森内貴寛

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Taka
出生名 森内貴寛
出生 1988年4月17日(27歳)
出身地 日本の旗 日本東京都
ジャンル ロック
職業 ボーカリストシンガーソングライター
担当楽器 ボーカルギター
活動期間 2003年 -
レーベル 日本の旗 A-Sketch
(2007年4月25日 - 現在)
アメリカ合衆国の旗 ワーナー・ブラザーズ・レコード
(2015年9月25日 - 現在)
事務所 アミューズ
共同作業者 ONE OK ROCK
公式サイト ONE OK ROCK オフィシャルウェブサイト

Taka(タカ、1988年4月17日 - )は、日本歌手ロックバンドONE OK ROCKのボーカル。本名・森内貴寛(もりうちたかひろ)。 バンドの楽曲の多くで作詞・作曲を手がける(作詞に関しては歌詞のある楽曲ほぼ全て)。 歌手森進一森昌子夫妻(2005年離婚)の長男。1歳違いと6歳違いの弟がいる。ロックバンドMY FIRST STORYのボーカル・Hiroは下の弟。

略歴[編集]

2001年

2003年

  • 9月15日、NEWS結成メンバー9人のうちの一人に抜擢される。
  • 11月7日、『バレーボールワールドカップ2003』のイメージソングを含むシングル『NEWSニッポン』(セブンイレブン限定発売のインディーズ版)でCDデビュー。
  • 12月 、学業に専念のため活動を休止[1]

2004年

2005年

  • 3月、高校一年終了時 、音楽の道に進むため自主退学。
  • 4月、両親(森進一、森昌子)が離婚。
  • 5月、ONE OK ROCK加入。

2006年

  • 7月26日、芸能事務所・アミューズと契約。インディーズから再CDデビュー。
  • 以降の活動はONE OK ROCKの項目に詳しい。

人物[編集]

幼少期[編集]

性格は几帳面で、3人兄弟の長男らしくしっかり者。
家の中に常に父親の楽曲が流れている環境で育った[2]
小学校(慶應幼稚舎)受験に合格した際、喜ぶ母親に対して本人は背を向け先に歩き出してしまった。母親が追いかけて何を怒ってるのか質したところ「落ちた子もいるのに皆の前で喜ばないで」と6歳の子に諭された。翌年の次男の合格時は、長男とともに次男の幼稚園に迎えに行ったが、前年の件をふまえ他の子供たちのいる前では気をつけた。すると「ママ学習したね」と長男に褒められた、と、母・森昌子が『徹子の部屋』2014年5月7日出演時に語っている。
小学生時代は、勉強嫌いだが活発で、イベントでは中心になって頑張るタイプだった[3]
小学校6年間と中学1年の1学期まで地元のサッカーチームに入っていた。中学でもサッカー部に在籍したが、レベルが激変したことにショックを受け退部[4]。また喉の保全に万全を期していた父親に辞めさせられたとの発言もある。「声を出すから、怒鳴るなっていう意味で『サッカーなんかやるな!』みたいな」[5]

アイドル時代[編集]

レッスンは週1回土曜日のみ参加、学業に差し障りがあったら辞めさせるという父親からの条件付き[6]
中一の夏からジャニーズジュニアとしての活動を始めるが、最初からTV番組やステージ上でソロで歌うポジションを与えられ、その際立った特別扱いが多くのジュニアファンの反感を買うことになる。
「もうほんとにね、親の七光りで、みたいな扱いを、ほんっとに3年間ずっとされて、ほんとに悔しかったし、でも、それに対して文句も言えない自分もいた」[7]
それはNEWS結成メンバーに選抜されたことでピークに達し、12月、「学業に専念する」との理由で活動を休止[8]、まもなく自主退所する。
その後、父親と衝突し家を出て母方の祖母の家に身を寄せ、塾に通い勉強に励む[9]
またこの時期、共通の友人とともにRIZE金子ノブアキと食事をする機会があり、ライブに誘われる。後日、ライブハウスで初めてRIZEのライブを見て感動、ロックに目覚め、バンドをやりたいという思いが生まれる[10]

バンド初期[編集]

