ブロック・レスナー

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ブロック・レスナー
Brock Lesnar
Brock Lesnar in March 2015.jpg
基本情報
本名 ブロック・エドワード・レスナー
(Brock Edward Lesnar)
通称 The Next Big Thing(次代の大物)
The Beast(野獣)
世界標準
The Monster(モンスター)
The Beast Incarnate (野獣の化身)
The Conqueror (支配者)
suplex city (スープレックスシティ)
国籍 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
カナダの旗 カナダ
生年月日 1977年7月12日(39歳)
出身地 サウスダコタ州の旗 サウスダコタ州ウェブスター
所属 WWE
身長 191cm
体重 130kg
リーチ 206cm
階級 ヘビー級
バックボーン レスリング
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ブロック・レスナーBrock Lesnar1977年7月12日 - )は、アメリカ合衆国男性プロレスラー総合格闘家サウスダコタ州ウェブスター出身。カナダサスカチュワン州在住。WWE所属。元UFC世界ヘビー級王者。

プロレスデビューから5か月でWWE王座を獲得して当時の史上最年少記録を作り、バス・ルッテンのジムで2年間に渡る集中的なMMAトレーニングをし、それを活かしてキャリア4戦でUFC世界ヘビー級王座を獲得した。

WWE時代の異名は「The Beast Incarnate(猛獣の生まれ代わりor野獣の化身)」「The Beast(ザ・ビースト、野獣)」「The Conqueror(征服者、支配者)」「The Next Big Thing(次代の大物)」「The Pain(苦痛を呼ぶ男)」「The Monster(モンスター)」、新日本プロレスでは「世界標準」と呼ばれた。

来歴[編集]

アマチュア時代[編集]

5歳からレスリングを始め、ビスマルク短大ではNJCAA王座を獲得するも、レスリング部が廃部してしまったためミネソタ大学に編入し、そこでNCAAディビジョン1のフリースタイルレスリング選手権やビッグ・テン・カンファレンスで優勝した。

WWE[編集]

WWEのスカウトによりブラッド・レイガンズの道場で指導を受ける。この時のコーチはカート・ヘニングである。その後WWEの下部団体OVWに1年半在籍し、ミネソタ大学の先輩だったシェルトン・ベンジャミンと共に、ミネソタ・レッキング・クルーにあやかったミネソタ・ストレッチング・クルーなるタッグチームを結成し、タッグ王座を獲得して活躍した。

2002年にWWEに昇格するとポール・ヘイマンマネージャーにし、デビュー戦でジェフ・ハーディーに勝利。同年6月のKing of the ringでババ・レイ・ダッドリーブッカー・Tテストロブ・ヴァン・ダムを破り優勝。さらにハルク・ホーガンに勝利してWWE統一王座挑戦権を獲得。同年8月のサマースラムザ・ロックを破りWWE統一王座を獲得して、最高位王座の戴冠としては当時の史上最年少記録を作るなどプロレスデビューから5か月で頂点に立った。王座獲得後はスマックダウン専属となる。秋にはストーン・コールド・スティーブ・オースチンとの抗争でレスナーが勝利するブックが組まれていたが、これをオースチンが拒否してボイコットしたため、代わりにオースチンと同格のスーパースターであるジ・アンダーテイカーと抗争が組まれ、妊娠中のテイカーの妻を脅迫したり、ヘイマンの協力で試合前にテイカーの右手を骨折に追い込むなどして勝利。とどまることを知らない勢いでヒールでありながらファンからの人気を勝ち取り、徐々にベビーフェイス化しつつあったが、11月のサバイバー・シリーズでヘイマンが裏切り、ビッグ・ショーに敗れ王座転落。これをきっかけに完全にベビーターンする。

2003年ロイヤルランブルでビッグ・ショーとシングル戦で対戦して勝利した後、さらに同日のロイヤルランブル戦にも出場する強行日程ながら優勝を果たすと、レッスルマニア19のメインイベントでカート・アングルとWWE王座を賭けて対戦、試合終盤にシューティング・スター・プレスを仕掛けるも首から落ちる誤爆で意識も朦朧とするなか勝利して王座奪還。その後ビッグ・ショーと担架戦などで抗争後、6月のヴェンジェンスでカート、ビッグ・ショーとの三つ巴戦で敗れ王座転落。その後、悪のオーナービンス・マクマホンに「いつまで善人ぶっているつもりだ?お前の心の中にいる野獣の目を覚ませ!」と張り手をくらったのをきっかけにビンスと結託してヒール・ターン。義足のスーパースターザック・ゴーウェンを痛めつけて階段から落とすなどビンスですら怖気付くほど非道の限りを尽くし、サマースラムで再びカートと対戦するもアンクル・ロックタップアウト負け。

