を6両編成で出発した吉野行き特急は、橿原神宮前で2両を切り離し4両編成として吉野へ向かい、4両で吉野から橿原神宮前へ到着した大阪阿部野橋行き特急は、必要に応じ同駅で2両ないしは4両を増結し大阪阿部野橋へ向かうこととなる。
| 2両編成(第1 - 第7・第9編成) | ||||||||
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| 4両編成(第8編成) | ||||||||
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車体
[編集]車体は大阪線用11400系を基本とする21 m級鋼製車体であるが、車両限界が小さいため最大幅が2,740 mmに縮小された[2]。側窓は展望の向上のため幅を20 mm拡大して1,620 mmとし、屋根高さをやや低く変更したため窓高さも50 mm縮小して700 mmとし、運転席側の妻面貫通扉窓の上下寸法を拡大した。
新造時には全車とも車端部にデッキは設置されておらず、客用扉から直接客室へ入る構成となっている。特急標識は逆三角形の大型のものを備え、塗装はオレンジと紺の近鉄特急車標準色である。
窓配置はモ16000形とク16100形がdD8D1(d:乗務員扉、D:客用扉、数字:窓数)、モ16150形がD9D、サ16150形が1D9D[注 4]で、客用扉は当時の近鉄特急車の標準であった750 mm幅の2枚折戸を備える。また、モ16000形とク16100形およびサ16150形の車端部客用扉の外に置かれた側窓1枚分のスペースは、モ16000形が車内販売準備室、ク16100形とサ16150形が洗面所・トイレにそれぞれ割り当てられている。なお、サ16150形については吉野方客用扉に隣接したスペースに補助席を4名分設けている。
座席は11400系と同様、シートピッチ935 mmの回転クロスシートであったが、シートラジオは当初より設置されていなかった[2]。冷房装置は11400系と同様、冷凍能力4,500 kcal/hの東芝RPU-1103ユニットクーラーを各車6基ずつ屋根上に搭載している。
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ク16100形 (16101)
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モ16000形 (16001)
-
回転クロスシート
車内改装後 -
ノーデッキの客室
主要機器
[編集]特急車であるが、主電動機については通勤車である6900系(のちの6000系)と同一のものを使用しており、歯数比も同一である。
このため、走行性能はMT比1:1の6000系と同等であり、起動加速度2.3 km/h/s、平坦線釣合速度は125 km/h、33 ‰勾配時の釣合速度は71km/hである。
主電動機
[編集]主電動機は狭軌用の三菱電機MB-3082-A(端子電圧340 V時1時間定格出力135 kW)を電動車に4基ずつ搭載する。低回転・強トルク特性ながら、高回転時の電機子反作用を界磁に付加した補償巻線で打ち消すことで弱め界磁制御による安定した高速特性を実現している。端子電圧は340 V設定であるため、架線電圧を4等分した端子電圧375 V設定で換算すると実質的な出力は約150 kW相当となる。
駆動方式はWNドライブ、歯数比は92:15 (6.13) である。動輪径が910 mmのため、一般的な860 mmに換算すると約5.79相当となる。
主制御器
[編集]主制御器は日立製作所MMC-HTB-10F電動カム軸式自動加速制御器を電動車に搭載する。
電動車が1両単位となり、また特急用で起動加速時の粘着性能が特に重視されないことなどを考慮し、磁気増幅器を用いたバーニア制御は省略され、主回路接続が直列制御(減流1段、抵抗18段、界磁制御5段)のみとされるなど回路構成が簡略化される一方で、山岳線である吉野線で特急運用を実施することから、南大阪線用車両では初採用となる抑速発電ブレーキ(減流1段、抵抗18段)付きとしている。
台車
[編集]台車はすべて近畿車輛製のシュリーレン式空気ばね台車であり、第1編成から第3編成まではベローズ式空気ばねに長リンク式揺れ枕を組み合わせたKD-52(モ16000形)・KD-52A(ク16100形)を装着する[2]。
ブレーキ
