天山広吉

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天山 広吉
Hiroyoshi Tenzan
Hiroyoshi Tenzan 2016.JPG
2016年2月
プロフィール
リングネーム 天山 広吉
山本 広吉
本名 山本 広吉
ニックネーム 猛牛
嘆きのバッファロー
VIOLENT BULL
身長 183cm
体重 115kg
誕生日 (1971-03-23) 1971年3月23日(45歳)
出身地 京都府京都市
所属 新日本プロレス
スポーツ歴 バスケットボール[1]
ボディビル[1]
トレーナー 山本小鉄
大剛鉄之助
デビュー 1991年1月11日
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天山 広吉(てんざん ひろよし、1971年3月23日 - )は、日本男性プロレスラー京都府京都市出身。新日本プロレス所属。血液型O型。本名および旧リングネーム山本 広吉(やまもと ひろよし)。

来歴[編集]

新日本プロレス[編集]

キャリア初期[編集]

京都市立北野中学校京都府立山城高等学校卒業、学生時代はボディビルバスケットボールに打ち込み、新日本プロレス学校を経て、1990年5月に新日本プロレスに入門。1991年1月11日、今治市公会堂大会にて、本名の山本広吉として松田納(現:エル・サムライ)戦でデビューを飾る。その後は同時期にデビューした小島聡とのタッグで前座戦線を沸かせてきた。

1993年3月、若手選手を中心としたリーグ戦、ヤングライオン杯に出場。リーグ戦を勝利を積み重ねていき、23日の決勝戦で対戦した西村修から勝利を収め、同大会を優勝。6月より海外武者修行のため、グラーツを拠点とするキャッチ・レスリング・アソシエーションCatch Wrestling Association、略称 : CWA)に参戦。現地でランス・ストームを下し、CWA世界ジュニアヘビー級王座に2度戴冠する活躍を遂げた。また、カルガリー大剛鉄之助の元で肉体改造を行い、1995年1月4日、凱旋帰国に合わせてリングネームの姓を天山と改め、中西学とシングルマッチで対戦し、勝利を収めた。2月4日、橋本真也の保持するIWGPヘビー級王座に挑戦。敗れはしたものの、23歳9ヶ月での挑戦は当時の最年少挑戦記録を打ち立てており、その将来性を高く買われていた。

狼群団 - nWoジャパン時代[編集]

その後、越中詩郎率いる平成維震軍から再三に渡って勧誘を受け、2月12日、後楽園ホール大会昼興行にて、勧誘に対する返事を聞かせてほしいと、越中に呼び込まれる形で私服姿でリング上に登場。越中と握手をすると見せかけて、モンゴリアン・チョップを見舞い維震軍入りを拒否。直後に維震軍の一員である小原道由が現われ、そのまま小原とシングルマッチに流れ込む。試合を終始圧倒して勝利を収めた。そしてこの日のメインイベント終了後に再び姿を見せ、リング上にいる選手らを蹴散らかすと、直後に登場した蝶野正洋と結託。同日、後楽園大会夜興行にて、蝶野 & ヒロ斎藤とのトリオで長州力 & 橋本 & 平田淳嗣組と対戦し、ダイビング・ヘッドバットで長州からピンフォール勝ちを収めるという番狂わせを起こすと、蝶野 & ヒロ & サブゥーらと共に狼群団を結成。一躍にしてトップレスラーたちの仲間入りを果たした。以降、新日本本隊と抗争を繰り広げ、6月12日、蝶野とのタッグで、空位となったIWGPタッグ王座を賭けて橋本 & 平田組と対戦。この試合に勝利を収め、第25代王者組に戴冠。同年のプロレス大賞では蝶野と共に最優秀タッグ賞を受賞するに至った。

1997年より蝶野が指揮を執るヒール・ユニットnWo JAPANのメンバーとして合流。同年8月より開催されたG1では準優勝という戦績を残した。1998年10月、蝶野が怪我で離脱し、代理で指揮を執る武藤敬司がnWoに小島を勧誘する行為に対して異を唱え、チーム内で亀裂が生じる。問題が解決しないまま、11月に開催されたSG TAG LEAGUEでは、nWoスティングとのタッグで出場。25日、公式戦にて対戦した武藤 & 小島組との戦いを通じて、小島のことを認めて和解。これをキッカケに小島とタッグチームテンコジを結成。翌1999年1月4日東京ドーム大会では同タッグで、天龍源一郎 & 越中詩郎組が保持するIWGPタッグ王座を奪取し、第36代王者組に戴冠。以降小島と共にタッグ戦線を大いに賑わし、数々のタッグチームを相手にしのぎを削り、2000年プロレス大賞では最優秀タッグ賞を受賞、2001年11月より開幕したG1 TAG LEAGUEに優勝するといった活躍を見せてきたが、2002年に小島の全日本プロレス移籍が発表され、同年1月24日の試合を最後にテンコジとしての活動を休止。その後は再び蝶野との組むようになり始めた。