その後、登場するたびに観客から「You Tapped Out!(お前はタップ負けした)」と、タップしたことを馬鹿にされるようになる。9月18日のSmackDown!にてカートの持つWWE王座に60分間アイアンマン・マッチで挑戦し、1ポイントリードした状態で迎えた試合終了直前にアンクルロックを極められるも時間切れまでタップせずに耐え切って勝利し、王座を奪回。その後はビンスを中心に、SmackDown!にGMとして復帰してきたヘイマンらとも結託し、援護を受けて王座防衛を重ねた。

2004年ノー・ウェイ・アウト2004でエディ・ゲレロにフォール負けして遂に王座から転落。

レスナーは以前からアメリカンフットボールの最高峰であるNFLに挑戦したいという意思を持っており、2004年3月には本格的にNFLに挑戦するためレッスルマニア20でのビル・ゴールドバーグ戦を最後に退団。なお、この時点で対戦する両者ともWWEを退団するということがあらかじめ分かっていたために、両者に対するファンからの批判が相次ぎ、WWE副社長のジム・ロスがこの件に対しての声明を出した。また試合においてもファンから多くのブーイングを浴び、特別レフェリーを務めたストーン・コールド・スティーブ・オースチンがレスナーに対して試合後スタナーを繰り出してファンの気持ちの沈静化を行った。

その後NFLのトライアウトを経て一度はミネソタ・バイキングスに入団するものの、開幕ロースター入りはならず同年8月にチームを解雇された。以後は無所属状態となり、プロレスへの復帰話が出てくる。またハルク・ホーガンが雑誌のインタビューで「プロレスに復帰すべきだ」と語るなど、多くのレスラーも復帰を呼びかけていた。

新日本プロレス[編集]

2005年1月には来日して新日本プロレス東京ドーム興行を観戦に訪れ、新日参戦を噂された。なお、当時プライベートではWWEのディーヴァだったセイブルと婚約しており、同興行にセイブルを伴っている。同年10月の新日本プロレスの東京ドーム興行にて新日マットに正式参戦し、いきなり挑戦者としてIWGPヘビー級王座選手権としては初の3WAY決戦(藤田和之蝶野正洋)に臨み、王座を獲得した。12月10日に中西学、翌11日永田裕志とシングルで対戦し勝利を収めた。

2006年1月4日の東京ドームにおいて前王者の藤田和之との初防衛戦が決定していたが、藤田の参戦拒否により対戦相手が中邑真輔に変更となった。3月19日にはと対戦した。

2006年4月29日、K-1 WORLD GP 2006 in LAS VEGASにおいて、総合格闘技大会HERO'Sへの参戦を表明した[1]。試合後のインタビューではボブ・サップホイス・グレイシーとの対戦を希望していた。

7月17日、札幌でIWGPの防衛戦を行なう予定であったにもかかわらず契約上のトラブルを理由にキャンセル。新日本プロレスは15日、レスナーのIWGPヘビー級王座を剥奪した。ベルト(3代目)は返却することなく以後も所有し続けていたが、2007年6月29日のIGF旗揚げ戦でWWE以来となるカート・アングルとの対戦に敗れたことにより、ベルトをアングルに明け渡した。

総合格闘技[編集]

デビューからUFCとの契約[編集]

2007年6月2日、「Dynamite!! USA」において総合格闘技デビュー。キム・ミンスに1R1分9秒、マウントパンチによるタップアウトで総合格闘技での初勝利を収めた。

2007年8月25日、UFC 74の会場に姿を現わし、UFC世界ヘビー級王座を防衛したランディ・クートゥアを試合後に祝福した。また、10月20日にはUFC 77にも来場し、UFCと正式に契約したことを明かした[2]

2008年2月2日、スーパーボウルの開催される週に合わせたUFC 81でのUFCデビュー戦においてフランク・ミアと対戦。ミアをテイクダウンパウンドで攻めたが、ミアに下から右脚を取られ膝十字固めで一本負け。8月10日のUFC 87ではヒース・ヒーリングと対戦し、3-0の判定勝ち[3]

UFC世界ヘビー級王座戴冠と陥落[編集]

2008年11月15日、UFC 91で15か月ぶりに復帰してきた王者ランディ・クートゥアと対戦。パウンドによるTKO勝ちで、キャリア4戦目にしてUFC世界ヘビー級王座を獲得した[4]

