福岡国際マラソン

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福岡国際マラソン
開催地 日本の旗 日本福岡市
開催時期 12月
種類 ロードコース
距離 マラソン
最高記録 エチオピアの旗ツェガエ・ケベデ 2:05:18
創立 1947年
スポンサー マイナビ
公式サイト 福岡国際マラソン
博多駅前のモニュメント

福岡国際マラソン選手権大会(ふくおかこくさいマラソンせんしゅけんたいかい)は、1947年から開催されているワールドアスレティックス(世界陸連)公認の男子フルマラソン大会である。世界陸連からは、「ゴールドラベル大会」(2021年は「エリートラベル」)にも認定された[注 1]

大会の正式名称と開催地が数回変更されているが、第13回(1959年)以降は福岡県福岡市内で開催(開催地の変遷については後述)。第9回(1955年)から第19回(1965年)までの大会は『朝日国際マラソン』、第20回(1966年)から第27回(1973年)までの大会は『国際マラソン選手権大会』、第28回(1974年)以降の大会は『福岡国際マラソン選手権』として開催されていた。また、第21回(1967年)以降の大会では、開催日は12月の第1日曜日[注 2] に固定されている。

1960・1970年代のレースでは、男子フルマラソンの世界最高記録が2回誕生している。当時は、世界屈指の高速コースに世界トップクラスのランナーが集うハイレベルのエリートマラソン大会として、「非公式の世界選手権大会」とも呼ばれていた。2020年10月には世界陸連から「陸上世界遺産(Heritage Plaque)」に認定されている[1]

2021年12月5日に開催の第75回大会で終了[2]。終了の時点では、平和台陸上競技場福岡市中央区)にスタート・ゴール地点、福岡市東区香椎に折り返し地点、福岡市西南部を周回するルートで42.195 kmのコースを設定していた。これに対して、終了時点での主催団体だった日本陸上競技連盟福岡県一般財団法人福岡陸上競技協会は、上記のコースを活用しながら運営体制を一新した後継大会を2022年から12月の第1日曜日に開催することを発表している[3]

なお、開催地の福岡市内にある博多駅前の博多口広場には、歴代優勝者の足型とサイン入りのプレートが埋め込まれている。

大会の概要と変遷[編集]

第9回大会の廣島庫夫(1955年)

概要[編集]

日本で「マラソンの父」と言われた金栗四三の功績を称える目的で、『金栗賞朝日マラソン』として、1947年に金栗の出身地である熊本県で第1回大会を開催[4]。以下に記す大会の通算回数も、この年の『第1回金栗賞朝日マラソン』から起算している。

1954年の『第8回朝日国際マラソン』は、外国籍のランナーを招待したことによって、日本国内では初めての国際マラソン大会として神奈川県内鎌倉市横浜市戸塚区にまたがるコース)で開催された[5]

大会の通算回数については、1955年から1989年まで、『第1回国際マラソン選手権大会』を基準に置いていた。1990年以降の大会では、大会の長い歴史と伝統を前面に押し出すべく、『第1回金栗賞朝日マラソン』からの通算回数に変更している。このような事情から、1989年の大会は「第24回福岡国際マラソン選手権大会」、翌1990年の大会は「第44回福岡国際マラソン選手権大会」として開催された[6][7]

男子マラソンの日本選手権対象レースの1つで、東京マラソン1981年から2006年までは東京国際マラソン)とびわ湖毎日マラソン2021年まで2月上旬の日曜日に開催)との持ち回り方式で、3年おきに「日本選手権」として開催[8]。 日本人の男子マラソンランナーからは、上記2大会や北海道マラソン別府大分毎日マラソンと共に、大規模な国際大会(オリンピック世界選手権アジア競技大会など)の代表決定戦として重視されてきた。

もっとも、世界のマラソン大会の潮流は、本大会のような「エリートマラソン」(参加への条件として主催団体が「標準記録」を設定しているエリートランナー主体の大会)からボストンマラソンロンドンマラソンニューヨークシティマラソンのような「大都市型マラソン」(大都市の都心部に設けられたコースをエリートランナーと市民ランナーが一緒に走る大会)へ徐々に移行。日本でも、2007年からびわ湖毎日マラソン直後(2月中旬 - 3月上旬)の日曜日に開催されている東京マラソン(優勝者・上位入賞者に対する高額の賞金や本大会に比べて起伏の少ない高速コースを設定している「大都市型マラソン」)に、広告効果を重視するスポンサーや記録を重視するエリートランナーが集まる傾向が年々強まっている。さらに、1957年から本大会の約1か月後(翌年の1月1日)に全日本実業団対抗駅伝競走大会(ニューイヤー駅伝)が組まれていることから、日本の実業団チームに所属するトップレベルのエリートランナーが本大会より(レースの総距離が長いことから所属先の企業にとって高い広告効果を見込める)ニューイヤー駅伝[注 3] への参加を往々にして優先。このような事情で実力や知名度の高い選手が本大会へ集まりにくくなった結果、本大会は運営面で財政難に陥った。主催団体の日本陸上競技連盟(日本陸連)朝日新聞社九州朝日放送テレビ朝日も本大会を「大都市型マラソン」に転換することを一時模索したが、「数万人のランナーを受け入れられる規模のマラソン大会を福岡市内で開催することは難しい」との結論に至ったことから、本大会を終了することを2021年の3月に発表。同年12月5日開催の第75回大会で幕を閉じた[9]

なお、びわ湖毎日マラソンも本大会に先んじて、2021年2月28日開催の第76回大会で終了。2022年以降は大阪マラソン2011年から原則として年に1回開催されている「大都市型マラソン」)に設けられている「男子フルマラソンの部」と統合された[2] ため、本大会の終了に伴って、日本国内における男子の「エリートマラソン」は、東京マラソンと大阪マラソンの「男子フルマラソンの部」(2022年のみ「第10回大阪マラソン・第77回びわ湖毎日マラソン統合大会」という名称で開催)に事実上集約された。

その一方で、日本陸連・福岡県・福岡県陸上競技協会(福岡陸協)では、大会の価値と歴史を残す方策を模索。福岡県を中心に協賛企業を積極的に募った結果、新たな運営体制を構築できる目途が立ったことから、「エリートレベル」の男子選手が100名程度参加できる後継大会を2022年から12月の第1日曜日に福岡市内で開催することを同年3月14日に発表した[10]。開催に際しては、前述した第75回大会のコースを継承するとともに、九州朝日放送がテレビ・ラジオ中継の制作を引き続き担当(テレビ中継をテレビ朝日が関与するかは現時点では不明)。また、前述した「エリートマラソン」の系譜を継ぐべく、ジャパンマラソンチャンピオンシップへの出場権獲得対象大会(JMCシリーズ)の最上位カテゴリー(グレード1)への指定を日本陸連に申請している。なお、この申請によって指定が認められた場合には、国際大会の日本代表選考を兼ねた大会になることが見込まれている[3]。ただし、2022年大会の開催日は12月4日で、防府読売マラソン(日本陸連がJMCシリーズの「グレード2」に指定済みの男子単独レースで前年まで12月の第3日曜日に開催)と日程が重複している[11]

開催地[編集]

