ジェフ・ハーディー

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ジェフ・ハーディー
Jeff Hardy as Brother Nero in January 2017 posing as one-half of the TNA World Tag Team Champions.jpg
プロフィール
リングネーム ジェフ・ハーディー
本名 ジェフリー・ニーロ・ハーディー
ニックネーム カリスマティック・エニグマ
レインボー・ヘア・ウォーリアー
ウィロー
ブラザー・ニーロ
身長 188cm
体重 102kg
誕生日 (1977-08-31) 1977年8月31日(40歳)
出身地 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
ノースカロライナ州の旗ノースカロライナ州
キャメロン
所属 WWE
トレーナー ドリー・ファンク・ジュニア
デビュー 1993年10月15日
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ジェフ・ハーディーJeffrey Nero "Jeff" Hardy1977年8月31日 - )は、アメリカ合衆国プロレスラーノースカロライナ州キャメロン出身[1]

兄のマット・ハーディーもプロレスラーである。

体の至る所にタトゥーを入れており、試合時は顔に蛍光塗料でペイントを施し、入場時に紋様が浮かび上がる。

来歴[編集]

キャリア初期[編集]

レスラーとしてのキャリア初期は兄と共に歩んでいる。ドリー・ファンク・ジュニアの元でプロレスラーとしての基礎トレーニングを積んだ後、1993年、ECWFにてマットとの兄弟対決で共にプロレスラーデビューを果たす。

WWF(後のWWE)とは、1994年1996年に契約のチャンスがあったものの契約に至らなかった[2]。その間、マットがプロデュースする、OMEGA(Organization Of Modern Extreme Grappling Arts)などのインディー団体で活動を行っていた。

WWF / WWE[編集]

1998年 - 2003年[編集]

1998年に兄弟ともにWWFと契約。初期はジンクス・ブラザーズという覆面レスラーのタッグチームで出場していたがまったく成功せずフェードアウト。以降ハーディー・ボーイズとしてタッグ戦線で世界タッグ王座を5回獲得する活躍をしている。2001年4月10日のSmackDown!にて、トリプルHを破り、当時の最年少記録でIC王座を獲得している。しかし、翌週トリプルHに敗れ、わずか一週間で王座から陥落してしまった。最年少での王座獲得や、相手がトップヒールのトリプルHだったこともあり、本人もこの勝利には思い入れが強い。兄弟でのタッグチーム活動は2002年まで続くことになる。

2002年、ハーディー・ボーイズはRAWデビュー直後のブロック・レスナーの最初の抗争相手を務めたが、レスナーをプッシュするためのジョバーとも言うような役回りであった。ジェフは4月21日に行われたBacklash 2002でレスナーのTVマッチデビュー戦の相手をし、敗退した。レスナーとの抗争が終わると、ハーディー・ボーイズは前年からの遺恨が残るジ・アンダーテイカーに絡むようになる。7月1日のRAWで行なわれたジ・アンダーテイカーとのラダー・マッチ形式のWWE王座戦は、ジェフのキャリアにおいて、自他共に認めるベストバウトと言う程の高評価を得た。この試合をきっかけにジェフはシングルでの試合が多くなり、2002年7月8日ウィリアム・リーガルからWWE欧州王座を奪うなど活躍した。ジェフが活躍が増えるにつれマットの活躍が少なくなり、それに嫉妬したマットがジェフを裏切りSmackDown!へ移籍、ハーディー・ボーイズは解散した。

2003年、シングルでトリッシュ・ストラタスとのストーリーが展開中であったが、4月22日にWWEを解雇された。解雇の原因は、表向きはバンド活動に専念したいとWWEに訴えが、却下され対立したとの発表があったが、実際は、精神的に追い詰められ、ドラッグに手を出し、リハビリも断ったために解雇されたのが真相である。

TNA[編集]

2004年 - 2006年[編集]

WWE解雇後はROHへ参戦し、後に2004年7月から自身のバンドPeroxwhy?genの宣伝の一環としてTNAに所属する。TNAでは、Xディヴィジョン戦線のレスラーとして活動していたが、ジェフ・ジャレットとのヘビー級王座をめぐる抗争ではラダーマッチや、アビスとの抗争では画鋲の上に落とされたりとかなり激しいハードコアマッチもこなした。TNA内でのジェフの人気は高く、彼のグッズの売上はTNA所属レスラーの中でも常に上位にあった。

