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三重交通モ5400形電車

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三重交通モ5400形電車
近鉄モ5960形電車
基本情報
運用者 三重交通→三重電気鉄道
近畿日本鉄道[1]
製造所 日本車輌製造本店[2]
製造年 1958年昭和33年)[2]
製造数 1両[2]
廃車 1983年(昭和58年)12月[3]
主要諸元
軌間 1,067 mm狭軌[4]
電気方式 直流750 V架空電車線方式[4]
車両定員 120人(座席56人)[5]
自重 31.0 t[5]
全長 17,840 mm[5]
車体長 17,000 mm[6]
全幅 2,692 mm[5]
車体幅 2,600 mm[6]
全高 4,140 mm[5]
車体高 3,635 mm[6]
車体 全金属製[7]
台車 ND-105[1]
主電動機 TBY-28-A直流直巻電動機[8]
主電動機出力 78.3 kW
(端子電圧375 V時一時間定格)[8]
搭載数 4基 / 両[8]
駆動方式 垂直カルダン駆動[1]
歯車比 7.12 [8]
定格速度 41 km/h[6]
制御方式 電空単位スイッチ式手動加速制御(HL制御)[2]
制動装置 AMM-R自動空気ブレーキ[1]
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三重交通モ5400形電車(みえこうつうモ5400がたでんしゃ)は、三重交通が同社志摩線で運用する目的で1958年昭和33年)に導入した電車制御電動車)である。

志摩線初のカルダン駆動車であり、また同時期に三重線向けに新造されたモ4400形とともに垂直カルダン駆動方式を採用したことが特筆される。

後年の事業者合併に伴って近畿日本鉄道(近鉄)へ継承され、志摩線から養老線への転用に際しては電装解除の上で付随車サ5960形と改形式され、1983年(昭和58年)まで運用された。

導入経緯

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太平洋戦争終戦後に進んだ賢島をはじめとする志摩地区の観光開発に合わせて、三重交通は志摩線におけるサービス向上策の一環として電車の新造を計画した[9]。この際導入する車両は、クロスシートや車内扇風機・車内放送装置など近代的な接客設備を備え、さらに志摩線の地元である鳥羽市に工場を構える重電メーカーの神鋼電機(現・シンフォニアテクノロジー)が独自に開発した垂直カルダン駆動方式を採用することとした[7]

構想段階では従来より在籍した制御車ク600形と2両固定編成を組成する前提で、一方の妻面にのみ運転台を備える片運転台車として設計することが検討された[7]。しかし、車両運用上の柔軟性担保の観点から単行運用にも充当可能とすべく、最終的には両運転台車として設計された[7]

以上の経緯によって、1958年(昭和33年)3月に日本車輌製造本店でモ5400形5401が新造された[6]

なお、三重交通では本形式の導入に際して保有する鉄道車両の形式称号付与基準を改定し、千位で車種および用途(付随車は2000番台、制御車は3000番台、762 mm軌間路線用の電動車は4000番台、1,067 mm軌間路線用の電動車は5000番台)を表し、電動車の場合は百位で搭載する主電動機数を表すものと規定した[10][* 1]。本形式の形式称号「モ5400形」は、1,067 mm軌間の志摩線向けに新造された主電動機4基仕様の制御電動車を示すものである[10]

車体

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車体長17,000 mm・車体幅2,600 mmの、ノーシル・ノーヘッダー構造で平滑な外観の全金属製車体を備える[6]

外観および設計は製造元の日本車輌製造本店が同時期に名古屋鉄道向けに納入していた3700系に類似し[11]、軌条面からの床面高・腰板部の上下寸法、および側窓の上下寸法はいずれも同一である[11][12]。ただし、車体幅が名鉄3700系の2,700 mm[12]に対して、本形式では志摩線内の建築限界の都合から100 mm狭幅化されている[6]。そのため、前後妻面に貫通扉を備える貫通構造は共通するものの、名鉄3700系が妻面窓・貫通扉とも700 mm幅で統一していたのに対して[12]、本形式では前面窓が680 mm幅、貫通扉が650 mm幅とそれぞれ縮小されている[6]。屋根上中央部には白熱灯式の前照灯を車体一体型の円筒型ケースに収める形で1灯備え、腰板下部左右には角形の標識灯を1個ずつ配置する[6]

