蝶野正洋

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蝶野 正洋
Masahiro Chono
蝶野 正洋Masahiro Chonoの画像
2010年、国立台湾大学総合体育館にて
プロフィール
リングネーム 蝶野 正洋
マサ・チョーノ
マサ・ヒロ・チョーノ
本名 同じ
ニックネーム 黒のカリスマ
黒の総帥
極悪バタフライ
夏男
ミスターG1
身長 186cm
体重 95kg
(全盛期は108kg)
誕生日 (1963-09-17) 1963年9月17日(53歳)
出身地 ワシントン州シアトル
東京都三鷹市
所属 ARISTRIST
スポーツ歴 サッカー
トレーナー アントニオ猪木
ルー・テーズ
山本小鉄
デビュー 1984年10月5日
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蝶野 正洋(ちょうの まさひろ、1963年9月17日 - )は、日本男性プロレスラー。本名:同じ。アメリカ合衆国ワシントン州シアトル生まれ、東京都三鷹市育ち。闘魂三銃士の1人。

1984年、新日本プロレス入門。同年10月5日、越谷市立総合体育館における武藤敬司戦でデビュー。87年3月に海外遠征に出発。89年10月に帰国後、91年8月、第1回G1クライマックスに優勝し大躍進を遂げる。G1は前人未到のV5を達成し、92年8月には第75代NWAヘビー級王座を奪取。96年にはnWo JAPANを設立して一大ムーブメントを起こし、その後、TEAM 2000を結成。2010年2月にデビュー以来26年所属していた新日本プロレスを離れ、2010年より後述の個人事務所・アリストトリストの所属となり、フリーランスとして活動、いまなお「黒のカリスマ」として、プロレス界に君臨し続けている。

新日本在籍中にはnWoのメンバーとしてアメリカ合衆国のWCWにも登場した。元NWA世界ヘビー級王者IWGPヘビー級王者。「オレだけ見てりゃいいんだオラ!」が決め台詞。

私生活では1991年12月にマルティナと結婚[1]2006年7月に結婚15年目にして第1子[2]となる男児が誕生、2009年8月に第2子となる女児が誕生している。

なお現在では、大洗町のイベントが元で、『ガールズ&パンツァー 劇場版』応援大使[3]や、さらに同作品の応援大使から転じて大洗大使にも就任し、活動している[4]

来歴[編集]

新日本プロレス入門前[編集]

大手製紙会社のサラリーマンであった父親の赴任先であるワシントン州シアトルで生まれ、2歳で帰国し、川崎市多摩区東京都渋谷区を経て三鷹市で育った。東京都立永山高等学校ではサッカーと暴走行為に明け暮れ、その後「親が大学に行けとうるさいから」との理由で2浪した後に神奈川大学に進学するが、同時期に受けた新日本プロレスの新弟子試験に合格。大学に籍を置いたまま入門し、後に中退した。

若手時代(1984年 - 1989年)[編集]

1984年4月に新日本プロレスへ入門し、同年10月に埼玉県で行われた興行でプロデビューした(初戦の相手は同じくデビュー戦の武藤敬司[5]1987年の第3回ヤングライオン杯橋本真也を破り優勝した。優勝後、海外遠征を行い、まずドイツオットー・ワンツのキャッチ・レスリング・アソシエーション(CWA)に出場した。ドイツでは現在の夫人であるマルティナ・カールスと出会った。

しばらくして、蝶野は北米に遠征し、アメリカ合衆国カンザスシティアラバマNWAテリトリーで活動を始めた[5]。また後に、カナダ沿海州プエルトリコでも活動した。アメリカではテーズ道場に短期滞在し、STFを伝授された。

蝶野は1988年7月に新日本プロレスに短期帰国した。遠征からの帰国後は武藤敬司、橋本真也とともに「闘魂三銃士」として活躍するものの、人気は武藤と橋本の後塵を拝した。1989年4月、新日本プロレス初の東京ドームでの興行であるIWGP王座決定トーナメントに出場し、ビッグバン・ベイダーに準々決勝で破れた。この間には、アメリカ合衆国に戻ったり、短期間オーストラリアに遠征などした。