ちなみに、ROH参戦当初は相変わらず治らない遅刻癖と、レスリングよりバンドを選ぼうとしてWWEを解雇されたことから非常に嫌われており、「We want Matt!(マットを出せ!)」と激しいブーイングを受けていた。一方でマットはWWE在籍時ジェフを妨害する形でヒールターンしていたため、「We want Jeff!(ジェフを出せ!)」とヤジられていた。

WWE[編集]

2006年[編集]

入場時のパフォーマンス(2007年)

2006年8月にWWEと再契約し、SummerSlam 2006翌日のRAWに登場している。RAW登場後は、ジョニー・ナイトロとのIC王座を巡る抗争を展開する。そして10月2日のRAWで自身2度目となるIC王座を獲得した。その後11月5日に行われたCyber Sunday 2006では、カリートの挑戦を受け、王座を防衛している。 そしてその後、ナイトロとの抗争が再び本格化し、11月6日に行われたIC王座戦で一度はメリーナの介入による反則で勝利するものの、エリック・ビショフが登場しNO DQで試合を強制再開させ、ナイトロにベルトで殴られ王座から転落する。 その翌週のRAWでもIC王座戦が行われ、ナイトロの一瞬の隙をつきジェフが勝利し3度目の王座に返り咲いた。

2007年[編集]

その後、2007年の1月29日にはザ・グレート・カリとのIC王座戦に臨んだが、カリの長身と怪力には全く歯が立たず、カリの凄まじいチョップを浴び、リング外に転落し10カウントで敗れる。しかしカウントアウトでは王座は移動しないというルールに救われ防衛を果たした。 2月19日のRAWで、WWE会長のビンス・マクマホンウマガにIC王座に挑むチャンスを与えた。これは、ビンスが当時抗争していたドナルド・トランプへの見せしめに組まれた試合であり、実際に試合が始まるとウマガはサモアンスパイクでジェフを圧倒、IC王座はウマガの物となってしまった。

その後、WrestleMania 23マネー・イン・ザ・バンク・ラダー・マッチに出場。その試合には破れたが、大会翌日のRAWで行われた10チームバトルロイヤル戦で兄マット・ハーディーと世界タッグ王座を獲得。4月29日のBacklash 2007では、ランス・ケイド&トレバー・マードック組の挑戦を受け、勝利し防衛する。6月3日のWWE One Night Stand 2007では、ワールド・グレイテスト・タッグチーム(WGTT)とラダー・マッチによる王座戦を行い王座を防衛するが、翌日のRAWでビンス・マクマホンにより王座戦を組まれ、前日の試合でのダメージも影響し、ランス・ケイド&トレバー・マードックに奪取される。

その後再びIC王座戦線に復帰し、7月22日のThe Great American Bash 2007でウマガの持つIC王座に挑戦するも敗れる。この試合を皮切りに、ウマガとのIC王座抗争が繰り広げられる予定であったが、7月23日のRAWで行われたMr.ケネディとの試合で首と背中を痛め、それが原因でジェフが試合を無断で休んでしまったため(本人は許可を得たと主張している)、WWEから1か月の謹慎処分を言い渡され実現には至らなかった。その後、8月27日のRAWでMr.ケネディとの試合で復帰した。ジェフの復帰に伴い本格的にウマガとの抗争が始まると思われたが、今度はウマガが薬物違反での謹慎処分を受けたために、完全に頓挫してしまった。それに伴い、9月2日のRAWでウマガからIC王座を奪う。

12月16日に行われたArmageddon 2007でトリプルHとの勝者WWE王座挑戦権獲得マッチに勝利し、ロイヤルランブルランディ・オートンの持つWWE王座に挑戦する権利を得る。これは、ジェフにとって2度目の王座挑戦となる。

2008年[編集]

1月27日のRoyal Rumble 2008にてWWE王座戦に臨んだが、ランディ・オートンに敗れ、王座獲得とはならなかった。翌日のRAWではGMのウイリアム・リーガルがNo Way Out 2008にて、WWE王座挑戦権争奪エリミネーション・チェンバー・マッチを行うと発表。ジェフもその出場者に名を連ねることになる。そして、2月17日のNO WAY OUT 2008のエリミネーション・チェンバー・マッチでは、最後の二人まで残るがトリプルHに敗れ、WWE王座挑戦権獲得とはならなかった。その翌日のRAWで、ジーン・スニツキーとのマネー・イン・ザ・バンク・ラダー・マッチ予選試合に勝利し、出場権を獲得した。