[編集]設計当時標準のHSC-D電空併用電磁直通ブレーキを搭載する[2]。
集電装置
[編集]パンタグラフはモ16000形およびモ16050形吉野寄りにそれぞれ1基を搭載する。このため2両編成の場合は1基しか設けられず、1編成で最低2基が標準装備の近鉄特急車の中にあって異彩を放っている(増備車の16010系も1基のみ)。
第1編成から第3編成までは三菱電機S-534-Aを搭載して竣工したが、以後は東洋電機製造PT-4206に変更されている。
連結器
[編集]運転台側は柴田式密着連結器、連結面側は棒連結器を備えている。
ただし、運転台側については1970年(昭和45年)の第7編成以降、大阪線特急車と歩調を合わせて電気連結器付きの新型密着連結器に変更され、これは既存編成にも波及している。
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電動発電機 HG-584-Cr
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電動空気圧縮機 D-3-FR
製造
[編集]本系列は全車とも近鉄の関連会社である近畿車輛が製造を担当している。
第1・第2編成
[編集]まず1965年(昭和40年)3月18日の吉野特急新設に備え、同年2月7日竣工として以下の2形式2編成4両が新造された。
- モ16000形 モ16001・モ16002
- ク16100形 ク16101・ク16102
第3編成
[編集]吉野特急の定期列車増発に伴う予備車確保のため、京橿特急増発用の18000系第2編成と共に1966年(昭和41年)3月31日竣工として以下の1編成2両が増備された。
- モ16000形 モ16003
- ク16100形 ク16103
この第3編成の竣工で検査時の予備車が確保され、さらに多客時の増結による4両編成化が可能となった。
第4 - 第7編成
[編集]16000系はその後も吉野特急の増強に合わせて増備が進められた。台車は第4編成から第6編成までは台車直結ダイヤフラム式空気ばねによるKD-69(モ16000形)・KD-69A(ク16100形)を、第7編成以降はKD-69・KD-69Aの軸距を2,300 mm(KD-52系も同一)から2,200mmに短縮したKD-69B(モ16000形・モ16050形)・KD-69C(ク16100形・サ16150形)を装着する。
- 1967年(昭和42年)12月2日竣工
- モ16000形 モ16004
- ク16100形 ク16104
- 1969年(昭和44年)4月10日竣工
- モ16000形 モ16005
- ク16100形 ク16105
- 1970年(昭和45年)1月26日竣工
- モ16000形 モ16006
- ク16100形 ク16106
- 1970年(昭和45年)12月3日竣工
- モ16000形 モ16007
- ク16100形 ク16107
第8編成
[編集]第8編成は中間車2両を組み込んだ4両編成となった。
- 1974年(昭和49年)3月15日竣工
- モ16000形 モ16008
- ク16100形 ク16108
- モ16050形 モ16051
- サ16150形 サ16151
第9編成
[編集]第9編成は2両編成で増備された。座席は当時淘汰が始まっていた10100系「新ビスタカー」からの廃車発生品を流用し、特急標識は小型で五角形のホームベース型となった[2]。
- 1977年(昭和52年)12月22日竣工
- モ16000形 モ16009
- ク16100形 ク16109
改造
[編集]貫通開戸の特急標識交換
[編集]1977年(昭和52年)に16001F - 16008Fに貫通開戸の特急標識交換が行われた。これに併せ、前面帯の下辺も一直線から12000系に合わせた形状となっている。
車体更新
[編集]1985年(昭和60年)から1996年(平成8年)にかけて全編成に内装を中心とする車体更新が行われた。
更新により、化粧板の交換と乗務員室左右妻面窓の大型曲面ガラス化のほか、16001F・16002Fに座席のモケット交換、16003F以降に座席の一斉自動転換式リクライニングシート化、16007F・16008F・16051F・16009Fにデッキの新設とモ16000形・モ16050形吉野寄りの乗降扉撤去とク16100形とサ16150形の車椅子対応座席・荷物置場設置および隣接乗降扉拡幅とモ16000形の車内販売基地撤去が順次行われた。ただし、車体前面および側面の方向幕設置と標準軌間各線区で運用されている12200系更新車のような車内灯の間接照明化は省略されている。