2009年7月11日、UFC 100で行なわれたUFC世界ヘビー級王座統一戦で、前回UFC 81でレスナーを破った暫定王者フランク・ミアと再戦。2ラウンドにパウンドによるTKO勝ちで雪辱しヘビー級王座の統一を果たすとともに初防衛に成功した[5]。ミアの地元ラスベガスでの勝利に観客からはブーイングが起き、試合直後のインタビューでは「バドワイザー(UFCの公式スポンサーのビール会社)は何もくれなかったから、家に帰ってクアーズ・ライト(バドワイザーのライバル会社のビール)を飲むよ」と発言[6]、その後の記者会見ではこの発言を謝罪したが、物議を醸すこととなった。

2009年11月21日のUFC 106での防衛戦でシェイン・カーウィンと対戦予定であったが、自身の体調不良を理由に2010年1月2日のUFC 108に延期されるも、最終的には大腸憩室炎のため欠場[7]。医師から現役復帰は困難とも告げられたが、闘病の末に復活を果たした[8]

2010年7月3日、UFC 116にて1年ぶりの復帰戦で暫定王者シェイン・カーウィンと対戦。開始早々からカーウィンのパンチを浴び続けてKO負け寸前に追い詰められるも、2ラウンドに肩固めで一本勝ちを収め、王座統一を果たすとともに2度目の防衛に成功した[9]。また、この試合で自身初となる大会のサブミッション・オブ・ザ・ナイトを獲得した[10]

2010年10月23日、UFC 121の王座防衛戦でケイン・ヴェラスケスと対戦し、1Rに右フックでダウンさせられてパウンドでTKO負けし、王座から陥落した[11]

その後、ジュニオール・ドス・サントスと共にThe Ultimate Fighter 13でコーチを務め、両者の対決も予定されていたが、持病の大腸憩室炎が再発。2011年5月27日に大腸を30cm切除する大手術を受けた[12]

2011年12月30日、UFC 141で自ら指名したアリスター・オーフレイムと対戦。左ミドルキックを脇腹に受けてダウンしパウンドで1RTKO負けを喫し、試合後のリング上で引退を宣言した[13]。闘病中に家族と「復帰後は長くてもあと2試合、アリスターに負けた場合はその時点で引退する」と約束していたことを明かし、勝者のアリスターへ「最後に君と戦えて本当によかった」と賛辞の言葉を送った。

WWE復帰[編集]

2012年4月2日、RAWにて電撃的に復帰。ジョン・シナにF5を決め対戦をアピール。以降は大舞台のみのスポット参戦となる。またジョン・ロウリネイティスGMと友好的関係を構築し、4月23日ののRAWではロウリネイティスGMに対して自身とWWEとの契約について「ギャラをもっと上げろ。俺がいつWWEに出演するかの権限を全て俺によこせ。ビンス・マクマホンのプライベート・ジェット機をタダで自由に使わせろ。RAWの番組名を『ブロック・レスナー主演・月曜夜のRAW』と俺の冠番組に変更しろ」と無茶苦茶な要求をして契約の見直しをさせた上でPPVエクストリーム・ルールズでのシナ戦を決定させた。シナ戦では序盤からシナを圧倒して余裕の展開だったが、F5でシナを沈めるもレフェリーもダウンしていてカウントされず、その後に油断した隙を突かれて敗退。翌日4月30日のRAWにてWWEのCOOであるトリプルHがロウリネイティスGMとレスナーの間に交わされた様々な決定は無効だと主張したことで逆ギレしてトリプルHを襲撃してキムラロックでトリプルHの腕を骨折させた事で抗争開始。その後レスナーは番組には出演せず、ポール・ヘイマンが再びレスナーの代理人として登場し、トリプルHに訴訟を起こすと宣言した。また、ヘイマンが代理人として登場するようになって以降、レスナーは滅多にマイクパフォーマンスをしなくなり、ヘイマンが長々と演説するだけでレスナーは一言も喋らず、試合もしないまま去っていく事が出演時の大半を占めるようになる。トリプルHからリング上で対戦して全ての決着を着ける事を提案されるも拒否していたが、7月23日のRAW1000回記念放送にてトリプルHの妻でWWEの重役ステファニー・マクマホンからの挑発にキレたヘイマンが対戦を受諾。8月13日のRAWではトリプルHの親友ショーン・マイケルズを襲撃してキムラロックで骨折させた。サマースラムででは試合当日にトリプルHの意向で反則裁定無しの試合に急遽変更となるが再びキムラロックで骨折させて勝利した。

