岩手県競馬組合

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岩手県競馬組合(いわてけんけいばくみあい)とは、盛岡競馬場水沢競馬場の2場で地方競馬を主催する団体で、岩手県盛岡市および奥州市で構成される一部事務組合である。

概要[編集]

東北地方(新潟県も地方競馬では東北地方扱い)の地方競馬は、上山競馬場新潟県競馬新潟競馬場三条競馬場)があったものの、主催自治体の行政予算が困難なことから廃止が相次ぎ、現在は岩手県競馬のみが実施されていて「みちのくレース・岩手競馬」という愛称が付いている(但し、2014年4月現在、積極的に愛称は使用しなくなっている)。

藤原正紀事務局長時代は積極経営に乗り出し、派手なCMを打つなど1990年代の競馬ブームに乗って売り上げを伸ばした。1996年には地方競馬初の芝コースを持つ新盛岡競馬場を建設し、「地方競馬の優等生」とまで言われた。

在宅投票システムは「オッズパーク」と「楽天競馬」が利用可能である。なお、左記の他に2009年1月12日までは岩手競馬独自の「R-CALL」(レーシングコール)があった。

岩手県競馬の開催は基本的に「通常開催」が4月から翌年1月まで(平年、2か所で20回前後)、1月中旬から3月中旬までは積雪や寒気に当たるため通常開催はせず、3月下旬の年度末に「特別開催」を1開催[1]行う日程がくまれている。

売り上げ不振による存廃を巡る動き[編集]

盛岡競馬場の移転にかかった費用(約410億円)が膨大なことや場外発売所の不採算化、開催業務委託費等のコスト削減に積極的でなかったことから、2003年度末には105億円の累積赤字を抱える経営難に陥る。2004年12月末にも資金繰りに窮して破綻する危機もあったが、県議会や関係金融機関への働きかけもあり継続が決まる。

しかし極めて厳しい経営状況は変わらず、2007年3月には総額330億円を融資する議案が県議会に提出されたが、15日夜の採決の結果、賛否が同数になり、地方自治法第116条の規定による議長の決定により議案は否決される。4月以降の開催資金の確保が不能となり、当時の増田寛也知事が岩手競馬廃止を表明したが[2]、19日の議会で提出された県の負担を20億円軽減する修正案に、15日の採決に反対だった議員の1人が賛成に回ったため、1票差で可決され、事実上存続が決まった。

競走馬についても、過去にはスイフトセイダイトウケイニセイグレートホープメイセイオペラトーホウエンペラーなど全国レベルの大競走で通用する馬を輩出していたが、2000年代半ば以後は目立った活躍馬に恵まれていない。この原因は売上低下などの岩手地区の競馬を取り巻く環境の悪化によるところと、有力な馬主の本業(競馬以外での事業)での不振や破産が大きいとされている(例:メイセイオペラの現役時代の馬主であった明正商事)。

2011年には東日本大震災発生により競馬場やテレトラックが被災、レースも実施できず、またも危機を迎えたが、全国的な復興支援ムードの高まりにより堅調な推移を見せ、現在に至っている。

略史[編集]