2003年 - 2005年[編集]

2003年8月、G1 CLIMAXに出場。これまで何度も優勝候補に挙げられるも、後一歩で手が届かなかった天山は一念発起して、再びカルガリーの大剛の元で肉体改造を行い、凱旋帰国を果たす。また、コスチュームも従来の黒から赤を基調としたものに変更し、髪を黒髪に染めた。G1では初戦こそプロレスリング・ノア秋山準に敗北を喫するも、その後は勝利を積み重ねて決勝トーナメントに進出。準決勝戦で高山善廣を制し、決勝戦で再び秋山と対戦。遠征先のカルガリーにて開発した新技、アナコンダバイスでギブアップ勝ちを収め、優勝を果たした。また、10月に行われたG1 TAG LEAGUEでは西村修とのタッグで優勝。11月3日には高山が保持するIWGPヘビー級王座に挑戦し奪取し、第33代王者に戴冠。自身初となるIWGP王座の戴冠となったが、12月9日に行われた初防衛戦で中邑真輔に敗戦し、短命政権に終わった。

2004年2月15日、中邑の怪我により返上されたIWGPヘビー級王座決定トーナメントにエントリー。決勝戦で天龍を制し、第35代王者に返り咲いた。8月に開催されたG1では、新・闘魂三銃士と称された中邑、柴田勝頼棚橋弘至らを決勝トーナメントで順に3タテして、史上二人目となるG1連覇の偉業を成し遂げる。12月5日、全日本プロレスに参戦し、川田利明の保持する三冠ヘビー級王座に初挑戦。12月のプロレス大賞では敢闘賞を受賞した。

2005年2月20日、小島の保持する三冠ヘビー級王座と、自身が保持するIWGPヘビー級王座を賭けたダブルタイトルマッチで小島と対戦。試合時間残り15秒となったところで、脱水症状によるK.O.負けを喫した。試合終了後に都内の病院に搬送され、検査の結果、意識消失発作と診断された[2]。5月14日東京ドーム大会にて、小島と再戦し勝利を収めてIWGP王座を奪取するも、7月18日の防衛戦で対戦した藤田和之に敗戦し王座から陥落した。

2006年 - 2008年[編集]

2006年8月、G1ではリーグ戦を全勝で飾り、決勝戦で小島と対戦。これに勝利を収めて、3度目の優勝及び全勝優勝の快挙を成し遂げた。その後、タッグパートナーである蝶野との確執が起きてしまい、タッグを解消。10月、真壁刀義越中詩郎らと共にヒール・ユニットG・B・Hを結成[3][4]。後に真壁 & 越中と抗争を繰り広げていた矢野通 & 石井智宏をメンバーとして引き入れ、蝶野と抗争を繰り広げる。12月、全日本プロレス主催のタッグリーグ、世界最強タッグ決定リーグ戦にテンコジとして出場し、優勝を果たした。

2007年に入り、G・B・Hのリーダーとして引き続きチームを引っ張っていたが、昨年12月に負傷した首の状態が最悪であることが発覚[5]。この影響で8月に開幕したG1では、2勝3敗と負け越しに終わる。同月12日にはG・B・Hを離脱した越中からピンフォール負けを喫し、試合後のコメントでは「リングが怖い」と弱音を吐く姿が見られた[6]。10月8日、EXPLOSION '07にて、かつての付き人である後藤洋央紀とシングルマッチで対戦。試合終盤、後藤の変形バックブリーカーを喰らい、頸椎を損傷。最後は昇天でピンフォール負けを喫し、長期欠場へと追い込まれた[7][8]

2008年2月17日、邪道 & 外道 & 石井とのカルテットで、レジェンド(蝶野 & 長州 & 越中 & スーパー・ストロング・マシン)と対戦するも、石井が蝶野にピンフォールを奪われ敗戦。試合後、味方の三人から袋叩きに遭い追放された[9]。3月9日、NEW JAPAN CUP(以下「NJC」と表記)に出場し、一回戦で石井と対戦し勝利。試合後にまたしてもG・B・Hのメンバーによる攻撃を受けるが、この状況を見かねた新日本本隊の飯塚高史が救出に駆け付け、事無きを得た[10]。最初は飯塚を冷たくあしらっていたが、15日豊岡大会にて、握手を交わし共闘を宣言[11]。NJCでは21日千葉大会にて、二回戦で真壁と対戦するもピンフォール負けを喫した[12]。その後、飯塚とのタッグを友情タッグと命名し、3月30日、NEW DIMENSIONにて、IWGPタッグ王者組のモースト・ヴァイオレンス・プレイヤーズ(真壁 & 矢野)とノンタイトルマッチで対戦し勝利を収め、試合後のコメントで同タッグ王座への挑戦をアピールした[13]。4月27日、NEW JAPAN BRAVE最終戦にて、友情タッグとして真壁 & 矢野が保持するIWGPタッグ王座に挑戦。試合序盤より大流血に追い込まれて劣勢を強いられてしまい、さらには終盤にパートナーの飯塚からスリーパーホールドを極められ、最後は真壁からピンフォール負けを喫した[14]

