マイク・タイソン
| 基本情報 | |
|---|---|
| 本名 | マイケル・ジェラルド・タイソン (Michael Gerard Tyson) |
| 通称 | アイアンマイク マイティーマイク キッド・ダイナマイト |
| 階級 | ヘビー級 |
| 身長 | 180cm |
| リーチ | 180cm[1] |
| 国籍 | |
| 誕生日 | 1966年6月30日(51歳) |
| 出身地 | ニューヨーク州ニューヨーク市 ブルックリン区ベッドフォード・スタイベサント地区 |
| スタイル | 右ファイター(ピーカブー) |
| プロボクシング戦績 | |
| 総試合数 | 58 |
| 勝ち | 50 |
| KO勝ち | 44 |
| 敗け | 6 |
| 無効試合 | 2 |
マイク・タイソン(Mike Tyson、1966年6月30日 - )は、アメリカ合衆国の男性元プロボクサー。ニューヨーク州ニューヨーク市ブルックリン区ベッドフォード・スタイベサント地区出身。
目次
ボクシングスタイル[編集]
身長180cm(諸説あるが、慈恵医大で測定したところ180cmだった)、リーチ180cm、周囲50cm超の首を誇る。ヘビー級としては小柄ながら巨漢ボクサーを左でもガードごと薙ぎ倒す桁外れのパンチ力と、ヘビー級史上最速の評価をモハメド・アリと分かつフットワークとスピード、急所を正確にコンビネーションで打ち抜く高度なオフェンス技術、そして相手のパンチをガードのみに頼らず、そのほとんどに空を切らせる鉄壁のディフェンス技術を武器に次々に大男たちをキャンバスに沈め、モハメド・アリ引退後のヘビー級停滞期を打ち破りパウンド・フォー・パウンドの頂点に君臨した。現役時代のみならず、長いボクシングの歴史の中においても、最盛期のタイソンはモハメド・アリと並んでボクシング史上最強ボクサーの有力な候補である。
フロイド・パターソンと同門下であり、ともに小柄であることやピーカブースタイルなど、両者には共通点が多い。
来歴[編集]
幼少時代[編集]
- 生い立ち
- 1966年6月30日、アメリカ合衆国ニューヨーク州ニューヨーク市ブルックリン区ベッドフォード・スタイベサント地区に生まれる。
- 家族には5歳年上の兄ロドニーと2歳年上の姉デニスがいる。兄は医師助手として、Los Angeles County-University of Southern California Medical Centerに勤めていて、弟のキャリアを支えており、タイソンのラスベガスでのボクシング戦で何度か目撃されている。タイソンは兄についてインタビューされた際に「兄貴とは深い絆で結ばれている。兄貴はいつも立派だったが自分は何もなかった」と述べている。デニスは心臓麻痺で1991年に25歳で死去している。
- 父親のJimmy Kirkpatrickはタイソンが2歳のときに家族を捨て蒸発している。以後、家族は母親のローラ・スミス・タイソンによって養われる。母親はタイソンが16歳のときにタイソンのボクシングマネージャだったカス・ダマトの手に託して死去している。以後、ダマトはタイソンの法的保護者になる。
- タイソンが幼い頃、一家はブルックリン区内に住んでいた。経済的な問題で、家を転々とした後に、タイソンが7歳の時に当時のアメリカ合衆国の中でも最悪のゲットーと呼ばれていたブルックリン区ブラウンズヴィルに落ち着き、タイソンはそこで育つことになる。
- いじめにより非行へ
- 幼少の頃はその内向的な性格で、現在でもその独特の甘えたようなイントネーションにその名残がうかがえる。スポーツジャーナリストの二宮清純はタイソンへの取材を通じてタイソンに対し自閉症児の様な印象を受けたと語っている。実際、タイソンは自閉症ではないが躁うつ病と診断されており、長期に渡り治療を受けていた。
- 内向的な性格や、大きな近眼鏡を着用していたことから、近所の不良少年達に嘲笑されいじめの対象となる。だが、大事にしていたペットの鳩を年上の不良グループの少年たちに目の前で殺され、我を忘れてその不良達を殴り倒したことから自身の強さに気付き、徐々に荒んだ生活へ進む[2]。
少年時代[編集]
- ボクシングとの出会い
- 12歳までに51回も逮捕され、ニューヨーク州でも最悪の少年が収容されるトライオン少年院に収監。そこで更生プログラムの一環として行われていたボクシングと出会い、少年院のボクシング担当教官だったボビー・スチュワートから手ほどきを受ける。そのことがカス・ダマトに伝わり、タイソンの才能に驚愕した彼が身元引受人となったため少年院を出所後、ダマトの下でボクシングの英才教育を受けることになる。