3月10日のRAWでクリス・ジェリコにIC王座を奪われる。これは、その直前に薬物違反が発覚し、60日間の謹慎処分(謹慎期間は3月11日から5月11日まで)を受けたための処置であり、WrestleMania24のマネー・イン・ザ・バンク・ラダー・マッチの出場権も剥奪され、欠場することになった。今回のジェフの薬物違反は通算で二度目。WWEは三回の薬物違反で解雇するという規定があるため、再度薬物違反が発覚した場合、WWEから強制解雇になる可能性がある(7月のインタビューで、薬物違反について「自分はファンを裏切ってしまったことを、本当に申し訳ないと思っている」とコメントした。また、週に2、3回ほど採尿検査を受けているとのこと)。

この謹慎中の3月15日に自宅のトレーラーハウスが全焼し、愛犬ジャックが死んでしまうという事故が起きる。ジェフは愛犬がいなくなった時は、WWEの番組収録をサボってまで探しに行くほど溺愛していたため心労で体調を崩した。

5月12日のRAWで無事に復帰を果たし、ファンから大声援を受ける。ファンに復帰の報告している最中にGMでキングのウィリアム・リーガルにウマガとの対戦を命じられるが自らの復帰戦を勝利で飾る。6月23日、RAW3時間特番のドラフトにてSmackDown!へ移籍。WWE王座を巡ってUnforgiven、No Mercy、Cyber Sundayにて同じくドラフトでSmackDown!へと移籍したトリプルHに挑むもいずれも敗北。12月14日のアルマゲドンで行われたエッジ、トリプルHとのトリプルスレットマッチに勝利し、WWE王座を奪取する。

2009年[編集]

Royal Rumble前にノースカロライナ州で当て逃げ事故に遭う。その数週間後、「カッティング・エッジ」に出演する際、入場時の花火がジェフに向かって暴発し、また事故に遭う。(いずれもアングル上の出来事)そして、そのRoyal Rumbleでマットの裏切りに遭い王座から陥落する。2月のノー・ウェイ・アウトでのエリミネーション・チェンバー・マッチで王座を取り戻そうとするも失敗に終わる。ロイヤルランブル以降もマットの妨害や挑発は続き、マネー・インザ・バンク戦出場をかけた試合でもマットの乱入により敗北する。その翌週のスマックダウンではリング上でジェフに起きた一連の事故の犯人は自分だとマットが語ったことに激怒し、本格的に抗争を開始する。そして4月5日のWrestleMania 25で対戦、敗れるが4月26日のBacklash 2009で"アイ・クイット"マッチでマットに勝利し雪辱を果たした。その後世界ヘビー級王座の第一挑戦者となったジェフがJudgment Day 2009でエッジをあと一歩のところまで追い詰めたところでまたもやマットの乱入に遭い王座奪取とはならなかった。6月7日のエクストリーム・ルールズでのラダーマッチでエッジに勝利し世界ヘビー級王座を獲得するが、試合後現れマネー・イン・ザ・バンクの権利を行使したCMパンクに敗れ戴冠後すぐに王座を失った。ここからCMパンクとの抗争が開始され、7月26日のNight Of Cnampions 2009でパンクに勝利し世界ヘビー級王者に返り咲く。その後マットが復帰、ジェフに謝罪したためハーディー・ボーイズが再結成され、ジョン・モリソンと共にパンク、ハート・ダイナスティと闘い、全盛期のように見事な連携を見せた(マットがパンクにツイスト・オブ・フェイトを決め勝利)。続く8月23日のSummerSlam 2009でパンクとの再戦がTLC形式で行われるが、これに敗れ再び王座から転落する。さらにサマースラム直後のスマックダウンにおいてパンクとの間で敗者はWWEから追放となるスティール・ケージ・マッチが行われ、これにも敗れたジェフはWWEから姿を消すこととなった。(実際はジェフの自身の活動に専念したいという希望による離脱)。離脱した翌日、薬物所持の違反で逮捕された。ジェフはこの容疑を否認している。

TNA[編集]

2010年[編集]

