枇杷阪明

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びわさか あきら
枇杷阪 明
プロフィール
出身地 日本の旗 日本東京都
生年月日 (1932-11-03) 1932年11月3日(85歳)
最終学歴 早稲田大学教育学部卒業
所属事務所 フリー
職歴 ニッポン放送アナウンサー
活動期間 1957年 - 2000年代頃
ジャンル スポーツ実況
出演番組・活動
過去 ニッポン放送ショウアップナイターなど

枇杷阪 明(びわさか あきら、1932年11月3日[1] - )は、日本アナウンサー東京都出身[1]枇杷坂 明[2]は誤り。

来歴・人物[編集]

港区立青山中学校を経て1952年東京都立日比谷高等学校卒業。[要出典]1957年早稲田大学教育学部を卒業し、同年ニッポン放送へ入社[3]。以来、プロ野球東京オリンピック1964年)の民間放送代表アナウンサーなどスポーツ中継を主に担当[3]。プロ野球では、1974年長嶋茂雄現役引退試合[3][5]1977年9月3日王貞治ホームラン世界新記録達成試合[3][6](「世界新記録!入ったあ、ホームラーン!王、バンザイ。ハンク・アーロンの記録を破った!」[7])などを担当した。ボクシングでは、日本のラジオにおいて初の国外中継となった世界タイトルマッチ戦を担当[3]。また、1978年8月に日本のラジオでは初となるメジャーリーグベースボール(MLB)中継[8]プロデューサー[3]を務めた。

1992年定年退社したが[3]、契約アナウンサーとしてニッポン放送の番組に出演[3]フリーアナウンサーとしてテレビ神奈川(TVK)のプロ野球・横浜ベイスターズ戦中継なども担当した。また、アナウンサー養成講師として、ニッポン放送やフジテレビ「アナトレ」で活動する。

ニッポン放送の同期には、同じくフジテレビ「アナトレ」講師の山田祐嗣やリポーターの東海林のり子がおり[9]、特に山田とは同級生で中学・高校も同じであり、学生時代からの親友である[10]。また、自分が付き合っていた彼女(現在の妻)がどういう風に映るかを知りたかったため、妻とのデートで山田に同行してもらったというエピソードもある[10]

出演番組[編集]

制作担当番組[編集]

脚注[編集]

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  1. ^ a b 『12球団全選手カラー百科名鑑2003』(『ホームラン』2003年3月号増刊)掲載のニッポン放送アナウンサー一覧表。
  2. ^ 『'98プロ野球12球団全選手百科名鑑』(『ホームラン』1998年3月号増刊)掲載のニッポン放送アナウンサー一覧表。
  3. ^ a b c d e f g h 外部リンク(フジテレビ・アナトレによるインタビュー)に掲載された、プロフィールを参照。
  4. ^ a b ニッポン放送 編『ショウアップナイター50年 プロ野球感動名場面完全読本』ベースボール・マガジン社、2016年、ISBN 978-4-583-11069-1
  5. ^ ただし『ショウアップナイター50年 プロ野球感動名場面完全読本』[4]では、実況が書きおこしされているとともに、深澤弘が実況を担当したと記されている。
  6. ^ その時の実況は解説者・関根潤三とのやり取りを含めたものは『週刊ベースボール 別冊』2008年紅葉号「王貞治とプロ野球半世紀」のP25、実況は『ショウアップナイター50年 プロ野球感動名場面完全読本』[4]で書き起こされている。
  7. ^ 『週刊ベースボール 別冊』2008年紅葉号「王貞治とプロ野球半世紀」のP25に掲載された実況の書き起こしより、一部抜粋。
  8. ^ スポーツと放送の興亡年表(1945〜2000) - 『MAMO's』(坂本衛のサイト)内「テレビ資料室」より。 ※インターネット・アーカイブ2013年5月10日付保存キャッシュ
  9. ^ 外部リンク(フジテレビ・アナトレによるインタビュー1)を参照。
  10. ^ a b 外部リンク(フジテレビ・アナトレによるインタビュー2)を参照。
  11. ^ 『プロ野球12球団全選手百科名鑑』シリーズでは、第1号の『プロ野球党NO2 '77年版プロ野球百科名鑑』(『ゴング』1977年3月号増刊)から『12球団全選手カラー百科名鑑2003』(『ホームラン』2003年3月号増刊)まで(いずれも、日本スポーツ出版社発行)、ニッポン放送のプロ野球アナウンサー一覧表にプロフィールが明記(2002年版=『ホームラン』2002年3月号増刊のアナウンサー紹介記事でも、創刊当時の名簿に記載されたことが記述)。

参考資料[編集]

関連項目[編集]

外部リンク[編集]