- アマチュアでの活躍
- まずはアマチュアボクシングでキャリアをスタートし13歳の時に初試合を行った。数年間キャリアを積んでいき、ジュニア・オリンピックのタイトル等を獲得。その後ロサンゼルスオリンピックへの参加を狙うが、国内予選の最終選考会の決勝戦でダウンを奪いながら判定負けを喫し、オリンピックへの参加は叶わなかった。
- タイソンのアマチュアでの通算成績は記録に残っている中では52戦47勝5敗。ただし、USアマチュアボクシング連盟の管理下にない非公式の試合も多く戦っているため、正確な戦績は不明。
プロボクサー時代[編集]
- 破竹の勢いで王座へ
- 1985年3月6日に18歳でプロデビューし、ヘクター・メルセデスに1RTKO勝ちで初戦を白星で飾る。この年、11連勝を飾った直後トレーナーのカス・ダマトが死去。
- その後、通算28連勝し1986年11月22日、29戦目にしてトレバー・バービックに2RTKO勝利し、WBC世界ヘビー級王座を獲得。史上最年少(20歳5か月)で世界ヘビー級王者となる。翌年、1987年3月7日にはジェームス・スミスに判定勝ちし、WBA世界ヘビー級タイトルを獲得。さらに同年8月、トニー・タッカーに判定勝ちしてIBF世界ヘビー級タイトルを獲得して3団体統一に成功。
- 1988年2月に、元ファッションモデルで女優のロビン・ギヴンズと結婚(TVでギヴンズを見かけて一目惚れしたのが始まりという)。しかし、すぐに離婚した。タイソンが支払った慰謝料は1000万ドルだった[3]。
- ドン・キングによるプロモート
- 通算9度の防衛に成功することになるが、1988年に行われたマイケル・スピンクス戦後、カス・ダマトがその生前「グリズリーには近づいても、ドン・キングには近付くな」と絶対に組んではいけないと言っていたドン・キングにプロモートを受ける。それ以来、精彩を欠くようになり、一般的にこの1988年までがタイソンの絶頂期と言われている。
- この年の前半、ボクシングを始めた頃からの後援者であったビル・ケイトンと共にタイソンのマネージメントを担当し、そしてダマト以外では最もタイソンから信頼されていたジム・ジェイコブスが白血病により突然死去。その頃からドン・キングがタイソンの獲得を狙いタイソンの妻であったロビン・ギヴンズに頻繁に接触し取り入ったため、タイソンのチームに亀裂が入り始める。そして年の後半、ダマトの死後からそのボクシング理論を引き継いでタイソンに教えていたケビン・ルーニーを突然解雇。そして、マネージャーのビル・ケイトンも解雇し、ダマトが残したチームはバラバラとなる。
- その後、タイソンはドン・キングとの契約を正式に結ぶことになる。家族同然だったルーニーはボクシングのトレーナーとしてだけでなく、タイソンのモラルや私生活の監視役でもあった。新しいチーム態勢ではタイソンの周囲に金目当ての「イエスマン」ばかりが集まり、タイソンの私生活は急激に乱れる。離婚騒動、自殺未遂、訴訟沙汰、交通事故、放蕩、練習不足、度重なった試合の延期など、リング外でのトラブルの話題が増えて、さらにはレイプ事件の疑いにより三年間収監され、自身の選手生命にも支障が出るようになってしまった。
- 緩慢で雑なボクシング
- 案の定、プロ入り以来初めての長期ブランクを経た1989年のフランク・ブルーノ戦では、別人のような緩慢で雑なボクシングを披露した。このブルーノ戦は勝利するも、まともにカウンターを貰い初めてグラつく姿も見せている。タイソンの兄弟子ホセ・トーレスはこの試合を見て「カスが教えたものは何もかも失われていた。左右への動き、コンビネーション、タイミング、忍耐、最も基本的な左ジャブ…。そして、カス・ダマトと深い繋がりのあったコーナーマン達もそこにはいなかった…」というコメントを残している。
- 次戦のカール・ウイリアムス戦では、わずか1Rのフック一発で試合が決したため目立たなかったが、その動きにかつての切れはなく、生放送では解説の浜田剛史が、タイソンのボクシングに首を傾げるような発言をしている。また、浜田は次の試合の直前には、前回東京で行った試合の前にはコンディションは完璧であったが、それが85パーセントまでしか仕上がっていないと指摘した[4]。次戦、タイソンは試合を急にキャンセル(ドノバン・ラドックとの防衛戦が決定していた)するなど相変わらずゴタゴタが続き、1990年2月11日に日本の東京ドームでジェームス・ダグラスに10ラウンドKO負けしてタイトルを失う(TVで試合中継を見ていたケビン・ルーニーは瞼の腫れにエンスウェルではなく氷嚢を使用したセコンドの無知さに歯噛みしていたという)。これがタイソンのプロキャリアにおける初黒星だった。