  • 1964年 岩手県、水沢市(当時)、一関市の3自治体で岩手県競馬組合発足。
  • 1965年 盛岡市が組合の構成団体に加入。
  • 1967年 一関市撤退(競馬法の改正により競馬場を有する市町村以外は競馬を開催できないことになったため)。
  • 1968年 周辺の宮城、秋田の地方新聞にも広告を展開する。
  • 1969年 特別競走に地名・スポンサーなどの名称が付くようになる。女性ジョッキー・高橋優子騎手がデビュー。盛岡のスタンド増築。馬伝染性貧血の集団発生が起き、一時競馬開催中断。
  • 1970年 昭和天皇香淳皇后が招待され第25回国民体育大会馬術競技(水沢)を観覧。
  • 1971年 出馬表を前日発表する。水沢からのテレビ・ラジオ実況中継を開始。全国で最後まで残っていた けいが競走を廃止。混合戦で行われていたサラブレッドアラブを血種別競走に移行。
  • 1972年 盛岡競馬場からのテレビ・ラジオ実況中継を実施。
  • 1973年 重賞「みちのく大賞典」(現・一條記念みちのく大賞典)新設。
  • 1974年 高橋優子騎手死去。
  • 1975年 重賞・特別競走を大幅に新設し、現在のレース体系の原型が整備される。岩手開催初の東北地区交流競走・重賞「東北アラブチャンピオン」「東北アラブ3歳チャンピオン」を水沢競馬場で施行。
  • 1976年 吉田弥生騎手がデビュー。全出走馬は1開催原則1レースのみの出走とする規定を定める。
  • 1977年 勝馬投票券の前売り開始。
  • 1978年 競馬組合設立15周年を記念し、重賞「金蹄賞」を新設。
  • 1979年 投票所にトータリゼータシステム(富士通フロンテック社製)を投入。レコードタイムを挙げた競走馬に対する関係者の表彰始める。
  • 1980年 全国初のインフォメーションセンター、女性コンパニオン、託児制度を実施。
  • 1981年 女性騎手限定招待レース「レディスカップ」開催(アメリカから5人の女性騎手が出場)。
  • 1984年 岩手競馬100年を記念し、初の広域交流競走・重賞「北日本アラブ優駿」新設。
  • 1985年 山形、新潟との地域場間発売を開始。
  • 1986年 テレトラックシリーズの第1号として盛岡競馬場内に「テレトラック盛岡」を開設。重賞「ダービーグランプリ」新設。
  • 1987年 テレトラックシリーズの場外馬券投票所第1号「テレトラック宮古」開設。マルチユニット(複数の馬券が1枚のマークシートで購入できる)を導入。
  • 1988年 テレトラック釜石開設。競馬組合設立25周年を記念し、重賞「北日本マイルチャンピオンシップ南部杯」(現・マイルチャンピオンシップ南部杯)新設。
  • 1989年 テレトラック種市開設。水沢に女性専用コーナー設置。
  • 1990年 全ての重賞競走にて、馬名入りゼッケンを使用開始(ダービーグランプリ、北日本マイルチャンピオンシップ南部杯では創設時より使用)。
  • 1991年 正月開催実施。過去最高126日間のレース開催。マルチユニットを全面投入。テレトラック水沢安代が開設
  • 1992年 ムービジョン(大型映像装置)が設置。
  • 1993年 水沢競馬場でJRAのGIレースを場外発売(スプリンターズステークス有馬記念)。競馬組合設立30周年を記念し、重賞「青藍賞」を新設。
  • 1995年 盛岡競馬場の旧コース(高松地区)が前身の組織から63年の歴史に終止符が打たれる。マイルチャンピオンシップ南部杯が中央地方指定交流競走となる。
  • 1996年 新盛岡競馬場・オーロパーク完成。芝コース設置。盛岡競馬場でJRAのGIレースの場外発売開始。電話投票システムスタート。ダービーグランプリと、この年新設されたクラスターカップが中央地方指定交流競走となる。ダートの内側に芝コースのある、アメリカ式のつくりとなっている。
  • 1997年 ダートグレード競走スタート。マイルチャンピオンシップ南部杯とダービーグランプリが統一GIに格付けされる。岩手県外初の場外馬券投票所「テレトラック横手」開設。統一GIII「マーキュリーカップ」新設。「クラスターカップ」も統一GIIIに格付けされる。
  • 1998年 福島競馬場内に岩手競馬場外発売所を開設。テレトラックつがる(現・ウインズ津軽)開設。
  • 1999年 メイセイオペラが地方馬として、初めて中央GI(フェブラリーステークス東京ダート1600m)を勝つ。テレトラック山本開設。競馬組合設立35周年を記念し、重賞「岩手県知事杯OROカップ」を新設。
  • 2000年 5月に開催された特別「金蹄賞」を最後にアラブ競走を廃止。
  • 2001年 テレトラック三本木開設。
  • 2002年 テレトラック十和田開設。フューチャー競走(新馬戦)、ホープフル競走が始まる。盛岡競馬場で統一GI「JBCクラシック」「JBCスプリント」を開催。
  • 2003年 東京競馬場内に岩手競馬場外発売所を開設。
  • 2005年 ソフトバンクグループと業務提携を結び、インターネットパソコン通信携帯電話)を使った勝馬投票券オンライン投票発売実施などを2006年度から展開することを発表。テレトラックつがるをJRAに売却。
  • 2007年 盛岡・水沢競馬場でJRAの全開催日のメインレースの場外発売開始。ダービーグランプリのダートグレード格付けが返上される。盛岡大通場外発売所(UMACCO盛岡大通)開設。
  • 2008年 イメージキャラクター東幹久を起用。契約料はなし、コマーシャルなどへの出演料は岩手競馬の売り上げ次第という契約内容となった。
  • 2009年 イメージキャラクターにルー大柴を起用。コマーシャルでは主にナレーションを担当(終盤で少し映る)。イベントにも出演する。日本初の騎手ハンデ競走を実施。岩手競馬独自の電話投票システム「R-CALL」(レーシングコール)廃止。
  • 2010年 ダービーグランプリが地方競馬全国交流競走として復活。地元岩手のロックハンドスターが優勝(岩手ダービー、不来方賞、ダービーグランプリを制し岩手3歳3冠を達成した)。
  • 2011年 3月に福島競馬場内の岩手競馬場外発売所を閉鎖。直後に東日本大震災が発生し大地震と大津波の影響により、水沢の本場開催は当面の間中止となり、5月の盛岡開催から再開。また場外発売所のうち、被害が甚大だった「テレトラック宮古」「テレトラック三本木」では当面の間業務を休止。「テレトラック釜石」は業務廃止・閉鎖となった。「テレトラック宮古」は6月4日から[3]、「テレトラック三本木」は6月25日に業務を再開した[4]。テレトラック釜石については民間に委託する前提で2014年度の再開を目指している[5][6]10月10日、東日本大震災で大きな被害を受けた岩手県競馬を支援するため、JRA主催によりマイルチャンピオンシップ南部杯を東京競馬場で施行。売り上げの一部を支援金として岩手県競馬組合に拠出する。
  • 2013年 翌年行われる統一GI「JBCクラシック」「JBCスプリント」「JBCレディスクラシック」を盛岡競馬場で12年ぶりに開催することが決定。
  • 2015年 秋田県秋田市に場外馬券場「DIKK秋田」(ディック秋田)を開設[7]
  • 2016年 ダートグレード競走以外の重賞競走に、M1〜M3からなる岩手競馬グレード制を導入。