-
12400系に準じて車内改装
大井川鉄道16000系 -
第7編成以降の車体更新後の車内
B更新
[編集]2007年(平成19年)から2010年(平成22年)にかけて16007F・16008F・16051F・16009Fに2回目の車体更新(B更新)が行われた[3][4]。更新により、車体の内外装材交換と車体連結部の転落防止幌設置が行われた[3][4]。ただし、座席は従来の一斉自動転換式リクライニングシートで存置されている。このほか、車体前面および側面の方向幕設置は省略されている[5]。
喫煙室設置
[編集]2015年(平成27年)12月から2016年(平成28年)8月にかけて16007F・16009Fにク16100形、16051Fにサ16150形の喫煙室設置が行われた[6][7][5][8]。喫煙室設置により、当該部分反対側の窓封鎖が行われたが[5]、車体前面および側面のLED式行先表示器設置は省略されている[5]。
塗装変更
[編集]
本系列は22000系の車体更新を皮切りに開始された汎用特急車両の塗装変更対象とされ[9]、2016年(平成28年)10月に検査出場した16009Fから順次塗装変更が行われ、在籍する8両が塗装変更を完了した[10]。
運用
[編集]16000系は1965年2月に2編成4両が製造され、同年3月18日より定期3往復、不定期3往復[注 5]での吉野特急の運行がスタートした。なお、その設定経緯から不定期を含む6往復全列車が橿原神宮駅で京橿特急6往復と1:1で接続するダイヤ編成[注 6]であった。橿原神宮前で吉野特急に連絡する京橿特急には「吉野連絡」、京橿特急に接続する吉野特急には「京都連絡」の副標識がそれぞれ掲示される。
この吉野特急も京橿特急同様に利用が多いことから、京都線系統の特急と同様に不定期特急の定期特急格上げが実施され、既存の16000系2編成の予備車として「かもしか」号に用いられていたモ5820形が起用された。吊り掛け駆動方式の旧性能車であったモ5820形は16000系と同じダイヤで走ることができず[注 7]、また同形式は非冷房で接客設備面でも極端な格差があったことから、16000系第3編成が増備された。これにより吉野特急は同年4月1日のダイヤ改正で1往復が増発され、定期7往復体制となった。
その後も特急の増発や増結が実施されたことから、16000系は1977年(昭和52年)までに中間車を含む4形式14両が順次増備されて9編成20両の陣容となった。1981年には12410系と同様の車体とした16010系が1編成増備されている。1日6往復体制でスタートした吉野特急は、1990年の26000系「さくらライナー」竣工直前の段階で1日25往復体制にまで強化されることとなった。
廃車・譲渡
[編集]1997年(平成9年)2月に16400系「ACE」が製造された際、16001F・16002F、2002年(平成14年)7月に16003Fが廃車され、大井川鉄道(現・大井川鐵道)へ譲渡された(後述)。
2005年(平成17年)1月に16004F、2013年(平成25年)11月24日のラストランイベントを最後に16005F・16006Fが廃車された[11][12]。16004F - 16006Fの廃車により、ノーデッキ・B更新未施工車は近鉄における営業線上から姿を消した。
2024年(令和6年)11月23日の「吉野特急車 16000系 ありがとう!Y07ツアー」を最後に16007Fが廃車された[13]。
16008F・16051Fが2024年(令和6年)3月15日の「ありがとうY08Y51編成ツアー」を最後に運用から離脱し、休車状態で古市検車区天美車庫に留置され[13]、2025年(令和7年)5月に廃車された。16008Fの廃車により、喫煙室未設置車は近鉄における営業線上から姿を消した。
2025年(令和7年)6月1日現在、16009Fのみが在籍しており、古市検車区に配置されている[14]。
編成一覧
[編集]| 車体更新 | B更新 | 喫煙室設置 | 廃車 | |
|---|---|---|---|---|
| 16001F | 1986年3月[15] | 未施工 | 未設置 | 1997年2月[15] |
| 16002F | 1985年12月[15] | 1997年2月[15] | ||