2013年2月のRAWにて、シールドにCMパンクの援護をさせていた事が発覚したヘイマンを解雇しようとしたWWE会長ビンス・マクマホンの前に現れてF5を見舞った事でビンスの義理の息子でもあるトリプルHとの抗争が再燃。4月7日、レッスルマニア29にて、トリプルHとのノー・ホールズ・バード・マッチ[14]に敗れるが、エクストリーム・ルールズにおけるケージマッチにおいてのリマッチは勝利して抗争に決着を着けた。6月17日、RAWにてCMパンクの試合後に登場。同じくポール・ヘイマンをマネージャーとし、当日ヘイマンと衝突したパンクに、無言でF5を浴びせた。その後、パンクとヘイマン一派は抗争に入り8月18日のサマースラムにおいて、パンクと対決し快勝。12月30日、RAWでヘイマンと共に登場。WWE・世界ヘビー級王座への挑戦を表明。さらにマーク・ヘンリーを痛め付けたが、ビッグ・ショーが救出に現れ、抗争に発展。2014年1月26日、ロイヤルランブル2014にてショーと対戦。ショーをイスで乱打するなど非情な手段を用い勝利。

2014年2月24日、RAWにてオーソリティーレッスルマニアXXXでのWWE世界ヘビー級王座挑戦を要求するも拒否され、代わりに史上初めてレッスルマニアでの対戦相手を自由に選択できる権利を与えられるが、「WWE・世界ヘビー級王座に挑戦できないのであれば意味がない。レスナーに相応しい歴史的な試合を組めないのであればWWEを退団する!」と宣言して出ていこうとしたところで場内が暗転、鐘の音と共にジ・アンダーテイカーが登場。テイカーのレッスルマニア無敗記録ストップへの挑戦であればWWE・世界ヘビー級王座戦以上の価値があると納得したレスナーとヘイマンは傲慢な態度でテイカーに対戦契約書にサインするよう迫るが、テイカーにペンで手を刺され、チョークスラムで机に撃沈させられた。4月6日、レッスルマニアXXXでにて、ジ・アンダーテイカーと対決。激闘の末に3度目のF5でピンフォールを奪いアンダーテイカーのレッスルマニア無敗記録を21でストップさせた。無敵の強さを誇ったテイカーのレッスルマニア連勝記録を止めて以降、レスナーはシングル戦ではたとえ対戦相手がWWE王者や伝説のレスラーが相手であってもジョバー同然に一方的にボコボコにして自分はほとんどダメージを受けない圧倒的な強さを誇るギミックが加わる。7月、ヘイマンとトリプルHの会談において「新しいプラン」について話し合いが行われ、PPVサマースラムにてシナの持つWWE世界ヘビー級王座への挑戦が決定。8月17日、サマースラムにてシナのAAを浴びてもカウント1で楽々と返す桁外れの強さで16度の投げっぱなしジャーマン・スープレックス、2度のF5でシナをジョバー同然に圧倒し、WWE・世界ヘビー級王座を奪取した。9月21日、Night of Champions 2014でシナとの防衛戦でも序盤から圧倒していたが油断した隙を突かれて苦戦し、4発目のAAを浴びてフォールされたところでセス・ロリンズが乱入してシナを襲撃した事で反則裁定で王座防衛。試合後ロリンズにカーブ・ストンプを浴びせられ、マネー・イン・ザ・バンク(いつでも好きな王座に挑戦できる権利)を行使されかけ危機に陥るも不本意な反則勝ちを拾って怒ったシナがロリンズのマネー権利行使を妨害した事で結果的に助けられ王座を保持。シナがロリンズを追い払った直後シナにF5を浴びせた。