- レイプ事件により収監
- 1991年にディズィリー・ワシントンをホテルの一室でレイプしたとして、1992年に刑務所へと収監された(この事件に関してケビン・ルーニーは、タイソンがハメられたと見解を出している。[1]一方ではドン・キングが単に必要経費を惜しんで門外漢の弁護士に裁判を依頼したための結果であるという説もある)。
- 6年の懲役刑を言い渡されたが3年間服役後の1995年に仮釈放され、翌年の1996年3月16日、フランク・ブルーノを3RKOで破り、WBC世界ヘビー級タイトルを再度獲得し、世界王者へと復権する。なお、服役中にイスラム教に改宗し、マリク・アブドゥル・アシスという名を持った。同年9月、ブルース・セルドンを1ラウンドTKOで破り、WBA世界ヘビー級タイトルも獲得。再び統一王者になったが、11月にイベンダー・ホリフィールドに11ラウンドTKOで敗れ、タイトルを失う。
- 耳噛み事件
- 翌年6月28日に行われた再戦では、ホリフィールドのWBA世界ヘビー級王座に挑戦するが、耳噛み事件(雑誌等で世紀の噛み付きとも称された)を起こし、2回の耳噛みにより3R終了時に失格負けとなった[5]。この反則行為により、試合後はリング上で大混乱となり、一年間のライセンス停止処分を受けた。後年、ホリフィールドとはこの件に関しては和解しておりカメラの前で当時の事を冗談交じりに語り合う姿が写し出されている。
- 1997年4月、小児科医で、共和党の政治家マイケル・スティールの妹であるモニカ・ターナーと結婚(2003年離婚)。
- 1999年に復帰するも、年に1試合程度と試合間隔が極端に開くようになる。2002年6月8日にレノックス・ルイスの持つWBC、IBF、IBO世界ヘビー級王座に挑戦。結果は8RKO負け。2003年6月、暴行容疑で再度逮捕。8月2日米連邦裁判所に破産を申請。
- 2004年4月15日、K-1の試合出場契約を結ぶ。日本国内でのプロモート契約であるが、薬物犯罪者という理由で日本に入国できなかったため、実現は不可能であった。2004年7月30日、復帰戦となるノンタイトルマッチで1ラウンド中盤で膝の靭帯断裂。その怪我が響き、ダニー・ウィリアムズに4ラウンドKO負け。2004年12月、器物損壊容疑で逮捕。
- 事実上の引退
- 2005年6月12日、前回の試合で傷めた膝を手術し復帰。無名のケビン・マクブライドを相手に戦うも、年齢から来る体力の衰え、そして膝の怪我の影響からか動きに精彩を欠き、6ラウンド終了後棄権しTKO負け。試合後のリング上でのインタビューで 「もうこれ以上、ボクシングを侮辱したくない」 と、引退を示唆した。正式な引退発表をしなかったが、結局はこれが最後の試合となり、1985年のプロデビューから2005年まで丸20年のプロキャリアに終止符を打った。
引退後〜現在[編集]
- 2006年3月18日、総合格闘技団体「WCFC」でレフェリーを務めた。
- 2006年4月3日、中華人民共和国の毛主席記念堂を訪問する[6]。服役中に読んだ毛沢東を崇拝するタイソンの右腕には毛沢東の入れ墨も彫られている[7]。
- 2006年12月29日、自動車でナイトクラブから帰宅する途中にパトカーと遭遇。衝突しかけた折りに取り調べを受けた際、飲酒運転およびコカイン使用所持(再犯)が発覚したことにより逮捕された。2007年11月19日、禁固1日と執行猶予3年の判決。
- 2008年5月16日、ジェームズ・トバック監督によるドキュメンタリー“マイク・タイソン THE MOVIE”が第61回カンヌ国際映画祭のある視点部門で上映された。同日行われた記者会見では、タイソン本人が作品の題材となった自らの人生について語った。
- 2009年6月6日、ラスベガスでラキハ・スパイサーと3度目の結婚式を挙げた[8]。11月12日、ロサンゼルス国際空港で自分と家族の写真を撮ろうとしたカメラマンともみ合いになり暴行をした疑いで逮捕されたが、その後証拠不十分のため不起訴処分となった。
- 2010年7月2日、メッカ巡礼のためサウジアラビア入りをする[9]。
- 2011年3月6日、アニマルプラネットでタイソン主演のリアリティ番組「マイク・タイソンと鳩レース」放送開始[10]。この番組は話題を呼び、2014年からは大人向けのアニメチャンネルでタイソンと鳩を主人公にしたアニメ「Mike Tyson Mysteries」が放送されている[11]。
