ジミー・スヌーカ

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ジミー・スヌーカ
Jimmy Superfly Snuka Paparazzo Photography.jpg
ジミー・スヌーカ(2011年)
プロフィール
リングネーム ジミー "スーパーフライ" スヌーカ
グレート・スヌーカ
ラニ・ケアロハ
ジミー・ケアロハ
本名 ジェームズ・ライアー
ニックネーム スーパーフライ
飛獣
褐色の野獣
身長 185cm
体重 115kg(全盛時)
誕生日 (1943-05-18) 1943年5月18日(73歳)
出身地 フィジーの旗 フィジー
スポーツ歴 ボディビルディング
トレーナー ディーン・ホー
デビュー 1969年
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ジミー・スヌーカJimmy Snuka、本名:James Reiher1943年5月18日 - )は、フィジー出身のプロレスラー。跳躍力を活かしたハイフライ・ムーヴにより、スーパーフライSuperfly)のニックネームを持つ。日本では「飛獣」なる異名が付けられた[1]

娘のタミーナ・スヌーカ養子シム・スヌーカもプロレスラー。なお、第1次UWFに来日したジャック・スヌーカ(ココ・サモア)はジミー・スヌーカの弟を名乗ったが、単なるギミックで血縁関係はない[2]

来歴[編集]

ハワイにてボディビルディングで活動後[1]1969年ジミー・ケアロハJimmy Kealoha)のリングネームでデビュー[3]。ハワイを経てアメリカ合衆国本土に渡り、太平洋岸北西部のパシフィック・ノースウエスト・レスリング(PNW)において、鍛え上げられた肉体美を持つベビーフェイスとしてキャリアを積む[3]1971年9月にはインディアンギミックグレート・スヌーカGreat Snuka)として日本プロレスに初来日、スニー・ワー・クラウドとのインディアン・コンビで第2回NWAタッグ・リーグ戦に出場した(同名義では1974年11月の全日本プロレスにも参戦)[1]

1972年ラニ・ケアロハLani Kealoha)と名乗り、本来の出自である南洋系のアイランダー・ギミックでAWAに登場。イワン・コロフラリー・ヘニングラーズ・アンダーソンブラックジャック・ランザスーパースター・ビリー・グラハムテキサス・アウトローズダスティ・ローデス&ディック・マードック)など、ヒールの大物選手と対戦した[4]

その後、リングネームをジミー・スヌーカJimmy Snuka)に定着させ、古巣のPNWを主戦場として活動。1974年2月19日にはPNWの本拠地オレゴン州ポートランドにてジャック・ブリスコNWA世界ヘビー級王座に挑戦、時間切れ引き分けの戦績を残す[5]。これが飛躍につながり[1]、以降もリッパー・コリンズブル・ラモスワイルド・アンガスジェシー・ベンチュラなどとの抗争を通して、PNWのフラッグシップ・タイトルだったNWAパシフィック・ノースウエスト・ヘビー級王座を1977年まで通算6回獲得した[6]

1977年5月からはテキサスの東部地区に参戦。フォン・エリック・ファミリーと共闘し、キャプテンUSAアイアン・シークロード・アルフレッド・ヘイズオックス・ベーカーキラー・カール・クラップキラー・ブルックス、そして後に日本でタッグを組むこととなるブルーザー・ブロディとも対戦した[7]。同年8月16日にはダラス、翌17日にはサンアントニオにて、ハーリー・レイスが保持していたNWA世界ヘビー級王座に連続挑戦している[8]

NWAミッドアトランティック時代のスヌーカ(1981年)

1978年よりジム・クロケット・ジュニアNWAミッドアトランティック地区を主戦場に、初期は従前と同様のベビーフェイス、後にヒールとなって活動。リック・フレアーリッキー・スティムボートらとの抗争で一躍トップスターとなる[1]1979年9月1日には、12選手が参加したトーナメントの決勝においてスティムボートを破り、空位となっていたUSヘビー級王座を獲得した[9]。タッグ戦線ではポール・オーンドーフレイ・スティーブンスと組み、同地区認定のNWA世界タッグ王座にも戴冠[10]。ベビーフェイス時代のオーンドーフとのタッグでは、フレアー&グレッグ・バレンタインビッグ・ジョン・スタッド&ケン・パテラ、ヒール転向後のスティーブンスとのタッグでは、フレアー&スティムボートやマスクド・スーパースター&ブラックジャック・マリガンなどの強豪チームと対戦した[11][12]