2015年1月、ロイヤルランブルでの防衛戦はシナとロリンズを迎えたトリプルスレッド戦となったが、激闘の末にロリンズからフォールを奪い王座防衛。2月のRAWにてビンス・マクマホンと口論した末に、テレビ収録の予定もあった大会会場から勝手に出て行ってしまうという事件を起こす。3月でレスナーのWWEとの契約が満了すると報じられるなか2月28日、UFC 184: Rousey vs. Zinganoにレスナーが来場したことでUFC復帰の噂に拍車がかかる。しかし、3月24日にESPNの「SportsCenter」に出演したレスナーは「自分の心の中のファイターは、まだ戦い続けることを求めている。ただ、オレはファイターであると同時に、父親でもあり、夫でもある。この歳になると、もう自分一人のことではないんだ。プライドは脇に置いておかないといけない。ここではっきり言っておこう。オクタゴンでの自分の物語は終わった。しかし、プロレスでの物語はこれからも続く」とコメントし、WWEと契約を更新したことを発表した。3月29日、WrestleMania 31にてロマン・レインズを挑戦者に迎えた防衛戦を戦い、スープレックスを連発してレインズを一方的にボコボコにして圧倒していたが、終盤に油断したところで徐々にレインズの反撃を許し始める。それでも4発目のF5を放って勝利寸前だったが、セス・ロリンズが登場しマネー権を行使したため急遽試合がトリプルスレット戦に変更され、ロリンズがレインズからフォールを奪い勝利したため、レスナーは試合に敗れずしてWWE世界王座を失うこととなった[15]。翌日30日、RAWで王座戦を要求したが、時差ボケを理由に拒否され、ロリンズを襲撃しようとしたが逃げられたために、ロリンズの護衛のJ&Jセキュリティを粉砕した後、八つ当たりで実況席をひっくり返しJBLブッカー・Tを負傷させただけでなく、カメラマンとマイケル・コールにF5を決めて重傷を負わせたため、ステファニー・マクマホンから無期限謹慎を言い渡された。6月15日、RAWにてトリプルHが「オーソリティーの援護がなくても俺は最強だ」と調子に乗っていたセス・ロリンズに与える次の試練として復帰。ロリンズとリング上で対面し、怖気づかせリングからたたき出した。ヒールであるロリンズと抗争する事によってベビーフェイス的な扱いもされるようになり、以降はベビーでもヒールでもなく、自分のためだけに戦うポジションを確立する。7月4日、WWE両国国技館大会において8年ぶりの来日(ハウスショーへの出場は11年ぶり)。コフィ・キングストンと対戦して圧勝、試合後に乱入してきた他のニュー・デイのメンバーもF5で蹴散らした。その後RAWでもロリンズの護衛であるJ&Jセキュリティとケインを叩き潰してオーソリティーのユニットを実質崩壊に追い込んだ。

7月19日、バトルグラウンド2015にてロリンズの持つWWE世界王座に挑戦、やはりロリンズをジョバー扱いして圧倒し、F5を浴びせて勝利寸前だったが鐘の音と共に場内が暗転するとジ・アンダーテイカーが登場し、チョーク・スラムとツームストン・パイルドライバー2発を浴びせられて撃沈した。8月23日、Summer Slam 2015にてアンダーテイカーと対戦、他のシングル戦の相手と違い、テイカーをジョバー扱いすることは出来ずに激闘となるが、終盤にテイカーにキムラロックを極めたままテイカーにフォールされ、カウント2で肩を上げると同時にテイカーがタップアウトしたため、タイムキーパーがレスナーの勝利と見て試合終了のゴングを鳴らしたが、タップしたテイカーの手はフォールされたレスナーの肩を確認していたレフェリーからは死角となっていたため、レフェリーは試合続行を宣言。レフェリーがタイムキーパーに勝手にゴングを鳴らすなと注意している最中にテイカーがレスナーにローブローを浴びせ、そのままヘルズ・ゲートを極め、レスナーはテイカーに向かって中指を立てるファックサインで怒りを露わにしながらも失神して敗北した。10月25日、Hell in a Cell 2015にてヘル・イン・ア・セル・マッチでテイカーと決着戦を行う。中盤には両者とも出血してレスナーがリングマットを破いて中身が剥き出しになった状態で投げようとするが切り返されてチョークスラムとツームストーン・パイルドライバーを浴びて辛うじてカウント2で返すが敗北寸前になったところで、今度はレスナーがロー・ブローを放ち、最後は3度目のF5を浴びせて勝利して決着を着けた。

2016年1月24日、Royal Rumble 2016のロイヤルランブルマッチ形式であるWWE世界ヘビー級王座戦にて23番手で登場。リングに入って早々占拠していたワイアット・ファミリーのメンバーをスープレックス技で蹴散らすとエリック・ローワンラリアットでリングから追い出し、続いて24番手で登場したジャック・スワガーへF5を決めてリング外へと投げ捨てる。ルーク・ハーパーブラウン・ストローマンと続けて脱落させワイアット・ファミリーを一蹴するが27番手にブレイ・ワイアットが登場すると脱落させたはずのワイアット・ファミリーのメンバーが再びリングへ上がり4人がかりで襲撃されるローワン、ハーパー、ストローマンから抱えられてリング外へと落とされ脱落となった[16]。2月21日、ファストレーン2016にてWWE世界ヘビー級王座への挑戦権を懸けてロマン・レインズディーン・アンブローズとの三つ巴戦を戦うが、元シールドの親友であるレインズとアンブローズが共闘したことで実況席へのダブル・パワーボムを2度も浴びて撃沈させられるなど1対2のハンデ戦に近い展開となり、アンブローズにスティールチェアーで殴打されてリングから落とされた直後にレインズがアンブローズをフォールしたため、レスナーは敗れずして挑戦権を逃した。翌日のRAWでアンブローズを襲撃して抗争開始。4月3日、Wrestle Mania 32にてディーン・アンブローズとノー・ホールズ・バードマッチで対戦。竹刀、消化器、スティールチェアーを用いて抵抗するアンブローズに対して、竹刀の目の前でへし折るなど武器に頼らず真っ向勝負し、最後に有刺鉄線バットで攻撃を仕掛けてきたところを避けてジャーマン・スープレックスで投げ捨てるとスティールチェアー上にF5を決めて勝利した[17]