2010年1月4日、TNAiMPACT!にてX Divisionレスラーによるスティールアサイラムマッチ終了後、観客席から突如現れてレスラー達を襲撃し、金網の天井へと駆け上がると観客から大歓声で迎えられた。3月8日、復帰戦をAJスタイルズとノンタイトルマッチを行う事になり、アビスが立会人となり、スタイルズのセコンドに就いたリック・フレアーの介入に苦戦しながらも勝利した。同月には新たにTNAに入団して来たロブ・ヴァン・ダムと一時的に共闘してTNA世界ヘビー級王座獲得へと照準を絞るが、結果的にはロブ・ヴァン・ダムにベルトを譲る形になった。

9月5日、PPVであるNo Surrender 2010にてロブ・ヴァン・ダムが返還したTNA世界ヘビー級王座を巡る挑戦者決定戦にカート・アングルと対戦するも時間切れでの引き分けという結果に終わり、翌6日のiMPACT!にて再戦するも両者KOという形になった。この事からジェフとアングル、両者共に王座戦の挑戦権を得た。

10月10日、PPVであるBound for Glory 2010のメインイベントにてカート・アングル、ミスター・アンダーソンとの3wayでTNA世界ヘビー級王座戦を行い、終盤に乱入して来たハルク・ホーガンが持ち込んだ松葉杖を受け取るとミスター・アンダーソンを殴打してフォールを奪い、電撃的なヒールターンを果たすと同時にTNA世界ヘビー級王座を奪取した。

2011年[編集]

2011年1月4日、当時TNAと提携していた新日本プロレスに初参戦する事になり、年間最大のイベントであるレッスルキングダムV in 東京ドームに出場。内藤哲也TNA世界ヘビー級王座戦を行って勝利し、防衛を果たした。

同月9日にPPVであるGenesis 2011においてミスター・アンダーソンに敗北し、ベルトを失うが、2月13日のPPV、Against All Odds 2011で行われたラダー・マッチにおいてミスター・アンダーソンに勝利して再びベルトを奪い返してみせた。しかし、24日にはスティングにベルトを奪取され、TNAヘビー級王座は目まぐるしく王座移動を展開した。

スティングからベルトを奪われて以降、TNA世界ヘビー級王座戦線から離脱し、ジェフ・ジャレットと抗争を展開。11月13日、PPVであるTurning Point 2011にてジャレットとのシングルマッチで開始5秒で勝利する快挙を見せるも、レフェリーの裁定に憤慨したジャレットが抗議し、再戦するも返り討ちにして見せた。

2012年[編集]

2012年1月8日、PPVであるGenesis 2012にてTNA世界ヘビー級王者であるボビー・ルードに挑戦するが反則最低による勝利にはなったもののベルトの移動はされなかった。同月12日に再戦するも今度はジェフがルードに反則行為を行いノーコンテストとなった。この一件によりルードとはベルトを巡って長期抗争に展開するも結局王者になる事ができずに終わった。

6月より開始されたBound for Gloryシリーズにエントリーして順当に勝利点を稼ぎ、9月9日のPPV、No Surrender 2012にて 準決勝でサモア・ジョー、そして決勝でブリー・レイから勝利して優勝を果たすと同時に、TNA世界ヘビー級王座挑戦権を手に入れた。そして10月14日、Bound for Glory 2012にて世界ヘビー級王者であるオースチン・エイリースに挑戦して勝利し、3度目の王座を戴冠した。

2013年[編集]

TNAヘビー級王座戴冠後、エイリースとルードとベルトを巡って抗争を展開するも防衛して見せたものの、3月10日のPPV、Lockdown 2013にてブリー・レイとTNA世界ヘビー級王座戦を行うが、ヒールユニットであるエイシズ・アンド・エイツディーボンの介入によりハンマーを手にしたブリーから不意打ちを喰らって敗戦し、ベルトを奪われてしまった。

王座陥落後、ベビーフェイスのレスラーたちとエイシズ・アンド・エイツと抗争するも数の多さにいいようにやられてしまい、ノー・ディスクリエーションマッチハンマー・アボーブ・ザ・リング・ラダーマッチなど多種多様なデスマッチを行っても圧制されてしまった。6月から開始されたBound for Gloryシリーズでも不調が続いて31点という結果に終わった。10月20日、PPVであるBound for Glory 2013ではX Division王座を賭けたアルティメットXマッチに出場するもベルトを奪取するに至らなかった。