日本では1981年5月より全日本プロレスの主力外国人となり、リッキー・スティムボートとの抗争も日本マットで再現。同年6月11日にはジャンボ鶴田UNヘビー級王座に、10月6日にはテキサスでの旧敵ブルーザー・ブロディと組んでジャイアント馬場&鶴田のインターナショナル・タッグ王座に挑戦し、年末の世界最強タッグ決定リーグ戦ではブロディとのタッグチームザ・ファンクスを破り優勝を果たした[13]。しかし、12月13日の蔵前国技館での最終戦でセコンドを務め、試合に介入して優勝を援護したスタン・ハンセンがブロディと組むようになると、翌1982年4月にブロディと仲間割れ。11月2日に愛知県体育館にてブロディ対スヌーカの遺恨試合が行われたが[14]、スヌーカがWWFに定着し全日本プロレスを離脱したため両者の抗争アングルは立ち消えになった。

WWFには1982年3月より登場、当初はNWA時代後期と同様にヒールであったが(マネージャーキャプテン・ルー・アルバーノ)、当時のWWFヘビー級王者ボブ・バックランドとの抗争を通し、一連のハイフライ・ムーヴにより観衆の喝采を集めベビーフェイスに転向。その後はバディ・ロジャースがマネージャー役に就くなど、バックランドやアンドレ・ザ・ジャイアントと並ぶ人気者となり[15]、次期WWF王者の有力候補と噂された。

1983年10月17日にニューヨークマディソン・スクエア・ガーデンにて行われたドン・ムラコとの金網マッチでは、金網最上段からのスーパーフライを敢行。この試合をリングサイド3列目で見ていたプロレスラー志望の大学生ミック・フォーリーは、これがきっかけで本気でレスラーになることを決めたという[16]。以降もWWFに定着し、1984年ビンス・マクマホン・ジュニアの新体制下でスタートした全米侵攻にもベビーフェイスの主力として参加[17]ロディ・パイパーのインタビューコーナー『パイパーズ・ピット』への出演に端を発するパイパーとの抗争は、歴史的イベント『レッスルマニア第1回大会への伏線ともなった[3]

1985年5月、当時WWFと提携関係にあった新日本プロレスに初参戦。5月13日に大分県立総合体育館において、藤波辰巳が保持していたWWFインターナショナル・ヘビー級王座に挑戦した[18]。同年11月に開催された、IWGPタッグ王座の初代王者チームを決めるタッグリーグ戦には、同じく同年より新日本へ移籍していたブロディとのコンビを再結成して出場したが、自分達ではなく藤波&木村健吾を優勝チームとしていた新日本側のブックにブロディが反発したため、リーグ戦の決勝戦を急遽キャンセルして帰国している(反発したのはブロディ個人であり、スヌーカは事情がわからないまま巻き込まれただけだったという)[19]。翌1986年5月より新日本プロレスに再登場し[15]、6月6日の札幌大会ではワイルド・サモアンと組んで藤波&木村のIWGPタッグ王座に挑戦した[20]

(左から)レッスルマニア25でのパイパー、スヌーカ、スティムボート

その間、アメリカでは1985年下期にWWFを離脱し、1986年よりAWAに参戦。AWAがWWFのレッスルマニアに対抗して開催したイベント "WrestleRock" ではタッグマッチでブロディとも対戦している(スヌーカ&グレッグ・ガニアVSブロディ&ノード・ザ・バーバリアン。同イベントには当時のAWA世界ヘビー級王者スタン・ハンセンも出場)[21]1987年11月にはブロディとともに全日本プロレスに復帰[15]、同年および翌1988年のブロディ死去後の世界最強タッグ決定リーグ戦に出場した(1988年のパートナーはタイガーマスク[22][23]