| 16003F | 1987年3月[15] | 2002年7月[15] | ||
| 16004F | 1988年3月[15] | 2005年1月[16] | ||
| 16005F | 1988年12月[15] | 2013年11月[12] | ||
| 16006F | 1990年3月[15] | 2013年11月[12] | ||
| 16007F | 1995年3月[15] | 2010年9月[4] | 2016年3月10日[6] | 2024年11月 |
| 16008F | 1996年12月[15] | 2007年12月[3] | 未設置[注 8] | 2025年5月 |
| 16051F | 1995年10月[15] | 2008年3月[3] | 2016年8月26日[7][8] | |
| 16009F | 1995年8月[15] | 2009年 | 2015年12月11日[6] | 運用中 |
譲渡車
[編集]大井川鉄道16000系
[編集]
近鉄で廃車になった初期製造グループのうち、1997年(平成9年)に第1・第2編成、2002年(平成14年)に第3編成の計3編成が大井川鉄道(現・大井川鐵道)に譲渡され、形式記号(モ・クをモハ・クハに変更)以外は近鉄時代の車号のまま16000系となった。大井川本線の普通列車に使用されている。
第1編成は1998年(平成10年)6月23日付で竣工し、7月23日に営業運転を開始した[17]。第2編成は12月20日付、第3編成は2004年(平成16年)3月25日付で竣工した。
ワンマン運転対応改造に伴う最前部1列の座席撤去とトイレ・洗面所・車販準備室の封鎖を実施した以外は、塗色をはじめ内外装ともほぼ近鉄時代そのままの状態で運用されている。第1・2編成はリクライニングしない回転式シートで、第3編成は座席のリクライニング機構もそのまま残っている。近鉄時代は「特急」表示のあった電照式表示器部分は当初「金谷-千頭」という行先表示を入れていたが、2014年(平成26年)3月からは種別表示に変更されている。
第1編成は2014年(平成26年)9月頃から運用を離脱。十和田観光電鉄から譲り受けた7200系に置き換えられ、2015年(平成27年)1月9日付で廃車となった[18]。
2018年(平成30年)10月17日に、抜里 - 家山間で倒木による架線支障により架線柱が倒れたため、第3編成が大破。第2編成から部品を移植して修理し、翌2019年(平成31年)3月に運用を再開した。移植元となった第2編成は休車となり、南海電気鉄道から譲り受けた6000系に置き換えられ[19]、2022年(令和4年)1月7日付で廃車となった[20]。
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譲渡当初の区間表示
(後に種別表記に回帰) -
連結部床下の汚物タンクは撤去
-
第1編成の座席
ワンマン対応設備を設置し運転時は乗務員室扉を開ける -
第3編成の座席
脚注
[編集]注釈
[編集]- ^ このため、一時は「空気を運んでいる」とまで揶揄された名阪甲特急の輸送効率改善のため、1両編成での特急運用実施や名阪甲特急自体の完全廃止が噂されたほどであった。なお、12000系・12200系「スナックカー」の開発も、元々は輸送需要が激減した名阪甲特急の競争力回復が目的であった。
- ^ 当時の近鉄線と営業エリアが重複する国鉄在来線はほとんどが単線非電化で速達列車も気動車であり、高速電気鉄道路線網を持つ近鉄はその点では優位にあった。
- ^ この計画自体は京橿特急の新設計画と同時期に立てられていた。
- ^ 本形式に限り、吉野方客用扉に隣接する側窓1枚の幅が半分となっている。
- ^ 1編成を定期運用に充当し、もう1編成を検査予備とする関係から、1編成が検査入場している期間については不定期3往復は運休とされた。
- ^ 乗り換え接続時間は京橿特急の折り返し時間をうまく活用し、これに上下の吉野特急の着発時間を合わせることで、両線両方向とも約4分から6分前後が確保されていた。
- ^ 平坦な阿部野橋 - 橿原神宮前間と山岳線の橿原神宮前 - 吉野間でそれぞれ40分と39分、合計約1時間19分を要した。16000系では同じ区間をそれぞれ35分と34分、合計1時間9分で走行可能であったため、モ5820形による代走時にはダイヤの変更が必要であった。