高校を1年で中退後、自活をはじめ、飲食店で厨房周りのアルバイトをしながら[11]、大阪の音楽学校に定期的に通ってギターやパソコンを習う[12]
同時にSFC時代の友人二人とエレクトーン+クリアギター+ヴォーカルの3人編成のバンド「CoM(Chivalry of Music)」を組み、マルーン5のカバーなど、バラード曲中心のライブ活動をはじめる。
そのライブを、ONE OK ROCKを組んだばかりのToruが共通の友人を介して見に訪れ、Takaの声と歌唱力に衝撃を受け、その場でヴォーカルに勧誘。日に何度も届くメールの他、次のライブにもバイト先にも現れるToruの熱意に押し切られる形で承諾[13]
しかし練習に参加して、自分が本来求めていたバンド像(初めてライブハウスで見た時のRIZE)に近いものを感じ、スタジオに通うようになる。
やがて並行していたすべての音楽活動を終わらせ、ONE OK ROCKに賭ける決意を固めたTakaは、スタジオの前でメンバー全員の意思確認を取る[14]
明確な目標があり、歌にも絶対的な自信があったが、反面、アイドル時代のトラウマにより、バンド初期は前を向いて歌えなかった。「自分との戦いでした。だってどれだけ前を向いて歌っても、目の前の人が僕を嫌っていたら、前向けないじゃないですか。どうしても『またどうせ』ってなってしまって、下を向いて歌うんです」[15]
しかしバンドメンバーと、ライブの度に増えるファンに支えられ、その意識が変って行く。
「そこには少なからず自分たちを求めてくれる人がいたんで。それがすごく大きかったですね」[16]
2009年4月、メンバーのひとりが不祥事でバンドを脱退し、半年近い活動休止に追い込まれた時期も、気持ちを切り替えメンバー全員で心を一つにし活動再開に向けた制作活動に励むことで乗り切った。
09年秋、残った4人で活動を再開し、10年02月発表したシングル『完全感覚ドリーマー』が初のオリコントップ10入りを果たし、続いて6月に出したアルバム『Nicheシンドローム』が高評価を得て、11月には初の武道館ライブを決行。中学時代の反抗期から苦労をかけた両親を招待して、両親への感謝を込めた楽曲『Nobody's Home』を歌っている。
ここまで決して平坦な道ではなかったが、「親の七光りバンド」「アイドルバンド」などの何重ものレッテルをはがす原動力は「悔しい」「負けたくない」「馬鹿にされたくない」という強い気持ちだった。
「でもそれを一個一個クリアするのは結構大変で。同時にまだ全然そういうことは自分のなかで拭いきれてないものだと思うし。だから僕は、逆にこのコンプレックスは一生持っていたいなと思うんですよね。多分一生消えないんで、これをもって、一生懸命バンドを頑張りたいなと思っていますね」[17]

世界へ[編集]

