三冠ヘビー級王座
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三冠ヘビー級王座 | |||||||||||||||
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詳細 | |||||||||||||||
現王者 | 永田裕志 | ||||||||||||||
獲得日 | 2023年2月19日 | ||||||||||||||
管理団体 | 全日本プロレス | ||||||||||||||
創立 | 1989年4月18日 | ||||||||||||||
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三冠ヘビー級王座(さんかんヘビーきゅうおうざ)は、全日本プロレスが管理、PWFが認定している王座。初期は三冠統一王座(さんかんとういつおうざ)と称していた。PWFヘビー級王座、インターナショナル・ヘビー級王座、UNヘビー級王座の統一王座。
概要[編集]
三冠ヘビー級王座とは、PWFヘビー級王座、インターナショナル・ヘビー級王座、UNヘビー級王座の統一王座である。全日本プロレスを象徴する、同団体で最も権威のあるタイトルとされている。
インターナショナル・ヘビー級王座は力道山が創設した日本プロレスに於いて、力道山とジャイアント馬場が保持し、UNヘビー級王座はアントニオ猪木と坂口征二が保持してそれぞれ腰に巻いた歴史的なチャンピオンベルトである。日本プロレスが崩壊したことを受け、紆余曲折を経てインターナショナル・ヘビー級王座とUNヘビー級王座のベルトは全日本プロレスが受け継ぐ事となった。
一方、PWFヘビー級王座は馬場が全日本プロレスを旗揚げした際に、力道山(百田)家から初代インターナショナル・ヘビー級王座チャンピオンベルト(通称:力道山ベルト)の寄贈を受けたことを契機に、世界ヘビー級王座として新設されたもので、全日本プロレスのシンボル王座としてその名を高めた。これら歴史的経緯の異なる三つの各王座を、全日本プロレスでの管理上から一つにまとめた統一王座である。
王座統一後は、「三冠王座」と言うものの、三つの各王座それぞれで選手権試合が行われることはなく、新日本プロレスのIWGP世界ヘビー級王座、プロレスリング・ノアのGHCヘビー級王座と同様に、全日本プロレスの象徴のタイトルとして位置づけられている。見方を変えれば一つの王座だとも言える(後述のようにのちに一本化されたベルトも製作)。
王座統一直後には、選手権試合宣言にて「NWAが認可し、PWFが認定する三冠統一選手権試合」としていたが、1990年代前半からは、NWAの衰退に伴い馬場がNWA第一副会長を辞任したことによって認可が解け、「PWFが認定する三冠ヘビー級選手権試合」に変更された。
三冠ヘビー級王者は三冠王者とも呼ばれ、加えて世界タッグ王座(インターナショナル・タッグ王座とPWF世界タッグ王座)も獲得した選手は「五冠王者」と呼ばれる。これは三冠ヘビー級王座のベルトが一本化された現在も変わらない[1][2]。ちなみに三冠ヘビー級王座と世界タッグ王座に加えて、三沢光晴は1999年にアジアタッグ王座を[3]、武藤敬司は2001年にIWGPタッグ王座をそれぞれさらに獲得し、「六冠王者」に輝いている。また、2005年に小島聡が三冠ヘビー級王座とともに新日本プロレスの至宝であるIWGPヘビー級王座を獲得した際には、合わせて「四冠王者」と呼ばれていた[4]。
なお、スタン・ハンセンは王座統一以前に三つの各王座を全て獲得している(ただし、UNヘビー級王座戴冠時はPWFヘビー級王座との二冠王者であった。また、王座統一後の三冠ヘビー級王座も獲得している。各王座をそれぞれ単独で全て獲得した選手はいない)。よって、初代三冠ヘビー級王者のジャンボ鶴田は、三つの各王座を全て獲得した選手としては史上2人目となる。