側面に設置される側窓はアルミサッシによる二段上昇式の2枚窓で、戸袋窓を含めて1,100 mm幅で統一し、客用扉も同じく1,100 mm幅の片開扉を採用する[6]。客用扉には志摩線初となるドアエンジンを設置する自動扉仕様である[7]。また、妻面窓・客用扉窓・戸袋窓はすべて車体直結のHゴム支持による固定窓とされている[1]側面窓配置はd 1 D (1) 4 (1) D 1 d(d:乗務員扉、D:客用扉、各数値は側窓の枚数、カッコ付数字は戸袋窓)である[6]

車体塗装は三重交通標準塗装の下半分グリーン・上半分クリーム色の2色塗装を採用する[10]

屋根上にはガーランド型ベンチレータ(通風器)を中央部へ5基、等間隔で設置し、また賢島寄りの一端にはパンタグラフ台座を備える[1][6]

車内座席は客用扉間の4枚の開閉可能窓部分にボックスシートをシートピッチ1,450 mmで配置し、その他の座席をロングシートとしたセミクロスシート仕様である[6]。本形式は車体幅に起因して座席幅が835 mmと狭く、ボックスシート部の車内窓下壁部を一段凹ませた形状とすることで狭さを和らげる工夫がなされている[7]。また、ロングシート部についても居住性を考慮して座面奥行を580 mmと大きく確保している[6]。シートモケットは「納戸色」と称する青緑系のものを採用、車内壁部は日本国有鉄道(国鉄)の急行形電車に類似したトーンのベージュ色の塗装仕上げである[7]

車内照明は蛍光灯式で、交流40 Wの半透明カバー付蛍光灯12基を天井部に配置し、別途非常灯として直流電源による15W白熱灯を4灯設置する[1]。また同じく天井部へ扇風機を1両あたり6基設置するほか、これも志摩線では初採用例となるスピーカーによる車内放送設備を備える[2]

主要機器

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主制御器・主電動機

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制御装置は在来車と制御車を混用することや、乗務員の取り扱いの共通化などの必要から、電空単位スイッチ式手動加速制御器(HL制御器)を搭載する[7]。この制御器は力行制御機能のほか、発電制動機能も有する[2]

主電動機は前述した垂直カルダン駆動方式に対応する神鋼電機TBY-28-A直流直巻電動機(端子電圧375 V時1時間定格出力78.3 kW)を各台車へ2基、1両あたり4基搭載する[6]。垂直カルダン駆動方式は吊り掛け駆動直角・平行カルダン駆動などその他の駆動方式とは異なり、主電動機の電機子軸が垂直方向となるように台車へ装架され、主電動機上部に設置されたギヤボックスに収められた3組の歯車を介して車軸へ動力が伝達される仕組みである[7]。電機子の回転は電機子軸に装着された第一歯車から第二歯車を経由して第三歯車に伝達され、第三歯車直結の垂直方向に伸びる油浴式可撓継手付の推進軸先端に装着されたかさ歯車(ベベルギヤ)式の小歯車より車軸側の大歯車に伝達されるという、非常に複雑精緻な機構となっている[7][13]。最終減速比(歯車比)は7.12である[8]。定格速度は41.0 km/h、全負荷時牽引力は2,660 kgに設定され、在来車と性能を揃えている[6]

台車・制動装置など

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日本車輌製造本店が設計した、プレス鋼板溶接組み立てによる固定軸間距離2,200 mmのペデスタル式ウィングばね台車、形式ND-105を装着する[14]。枕ばね部は揺れ枕式で、2つのコイルばねとその中間に設置されたオイルダンパーを併用する[14]

台車側枠中央部に複数設けられた軽量孔は、ND形式を付与された日本車輌製造本店設計の台車のうち初期に設計されたプレス鋼組立台車に見られる特徴であり[15]、同時期に設計された伊予鉄道モハ600形向けのペデスタル式ウィングばね台車ND-104とも共通する[15]。ただし枕ばね部に関しては、ND-104台車が国鉄制式のDT21台車などと同様に枕ばね長を台車側枠上端部まで大きく確保しているのに対して[15]、本形式が装着するND-105台車は後述する基礎制動装置のリンク機構が枕ばね上部に存在することから干渉を回避するため枕ばね長が短く設計されている点が異なる[14][* 2]

基礎制動装置は車輪の前後からブレーキシューを押しつける両抱き式である[14]。ブレーキシリンダーは各台車の側枠左右に1基ずつ、車体中心側のペデスタル上部に搭載され、台車枠上部に設置されたリンク機構を介して各車輪にブレーキを作用させる仕組みとなっている[14]

