イギリス国鉄

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イギリス国鉄のブランドロゴ「ダブル・アロー」(左側)(右側は地下鉄)は、現在も国鉄由来の在来旅客鉄道網「ナショナル・レール」のロゴとして広く認識されている。
イギリス国鉄の旧型電車(416系電車)。国鉄の典型的なカラーリングをまとっている。

イギリス国鉄(いぎりすこくてつ)は、1948年から1997年までイギリスに存在した国有鉄道である。1948年にイギリス4大鉄道会社「ビッグ・フォー (Big Four) 」の国有化により発足し、1994年から1997年にかけての鉄道民営化まで存在した[1]英語での名称はBritish Railways、1969年以降はBritish Rail。略称はBR。現在の名称は、イギリス鉄道(ブリティッシュ・レール、British Rail)。

路線網は北アイルランドを除くグレートブリテン島全土、ならびに一部の島と広範囲に有していた。列車は蒸気機関車主体からディーゼル動車電車主体になり、主な輸送収入源は貨物から旅客へと変化した。そして、多くの赤字路線が廃止され、大規模に合理化された。

民営化に際しては上下分離方式が採用され、列車運行は旅客・貨物の各運行会社に継承、旅客列車は20数社の民間会社が「ナショナル・レール (National Rail)」の統一ブランド名を採用している。線路の所有および維持管理業務はネットワーク・レール社が行っている[2]

歴史[編集]

1948年の国有化[編集]

国鉄の本社である「ユーストン・ハウス (Euston House) 」

19世紀に発達したイギリスの鉄道は、1921年鉄道法による1923年の大規模統合で地域ごとにグレート・ウェスタン鉄道(GWR)、ロンドン・ミッドランド・アンド・スコティッシュ鉄道(LMS)、ロンドン・アンド・ノース・イースタン鉄道(LNER)そしてサザン鉄道(SR)の4大鉄道会社(ビッグ4)に集約されていた。

クレメント・アトリー率いる労働党政権が掲げる公共事業の国有化政策の一端として、鉄道を国有化する1947年輸送法を定めた。1948年に4大会社を統合したイギリス運輸委員会(British Transport Commission、略称BTC)を創設しイギリス国鉄が発足、商標として「British Railways」 (ブリティッシュ・レールウェイズ) が制定された。1962年の運輸法は 、この商標をイギリス国鉄委員会(British Railways Board)として分割した公社のものに変更した。

小規模独立系の軽便鉄道専用鉄道、自治体運営の都市鉄道であるロンドン地下鉄グラスゴー地下鉄およびリバプール高架鉄道 (Liverpool Overhead Railway) 、そして専用軌道を持たない路面電車は国有化の対象外となった。また、北アイルランド内のNorthern Counties Committee線は北アイルランド政府に早期に売却されている(この路線は1949年にアルスター運輸機構(Ulster Transport Authority、略称UTA)の一部となった)。

1930年代大恐慌第二次世界大戦における戦時統制経済による収益減、またドイツ軍の空襲による深刻な被害も相まって、終戦時の鉄道は設備投資と保守の停滞により荒廃した状態であった。国有化後は優先して戦争被害の復興と保守管理作業の停滞状態の解消が行われた。戦争勃発で中止された戦前の投資計画も複数が再開された(例えばマンチェスター~シェフィールド~ワース間Woodheadルートの電化およびGreat Eastern近郊路線の電化である)。

日本アメリカフランスなど周辺各国が電気車やディーゼル車への投資に舵を切る中、イギリス国鉄では旧鉄道会社由来の蒸気機関車と客車を継続使用しており、電車の運行はロンドン南部の郊外電車網などごく一部に限られた。イギリス国鉄でも引き続き蒸気機関車が導入され、1951年に制式蒸気機関車が登場し、国有化以前の車両に代わり1960年まで製造が続いた。国鉄最後の蒸気機関車は1960年にスウィンドンで製造された。