- 2011年6月12日、ボクシングを志してからの目標でもあった国際ボクシング殿堂への殿堂入りを果たす。
- ライセンス停止中の1998年3月29日、アメリカのプロレス団体WWEの『レッスルマニアXIV』のメインイベントにて特別レフェリーを務めた経緯から、2012年3月31日にWWE殿堂に迎えられた。
- 2013年9月、FOXスポーツ1で全6回のドキュメンタリー「BEING MIKE TYSON」が放送された[12]。同番組は、イベンダー・ホリフィールド、ジム・ブラウン、モハメド・アリ、総合格闘技団体UFCとの交流、若手ボクサー指導やブロードウェイ挑戦の模様などを撮影したものである。
- 2013年11月12日、自叙伝「Undisputed Truth」を出版。同書の日本語訳は2014年7月18日、「マイク・タイソン自伝 真相」のタイトルで出版されている[13]。
- 2015年12月に香港をはじめ世界で公開されたドニー・イェン主演の人気映画シリーズ「イップ・マン 序章」「イップ・マン 葉問」に続くパート3「イップ・マン 継承」に出演、劇中ドニー・イェンとのアクションを披露した。映画はアジアの国々で大ヒットとなった[14]。
政治的スタンス[編集]
2016年のアメリカ大統領選挙では、右派のドナルド・トランプ(共和党)を支持した[15]。
アイアン・マイク・プロモーションズ[編集]
2012年1月にプロモーターのギャリー・ジョナスがアクウェインティ・スポーツというプロモーションを設立。
2013年8月にジョナスがタイソンと共同経営の契約を結びアイアン・マイク・プロモーションズとプロモーション名を変えた[16]。
2014年11月以降興行を主催しておらず活動を停止した。主に世界王者になったメンデスとパヤノはレオン・マグダレス率いるアル・ヘイモンに近いウォリアーズ・ボクシングに引き抜かれた。
- 主な所属選手
- アルヘニス・メンデス(第29代IBF世界スーパーフェザー級王者)
- ファン・カルロス・パヤノ(元WBA・IBO世界バンタム級スーパー王者)
日本の格闘技団体等との関係[編集]
- タイソンのネームバリューは格闘技団体にとっては最高のターゲットである。アントニオ猪木が最初に、後にK-1、さらにはPRIDEが頻繁にタイソン招聘を望んでいる。だが、タイソンの収入と日本プロレス界が出せる金額にあまりにも差があり、実現することはなかった。
- 2003年8月15日、K-1 WORLD GP 2003 in LAS VEGASではボブ・サップがキモとの試合後にリングサイドで観戦していたタイソンがリングに入り込んだ事で、サップが殴りかかり「Tyson, you're next!!(タイソン、次はお前だ!)」と挑発。タイソンが「Sign the contract big boy.(契約書にサインしな、デカい坊や)」と返答したことからサップとの対戦が行われるのではと格闘技ファンの期待を煽ったが、未だ実現していない。高額なファイトマネーが下げられない事や、タイソンの犯罪歴による入国不可問題(日本国または日本国以外の国の法令に違反して1年以上の懲役もしくは禁固、又はこれらの相当する刑に処せられた事のある者は原則として日本に入国不可)などが絡んでいる。サップは当初から対戦が頓挫すると予想していたが、これ以来タイソンとサップは共に食事に出かけるなど友人関係を築き上げている[17]。
逸話[編集]
| この節に雑多な内容が羅列されています。事項を箇条書きで列挙しただけの節は、本文として組み入れるか、または整理・除去する必要があります。(2012年9月) |
- かつて日本テレビ系で放送されていた『クイズ世界はSHOW by ショーバイ!!』にゲストとして出演したことがある。その際、解答者として出演していたタイソンファンの安部譲二がタイソンにミリオンスロットのボタンを押してもらったが、使い勝手のわからないタイソンは「アーイ!」と叫んでボタンをおもいっきり押しスロットを破壊してしまい、女性出演者が「あっ壊しちゃった!」と驚き笑う事態となった。ちなみに破壊の度合いは得点が表示される画面が消えたというもので、筐体の全壊には至っていない。
- 1987年に元々は景品用だったファミコンのゲームソフト、『パンチアウト!!』を、日本国内ではタイソン自身がゲーム中に出てくる『マイクタイソン・パンチアウト!!』として一般販売された。CMやパッケージにもタイソンが起用されていたが、肖像権や数々の不祥事によりバーチャルコンソール等で移植される際は全て景品版になっている。