最初に開催された年の早い順に記載。福岡市での開催が定着したのは『朝日国際マラソン』時代の第13回大会(1963年)から[12] で、第1回から第12回(1958年)までの大会では開催地が毎年異なっていた。福岡市への定着後も、第17回(1963年)のみ、1964年東京オリンピック・マラソン競技のプレ大会として東京都内で実施されている[13]

福岡市内での開催が定着した1959年以降の変遷[編集]

朝日国際マラソン』として開催された第11回(1959年)から、『福岡国際マラソン選手権』として開催された第38回(1984年)までの大会では、平和台陸上競技場~雁ノ巣折り返しのコースを使用していた(ルートは途中で数回変更)。第17回(1963年)大会のみ、「東京国際スポーツ大会」(1964年東京オリンピック・マラソン競技のプレ大会)の最終日(10月15日)に東京都内で開催[13][28]

前年(1958年)の第12回大会(栃木県内で開催)までレース中に実施していた伴走車の走行を取りやめるとともに、報道関連の車両の走行も制限したため、報道陣はバスやトラックに同乗しての「合同取材」へ移行した。海外での大規模マラソン大会に倣った措置で、ランナーのコース取りの自由度が高まったことから、日本国内で開催される他の主要マラソン大会でも順次導入されている[21]
この年から大会名を『国際マラソン選手権(Open Marathon Championship)』に変更。国際マラソン大会としては世界で唯一、選手権 (Championship) を名乗ることが世界陸上競技連盟(IAAF)に認められた。
改称のきっかけは、 この年の夏にブダペストハンガリー)で開催されたIAAFの年次総会で、日本陸上競技連盟(日本陸連)の代表者が「世界マラソン選手権」の日本開催を提案したことにある。陸上中・短距離競技のオリンピアンで、IAAF会長(当時)の第6代エクセター侯爵(デヴィッド・バーリー)は、「陸上競技36種目のうち、マラソンだけの世界選手権を許すわけにはいかない」として提案を却下。しかし、「『事実上のマラソン世界一』を決める国際選手権」として開催することを条件に、IAAFが大会を後援することを総会で議決した[29]
正式な大会名を『福岡国際マラソン選手権』に変更。世界の著名なマラソン大会で、開催地の地名を大会名に組み込む事例が相次いだことを踏まえた変更で、後援団体のIAAFも変更を認めた[30]
雁ノ巣の折り返し点や、博多湾に面している関係で海風の影響を強く受けやすい海の中道付近の往復ルート(約12km)を廃止。海風を受けにくく高低差の少ない福岡市南西部の市街地を周回するコースに変更されたほか、折り返し点を和白丘へ移動させた[31]
海風の影響をさらに減らすべく、海沿いのルートを短縮したほか、折り返し点を和白丘から香椎へ移動。高低差と急カーブの少ないコースに変更された[32]
4年に1回の周期でオリンピック・世界選手権の日本代表を選考しない年と重なったことや、日本の実業団チームに所属する陸上男子長距離界のトップランナーに全日本実業団駅伝1月1日開催)への出場を優先する傾向が強まったことなどから、国内招待選手を佐藤智之尾方剛に限定。尾方が体調不良で欠場したことや、佐藤がレース早々に先頭集団から脱落したこともあって、大会史上初めて日本人選手から(8位までの)入賞者が出なかった[33]
この年の大会から、IAAF(当時)による格付けで最高位(ゴールド)に昇格(日本国内のフルマラソン大会ではびわ湖毎日マラソン東京マラソンに次いで3例目)[34]
2020年東京オリンピックのマラソン日本代表候補を決める「マラソングランドチャンピオンシップ」(通称:MGC)シリーズの対象レースに指定[35]
2020年東京オリンピック・マラソン日本代表選考の最終関門である「MGCファイナルチャレンジ」対象レースの1つとして開催。海外招待選手としてモロッコから出場したエルマハジューブ・ダザが、2時間07分10秒というゴールタイムで優勝した。しかし、ワールドアスレティックス(世界陸連:この年の11月11日にIAAFから改称)の独立監視機関「インテグリティー・ユニット」は、大会翌年の2020年夏に、ダザにドーピング違反があったことを認定。ダザに対して、同年5月4日から4年間にわたって競技会への出場資格を停止する処分や、同日以降の競技成績を公式記録から抹消する処分を確定させた[36]
本大会の事務局では、第73回大会におけるダザの優勝を取り消すことや、2位以下で完走した選手の順位を1つずつ繰り上げることを2021年5月11日付で発表。この措置に伴って、2時間9分36秒というゴールタイムで2位に入っていた藤本拓[37] を、改めて優勝者に認定した[36]
「マラソン競技における事実上の世界選手権」と呼ばれた歴史や、円滑な大会運営が国際的に高く評価されていることを背景に、世界陸連から「世界陸上遺産(Heritage Plaque)」に認定された(日本国内の陸上競技大会からは箱根駅伝に次いで2例目)[1] 。その一方で、日本国内で新型コロナウイルスへの感染者が急増している状況にありながら、下記の条件で第74回大会の開催に踏み切った。
開催に際しては、出場選手を前年(2019年の第73回大会)の約460人から約80人に制限。日本以外の国からの選手・ペースメーカーの招聘や、スタート・ゴール地点である平和台陸上競技場への一般客の入場を見送ったほか、大会に参加しない市民にもコース沿道でのレース観戦の自粛を要請した[38]
大会を主催する日本陸連・朝日新聞社・九州朝日放送・テレビ朝日が、第75回大会を機に本大会を終了することを3月26日に発表した。世界のマラソン大会の主流が「エリートマラソン」から「大都市型マラソン」へ移っていることや、「日本の男子フルマラソン界における強化・代表選考の場」として一定の役割を果たし終えたことなどを踏まえて、有力選手の招聘や財政などの面から今後の大会のあり方を協議したところ、「大会の運営を2022年以降も続けることは困難」との判断に至ったという[2]
新型コロナウイルス感染症の流行が完全に収束していない状況で、2024年パリオリンピックの男子マラソン日本代表候補を選ぶマラソングランドチャンピオンシップ対象レース(MGCチャレンジ)の先陣を切って開催することから、前年(第74回)に講じられた措置や要請を事実上継続。出場選手は(国内招待選手の10人を含む)[39] 133人で、日本以外の国から選手やペースメーカーを招かないまま、大会の歴史に幕を閉じた[40]
前年(2021年)までの大会から「エリートマラソン」としての系譜やコースを踏襲しつつ、運営体制を一新した後継大会(仮称「福岡国際マラソン2022」)を12月4日(日曜日)に開催することを、日本陸連・福岡県・福岡陸上競技協会が連名で3月14日に発表[3]

大会運営[編集]

過去の協賛[編集]

2002年から2006年までの協賛社はないが、TV中継放送では「年末ジャンボ宝くじスポーツスペシャル」として放送していた。

過去の協力[編集]

大会車両
公式時計
競技用品
公式飲料

参加資格[編集]