歴史[編集]
三冠統一まで[編集]
1988年3月9日、横浜文化体育館大会で第26代UNヘビー級王者である天龍源一郎と、第12代PWFヘビー級王者であるスタン・ハンセンとの間で両王座のダブル選手権試合が行なわれた。その結果天龍が勝利し、UNヘビー級王座の防衛に成功するとともに第13代PWFヘビー級王者となり、二冠王者になった。以降、両王座は同一の王者が保持することになり、選手権試合が行なわれる際にも両王座が同時にかけられることになる。
4月15日、大阪府立体育会館大会で第17代インターナショナル・ヘビー級王者であるブルーザー・ブロディと、UNヘビー級とPWFヘビー級の二冠王者である天龍との間で史上初の三冠ヘビー級王座統一戦が行われたが、両者リングアウトにより王座の統一は実現しなかった。
4月19日、宮城県スポーツセンター大会でブロディを退けて第18代インターナショナル・ヘビー級王者となったジャンボ鶴田と、同年7月27日、長野市民体育館大会で天龍を退けて第27代UNヘビー級と第14代PWFヘビー級の二冠王者となったハンセンとの間で、同年10月17日の広島県立体育館大会にて2度目の王座統一戦が行われたが、引き分けで王座の統一は実現しなかった。
1989年4月16日、後楽園ホール大会で再戦が行われたが、またしても決着はつかなかった。長く引っ張った挙句の不透明決着にファンが激怒し、会場が騒然となる事態にまで発展した(これがきっかけで、全日本プロレスの試合からリングアウト・反則決着が消えていくことになる)。
2日後の4月18日、大田区体育館大会で鶴田とハンセンとの間で満を持して再々戦が行なわれた。ウエスタン・ラリアットを避けられロープに激突し、一瞬の隙ができたハンセンを、鶴田が片エビ固めで丸め込みフォール勝ち。かみ合わない試合展開で完全決着とは言えない勝利であったが、三つの王座を統一し、初代三冠ヘビー級王者となった鶴田は満面の笑みでファンに応えた。
以降、鶴田、ハンセン、天龍などの世代とプロレス四天王世代との抗争を中心に激闘を展開。プロレスリング・ノア設立に伴う選手大量離脱以降は、他団体所属選手とのタイトルマッチも行なわれるようになり、現在まで全日本プロレスの至宝として継承されている。
チャンピオンベルト一本化[編集]
2006年10月14日、チャンピオンベルトを管理する全日本プロレスが三本のベルトが老朽化したことなどを理由として、三冠ヘビー級王座のベルトを一本化した上で新調することを明らかにし、それまでの三本のベルトは同年10月29日の福岡大会後に回収して新しいベルトは翌2007年2月の両国国技館大会でお披露目となる予定であったが、何らかの事情があってかこれが延期され現行の三本のベルトを使用し続けていた。1983年制定(当初はIWGPリーグ戦優勝者に授与)のIWGPヘビー級王座のベルトが既に4代目なのとは対照的に三冠ヘビー級王座の三本のベルトはレプリカを使用する場合が多いとはいえいずれも40 - 50年も更新されず経過していた。
2013年、全日本プロレスは8月25日に(三冠ヘビー級王座生誕の地でもある)東京・大田区総合体育館にて開催される諏訪魔対潮崎豪の三冠ヘビー級選手権試合を最後に、三本のベルトを創業者の馬場家へ返還することを決定し[5]、8月25日の選手権試合で諏訪魔が防衛した翌日(8月26日)、改めて全日本プロレスから三冠ヘビー級王座のベルトを一本化して新製し、10月27日に開催された両国国技館大会にて新装したチャンピオンベルトを公開した[6]。なお今までの三本のベルトは修繕作業を行った後に馬場家に返還された[6]。新しいベルトは中央部分にPWFヘビー級王座(「GIANT BABA」の刻印は「TRIPLE CROWN」に変更)、その左右にインターナショナル・ヘビー級王座・UNヘビー級王座のバックルをモチーフとしたプレートが配置され、ベルト後部には初代三冠ヘビー級王者であるジャンボ鶴田の名前[7]が刻印されている。