その後、自身を裏切りG・B・H入りを果たした飯塚と抗争を展開していくも、反則による不透明決着が連日続き、さらにはタッグパートナーである長州や蝶野からは厳しい言葉を浴びせられるなど、次第に孤立。6月15日後楽園大会にて、6人タッグマッチでG・B・Hと対戦したが、またしても反則裁定で終わり、試合後に真壁からランバージャック・デスマッチでの決着戦を要求され、同ルールで飯塚と対戦することが決定的となった[15]。7月8日、NEW JAPAN TRILL最終戦にて、飯塚とランバージャック・デスマッチで対戦。場外でG・B・Hメンバーからの攻撃で流血、後半はレフェリーを不在にさせ無法地帯と化すも、最後は飯塚にアナコンダバイスを極めて勝利を収めた。試合後にG・B・Hによる攻撃を受ける中、突如として小島が救援に駆けつけ固く握手を交わした[16]。その後、8月に開催されたG1に出場するも、試合後に幾度となく飯塚の襲撃に遭い、因縁が再発。10月13日、DESTRUCTION'08にて、飯塚と2度目のデスマッチ、チェーン・デスマッチで対戦したが、飯塚にチェーンで絞首刑を受けたところを危険と見なされ、レフェリーストップ負けを喫した[17]

10月18日、G1 TAG LEAGUEにて、7年ぶりにテンコジとしてエントリー[18]。決勝戦で真壁 & 矢野組と対戦。アナコンダクロスで矢野をギブアップを奪い、優勝を果たした[19]。全日本主催の世界最強タッグ決定リーグ戦では諏訪魔 & 近藤修司組を破り2年ぶりの優勝を果たし、初のメジャー団体タッグリーグ戦両制覇を成し遂げた[20]。その後、翌年に開催されるレッスルキングダムIIIにて、IWGPタッグ王座に挑戦を決意するも、12月29日に右目の上半分が見えなくなるという異常を訴え、網膜剥離と診断され欠場を余儀なくされた[21]

2009年 - 2010年[編集]

2009年5月3日、レスリングどんたく 2009にて復帰戦を行い、テンコジとして、BAD INTENTIONSジャイアント・バーナード & カール・アンダーソン)とIWGPタッグ王座次期挑戦者決定戦に挑むも、アンダーソンからピンフォール負けを喫する。試合後のコメントで「これ以上(小島に)迷惑をかけられない」という理由からテンコジとしての活動を再休止した[22]。その後、再び飯塚からの襲撃を受けるようになり、7月20日、NEW JAPAN SOUL最終戦にて、チェーン・デスマッチで対戦。飯塚の首をチェーンで締め上げ、K.O.勝ちを収めた[23]

8月、G1に出場する中で、古傷である首の状態が悪化してしまい、14日、脊椎管狭窄症および右肩亜脱臼により無期限の欠場を発表[24]。千葉県内の病院に入院し、9月24日に首の痛みの原因となる頸椎後縦靭帯骨化症の手術を受けた[25]。10月2日に退院しリハビリに努めていた[26][27]が、都内病院にてMRI検査を行った結果、右肩腱板断裂と診断され、右肩も改めて手術することになり再入院[28]。11月4日より再退院し、引き続きリハビリと治療に専念し始めた[29]

2010年11月18日、新木場1stRINGにて行われた若手選手中心の興行、NEVER.4を舞台に復帰戦を行い、アントーニオ本多と対戦。最後はアナコンダバイスで本多からギブアップ勝ちを収めた[30]。試合後のバックステージでは感極まって号泣。大会終了後に改めてコメントを発表し、今後は全日本を退団しフリーランスとして新日本に参戦している小島聡を標的に定めることを宣言した[31]。12月11日、NEW JAPAN ALIVE大阪大会にて、新日本に本格復帰を果たし外道とシングルマッチで対戦。アナコンダバイスで勝利を収めたが、試合後に飯塚からスリーパーホールドを極められてしまい、因縁が再燃した[32]

2011年[編集]

2011年1月4日、レッスルキングダムVにて、DEEP SLEEP TO LOSEルールで飯塚と対戦。試合終盤、レフェリーのブラインドを突いた飯塚の反則攻撃を実況席のゲスト解説を務めていた青義軍井上亘の咄嗟の加勢で逃れることに成功。最後はアナコンダクロスで飯塚を失神させ、勝利を収めた[33]