日本陸上競技連盟登記登録男子競技者で、日本陸上競技連盟公認の大会で下記の標準記録を突破した大会当日満19歳以上の者。

Aグループ
  1. マラソン2時間27分
  2. 30kmロードレース1時間35分
  3. ハーフマラソン1時間05分
※以上のほか日本陸上競技連盟が特に推薦する者
Bグループ
  1. マラソン2時間35分
  2. 30kmロードレース1時間50分
  3. ハーフマラソン1時間10分

コース[編集]

1991年以降のコース

平和台陸上競技場(Aグループ)/大濠公園(Bグループ)→大手門交差点(左折)→(明治通り)→小戸西交差点(左折)→(県道560号線)→青果市場入口交差点(左折)→(国道202号)→警固交差点(右折)→(県道31号線大正通り)→薬院六ッ角交差点(右折)→(県道31号線・大正通り・高宮通り)→平尾交差点(左折)→(県道555号線百年橋通り) →美野島交差点(左折)→(こくてつ通り)→博多駅前4丁目交差点(右折)→(住吉通り)→博多駅前3丁目交差点(左折)→博多駅前→(県道43号線大博通り)→築港本町交差点(右折)→(県道602号線那の津通り)→千鳥橋交差点(左折)→(国道3号)→御幸町バス停留所前で折り返し→(国道3号)→千鳥橋交差点(右折)→(那の津通り)→浜の町公園前交差点(左折)→平和台交差点(右折)→(明治通り)→大手門交差点(左折)→平和台陸上競技場

歴代優勝者[編集]