- 『ストリートファイターII』に登場しているマイク・バイソン(MIKE BISON, M.BISON)は彼がモデルとなっているが、海外版では肖像権等の影響で名前のみバルログ(BALROG)に変更されている。
- 2009年に娘を事故で失い、そのショックから立ち直り人生を変えるため、肉食を絶ちヴィーガン(菜食主義)へ転向したことを告白。
- 自叙伝にて、現役時代に試合前に禁止薬物を服用し、他人の尿を使って薬物検査をパスしていた事を明かした[18]。本人は「完全なコカイン中毒だった」と語る。
- UFC代表のダナ・ホワイトと親交があり、計量会場やリングサイドによく出没している[19]。ダナ・ホワイトに悪戯したりもする[20]
- PS4/XBOXONE対応ゲームソフト『EA SPORTS UFC2』に予約特典として非MMA選手ながら参戦。通常の購入の場合は、キャリアモードを殿堂入りしてクリアすることにより、全盛期のタイソンと現在のタイソンを使用することができる。テイクダウンやサブミッションを使用できないという特殊なキャラクターで、圧倒的なパンチスピードと破壊力抜群のパンチを誇る。
戦績[編集]
- プロボクシング:58戦 50勝 44KO 6敗 2無効試合
| 戦 | 日付 | 勝敗 | 時間 | 内容 | 対戦相手 | 国籍 | 備考 |
|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 1 | 1985年3月6日 | ☆ | 1R 1:47 | TKO | ヘクター・メルセデス | プロデビュー戦 | |
| 2 | 1985年4月10日 | ☆ | 1R | TKO | トレント・シングルトン | ||
| 3 | 1985年5月23日 | ☆ | 4R | KO | ドナルド・ハルビン | ||
| 4 | 1985年6月20日 | ☆ | 1R 0:39 | KO | リッキー・スペイン | ||
| 5 | 1985年7月11日 | ☆ | 2R | TKO | ジョン・アンダーソン | ||
| 6 | 1985年7月19日 | ☆ | 3R 2:04 | KO | ラリー・シムズ | ||
| 7 | 1985年8月15日 | ☆ | 1R 1:05 | KO | ロレンゾ・キャナディ | ||
| 8 | 1985年9月5日 | ☆ | 1R 0:39 | KO | マイケル・ジョンソン | ||
| 9 | 1985年10月9日 | ☆ | 1R 1:28 | TKO | ドニー・ロング | ||
| 10 | 1985年10月25日 | ☆ | 1R 0:37 | TKO | ロバート・コーリー | ||
| 11 | 1985年11月1日 | ☆ | 1R 0:54 | TKO | スターリング・ベンジャミン | ||
| 12 | 1985年11月13日 | ☆ | 1R 1:17 | KO | エディ・リチャードソン | ||
| 13 | 1985年11月22日 | ☆ | 2R | TKO | コンロイ・ネルソン | ||
| 14 | 1985年12月16日 | ☆ | 1R 1:19 | TKO | サミー・スカフ | ||
| 15 | 1985年12月27日 | ☆ | 1R 0:50 | TKO | マーク・ヤング | ||
| 16 | 1986年1月11日 | ☆ | 1R 2:16 | TKO | デビッド・ジャコ | ||
| 17 | 1986年1月24日 | ☆ | 5R 0:46 | TKO | マイク・ジェームソン | ||
| 18 | 1986年2月16日 | ☆ | 6R 1:19 | TKO | ジェシー・ファガーソン | ||
| 19 | 1986年3月10日 | ☆ | 3R 2:39 | KO | スティーブ・ゾウスキー | ||
| 20 | 1986年5月3日 | ☆ | 10R | 判定3-0 | ジェームス・ティリス | ||
| 21 | 1986年5月20日 | ☆ | 10R | 判定3-0 | ミッチ・グリーン | ||
| 22 | 1986年6月13日 | ☆ | 1R | TKO | レジー・グロス | ||
| 23 | 1986年6月28日 | ☆ | 1R 2:03 | KO | ウィリアム・ホシー | ||
