近鉄1460系電車

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
移動先: 案内検索
BYR color wheel.svg この項目ではを扱っています。閲覧環境によっては、色が適切に表示されていない場合があります。
近鉄一般車ベージュ
 
16進表記 #c1a488
RGB (193, 164, 136)
マンセル値 7.5YR 7/3
出典 「戦後飛躍期の近畿日本鉄道新製車両について」
近鉄一般車ブルー
 
16進表記 #1e3448
RGB (30, 52, 72)
マンセル値 2.5PB 2/4
出典 「戦後飛躍期の近畿日本鉄道新製車両について」

近鉄1460系電車(きんてつ1460けいでんしゃ)は、1957年に登場した近畿日本鉄道大阪線通勤形電車である。

本項では増備型の1470系電車も含めて記述する。

1460系[編集]

近鉄1460系電車
唯一の新塗装編成であった1461F(1987年 鳥羽)
唯一の新塗装編成であった1461F(1987年 鳥羽)
基本情報
製造所 近畿車輛
主要諸元
編成 2両編成
軌間 1435 mm
電気方式 直流1500V
最高運転速度 110 km/h
起動加速度 3.5 km/h/s
減速度(常用) 4.0 km/h/s
車体長 20720 mm
車体幅 2709 mm
台車 KD-22
主電動機 MB-3028-A2
主電動機出力 75kW
駆動方式 WNドライブ
制動装置 電磁直通ブレーキ
保安装置 近鉄型ATS
テンプレートを表示

1957年に上本町駅 - 信貴線信貴山口駅間直通準急・普通(いずれも1967年12月20日廃止)用として登場した大阪線初の量産型高性能車である。

車体は全金属製、両開き3扉、サッシュレス下降窓を採用した。屋根肩のRが大きく幕板に相当する部分が殆ど無い断面形状が特徴である[1]。この片側両開き3扉のスタイルは後に名古屋線の旧車機器流用車6441系旧モ1421形に採用されたが、南大阪線用の6800系ラビットカーで採用された片側4扉が1470系をはじめとするこの後の系列に採用されたため、完全新造車では1988年登場の5200系まで3扉車は製造されることはなかった。前照灯は一灯形で登場。後にシールドビーム二灯形に改められたが、廃車になるまで外観は一灯形のスタイルのままであった。上本町寄りからモ1460形奇数(cM)-モ1460形偶数(Mc)の2両編成で、1461編成・1463編成・1465編成の3編成6両がMMユニット方式で製造された。

当初は朝ラッシュ時の上本町駅 - 名張駅伊賀神戸駅間の通勤急行などに充当されることもあったが、基本的には各駅停車や準急などの大阪線内での区間運用車や信貴線で運用された。

性能は全電動車方式による高加減速性能を重視し、起動加速度はそれまでの車両より高めの3.5km/h/s、減速度は4.0km/h/sである。

足回りは1954年に試作車として改造されたモ1450形を基本としており、主電動機三菱電機製 (MB-3028-A2[2]、75kW×4個)、主制御器は三菱電機製単位スイッチ式 (ABFM-108-15MDH、停止・抑速用電気制動付)、WNドライブである。集電装置は三菱電機製 (S-524-AC、奇数車の非運転台寄設置)、補助電源装置は三菱電機製 (MG-57-S、交流出力、近鉄初の60Hz機) で、通風装置は三菱電機製ファンデリアが搭載された。また、電磁直通ブレーキ (HSC-D) で、空気圧縮機は三菱製 (D-3-FR)、台車は近畿車輛製KD-22を採用している。

塗装[編集]

本形式はベージュに100mm幅青帯の塗装を初めて採用し、その後の広軌線高性能一般車の標準塗装となった[3]1965年頃から塗装工程簡略化のためにマルーンレッド一色となり、1986年には1編成のみマルーンレッドとシルキーホワイトの塗装となった。

改造・廃車[編集]

1960年に他系列と併結を可能とするために一部の改造が施された。1972年には運転室が半室式から全室式に改造され、客室ではファンデリアを撤去して扇風機が設置された。その他、上記の塗色変更が行われている。

1975年に車種統一のため名古屋線に転属し、晩年は主に志摩線および山田線鳥羽線から志摩線に直通する普通列車に使用されていたが、老朽化を理由に1987年から1988年にかけて全車が廃車された。

1470系[編集]