Takaは結成当初から他のメンバーに「絶対世界へ連れて行くから」と言い切っていた[18]
その言葉通り、ハイエースに機材を積んで自分たちで運転し、日本中のライブハウスを回るところから[19]、ライブを重ねるごとに会場も少しづつ大きくなってゆき、結成5年目に武道館公演[20]、12年にはアリーナツアー[21]、14年には横浜スタジアム2デイズ[22]と、着実に目標を達成していった。
そして海外公演も、12年のアジア3都市[23]を皮切りに、13年にはヨーロッパ・アジアツアー[24]、14年には北米のワープド・ツアー'14に参加、北米[注 1]から南米[注 2]、ヨーロッパは前年の4カ国から10カ国へとロシアまで範囲を広げ[注 3]、大型バスに寝泊まりし国から国へ移動して10日に9本ペースのライブをこなす過酷なツアーを敢行した[25]
また13年から海外レコーディングの準備を始め、自ら何度も渡米して[注 4]何人ものプロデューサーにコンタクトを取り話を聞いた[26]。14年はメンバー全員で渡米しレコーディングに3ヶ月を費やし、ワープド・ツアー、浜スタ2デイズを挟んでさらに秋にまた渡米して数曲録った。
こうして結成10年目の2015年2月、全曲US録音の7thアルバム『35xxxv』をリリース。オリコン週間チャートでCDとしては初の1位を[27]、World Music Awardsで初登場4位を記録した。
「一個一個の目標がすぐそこにあって、それを叶えるために常に全力なんですよね。だから多分休んだのってメンバーが脱退した時くらい。ただ表向きには休んでたけど、中では倍速で動いていたりしたんで。そういう意味でも走りっぱなしの10年間だったような気がしますね。10年間このバンドのことだけを考えて生きてる気がするし、その割にはあまりにも短すぎる。だからこれ、気づいたらこのバンドのことを考えて死んでんじゃないかなってくらい、あっという間ですね」[28]
メジャーデビュー直後からyoutube上で、海外からのコメントやアクセスが圧倒的に多かったONE OK ROCKの海外公演は、まだ楽曲が海外リリースされていなかったにも関わらず、北米以外のどこでも大成功を収めた[29]が、アジアンブーム、ジャパニーズカルチャーなど、付随してくるものとの関係性に関しては、「もちろんそこと重なってすごく大きなものになってるとは思うんですけど、僕たちとしては、世界を回る上で使うギミックは日本人であることだけでいい。それ以外のギミックは一切使いたくないんです」[30]と答えている。
「それって(何重ものレッテルを貼られていた)僕らが、日本でバンドを組んで走り出した時と全く同じ感情だし、状況なんですよね。状況はもちろん今の方がいいんですけど。だから、日本でやってきたことを、もう一回そのまま、このタイミングで、他の国でやっていくっていう。単純にそういうことだと思うんです」[31]
15年7月には、アメリカの ワーナー・ブラザース・レコードと契約し、9月25日に『35xxxv Deluxe Edition』を北米でリリースすることを発表。9月末から、そのアルバムをひっさげた全米ツアーが始まる。

本名について[編集]

05年両親が離婚した際、親権が母親に移ったのを機に、アイドル時代と決別するためあえて「森田」姓を名乗っていたが[32]、『ロッキング・オン・ジャパン』2012年6月号の2万字インタビュー以降は、本名を名乗る必要がある場合は戸籍上の姓名である「森内貴寛」と答えている[33]

最終学歴[編集]

SFCを自主退学した当時、一部週刊誌に「堀越学園に転校か」との憶測記事が書かれ、それがネット上で現在まで流布されているが、その事実はない。

英語について[編集]

歌唱時における英語の発音が自然で、海外メディアでのインタビューでも通訳を介さずに応答している場面が度々確認されている(2014現在)。
それについて本人は「通ってた中学(SFC)が、(帰国子女の多い)アメリカンスクール(みたいな雰囲気)で、廊下が英語(の会話であふれていた)」と答えていたが[34]
別なインタビューではそのころから学校に行かなくなったとも言っている[35]
実際には2013年当時まで英会話教室に通って地道に勉強を続けていた[36]。帰国子女並びに留学経験者ではない。

喉について[編集]

2006年にポリープの除去手術をしている。また残響リファレンスのレコーディング中に喉を壊し1カ月間会話ができなかった。
鍼やマッサージなど喉のケアには細心の注意を払っている。2015現在までメンバー4人中唯一の非喫煙者。

楽器について[編集]

ピアノ、ギター、ドラムなど、バンドで必要な楽器はある程度演奏できる。

友人について[編集]

親しい友人は、同じ事務所所属の佐藤健高橋優などのほか、ジャミール三浦翔平山田親太朗DA PUMPのDAICHI、FTISLANDのホンギ、イシューズのTylerなど、同世代の俳優やミュージシャン。特に佐藤健とは、互いに互いについて「親友であり、恋人であり、夫婦」と例えるほど仲がいい。RADWIMPSの野田洋次郎、桑原彰、Fear, and Loathing in Las VegasのSxun、SiMのMAH、coldrainのMasatoなどの同世代バンドや対バンしたバンド、さらに芸人やアスリートなど、今では国籍や年齢を問わず、様々なジャンルの人物と交友関係がある。
なお、『C.h.a.o.s.m.y.t.h.』(『残響リファレンス』収録)は、Takaの学生時代からの親友を含む友人たちの頭文字をつなげたもの。

TV出演について[編集]