| 24 | 1986年7月11日 | ☆ | 2R 1:43 | KO | ロレンゾ・ボイド | ||
| 25 | 1986年7月26日 | ☆ | 1R 0:30 | KO | マービス・フレージャー | ||
| 26 | 1986年8月17日 | ☆ | 10R | TKO | ホセ・リバルタ | ||
| 27 | 1986年9月6日 | ☆ | 2R 1:41 | TKO | アルフォンソ・ラトリフ | ||
| 28 | 1986年11月22日 | ☆ | 2R 2:35 | TKO | トレバー・バービック | WBC世界ヘビー級タイトルマッチ | |
| 29 | 1987年3月7日 | ☆ | 12R | 判定3-0 | ジェームス・スミス | WBC・WBA世界ヘビー級タイトルマッチ・WBC防衛1 | |
| 30 | 1987年5月30日 | ☆ | 6R 2:00 | TKO | ピンクロン・トーマス | WBC防衛2・WBA防衛1 | |
| 31 | 1987年8月1日 | ☆ | 12R | 判定3-0 | トニー・タッカー | WBC・WBA・IBF世界ヘビー級タイトルマッチ・WBC防衛3・WBA防衛2 | |
| 32 | 1987年10月16日 | ☆ | 7R 2:59 | TKO | タイレル・ビッグス | WBC防衛4・WBA防衛3・IBF防衛1 | |
| 33 | 1988年1月22日 | ☆ | 4R 2:55 | TKO | ラリー・ホームズ | WBC防衛5・WBA防衛4・IBF防衛2 | |
| 34 | 1988年3月21日 | ☆ | 2R 2:54 | TKO | トニー・タッブス | WBC防衛6・WBA防衛5・IBF防衛3 | |
| 35 | 1988年6月27日 | ☆ | 1R 1:31 | KO | マイケル・スピンクス | WBC防衛7・WBA防衛6・IBF防衛4 | |
| 36 | 1989年2月25日 | ☆ | 5R 2:55 | KO | フランク・ブルーノ | WBC防衛8・WBA防衛7・IBF防衛5 | |
| 37 | 1989年7月21日 | ☆ | 1R 1:33 | TKO | カール・ウィリアムス | WBC防衛9・WBA防衛8・IBF防衛6 | |
| 38 | 1990年2月11日 | ★ | 10R | KO | ジェームス・ダグラス | WBC・WBA・IBF王座陥落 | |
| 39 | 1990年6月16日 | ☆ | 1R 2:47 | KO | ヘンリー・ティルマン | ||
| 40 | 1990年12月8日 | ☆ | 1R 2:27 | TKO | アレックス・スチュワート | ||
| 41 | 1991年3月18日 | ☆ | 7R 2:22 | TKO | ドノバン・ラドック | ||
| 42 | 1991年6月28日 | ☆ | 12R | 判定3-0 | ドノバン・ラドック | ||
| 43 | 1995年8月19日 | ☆ | 1R | 失格 | ピーター・マクニーリー | ||
| 44 | 1995年12月16日 | ☆ | 3R 2:32 | KO | バスター・マシスJr | ||
| 45 | 1996年3月16日 | ☆ | 3R 0:50 | TKO | フランク・ブルーノ | WBC世界ヘビー級タイトルマッチ | |
| 46 | 1996年9月7日 | ☆ | 1R 1:49 | TKO | ブルース・セルドン | WBA世界ヘビー級タイトルマッチ・WBC防衛1 | |
| 47 | 1996年11月7日 | ★ | 11R | TKO | イベンダー・ホリフィールド | WBA王座陥落 | |
| 48 | 1997年6月28日 | ★ | 3R | 失格 | イベンダー・ホリフィールド | WBA世界ヘビー級タイトルマッチ | |
| 49 | 1999年1月16日 | ☆ | 5R 2:59 | KO | フランソワ・ボタ | ||
| 50 | 1999年10月23日 | NC | 1R 3:00 | ノーコンテスト | オーリン・ノリス | ||
| 51 | 2000年1月29日 | ☆ | 2R 1:03 | TKO | ジュリアス・フランシス | ||
| 52 | 2000年6月24日 | ☆ | 1R 0:38 | TKO | ルー・サバリーゼ | ||
| 53 | 2000年10月20日 | NC | 2R | ノーコンテスト | アンドリュー・ゴロタ | ||