11月、TNAヘビー級王座を保持するAJスタイルズがベルトを持ったまま団体を離脱したために急遽開催されたTNA暫定ヘビー級王座獲得トーナメントに出場。2014年1月1日、決勝でマグナスと対戦するもGMであるディクシー・カーター率いるチーム・ディクシーの介入により敗戦し、戴冠するに至らなかった。

2014年[編集]

2013年後半よりGMであるディクシー・カーター率いるチーム・ディクシーと抗争を展開していたものの、2月にTNA離脱を宣言した。しかし、3月9日にPPVであるLockdown 2014にてキャリア初期に使用していたウィローWillow)として登場し、メインイベントであるリーサルロックダウンマッチでチームMVPの勝利に貢献した。

3月13日、iMPACT Wrestlingにてリング上でマイクアピールをしていたイーサン・カーター3世 & ロックスター・スパッドに乱入し、スパッドを痛めつけた事から抗争を開始。4月3日にはブリー・レイと共闘してテーブルズタッグマッチを行うも敗戦。17日には1対2でのハンディキャップ式テーブルマッチを行うも勝利してみせ、27日のPPV、Sacrifice 2014ではカート・アングルと組んでカーター & スパッドとのタッグマッチで勝利した。

5月8日、新たにマグナスとの抗争を開始する事になるが、マグナスの相棒であるダーティーファイトを信条とするブラムに襲撃されてしまった。以降、マグナス & ブラムとの対戦においてブラムに唆されて凶暴化したマグナスに対してまともに対戦できなくなり、ブラムからも依然として襲われてしまう事から6月15日のPPV、Slammiversary XIIにてマグナスとのシングルマッチで対抗策としてアビスを呼び寄せてブラムと対峙させるも油断していたところに隙を突かれて敗戦した。6月26日、決着戦としてアビスと組んでマグナス & ブラムと凶器使用ありのノー・ホールズ・バードマッチを行い、試合後半にポスト上段に登ったところをマグナスから椅子を投げつけられ、鉄線で覆われたテーブルへと落下して失神。そしてアビスは愛用の釘板を奪われてブラムから攻撃されて倒れ、フォールを取られて敗戦となった。

7月10日、TNA世界ヘビー級王座挑戦者決定20人バトルロイヤルマッチにてジェフ・ハーディーとしてアングル上復帰を果たし、最後にエリック・ヤングにポスト上からドロップキックを決めて脱落させて優勝し、挑戦権を手に入れた。そして17日にTNA世界ヘビー級王者であるボビー・ラシュリーに挑戦するも敗戦し、ベルトを奪取するに至らなかった。

7月31日、TNAに復帰したマットとのハーディー・ボーイズでTNA世界タッグチーム王座を保持するザ・ウルブズエディ・エドワーズ & デイビー・リチャーズ)と対戦するも敗戦となった[3]

2015年[編集]

ザ・レヴォリューションとのTNA世界タッグ王座戦の最中に鉄階段に頭から強打し一時的に離脱するも、2か月後に復帰しザ・レヴォリューションのリーダーのジェームス・ストームとの金網戦で見事勝利。

3月16日、TNA世界タッグチーム王座アルティメットXマッチでマットと共にTNA世界タッグチーム王座獲得。しかし、一か月後に事故で骨折してしまい、王座を返上する。(返上役はマットが行った。)

6月29日にまだ試合が出来ないながらもリングに立ち、マットvsEC3とのTNA世界ヘビー級王座戦をフル・メタル・メイヘムにすることを発表するもマットが敗北。更に2度目の対戦の時に「マットが負けたら、ジェフはEC3側に入らせる」という条件があり、マットが負けてしまったため強制的にEC3側に入られてしまう。EC3に命令されるも、全部拒否をしていたため、EC3から解雇を言い渡される(アングル上)。しかし、翌週ディクシーがジェフを復帰させ、TNA・バウンド・フォー・グローリーのTNA世界ヘビー級王座戦(EC3vsギャロウェイvsマット)の特別レフェリーに任命。レフェリングは公平ながらも、EC3の反則行為を無視し、EC3が自身に手を出した直後にツイスト・オブ・フェイトを放つ。試合はマットがギャロウェイにツイスト・オブ・フェイトを放ち、勝利。試合後、父とマットの妻レビー・スカイとその子供と共に兄を祝った。

WWE[編集]

2017年[編集]