 -数字- は優勝回数、 太字 は世界記録、 太字 は日本記録、 太字 は大会記録(福岡市に固定後、いずれも当時)。

開催日 優勝者 タイム 備考
1 1947年12月7日  和田敏一 (JPN) 2時間45分45秒 熊本市で開催
2 1948年12月5日  山田三郎 (JPN) 2時間37分25秒 高松市で開催
3 1949年12月4日  古賀新三 (JPN) 2時間40分26秒 静岡市で開催
4 1950年12月10日  小柳舜治 (JPN) 2時間30分47秒 広島市で開催
5 1951年12月9日  拝郷弘美 (JPN) 2時間30分13秒 福岡市前原町(当時)折り返しで開催
6 1952年12月7日  西田勝雄 (JPN) 2時間27分59秒 宇部市で開催
7 1953年12月6日  濱村秀雄 (JPN) 2時間27分26秒 名古屋市で開催
8 1954年12月5日  レイナルド・ゴルノ (ARG) 2時間24分55秒 日本国内のマラソン大会で初めて、外国籍の選手を初めて招待。
鎌倉市横浜市折り返しで開催。
9 1955年12月11日  ヴェイッコ・カルボネン (FIN) 2時間23分16秒 大会名を 「朝日国際マラソン」に変更。
福岡市―古賀町(当時)折り返しで開催
10 1956年12月9日  山田敬蔵 (JPN) 2時間25分15秒 名古屋市で開催。外国人選手参加なし
11 1957年12月1日  廣島庫夫 (JPN) 2時間21分40秒 福岡市(雁の巣折り返し)で開催
12 1958年12月7日  貞永信義 (JPN) 2時間24分01秒 宇都宮市日光市折り返しで開催
13 1959年11月8日  廣島庫夫 (JPN) -2- 2時間29分34秒 福岡市(雁の巣折り返し)で開催。
この大会から開催地を福岡市に固定(1963年を除く)
14 1960年12月4日  バリー・マギー (NZL) 2時間19分04秒  
15 1961年12月3日  パベル・カントレク (CZE) 2時間22分05秒 国際陸連(IAAF)のルール改正に沿って、この大会からコース上に給水所を設置。
16 1962年12月2日  寺沢徹 (JPN) 2時間16分18秒4 IAAFのルール改正によって、記録の表記を10分の1秒単位に変更。大会前まで日本最高記録を保持していた中尾隆行(2位)と、フルマラソン初挑戦の君原健二(3位)も、中尾の従来の記録を更新した[43]
17 1963年10月15日  ジェフリー・ジュリアン (NZL) 2時間18分00秒6 1964年東京オリンピックのプレイベントとして、本大会のみ、オリンピックのマラソン競技と同じコース(東京都内)で開催。
18 1964年12月6日  寺沢徹 (JPN) -2- 2時間14分48秒2 この大会から、福岡市内で再び開催。前年(1963年)の別府大分毎日マラソンで2時間15分15秒8の世界最高記録(当時)を樹立しながら、46日前に開催の東京オリンピック・マラソン競技で15位に終わった寺沢が、2年前(1962年)の第16回大会で達成した日本最高記録を更新[44]
19 1965年10月10日  廣島日出国 (JPN) 2時間18分35秒8 東京オリンピックの開会式を記念して、開会式からちょうど1年後に開催[45]
20 1966年11月27日  マイク・ライアン (NZL) 2時間14分04秒4 大会名を「国際マラソン選手権」に変更。
21 1967年12月3日  デレク・クレイトン (AUS) 2時間09分36秒4 世界の男子フルマラソン史上初めての2時間10分の壁を破ってゴール。クレイトンと一時首位争いを展開していた佐々木精一郎が、当時の日本最高記録(2時間11分17秒)で2位に入った[46]
22 1968年12月8日  ビル・アドコックス (GBR) 2時間10分47秒8  
23 1969年12月7日  ジェロム・ドレイトン (CAN) 2時間11分12秒8  
24 1970年12月6日  宇佐美彰朗 (JPN) 2時間10分37秒8 日本人のフルマラソン選手では初めて、2時間10分台でゴール。この記録は、当時の世界歴代3位でもあった[47]
25 1971年12月5日  フランク・ショーター (USA) 2時間12分50秒4  
26 1972年12月3日  フランク・ショーター (USA) -2- 2時間10分30秒0  
27 1973年12月2日  フランク・ショーター (USA) -3- 2時間11分45秒0  
28 1974年12月8日  フランク・ショーター (USA) -4- 2時間11分31秒2 大会名を「福岡国際マラソン選手権」に変更。
29 1975年12月7日  ジェロム・ドレイトン (CAN) -2- 2時間10分08秒4 前年(1974年)まで大会4連覇を達成していたショーターは欠場[48]
30 1976年12月5日  ジェロム・ドレイトン (CAN) -3- 2時間12分35秒0  
31 1977年12月4日  ビル・ロジャース (USA) 2時間10分55秒3 この年の世界最高記録で優勝。フルマラソン2回目の瀬古利彦が、大会初出場ながら、日本人最高の5位で入賞を果たした[49]
32 1978年12月3日  瀬古利彦 (JPN) 2時間10分21秒0  
33 1979年12月2日  瀬古利彦 (JPN) -2- 2時間10分35秒 IAAFのルール改正に沿って、秒単位での記録表記を再開。
34 1980年12月7日  瀬古利彦 (JPN) -3- 2時間09分45秒 宗猛が瀬古に4秒差の2位でゴール。世界のフルマラソン大会では初めて、2人のランナーが2時間10分台を切るタイムで完走した。
35 1981年12月6日  ロバート・ド・キャステラ (AUS) 2時間08分18秒 大会終了の時点では、世界歴代2位の記録とみなされていた(詳細後述)。
36 1982年12月5日  ポール・バリンジャー (NZL) 2時間10分15秒  
37 1983年12月4日  瀬古利彦 (JPN) -4- 2時間08分52秒  
38 1984年12月2日  中山竹通 (JPN) 2時間10分00秒 当時は無名ながら、2時間9分台に迫るゴールタイムで初優勝。
39 1985年12月1日  新宅雅也 (JPN) 2時間09分51秒 海の中道区間を廃止する一方で、早良区城南区を経由するルートを追加。折り返し点も和白丘へ移動させた。
40 1986年12月7日  ジュマ・イカンガー (TZA) 2時間10分06秒  
41 1987年12月6日  中山竹通 (JPN) -2- 2時間08分18秒 ソウルオリンピック・男子マラソンの日本代表選考会として開催された。日本陸連はこの大会の結果だけで3人の代表を一挙に決める「福岡一発勝負」の方針を立てていたが、出場を予定していた有力候補の瀬古が、左足腓骨の剥離骨折で大会の直前に突然欠場を表明。この大会では優勝の中山・総合2位の新宅雅也が代表に内定したものの、日本陸連は日本人3位(総合4位)の工藤一良への内定を見送ったうえで、翌1988年初頭の東京国際マラソンびわ湖毎日マラソンの結果を3人目の代表選考で勘案する方針に転換した。実際には瀬古がびわ湖毎日マラソンでの優勝で代表に滑り込んだものの、ゴールタイムは2時間12分41秒で、工藤の記録(2時間11分36秒)を下回った[50]
42 1988年12月4日  渋谷俊浩 (JPN) 2時間11分04秒 昭和時代最後の大会で、この年のロッテルダムマラソンで2時間6分50秒の世界最高記録(当時)を樹立していたベライン・デンシモ(後述)が、前年の第41回大会に続いて出場。平和台陸上競技場の手前(ゴールまで約700m)から渋谷との間でデットヒートを展開していたが、競技場のゲートに通じている左折コースを外れて直進した。競技役員の制止ですぐにコースへ戻ったものの、このミスが響いて、トラック内の残り100mで渋谷に振り切られた[51]
43 1989年12月3日  マヌエル・マティアス (PRT) 2時間12分54秒 平成時代最後の大会。スタート時点での気温が17.9℃、中間点で18℃(いずれも公式計測)という季節外れの高温に見舞われた[52]
44 1990年12月2日  ベライン・デンシモ (ETH) 2時間11分35秒  
45 1991年12月1日  森田修一 (JPN) 2時間10分58秒 この大会から、西区経由・香椎折り返しのルートを採用。
46 1992年12月6日  テナ・ネゲレ (ETH) 2時間09分04秒  
47 1993年12月5日  ディオニシオ・セロン (MEX) 2時間08分51秒  
48 1994年12月4日  ボアイ・アコナイ (TZA) 2時間09分45秒  
49 1995年12月3日  ルイス・アントニオ・ドスサントス (BRA) 2時間09分30秒  
50 1996年12月1日  李鳳柱 (KOR) 2時間10分48秒  
51 1997年12月7日  ジョサイア・チュグワネ (ZAF) 2時間07分28秒  
52 1998年12月6日  ジャクソン・カビガ (KEN) 2時間08分42秒  
53 1999年12月5日  ゲザハン・アベラ (ETH) 2時間07分54秒  
54 2000年12月3日  藤田敦史 (JPN) 2時間06分51秒 3回目のフルマラソンでコースレコードを達成。この記録は、2020年の第74回大会終了時点でも更新されていない。前年の第53回大会に続いて、この年のシドニーオリンピック・男子フルマラソン競技でも優勝していたアベラを終盤で振り切った末の樹立であった[53]
55 2001年12月2日  ゲザハン・アベラ (ETH) -2- 2時間09分25秒  
56 2002年12月1日  ゲザハン・アベラ (ETH) -3- 2時間09分13秒  
57 2003年12月7日  国近友昭 (JPN) 2時間07分52秒  
58 2004年12月5日  尾方剛 (JPN) 2時間09分10秒  
59 2005年12月4日  ドミトロ・バラノフスキー (UKR) 2時間08分29秒  
60 2006年12月3日  ハイレ・ゲブレセラシェ (ETH) 2時間06分52秒  
61 2007年12月2日  サムエル・ワンジル (KEN) 2時間06分39秒  
62 2008年12月7日  ツェガエ・ケベデ (ETH) 2時間06分10秒  
63 2009年12月6日  ツェガエ・ケベデ (ETH) -2- 2時間05分18秒 日本国内の男子マラソン大会で初めて、2時間5分台のタイムでゴール。
64 2010年12月5日  ジャウアド・ガリブ (MAR) 2時間08分24秒 ペースメーカーとして5kmを15分10秒前後のペースで30kmまで先頭集団を引っ張る契約を主催者と結んでいたエリウド・キプタヌイ英語版(ケニア)が、15kmから急に加速しながら独走。30kmを過ぎても棄権しなかったため係員に制止された[54]
65 2011年12月4日  ジョセファト・ダビリ (KEN) 2時間07分37秒  
66 2012年12月2日  ジョセフ・ギタウ (KEN) 2時間06分58秒  
67 2013年12月1日  マーティン・マサシ (KEN) 2時間07分16秒  
68 2014年12月7日  パトリック・マカウ (KEN) 2時間08分22秒  
69 2015年12月6日  パトリック・マカウ (KEN) -2- 2時間08分18秒  
70 2016年12月4日  イエマネ・ツェガエ (ETH) 2時間08分48秒  
71 2017年12月3日  ソンドレ・ノールスタッド・モーエン英語版 (NOR) 2時間05分48秒  
72 2018年12月2日  服部勇馬 (JPN) 2時間07分27秒 平成時代最後の大会で、12月上旬の福岡開催が定着した第21回(1967年)以降の大会では初めて、スタート時点での気温が20度を超えた(公式には20.2℃を計測)[55]
73 2019年12月1日  藤本拓 (JPN) 2時間09分36秒 令和時代最初の大会で、エルマハジューブ・ダザ(モロッコ)が2時間07分10秒で優勝したものの、世界陸連が2020年夏にダザのドーピング違反を認定。大会事務局では2021年5月11日に、ダザの優勝と記録を取り消すことを発表するとともに、2位の藤本を改めて優勝者に認定した[36]
74 2020年12月6日  吉田祐也 (JPN) 2時間07分05秒 新型コロナウイルス感染拡大防止策の一環で、参加選手とペースメーカーを日本国内で活動している選手に限定。参加人数の上限も、100名にまで絞り込んだ。
75 2021年12月5日  マイケル・ギザエ (KEN) 2時間07分51秒 ギザエは福岡第一高等学校の卒業生で、日本国内(スズキアスリートクラブ)で活動していることから一般参加扱いで出場。日本人選手トップ(総合2位)の細谷恭平および、日本人選手内での2位以下の選手のうち、ゴールタイムが2時間9分以内の大塚祥平(4位)・高久龍(5位)・上門大祐(6位)が2024年パリオリンピックの男子マラソン日本代表候補を決めるMGC(2023年秋開催)への出場権を得た。

世界記録[編集]

