奈良電気鉄道デトボ360形電車

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奈良電気鉄道デトボ360形電車(ならでんきてつどうデトボ360がたでんしゃ)とは、奈良電気鉄道(奈良電、現:近鉄京都線)が保有した無蓋電動貨車の1形式である。

近畿日本鉄道(近鉄)に引き継がれた際にモト70形となった。

概要[編集]

軌道強化のための保線作業用として1950年3月にデトボ361の1両が奈良電の一方の親会社たる近畿日本鉄道の子会社である近畿車輛[注 1]において製造された[1][2]

車体[編集]

全長15,900mm、最大幅2,430mmであり、奈良方に作業員室があり窓配置はd2、京都方は乗務員室を設置、いずれも半鋼製で3枚の窓を設けた非貫通構造の妻面を備える[1][2][3][4]。前照灯は妻面幕板中央に灯具を取り付けている[3]。両端の乗務員室の間はすべて無蓋の平坦な荷台(最大荷重15t)となっており、鋼板製のあおり戸を設置している[2][3][5]。パンタグラフは奈良方の乗務員・作業員室の屋根上に設置されている[2]。車体下にはあおり戸よけが設置されている[5]

主要機器[編集]

主電動機[編集]

出力90 kWのものを2基搭載する[2]

制御器[編集]

東洋電機製造のものを搭載している[2][6]

台車[編集]

電動貨車用の日本車輌製造NE4台車を装着する[2]

ブレーキ[編集]

日本エヤーブレーキ製A動作弁によるA自動空気ブレーキを搭載する[2]

運用・廃車[編集]

製造当初から保線作業用などに使用され近畿日本鉄道との合併に伴う形式称号の変更においてはモト70形と改番されている[3][7]

デトボ360形デトボ361 → モト70形71

また時期は不明ながら1969年時点では扶桑金属工業KS-33Lに交換されており[1]、前照灯も妻面屋根上に移されている[4][5]

1969年9月の1500V昇圧では600V用として使用されていた電動貨車としては唯一昇圧の対象となり、制御器を三菱電機製のAB-194-15Hに交換した上で継続使用された[6][4]。その際、床下に搭載しきれなかった1500V用機器の一部は作業員控室の座席を撤去、片側の窓をつぶして設置されている[4]。また反対側の乗務員室後ろにも対応機器用の収納箱が設置された[4]。その後車体下のあおり戸よけについては撤去された[4]。1976年に廃車となっている[3]

脚注[編集]

注釈[編集]

  1. ^ 中堅車両メーカーであった田中車両を近畿日本鉄道が買収、グループ企業として社名変更したもの。

出典[編集]

  1. ^ a b c 鉄道ピクトリアル 1969年7月号(No.226)「私鉄車両めぐり(78) 近畿日本鉄道[終]」 74 - 75頁
  2. ^ a b c d e f g h 鉄道ピクトリアル 1992年12月臨時増刊号(No.569)「奈良電の時代 奈良電気鉄道の開通から合併まで」 130 - 131頁
  3. ^ a b c d e 三好好三『近鉄電車』p.216
  4. ^ a b c d e f 慶應義塾大学鉄道研究会 『私鉄電車のアルバム 別冊』106 - 107頁
  5. ^ a b c 慶應義塾大学鉄道研究会 『私鉄ガイドブック・シリーズ第4巻 近鉄』259頁
  6. ^ a b 鉄道ピクトリアル 1975年11月臨時増刊号(No.313)『近畿日本鉄道』「私鉄車両めぐり[106] 近畿日本鉄道」 80頁
  7. ^ 鉄道ピクトリアル 1969年7月号(No.226)「私鉄車両めぐり(78) 近畿日本鉄道[終]」 71頁

参考文献[編集]

  • 慶応義塾大学鉄道研究会編『私鉄ガイドブック・シリーズ 第4巻 近鉄』 誠文堂新光社、1970年。
  • 慶応義塾大学鉄道研究会『私鉄電車のアルバム 別冊』 交友社、1982年。
  • 三好好三『近鉄電車 大軌デボ1形から「しまかぜ」「青の交響曲」まで100年余りの電車のすべて』(JTBキャンブックス)、JTBパブリッシング、2016年。ISBN 978-4-533-11435-9
  • 鉄道ピクトリアル
    • 「私鉄車両めぐり(78) 近畿日本鉄道[終]」『鉄道ピクトリアル』第226号、電気車研究会、1969年7月、70 - 75頁。 
    • 「近畿日本鉄道特集」『鉄道ピクトリアル』第313号、電気車研究会、1975年11月。 
    • 「特集 近畿日本鉄道」『鉄道ピクトリアル』第569号、電気車研究会、1992年12月。 

関連項目[編集]