1989年よりWWFに復帰し、ベテランの中堅として1992年2月まで所属。1991年4月には、ジ・アンダーテイカーのレッスルマニア初戦の相手も務めた。その後はインディー団体を転戦しつつ、初期のECWへも参戦。1992年4月25日に初代ECW世界ヘビー級王者に認定されている[24]1995年7月にはWARに来日、ボブ・バックランド&ミル・マスカラスと組んで6人タッグマッチに出場した[25]

1996年WWF殿堂に迎えられ、2001年にはWCWにも出場。2004年WWEとレジェンド契約を結び、折を見てストーリーラインに絡み、試合にも出場。2009年4月のレッスルマニア25では、ロディ・パイパー&リッキー・スティムボートとレジェンド軍を結成(セコンド役はリック・フレアー)、クリス・ジェリコとのハンディキャップ・エリミネーション・マッチを行った[26]。その後も2014年にかけて、各地のインディー団体にスポット参戦していた[27]

2015年9月1日に第三級殺人罪(殺人と過失致死容疑、英文ではthird-degree murder and involuntary manslaughter)で逮捕された[28]。1983年5月に交際していた女性がモーテルで意識不明となり、後に死亡した事件に関わったとされる(en:Jimmy Snuka#Nancy Argentino deathも参照)。その後、保釈金を支払い釈放されたが、WWEはホームページからスヌーカに関する情報を削除した[29][30]

得意技[編集]

スーパーフライ(スーパーフライ・スプラッシュ)
基本的にはコーナーポスト最上段から繰り出されるが、試合中盤にスワンダイブ式で放たれることもあった。スヌーカの代名詞ともいえる技である。
ダイビング・ヘッドバット
上記のスーパーフライはダイビング・ヘッドバットとして繰り出されることもあった。フォーム的にはダイナマイト・キッドのそれに近い。
シュミット式バックブリーカー
スーパーフライを放つ際の繋ぎ技として使用。
フライング・クロス・ボディ
この技も「飛獣」の異名の通り、豪快かつ美しいフォームから繰り出した。
バックハンド・チョップ
ミッドアトランティック地区では、同じくバックハンド・チョップを得意技としていたリッキー・スティムボートリック・フレアーとのチョップの応酬も見られた。
ヘッドバット
ボボ・ブラジルのココバットのように、その場でジャンプして高い打点から打ち落とす。
ジャンピング・ヒップ・アタック
打点の高さは、同じくこの技の第一人者とされたチャボ・ゲレロ・シニアをも上回った。
リープ・フロッグ
ロープワークの一種でロープの反動で返ってきた相手を開脚ジャンプでかわす見せ技。相手を正面から飛び越え、かわした反動で後方から戻ってきた相手をまたかわし、またその反動で正面から戻ってきた相手にバックハンド・チョップを決めて見得を切るという流れも得意にしていた。そのダイナミックなフォームはマスカラスのそれをも凌ぐ程のもので、鉄人ルー・テーズをして「グッド・ジョブ」と言わしめた。

獲得タイトル[編集]

パシフィック・ノースウエスト・レスリング
  • NWAパシフィック・ノースウエスト・ヘビー級王座:6回[6]
  • NWAパシフィック・ノースウエスト・タッグ王座:6回(w / ダッチ・サベージ[31]
NWAオールスター・レスリング
NWAビッグタイム・レスリング
ミッドアトランティック・チャンピオンシップ・レスリング
ジョージア・チャンピオンシップ・レスリング
イースタン・チャンピオンシップ・レスリング
ワールド・レスリング・フェデレーション

マネージャー[編集]

脚注[編集]