オーストラリアから出場した選手が、世界記録(達成の時点で世界最高記録)を2度樹立している。

  • 第21回(1967年)D.クレイトン 2:09:36.4
  • 第35回(1981年)R.キャステラ 2:08:18.0

クレイトンは、第21回大会で海外のマラソン大会に初めて挑戦。当時のベストタイムが2時間18分台の無名選手であったにもかかわらず、「人類の壁」と呼ばれていたサブテン(2時間10分以内のゴールタイム)を世界で初めて達成したことによって、一躍名を馳せた[46]

キャステラの記録は、第35回大会の終了時点で「世界歴代2位」とされていた。大会の2か月前に開催されたニューヨークシティマラソンで、アルベルト・サラザール(アメリカ)が2:08:13というタイムで優勝していたことによる。この時点ではサラザールの記録が「世界記録」に認定されていたが、アメリカ陸上競技連盟がニューヨークシティーマラソンのコースを調査したところ、フルマラソンの部の距離が148m不足していたことが3年後(1984年12月)に判明。この結果を受けて、国際陸連ではサラザールの記録を抹消した。実際には同年10月にスティーブ・ジョーンズ(イギリス)が2:08:05の「世界記録」を樹立していたが、国際陸連では上記の抹消措置に伴って、キャステラの記録を「ジョーンズの前の世界最高記録」として公認している[56]

テレビ・ラジオでの中継体制[編集]

テレビ中継[編集]

1959年(第13回)大会から1962年(第16回)大会までおよび1964年(第18回)大会から1991年(第45回)大会までは、NHK福岡放送局が中継を制作。NHK総合テレビで放送していた。

テレビ朝日と地元局の九州朝日放送 (KBC) が大会の主催社に名を連ね始めた1992年(第46回)大会から2021年(第75回)大会までは、両局による共同制作[注 5]で、テレビ朝日系列フルネット局福井放送テレビ宮崎クロスネット局)、山梨放送四国放送高知放送NNS系列局)にて放送。平和台陸上競技場に近い福岡市中央区長浜のKBC本社に、中継のターミナル(放送センター)を設置していた。

  • 岩手県と沖縄県では、放映局変更後岩手県では1992年から1995年まで、沖縄県では1992年から1994年までそれぞれテレビでの放送がなかった。これはテレビ朝日系列局が当時存在していなかったことによる(岩手朝日テレビは1996年10月1日開局。琉球朝日放送は1995年10月1日開局。)。テレビ中継未放送期間中の岩手県・沖縄県ではラジオ放送(IBC岩手放送ラジオ沖縄でそれぞれ放送)のみ放送された。
  • テレビ朝日の系列局がない島根県・鳥取県・富山県では、NHK総合テレビからの全国向け中継が終了してからも、富山県で2012年まで北日本放送日本テレビ系列)でテレビ朝日・KBC共同制作の中継の同時ネットを実施していた。鳥取・島根の両県では、後述するラジオ中継を2010年まで山陰放送(両県におけるテレビ・ラジオ兼営局の1つでテレビ放送部門がTBS系列に加盟)で放送。しかし、鳥取・島根両県では2011年、富山県では2013年から、中継を地上波で放送しなくなった。
  • 移動中継車は3台配備される。
  • KBCは2006年12月1日、九州・沖縄の他の系列局とともに最後発組として地上デジタル放送を開始した。それ以降は、ハイビジョンシステムによる中継、データ放送を活用した選手の情報や途中経過などの提供が行われている(NNS系列局を除く)。
  • 2004年以前の解説は、伊藤国光宗茂が担当していた。
  • また2005年以前の実況アナウンサーは、テレ朝のマラソン中継によく携わっている森下桂吉がメイン実況を担当していた他、全日本大学駅伝のメイン実況担当の角澤照治、またゴルフ中継担当の進藤潤耶も中継に携わっていた。
  • 2007年(第61回)大会では2006年(第60回)大会の1号車の実況を務めた中山貴雄と一部のテレビ朝日のスタッフが同時期に「アジア野球選手権」に関わったため、再び進藤潤耶と森下桂吉が担当した。
  • 2017年(第71回)大会では、青山学院大学陸上競技部長距離ブロック監督原晋がテレビ中継にゲスト解説者として出演した[57] 。同部が男子の箱根駅伝競走第91回(2015年)第92回(2016年)第93回(2017年)と3連覇を達成したことを踏まえた出演で、日本国内で開催される国際マラソン大会の中継に大学駅伝部の現任監督が「解説者」として出演した事例は、テレビ・ラジオを通じてもこの時の原が初めてである。
  • KBC・テレビ朝日系列が中継を始める前は『ビッグスポーツ』でレースのダイジェストを放送していたことがあった[58]

テレビ朝日・九州朝日放送の共同制作によるテレビ中継のネット局[編集]

福岡国際マラソン中継局
放送対象地域 放送局 系列 備考
関東広域圏 テレビ朝日(EX) テレビ朝日系列 共同制作局
福岡県 九州朝日放送 (KBC)
北海道 北海道テレビ(HTB)
青森県 青森朝日放送(ABA)
岩手県 岩手朝日テレビ(IAT)
宮城県 東日本放送(KHB)
秋田県 秋田朝日放送(AAB)
山形県 山形テレビ(YTS)
福島県 福島放送(KFB)
山梨県 山梨放送(YBS) 日本テレビ系列
新潟県 新潟テレビ21(UX) テレビ朝日系列
長野県 長野朝日放送(ABN)
静岡県 静岡朝日テレビ(SATV)
石川県 北陸朝日放送(HAB)
福井県 福井放送(FBC) 日本テレビ系列
テレビ朝日系列
中京広域圏 メ〜テレ(NBN) テレビ朝日系列
近畿広域圏 朝日放送テレビ(ABC)
広島県 広島ホームテレビ(HOME)
山口県 山口朝日放送(yab)
徳島県 四国放送(JRT) 日本テレビ系列
香川県
岡山県
瀬戸内海放送(KSB) テレビ朝日系列
愛媛県 愛媛朝日テレビ(eat)
高知県 高知放送(RKC) 日本テレビ系列
長崎県 長崎文化放送(NCC) テレビ朝日系列
熊本県 熊本朝日放送(KAB)
大分県 大分朝日放送(OAB)
宮崎県 テレビ宮崎(UMK) フジテレビ系列
日本テレビ系列
テレビ朝日系列
鹿児島県 鹿児島放送(KKB) テレビ朝日系列
沖縄県 琉球朝日放送(QAB)

第67回(2013年)の放送体制[編集]

  • 解説
平和台陸上競技場:藤田敦史
第1中継車:瀬古利彦
第2中継車:川嶋伸次
  • 実況
平和台陸上競技場:清水俊輔(テレビ朝日)
第1中継車:進藤潤耶(テレビ朝日)
第2中継車:田上和延(九州朝日放送)
第3中継車:近藤鉄太郎(九州朝日放送)
香椎折り返し:大西洋平(テレビ朝日)
筥崎宮前:寺川俊平(テレビ朝日)
  • その他
優勝者インタビュー・リポーター:本間智恵(テレビ朝日)

第68回(2014年)の放送体制[編集]

