ダリップ・シン

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ザ・グレート・カリ
ザ・グレート・カリの画像
プロフィール
リングネーム ザ・グレート・カリ
ジャイアント・シン
シン・ザ・ジャイアント・コンビクト
本名 ダリップ・シン・ラナ
ニックネーム インドの大巨人
バンジャーブの悪夢
バンジャーブの色男
身長 216cm
体重 157kg
誕生日 (1972-08-27) 1972年8月27日(44歳)
出身地 インドの旗 インド
ヒマーチャル・プラデーシュ州
スポーツ歴 ボディビル
トレーナー APWブートキャンプ
デビュー 2000年
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ダリップ・シンDalip Singh1972年8月27日 - )は、インドプロレスラーである。インドのヒマーチャル・プラデーシュ州出身。新日本プロレスではジャイアント・シンWWEザ・グレート・カリThe Great Khali)のリングネームで活躍している。

来歴[編集]

キャリア初期[編集]

プロレスを始める前は、ボディビルダーとして活躍。ミスター・インドを取るにまで至った。その後、アメリカ西海岸にあるプロレス団体APWでトレーニングを始める。

新日本プロレス[編集]

2001年8月12日の新日本プロレス両国国技館大会で、蝶野正洋TEAM 2000の新メンバーとして紹介。ジャイアント・シンと名乗り、同じく身長2mを超えるジャイアント・シルバと組み、かつて例のない超大型タッグが結成された。しかし、2002年に行われたIWGPタッグ王座決定トーナメント中に2人は仲間割れ。同年3月には一騎討ちをし、ド迫力な試合となった。

2003年1月にはファンタジーファイトWRESTLE-1囚人ギミックのシン・ザ・ジャイアント・コンビクトのリングネームでヤン・ザ・ジャイアント・コンビクトとタッグを組んで出場。その後はメキシコのCMLL(EMLL)のマットにも参戦している。

WWE[編集]

2006年1月2日、WWEと契約。同年4月7日のスマックダウンで、ザ・グレート・カリのリングネームでデビュー。マネージャーにデバリを従え、ジ・アンダーテイカーを中心に抗争する。初登場でテイカーを気絶させた。それが原因でジャッジメント・デイで対決。テイカー相手に勝利する。グレート・アメリカン・バッシュでの再戦ではテイカーとパンジャーブ・プリズン・マッチWWEでは初めての形式。竹でできた牢獄の中で戦う方式である)で戦う予定であったが、盲腸の異常のため突如欠場が表明された。(代理にビッグ・ショーが出場しテイカー対ビッグ・ショーのECW王座戦に変更された。試合は変更されたが、試合形式は変更されないまま行われた。)

その後テイカーと試合を行わなかったことでストーリーに変化が生じたため、ECWに移りトミー・ドリーマーらと戦うが、その後すぐにRAWに移籍。ジョン・シナに照準を絞り、虎視眈々とWWE王座を狙っていた。しかし結局シナから王座を奪還することはできなかった。

ケインとの抗争[編集]

2007年WrestleMania 23に出場を果たした。対戦相手は同じく怪物キャラクターのケイン。ケインはSee No Evil(邦題『シー・ノー・イーヴル 肉鉤のいけにえ』)と言う映画に主演した直後であり、劇中で自らが演じた怪物の持つ凶器チェーンフックを試合に持ち込んだ。この試合で、ケインはカリをボディスラムでマットの上にたたき付けた。しかし試合は結局カリの勝利で終わった。ケインが持ち込んだチェーンフックは結局一度も使用されなかった。しかし、カリは試合終了後にこのチェーンフックを利用してケインの首を締め失神させてしまう。

2007年 - 2014年[編集]

2007年6月に行われたドラフトにてスマックダウンに移籍。7月22日には、20人バトルロイヤルを勝ち抜き、世界ヘビー級王座を獲得した。これが自身初(インド人初でもある)のタイトルとなる。その後のPPVグレート・アメリカン・バッシュでケイン、バティスタとのトリプルスレットマッチで王座防衛に成功している。しかし9月に行われたアンフォーギヴェンでバティスタにタイトルを奪われた(試合形式は、レイ・ミステリオを含めたトリプルスレットマッチ)。

2008年に入るとフィンレーホーンスワグルと抗争していたが、その後は一転してこの2人とタッグを結成。

絶対的な強さと破壊力を持つ選手だが、他選手との体格差がありすぎることが災いして、負けブックが使いづらいキャラクターとなっている。そのため扱いがWWEで最も難しいレスラーとされており[要出典]、対戦相手を選ぶにも選べない難しい状態が続いていた。そのためかスマックダウンでのデビュー直後すぐにECWに移籍、そのまた直後すぐにRAWに移籍。その後再びスマックダウンに戻っている。