1950年代、輸送体系の変化への対応と重複路線の解消により一部路線が廃止になった。イースト・アングリアでは1959年に元ミッドランド・アンド・グレート・ノーザン・ジョイント鉄道の路線の大多数が廃止された。また、グレート・セントラル鉄道本線の長距離旅客列車は後の路線自体の廃止に先立ち1960年に廃止された。しかしながら、この路線・列車の廃止はその後の大規模廃止と比較して微々たる規模のものだった。

地域局[編集]

国有化の際に、元の「ビッグ4」の路線から地域ごとに6つのエリア「(リージョン)」に再編された。その前身であるビッグ4の機構、構造および性質を継承し、また蒸気機関車や車両を前身の会社の戦前の設計で建造し、基本的には自治的な経営がなされていた。各リージョンは国鉄の営業構造の基礎となり、1980年代に輸送部門別組織に再編されるまで続いた。

なお1950年代に、基礎となった国有化以前の鉄道会社のエリアから、より地理的な基準で各リージョンの境界が何度か変更されている。

1960年代、ノース・イースタン・リージョンはイースタン・リージョンに統合された。また、1980年代には新たにアングリア・リージョンが東部局から分割された。

1955年の近代化計画[編集]

イギリスの鉄道は既に第二次世界大戦勃発の時点で他国に対し技術的遅れを取り、戦後数年で更に顕著になった。路線の復興も遅々として進まず、荒廃は更に悪化していた。1954年にイギリス運輸委員会が発表した近代化計画「Modernisation and Re-equipment of British Railways」により、この計画に15年間で12億4千万ポンドを投じることを決定した。1956年の政府の白書は、近代化の効果で1962年にはイギリス国鉄の赤字解消が見込まれる、としている。

この目的は速度、信頼性、安全性および線路容量の向上で、旅客・貨物輸送を魅力的なものとし、道路輸送に奪われた輸送量を回復するものであった。計画の主要な内容は以下の通り。

  • 東部地域、ケントバーミンガムおよびスコットランド中心部の主要幹線電化
  • 蒸気機関車廃止による無煙化
  • 新しい客車・貨車の製造
  • 大規模な貨車操車場の設置
  • 信号・線路の設備更新

ウェスト・コースト本線(西海岸本線)は1958年から74年にかけてフランス式の交流25キロボルト50ヘルツ・架空電車線方式で電化され、ロンドン以北の電化方式の標準となった(10年前には国鉄は2種類の直流1500ボルト空中架線方式に多額の投資をしていたにも関わらず)。ロンドンとグラスゴーの周辺の多くの通勤路線もまた電化され、また南部地域は戦前以来の750ボルト第三軌条方式による電化区間をケントからドーセット・コーストに拡大した。電化は他の多くのヨーロッパ諸国の鉄道とは異なり、全国には及ばなかった。

蒸気機関車は新型のディーゼル機関車、電車・気動車へ代替する方針に転換した。1950年代末より旧私鉄由来の機関車が順次廃車され、1960年代前半には戦後設計で製造10年未満と経年の浅い機体も淘汰対象となった。国有化以前の客車も、国鉄制式客車の登場に伴い1960年代末に大半が廃車された。1963年に本線へディーゼル機関車が大量に導入され、貨物列車では先んじて1950年代後半から1960年代末に全廃、旅客列車からは1966年前半の西部管区での廃止を皮切りに、最後に残ったイングランド北西部でも1968年8月に全廃となった。唯一の例外がウェールズアベリストウィスにある短距離狭軌路線のライドル渓谷鉄道で、1989年の売却まで国鉄が蒸気機関車を運行した。