  • 解説
平和台陸上競技場:川嶋伸次
第1中継車:瀬古利彦
第2中継車:藤田敦史
  • 実況
平和台陸上競技場:清水俊輔(テレビ朝日)
第1中継車:進藤潤耶(テレビ朝日)
第2中継車:沖繁義(九州朝日放送)
第3中継車:田上和延(九州朝日放送)
香椎折り返し:大西洋平(テレビ朝日)
筥崎宮前:斎藤康貴(テレビ朝日)
  • その他
優勝者インタビュー・リポーター:本間智恵(テレビ朝日)

第70回(2016年)の放送体制[編集]

  • 解説
平和台陸上競技場:瀬古利彦
第1中継車:藤田敦史
第2中継車:谷口浩美
  • 実況
平和台陸上競技場:進藤潤耶(テレビ朝日)
第1中継車:吉野真治(テレビ朝日)
第2中継車:沖繁義(九州朝日放送)
第3中継車:田上和延(九州朝日放送)
香椎折り返し:野上慎平(テレビ朝日)
  • その他
優勝者インタビュー・リポーター:久保田直子(テレビ朝日)

第72回(2018年)の放送体制[編集]

  • 解説
ゲスト:酒井俊幸
平和台陸上競技場:瀬古利彦
第1中継車:藤田敦史
  • 実況
平和台陸上競技場:進藤潤耶(テレビ朝日)
第1中継車:野上慎平(テレビ朝日)
第2中継車:沖繁義(九州朝日放送)
第3中継車:近藤鉄太郎(九州朝日放送)
  • その他
優勝者インタビュー:竹内由恵(テレビ朝日)

第73回(2019年)の放送体制[編集]

  • 解説
ゲスト:河野匡
平和台陸上競技場:瀬古利彦
第1中継車:花田勝彦
  • 実況
平和台陸上競技場:進藤潤耶(テレビ朝日)
第1中継車:野上慎平(テレビ朝日)
第2中継車:沖繁義(九州朝日放送)
第3中継車:三澤澄也(九州朝日放送)
  • その他
優勝者インタビュー:住田紗里(テレビ朝日)

第74回(2020年)の放送体制[編集]

  • 解説
平和台陸上競技場:瀬古利彦、河野匡
第1中継車:花田勝彦
  • 実況
平和台陸上競技場:進藤潤耶(テレビ朝日)
第1中継車:野上慎平(テレビ朝日)
第2中継車:沖繁義(九州朝日放送)
第3中継車:三澤澄也(九州朝日放送)
  • その他
優勝者インタビュー:住田紗里(テレビ朝日)

第75回(2021年)の放送体制[編集]

  • 解説
ゲスト:大迫傑
平和台陸上競技場:瀬古利彦
第1中継車:藤田敦史
  • 実況
平和台陸上競技場:吉野真治(テレビ朝日)
第1中継車:野上慎平(テレビ朝日)
第2中継車:沖繁義(九州朝日放送)
第3中継車:三澤澄也(九州朝日放送)
  • その他
優勝者インタビュー:住田紗里(テレビ朝日)

ラジオ中継[編集]

  • 1957年の第11回から、地元のラジオ・テレビ兼営局[注 6] の1つである九州朝日放送 (KBC) がラジオでの中継を開始。1991年の第45回までは、NHK福岡放送局制作・ラジオ第1での放送と、KBC制作・NRN一部系列局での放送が両方存在していた。また、1977年までは、KBCと同じラジオ・テレビ兼営局のRKBラジオでも放送されていて、福岡県においては3局で中継されていた[59][60]
  • テレビ朝日とKBCが主催社に名を連ね始めた1992年(第46回)以降は、NHKがラジオ中継からも撤退したため、KBCの制作による冠スポンサー番組として民放ラジオ局での中継に一本化。2010年までは、NRN基幹局の1つであるニッポン放送の協力を受けながら、(JRNとのクロスネット局を含む)NRN加盟34局で全国向けに放送されていた。
    • 中継車はKBCから2台を配備。レースの実況については、平和台陸上競技場と中継車を九州朝日放送、折り返し地点をニッポン放送のアナウンサーが担当していた。NRN全国中継時代(2000年代後半まで)は、平和台陸上競技場のスタート・ゴール実況をニッポン放送のアナウンサー、ロードでのレース実況を九州朝日放送のアナウンサーが分担。
    • NRN全国中継時代のNRN加盟局では、ニッポン放送の放送対象地域である関東広域圏茨城放送栃木放送が中継の同時ネットを見送る一方で、近畿広域圏ではABCに加えてKBS京都(テレビとの兼営局)と和歌山放送でも同時ネットを実施していた。
  • 北海道ではNRNシングルネット局のSTVラジオ近畿広域圏ではラジオ・テレビ兼営体制時代の朝日放送(ABC)を経て2018年からABCラジオで放送している。
    • ABCラジオはJRNとのクロスネット局[注 7] で、2018年3月31日までテレビとの兼営体制の下で運営された後に、朝日放送グループホールディングス持株会社化(翌4月1日)によってABCテレビとの分社体制へ移行した。移行後もABCテレビがテレビ朝日系列における準基幹局の役割を担っていることから、ABCではテレビ・ラジオの双方で中継の同時ネットを実施していた。
  • 2011年からは、冠スポンサーの有無に関係なく、非NRN番組扱いで五大都市圏のNRN加盟局(KBC・ニッポン放送・STV・東海ラジオ・ABC)と信越放送[注 8]長野県)による6局ネットに縮小。ただし、2014年からは日本国内でネット局のない地域でもradikoプレミアム経由で中継の音声を聴取できるようになったため、放送センターからの実況では「KBCの制作で全国の皆さんにお送りしています」というフレーズをCMの前に入れている。かつてはNRN専用音声回線使用のため[注 9]、制作局のKBCラジオとニッポン放送でステレオ配信され、それ以外の局はモノラル配信となっていた[注 10]

第67回(2013年)[編集]

  • 解説
放送センター:宗茂九州保健福祉大学客員教授・旭化成陸上部顧問)
移動中継車:西政幸(旭化成陸上部コーチ)
  • 実況
平和台陸上競技場:沖繁義(九州朝日放送)
放送センター:小林徹夫(九州朝日放送)
移動中継車:山内宏明(ニッポン放送)
折り返し地点:長岡大雅(九州朝日放送)
博多駅前:細谷めぐみ(九州朝日放送)
5kmごと正式通過タイム読み上げ:岩部見梨(九州朝日放送)
各地点(折り返し地点など)の実況や選手および監督のリポートは、九州朝日放送のアナウンサーが担当。

第72回(2018年)[編集]

  • 解説
放送センター:宗茂(旭化成陸上部顧問)
移動中継車:井手健二九電工陸上部副部長)
  • 実況
放送センター:小林徹夫(九州朝日放送)
移動中継車:居内陽平(九州朝日放送)
平和台陸上競技場:田上和延(九州朝日放送)
折り返し地点:山内宏明(ニッポン放送)
博多駅前:細谷めぐみ(九州朝日放送)
筥崎宮前:三澤澄也(九州朝日放送)
5kmごと正式通過タイム読み上げ:山﨑萌絵(九州朝日放送)