- ^ 喫煙室設置済みの16051Fやその他の2両編成と組成することで、分煙化に対応している。
出典
[編集]- ^ 『鉄道ファン』(第473号)2000年9月号 交友社 p.55
- ^ a b c d e 『車両発達史シリーズ2 近畿日本鉄道 特急車』関西鉄道研究会、p.124
- ^ a b c d 『鉄道ファン』(第569号)2008年9月号 交友社 「大手私鉄車両ファイル2008 車両配置表&車両データバンク」
- ^ a b c 『鉄道ファン』(第605号)2011年9月号 交友社 「大手私鉄車両ファイル2011 車両データバンク」
- ^ a b c d “近鉄16000系が喫煙室取付け工事を終え出場”. 鉄道ファン・railf.jp (交友社). (2015年12月12日)
- ^ a b c 『鉄道ファン』(第664号)2016年8月号 交友社 「大手私鉄車両ファイル2016 車両データバンク」
- ^ a b 『鉄道ファン』(第676号)2017年8月号 交友社 「大手私鉄車両ファイル2017 車両データバンク」
- ^ a b “近鉄16000系Y51編成が出場”. 鉄道ファン・railf.jp (交友社). (2016年8月19日)
- ^ 近鉄特急のイメージが大きく変わります! 近畿日本鉄道 2015年11月12日掲載
- ^ “近鉄16000系Y09が新塗装に”. 鉄道ファン・railf.jp (交友社). (2016年10月15日)
- ^ “近鉄『さよなら16000系 (Y5Y6) ラスト・ラン&撮影会』ツアー開催”. 鉄道ファン・railf.jp (交友社). (2013年11月25日)
- ^ a b c 『鉄道ファン』(第640号)2014年8月号 交友社 「大手私鉄車両ファイル2014 車両配置表」
- ^ a b 橋村季真 (2024年11月9日). “近鉄16000系、南大阪線・吉野線「最古参特急」の今”. 東洋経済ONLINE. 2024年11月9日閲覧。
- ^ 『鉄道ファン』(第700号)2019年8月号 交友社 「大手私鉄車両ファイル2019 車両配置表」
- ^ a b c d e f g h i j k l m JTBキャンブックス『近鉄特急 下』 田淵仁 2004年 JTBパブリッシング pp.168 - 172
- ^ 『鉄道ピクトリアル』2005年10月臨時増刊号「鉄道車両年鑑 2005年版」 p.226
- ^ 「モハユニ・大井川鉄道の16000系が営業運転を開始」『RAILFAN』第549号、鉄道友の会、1998年9月1日、24頁。
- ^ 『私鉄車両編成表2015』 交通新聞社 p.199
- ^ “大井川鐵道が南海6000系を購入、14系・12系客車の動向も気になる”. マイナビニュース (マイナビ). (2020年7月18日)
- ^ 『私鉄車両編成表2022』 交通新聞社 p.204
参考文献
[編集]- 鉄道史資料保存会『近鉄旧型電車形式図集』、鉄道史資料保存会、1979年
- 寺本光照・林基一『決定版 近鉄特急』、ジェー・アール・アール、1985年
- 『鉄道ピクトリアル 』No.528 1990年5月臨時増刊号、電気車研究会、1990年
- 藤井信夫 編『車両発達史シリーズ2 近畿日本鉄道 特急車』、関西鉄道研究会、1992年
- 『鉄道ピクトリアル 』No.569 1992年12月臨時増刊号、電気車研究会、1992年
- 『鉄道ピクトリアル』 No.727 2003年1月臨時増刊号、電気車研究会、2003年
- 中山 嘉彦「戦後飛躍期の近畿日本鉄道新製車両について」、『鉄道ピクトリアル』(車両研究 1960年代の鉄道車両 鉄道友の会50周年記念、鉄道友の会編)、電気車研究会、2003年、pp.109 - 110
- 『鉄道ファン』、交友社
- 1981年6月号、pp.46 - 57
- 付録小冊子「大手私鉄車両ファイル 車両配置表&車両データバンク」2008年9月・2011年9月 - 2017年8月発行号
- 寺田裕一『ローカル私鉄車輌20年 東日本編』、JTBパブリッシング、2001年
- ジェー・アール・アール『私鉄車両編成表 '99年版』、交通新聞社、1999年
- ジェー・アール・アール『私鉄車両編成表 '04年版』、交通新聞社、2004年
- ジェー・アール・アール『私鉄車両編成表2015』、交通新聞社、2015年
- ジェー・アール・アール『私鉄車両編成表2022』、交通新聞社、2022年