※主要レースについてはそれぞれの競馬場の項目を参照すること

コーポレートスローガン[編集]

  • sporting world(1983 - 2000年、2000年9月まで水沢競馬場のゲート上に表示)

キャッチコピー[編集]

  • 60キロの速さで君達は競う、岩手の競馬(1983 - 1987年、イメージCM)
  • 私はあなたの母を知っています。君が好き(1988年、イメージCM)
  • 気持ちがパカパカしてきます(1991年、開幕告知CM)
  • 馬野家の人々(1992 - 1996年、イメージCM『馬野家の人々シリーズ』)
  • 新しい馬事文化の発信基地・オーロパーク誕生(1996年、イメージCM)
  • IWATE KEIBA NEWS(1997年)
  • 名馬を生みます、レースを育てます。IWATE KEIBA(1997年、イメージCM)
  • 走るから美しい(1997年、イメージCM)
  • いけるかも 岩手競馬(1998年、春 - 秋)
  • いっしょに走ろう(1999年、イメージCM)
  • 見せるぜ、1999(1999年春)
  • 競馬のジョーへカモンカモン!(1999年夏 - 冬)
  • ケイバにイケバ 馬!馬!馬!馬!(ババババ)(2000年)
  • 名前が変わる 何かが変わる 岩手競馬はみちのくレースへ(2001年)
  • Go To! みちのくレース(2001年)
  • 北の大地が大舞台になる、JBCイヤー2002(2002年)
  • アツいぜ!!週刊イワテケイバ(2003年)
  • 夢のつづきを見にいこう(2004年)
  • みんなの岩手競馬(2004年夏 - 、5秒スポットCMメイン)
  • Gold Up!(2005年)
  • あなたのいわて競馬(2006年)
  • 走れる歓びを力に、前へ(2007年)
  • オモシロイことになってきた!(2008年)
  • もっとオモシロイことになってきた!!(2009年)
  • 岩手競馬もっと!!もっと!!宣言(2010年)
  • がんばろう東北・心をひとつに岩手競馬(2011年 - )
  • 絆は、人と馬を強くする(2013年)
  • 絆をむすぶ。夢をつなぐ(2014年)
  • ENJOY!岩手競馬(2015年)
  • ときめき、∞無限大(2016年)
  • 馬と人の黄金物語(2017年)

歴代イメージキャラクター[編集]

  • 1993年 北村総一朗 他による馬野家の人々
  • 2000年 ムッシュかまやつ(コマーシャルソングも担当)
  • 2005年 Dr.コパ
  • 2006年 ふじポン
  • 2008年 東幹久
  • 2009年
    盛岡サマーサミット(MORIOKA SUMMER SUMMIT)の一環として「オレイポン」改め「馬(ば)ひゅーむ」として活動(2012年7月に再度起用)
    みちのくサマーサミット(MICHINOKU SUMMER SUMMIT)の一環として「馬(ば)ふゅーむSEASON2(仮)」改め「Lady bAbA(レディババ)」として活動

競走の種類[編集]

エクセレント競走[編集]

エクセレント競走は実質、A1級またはA1級A2級混合の平場戦であるが、他のクラスの平場戦との差別化を図るためにこの名称がつけられた。水沢競馬場盛岡競馬場ダート1600メートルおよび1800メートルで行われ、獲得賞金(クラス)、馬齢、性別などによって負担重量が定められる。なお、2014年以降はオープンクラスの平場戦は全て特別競走に格上げされたため、エクセレント競走の名称は使用していない。

リヴェール競走[編集]

リヴェール競走は、開催週最終日(土日月開催の場合月曜日が該当する)に行われる最終レースの名称である。こちらも2014年以降は行われていない。

岩手競馬を支援する日[編集]