| 54 | 2001年10月13日 | ☆ | 7R | TKO | ブライアン・ニールセン | ||
| 55 | 2002年6月8日 | ★ | 8R 2:25 | KO | レノックス・ルイス | WBC・IBF・IBO世界ヘビー級タイトルマッチ | |
| 56 | 2003年2月22日 | ☆ | 1R 0:49 | KO | クリフォード・エティエンヌ | ||
| 57 | 2004年7月30日 | ★ | 4R 2:51 | KO | ダニー・ウィリアムズ | ||
| 58 | 2005年6月11日 | ★ | 6R 3:00 | TKO | ケビン・マクブライド |
獲得タイトル[編集]
ペイ・パー・ビュー売上げ[編集]
| 日付 | イベント | 売上げ |
|---|---|---|
| 1988年6月27日 | マイク・タイソン vs. マイケル・スピンクス | 70万件[21] |
| 1991年3月18日 | マイク・タイソン vs. ドノバン・ラドック 1 | 96万件[21] |
| 1991年6月28日 | マイク・タイソン vs. ドノバン・ラドック 2 | 125万件[21] |
| 1995年8月15日 | マイク・タイソン vs. ピーター・マクニーリー | 155万件[21] |
| 1996年3月16日 | マイク・タイソン vs. フランク・ブルーノ | 137万件[21] |
| 1996年9月7日 | マイク・タイソン vs. ブルース・セルドン | 115万件[21] |
| 1996年9月11日 | マイク・タイソン vs. イベンダー・ホリフィールド 1 | 159万件[21] |
| 1997年6月28日 | マイク・タイソン vs. イベンダー・ホリフィールド 2 | 199万件[21] |
| 1999年1月16日 | マイク・タイソン vs. フランソワ・ボタ | 75万件[21] |
| 2000年10月20日 | マイク・タイソン vs. アンドリュー・ゴロタ | 45万件[21] |
| 2002年6月8日 | マイク・タイソン vs. レノックス・ルイス | 197万件[21] |
| 2003年2月22日 | マイク・タイソン vs. クリフォード・エティエンヌ | 10万件[21] |
| 2004年7月30日 | マイク・タイソン vs. ダニー・ウィリアムズ | 15万件[21] |
| 2005年6月11日 | マイク・タイソン vs. ケビン・マクブライド | 25万件[21] |
出演作品[編集]
映画[編集]
- クロコダイル・ダンディー in L.A. Crocodile Dundee in Los Angeles (2001)
- マイク・タイソン THE MOVIE Tyson (2008)
- ハングオーバー! 消えた花ムコと史上最悪の二日酔い The Hangover (2009)
- ハングオーバー!! 史上最悪の二日酔い、国境を越える The Hangover: Part II (2011)
- ロッキー ザ ファイナル "Rocky Balboa"
- イップ・マン 継承 葉問3(2015)
CM[編集]
- サントリードライ(サントリー、1988年)
- トヨタトラック(トヨタ自動車、ダイナ・トヨエース・ハイエーストラックとの共同CM、1988年~1989年)
- マイクタイソン・パンチアウト!!(任天堂、ファミコンソフト)
脚注[編集]
- ^ 『ボクシングヘビー級最強伝説』 ベースボール・マガジン社、2009年5月29日、13頁
- ^ タイソンはこのときのことを後に、「お袋はストリートで新しい服をかっぱらってきた俺のことを喜んではいなかった。俺はお袋とそのことについてどう思うかと話したり知ろうとする機会がなかった。プロとして自分のキャリアには影響していないが、精神的・個人的に自分の重荷となった」と語っている。
- ^ マイク・タイソン、ベッドで妻とブラッド・ピットを発見!三角関係を激白MovieWalker 2012年12月4日 17時04分 配信
- ^ “Big Mike shakes off the pounds – and his lethargy” (英語). The Glasgow Herald. (1990年2月10日). p. 18 2011年1月5日閲覧。
- ^ 1997年6月30日付日刊スポーツ紙面