制動装置は在来車との併結の必要性から、M三動弁と中継弁を組み合わせたAMM-R自動空気ブレーキを搭載する[1]。また前述のとおり、発電制動を併用する[1]

空気ブレーキ動作や客用扉の開閉に用いる圧搾空気を生成する電動空気圧縮機 (CP) はD-3-Fを、電動発電機 (MG) は三菱電機MG-40G-Sをそれぞれ1基搭載する[1]

集電装置東洋電機製造PT-42-A菱形パンタグラフを賢島寄りに1基搭載する[1]

運用

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志摩線時代

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本形式の落成と同時期、ク600形602が自動扉化・車内放送装置新設・妻面への貫通扉設置など本形式との併結対応改造を施工されてク3500形3502と改形式・改番され[16]、本形式は主にク3502と2両編成を組成して急行運用に充当された[2]

本形式の近代化された接客設備は乗客より好評を博したものの、前述したような複雑な機構を備える垂直カルダン駆動装置は整備・保守に手間を要する欠点があり[17]、本形式の導入は1両のみで終了した[1]。そして、以降の新型車両導入は従来車の機器流用による更新車モ5210形へ移行した[1]

1964年(昭和39年)2月1日付で三重交通の鉄道部門を分社化して三重電気鉄道が発足[18]、さらに三重電気鉄道は翌1965年(昭和40年)4月1日付で近畿日本鉄道(近鉄)へ吸収合併された[9]。これは三重県下の鉄道事業について、従来の近鉄とその関連企業である三重交通の二本立てから近鉄へ一本化する目的で行われた事業再編であった[19]。この途上、保有車両の最終的な近鉄への継承を見越して、三重電気鉄道当時の1965年(昭和40年)3月12日付で保有する全形式を対象に近鉄方式の形式称号への変更が実施され[20]、本形式はモ5960形5961と改形式・改番された[2]。また、車体塗色についても近鉄一般形車両の標準塗装である近鉄マルーン1色塗装への変更が三重電気鉄道当時に実施された[1]

三重電気鉄道の吸収合併後、近鉄は万国博覧会の関連事業の一環として他の路線と接続のなかった志摩線を自社の路線ネットワークに組み込むため[19][21]、既存の山田線を延伸する形で宇治山田 - 鳥羽間の鳥羽線の建設に着手した[19]。同時に志摩線についても従来の直流750 V電化・1,067 mm軌間から山田線などと同様の直流1,500 V電化・1,435 mm軌間へ昇圧・改軌し、同時に急曲線区間の改良を行うことを決定した[19][21]。これらの工事は一部区間の新規建設された別ルートへの切り替えを伴う大規模なもので[21]1969年(昭和44年)12月から翌1970年(昭和45年)3月まで志摩線は運行を休止し[19][22]、その間バスによる代行輸送を行うこととなった[9]

1969年(昭和44年)12月9日をもって志摩線は一旦営業運転を終了し[22]、モ5961も志摩線での運用を終了した[1]

養老線時代

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志摩線での運用終了後、1970年(昭和45年)にモ5961は改良前の志摩線と同じく1,067 mm軌間の養老線へ転用された[3]。ただし、架線電圧が志摩線の直流750 Vに対して養老線は同1,500 Vと相違するため[1]、転用に際しては電装解除と運転台の撤去を施工して付随車サ5960形と改形式され、車両番号はそのままに車両記号のみが変更された[3]。当時の養老線は在籍車両が戦前製の半鋼製車で占められており、サ5401は同時に転属したサ5941・サ5945(元モ5210形5211・モ5410形5411)とともに養老線初の全金属製車体を備える車両となった[3]

車体関連の改造箇所は前後妻面の前照灯および前照灯ケースと標識灯の撤去程度に留まり、乗務員扉は閉鎖措置が取られたのみでそのまま存置され、車内の運転台仕切りもそのままとされた[23]。また、制動弁が従来のM三動弁からA動作弁へ交換され、ATA-R自動空気ブレーキ仕様に改造された[1]

養老線転属後は他の制御電動車・制御車各形式の中間に組み込まれて運用された[3][24]。その後、養老線の車両近代化および大型化を目的として[25]名古屋線より6441系6421系6431系などが転入すると、サ5961はそれら転入形式と経年はほぼ同等であったものの車体が小型であったため代替対象となった[26]。ただし戦後製の18 m級全金属製車体を備えるサ5961は従来車の中では最後まで残存し[27]、末期はモ6561形6562とク1561形1565の中間に組み込まれて3両編成で運用されたのち[26]、1983年(昭和58年)12月16日付でク1565とともに除籍された[28]。サ5961の除籍をもって、三重交通志摩線で運用された車両群は全廃となった[3]