8月、2年ぶりにG1に出場[34]。最終戦を待たずに予選落ちが確定するも、14日の公式最終戦にて対戦した小島の決勝進出の阻ませ、さらに小島に右目眼窩底骨折の重傷を負わせて欠場へと追い込み、4勝5敗という戦績を残した[35]。9月19日、右目の負傷から回復した小島が新日本所属選手として復帰することがアナウンスされ、その復帰戦の相手として逆指名を受ける[36]。10月10日、DESTRUCTION'11にて、小島聡復帰戦と銘打たれた試合で小島と対戦するも、最後はラリアットでピンフォール負けを喫した[37]。以降も小島と抗争を繰り広げ、11月12日、POWER STRUGGLEにて、小島と三度シングルマッチで対戦。最後はムーンサルトプレスでピンフォール勝ちを収めた。試合終了後にまたしても飯塚による襲撃を受けたが、状況を見かねた小島が救出に入り飯塚を排除。その後、リング上で小島と言葉を交わしあい握手はしなかったものの、再結成への兆しを見せた[38]。19日、小島の試合終了後に起きたCHAOSによる小島への執拗な袋叩きに耐え切れず、救出に入る。返り討ちにした後、観衆からの「テンコジ」コールに圧される形で、小島と握手を交わした[39]。27日、飯塚による襲撃を受ける中、救出に入った小島と共に飯塚を撃退。その後、小島からテンコジの今後について問いかけられ、遂にテンコジ再結成の意思を表した[40]。12月4日、飯塚 & ヒデオ・サイトー組と対戦。テンコジカッターからアナコンダバイスを極めて、飯塚からギブアップを奪い、テンコジ復帰戦を勝利で飾ると、試合後のコメントでIWGPタッグ王座への挑戦をアピールした[41]

2012年[編集]

2012年1月4日、レッスルキングダムVIの舞台で、BAD INTENTIONSの保持するIWGPタッグ王座にテンコジとして挑戦。バーナードをムーンサルトプレスでピンフォール勝ちを収め、第58代王者組に戴冠[42]。2月12日、THE NEW BEGINNINGにて、BAD INTENTIONSとのリターンマッチを制して初防衛に成功[43]。3月18日、NEW JAPAN GLORYにて、鈴木軍高山善廣 & ランス・アーチャー組を相手に2度目の防衛に成功したが、試合終了後に矢野通 & 飯塚の襲撃に遭い、IWGPタッグ王座を強奪されてしまう[44]

5月3日、レスリングどんたく 2012にて、矢野 & 飯塚組を相手に3度目の防衛戦を行ったが、小島が矢野からピンフォール負けを喫して王座から陥落した[45]。6月16日、DOMINION 6.16にて、IWGPタッグ王座を保持する矢野 & 飯塚組と再戦。両者リングアウト裁定が下され[46]、IWGP実行委員会および菅林直樹による社長裁定により再試合が組まれるも、試合は大荒れの展開となり無効試合で終わった[47]。7月22日、KIZUNA ROAD最終戦にて、矢野 & 飯塚組と三度対戦。最後は小島が飯塚からピンフォール勝ちを収め、第60代王者組に返り咲いた[48]

10月8日、KING OF PRO-WRESTLINGにて、K.E.S.(ランス・アーチャー & デイビーボーイ・スミスJr.)を相手にIWGPタッグ王座の初防衛戦を行ったが、小島がスミスからピンフォール負けを喫し王座から陥落した[49]

2013年[編集]

2013年5月3日、レスリングどんたく 2013にて、IWGPタッグ王座を保持するK.E.S.、挑戦者組のマッスルオーケストラ中西学 & ストロングマン)、矢野 & 飯塚組を交えた4WAYマッチで対戦。最後は小島がストロングマンからピンフォール勝ちを収め、第62代王者組となった[50]

8月、G1に出場するも、7日の仙台大会にて対戦した内藤哲也戦で肋骨を骨折してしまい、以降の大会を欠場することとなった[51]

10月14日、KING OF PRO-WRESTLINGにて復帰戦を行い、渡辺高章とのタッグでK.E.S.と対戦したが敗戦。試合後にアーチャーからIWGPタッグ王座へ挑戦することをアピールされ、挑戦を受諾した[52]。11月9日、POWER STRUGGLEにて、IWGPタッグ王座 & NWA世界タッグチーム王座を賭けたダブルタイトルマッチで、K.E.S.、アイアンゴッズロブ・コンウェイ & ジャックス・ダン)と変則3WAYマッチで対戦。この試合でIWGP王座から陥落し、NWA王座も奪取とはならなかった[53]。同月23日、テンコジとしてWORLD TAG LEAGUEに出場。決勝トーナメントに進出し、12月8日の準決勝戦で、K.E.S.から勝利を収め[54]、決勝戦でBULLET CLUBカール・アンダーソン & ドク・ギャローズ)と対戦したが、アンダーソンからピンフォール負けを喫し準優勝で終わった[55]

2014年[編集]