UFC 200参戦・1試合限定の総合格闘技復帰[編集]

6月4日、UFC 199: Rockhold vs. Bisping 2の大会中に放映されたUFC 200の告知映像の最後に「Can You See Me?(オレが見えるか?)」という声とともにレスナーの姿が映し出され、UFCのナンバーシリーズ200回記念大会UFC 200への電撃参戦が発表。翌日、ESPNの「SportsCenter」に出演したレスナーは、UFC 200でマーク・ハントと対戦することは発表した。なお、レスナーはWWEの契約下にあり、UFC 200に参戦後は8月21日のサマースラム 2016に参戦することもWWE側から発表された。

2016年7月9日、UFC 200でヘビー級ランキング8位のマーク・ハントと対戦し、3-0の判定勝ち。この試合はアメリカではなく移住先であるカナダ代表として試合に出場した[18]。試合後、6月28日に行われた抜き打ちドーピング検査で陽性反応が出たことが発覚したが、UFCはレスナーがスポット参戦であったことを理由に罰則を科さず、ファイトマネーも没収しなかった。このことにはUFCに参戦する多くの選手が不満を持ち、対戦相手のハントは自らUFCとの契約解除を申し出た。また、本来ウェルネスポリシーによってドーピングを禁止しているWWEも、レスナーに対して処分を行わず、予定通り試合に出場させた[19]

戦績[編集]

総合格闘技 戦績
9 試合 (T)KO 一本 判定 その他 引き分け 無効試合
6 2 2 2 0 0 0
3 2 1 0 0
勝敗 対戦相手 試合結果 大会名 開催年月日
マーク・ハント 5分3R終了 判定3-0 UFC 200: Tate vs. Nunes 2016年7月9日
× アリスター・オーフレイム 1R 2:26 TKO(左ミドルキック→パウンド) UFC 141: Lesnar vs. Overeem 2011年12月30日
× ケイン・ヴェラスケス 1R 4:12 TKO(パウンド) UFC 121: Lesnar vs. Velasquez
【UFC世界ヘビー級タイトルマッチ】
2010年10月23日
シェイン・カーウィン 2R 2:19 肩固め UFC 116: Lesnar vs. Carwin
【UFC世界ヘビー級王座統一戦】
2010年7月3日
フランク・ミア 2R 1:48 TKO(パウンド) UFC 100
【UFC世界ヘビー級王座統一戦】
2009年7月11日
ランディ・クートゥア 2R 3:07 TKO(パウンド) UFC 91: Couture vs. Lesnar
【UFC世界ヘビー級タイトルマッチ】
2008年11月15日
ヒース・ヒーリング 5分3R終了 判定3-0 UFC 87: Seek and Destroy 2008年8月9日
× フランク・ミア 1R 1:30 膝十字固め UFC 81: Breaking Point 2008年2月2日
キム・ミンス 1R 1:09 ギブアップ(マウントパンチ) Dynamite!! USA 2007年6月2日

獲得タイトル[編集]

WWE
OVW
新日本プロレス / IGF
UFC
  • 第14代UFC世界ヘビー級王座(防衛2度)

表彰[編集]

ペイ・パー・ビュー販売件数[編集]

開催年月日 イベント 販売件数 備考
2011年12/30_12月30日 UFC 141: ブロック・レスナー vs. アリスター・オーフレイム 080_53万件
2010年10/23_10月23日 UFC 121: ブロック・レスナー vs. ケイン・ヴェラスケス 090_90万件
2010年07/03_7月3日 UFC 116: ブロック・レスナー vs. シェイン・カーウィン 116_116万件
2009年07/11_11月14日 UFC 100: ブロック・レスナー vs. フランク・ミア2 160_160万件
2008年11/15_11月15日 UFC 91: ランディ・クートゥア vs. ブロック・レスナー 101_101万件

