高山哲哉

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たかやま てつや
高山 哲哉
プロフィール
出身地 日本の旗 日本 山口県宇部市
生年月日 (1973-08-30) 1973年8月30日(45歳)
血液型 AB(出典不明)
最終学歴 私立宇部鴻城高校早稲田大学卒業
勤務局 NHK放送センター
部署 東京アナウンス室
職歴 鳥取(1996.6 - 1999.8)→和歌山(1999.8 - 2002.3)→東京アナウンス室(2002.4 - 2009.3)→広島(2009.4 - 2013.3)→東京アナウンス室(2013.4 - 2016.4)→日本語センター出向(2016.4 - 2018.6)→東京アナウンス室(2018.6 -)
活動期間 1996年 -
ジャンル バラエティー他
出演番組・活動
現在 本文参照
過去 本文参照
その他 広島放送局地上デジタル放送推進大使

高山 哲哉(たかやま てつや、1973年8月30日 - )はNHKアナウンサー

人物[編集]

山口県宇部市出身。宇部鴻城高校早稲田大学を卒業後1996年入局。

嗜好挿話[編集]

  • 2002年春に東京アナウンス室へ異動してからは、音楽・バラエティー番組を中心に活躍。
  • 私生活では、2015年4月時点で5歳と生後5か月の2児の父親である[1]
  • 「過去の担当番組」欄の記述が、他のアナウンサーに比べて細分化されている特徴がある。
  • NHK紅白歌合戦』関係も数多く担当した。特に転勤翌年暮れの『第54回NHK紅白歌合戦』では、先輩の阿部渉とのコンビで白組司会を男性局アナ最年少(当時30歳)で務めた。転勤直後から『爆笑オンエアバトル』の司会を担当していたこともあり、はなわテツandトモら“オンバト芸人”が登場するコーナーでは、後任司会の藤崎弘士(当日はラジオ実況担当)とともに盛り上げた[2]2005年は『第56回NHK紅白歌合戦』に向け、後に『オンバト』司会となった後輩の神田愛花(当時NHKアナウンサー)と期間限定のユニット「アイカとテツヤ」が結成され、紅白PR大使を務め主に西日本地区を回った。キャンペーンで使用されたデュエットソング「スキウタビバビバ」は高山自らが作詞した。
  • 東京を離れる前に担当していた若者向けのラジオ番組では、「てっちぃ」という愛称で親しまれたほか、2005年12月から2006年6月まで、読売新聞夕刊に『高山哲哉のPOWER喋る』というエッセーを連載していた。
  • 広島放送局ではニュースワイドや討論番組のキャスターを中心に、『いのちのうた』など地域色の強い単発の音楽番組の司会も担当。地上デジタル推進大使として普及に務めたほか、ラジオバラエティーの番組パーソナリティーなど幅広く活動してきた。
  • 「テレビを見るのは1日1時間までで、チャンネル権は父が持つ」という家庭の中で、ラジオが楽しみの一つだった。テレビの音声が聞けるラジカセを使って、聴こえて来た『PAO〜N ぼくらラジオ異星人』(KBCラジオ)にはまってリスナーになり、『PAO〜N』を頻繁に採り上げていた雑誌『ラジオパラダイス』もよく読んでいた[3]

現在の担当番組[編集]

過去の担当番組[編集]

紅白歌合戦関連[編集]

レギュラー番組[編集]

※リニューアル前の週刊お宝TV(2006年4月-12月)から引き続いて担当。

単発・その他[編集]

※2010年制作のものはNHKデジタルのサイトで公開されている(厳密には番組ではない)。

脚注[編集]

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  1. ^ a b ““尾木ママ流”保護者会、テレビで開催 「親の悩みはいつの時代も変わらない」”. ORICON STYLE (オリコン). (2015年3月27日). http://www.oricon.co.jp/news/2050743/full/ 2015年3月30日閲覧。 
  2. ^ オーバーヒートし過ぎて、紅組司会だった先輩の有働由美子にたしなめられる結果となった。
  3. ^ 『なつかしラジオ大全』(三才ブックス)180 - 181ページ。
  4. ^ つんく♂のインタビュー文を代読する形で出演。つんく♂は2014年に喉頭癌で声帯を摘出したため、自分の意志をパソコンに文字入力する形でインタビューに答えている。

外部リンク[編集]

先代:
森下和哉
(2000年4月 - 2002年4月)
爆笑オンエアバトル司会者
高山哲哉
(2002年4月 - 2003年3月)
次代:
藤崎弘士