鉄道開業以来存在した全駅での貨物取扱義務が撤廃され、貨物設備への投資費用と人件費の削減に繋がった。また、速度の遅い貨物列車の減少で線路容量に余裕が生まれた。その一方で貨物輸送の自動車への転移が考慮されず、時代に則さない大規模な貨車操車場の建設や貨車の製造に巨費が投じられた。貨物用ディーゼル機関車も開発期間を取らずに性急な導入を進めた結果故障が頻発し、多くが製造後短期間で廃車となった。近代化計画の失敗は国鉄の民営化まで禍根を残し、財務省による国鉄の財務計画能力への不信感をもたらした。

1960年代前半、線路上の作業員の安全を図るため、黄色の警戒色がディーゼル・電気機関車および電車・気動車の前面に配された。

ビーチングの斧[編集]

ビーチングの第二次計画で提示された「主要な幹線路線」(太線)。
廃線となった路線の一部は保存鉄道として維持され、蒸気機関車などの旧式車両が動態保存されている。

1963年、国鉄総裁のリチャード・ビーチング博士 (Dr.Richard Beeching) は、鉄道の大規模な合理化を提唱する『Re-Shaping of British Railways』を発表した。道路輸送への転移により不採算路線となったローカル線を廃止するもので、運行費の削減による赤字削減を見込んだ。

この大規模廃線はビーチング・アックス (Beeching Axe - ビーチングの斧)と呼ばれ、1963年から1970年の間を中心に、当時の全路線中の3分の1と全駅中の半分を不採算として廃止された。なお、廃止となった路線の一部はその後保存鉄道となった(初期の保存鉄道の多くはこの時廃止された路線である)。

1965年に発表された「第二次ビーチング・アックス (Beeching Axe II) 」では、「主要な幹線路線」(地図の太線)が示された。残る路線の処遇は、この報告書では明らかにされていない。

無煙化後[編集]

レールブルー塗装の機関車

蒸気機関車全廃を機に、商標がBritish Rail(すべての歴史はBritish Rail brand names参照)に変更され、「ダブル・アロー」のロゴも登場した。案内標識に「レール・アルファベット (Rail Alphabet) 」が標準書体として用いられ、国鉄のコーポレートカラーである「rail blue」を使用したrail blue塗装がほぼすべての機関車と旅客車に適用された。

主要な車両製造業務は1970年にBREL(British Rail Engineering Limited)へと分割、1973年には運行管理システムのTOPSが導入され、機関車と電車・気動車は称号規程変更と改番を行い、客車と貨車は従来の車番のまま車種分類記号が設定された。

セクター化後、Mk1電車のNetwork SouthEast塗装。

1980年代には、地域を基準に分割する国鉄の地域管理局が廃止され、輸送部門別に5つのセクター(部門)に分割された[3]

旅客輸送のセクターは

貨物輸送のセクターは以下の通り。

残った保守管理作業は新会社である「British Rail Maintenance Limited(略称BRML)」に分割された。

各部門はさらに地区内で細区分された。車両塗装も従来のBRブルーに代わり、部門別の多種多様な塗装に移り変わった。なお、インフラ面については1991年にセクター移管「Organisation for Quality」の決定までリージョンの権限に残された。

セクター化と同時並行して、最後の大規模な設備投資計画も実行された。1987年から1990年にかけてのイースト・コースト本線の電化、ロンドンの南北縦貫近郊路線テムズリンクの開業、およびロンドン - バーミンガム間を結ぶチルターン本線 (Chiltern Main Line) のさらなる近代化(ネットワーク・サウスイースト参照)の各計画が実行された。チルターン本線では信号冒進による事故発生を防止する自動列車保安装置であるATP (Automatic Train Protection) が初めて導入された。

ほかにも複数の計画があったが、民営化の際に大部分が放棄された。他にも主要なインフラ改良計画(ロンドン市内の東西横断路線、クロスレール (Crossrail) や西海岸本線のインターシティ250(同線の大幅な高速化計画)の実施を含む)があったが、財源不足で計画中止となった。

民営化[編集]

アダム・スミス研究所(Adam Smith Institute、イギリスのシンクタンク)の提言に基づくジョン・メージャー率いる保守党政権の1993年鉄道法の下、イギリス国鉄は分割民営化がなされた。これは公営サービスの民営化を掲げるサッチャー保守党政権の政策の継続であった。