得意技[編集]

F5
F5
レスナーの代名詞的なフィニッシュ・ホールド。使い始めた当初はジャッカル・イン・イモーションという技名だった。F5という名前はWWEが権利を保持しているため、他団体で使う際はバーディクト名義になる。しかし、来日した直後はまだバーディクトという名前が発表されていなかったため、竜巻式のフェイスバスターと呼ばれていた。
相手をファイヤーマンズキャリーの形で持ち上げ、旋回させつつそのまま相手をうつ伏せの形でマットに落とす技である。相手を落とす際に、自らも倒れ込みながら相手の頭をマットに押し付けるため、フェイスバスターとしてのダメージが大きい。レスナーはかなり大型の選手が相手でもこの技を決めることができる(WWE所属時には225kgもの巨体を誇るビッグ・ショーを相手に決めたこともある)。しかし、ロブ・ヴァン・ダムエディ・ゲレロカート・アングルにスイングDDTで返されたことがある。スイングDDTで返された場合、バーディクトの旋回力が大きい程、レスナーに返るダメージも大きくなる。バーディクトとは「評決」という意味である。2006年3月19日、両国国技館での対戦では曙にバーディクトを決めようとしたが、失敗して腰に重傷を負ってしまった。
斬新な投げ技であったため、ビッグ・ショー、マット・モーガンTAKEMURAマッスル坂井他、世界各国でフォロワーが現れた。
ブロック・ロック
自ら作り出した関節技であり、マフラーホールドとシングル・ボストンクラブの複合技。レスナーのWWE退団直前に登場した技であり、結果一度も返されることがないままである。
シューティングスタープレス
リングで倒れている相手に対し、トップロープから相手に向かって飛びつつバック宙をして相手にボディ・プレスを当てる技である。OVW時代にfフィニッシャーにしていた。
Wrestle Mania XIXのメインイベントで使用した際に汗をかいた状態でトップロープを触ってしまったため足が滑って頭から落下。後に使用の封印を宣言。
キムラロック
2012年にWWE復帰してから使用。総合格闘技の経験を活かしたフィニッシュ・ホールド。主にグラウンドでボトム・ポジションから極めることが多い
ベリー・トゥ・ベリー
ジャーマン・スープレックス 主に投げっぱなし式を多用。
ブレーンバスター
最上段からの雪崩式でビッグ・ショーを投げた際にはリングが崩壊した。
ベア・ハグ
相手の腹回りを絞めることで、呼吸できなくする技。ハルク・ホーガンをこの技で破ったこともある。
連続パワーボム
F5以前の必殺技。高々と相手を持ち上げパワーボムで3回連続でマットに叩きつけその後フォールをするのが定番であった。

人物・エピソード[編集]

  • 総合格闘技に転向当初は、プロレス出身ということもあって、ファンからブーイングを浴びていた。しかし、レスナー本人は「俺はレスリング出身だし、そもそもプロレスなんてやりたくなかった。本当は大学を卒業した後すぐにMMAに転向したかったが、当時のMMAでは大金を稼げなかったから仕方なくプロレスをやるしかなかった」と語っている。WWEで最も不満なことに地方巡業の過密日程を挙げており、さらに「WWE退団後にはリアルな競技がしたかったからNFLのトライアウトを受けた。合格しなかったけど後悔はしていない。なぜなら挑戦しなかったらもっと後悔していたからだ。大学卒業時にMMAに転向しなかった時のようにね。そんな過去があるから俺はMMAファイターになれた」と語る[20]
  • ヒールとしての振る舞いに加えて、フランク・ミアとの因縁など強気な性格が強調されがちではあるが、対戦相手に敬意を表すなど誠実な一面も持つ。
  • 2014年のレッスルマニア30にて、ジ・アンダーテイカーのレッスルマニア無敗記録を21でストップさせた。またサマースラム2015で敗れるまではアンダーテイカーとシングルマッチで複数回対戦経験がある選手でアンダーテイカーに勝利を許していない数少ない人物だった(テレビ未放送のダークマッチやハウスショーは除く)。これらはバックステージでも強大な権力を持つ大御所であるアンダーテイカーがレスナーのWWE入団当初から実力を高く評価しており、テイカーがレスナーに勝つ予定のブックが組まれていてもテイカー自らレスナーに勝利を譲ることを希望したためである。レッスルマニア無敗記録ストップのブックも、レスナー本人はテイカーを尊敬しているため自分が負ける事を希望していたが、アンダーテイカー自らがレスナーの勝利を望んだために組まれた。また、レスナーが唯一テイカーに敗戦したサマースラム2015の試合も、当初ビンス・マクマホンはテイカーを完勝させるブックを予定していたが、ここでもテイカーはレスナーに勝利を譲る事を希望したため、それが考慮されて疑惑の裁定による決着のブックに変更されている。

キャッチフレーズ[編集]

「Here comes The Pain」(苦痛を与えるぞ!)

