ドリー・ファンク・ジュニア

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ドリー・ファンク・ジュニア
Terry & Dory Funk.jpg
2009年WWE殿堂セレモニーにて
(右は弟のテリー・ファンク
プロフィール
リングネーム ドリー・ファンク・ジュニア
ホス・ファンク
本名 ドリー・アーネスト・ファンク・ジュニア
ニックネーム アマリロの星
グレート・テキサン
ロング・トール・テキサン
身長 190cm
体重 115kg
誕生日 (1941-02-03) 1941年2月3日(76歳)
出身地 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
インディアナ州の旗 インディアナ州
インディアナポリス
スポーツ歴 レスリング
トレーナー ドリー・ファンク・シニア
ルー・テーズ
デビュー 1963年7月
引退 2008年3月
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ドリー・ファンク・ジュニアDory Funk Jr.、本名:Dory Earnest Funk Jr.1941年2月3日 - )は、アメリカ合衆国出身の元プロレスラーインディアナ州インディアナポリス出身で、後テキサス州アマリロに転じた。第4代PWF会長。

日本でのニックネームは「グレート・テキサン」。父親のドリー・ファンク・シニア、弟のテリー・ファンクも著名なプロレスラーである。テリー・ファンクとタッグチーム「ザ・ファンクス」を組み、日本でも活躍した。

来歴[編集]

ウエスト・テキサス州立大学でフットボール選手として活躍後、1963年7月にアマリロで初マットを踏む。同年11月にはデビュー4か月にして時のNWA世界ヘビー級王者ルー・テーズと対戦した。

1969年2月11日、フロリダ州タンパにおいてジン・キニスキーを破りNWA世界ヘビー級王座を獲得。以降、1973年5月24日にミズーリ州カンザスシティで「弟分」ハーリー・レイスに敗れるまで、4年3か月間にわたる長期政権を築いた。その間、日本でもジャイアント馬場アントニオ猪木坂口征二と防衛戦を行っている。米国ではラッシャー木村鶴田友美からの挑戦を受けもした。

以来、米国を代表するレスラーとなり、実力世界一と謳われた時期もあった。1971年4月22日にはカリフォルニア州ベーカーズフィールドにてミル・マスカラスを相手に防衛戦を行った(結果はノーコンテスト)[1]。マスカラスは「詳しい内容は憶えていないけど、誰かが乱入したと思う。ジョン・トロスピーター・メイビアか…」と話している[1]

後に全日本プロレスの常連になると、準日本側のような扱いになり、アブドーラ・ザ・ブッチャーホースト・ホフマンビル・ロビンソンブルーザー・ブロディらと好勝負を残している。1977年には世界オープンタッグ選手権に弟テリーと組んで優勝。1979年1982年世界最強タッグ決定リーグ戦でも優勝し、1981年にはインターナショナル・ヘビー級王者にも輝いている。全日本への参戦は1990年代半ばまで続き、その間1983年1985年の最強タッグには馬場とコンビを組んで出場した。1984年にも馬場とのコンビでPWF世界タッグ王座決定リーグ戦に出場している。外国人レスラーで馬場と一定期間コンビを組んで日本で活動したのはドリー、スタン・ハンセンアンドレ・ザ・ジャイアントだけである。

米国では地元アマリロでプロモーター兼エースとなって活躍する一方、フロリダ(CWF)、ジョージアGCW)、プエルトリコWWC)などにも参戦。1980年代後半にはホス・ファンクHoss Funk)を名乗り、カウボーイギミックヒールとしてニューヨークWWFにも登場した。

全日本プロレスへの外国人レスラーのブッキングを行ったり、指導者として多くの後進を育成してきてもいる。門下にはジャンボ鶴田天龍源一郎ボブ・バックランド、スタン・ハンセン、テッド・デビアスレイ・キャンディティト・サンタナジェイ・ヤングブラッド石川敬士キング・ハクジョニー・エースジェフ・ハーディーマット・ハーディーテストジャイアント・シルバクリスチャン・ケイジらがいる。全日本に継続参戦している頃はコーチ役も受け持っており、三沢光晴らの成長に一役買った。その他、門下ではないものの、カート・アングル西村修も彼の指導を受けている。

2001年10月には新日本プロレスに初参戦。7日の「無我」後楽園ホール大会では弟子の西村とシングルマッチを行い、8日の東京ドーム大会にはテリーとのザ・ファンクスで出場、藤波辰爾&ボブ・バックランドのチームと対戦した。

第一線を退いてからはフロリダ州オカラにて不動産事業を手掛ける傍ら、ファンキン・コンサーヴァトリーFunkin' Conservatory)というプロレスリング・スクールにて後進の指導に当たり、自身も時折インディー団体のリングに上がっていた。