脚注

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注釈

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  1. ただしこの新基準は改定後に導入された形式にのみ適用され、改定以前に導入された形式への遡及適用は実施されなかった[10]。そのため、たとえば志摩線所属車両ではモニ551形・モニ561形やク600形は、後年の事業者合併に伴う近鉄籍編入まで旧基準に基づく形式称号のまま運用された[2]
  2. ND-104台車は各車輪にブレーキシリンダーが備わるため大掛かりなリンク機構を必要とせず、枕ばね部に関してND-105台車のような設計上の制約は存在しなかった[15]

出典

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  1. 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 『車両研究 1960年代の鉄道車両』 pp.116 - 117
  2. 1 2 3 4 5 6 7 8 9 「私鉄車両めぐり78 近畿日本鉄道5」 p.71
  3. 1 2 3 4 5 6 『RM LIBRARY227 養老線電車回顧』 pp.32 - 33
  4. 1 2 『私鉄車両めぐり 第5分冊』 pp.56 - 57
  5. 1 2 3 4 5 『私鉄車両めぐり 第5分冊』 p.61
  6. 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 『近畿日本鉄道形式図集(旧型電車編)』 p.278
  7. 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 『私鉄車両めぐり 第5分冊』 p.59
  8. 1 2 3 4 5 「私鉄車両めぐり78 近畿日本鉄道5」 p.76
  9. 1 2 3 「昭和40年代当時の三重電気鉄道」 pp.88 - 89
  10. 1 2 3 4 『私鉄車両めぐり 第5分冊』 p.57
  11. 1 2 『日車の車輌史 図面集 - 戦後私鉄編』 p.281
  12. 1 2 3 『日車の車輌史 図面集 - 戦後私鉄編』 p.228
  13. 「垂直カルダンの新造電車」 pp.11-14
  14. 1 2 3 4 5 『日車の車輌史 写真・図面集 - 台車編』 p.227
  15. 1 2 3 4 『日車の車輌史 写真・図面集 - 台車編』 pp.22-24
  16. 『私鉄車両めぐり 第5分冊』 p.59
  17. 『私鉄電車ガイドブック4 近鉄』 p.200
  18. 『私鉄車両めぐり 第5分冊』 p.55
  19. 1 2 3 4 5 「近畿日本鉄道の形成 -戦前の合併と戦後の統一-」 pp.112 - 113
  20. 「私鉄車両めぐり78 近畿日本鉄道5」 p.72
  21. 1 2 3 路線の履歴書 志摩線”. 近畿日本鉄道. 2026年3月31日閲覧。
  22. 1 2 「近畿日本鉄道の形成 -戦前の合併と戦後の統一-」 p.115
  23. 『私鉄電車ガイドブック5 近鉄』 pp.266 - 267
  24. 『私鉄電車ガイドブック5 近鉄』 pp.243
  25. 『近鉄電車80年』 p.174
  26. 1 2 『RM LIBRARY227 養老線電車回顧』 pp.33 - 34
  27. 『RM LIBRARY227 養老線電車回顧』 p.39
  28. 『私鉄車両編成表 84年版』 p.123

参考文献

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書籍

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  • 慶應義塾大学鉄道研究会 『私鉄電車ガイドブック4 近鉄』 誠文堂新光社 1970年1月
  • 東京工業大学鉄道研究部 『私鉄電車ガイドブック5 近鉄』 誠文堂新光社 1978年8月
  • 鉄道史資料保存会 『近畿日本鉄道形式図集(旧型電車編)』 鉄道史資料保存会 1979年8月
  • ジェー・アール・アール (編) 『私鉄車両編成表 84年版』 交通新聞社 1984年8月
  • 近鉄電車80年編集委員会 『近鉄電車80年』 鉄道史資料保存会 1990年8月
  • 日本車両鉄道同好部 鉄道史資料保存会 編著 『日車の車輌史 図面集 - 戦後私鉄編』 鉄道史資料保存会 1998年4月
  • 日本車両鉄道同好部 鉄道史資料保存会 編著 『日車の車輌史 写真・図面集 - 台車編』 鉄道史資料保存会 2000年2月
  • 清水武 『RM LIBRARY227 養老線電車回顧』 ネコ・パブリッシング 2018年7月 ISBN 978-4-7770-5431-2

雑誌記事

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関連項目

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