師岡正雄
もろおか まさお 師岡 正雄 | |
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プロフィール | |
愛称 | モロさん |
出身地 |
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国籍 |
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生年月日 | 1960年2月15日(63歳) |
血液型 | A型 |
最終学歴 | 明治学院大学[2] |
所属事務所 | ボイスワークス |
職歴 |
九州朝日放送(1983年4月 - 1993年1月) ニッポン放送 (1993年3月 - 2018年1月) |
活動期間 | 1983年 - |
ジャンル |
スポーツ バラエティ番組 |
配偶者 | 有 |
公式サイト | 師岡 正雄(ボイスワークス) |
担当番組・活動 | |
出演中 |
ニッポン放送ショウアップナイター Jリーグ RADIO |
出演経歴 | PAO〜N_ぼくらラジオ異星人 |
師岡 正雄(もろおか まさお、1960年2月15日[2] - )は、フリーアナウンサーである。かつて九州朝日放送 (KBC) とニッポン放送 (JOLF) でアナウンサーとして勤めた。
来歴[編集]
東京都世田谷区出身[1]で、明治学院大学付属高校で学びサッカー部で活動[1]し、明治学院大学で運動系サークルに所属した。
アナウンサーになることは考えていなかった[3]が、大学3年次に文化放送のアルバイトで宿泊勤務時、師岡より2 - 3歳上の男性アナウンサーからノリの良い性格と声質を褒められてアナウンサー職を勧められ、アナウンサーの仕事を志す[3]。
就職活動の始動が遅く大学4年次からアナウンススクール受講を開始し、キー局の受験が不可能となる。バイト先の文化放送は1983年度にアナウンサーを求人せず、最後に受験可能となった九州朝日放送で採用され、1983年3月に大学を卒業後して4月に入社[4]する。
アナウンス部に配属されて2か月間研修して 6月にラジオの天気予報で初鳴きする。定時ニュースの読み上げ、テレビキー局のテレビ朝日へ原稿送り[5]、平和台球場のプロ野球実況、若年層向けラジオ番組のパーソナリティ[5]。などを担当する。特に『PAO~N』木・金曜日の担当時、「他のラジオ局がオーソドックスにやっているのに対して、こっち(KBC)はハチャメチャに神出鬼没にやってみよう」ということで、学校や企業の女子寮などに突撃取材したことがあり、叱られたこともあったが、それがヒットし、聴取率ナンバーワンになったこともあった。1988年に南海ホークスがダイエーへ売却されて本拠地は福岡へ移転する。同時期にKBCが社内で新設したスポーツ部へ移動を上申するも叶わず[6]。のちに高校時代の親友が突然死去するも遠方で葬儀参列が叶わなかったことを契機に、入社以来居住した福岡県から東京へ戻ることを決意した[7]。スポーツ雑誌でニッポン放送の中途募集広告を知り応募し、採用結果を待たず1993年1月に九州朝日放送を辞職する。
採用となり1993年3月1日にニッポン放送へ入社[8]する。4月にスポーツ部長から、ラジオ独占中継権を獲得した5月15日開幕のJリーグの実況中継担当に指名される[9]。5月15日にJリーグ開幕戦のヴェルディ川崎対横浜マリノスをラジオ実況[9]し、以後『ニッポン放送ショウアップナイター』と並行して『Jリーグ RADIO』の実況を担当する。
サッカー日本代表試合は、1993年FIFAワールドカップアメリカ大会アジア予選で1次と最終戦をラジオ実況[9]を担当し、10月28日日本対イラク戦の「ドーハの悲劇」[2]を実況した。1997年FIFAワールドカップフランス大会アジア予選で最終予選を全試合担当し、アジア第3代表決定戦日本対イラン戦で「ジョホールバルの歓喜」を実況した[9]。
フランスワールドカップの終了を機に、担当する基軸を『サッカー代表戦」と『Jリーグ RADIO』の実況から『ショウアップナイター』へ移した。ニッポン放送メジャーリーグラジオ中継で、1996年にロサンゼルス・ドジャースへ移籍した野茂英雄と2003年にニューヨーク・ヤンキースへ移籍した松井秀喜を長期取材するためアメリカに長期滞在した。
のちにスポーツ部副部長を務め、57歳で早期退職優遇制度を活用して2018年1月31日にニッポン放送から辞職する[10]。以後はフリーアナウンサーとなり、ニッポン放送で契約アナウンサーとして出演している[11]。同じく早期退職した松本秀夫が立ち上げた劇団チェンジアップのコント芝居にも出演している[12][13]。
人物[編集]
- 九州で採用されたが、修学旅行で訪れた京都以西は未訪問で、入社前に上司から送付された福岡に関する書籍を読んで知識を得た[14]
- 『PAO〜N ぼくらラジオ異星人』担当時はアポなしで中継するなどバカバカしい事を一生懸命取組み[15]、聴取率で後塵を拝していたRKBラジオ夜ワイド番組『スマッシュ!!11』は終了となった[16]。
- 九州朝日放送でスポーツ部へ異動がかなわぬもスポーツ実況を担当した。花形であった福岡ダイエーホークス戦と、福岡から移転して西鉄ライオンズの流れを汲む西武ライオンズ戦、全国高等学校野球選手権福岡大会の準決勝や決勝、などは担当出来ず不満を抱いた[17]