チャンピオンベルト一本化以降[編集]
馬場家返還以降、個別のチャンピオンベルトを王者が着用することはなかったが、2019年2月19日のジャイアント馬場没後20年追善興行では第62代王者の宮原健斗が許可をもらい、三本のベルトを巻いて入場している(腰に巻いたのはUNヘビー級王座)[8]。また2021年には王者(当時)の諏訪魔がベルトを再度3本に分割する意向を示した[9]が、その後続報はなく立ち消えとなっている。
2021年6月26日、大田区総合体育館大会の選手権試合は、王者・諏訪魔の急病による返上にともない、当初挑戦者のジェイク・リーと挑戦に名乗りを上げた宮原・青柳優馬の三者で史上初の巴戦にて行われた。入場の際はジェイクがインターナショナル・ヘビー級王座、宮原がPWFヘビー級王座、青柳がUNヘビー級王座のベルトをそれぞれ巻いて入場し返還[10]、勝利したジェイクは新ベルトと三本の旧ベルトを同時に贈呈された[11]。
歴代王者[編集]
歴代 | 王者 | 戴冠回数 | 防衛回数 | 獲得日付 | 獲得場所(対戦相手・その他) |
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初代 | ジャンボ鶴田 | 1 | 1 | 1989年4月18日 | 大田区体育館、スタン・ハンセン |
第2代 | 天龍源一郎 | 1 | 2 | 1989年6月5日 | 日本武道館 |
第3代 | ジャンボ鶴田 | 2 | 2 | 1989年10月11日 | 横浜文化体育館 |
第4代 | テリー・ゴディ | 1 | 0 | 1990年6月5日 | 千葉公園体育館 |
第5代 | スタン・ハンセン | 1 | 0 | 1990年6月8日 | 日本武道館 |
第6代 | テリー・ゴディ | 2 | 0 | 1990年7月17日 | 石川県産業展示館、王座返上 |
第7代 | スタン・ハンセン | 2 | 1 | 1990年7月27日 | 松戸市運動公園体育館、三沢光晴 |
第8代 | ジャンボ鶴田 | 3 | 3 | 1991年1月19日 | 松本市総合体育館 |
第9代 | スタン・ハンセン | 3 | 3 | 1992年1月28日 | 千葉公園体育館 |
第10代 | 三沢光晴 | 1 | 7 | 1992年8月22日 | 日本武道館 |
第11代 | スティーブ・ウィリアムス | 1 | 1 | 1994年7月28日 | 日本武道館 |
第12代 | 川田利明 | 1 | 1 | 1994年10月22日 | 日本武道館 |
第13代 | スタン・ハンセン | 4 | 0 | 1995年3月4日 | 日本武道館 |
第14代 | 三沢光晴 | 2 | 4 | 1995年5月26日 | 札幌中島体育センター |
第15代 | 田上明 | 1 | 1 | 1996年5月24日 | 札幌中島体育センター |
第16代 | 小橋健太 | 1 | 2 | 1996年7月24日 | 日本武道館 |
第17代 | 三沢光晴 | 3 | 8 | 1997年1月20日 | 大阪府立体育会館 |
第18代 | 川田利明 | 2 | 0 | 1998年5月1日 | 東京ドーム |
第19代 | 小橋健太 | 2 | 2 | 1998年6月12日 | 日本武道館 |
第20代 | 三沢光晴 | 4 | 0 | 1998年10月31日 | 日本武道館 |
第21代 | 川田利明 | 3 | 0 | 1999年1月22日 | 大阪府立体育会館、王座返上 |
第22代 | ベイダー | 1 | 0 | 1999年3月6日 | 日本武道館、田上明 |
第23代 | 三沢光晴 | 5 | 2 | 1999年5月2日 | 東京ドーム |
第24代 | ベイダー | 2 | 1 | 1999年10月30日 | 日本武道館 |
第25代 | 小橋健太 | 3 | 1 | 2000年2月27日 | 日本武道館、王座返上 |