2008年3月1日、全日本プロレス両国国技館大会にて引退試合を行った。同時期にIGFウィットネスとしてスタン・ハンセンと共に来日。

2009年4月には弟テリーと共にWWE殿堂入りを果たした。プレゼンターはダスティ・ローデスであった。全日本プロレスUSA道場を設営するなど、全日本社長の武藤敬司とも良好な関係を築いている。

2013年10月、全日本プロレスに22年ぶりにファンクスとして来日。両国国技館第二試合に出場。渕正信、西村修組と20分1本勝負で時間切れ引き分けに終わる。この試合で、ドリーは唇から流血をした[2]。先代の馳浩退任後空席が続いていたPWF新会長に就任。

2014年07月、全日本プロレス後楽園大会に出場。西村修、吉江豊とトリオを結成し、大森隆男、渕正信、ウルティモ・ドラゴン組と対戦。新体制となった全日本プロレスへの全面支援をアピールした。

2016年7月22日、地元オカラで行われたWWE傘下のWWE・NXTのNXT LIVEに来訪、リング上でベイリーとハグをした。

エピソード[編集]

  • NWA世界ヘビー級王座に長期君臨した実績を持ち、漫画版『タイガーマスク』では最強のレスラーとして描かれ、タイガーマスクが最後に対戦したレスラーとなっている。
  • 先達レスラーからも評価が高く、ルー・テーズジャイアント馬場は「対戦する度に成長している」と語った。
  • 若年性脱毛症であったが逆にそれがトレードマークとなっている。現在は白髪化しているが側頭部と後頭部はかなり伸ばしている。
  • 外国人係を長く務めたレフェリージョー樋口によると、「私生活ではとにかく大雑把で、集合時間を知らせておいてもいざその時間に電話したら寝ていたなんてことはざら、電話してから実際に出て来るまで2、30分かかることもよくあった。ファンクスほどボケーッとしているレスラーはちょっと見当たらない」ということである。

得意技[編集]

スピニング・トーホールド
入場テーマ曲の『スピニング・トーホールド』は、日本のロックバンドクリエイションがこの技を意識して制作したものである。
ダブルアーム・スープレックス
ビル・ロビンソンとの幾度の対戦から盗んだもので、ロビンソンに比べるとスピードが遅く半径が大きい、典型的なアメリカン・スタイルなのが特徴。まだダブルアーム・スープレックスという名前が定着する前にはテキサス・ブロンコ・スープレックスと呼ばれていた。
サイド・スープレックス
これもロビンソンとの対戦から盗んだもので、試合の中で効果的に使っていた。
エルボー・スマッシュ
ジャンボ鶴田、西村修、大森隆男などがドリーのスタイルを継承している。
エルボー・ドロップ
ブレーンバスター
回転エビ固め
ショルダー式ネックブリーカー
ロビンソンが得意にしていたヨーロッパ式ネックブリーカーで、この技もロビンソンから「盗んだ」もの。

獲得タイトル[編集]

ナショナル・レスリング・アライアンス
NWAウエスタン・ステーツ・スポーツ
ジョージア・チャンピオンシップ・レスリング
  • NWAジョージア・タッグ王座:1回(w / テリー・ファンク)
ミッドアトランティック・チャンピオンシップ・レスリング
  • NWAミッドアトランティック・ヘビー級王座:2回
NWAハリウッド・レスリング
  • NWAアメリカス・ヘビー級王座:1回
  • NWA世界タッグ王座(ロサンゼルス版):1回(w / テリー・ファンク)
セントルイス・レスリング・クラブ
  • NWAミズーリ・ヘビー級王座:1回
チャンピオンシップ・レスリング・フロム・フロリダ
  • NWAフロリダ・ヘビー級王座:4回
  • NWAフロリダTV王座:2回
  • NWAフロリダ・タッグ王座:1回(w / テリー・ファンク)
  • NWA北米タッグ王座(フロリダ版):2回(w / テリー・ファンク、デビッド・フォン・エリック
スタンピード・レスリング
  • NWAインターナショナル・タッグ王座(カルガリー版):1回(w / ラリー・レーン)
サウスウエスト・チャンピオンシップ・レスリング
  • SCW世界タッグ王座:1回(w / テリー・ファンク)
コンチネンタル・レスリング・アソシエーション
  • CWA世界ヘビー級王座:1回
ワールド・レスリング・カウンシル
  • WWCユニバーサル・ヘビー級王座:1回
  • WWCプエルトリコ・ヘビー級王座:1回
  • WWC世界タッグ王座:1回(w / テリー・ファンク)
インターナショナル・チャンピオンシップ・レスリング
  • ICWヘビー級王座:1回
ニューイングランド・レスリング・アライアンス
  • NEWA北米ヘビー級王座:1回
日本プロレス / 全日本プロレス
ワールド・レスリング・エンターテインメント

関連項目[編集]

脚注[編集]

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  1. ^ a b 『Gスピリッツ Vol.42』P76(2016年、辰巳出版ISBN 4777818128
  2. ^ 日刊スポーツ、2013.10.28

外部リンク[編集]