- 実況したジョホールバルの歓喜で、Vゴールを決めた浦和レッドダイヤモンズの岡野雅行は取材を通して懇意であったことなどから、浦和駅西口浦和コルソ最上階バルコニーで催されたVゴール凱旋イベントで司会を担当した[9]
- 2000年シドニーオリンピックで、ジャパンコンソーシアムの中継派遣として閉会式の中継を担当した際、放送時間を超えてもディレクターがOKを出さず、集中力を切らした師岡は「原住民のアボリジニの皆さんが、上半身丸ハダカで入場してきました」と表現擦るつもりが、言い間違えて「アボリジニの方々が下半身丸ハダカで出てきました」と発言して解説の谷口浩美からツッコまれ、NHKでも放送された[18][9]
- 2007年12月21日放送の『松本ひでおのショウアップナイターネクスト』で、金曜パーソナリティ仁志敏久がKICK THE CAN CREW「クリスマス・イブRap」をリクエストした際、隣のスタジオにいた師岡はグループ名を「きくざわかんくろう」と聴き間違えてスタジオに乱入して俺でも出来ると豪語した。以降は師岡のキャラクターとなりナイターオフ番組の企画としてラップで韻を踏む様になった[19][20]。
- 2009年にニッポン放送『松井秀喜 ワールドチャンピオンへの道』の収録で、ワールドシリーズ第6戦試合中に渡米して到着後にヤンキースのワールドチャンピオンが決定した。松井に直接お祝いを連絡すると「なに、今着いたの!?優勝したシーン見ていないの?タイミング悪いなぁ~、いま来てもしょうがないじゃん。」と笑われた[9]
- ニッポン放送社員として最後に出演した『今夜もオトパラ!』の生放送で、退職のニュースを聞いて会社に残っていたスタッフやアナウンサーがスタジオに乱入して胴上げされ[21][22]る模様を松本が実況した。
出演番組[編集]
現在[編集]
ラジオ[編集]
- ニッポン放送ショウアップナイター※実況担当
- 関東圏の試合の裏送りでは中国放送(RCCカープナイター)や九州朝日放送(KBCホークスナイター)の担当機会が多いが、TBSラジオの野球中継撤退に伴い、九州朝日放送の競合局であるRKB毎日放送(RKBエキサイトホークス)へ裏送りも、2022年7月3日の西武対ソフトバンク戦以来担当する。
- Jリーグ RADIO※ピッチサイド、他会場中継リポーター - 1993年5月15日 -
テレビ[編集]
- プロ野球ニュース(フジテレビONE)※試合結果報告担当 - 2018年度 -
- TVSヒットナイター(テレ玉)※試合中継(カラ出張扱い) - 2018年 -
- パ・リーグ応援宣言!ホークス中継(TOKYO MX)※実況 - 2020年 -
過去[編集]
ラジオ[編集]
- 九州朝日放送時代
- PAO〜N ぼくらラジオ異星人※パーソナリティ(水、木、金曜) - 1983年6月1日 - 1986年3月
- KBCジャンボナイター※実況担当
- KBCラジオ・チャリティー・ミュージックソン
- 福岡国際マラソン中継
- ニッポン放送時代
- 独占!Jリーグエクスプレス(パーソナリティ)
- ショウアップナイタープレイボール(パーソナリティ)土、日曜 - 2009年
- もろおか正雄のヨッ!お疲れさん(パーソナリティ) - 1998年10月 - 1999年3月
- ショウアップナイターニュース(パーソナリティ) - 2002年10月 - 2003年3月
- ショウアップナイターストライク!(パーソナリティ) - 2003年10月 - 2004年3月
- 榊原郁恵のおしゃべりパーク 歌うリクエスト(アシスタント) - 2006年10月7日 - 2007年3月31日
- 師岡正雄のショウアップナイター編集部!(パーソナリティ) - 2007年10月6日 - 2008年3月29日
- 松井秀喜 ワールドチャンピオンへの道(パーソナリティ) - 2003年
- 松井秀喜新たなる頂点へ(インタビュアー) - 2010年
- ショウアップスポーツ※月曜 - 2012年度、火、木曜 - 2013年度
- 片岡篤史 激アツ!プロ野球(アシスタント)2013年10月5日 - 2014年9月22日
- 師岡正雄 サタデーショウアップスポーツ(パーソナリティ) - 2014年10月4日 - 2015年3月28日
- ニッポンチャレンジドアスリート(パーソナリティ) - 2014年10月4日 - 2019年3月29日
- ニッポン放送新春スペシャル スポーツイヤー START UP 2020(パーソナリティ) - 2020年1月1日
- ザ・フォーカス〜フライデースペシャル※「師岡正雄 終着駅への誘い 令和編」 - 2019年10月4日 - 2020年3月20日[23]
- フジサンケイクラシックダイジェスト(パーソナリティ) - 2020年9月4、6日
- スポーツニュース担当
- ショウアップナイターバッテリー※飯田浩司 病欠時、松本秀夫休暇時の代打 - 2009年12月4、31日
- 飯田浩司の「声だしていこー。」
- 松本ひでお 情報発見 ココだけ※松本秀夫休暇時の代打、「師岡正雄 終着駅への誘い」 - 2013年3月20、21日
- 今夜もオトパラ!