「もっと日本で大きなアーティストになってほしい、例えば◯◯を超えてほしいという人も多くいるのでは?」という質問に対して、
「僕らTVに出ないんで、頭打ちはあると思うんですよ。だからそうおっしゃる人がいるとしたら、僕らとしてはその人の心の中で超えてくれていれば満足ですね。実際にそのレベルに行くにはもっとTVとかにも出なきゃいけないと思うし、日本中の人が僕らを知っているっていう瞬間をつくらなくちゃいけない。でも、僕らがなぜTVに出ないかっていうと、そういう状態に自分たちを追いやることで、自分たちがやりたいことができなくなるからなんですよ。いろんなものをそぎ落としてバンドとして生きていくっていうことが、僕らの中でも答えだったりするので」(要約)[37]。(2014年時点での発言)

イルミナティタトゥについて[編集]

不思議な、謎を秘めた、「追求しても追求しきれないものごと」が好きで、フリーメイソンにも昔から興味があった。
14年年末、ユーロツアーでロンドンに行った際、フリーメイソンのロッジがあると聞き、メンバー全員で行ってみたが閉館していた。
翌日、ライブ前に一人で行き、ノベルティグッズを買って「いいカモ」になって帰ってきたと話している[38]
また、左上腕部に「プロビデンスの目」のタトゥを入れているが、「神の全能の目」「真実」を意味する欧米では多用されている図案であり、特にフリ−メイソンやイルミナティには関係はない。
タトゥは他に左上腕部に脳、心臓、掌にLOVEとHATE、メンバーの頭文字(TTR)、雷、歯、自分がデザインした1から12までを表す図形、XX△XV、羽など。
右上腕部には太陽。中に時計が描かれており、1時を指している。
右腕内側に矢印を模したマザーテレサ格言
思考に気をつけなさい、それはいつか言葉になるから。言葉に気をつけなさい、それはいつか行動になるから。行動に気をつけなさい、それはいつか習慣になるから。習慣に気をつけなさい、それはいつか性格になるから。性格に気をつけなさい、それはいつか運命になるから」。
左腕外側に「A man may fall many times,but he won’t be a failure until he says that someone pushed him.」という言葉。
意味は 「何度倒されても負け犬ではない。誰かに倒されたのだと言わない限り」。
左手首にコウモリ(繁栄、再生、夢のシンボルであり「目の見えないところで冒険する直観力のある唄うたい」の意味もある)など。
以上、タトゥーは、最初に確認されたコウモリから年々少しづつ増え続けている。(2015現在)

エピソード[編集]

  • 絵を描くのが好きで、港区の絵画教室で仕上げた作品が青山の「こどもの城」に展示されたことがある[39]
  • 小学校の時、バランス棒で校内チャンピオンになったことがある [40]
  • 小学校の6年間は水泳もやっていた。また、長距離・短距離に関わらず走るのも速かった。
  • 初めて買ったCDは小学校低学年の時、箱根のCD自販機で買ったhideピンクスパイダー[41]
  • 最初に衝撃を受けた洋楽ロックバンドは小6のときに偶然聴いたLinkin Park、他に好きだったのはIncubusSUM 41など[42]
  • ロックバンドをやりたいと思うきっかけになったのは中3の時に横浜のライブハウスで聴いたRIZE
  • 自身を投影して憧れたのはDragon AshのKJ。
  • バンド初期に精神的に影響を受けたのはELLEGARDENの細美武士で、ライブ前に全員でエルレのライブDVDを見て気持ちを高めていたほどだった。
  • ONE OK ROCKとして最初のライブ「NEW POWER GENERATION Vol.3」はTakaの知人の紹介だったため、Takaがバンド名やメンバーの名前を書類に記入したが、まだ正確に把握しておらず、Ryotaをりょうすけ等、誤った表記のまま提出した[43]
  • 一人暮らしを始めてから「一日に何回ラーメン食べるんだ?!」といった食生活で太ったが[44]、20歳あたりで元に戻した。
  • バラードでの手拍子が大嫌いで、手拍子が起こると阻止する[45]
  • 18歳の時初めて出演したフェス(the夢人島fes'06)でテンションが上がりすぎ、丘の上から裸足で走り降りてそのまま楽屋に突っ込むゲームを全力でやり、段差に親指を強打して爪が剥がれ、そのまま病院に運ばれ、出番ギリギリに戻ってけんけんでライブを遂行した[46]
  • 十代のころ、エロ本を買うのが怖くて友達の家で模写し、持って帰ったことがある[47]
  • 料理が得意で、レコーディング合宿をする際には、ほぼ毎日メンバー全員分の夜食を作っている[48]
  • 宝物は何かと聞かれて「このチーム(ONE OK ROCK)」と答えている[49]