  1. ^ a b c d e 『THE WRESTLER BEST 1000』P61(1996年、日本スポーツ出版社
  2. ^ Cocoa Samoa”. Wrestlingdata.com. 2016年9月30日閲覧。
  3. ^ a b c Jimmy Snuka”. Online World of Wrestling. 2016年10月2日閲覧。
  4. ^ The AWA matches fought by Jimmy Snuka in 1972”. Wrestlingdata.com. 2016年9月30日閲覧。
  5. ^ The Records of NWA World Heavyweight Championship Matches 1974”. Wrestling-Titles.com. 2012年3月15日閲覧。
  6. ^ a b NWA Pacific Northwest Heavyweight Title”. Wrestling-Titles.com. 2010年4月16日閲覧。
  7. ^ The WCCW matches fought by Jimmy Snuka in 1977”. Wrestlingdata.com. 2016年9月30日閲覧。
  8. ^ The Records of NWA World Heavyweight Championship Matches 1977”. Wrestling-Titles.com. 2016年9月30日閲覧。
  9. ^ a b NWA/WCW United States Heavyweight Title”. Wrestling-Titles.com. 2016年9月30日閲覧。
  10. ^ a b c NWA World Tag Team Title [Mid-Atlantic]”. Wrestling-Titles.com. 2010年4月16日閲覧。
  11. ^ The WCW matches fought by Jimmy Snuka in 1979”. Wrestlingdata.com. 2016年9月30日閲覧。
  12. ^ The WCW matches fought by Jimmy Snuka in 1980”. Wrestlingdata.com. 2016年9月30日閲覧。
  13. ^ The AJPW matches fought by Jimmy Snuka in 1981”. Wrestlingdata.com. 2015年4月27日閲覧。
  14. ^ AJPW Giant Series 1982 - Tag 26”. Cagematch.net. 2016年9月30日閲覧。
  15. ^ a b c 『全日本プロレス 来日外国人選手 PERFECTカタログ』P23(2002年、日本スポーツ出版社)
  16. ^ Mick Foley "Have a Nice Day: A Tale of Blood and Sweatsocks" P33–34(2000年、Regan Books、ISBN 0061031011
  17. ^ WWE Yearly Results 1984”. The History of WWE. 2016年9月30日閲覧。
  18. ^ The NJPW matches fought by Jimmy Snuka in 1985”. Wrestlingdata.com. 2016年9月30日閲覧。
  19. ^ ミスター高橋流血の魔術 最強の演技』P166-169(2001年、講談社ISBN 406211075X
  20. ^ The NJPW matches fought by Jimmy Snuka in 1986”. Wrestlingdata.com. 2016年10月2日閲覧。
  21. ^ AWA WrestleRock”. Cagematch.net. 2016年9月30日閲覧。
  22. ^ AJPW 1987 Real World Tag Team League”. Puroresu.com. 2016年10月2日閲覧。
  23. ^ AJPW 1988 Real World Tag Team League”. Puroresu.com. 2016年10月2日閲覧。
  24. ^ a b ECW World Heavyweight Title”. Wrestling-Titles.com. 2010年4月16日閲覧。
  25. ^ WAR 3rd Anniversary Show”. Cagematch.net. 2016年9月30日閲覧。
  26. ^ WWE WrestleMania 25”. Cagematch.net. 2016年9月30日閲覧。
  27. ^ Jimmy Snuka: Matches 1998-2014”. Cagematch.net. 2016年9月30日閲覧。
  28. ^ “日本でも活躍のレスラー、ジミー・スヌーカ 殺人と過失致死容疑で逮捕”. スポニチアネックス (スポーツニッポン新聞社). (2015年9月2日). http://www.sponichi.co.jp/battle/news/2015/09/02/kiji/K20150902011053170.html 
  29. ^ Jimmy Snuka's Contract 'Suspended' by WWE After Murder Charge”. Rolling Stone.com (September 3, 2015). 2016年10月1日閲覧。
  30. ^ ただし、2016年のWWE Hall of Fameセレモニーにおけるオープニングムービーには登場している(記述が同様に削除されたハルク・ホーガンは登場しない)。
  31. ^ NWA Pacific Northwest Tag Team Title”. Wrestling-Titles.com. 2016年9月30日閲覧。
  32. ^ NWA Canadian Tag Team Title [British Columbia]”. Wrestling-Titles.com. 2016年9月30日閲覧。
  33. ^ NWA Texas Heavyweight Title”. Wrestling-Titles.com. 2016年9月30日閲覧。
  34. ^ NWA Texas Tag Team Title”. Wrestling-Titles.com. 2016年9月30日閲覧。
  35. ^ WWE Yearly Results 1983”. The History of WWE. 2009年2月3日閲覧。
  36. ^ a b NWA National Tag Team Title”. Wrestling-Titles.com. 2010年4月16日閲覧。
  37. ^ WWE Hall of Fame”. Online World of Wrestling. 2016年9月30日閲覧。

外部リンク[編集]