2014年2月11日、THE NEW BEGINNING in OSAKAにて、NWA世界世界タッグ王座ナンバーワン・コンテンダーマッチと銘打たれた試合でテンコジとして出場し、ビッグダディ・ヤムヤム & マイケル・ターヴァー組と対戦。最後はターヴァーからアナコンダバイスでギブアップ勝ちを収め、挑戦権を獲得[56]。4月6日、INVASION ATTACK 2014にて、NWA世界タッグ王座を保持するアイアンゴッズと対戦。ダンからピンフォール勝ちを収め、同王座に戴冠した[57]

10月13日、KING OF PRO-WRESTLINGにて、NWAタッグ王座5度目の防衛戦としてK.E.S.と対戦したが、小島がアーチャーからピンフォール負けを喫し王座から陥落した[58]

2015年[編集]

2015年2月14日、THE NEW BEGINNING in SENDAIにて、NWA世界ヘビー級王座を保持するロブ・コンウェイに挑戦。最後はムーンサルトプレスでピンフォール勝ちを収め、同王座に戴冠した[59]

7月、NWA王者としてG1に出場。18日、明治記念館にて行われたG1直前記者会見の場で、自身に「もう終わってる」と発言した内藤哲也に対して怒りを露わにした[60]。G1では最終戦を待たずして予選落ちが確定するも、8月14日の公式最終戦で内藤からアナコンダマックスでギブアップ勝ちを収め、恨みを晴らした[61][62]

8月29日、ブランデッド・アウトロー・レスリングNWA Branded Outlaw Wrestling、略称 : NWA BOW)が主催する興行に参戦し、NWAヘビー級王座の防衛戦としてジャックス・ダンと対戦したが、ピンフォール負けを喫して王座から陥落した[63]

2016年[編集]

2016年2月11日、THE NEW BEGINNING in OSAKAにて、小島とのタッグで永田裕志 & 中西学組と対戦。小島が中西からピンフォール勝ちを収めた試合後、永田がマイクを手に取り、「俺たちの力はまだまだ衰えてない!!」とアピール。小島、永田、中西らと手を取り合って決起を表明[64]。同日、NEVER無差別級王座の防衛に成功した柴田勝頼から挑発されたことから、第三世代の一人として柴田との抗争に身を投じる[65]。4月10日、INVASION ATTACK 2016にて、柴田の保持するNEVER王座に挑戦したが敗戦した[66]

6月27日、KIZUNA ROAD 2016後楽園大会にて、G1出場メンバーに自身が選出されなかった不満をアピール[67]。以後のシリーズでもG1出場のアピールをし続け、7月3日岩手大会にて、小島から呼び込まれる形でリング上に登場。小島は天山のG1にかける想いを汲み取り、「G1の出場枠を譲る」と発言[68]。この発言に戸惑いながらも最後は受諾し、後日公式サイトにて、小島に変わってG1に出場することが決定した[69]。13日、G1に向けての公開練習後のインタビューにて、「最後の『G1』」と意気込み本戦へと臨んだ[70][71]が、最終的には2勝7敗という戦績で幕を閉じた[72]

得意技[編集]

必殺技(フィニッシュ・ムーブ)[編集]

TTD(テンザン・ツームストーン・ドライバー)
天山の代表的なフィニッシュ・ホールドの一つで、変形のツームストーン・パイルドライバーボディスラムの要領で上下逆さまに抱え上げた相手の首に手を回し、膝をつきながらマットに着地し相手を脳天からマットに叩きつける。綺麗に決まると相手は首から垂直に落ちるが、通常のボディスラムの様に背中から先に落下する場合もあり、決め方や角度にかなりの差異が見られる。
オリジナルTTD
ボディスラムの要領で上下逆さまに抱え上げた相手の首に手を回し、そのまま開脚ジャンプした自らの股の間に相手の脳天をマットに突き刺す。相手に怪我を負わせることが多かったため、前述の着座式に改良されて以降は、ビッグマッチといった舞台でごく稀に披露されることがある。因みに原型では、ボディスラムの要領では無く、ツームストーン・パイルドライバーの要領で相手を上下逆さまに抱え上げそのまま尻餅をつくようにして落とす。こちらも怪我人が続出したため現在では完全に封印している。
後藤洋央紀にアナコンダバイスを極める天山
アナコンダバイス
V1アームロック袈裟固めの複合技。仰向けとなった相手の左サイドに腰を下ろし、相手の首に自分の右腕を巻きつけ、巻きつけた右手で相手の右手首を掴み取り、自分の左腕を輪形になった相手の右腕に通して自分の右手首をクラッチし、そのまま自分の体を反るようにして相手の頸部を締め上げる。2003年のカルガリー遠征中、大剛鉄之助と協力して開発した技であり、この技で凱旋帰国して間もなく開催されたG1 CLIMAXを制覇したことから、天山の代名詞的な技として昇華された。技名の由来は、アナコンダのように複雑に腕に絡み付き、万力(バイス)のように締め上げることからとっており、自身が師と仰ぐ大剛によって命名された。
ジェイ・ホワイトにアナコンダマックスを極める天山
アナコンダマックス
2014年7月21日のG1 CLIMAX公式戦、カール・アンダーソン戦で初披露[73]コブラクラッチに捉えた相手を仰向けになるように倒し込み、相手の左サイドに移行し、両足を前方へと放り出しながら体重を後ろにかけて頸部を圧迫させる。
ムーンサルトプレス
海外修行時に習得して以降、使用しているフィニッシュ・ホールドのひとつ。
1996年に武藤と負けた方が「ムーンサルト封印」という名目で対戦し敗北するも、一年程で再び使用し始め、「これはムーンサルトプレスではない、天山プレスだ」とコメントした。2002年9月6日、石川県産業展示館3号館大会の西村修戦で繰り出した際には、回転に失敗して頭からマットに落下し意識不明に陥ったが、一週間足らずで復帰を果たして再び試合で同技を繰り出すという自身のタフさを印象づけるエピソードとなった。膝に負担が掛かることから使用頻度が減っていき、事実上封印状態となっていたが、自身のデビュー20周年記念興行にて数年ぶりに披露。再度フィニッシャーとして使用され始めている。

