さとうきび畑
みんなのうた さとうきび畑 | |
---|---|
歌手 |
ちあきなおみ(*1) 森山良子(*2) |
作詞者 | 寺島尚彦 |
作曲者 | 寺島尚彦 |
編曲者 | 寺島尚彦 |
映像 |
実写(*1) アニメーション・実写(*2) |
映像制作者 | 吉良敬三(*2) |
初放送月 |
1975年4月-5月(*1) 1997年8月-9月(*2) |
再放送月 |
1976年,1978年6月-7月 1986年,1987年,1988年8月-9月 1990年,1991年,1992年6月-7月(1992年はラジオのみ) 1997年2月-3月(ラジオのみ) 1999年6月-7月(ラジオのみ) 2005年8月-9月(ラジオのみ) 2017年9月22日(リクエスト)[注 1] (以上*1) 1998年8月-9月 2000年8月-9月 2002年8月-9月(ラジオのみ) 2006年8月-9月(?枠) 2014年8月16日・9月13日(リクエスト) (以上*2) |
「さとうきび畑」(さとうきびばたけ)は、作曲家の寺島尚彦が自ら作詞も手がけた歌。
作品の概要[編集]
![]() |
1964年、寺島が、歌手・石井好子の伴奏者として本土復帰前の沖縄を訪問した際、摩文仁の丘を観光して着想した作品。 第二次世界大戦末期の沖縄戦で戦死した人々が眠る、夏のさとうきび畑に流れる風の音が繰り返される。全部で11連からなり、通して歌うと11分近くを要するため、大抵は要所要所カットして歌われる。2001年には後述の森山良子が「特別完全盤」として11連全ての詞を歌ってシングル発売しており、収録時間は10分19秒だと紹介されている。
第二次世界大戦を通して、沖縄の人々は日本で最も激しい地上戦を戦い抜いた。その激戦沖縄戦を通して、日米両国、無数の人々が敵味方殺し合い、そして集団自決した事例もみられる。数え切れないほど多くの戦死者・自決者たちが今なお「さとうきび畑」の下に眠っている。作者の寺島は、1972年に日本に復帰する前の沖縄を訪れて、作品中「66回」繰り返される風の音[注 2]を考えたという。
歌の主人公はひとりの少女である。少女は沖縄での戦闘で死んだ父親の顔を知らない。やがて大きくなると、ひとりで父親を探しにさとうきび畑に行く。父はなぜ戦い、なぜ殺されたのか、なにを恐れ自決したのか。通り抜ける風の音を聞きながら静かに悲しみを訴える。
寺島によって、混声合唱、女声合唱にも編曲されており、混声合唱版はCD『寺島尚彦合唱作品集』(フォンテック)に収録されている。
録音と普及・その他のエピソード[編集]
1967年(昭和42年)、新居浜市民会館で、石井好子門下の田代美代子によってコンサートで初演された。1969年(昭和44年)に森山良子がレコーディングし、アルバム『森山良子カレッジ・フォーク・アルバムNo.2』に収録したのが最初のレコード化であった[注 3]。
1970年前後には、この曲の反戦歌としてのメッセージ性や、1972年の沖縄返還への関心の高まりから、うたごえ運動や、歌声喫茶でよく歌われるようになっていた[注 4]。
2005年の第56回NHK紅白歌合戦で、森山良子は(白組の一員として出場していた息子・森山直太朗とともに)この曲を歌った。
この曲は、学校音楽教育の教材としても、様々な形で取り上げられている。1981年以後、音楽の教科書に何度か掲載されている[1]。
2003年9月28日にはこの曲をモチーフとしたスペシャルドラマ『さとうきび畑の唄』(TBS)が放映された。
『笑点』(日本テレビ)2004年1月18日放送分では、この曲の「ざわわ」のフレーズを活かして様々な人や物を紹介するという問題が出題されたが、「ざわわ」の三文字を変えるという問題の分かりやすさが故に、答えの大半を観客に先に言われてしまう事態が起きた[2]。
カバーなど[編集]
- みんなのうた
1976年7月25日、コロムビアからLP『NHKみんなのうた ゴールデン・ヒット・アルバム』(CW-7074)の収録曲として発売。堀江は声優ないしアニメソング歌手としての活動が目立つが、コロムビアで『みんなのうた』で取り上げられた曲のコンピレーションが作成され、この曲が収録される場合は、いずれも堀江の歌唱が用いられている。
- ロスネリモス - 1995年に2nd CD『ノルウェイの森のシンフォニー~ミュージック・フロム・ジ・アース第2集』に、1、2、3、9、10、11番、かつ3番と9番の間に沖縄民謡『海ぬチンボーラー』を挿入するというバージョンを収録した。ボーカルは尺八奏者・林真山が担当した。
- 新垣勉 - さとうきび畑をカバー。彼の初CDとなった。
- 特別完全盤 - 2001年12月5日に森山良子は11連全ての詞を歌う録音を「涙そうそう」とのカップリングでシングル発売し、この曲の歌唱で2002年の第44回日本レコード大賞では最優秀歌唱賞を受賞。