作品[編集]

ONE OK ROCKとしての作品→ONE OK ROCK

ソロ参加の仕事・イベント[編集]

  • 2012年05月16日 東北ライブハウス大作戦アコースティックツアー気仙沼[注 5]
  • 2013年03月31日 PUNK SPRING2013 シンプル・プランのステージにサプライズ登場[50]
  • 2013年05月05日 MTV ONE on ONE  Taka (ONE OK ROCK) × トゥエンティ・ワン・パイロッツ[51]
  • 2014年07月02日 MTV WORLD GROOVE 3&3(ゲストが気に入っているMVを紹介するコーナー)
  • 2014年07月25日・8月1日 『FM802 25th ANNIVERSARY YOUR RADIO 802」』DJ
  • 2015年02月1-4週 FM802 InterFM 『Walkin'Talkin' -徒然ダイアローグ-』 Taka×野田洋次郎[52]
  • 2015年07月18日  ONE OK ROCK × Vansコラボシューズ発売/Takaが1〜12の数字をモチーフにしてSLIP-ONをデザイン[53]


参加作品一覧[編集]

発売日 アーティスト アルバムタイトル 曲名
2011年6月29日 ALLY & DIAZ ALLY & DIAZ Let Life Be with Taka (ONE OK ROCK) & サイプレス上野
2013年3月20日 シンプル・プラン Summer Paradise feat. Taka from ONE OK ROCK(シングル)
2013年3月27日 シンプル・プラン Get Your Heart On! (Japan Tour Edition) Summer Paradise feat. Taka from ONE OK ROCK(アルバム)
2013年11月13日 Pay money To my Pain gene Voice P.T.P feat. Taka from ONE OK ROCK
2014年8月20日 GROWN KIDS First words Bottle Rocket feat. Taka(ONE OK ROCK) & Megan Joy
2015年2月17日 Against The Current GRAVITY Dreaming Alone Feat. Taka from ONE OK ROCK

脚注[編集]

注釈[編集]

  1. ^ Los Angeles/US,New York/US,Toronto/Canada,Philadelphia/US
  2. ^ Santiago/チリ、Buenos Aires/アルゼンチン、São Paulo/ブラジル、Lima/ペルー、Mexico City/メキシコ
  3. ^ Frankfurt/ドイツ、Paris/フランス、Zurich/スイス、Milan/イタリア、Munich/ドイツ、Cologne/ドイツ、Berlin/ドイツ、Copenhagen/デンマーク、Stockholm/スウェーデン、Hamburg/ドイツ、Amsterdam/オランダ、Antwerp/ベルギー、London/イギリス、St Petersburg/ロシア、Moscow/ロシア
  4. ^ 通訳兼コーディネーターとしてアメリカ人の友人であるジャミールと2人で
  5. ^ 細美武士(the HIATUS)ホリエアツシ(ストレイテナー)と

出典[編集]