打撃技[編集]

モンゴリアン・チョップ
独特の呼吸で放ち、使う際会場内から「シュー」の唱和が飛び交うのがお馴染みとなっている。初期は両手を大きく振り上げ相手の両肩に打ち降ろした後、自らの両腕を一回転させる独特のモーションが印象的であったが、後に改良され、自身の胸の前で両腕を一旦交差させて、バッテンを描くように斜めに振り下ろすようになった。現在は初期のようなフォームに戻り、自らの両腕を一回転させるモーションは見られなくなった。呼吸とモーションのみ見せ、チョップではなく相手の腹部にヘッドバットを見舞うフェイント技なども稀に見せる。
天山チョップ
仰向けに倒れた相手の頭側で見得を切り、相手の喉元に手刀を振り下ろす技。こちらも打ち降ろした後に自らの腕を一回転させる独特のモーションが印象的であった。
アナコンダ・フック
向かい合う相手の首元に放つ右フック。ルール上反則行為であるため決め手になることはない。
フライング・ニール・キック
主にロープへ振った相手に対して放つ、カウンター式を使う。
ヘッドバット
天山が使用する打撃技の中でも多用される技のひとつ。若手時代に橋本真也に促される形で額に爪楊枝を突き刺す芸も披露したことがある。
ヘッドドロップ
助走を付けながら放っていく型を使用。主に小島聡スリングショット・エルボー・ドロップを同時に決めるツープラトン技で見られる。

投げ技[編集]

アナコンダ・スラム
アナコンダ・バイスの派生技のひとつ。向かい合う相手をロック・ボトムの要領で組み付き、持ち上げたのと同時に自分の体を前方へと放り出して、尻餅をつきながら着地して相手を背中からマットに叩きつける。
アナコンダ・バスター
アナコンダ・バイスの派生技のひとつ。同技で極められた相手が抵抗して立ち上がろうとした際、腕を極めた状態の相手の身体を持ち上げて、自らは尻餅をつきながら倒れ込み、相手を後頭部から背中にかけてマットに叩きつける。ダウンを奪った直後に再びアナコンダ・バイスの体勢に入れる利点がある。
マウンテン・ボム
主にロープから戻ってきた相手に対するカウンター式を使用しており、相手を担ぎ上げてそのまま自身の上半身を預ける状態で後方へ倒れ込みながら相手をマットに叩きつける。近年では倒れる際に、相手を自分より更に後方へ投げ落とす(=自身の体重が相手へ乗っていない)、通常のバックフリップと大差のない投げ方へと変化している。大一番では雪崩式を披露することもある。
大剛式バックドロップ(アナコンダ・スープレックス)
相手の片足をクラッチしながら抱え上げ、急角度に落としていく変形のバックドロップ。2003年のカルガリー遠征時において、アナコンダバイスと共に習得した技のひとつ。
ボディスラム
ムーンサルトプレスの繋ぎ技として使用している。天山の場合通常式に加え、相手を横向きに抱えて落とす変形式を使用している。
シュミット式バックブリーカー
上記ボディスラム同様、ムーンサルトプレスの繋ぎ技として使用していたが、ボディスラムやTTDを繋ぎとされてから次第に使用されなくなった。

関節技[編集]