スーパースターへ(1989年 - 1994年)[編集]

1989年10月に新日本に戻ってからは、1990年2月10日に新日本プロレス2度目の東京ドーム興行のメインイベントにおいて、橋本真也とのタッグでアントニオ猪木坂口征二組と対戦し、4月27日に武藤敬司とのタッグでIWGPタッグ王座を獲得、12月26日に師匠であるルー・テーズを破った(この試合がテーズの最後の試合となった)[5]。翌1991年、新日本プロレスの夏期興行G1 CLIMAXの第1回大会において素晴しいパフォーマンスを見せた蝶野はメインイベンターとしての地位を確立した(決勝では武藤を破り優勝)[5]

蝶野は1992年にも再びG1 CLIMAXで優勝し、同時にNWA世界ヘビー級王座を獲得した。このG1連覇により「夏男」と呼ばれるようになった。1992年9月23日、スティーブ・オースチンとのNWA世界ヘビー級王座戦において古傷の首を悪化させた[5]。1993年1月4日、グレート・ムタとのNWA・IWGPダブルタイトル戦で敗戦した。1993年のG1 CLIMAXでは準決勝で馳浩に破れた。1994年1月、橋本真也のIWGPヘビー級王座に挑戦したが敗戦した1994年8月、G1クライマックス決勝でパワーウォーリアーを破り、3度目のタイトルを手にした。

ヒールターン、nWo、nWo JAPAN、TEAM 2000(1994年 - 2004年)[編集]

1994年のG1 CLIMAX優勝後、「武闘派宣言」によって入場テーマ曲も変えてヒールターン。黒を基調としたコスチュームに一新し、馳浩を大流血に追い込んだ末出血する頭部を掻きむしりながらのSTFで破った。テーマ曲など現在まで続くスタイルを確立した。週刊プロレスはこの蝶野を「BLACKJACK」と称した。1995年天山広吉ヒロ斎藤とヒールユニット狼群団を結成。1996年に新日本と提携していたWCWに参戦、ハルク・ホーガン率いるnWoに加入し、帰国後にその日本支部としてnWo JAPANを結成。その総帥としてグレート・ムタ(既に武藤敬司として活躍)ら日本人、外国人メンバーを次々と増員し、「nWo Tシャツ」が大量に売り上げられるなど、一大ムーヴメントを起こし、同年「プロレス大賞MVP」を受賞した。1998年8月8日、大阪ドーム藤波辰爾を破り、8回目の挑戦にして遂に悲願のIWGPヘビー級王座初戴冠。しかし首の負傷により、防衛戦を行うことなく王座を返上、長期欠場に入った。

復帰後の1999年AKIRAドン・フライらと共にTEAM 2000を結成。武藤率いるnWoと抗争を開始し、2000年に武藤との決着戦に勝利。nWoを消滅(実際にはWCWとの提携解除に伴いnWoの使用権が消滅したため)させ、nWoの残存勢力を吸収し組織を拡大。同年、所属選手の大半が離脱し、存続の危機に陥った全日本プロレスから渕正信が新日本に登場。蝶野がマイクパフォーマンスで応戦し、対抗戦の口火を切った。単身全日本プロレス日本武道館大会に歴史的参戦。渕とシングルマッチを行い勝利後、「お前ら家に帰ってマスでもこいてろ!」とアピールし全日本ファンを敵に回した。

2001年は武藤率いるBATTと抗争。2002年、蝶野は4度目のG1チャンピオンとなった。また、札幌大会でアントニオ猪木に指名され、新日本プロレスの現場責任者となった[5]。2002年5月2日の東京ドーム大会でプロレスリング・ノア三沢光晴と初対決。30分ドローに終わる。8月には4度目のG1優勝を果たした。大会後、魔界倶楽部高山善廣藤田和之ら外敵との抗争に入り新日本隊に合流し、TEAM 2000は自然消滅。2003年にノアに初参戦、三沢と組み小橋建太田上明組と対戦。5月2日の新日本東京ドーム大会では小橋の持つGHCヘビー級王座に左足靭帯損傷の状態で挑戦。敗れるも「ミスタープロレス対ミスタープロレス」と称されたこの試合で蝶野は小橋のハーフネルソンスープレックス6発を受けきって見せ、小橋と共にファンの大喝采を受けた。