民営化に際しては地域分割、上下分離、株式会社化など複数案の中から、電気やガスの事例に近い上下分離方式が採用された。線路、列車そしてインフラの所有権は、競争性が薄いとの判断から、法により既存の国鉄の企業の形式に基づく異なる会社に分割された。

セクター内の旅客列車運行は民間企業にフランチャイズ化され、20数社の民間会社が運行を継承した。各運行会社による鉄道営業の統括と会社群の代表団体として列車運行会社協会(ATOC)が設立され、「ナショナル・レール」 (National rail) のブランドを制定し、乗車券発行が共通化された。貨物輸送はほとんどが一社(後のEWS)に落札された。

インフラについては、これを独占的に取り扱い、またロンドン証券取引所に上場するためレールトラック社 (Railtrack plc) が創設された。また、Strategic Rail Authorityは鉄道営業を監査し、各会社に営業政策を提言するために設置された。

なお、イギリス国鉄を統括していたイギリス国鉄委員会は残存業務の統括のため残存し、2000年の運輸法により廃止された。警察機関のイギリス鉄道警察(BTP)は民営化されずに継続し、民営各社に継承されない土地施設や負債を維持管理するBRB (Residuary) 社(運輸省傘下)が設立された。

民営化の結果[編集]

インフラ整備を行っていたレールトラック社は、保線作業の下請け化による監督の不十分さ、投資不足からの列車遅延の常態化や大事故の連続などにより2002年に破綻した。同社は公的性格の強いネットワーク・レールに引き継がれ清算されている。

旅客輸送実績、貨物輸送実績はともに増加している(旅客輸送については、英語版の画像を参照。最低だった1980年代前半の倍近くまで回復している)。民営化以降は安定して旅客運賃の値上げが行われている上に[4]、2006年にはイギリス国鉄が得た収益の三倍の補助金が国庫から充てられている。

この輸送量増加が民営化の効果か、単なる道路の混雑の悪化と(通常は旅行者の増加をもたらす)経済成長の効果かは論議がある。あるアナリストは、経済が好調だった1980年代後半の旅客数の増加に似ており、不況になった1990年代前半には落ち込んでいると指摘した。しかし、近年の旅客数(旅行者数)は1950年代の水準(全国で年間10億人余)に回復している。しかも、インフレ率よりも高く(旅行を思いとどまらせるかのように)運賃の値上げが頻発する一般的な通勤路線でさえ、2007年にはその水準に達している。

民営化後は運行会社が各々の塗装を採用したな車両が登場している。

かつての国鉄からの路線網は、西海岸本線、東海岸本線、グレート・ウェスタン本線そしてミッドランド本線の幹線を含めて民営化以降ほとんど変化がない。一方でイギリス中央政府から路線網の権限が委譲されたウェールズ・スコットランドでは一部のローカル線が再開された。民営化後は国鉄時代のような統一性は薄れ、車両塗装や広告などのデザインも各会社が多種多様に展開している。

脚注[編集]

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  1. ^ 柳川 隆; 播磨谷 浩三、吉野 一郎. “イギリス旅客鉄道における規制と効率性 (PDF)”. 経済学研究. 神戸大学. pp. 59-84. 2014年3月8日閲覧。
  2. ^ 当初は民間資本のレール・トラック社に引き継がれたが、配当を重視するあまりに破綻したため、さらに国が出資する株式会社であるネットワーク・レールに引き継がれた。
  3. ^ Thomas, David St John; Whitehouse, Patrick (1990). BR in the Eighties. Newton Abbot: David & Charles. ISBN 0-7153-9854-7. 
  4. ^ イギリス旅客鉄道における規制と効率性 (PDF) 『交通新聞』一般財団法人運輸調査局、東日本旅客鉄道、p.18-21

外部リンク[編集]