アナコンダクロス
アナコンダバイスの進化版。相手の左腕を首に巻きつけるように交差させながら極める変型のアナコンダバイス。主にアナコンダバイスでタップを奪えなかった相手に対して極める奥の手とも言える位置づけの技であるが、上記アナコンダマックス習得してからは使用していない。
アナコンダX
2011年8月7日のG1 CLIMAX公式戦、井上亘戦で初披露[74]。尻餅をついた相手の背後から右手で相手の左手首を掴み取り、相手の左腕をくの字に折り曲げながら頭上で固めて、空いていた自分の左腕を相手の首に巻きつけながら自分の右手にクラッチして締め上げ、自分の身体を右方向に捻って仰向けとなった相手の右サイドに移行し、両足を前方へと放り出しながら体重を後ろにかけて頸部を圧迫させる。アナコンダシリーズの中では一番使用頻度が低く、この一試合の披露のみで終わっている。
バッファロー・スリーパー
変型の片羽絞め。尻餅をついた状態の相手の背後から右腕を首に巻きつき、左脇で相手の左前腕部を抱え込みながら自分の両手をクラッチして締め上げる。
結婚以前、喧嘩で妻にスリーパーホールドを掛けられた際、髪を掴もうと手を差し出したとき、その腕ごと妻に固められてしまったのが開発のキッカケとなっている[75]
2000年代におけるフィニッシャーの一つとして使用されていたが、最近では全く見られなくなった。
変型バッファロー・スリーパー
上記バッファロー・スリーパーの改良版。尻餅をついた相手の背後から左手首を右手で掴み取り、相手の左腕をくの字に折り曲げながら相手の頭上に持っていき、空いた自らの左腕を相手の首に巻きつけながら締め上げる。こちらも現在では見られなくなった。
猛牛足卍固め(レッグオクトパス / バッファロークラッチ)
変形の足4の字固め。仰向けに倒れた相手の右サイドを陣取り、相手の腿の間に自らの左足を置きながら相手の両足を足4の字固めの要領で極めながらマットに倒れ込み、最後に身体を横方向に回転しながら相手の右足をアキレス腱固めで極める。
マウンテン・クロス
相手の足を交差させてから抱え込んで極める逆エビ固め
抱え込み式逆エビ固め
ヤングライオン時代の得意技。仰向けとなった相手の両腿を抱え込み、相手の身体を跨ぐようにステップオーバーしながら極める。

飛び技[編集]

ダイビング・ヘッドバット
凱旋帰国後に使用したフィニッシャー。それぞれトップロープとセカンドロープに両足を置き、観衆に見得を切ってから放たれるムーブが特徴であり、現在は繋ぎ技として使用している。1997年の橋本との試合で同技を仕掛けようと飛び上がったところ、リングシューズがロープに絡まり宙吊り状態となるハプニングが発生し、試合が一時中断してしまう事態に見舞われたことがある。
カーフ・ブランディング
トップコーナーに登りコーナーにもたれ掛かっている状態の相手の頭部を両手で掴み、片膝を相手の首元に押し当てながら飛び上がって、相手を顔面からマットに叩き付ける。
ムーンサルトアタック
リング内や場外にいる相手に対して放つ事がある。

合体技[編集]

蝶野正洋
CTC (Chono Tenzan Crush)
蝶野のシャイニングケンカキックと天山のラリアットで相手を挟み撃ちにする技。
蝶天魚雷
2人で行うダイビングショルダータックル。
中邑真輔
天中殺
天山がマウンテンボムの要領で抱え上げ、中邑がコーナーから飛びつき式DDT(ディープインパクト)の形でマットへ突き刺す。

入場テーマ曲[編集]

獲得タイトル[編集]

NWA世界タッグ王座を掲げる天山(左)と小島聡(右)
NWA世界ヘビー級王座を肩に掲げる天山
新日本プロレス
最多戴冠記録を保持。特に蝶野や小島とは名タッグとして知られている。
  • G1 CLIMAX優勝 : 3回(2003年、2004年、2006年)
  • SG TAG LEAGUE優勝 : 1回(1995年, w / 蝶野正洋)
  • G1 TAG LEAGUE優勝 : 3回(2001年, 2008年, w / 小島聡、2003年, w / 西村修)
全日本プロレス
NWA
キャッチ・レスリング・アソシエーション
  • CWA世界ジュニアヘビー級王座 : 2回
プロレス大賞
  • 最優秀タッグ賞(1995年, w / 蝶野正洋)
  • 最優秀タッグ賞(1996年, w / 蝶野正洋 & ヒロ斎藤
  • 最優秀タッグ賞(2004年, w / 小島聡)
  • 敢闘賞(2004年)

人物[編集]

キャラクターの強さはもとより、下記の趣味からテレビ出演も多い。

パチンコ[編集]

天山はパチンコ好きでも有名で、その面でのメディア露出も多い。土山しげる作のパチンコ漫画「パチンコファイター猛牛天山!!」で原作を担当していた(2002年に単行本化)。スポーツ報知でも2011年9月までパチンコのコラム『天山の激録!!玉取ったる』を月1回連載していた(ただし、怪我の治療のため、2009年10月から2010年3月にかけては4代目タイガーマスクが代わりに担当していた)。テレビでも『銀玉王 リーチボーイズが行く!』(テレビ神奈川テレビ埼玉千葉テレビ)に準レギュラー出演していたほか、ゲストとしてパチンコ・パチスロ番組へ出演することも多い。