2011年東北地方太平洋沖地震による巨大地震と大津波により、岩手県競馬は施設が甚大な被害を受けた。その復興支援の一環として同年10月10日を「岩手競馬を支援する日」と銘打って開催された。

中央競馬も関東地区の開催が一時休止となった日程の補填の一環で東京競馬場での単独開催となったが、中央競馬もこの趣旨に協賛。当日、「マイルチャンピオンシップ南部杯」をJRA主管に委譲して東京競馬場で開催し、盛岡競馬場においても「絆カップ」(地方交流戦)「東北ジョッキーズカップ」(東北地方出身の地方競馬騎手交流戦)を行った。

収益金は被災地復興支援に当てられるほか、南部杯の収益も岩手県競馬支援に寄付された。

岩手競馬関連番組[編集]

岩手県競馬組合の提供で、県内民放テレビ・ラジオ(IBC岩手放送のみ)で中継番組やダイジェスト番組を放送していたが、組合の予算削減で徐々に放送回数が減少し、2007年度はテレビ中継が休止となったが、2008年度は2回のみだがテレビ中継が再開され、以後は年1〜2回のペースで継続されている。

現在放送中の番組[編集]

終了した番組[編集]

その他[編集]

  • マスコットキャラクターの馬「ハヤテ」は手塚治虫がデザインした。
  • 国内初の試みを積極的に行う主催者として知られている。
    • マーケット理論の導入、競馬場内にインフォメーションセンターを設置、場外施設の愛称命名、女性騎手招待競走の開催。
    • 地方競馬3歳(旧4歳)馬の全国交流競走(ダービーグランプリ)の開催、一部重賞レースでの生産者賞創設。
    • S字型ウッド式発馬機から現在使用されている発馬機へ転換するよう提言、地方競馬主催者所有の競馬場で初の芝コース設置。
    • 地方競馬初の中央GIレース場外発売、騎手ハンデ戦の創設、騎手と馬のファン投票によるカップリングレースの開催(廃止)など。
  • 2003年のダービーグランプリ(GI)の際、小倉秀夫アナと長田信也アナ両者の実況が一瞬流れるという事象があった。当時ダートグレード競走のときには岩手エリアと場外・CATV向け放送のレース実況を別に行っていたために起こった(NARの公式サイトやyoutube内の「岩手競馬◆TV」では長田信也アナの実況が配信されている)。
  • 2010年、スカパー!懐かし音楽★グラフィティTV/keibaにおいて、ばんえい競馬のナイター開催期間中の間合番組としてレース中継が放送されることとなった(17時まで完全中継、17時以降発走分はばんえい競馬中継の中でレース録画・配当を放送)。しかし、10月(南部杯当日)をもって放送は終了となってしまった。
  • 2011年5月14日の第1回盛岡開催より、通常はホッカイドウ競馬担当の古川浩が場内実況をするという旨を前日13日のFM岩手「勝ちソーラジオ」で本人が伝えた。
  • 盛岡競馬は2014年9月20日から、水沢競馬は11月14日からレース映像がハイビジョン化された。テロップはそれ以前から更新済。
  • かつて、荒尾競馬場と同じ本馬場入場曲を使用していた時期があり、パドック前のVTR表示もあった。
  • 現在、1Rパドック開始までは静止画→現在の馬場情報→1R出馬表という表示になっているが、2010年ぐらいまではスタンドからの現在の映像に「みちのくレース盛岡(水沢)競馬」と「ご来場ありがとうございます」のテロップを被せながらBGM→前日全レースVTR→お知らせ→ゴール板にカメラがアップしていきながら「最終レースまでごゆっくりお楽しみください」という趣旨のアナウンス→1R出馬表という流れだった。

出典[編集]

  1. ^ 2017シーズン 岩手競馬開催日程のおしらせ ~開幕は平成29年4月1日(土)!~
  2. ^ 2年遅れの“再建モード”入り 廃止逃れた岩手競馬 サラブネット(2007年3月26日)。2012年9月17日閲覧。
  3. ^ テレトラック宮古での発売を開始いたします”. 岩手県競馬組合 (2011年5月31日). 2011年6月25日閲覧。
  4. ^ テレトラック三本木/6月25日(土)より発売開始いたします”. 岩手県競馬組合 (2011年6月20日). 2011年6月24日閲覧。
  5. ^ 場外発売所の設置及び運営に関する公募について”. 岩手県競馬組合 (2012年5月25日). 2012年6月4日閲覧。
  6. ^ 岩手県競馬、釜石場外を来年度再開 津波で全壊 跡地に - 河北新報・2013年11月20日
  7. ^ 秋田場外勝馬投票券発売所 愛称が決まりました”. 岩手県競馬組合 (2015年4月10日). 2015年4月19日閲覧。

外部リンク[編集]