国鉄8850形蒸気機関車

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8850形機関車8868

8850形は、日本国有鉄道(国鉄)の前身である鉄道院が輸入した、幹線旅客列車牽引用のテンダー式蒸気機関車である。1912年(明治45年)6月に運行が開始された日本初の「特別急行列車」の牽引を務めることにもなった機関車である。

概要[編集]

1911年明治44年)にドイツボルジッヒ社(Borsig Lokomotiv-Werke GmbH; Berlin-Tegel)で製造された機関車である。機関車本体のみ12両(製造番号4694 - 4705)が製造され、8850 - 8861と付番された(炭水車は日本国内で製造)。当時、鉄道院工作課長であった島安次郎が、ドイツで蒸気機関車用の過熱器の実用化に成功していることに着目し、輸入したもので、日本初の過熱式機関車である。

同じくドイツのベルリーナ8800形アメリカアメリカン・ロコモティブ社製8900形イギリスノース・ブリティッシュ・ロコモティブ社製8700形と同様の経過で発注が行われた。

ボルジッヒ社では、受注後わずか60日で1号機を完成させており、この迅速な設計・製作ぶりも特筆される出来事である。

1913年(大正2年)には輸入されたものの模倣により、川崎造船所で12両(製造番号60 - 71)が国内生産され、8862 - 8873となった。同社では、シュミット式過熱装置の特許を購入して、これに備えた。また、 ボルジッヒの原設計では圧延鋼板切抜きによる棒台枠仕様であったが、当時の日本では同等の圧延鋼板を調達することが困難で、川崎では代替策として鋳鋼で製造するため、破壊するまで落下試験を行い、鉄道省の了解を取って鋳鋼製台枠として製造した。

構造[編集]

車軸配置4-6-0(2C)形のテンダー機関車で、シュミット式蒸気過熱装置を装備している。ボルジッヒ社では受注に当たって、いくつかの重大な仕様変更を提案した。圧延鋼板を切り抜いて製作する棒台枠の採用とボイラー中心高さを上げ、火格子を台枠上に置くというものである。

棒台枠の採用により、その屈撓性の大きさにより状態の悪い軌道であっても柔軟に対応でき、結果故障が少なくなるとともに、ボイラーをシリンダブロックと一体化したボイラー受けで支持するためボイラー自体も強度部材の一部として利用でき、台枠を軽量化できること、また厚い鋼板を使用することから高さを減ずることができ、重心の低下にも有利であった。

ボイラー中心を上げるということは、当然重心の上昇を招くことになり、走行の不安定化を懸念する声もあったが、ボルジッヒ社は理論的にも、実験的にも強い自信を持ち、実際の試運転でも問題のないことが実証され、機関車設計陣の強い自信となった。この火格子を台枠上に載せるという設計思想は、9600形に引き継がれ、大量産されることになる。また、従来の台枠内に火格子を置く狭火室方式では、その面積を増加させようとすると奥行きが長くなり、機関助士は投炭作業に難渋することとなったが、火格子を台枠上に置く広火室方式では横幅を広く取ることができるので奥行きが減少し、機関助士の投炭作業の負担も軽減された。

通例、4-6-0(2C)形蒸気機関車は、第2動輪を主連棒を連結するものであるが、本形式では火格子を台枠以上に置いたことから第2・第3動輪の間を広く取る必要がなくなり、その分第1動輪の位置を後ろに下げて、そこに主連棒を連結した。これにより、固定軸距を縮小し、カーブの円滑な通過に資している。

本形式は、機関車本体のみが輸入されたため、炭水車は国内で製造された3軸固定式のものである。国産機のものは、若干大型化され、第2・第3軸をボギー台車とした片ボギー式となった。

主要諸元[編集]