- ^ “Big Mike shakes off the pounds – and his lethargy”. BBC. (2006年4月3日) 2016年11月8日閲覧。
- ^ “元ボクシング王者マイク・タイソン氏、今後は「歌って踊りたい」”. AFP. (2012年9月23日) 2016年11月8日閲覧。
- ^ タイソン氏3度目の結婚 ボクシングニュース「Box-on!」 2009年6月12日
- ^ マイク・タイソンさん、メッカ巡礼 服役後に入信 朝日新聞 2010年7月4日
- ^ タイソン氏「ハトは人生の一部」、TV番組で意外な一面披露ロイター通信、2011年 3月4日
- ^ マイク・タイソンを直撃、自身のアニメと過去を振り返る!シネマトゥデイ、2014年10月19日
- ^ BEING MIKE TYSON FOXスポーツ&エンターテイメント
- ^ 真相――マイク・タイソン自伝 ダイヤモンド社書籍オンライン
- ^ 海外で「最も売れた中国語映画」に!人気シリーズ最新作「イップ・マン3」、各国で新記録を樹立―香港 レコードチャイナ、2016年2月24日
- ^ http://www.cbsnews.com/pictures/celebrities-who-support...trump/9/
- ^ マイク・タイソン氏が来月プロモーター・デビュー Boxing News(ボクシングニュース) 2013年7月20日
- ^ ボブ・サップ『野獣の怒り』(双葉社)
- ^ マイク・タイソン、試合前の薬物使用を認める 検査には他人の尿を使用 YAHOO! JAPAN ニュース 2013年11月13日
- ^ 【UFC160】マイク・タイソンも登場。公開計量終了――。 MMAPLANET 2013年5月25日
- ^ Mike Tyson (again) punks Dana White on the UFC jet MMAjunkie 2014年6月18日
- ^ a b c d e f g h i j k l m n “Post-Mayweather-Pacquiao, interest in boxing has sagged in 2015”. Bad Left Hook (2015年10月23日). 2015年10月27日閲覧。
関連項目[編集]
- 男子ボクサー一覧
- 世界ボクシング協会(WBA)世界王者一覧
- 世界ボクシング評議会(WBC)世界王者一覧
- 国際ボクシング連盟(IBF)世界王者一覧
- 統一世界王者
- パンチアウト!! - キャラクターの一人としてタイソンが登場する。
- リングマガジン ファイター・オブ・ザ・イヤー - 2度選出(1986年、1988年)
- マイク・バイソン - タイソンをモデルとしているストリートファイターシリーズのキャラクター(日本国外版ではBALROG)
- しくじり先生 俺みたいになるな!! - 2015年11月30日放送の3時間SPにて「しくじり偉人伝」として、中田敦彦がタイソンについて講義を行った。
外部リンク[編集]
- Mike Tyson Official Site
- The Ultimate Mike Tyson Fan Website
- Mike Tyson (@MikeTyson) - Twitter
- Mike Tyson - Facebook
- マイク・タイソンの戦績 - BoxRec(英語)
- Taking on Tyson:Animal Planet
- WWE Hall of Fame
| 前王者 トレバー・バービック |
WBC世界ヘビー級王者 1986年11月22日 - 1990年2月11日 |
次王者 ジェームス・ダグラス |
| 前王者 ジェームス・スミス |
WBA世界ヘビー級王者 1987年3月7日 - 1990年2月11日 |
次王者 ジェームス・ダグラス |
| 前王者 トニー・タッカー |
IBF世界ヘビー級王者 1987年8月1日 - 1990年2月11日 |
次王者 ジェームス・ダグラス |
| 前王者 フランク・ブルーノ |
WBC世界ヘビー級王者 1996年3月16日 - 1996年9月24日(剥奪) |
空位 次タイトル獲得者 レノックス・ルイス |
| 前王者 ブルース・セルドン |
WBA世界ヘビー級王者 1996年9月7日 - 1996年11月9日 |
次王者 イベンダー・ホリフィールド |
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