ブラック・ニュー・ジャパン、蝶天タッグ(2004年 - 2007年)[編集]

2005年にはヒールユニット、ブラック・ニュー・ジャパンを結成。8月、G1で5度目の優勝を果たし、同年に急逝した橋本真也に優勝を報告した。長州力が新日本に戻ってくると反長州を掲げ抗争を開始。2006年には新日本社長サイモン猪木と抗争を開始する。

レジェンド(2007年 - 2010年)[編集]

2007年1月4日、東京ドーム大会で武藤とタッグを結成して勝利。G1 CLIMAXにおいて真壁刀義に敗北をした後、リング上にて長州、越中詩郎マシンライガーを呼び出し、新軍団結成を呼びかけた。

2007年9月1日 - 2日、幕張メッセ国際展示場・11ホールにおいて「蝶野王国2007 in 幕張」を開催。長州力率いる『LOCK UP』、藤波辰爾率いる『無我ワールド・プロレスリング』、新日本プロレスの3団体合同興行となった。これと同時に三田証券と組んでイベントを証券化することも発表された。資金調達の手法としてファンドの活用を行うことはプロレス界にとって初めてのことであった。

2008年から、自身がGM(ゼネラルマネージャー)を務める「PREMIUM」興行を開催。

2009年1月4日、東京ドーム大会でケビン・ナッシュカート・アングル、長州力と日米レジェンドタッグを結成し、G・B・Hに勝利を収めた。10月3日、ノア・大阪府立体育会館で行われた三沢光晴追悼興行に参戦。かつて戦った小橋と、GHC王者の潮崎豪とタッグを結成した。10月12日、蝶野正洋25周年特別興行「ARISTRIST IN 両国国技館」開催。自身は小橋と武藤とタッグを組んでメインイベントに登場して勝利した。

2010年1月4日の東京ドーム大会を最後に、蝶野は首や両膝の治療と本人曰く「体のリビルド」のために長期休養に入った。1月21日に自身の25周年記念パーティーを行い、これに先立って行った会見の中で、2010年1月末をもって新日本プロレスを退団し、アリストトリスト所属のフリーランスとなった。

フリーランス(2010年 - 現在)[編集]

2010年
  • 11月5日と6日の全日本プロレス台湾興行に参戦。
2011年
  • 師匠であるアントニオ猪木が会長を務めるIGFのエグゼクティブプロデューサーに就任することが決まった。なお、IGFでは選手としてはリングに上がらずプロデュースに専念する予定。
  • 3月6日 - ZERO1両国国技館大会で行われた橋本真也の息子の橋本大地のデビュー戦の相手を務めた。
  • 12月末でIGFのエグゼクティブプロデューサーを退任。
2012年
  • 3月2日 - ZERO1東京・後楽園ホール大会「橋本大地選手デビュー1周年試合」の立会人を務めた[6]
  • 4月20日 - 「DRADITION 藤波辰爾デビュー40周年ファイナル」後楽園大会でTEAM2000が一夜限りの復活[7]
  • 9月2日 - 大阪府寝屋川市立市民体育館で開催されたチャリティープロレス「ちびっ子のイジメ撲滅・元気ハツラツ」で、デビュー戦の相手を務めた橋本大地選手と初タッグを結成[8]
  • 10月21日 - 宮城県・女川町総合体育館で開催された「復興・応援チャリティー レジェンドプロレス」に出場[9]
2013年
  • 1月3日 - 全日本プロレスのアドバイザーに就任することが決定、同日の後楽園ホールでの大会中に公開契約交渉が行われた[10]
  • 1月13日 - 東京・後楽園ホール『LEGEND THE PRO-WRESTLING 2013』で、2013年度の初戦で勝利を収めた(坂口征夫と初対戦)[11]
  • 2月12日 - 大館市民体育館で開催されたチャリティーイベント「FIGHTING AID in 大館 子供たちに笑顔を 〜僕たちが拓く100万人の未来〜」にゲスト登場
  • 8月1日 - 静岡・アクトシティ浜松で開催された新日本プロレス「G1 CLIMAX23」開幕戦において生中継の解説を務める。
2014年
  • 8月10日 - 西武ドームで開催された新日本プロレス「G1 CLIMAX24」にて催された撮影会に登場。
2015年
  • 7月13日、橋本真也の十回忌という節目で新日本プロレス主催で後楽園ホールで開催された『橋本真也復活祭』に武藤とともに座談会を行った。

