池田文雄

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いけだ ふみお

池田 文雄
生誕 (1933-08-23) 1933年8月23日
東京市京橋区(現・中央区日本橋
死没 (2003-01-23) 2003年1月23日(69歳没)
東京都小平市[1]
死因 心不全
国籍 日本の旗 日本
民族 日本人
出身校 慶應義塾大学
職業 テレビプロデューサー
活動期間 1962年 - 1984年
団体 日本テレビ放送網
著名な実績スター誕生!」チーフプロデューサー
配偶者 池田美佐子(妻)[1]
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池田 文雄(いけだ ふみお、1933年(昭和8年)8月23日 - 2003年(平成15年)1月23日)は、日本のテレビプロデューサーニッポン放送日本テレビのプロデューサーを務めた。

来歴・人物[編集]

東京市京橋区(現・中央区日本橋生まれ。小学校時代は、疎開先のお寺の本堂ドラマを作り、地元の老人たちを泣かせた[2]

慶應義塾大学在学中はグリークラブアレンジコンダクターをしていたほか、先輩のダークダックスに駆り出されて、アルバイトで日劇国際劇場のステージにも立った[2]

大学卒業後、広告代理店三晃社に入社。音楽プロデューサーとして『日石ドライブ・イン・アワー』等を担当した。1958年には担当していた番組が縁でニッポン放送に移る。脚本家倉本聰とは同僚の間柄だった[3]

日本テレビに入社[編集]

1962年、やはり番組がらみで日本テレビに移籍。以来、終始音楽畑で仕事をした[3]。71年10月には、作詞家阿久悠が優秀な合格者をレコード会社芸能プロダクションせり落札させるという奇抜なアイデアをひねり出し、萩本欽一を司会に起用した『スター誕生!』をスタートさせる[4]。翌年には早くも森昌子がデビューし、続いて山口百恵桜田淳子も相次いでデビュー。更には岩崎宏美ピンク・レディーの登場となって、「スタ誕」は押しも押されもせぬ歌謡番組の雄となり[5]、日曜午前11時、スポンサー料金の中では"Cタイム"の「スタ誕」を、ゴールデンタイムと同じ"特A"クラスまでに育て上げた[6]

1982年10月には、レギュラーの歌番組では90分ものとして初の企画である『歌のワイド90分!』をスタートさせる[7]。"ベストテン"ものが全盛の歌謡番組の中では、冒険といっていい企画だったが[7]、歌のワイド90分!は、前半の7時台はヤング向け、後半の8時台はアダルト向けという家族揃って観られる構成が成功の一因となり、裏番組に根強い人気を持つNHKの『連想ゲーム』や8時台には各局揃って強力な番組をぶつけてくる中、スタート時から平均して視聴率10%を維持し、好調な出足となった[3]

1984年、昇進とともに現場を担当しなくなることに嫌気をさし、日本テレビを退社。個人事務所「池田オフィス」を立ち上げ、フリーのプロデューサーとして活動を始めた。

日本歌謡大賞の産婆役[編集]

スター誕生!同様、池田が育ててきたものに『日本歌謡大賞』がある[8]TBSを除く東京の民間放送テレビ・ラジオ8局の音楽プロデューサーたちで組織している民間放送音楽プロデューサー連盟が主催するものだが、池田はこの連盟の設立から辞めるまでの11年間、公私にわたって面倒をみた[8]。『日本レコード大賞』をTBSに独占された各局の音楽プロデューサーが、口惜しさの余り作った歌謡大賞も、歴史を重ねてレコード大賞に肩を並べるまでの年末のビックイベントとして成長した[8]。しかし、このような音楽祭が視聴率を稼ぐようになると、今まで一致協力していた各局がそれぞれ趣向を凝らした音楽祭を独自に企画し、『日本テレビ音楽祭』(日本テレビ)、『FNS歌謡祭』(フジテレビ)、『あなたが選ぶ全日本歌謡音楽祭』(テレビ朝日)、『メガロポリス歌謡祭』(テレビ東京)、『銀座音楽祭』(ニッポン放送)、『新宿音楽祭』(文化放送)、『横浜音楽祭』(ラジオ日本)、『リスナーズグランプリ』(FM東京)といった具合に各種音楽祭が目白押しとなった[8]。こうした乱造気味とも思える状況と、手前勝手さにあきらめを覚えた池田は、連盟委員長を最後にその場を去った[9]

略歴[編集]

  • 慶應義塾高等部を卒業。
  • 慶應義塾大学を卒業。
  • 1956年 三晃社に入社。
  • 1958年 ニッポン放送に転職。
  • 1962年 日本テレビに転職。
  • 1964年 「グランド・バラエティー・ショー」を担当。
  • 1971年 「スター誕生!」のプロデューサーを担当(〜1981年?)。
  • 1982年 「歌のワイド90分!」のプロデューサーを担当。
  • 1984年 日本テレビを退社。個人事務所「池田オフィス」を設立し、フリーのプロデューサーとして活動。
  • 2003年 心不全で死去。

作品[編集]

テレビ[編集]

映画[編集]

著書[編集]

  • 『テレビ人生!「そんなわけで!!」録 「スター誕生!」回想録』コアラブックス、1985年12月。 

演じた俳優[編集]

出典[編集]

  1. ^ a b “池田文雄氏死去 元日本テレビプロデューサー”. 共同通信 (47NEWS). (2003年1月24日). https://web.archive.org/web/20100202154305/http://www.47news.jp/CN/200301/CN2003012401000170.html 2014年9月4日閲覧。 
  2. ^ a b 伊東 1983, p. 100.
  3. ^ a b c 伊東 1983, p. 101.
  4. ^ 伊東 1983, p. 97.
  5. ^ 伊東 1983, p. 98.
  6. ^ 伊東 1983, p. 103.
  7. ^ a b 伊東 1983, p. 99.
  8. ^ a b c d 伊東 1983, p. 102.
  9. ^ 伊東 1983, p. 102 - 103.
  10. ^ 日本テレビ放送網株式会社 社史編纂室 編『大衆とともに25年 沿革史』日本テレビ放送網、1978年8月、509頁。NDLJP:11954641/270 

参考文献[編集]

  • 伊東弘祐『ブラウン管の仕掛人たち―テレビ最前線・現代プロデューサー事情』日之出出版、1983年5月。ISBN 978-4891980337