- EPO - 2002年3月27日には、カバーシングルとしてEMIミュージック・ジャパンから「さとうきび畑」のマキシシングルを発売[5]。歌詞は1、3、8、9番となっている。この曲は、1995年9月27日発売の2枚組ライブ・アルバム『UVΛ』に収録されていたものをシングル化したものである。
- 岡村喬生 - 1999年のアルバム『昭和を歌う〜洒落男/さとうきび畑』に収録
- 新垣勉 - 沖縄出身で2001年にこの曲をフィーチャーしたアルバム『さとうきび畑』でデビュー、翌年この曲をアルバムからシングルカットしたものが初シングルであり、その後も重要なレパートリーとしている。
- 鮫島有美子 - 2002年のアルバム『さとうきび畑』などでこの曲を取り上げている。コロムビアによるディスコグラフィ</ref>
- 錦織健 - 2004年のアルバム『秋の月』に11連バージョンを収録しており、その後のベストアルバムにもこの録音が収録されている
- 上条恒彦 - 1971年に、レコード・デビュー後2枚目のシングルとしてこの曲を出し、同年の『上条恒彦ファースト・アルバム』にもこれを収録した。この曲は、上条の代表曲のひとつとして後年のコンピレーションCDにも収録されている。
- 宮沢和史 - THE BOOMのリーダである宮沢は、自身のソロ・ツアーで取り上げていたこの曲を、2002年にTHE BOOM名義のシングル「この街のどこかに」の2曲目に収めている。
- 松浦亜弥 - ハロー!プロジェクトによるフォーク系楽曲のカバー・アルバム・シリーズのひとつ2002年の『FOLK SONGS 2』の最後には、松浦をメインに、石井リカがサポートする形で、この曲が収められている。
- 夏川りみ - 沖縄出身の夏川は、2003年のアルバム『空の風景』でこの曲を取り上げている。
- 上間綾乃 - 戦後70年目の節目となる2015年、この曲の歌詞が沖縄語に翻訳されて沖縄出身の上間が歌唱を担当することとなり、沖縄での組織的戦闘が終結した日とされる6月23日に、上間のメジャーデビュー後2枚目のシングル『さとうきび畑 ~ウチナーグチ~』として発表された。
歌碑[編集]
2012年、「さとうきび畑」の歌碑が読谷村高志保のさとうきび畑の一角に建立され、4月1日に除幕式が行なわれた[6][7]。歌碑のある一帯は、1945年4月1日に米軍が沖縄本島への最初の上陸作戦を行なった地域である[8]。
脚注[編集]
注釈[編集]
- ^ 同年8月11日も放送の予定であったが、アニメ「3月のライオン」放送のため休止。
- ^ 各連には「ざわわ ざわわ ざわわ」という行が2行あり、11連で「ざわわ」が66回繰り返されることになる。
- ^ 森山はカレッジフォークを持ち歌としていたため、「さとうきび畑」のような反戦の歌を持ち歌とすることに当初抵抗感があったという。また、2009年3月23日放送の『おもいッきりイイ!!テレビ』の「きょうは何の日」コーナー等によると「自分のような幸せでぽわんとした少女時代を送った自分に歌う資格があるのだろうか」と思ったとのこと。
- ^ うたごえ運動や歌声喫茶文化の衰退後、回顧的に作成される曲集などには、この曲が採録されていることが多い。
- ^ 当時みんなのうたは5分で2曲を放送していたため、1曲あたりの時間は2分20秒弱に制限されていた。この音源は、ちあきの芸能活動休止後に出された、2000年の6枚組CD-BOX『ちあきなおみ・これくしょん ねえあんた』に収録されている。コロムビアによるディスコグラフィ
- ^ その後、NHKが公式に承認してCD化、DVD化された『みんなのうた』のソフトでは、この森山良子の「みんなのうたバージョン」の音源・映像が用いられるか、堀江美都子の録音などが用いられている。
出典[編集]
- ^ 『歌い継がれる名曲案内 音楽教科書掲載作品10000』日本アソシエイツ、2011年、431頁。ISBN 978-4816922916。
- ^ [https://www.ntv.co.jp/sho- ten/02_week/040118/week_02.html 1900回 - 日本テレビ]笑点web
- ^ NHK みんなのうた - さとうきび畑(1975年版) - ちあきなおみ
- ^ NHK みんなのうた - さとうきび畑(1997年版) - 森山良子
- ^ “EPO / さとうきび畑”. CDJournal. 2023年1月29日閲覧。
- ^ “沖縄・読谷村に「さとうきび畑」の歌碑を!”. 「さとうきび畑」歌碑建立実行委員会. 2013年1月31日閲覧。
- ^ “「さとうきび畑」歌碑建立 読谷・高志保”. 琉球新報. (2012年4月2日) 2013年1月31日閲覧。
- ^ “読谷バーチャル平和資料館 4.アメリカ軍上陸と読谷”. 読谷村. 2013年1月31日閲覧。
参考文献[編集]
- 田村洋三『ざわわ ざわわの沖縄戦 サトウキビ畑の慟哭』(光人社、2006年) ISBN 4-7698-1299-X
- 寺島尚彦『ざわわ さとうきび畑 緑いろのエッセイ』(琉球新報社、2007年) ISBN 978-4-89742-084-4