  1. ^ NEWSのプロフィールORICON STYLE
  2. ^ 「うちで普通に演歌が流れてるんで、こぶしとかは、自然に勉強に」『bredge』VOL.71spring2012p31より引用
  3. ^ 『ロッキング・オン・ジャパン』2012年6月号p67-76
  4. ^ 『ロッキング・オン・ジャパン』2012年6月号p67-76
  5. ^ 『bredge』VOL.71spring2012p32より引用
  6. ^ http://www.tanteifile.com/geinou/scoop_2005/06/13_01/image/01.jpg
  7. ^ 『ロッキング・オン・ジャパン』2012年6月号p71より引用
  8. ^ その直前に、カラオケボックスのテーブルの上に煙草の箱が写り込んでいる、未成年喫煙疑惑を想起させる写真(実際に喫煙している画像はない)が雑誌に掲載されるという出来事があり、加えて成績も落第寸前で、「事務所からは高校を卒業するくらいまで戻れないと言われた(『ロッキング・オン・ジャパン』2012年6月号p67-76)」ため
  9. ^ 『ロッキング・オン・ジャパン』2012年6月号「一生で一番勉強を頑張った時期」p67-76
  10. ^ 『Rollingstone』2015年3月号p24-31
  11. ^ Template:スペースシャワーtv「モンスターロック」かき氷対決
  12. ^ 『musica』2012年9月号 p24-25
  13. ^ ONE OK ROCK('06年12月号) | web Rooftop
  14. ^ 「Takaが『俺はもうこのバンド一本でやっていくから。お前らやる気あんのか?ついてこれんのか?』みたいな話をスタジオの前でして、『うん、やるよ』って言った。それがいまだに忘れられないです」(Ryota)『ロッキング・オン・ジャパン』2014年9月号p79より引用
  15. ^ 『MUSICA』2012年9月号p26より抜粋
  16. ^ 『MUSICA』2012年9月号p26より引用
  17. ^ 『ロッキング・オン・ジャパン』2012年6月号p73
  18. ^ 「結成当初からTakaは(武道館や東京ドームやワールドツアーに)『連れてくから』『大丈夫だから』ってずっと言ってた」(Ryota)『ロッキング・オン・ジャパン』2011年11月号p133-136
  19. ^ 『音楽と人』2015年3月号p39
  20. ^ “This is my own judgment” TOUR
  21. ^ ONE OK ROCK 2013 “人生×君=”TOUR
  22. ^ ONE OK ROCK 2014 "Mighty Long Fall at Yokohama Stadium"'
  23. ^ “Start Walking The World”TOUR
  24. ^ “Who are you??Who are we??” TOUR
  25. ^ http://ro69.jp/news/detail/107768
  26. ^ 『ロッキング・オン・ジャパン』2015年3月号p51
  27. ^ ONE OK ROCK、アルバム「35xxxv」デビュー以来初のオリコン1位http://www.musicman-net.com/artist/44536.html
  28. ^ 『音楽と人』2015年3月号p39より引用
  29. ^ 「ONE OK ROCK 2013" Who are you??Who are we?? " TOUR」に完全密着取材http://ro69.jp/news/detail/99106
  30. ^ 『MUSICA』2015年3月号p39より要約
  31. ^ 『MUSICA』2015年3月号p39より抜粋
  32. ^ 「森内って名字を呼ばれるとすごくぞっとする、なんか怖い。これはもう前の職業のトラウマですよね」『ロッキング・オン・ジャパン』2012年6月号p67-76より引用
  33. ^ 橋本塁twitter2013年10月4日東北ライブハウス大作戦 https://pbs.twimg.com/media/BVu95IECAAEoGa1.jpg
  34. ^ 『残響リファレンス』発売記念USTREAM『10969RADIO!!』2011.10.09
  35. ^ 「中1から相当グレだしたんで」『ロッキング・オン・ジャパン』2012年6月号p68
  36. ^ スペースシャワーTVモンスターロック one ok rock王決定戦2013.03.19
  37. ^ 『MUSICA』2014年8月号p55より引用
  38. ^ 『ロッキング・オン・ジャパン』2014年6月号p95
  39. ^ Template:森昌子『明日へ』p111
  40. ^ ustream「one ok rock オンエアタイム獲得選手権」2011.2,13
  41. ^ NHKFMサウンドクリエイターズファイル2013.03.03
  42. ^ FM802「YOUR RADIO 802」Taka(ONE OK ROCK)#1 2014/07/25
  43. ^ NHKFMサウンドクリエイターズファイル2013.03.03
  44. ^ NHKFMサウンドクリエイターズファイル2013.03.03
  45. ^ NHKFMサウンドクリエイターズファイル2013.03.10
  46. ^ NHKFMサウンドクリエイターズファイル2013.03.10
  47. ^ 『Walkin' Talkin' -徒然ダイアローグ-』2015.02.01
  48. ^ 『MUSICA』2015年3月号P46
  49. ^ FM802「TACTY IN THE MORNING」 2015/06/08
  50. ^ http://www.livefans.jp/report/pc/999
  51. ^ http://www.rollingstonejapan.com/music/oneonone/taka-one-ok-rock-x-twenty-one-pilots/2/
  52. ^ http://okmusic.jp/#!/news/66842
  53. ^ [1]


外部リンク[編集]