第26代 | 天龍源一郎 | 2 | 1 | 2000年10月28日 | 日本武道館、川田利明 |
第27代 | 武藤敬司 | 1 | 4 | 2001年6月8日 | 日本武道館 |
第28代 | 川田利明 | 4 | 0 | 2002年2月24日 | 日本武道館、王座返上 |
第29代 | 天龍源一郎 | 3 | 1 | 2002年4月13日 | 日本武道館、武藤敬司 |
第30代 | グレート・ムタ | 2 | 1 | 2002年10月27日 | 日本武道館 |
第31代 | 橋本真也 | 1 | 2 | 2003年2月23日 | 日本武道館、王座返上 |
第32代 | 川田利明 | 5 | 10 | 2003年9月6日 | 日本武道館、大谷晋二郎 |
第33代 | 小島聡 | 1 | 8 | 2005年2月16日 | 国立代々木競技場第二体育館 |
第34代 | 太陽ケア | 1 | 1 | 2006年7月3日 | 大田区体育館 |
第35代 | 鈴木みのる | 1 | 5 | 2006年9月3日 | 札幌メディアパーク・スピカ |
第36代 | 佐々木健介 | 1 | 2 | 2007年8月26日 | 両国国技館 |
第37代 | 諏訪魔 | 1 | 2 | 2008年4月29日 | 愛知県体育館 |
第38代 | グレート・ムタ | 3 | 1 | 2008年9月28日 | 横浜文化体育館 |
第39代 | 高山善廣 | 1 | 2 | 2009年3月14日 | 両国国技館 |
第40代 | 小島聡 | 2 | 1 | 2009年9月26日 | 横浜文化体育館 |
第41代 | 浜亮太 | 1 | 0 | 2010年3月21日 | 両国国技館 |
第42代 | 鈴木みのる | 2 | 1 | 2010年5月2日 | 愛知県体育館 |
第43代 | 諏訪魔 | 2 | 5 | 2010年8月29日 | 両国国技館 |
第44代 | 秋山準 | 1 | 4 | 2011年10月23日 | 両国国技館 |
第45代 | 船木誠勝 | 1 | 4 | 2012年8月26日 | 大田区総合体育館 |
第46代 | 諏訪魔 | 3 | 2 | 2013年3月17日 | 両国国技館 |
第47代 | 曙 | 1 | 4 | 2013年10月27日 | 両国国技館、王座返上 |
第48代 | 大森隆男 | 1 | 0 | 2014年6月15日 | 後楽園ホール、秋山準 |
第49代 | 諏訪魔 | 4 | 0 | 2014年6月29日 | 札幌テイセンホール |
第50代 | ジョー・ドーリング | 1 | 3 | 2014年7月27日 | 後楽園ホール |
第51代 | 潮崎豪 | 1 | 2 | 2015年1月3日 | 後楽園ホール |
第52代 | 曙 | 2 | 2 | 2015年5月21日 | 後楽園ホール |
第53代 | 秋山準 | 2 | 0 | 2015年11月1日 | 青森県武道館 |
第54代 | 諏訪魔 | 5 | 0 | 2016年1月2日 | 後楽園ホール、王座返上 |
第55代 | 宮原健斗 | 1 | 8 | 2016年2月12日 | 後楽園ホール、ゼウス |
第56代 | 石川修司 | 1 | 2 | 2017年5月21日 | 後楽園ホール |
第57代 | 宮原健斗 | 2 | 0 | 2017年8月27日 | 両国国技館 |
第58代 | 諏訪魔 | 6 | 0 | 2017年10月9日 | 後楽園ホール |
第59代 | ジョー・ドーリング | 2 | 3 | 2017年10月21日 | 横浜文化体育館 |
第60代 | 宮原健斗 | 3 | 2 | 2018年3月25日 | さいたまスーパーアリーナコミュニティアリーナ |
第61代 | ゼウス | 1 | 1 | 2018年7月29日 | 大阪府立体育会館 |