2017年4月2日、WrestleMania 33にてWWE・ロウ・タッグ王座争奪フェイタル4wayラダーマッチにマットとのタッグでサプライズ登場を果たす。終盤にマットがカール・アンダーソンとラダー上で競いツイスト・オブ・フェイトを決めると自身はセザーロシェイマススワントーンボムを決め、最後にマットがベルトを獲得して王者となった[4]

得意技[編集]

スワントーンボム
フィニッシュ・ムーブ。仰向けの状態の相手の胴体に空中で体を回転させて背中から落ちる飛び技。飛んだ本人にも危険が及ぶラダーの上やバルコニーからスワントーンボムを行うこともある。技名は、その美しさからジム・ロスがジェフのセントーンボムをハクチョウに形容したことによる。
ツイスト・オブ・フェイト
アティテュード時代はあまり使っていなかったが、2006年のWWE復帰時から頻繁に使うようになった。リバースDDTの体勢からツイスト・オブ・フェイトのモーションでネックブリーカーのように落とす「エクストリーム・ツイスト・オブ・フェイト」もあるがTNA復帰後から使わなくなった。また、現在はスタナーの形で落としてスワントーンへの繋ぎとして使っているためフィニッシュ・ムーブにはならない。
ウィスパー・イン・ザ・ウィンド
カウンターの飛び技。相手にコーナーに振られて追いかけられた場合に使う。振られた勢いで素早くコーナーに駆け上がり、反転しつつ伸身式のローリングセントーンを、追いかけてきた相手に当てる。
スパイン・ライン
ジェフ・ジャレットとの抗争で生み出したサブミッション。
コンプリートショット
タイガーネックチャンスリーのようなモーションで技を決める。WWEに復帰後は、同系等の技をアンダーテイカーが使うためか一度も使用していない。
レッグ・ドロップ
相手の足を持って、股間や腹に落とす技。また兄が使っているダイビング式も放つことがある。
プランチャ・スイシーダ
イベント・オメガや場外にいる相手に放つ技。飛び方も独創的である。
変型フェイス・バスター
ブレーン・バスターの体制で相手を持ち上げた後、開脚してXファクターの形で前に落とす。Rトゥルースの使う「トゥルース・コンヴィクション」も同型。

獲得タイトル[編集]

ロウ・タッグ王座(2017年)
WWE
TNA
OMEGA
  • OMEGAヘビー級王座 : 1回
  • OMEGAタッグ王座 : 1回(w / マット・ハーディー)
  • OMEGAニューフロンティア王座 : 1回
NCW
  • NCWライトヘビー級王座 : 1回
NDW
  • NDWライトヘビー級王座 : 1回
  • NDWタッグ王座 : 1回 (w / マット・ハーディー)
NFWA
  • NFWAヘビー級王座 : 1回
NEW
  • NEWジュニアヘビー級王座 : 1回
NWA 2000
  • NWA 2000タッグ王座 : 1回 (w / マット・ハーディー)
UWA
  • UWA世界ミドル級王座 : 1回

入場曲[編集]

  • Loaded
現在でもインディー団体等での入場の際は使用。
WWEでの使用曲。
  • Tourniquet
ROHでの使用曲。
  • Beyond the Wall
  • Modest
  • Another Me
  • Immortal Theme
  • Resurrected
  • Simlilar Creatures
  • Time & Fate
  • Willow's Way
ウィロー時の使用曲。
  • Reptillian
TNAでのタッグの使用曲。
  • Placate
TNAでの使用曲。
  • Obsolete (Acapella loop)
TNAでの使用曲。
  • Obsolete Suite
  • Endogeny
  • Obsolete
  • Dead and Bloated

脚注[編集]

  1. ^ Jeff Hardy”. Online World of Wrestling.com. 2017年3月17日閲覧。
  2. ^ 但し、1994年~1997年にかけてWWFの主に“Superstars”や“Shotogun Saturday”でジョバーとして試合をこなしている。1995年12月19日の“Superstars”TVテーピングではレーザー・ラモンに勝利していて、これがこの時期のWWFにおける唯一の勝利である。またこの時は“キース・デイヴィス”“インガス・ジンクス”と言うリングネームも使用していた。
  3. ^ IMPACT Wrestling #525 - Destination X CageMatch、2014年6月26日閲覧。
  4. ^ WrestleMania 33 Results – 4/2/17 (The Undertaker vs. Roman Reigns)”. Wrestleview.com. 2017年4月2日閲覧。

外部リンク[編集]