テレビ[編集]
- パワーアップナイター、プロ野球中継※テレビ朝日関東ローカル中継のベンチリポーター等
- サンテレビボックス席(サンテレビ)※福岡ダイエーホークス主催試合のKBC発裏送り
CM[編集]
その他[編集]
脚注[編集]
- ^ a b c Facebookプロフィール欄
- ^ a b c 松本秀夫『プロ野球 実況できなかったスゴイ話』ぜんにち出版、2009年、ISBN 978-4-86136-122-7 245-246ページ
- ^ a b “喜怒哀楽のサラリーマン時代 師岡正雄さん<1>「マイク乗りのいい声だよ」と褒められた”. 日刊ゲンダイ (2018年9月19日). 2018年9月19日閲覧。
- ^ “喜怒哀楽のサラリーマン時代 師岡正雄さん<2>友だちゼロの福岡でアナウンサー修業を”. 日刊ゲンダイ (2018年9月20日). 2018年9月20日閲覧。
- ^ a b “喜怒哀楽のサラリーマン時代 師岡正雄さん<3>ラジオ番組ロケはアポなしで女子寮に突撃”. 日刊ゲンダイ (2018年9月21日). 2018年9月21日閲覧。
- ^ “喜怒哀楽のサラリーマン時代 師岡正雄さん<4>パ・リーグの黄金カードを実況したかった”. 日刊ゲンダイ (2018年9月22日). 2018年9月22日閲覧。
- ^ “喜怒哀楽のサラリーマン時代 師岡正雄さん<4>パ・リーグの黄金カードを実況したかった”. 日刊ゲンダイ (2018年9月22日). 2018年9月22日閲覧。
- ^ “喜怒哀楽のサラリーマン時代 師岡正雄さん<5>中途入社2か月でJリーグの開幕戦を実況”. 日刊ゲンダイ (2018年9月26日). 2018年9月26日閲覧。
- ^ a b c d e f g “平成思い出実況はドーハの悲劇とジョホールバルの歓喜 【ニッポン放送師岡正雄アナウンサー】”. ニッポン放送 NEWS ONLINE(ニッポン放送) (2019年3月16日). 2019年3月16日閲覧。
- ^ “ニッポン放送・師岡アナが退職を発表 今後も同局で活動予定”. BASEBALL KING(ニッポン放送) (2018年1月31日). 2018年1月31日閲覧。
- ^ “ニッポン放送名物アナ・師岡さん、早期退社で「プロ野球ニュース」テレビデビュー!”. スポーツ報知. (2018年3月27日) 2018年3月30日閲覧。
- ^ “豪華プロ野球解説陣も参戦する野球コントの公演を見逃すな/芸能ショナイ業務話”. サンケイスポーツ. (2019年1月9日) 2019年1月10日閲覧。
- ^ “川相昌弘氏、前田幸長氏らも出演 劇団チェンジアップ10日から公演”. サンケイスポーツ. (2020年1月7日) 2020年1月7日閲覧。
- ^ “喜怒哀楽のサラリーマン時代 師岡正雄さん<2>友だちゼロの福岡でアナウンサー修業を”. 日刊ゲンダイ (2018年9月20日). 2018年9月20日閲覧。
- ^ “喜怒哀楽のサラリーマン時代 師岡正雄さん<3>ラジオ番組ロケはアポなしで女子寮に突撃”. 日刊ゲンダイ (2018年9月21日). 2018年9月21日閲覧。
- ^ 月刊ラジオパラダイス 1988年8月号特集「全国4大エリア 夜ワイド合戦絵巻」
- ^ “喜怒哀楽のサラリーマン時代 師岡正雄さん<4>パ・リーグの黄金カードを実況したかった”. 日刊ゲンダイ (2018年9月22日). 2018年9月22日閲覧。
- ^ “喜怒哀楽のサラリーマン時代 師岡正雄さん<8>「アボリジニの方々が下半身…」と実況し”. 日刊ゲンダイ (2018年9月29日). 2018年9月29日閲覧。
- ^ “第8回 江本さんの歌声、そして師岡アナのラップ…”. ザ・フォーカス フライデースペシャル番組ブログ(ニッポン放送) (2019年11月29日). 2020年1月1日閲覧。
- ^ focussp124のツイート(1200355864130883584)
- ^ otopara1242のツイート(958630084675383296)
- ^ tomoe_shinboのツイート(958633624051490816)
- ^ 元旦特番等を担当した関係で1月の1ヶ月間はコーナー中継は休止
外部リンク[編集]
- 師岡 正雄|ボイスワークス|アナウンサーのマネジメント・育成
- 師岡 正雄 (morooka.masao) - Facebook