近鉄1470系電車
1985年頃 鶴橋
1985年頃 鶴橋
基本情報
製造所 近畿車輛
主要諸元
編成 2両編成
軌間 1435 mm
電気方式 直流1500V
最高運転速度 110 km/h
起動加速度 3.5 km/h/s
減速度(常用) 4.0 km/h/s
車体長 20720 mm
車体幅 2709 mm
台車 KD-36
主電動機 MB-3028-A2
主電動機出力 75kw
駆動方式 WNドライブ
制動装置 電磁直通ブレーキ
保安装置 近鉄型ATS
テンプレートを表示

1959年登場。車体は南大阪線用の6800系ラビットカーと同様の片側4扉(両開き式)となり、前照灯もシールドビーム二灯式となった。前照灯の間隔は6800系一次車と異なり、1300mmに広げられており、8800系まで続く近鉄通勤車両の原型ともいうべきスタイルをこの車両で確立している。上本町寄りからモ1470形奇数(cM)-モ1470偶数(Mc)の2両編成を組み、1471編成 - 1479編成の5編成10両が製造された。

足回り・性能は前述の1460系に準じているが、補助電源装置が変更 (三菱電機製 MG-57B-S) され、通風装置は三菱電機製のファンデリアと扇風機が併用された。また、集電装置が大阪線一般車初の東洋電機製造製 (PT-42Q1、奇数車の非運転台寄設置) になり、台車は近畿車輛製 KD-36 になっている。なお、近鉄で初めて電気連結器を搭載している。

1460系同様に編成全体の出力が低かったことと、電制を有していないことから、青山越えの運用ができないため、出場当初は主に大阪線の上本町 - 伊賀神戸間および信貴線直通列車で用いられたが、本系列をベースに主電動機の出力をアップした1480系出場後は、主に河内国分以西の区間車や信貴線で用いられるようになった。

改造・廃車[編集]

1964年頃から1460系同様に登場時のベージュに100mm幅青帯の塗装からマルーンレッド一色に塗り替えられた。その後、1972年に運転台を半室式から全室式に改造された。長編成化のため、1974年に奇数車の運転台が撤去され、乗務員扉跡には丸妻のまま小窓が設けられ、同時に座席をこの部分まで延長している。このため本形式単独の編成は不可能となり、本形式4両に他形式の制御車(1480系ク1590形2410系ク2590形など)を連結した5両編成などで運用されるようになった。また出力とMT比の関係から、専ら河内国分以西の運用となった。通風装置は扇風機のみになった。

1980年代中頃に実施されたツートンカラーへの塗色変更の時点で車齢が25年以上経過していたため、本系列は冷房改造や現行塗色(シルキーホワイトとマルーンレッドの二色塗り)への変更は行われず、1984年から1987年にかけて全車が廃車されて系列消滅した。なお、廃車まで大阪線に在籍した。また、本系列の廃車により、大阪線の河内国分駅以西および信貴線のみでしか運用できない、いわゆる「区間車」の所属がなくなった。

脚注[編集]

[ヘルプ]
  1. ^ このため、後に側面方向幕を追加した後継形式では方向幕面が斜めになるよう取り付けざるを得なくなった。
  2. ^ 標準軌間用75kW級主電動機として以後同系列のものが京成3050形西鉄1000形(80kW仕様)などに採用されたが、近鉄での採用例は本項の2形式のみである。
  3. ^ この車両色は、当時近鉄の車両部に在職していた近藤恒夫が考案したものである (徳永慶太郎、「近鉄特急アラカルト」、p.79)。落成当時は塗装が異なっていたモ1450形も一時期はこの塗装に塗り替えられ、高性能車ではない6441系もこの塗装で落成した。なお、これら広軌線一般車には 「ラビットカー」に取り付けられていた「ラビットマーク」 のようなマークは取り付けられていなかった。

参考文献[編集]

  • 慶應義塾大学鉄道研究会編 『近鉄』 (私鉄ガイドブックシリーズ第4巻)、1970年。
  • 鹿島雅美 『近鉄II』、保育社 (カラーブックス 日本の私鉄31)、1983年。
  • 徳永慶太郎 「近鉄特急アラカルト」、『鉄道ピクトリアル』505、1988年。
  • 中山嘉彦 「戦後飛躍期の近畿日本鉄道新製車両について」、『鉄道ピクトリアル』 2003年12月臨時増刊号、2003年。

関連項目[編集]