しかし、以降はカリズ・キス・カムという、選ばれた女性観客とキスをするというコーナーを担当し、徐々にベビーフェイスとなり、コミカルなキャラクターで人気を得るようになる。

2009年5月頃からドルフ・ジグラーと抗争を開始し、6月28日のザ・バッシュでノーDQ戦で対戦するが試合途中にケインが乱入し、ケインにイスでめった打ちにされたため、ジグラーに敗れる。それがきっかけとなり以降ケインとの抗争を開始する。このケインとの抗争中にカリの通訳をしているランジン・シンがカリの弟だと発覚した(もちろんアングル上。それまでは友人という設定であった)。その後膝の手術のため欠場していたが12月14日のRAWで抗争相手だったケインとタッグを組み復帰した。

2010年に入ってからはマット・ハーディーと組みタッグ戦線で活動していた。4月のスマックダウンでジグラーとの試合後にインドに帰り休養すると宣言したがその後何事もなかったかのようにRAWに登場し、4月末の追加ドラフトにより通訳兼マネージャーのランジン・シンと共にRAWへ移籍。サマースラムではチームWWEの一員としてネクサスとの試合に臨む予定だったが、ネクサスに襲われメンバーを辞退した。

WrestleMania XXVIIではダーク・マッチの22人バトルロイヤルで優勝した。

4月末に行われた追加ドラフトでスマックダウンに移籍した。が、このころからジンダー・マハルがランジン・シンとの仲間に加わる。そして、(ギミック上)カリの妹の夫であるマハルは、離婚をすると脅しカリを手下に加え、カリは言われるがままに従うようになる(その後、マハルのやり方に怒りを覚え、復讐しているが)。

その後マーク・ヘンリーに襲われる形で休場し、退団。インドへと帰郷し、俳優業をやるとしていた。

2012年ロイヤルランブルに15番目として電撃復帰。エリミネーション・チェンバーやレッスルマニアの12人タッグマッチにも参加するがいずれも敗戦。5月にはエゼキエル・ジャクソンとタッグを組みNXTに登場。11月にはナタリヤとカップルギミックとなり、またホーンスワグルも携えている。ナタリヤがタイソン・キッドと婚約した事によりこのギミックは頓挫した。

2014年11月16日、WWEとの契約が満了し、延長することを選ばずに退団となった。

得意技[編集]

カリ・ヴァイス・グリップ
相手の頭を両手で挟みこむアイアンクロー。ベビー転向後はほとんど使われていない。
バンジャーブ・プランジ(カリ・ボム)
現在のフィニッシャー。ダブルハンドチョークスラム(両腕を使ったチョークスラム)。ネック・ハンギング・ツリー状態で相手を持ち上げ、そのまま相手をマットに叩き付ける技。Jsports訳の字幕では「パンジャーブ落とし」。
ブレーンチョップ
相手の脳天へのチョップ。この技一発で相手を倒してしまうこともある。
レッグドロップ
スピンキック
ビッグブーツ
ヘッドバット

同じ巨人レスラーであったアンドレ・ザ・ジャイアントが得意としていたロープに絡まるムーブも披露している。

獲得タイトル[編集]

WWE

入場曲[編集]

  • Danger
  • Land Of Five Rivers

エピソード・備考[編集]

  • 過去にアイアンマンマガジンのインタビューに答えたことによると(英語でインタビューを受けているようなので英語も十分に話せるようである)7人兄弟の3番目として生まれたらしく、22歳からボディビルを始め、ミスター・インドを2年連続で受賞。また両親は175cmほどで身長は普通であるらしい。インドにプロレススクールを持っているとも答えている。
  • 腕周り68cm 胸周り137cm(上記インタビュー時)
  • 韓国のプロレス団体に参戦していた頃、外国人選手の視察に来ていたノア旗揚げ直後の三沢光晴に素質を見込まれ握手を交わしている。
  • TEAM2000時に、蝶野・天山と一緒に「さんまのまんま」に出演し、明石家さんまを驚かせっぱなしであった。また番組の最後には入り口の一番高い所にサインを書いている。
  • 吉江豊と戦ったときに、裏拳で顎を骨折。その後に控えていたジャイアント・シルバ戦が延期になっている。
  • 映画『ロンゲスト・ヤード』に出演したことがある(ストーン・コールド・スティーブ・オースチンボブ・サップも出演している)。
  • かつてはWWEの観客から「YOU CAN'T WRESTLE!!!(へーたくそ!!)」チャントが起こっていた。
  • 2008年公開の映画『ゲット スマート』に、大男ダリープ役で出演している。

外部リンク[編集]