2010年に発売されたパチンコ機『CR江戸の始末屋〜最強新日烈伝』(平和)では、蝶野・棚橋・中西学と共に「始末屋」の一人として液晶演出に登場している。

新日本プロレスのマットにパチンコメーカーの広告が出されているため、一時は自分の試合中にそれが目に入り思わずパチンコのことを考えてしまうほどだった(『銀玉王』出演時の発言より)。2010年の復帰後はプライベートでのパチンコを「家庭の事情」で禁止されているほか、2012年1月には年始の抱負として「パチンコ引退」を表明するなど、一時パチンコから距離を置いていた[76]。しかし2014年にパチンコ漫画誌へのコメントとして「これからもパチンコを打ち続けるぞぉー!!」とパチンコ復活宣言をするなど、引き続きパチンコと関わっている[77]

妖怪ウォッチ[編集]

2014年にはフジテレビアウト×デラックス」に「妖怪メダルに翻弄される男」として出演。妖怪ウォッチ愛好者として「おはスタ[78]や「アニマゲー」など関連テーマの番組に相次いで出演した。

脚注[編集]

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  1. ^ a b 『週刊プロレス』2015年12月7日号増刊、プロレスラー写真名鑑号 2016、頁4。
  2. ^ 東京スポーツ 2005/2/21号より。
  3. ^ 「俺を中心に新日本を回して行く!」天山広吉、ついに新軍団結成!”. 新日本プロレス公式サイト. 2006年10月2日閲覧。
  4. ^ 天山軍団の名称が“GBH(ジービーエイチ)”に決定!”. 新日本プロレス公式サイト. 2006年10月15日閲覧。
  5. ^ 東京スポーツ 2007/7/17号より。
  6. ^ 第6試合|08/12(日) 15:00 東京・両国国技館|新日本プロレス創立35周年記念 G1 CLIMAX 2007 ~Winner Take All~”. 新日本プロレス公式サイト. 2007年8月12日閲覧。
  7. ^ 第6試合|10/08(月) 17:00 東京・両国国技館|EXPLOSION '07”. 新日本プロレス公式サイト. 2007年10月8日閲覧。
  8. ^ 天山広吉選手欠場のお知らせ”. 新日本プロレス公式サイト. 2007年10月9日閲覧。
  9. ^ 第3試合|02/17(日) 17:00 東京・両国国技館 Circuit2008 NEW JAPAN ISM in 両国|Circuit2008 NEW JAPAN ISM”. 新日本プロレス公式サイト. 2008年2月17日閲覧。
  10. ^ 第6試合|03/09(日) 18:00 愛知・愛知県体育館|Circuit2008 NEW JAPAN CUP ~Who is the highest~”. 新日本プロレス公式サイト. 2008年3月9日閲覧。
  11. ^ 第5試合|03/15(土) 18:00 兵庫・豊岡市民体育館|Circuit2008 NEW JAPAN CUP ~Who is the highest~”. 新日本プロレス公式サイト. 2008年3月15日閲覧。
  12. ^ 第6試合|03/21(金) 19:00 千葉・千葉ポートアリーナ CRASH II~NEW JAPAN CUP 2008~|Circuit2008 NEW JAPAN CUP ~Who is the highest~”. 新日本プロレス公式サイト. 2008年3月21日閲覧。
  13. ^ 第6試合|03/30(日) 18:30 東京・後楽園ホール NEW DIMENSION|NEW DIMENSION”. 新日本プロレス公式サイト. 2008年3月30日閲覧。
  14. ^ 第7試合|04/27(日) 16:00 大阪・大阪府立体育会館|Circuit2008 NEW JAPAN BRAVE”. 新日本プロレス公式サイト. 2008年4月27日閲覧。
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  74. ^ 第3試合|08/07(日) 18:00 大阪・大阪府立体育会館|ブシロード PRESENTS G1 CLIMAX XXI ~THE INVINCIBLE FIGHTER~”. 新日本プロレス公式サイト. 2011年8月7日閲覧。
  75. ^ 行列のできる法律相談所 2009年4月26日放送分より。
  76. ^ 衝撃! 天山広吉パチンコ引退宣言! - 多重ロマンチック・2012年1月7日
  77. ^ 天山広吉、パチンコ復活 雨にも風にも嫁にも負けず - 多重ロマンチック・2014年5月8日
  78. ^ 猛牛!天山広吉大暴れ!!だけど家に帰ったら・・・”. おはスタ (2015年10月16日). 2016年1月5日閲覧。

関連項目[編集]

外部リンク[編集]