第62代 | 宮原健斗 | 4 | 10 | 2018年10月21日 | 横浜文化体育館 |
第63代 | 諏訪魔 | 7 | 7 | 2020年3月23日 | 後楽園ホール、王座返上 |
第64代 | ジェイク・リー | 1 | 3 | 2021年6月26日 | 大田区総合体育館、宮原健斗、青柳優馬との王座決定巴戦、王座返上 |
第65代 | 宮原健斗 | 5 | 4 | 2022年1月23日 | 後楽園ホール、本田竜輝 |
第66代 | ジェイク・リー | 2 | 0 | 2022年6月19日 | 大田区総合体育館 |
第67代 | 諏訪魔 | 8 | 0 | 2022年7月14日 | 後楽園ホール |
第68代 | 宮原健斗 | 6 | 4 | 2022年9月18日 | 日本武道館 |
第69代 | 永田裕志 | 1 | 1 | 2023年2月19日 | 後楽園ホール |
主な記録[編集]
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- 最多戴冠記録:8回 - 諏訪魔(第37・43・46・49・54・58・63・67代)
- 最多連続防衛:10回 - 川田利明(第32代)、宮原健斗(第62代)
- 最多通算防衛:28回 - 宮原健斗
- 最長保持期間:705日 - 三沢光晴(第10代)
- デビュー最短戴冠記録:1年4ヶ月 - 浜亮太(第41代)
- デビュー最長初戴冠記録:30年5ヶ月 - 永田裕志(第69代)
- 最年少戴冠記録:26歳11ヶ月 - 宮原健斗(第55代)
- 最年長戴冠記録:54歳9ヶ月 - 永田裕志(第69代)
- 世界ジュニアヘビー級王座戴冠経験者の戴冠 - 太陽ケア(第34代)
- IWGPヘビー級王座との同時戴冠 - 小島聡(第33代)
脚注[編集]
- ^ “潮崎が5冠王&宮原が初の世界タッグ戴冠=全日本プロレス”. スポーツナビ (2015年5月7日). 2020年5月24日閲覧。
- ^ “諏訪魔が三冠ヘビー級王座の最多戴冠記録更新&五冠王達成!マスク着用の観衆に囲まれ「世界一清潔なプロレス」と笑顔”. バトル・ニュース (2020年3月24日). 2020年5月24日閲覧。
- ^ “追悼/三沢さん、史上初の6冠王者に - 格闘技ニュース : 日刊スポーツ”. nikkansports.com (2009年6月14日). 2020年5月28日閲覧。
- ^ “全日本の至宝 多くのスターを生み出した3冠ヘビー - プロレスの月曜日 - 相撲・格闘技コラム : 日刊スポーツ”. nikkansports.com (2020年5月11日). 2020年5月18日閲覧。
- ^ 東京スポーツ 2013年8月7日付最終面記事参照
- ^ a b 3冠の統一新ベルト10・27両国で披露 デイリースポーツ 2013年8月27日閲覧
- ^ 「TRIPLE CROWN(改行)CHAMPION(改行)JUMBO TSURUTA(改行)APR.18 1989」
- ^ “ジャイアント馬場没後20年追善興行に猪木、初代タイガー、新間寿、坂口征二、ハンセンらが集結!76歳のマスカラスが空を舞い勝利!新日本vs全日本の全面対抗戦は全日本に軍配?!”. バトル・ニュース (2019年2月20日). 2019年2月20日閲覧。
- ^ “【全日本】諏訪魔が耕平を返り討ちにしV6達成“3冠解体だ””. 東京スポーツ (東京スポーツ新聞社). (2021年2月24日) 2022年1月25日閲覧。
- ^ “【全日本】26日大田区は宮原、ジェイク、青柳による史上初の3冠王座決定巴戦を開催!”. 東京スポーツ (東京スポーツ新聞社). (2021年6月22日) 2021年6月27日閲覧。
- ^ “巴戦制しジェイク・リー第64代3冠王者「人生は挑戦」ベルト巻き仁王立ち”. 日刊スポーツ (日刊スポーツ新聞社). (2021年6月27日) 2021年6月27日閲覧。