第一次WWE時代、レスナーの入場時にスマックダウンの解説者タズが毎回このフレーズを言う。

「Eat, Sleep, Conquer, Repeat」(食事、睡眠、征服、その繰り返し)

2014年からのキャッチフレーズ。アンダーテイカーのレッスルマニア連勝記録ストップに挑んだ際にはRepeatの部分をThe Streakに変えて「連勝記録を征服する」としたり、ジョン・シナを16度もスープレックスで投げ飛ばして圧勝した事を振り返る際にはConquerの部分をスープレックスに変えていた。

「Suplex City」(スープレックス・シティ)

WrestleMania 31にてロマン・レインズをスープレックスで投げまくって圧倒している際にレスナー自身が試合中に「スープレックス・シティだぜビッチ!」と発言。このフレーズは瞬く間にTwitterのトレンド・ワードとなった。WWEの字幕放送を行っているJ SPORTSおよび翻訳会社のルミエールでは「スープレックス祭り」と訳している。

入場テーマ曲[編集]

  • Enforcer
  • Next Big Thing - 現在使用中
  • Next Big Thing(Remix)

脚注[編集]

  1. ^ ブロック・レスナー、HERO'S参戦へ!”. スポーツナビ (2006年4月30日). 2006年5月24日時点のオリジナルよりアーカイブ。2016年8月8日閲覧。
  2. ^ BROCK LESNAR IS THE LATEST HEAVY HITTER IN THE UFC UFC公式サイト 2007年10月20日
  3. ^ 【UFC87】GSPが完全防衛。BJ・ペンと最強対決へ MMAPLANET 2008年8月10日
  4. ^ 【UFC91】レスナー、クートゥアー破り快挙達成! MMAPLANET 2008年11月16日
  5. ^ 【UFC100】レスナーがミアを圧倒、統一ヘビー級王者に MMAPLANET 2009年7月12日
  6. ^ UFC100 第10試合 スポーツナビ
  7. ^ 【UFC108】対戦カード変更続出、UFC2010スタート!! MMAPLANET 2009年12月29日
  8. ^ [ http://www.ufcjapan.jp/news_detail.php?nid=673&ym=201001 ブロック・レスナーが奇跡の復活!UFCヘビー級王者戦は夏実現へ] UFC 日本語公式サイト 2010年1月21日
  9. ^ 【UFC116】レスナー絶体絶命も、大逆転で王座統一 MMAPLANET 2010年7月4日
  10. ^ UFC 116 fighter bonuses: Six fighters each earn $75,000 awards MMAjunkie.com 2010年7月4日
  11. ^ 【UFC121】混迷ヘビー級、新王者ベラスケス誕生!! MMAPLANET 2010年10月24日
  12. ^ WOW UFC141みどころ
  13. ^ アリスターが1RTKO衝撃デビュー 敗れたレスナーは引退宣言スポーツナビ 2011年12月31日
  14. ^ ヘイマンの策略によってトリプルHには「敗退したら引退」の条件がかけられている
  15. ^ 『週刊プロレス』2015年4月22号 pp90
  16. ^ WWE Royal Rumble PPV Results - 1/24/16 (30 Man Rumble)”. Wrestleview.com. 2016年1月24日閲覧。
  17. ^ WWE WrestleMania 32 Results – 4/3/16 (Live in Dallas, Triple H vs. Roman Reigns, The Undertaker vs. Shane McMahon)”. Wrestleview.com. 2016年4月3日閲覧。
  18. ^ Brock Lesnar Will Represent Canada, Not U.S., at UFC 200 bleacher report 2016年6月11日
  19. ^ 格闘界を揺るがすドーピング違反 ブロック・レスナーへの対応が物議を醸す”. AbemaTIMES (2016年8月13日). 2016年10月27日閲覧。
  20. ^ Lesnar eyes Randy scalp THE Sun 2008年11月2日

関連項目[編集]

外部リンク[編集]

前王者
ランディ・クートゥア
第14代UFC世界ヘビー級王者

2008年11月15日 - 2010年10月23日

次王者
ケイン・ヴェラスケス