形式図

括弧書きの数値は、川崎造船所製(8862 - 8873)の数値。

  • 全長:17,529mm
  • 全高:3,851mm
  • 軌間:1,067mm
  • 車軸配置:4-6-0(2C) - テンホイラー
  • 動輪直径:1,600mm(5ft3in)
  • 弁装置:ワルシャート式
  • シリンダー(直径×行程):470mm×610mm
  • ボイラー圧力:12.7kg/cm2
  • 火格子面積:1.81m2
  • 全伝熱面積:139.0m2
    • 過熱伝熱面積:28.4(28.5)m2
    • 全蒸発伝熱面積:110.6(110.5)m2
      • 煙管蒸発伝熱面積:98.8(98.9)m2
      • 火室蒸発伝熱面積:11.7(11.6)m2
  • ボイラー水容量:5.4(5.5)m3
  • 大煙管(直径×長サ×数):133(140)mm×4572mm×14本
  • 小煙管(直径×長サ×数):57mm×4572mm×88本
  • 機関車運転整備重量:55.49(55.97)t
  • 機関車空車重量:49.83(49.93)t
  • 機関車動輪上重量(運転整備時):38.77(39.46)t
  • 機関車動輪軸重(第2動輪上):13.42(13.90)t
  • 炭水車運転整備重量:29.44(30.13)t
  • 炭水車空車重量:14.26(14.27)t
  • 水タンク容量:12.11(12.57)m3
  • 燃料積載量:3.05t
  • 機関車性能
    • シリンダ引張力(0.85P):9,090kg

経歴[編集]

本形式は東海道本線で使用されたため、最初は中部鉄道管理局、後に名古屋鉄道管理局に所属し、新橋、沼津、浜松、名古屋の各庫に配置された。1915年(大正4年)には8871 - 8873が名古屋に配置されていたが、1920年(大正9年)3月に東京鉄道管理局に移され、同局管内に全車が揃えられた。その後、時期は不明であるが、横須賀線東北本線に転じている。

1933年(昭和8年)6月末現在の配置は、8850 - 8857, 8860, 8873の10両が安房北条(現在の館山)、8861 - 8863, 8865 - 8868, 8870, 8872の9両が勝浦、8858, 8859, 8869の3両が千葉であったが、8861 - 8872は第1種休車であった。その後、8861, 8872, 8876, 8879は新鶴見に移され、8864は両国で据え置きボイラー代用となった。

1934年(昭和9年)10月、八高線の全通にともない8856 - 8860, 8865, 8868の7両が八王子、8853 - 8855, 8869の4両が高崎に移った。残りの13両のうち8861 - 8864, 8866, 8867の6両は仙台鉄道局へ移り、8861 - 8863は青森、残りの3両を米沢に配置した。8850 - 8852は高萩や平(現在のいわき)で入換専用、8870は千葉に配置されていたが、8871 - 8873は休車となっていた。

1936年(昭和11年)の五能線全通に際しては、8864, 8866を除いた4両が弘前、鯵ヶ沢に転属した。1942年(昭和17年)ごろからは、同線に8620形が投入されたことにより、これらは東京に戻ったが、詳細は戦時中のこととて不明である。

終戦後の1947年(昭和22年)3月末現在の配置は、8851 - 8854, 8856 - 8858, 8860, 8862, 8866の10両が八王子、8861, 8865は飯田町、8850, 8867は土浦、8855, 8864, 8868 - 8873は高萩に配置され、八王子のものは引き続き八高線、他は入換用に使用されていたほか、8859と8863は千葉、新小岩で休車となっていた。

廃車八高線正面衝突事故車である8853, 8869を皮切りに1947年6月から始まり、1951年(昭和26年)3月までに全車が廃車となった。

譲渡[編集]

1950年に廃車された8864, 8865の2両が、三井鉱山奈井江専用鉄道に払下げられた。このうち、8864は1961年廃車となり、8865もその後解体され、現存するものはない。

参考文献[編集]

  • 臼井茂信 『日本蒸気機関車形式図集成 下』 誠文堂新光社、1969年
  • 臼井茂信 『機関車の系譜図 2』 交友社、1973年
  • 金田茂裕 『形式別国鉄の蒸気機関車Ⅳ/Ⅳ』 機関車史研究会、1986年
  • 川上幸義 『私の蒸気機関車史 上』 交友社、1978年

外部リンク[編集]