信貴山電鉄デ5形電車

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信貴山電鉄デ5形電車(しぎさんでんてつデ5がたでんしゃ)は、信貴山電鉄(後に信貴山急行電鉄と改名した後廃止)が鉄道線用として、1930年(昭和5年)の開業にあわせて製造した電車である。日本車輌製造で5〜7の3両が製造された。

信貴山電鉄の鉄道線は「平坦線」とは言うものの、山麓からケーブルカー(鋼索線 現・近鉄西信貴鋼索線)で登山した山上領域に敷設された特殊な孤立路線で、一般鉄道としては起伏が激しく勾配も厳しいものであった。そのため同車は車長14m程度と短いものの、ブレーキには通常の物のほかに線路にブレーキシューを押し当てて停車するカーボランダムブレーキを非常用に搭載していた。また、台車もフレームが鋳物で作られていて、軸箱の両側をばねで抑える構造になっていた。

窓については、下部は角ばらせたが上部は丸みをつけた、いわゆる「ニコニコ窓」の車両である。

開業にあたっての入線時には、鋼索線を利用し山上まで引き上げる措置が取られた。デ6は1937年(昭和12年)、走行中に谷底へ転落する事故を起こして大破し廃車[1]となった。残り2両は鉄道線の休止まで使用され、休止後は鋼索線を使用して山を下り、南大阪線に転じた。このとき、形式はモ5251形(5251・5252)と改められた[2]。その後1946年(昭和21年)に伊賀線に再び移動し、台車を他車発生品の通常型イコライザー式に交換して、1977年(昭和52年)まで同線で使用された。当時の伊賀線では、荷物室を持たない唯一の車両であった。

主要諸元[編集]

脚注[編集]

  1. ^ 廃車届けは1953年10月(吉田明雄「想い出の信貴山急行」『RAIL FAN』No.422)
  2. ^ 1933年以降の記録にはデボ5の表記ありNo.2「車輌休車ノ件」及び「休車車輌使用開始ノ件」『第一門・監督・二、地方鉄道・イ、免許・信貴山急行電鉄・昭和八年~昭和十七年』(国立公文書館デジタルアーカイブ で画像閲覧可)

参考文献[編集]

  • 電気車研究会『鉄道ピクトリアル』1964年5月号(通巻157号)山崎寛 失われた鉄道・軌道を訪ねて〔16〕信貴山急行電鉄
  • 交友社『私鉄電車のアルバム 1 戦前・戦後の古豪』1981年 p.150-151

関連項目[編集]