第73回(2019年)[編集]

  • 解説
放送センター:宗茂(旭化成陸上部顧問)
移動中継車:井手健二(九電工陸上部副部長)
  • 実況
放送センター:近藤鉄太郎(九州朝日放送)
移動中継車:居内陽平(九州朝日放送)
平和台陸上競技場:田上和延(九州朝日放送)
折り返し地点:山内宏明(ニッポン放送)
博多駅前・平和台:岡田理沙(九州朝日放送)
36km地点:細谷めぐみ(九州朝日放送)

第74回(2020年)[編集]

  • 解説
放送センター:宗茂(旭化成陸上部顧問)
移動中継車:井手健二(九電工陸上部副部長)
  • 実況
放送センター:近藤鉄太郎(九州朝日放送)
移動中継車:居内陽平(九州朝日放送)
平和台陸上競技場:田上和延(九州朝日放送)
折り返し地点:和田侑也(九州朝日放送)
千鳥橋:岡田理沙(九州朝日放送)

第75回(2021年)[編集]

  • 解説
放送センター:宗茂(旭化成陸上部顧問)
移動中継車:井手健二(九電工陸上部副部長)
  • 実況
放送センター:近藤鉄太郎(九州朝日放送)
移動中継車:居内陽平(九州朝日放送)
平和台陸上競技場:田上和延(九州朝日放送)
折り返し地点:和田侑也(九州朝日放送)
11.2km地点:小林徹夫(九州朝日放送)
千鳥橋:細谷めぐみ(九州朝日放送)
KBC本社前:和田安生(九州朝日放送スポーツ部)
5kmごと正式通過タイム読み上げ:山﨑萌絵(九州朝日放送)

参考図書[編集]

  • 福岡国際マラソン選手権大会50年史編集委員会 『福岡国際マラソン選手権大会50年史』 朝日新聞社 1997

脚注[編集]

[脚注の使い方]

注釈[編集]

  1. ^ 認定の時点では「ゴールドラベル」が最高位だったものの、世界陸連では2020年に「プラチナラベル」、2021年に「エリートプラチナラベル」を最高位に設定。本大会は2020年以降も「ゴールドラベル」に据え置かれたため、厳密には最高位ラベルの大会ではなくなった。
  2. ^ 中央競馬のチャンピオンズカップや大学ラグビー早明戦と同日。
  3. ^ 開催地が関東広域圏内の群馬県に固定された1988年の第32回大会から、関東広域圏が放送対象地域に当たるTBS→TBSテレビをキーステーションに、TBS→TBSテレビ系列が地上波のテレビ放送で全国向けの完全生中継を実施(福岡県内ではRKB毎日放送で同時ネット)。
  4. ^ テレビ中継の提供は2002年のみ前半のみの1分(代わりにアクサ生命保険が2分提供)だったが、2003年以後は2分提供に変更された。
  5. ^ CM・提供クレジット・テロップはテレビ朝日送出。
  6. ^ 過去にラジオ中継を放送していたラジオ・テレビ兼営局で、テレビ放送部門が日本テレビ系列とテレビ朝日系列に加盟している福井放送(FBC)は、朝日新聞社との資本関係はあるが、テレビ朝日との資本関係がない(メインネットの日本テレビと資本関係がある)。
  7. ^ 近畿広域圏では、ABCラジオに加えてMBSラジオ(ABCラジオと同様JRNとのクロスネットであるが、毎日新聞社と友好関係にあり、同一法人(毎日放送)から分社によりMBSメディアホールディングス傘下の兄弟会社となったMBSテレビの系列はJNNに属する)、ラジオ大阪(NRN単独加盟で、フジサンケイグループに属する)の3局が存在する。
  8. ^ 朝日新聞社との資本関係がある。
  9. ^ 本番組が非NRN化されて以降、NRN回線はネット局が複数存在する『中村こずえのみんなでニッポン日曜日!』→『中村こずえのSUNDAY HAPPY MAP』(いずれもニッポン放送制作の地方局向け裏送り番組で、非NRN扱い)が使用している(2020年2月現在、NRN公式ホームページの番組表では日曜昼の時間帯でNRN配信扱いのレギュラー番組が編成されていない)。
  10. ^ プロ野球中継などでは、一部放送局でモノラル音声のJRN・NRN回線とは別の素材回線での裏送りを受ける形でJRN・NRN番組のステレオ放送を行う例があるが(『RCCカープナイター』での中国放送など)、本番組では基本的に実施されていなかった。2019年現在は、南海放送ラジオ大阪などが独自回線による全番組ステレオ放送に踏み切っている。さらに2019年12月以降JRN・NRN回線のステレオ配信が開始され、受け側の設備が対応した局では、順次全番組ステレオ化されている(もともとがモノラル制作の番組はモノステレオ放送)。

出典[編集]

  1. ^ a b “福岡国際マラソンが「世界陸上遺産」に 日本で5例目”. 朝日新聞デジタル. (2020年10月3日). https://www.asahi.com/articles/ASNB361XVNB3UTQP00W.html 2020年12月7日閲覧。 
  2. ^ a b c “福岡国際マラソン、今年で終了へ 継続開催は困難と判断”. 朝日新聞デジタル. (2021年3月26日). https://www.asahi.com/articles/ASP3V5V23P3SUTTO001.html?iref=sptop_7_03 2021年3月26日閲覧。 
  3. ^ a b c “福岡国際マラソン廃止から一転 新たな運営体制で後継大会を開催”. 月刊陸上競技. (2022年3月14日). https://www.rikujyokyogi.co.jp/archives/68233 2022年3月15日閲覧。 
  4. ^ 朝日新聞百年史編修委員会 『朝日新聞社史 昭和戦後編』朝日新聞社、1994年、414頁。 
  5. ^ a b 「福岡国際マラソン プレーバック」1954 第8回大会(朝日マラソン)昭和29年12月5日
  6. ^ 福岡国際マラソン選手権大会50年史編集委員会 編 『福岡国際マラソン50年史』朝日新聞社、1997年、202-203頁。 
  7. ^ “福岡国際マラソン 12月2日に開催 「金栗賞大会」から通算44回”. 朝日新聞: pp. 1. (1990年10月21日) 
  8. ^ 『日本陸上競技選手権 100回記念 MEMORIAL BOOK』日本陸上競技連盟、2016年、110頁。 
  9. ^ “【解説】福岡国際マラソン消滅の背景 市民参加の大規模都市型大会の隆盛”. 日刊スポーツ. (2021年12月5日). https://www.nikkansports.com/sports/athletics/news/202112050001052.html 2021年12月6日閲覧。 
  10. ^ “昨年で終了の「福岡国際マラソン」が復活 従来コースを使用し後継大会を12月4日に開催”. 中日スポーツ. (2022年3月14日). https://www.chunichi.co.jp/article/434511 2022年3月15日閲覧。 
  11. ^ “福岡国際マラソン、一転「存続」 新たな運営体制で12月に後継大会”. 時事通信社. (2022年3月14日). https://www.jiji.com/jc/article?k=2022031400902&g=spo 2022年3月15日閲覧。 
  12. ^ 福岡国際マラソン選手権大会50年史編集委員会 編 『福岡国際マラソン50年史』朝日新聞社、1997年、158頁。 
  13. ^ a b c 「福岡国際マラソン プレーバック」1963 第17回大会(朝日国際マラソン)昭和38年10月15日
  14. ^ 「福岡国際マラソン プレーバック」1947 第1回大会(朝日マラソン)昭和22年12月7日
  15. ^ 「福岡国際マラソン プレーバック」1948 第2回大会(朝日マラソン)昭和23年12月5日
  16. ^ 「福岡国際マラソン プレーバック」1949 第3回大会(朝日マラソン)昭和24年12月4日
  17. ^ 「福岡国際マラソン プレーバック」1950 第3回大会(朝日マラソン)昭和25年12月10日
  18. ^ 「福岡国際マラソン プレーバック」1951 第5回大会(朝日マラソン)昭和26年12月9日
  19. ^ 「福岡国際マラソン プレーバック」1955 第9回大会(朝日マラソン)昭和30年12月11日
  20. ^ 「福岡国際マラソン プレーバック」1957 第11回大会(朝日国際マラソン)昭和32年12月1日
  21. ^ a b 「福岡国際マラソン プレーバック」1959 第13回大会(朝日国際マラソン)昭和34年11月8日
  22. ^ 「福岡国際マラソン プレーバック」1962 第16回大会(朝日国際マラソン)昭和37年12月2日
  23. ^ 「福岡国際マラソン プレーバック」1964 第18回大会(朝日国際マラソン)昭和39年12月6日
  24. ^ 「福岡国際マラソン プレーバック」1952 第6回大会(朝日マラソン)昭和27年12月7日
  25. ^ 「福岡国際マラソン プレーバック」1953 第7回大会(朝日マラソン)昭和28年12月6日
  26. ^ 「福岡国際マラソン プレーバック」1956 第10回大会(朝日国際マラソン)昭和31年12月9日
  27. ^ 「福岡国際マラソン プレーバック」1958 第12回大会(朝日国際マラソン)昭和33年12月7日
  28. ^ 福岡国際マラソン選手権大会50年史編集委員会 編 『福岡国際マラソン50年史』朝日新聞社、1997年、176頁。 
  29. ^ 「福岡国際マラソン プレーバック」1966 第20回大会(国際マラソン選手権)昭和41年11月27日
  30. ^ 「福岡国際マラソン プレーバック」1974 第28回大会(福岡国際マラソン選手権)昭和49年12月8日
  31. ^ 「福岡国際マラソン プレーバック」1985 第39回大会(福岡国際マラソン選手権)昭和60年12月1日
  32. ^ 「福岡国際マラソン プレーバック」1991 第45回大会(福岡国際マラソン選手権)平成3年12月1日
  33. ^ 「福岡国際マラソンプレーバック」2009 第63回大会(福岡国際マラソン選手権)平成21年12月6日
  34. ^ “福岡国際マラソンが最高位ゴールド/陸上”. sanspo.com. (2011年1月17日). https://web.archive.org/web/20110128034105/http://www.sanspo.com/sports/news/110117/spg1101171738002-n1.htm 2011年8月25日閲覧。  ※現在はインターネットアーカイブに残存
  35. ^ マラソン代表の選考方法、MGCレースとは?これまでとの違い
  36. ^ a b c “2019年福岡国際マラソンで藤本拓が繰り上がりV 優勝者にドーピング違反”. 日刊スポーツ. (2021年5月11日). https://www.nikkansports.com/sports/athletics/news/202105110000425.html 2021年5月12日閲覧。 
  37. ^ “藤本2位も日本記録に届かず/福岡国際マラソン詳細”. 日刊スポーツ. (2019年11月27日). https://www.nikkansports.com/sports/athletics/news/201911270000254.html 2021年5月12日閲覧。 
  38. ^ “沿道で観戦自粛をお願い 福岡国際マラソン大会事務局”. 朝日新聞デジタル. (2020年12月6日). https://www.asahi.com/articles/ASND43J9PNCMTIPE020.html 2020年12月7日閲覧。 
  39. ^ “瀬古氏「福岡があって私の成長があった」 12月5日最後の福岡国際マラソン”. 西日本新聞. (2021年11月2日). https://www.nishinippon.co.jp/item/n/825528/ 2021年11月3日閲覧。 
  40. ^ “設楽、大塚ら集結 最後の大会、10選手招待 第75回福岡国際マラソン、12月5日号砲”. 朝日新聞デジタル. (2021年11月2日). https://www.asahi.com/articles/DA3S15097764.html 2021年11月3日閲覧。 
  41. ^ 福岡国際マラソン|大会概要 より 2010年7月5日発表
  42. ^ 朝日新聞 2012年11月9日付・朝刊に掲載
  43. ^ 「福岡国際マラソン プレーバック」1962 第16回大会(朝日国際マラソン)昭和37年12月2日
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  45. ^ 「福岡国際マラソン プレーバック」1965 第19回大会(朝日国際マラソン)昭和40年10月10日
  46. ^ a b 「福岡国際マラソン プレーバック」1967 第21回大会(国際マラソン選手権)昭和42年12月3日
  47. ^ 「福岡国際マラソン プレーバック」1970 第24回大会(国際マラソン選手権)昭和45年12月6日
  48. ^ 「福岡国際マラソン プレーバック」1975 第29回大会(福岡国際マラソン選手権)昭和50年12月7日
  49. ^ 「福岡国際マラソン プレーバック」1977 第31回大会(福岡国際マラソン選手権)昭和52年12月4日
  50. ^ 「福岡国際マラソン プレーバック」1987 第41回大会(福岡国際マラソン選手権)昭和62年12月6日
  51. ^ 「福岡国際マラソン プレーバック」1988 第42回大会(福岡国際マラソン選手権)昭和63年12月4日
  52. ^ 「福岡国際マラソン プレーバック」1989 第43回大会(福岡国際マラソン選手権)平成元年12月3日
  53. ^ 「福岡国際マラソン プレーバック」2000 第54回大会(福岡国際マラソン選手権)平成12年12月3日
  54. ^ 「暴走ペースメーカー」ロッテルダムマラソン出場へ asahi.com 2011年4月9日 ※現在はインターネットアーカイブに残存
  55. ^ 「福岡国際マラソン プレーバック」2018 第72回大会(福岡国際マラソン選手権)平成30年12月2日
  56. ^ 「福岡国際マラソン プレーバック」1981 第35回大会(福岡国際マラソン選手権)昭和56年12月6日
  57. ^ 第71回福岡国際マラソン選手権大会、平和台陸上競技場・解説:原晋(九州朝日放送・放送情報)
  58. ^ 九州朝日放送50周年記念事業委員会 編 『九州朝日放送50年史』九州朝日放送、2004年、167頁。 
  59. ^ 九州朝日放送30年史編集委員会 編集 『九州朝日放送30年史』九州朝日放送、1983年、396頁。 
  60. ^ RKB毎日放送株式会社50年史編纂委員会 編纂 『九州・福岡RKB放送史事典 : RKB毎日放送創立50年記念』RKB毎日放送、2001年、305頁。 

関連項目[編集]

外部リンク[編集]