主な得意技[編集]

派手な技はあまり使わず、基本的でシンプルな技を中心に試合を組み立てる。相手にやられて虫の息になったように見せかけて(いわゆる「死んだフリ」)、相手レスラーの隙を突いて攻め立てる試合が特徴である。

ケンカキック(ヤクザキック)
サッカー時代に培った強靭な下半身を利して相手の顔面を蹴り倒す技。元々は「ヤクザキック」(若手時代から使っており、当時の蝶野の髪型がパンチパーマだったため、その容姿と関連して)と呼ばれていたが、テレビ朝日では「ヤクザ」が放送コードに引っかかるとの理由で、ケンカキックと呼ばれるようになった。ビッグブーツと呼ばれる蹴りと異なり、当てる相手に対して体が開き、斜めに向く点が特徴。
シャイニングケンカキック(シャイニングヤクザキック・シャイニングブラック)
相手の片膝を踏み台にしてのヤクザキック。ライバルの武藤が繰り出すシャイニング・ウィザードを蝶野風にアレンジした技。近年のフィニッシュ・ホールド。蝶野が実名で登場するゲームソフト「キングオブコロシアムシリーズ」では「シャイニング・ブラック」の技名で収録されており、同技名は「週刊プロレス」にも記載された時期もあった。
スライディングケンカキック(スライディングヤクザキック)
ヤクザキックの派生技で、体勢を崩した相手の顔面へ、スライディングしながらケンカキックを打ち込む技。
STF
蝶野の代名詞的な関節技。最近は試合中盤で出す繋ぎ技・痛め技になっているが、大一番ではこれの派生技をフィニッシュとして使うことがある。若手の頃はパワーボムを放った後足を取りSTFに移行する連携も使用していた。
クロス式STF
相手の両足をクロスさせ、動くことを困難にさせる。ロープエスケープが出来ないためほぼ確実にタップを取れる技である。滅多に出すことはなく、ドーム大会などのビッグイベントでのみ繰り出す。
原型STF
相手の顎から右側面を左手で押さえ左側に力を加える。通常のSTFからの連携も一時期使用していた。
STS
相手の頭部をフェースロックではなく、スリーパーホールドに捉える。
FTS
STFを体勢そのままに相手を上に体勢を入れ替える。馳浩が繰り出した裏STFとの違いは、トーホールドが完全に決まっている状態で返している点にある。体勢を逆にするということで、技名もSTFの逆。
羽根折り固め(バタフライロック)
尻餅をついている相手の両腕を締め上げ、首を前方へと押さえ付け、首関節・肩を極めるとともに呼吸困難にさせる技。一時期、この技をフィニッシュ・ホールドに使用していた。正式名称は羽根折固め(リバースフルネルソン)だが、蝶野が使う場合は使用者の苗字もしくは使用時の見た目から、「バタフライ・ロック」とも呼ばれる。元々はUインターとの対抗戦の時期に開発した技で、当時Uインター所属であった安生洋二や高山善廣からこの技でギブアップを奪っている。
バックドロップ
蝶野のバックドロップはルー・テーズからアドバイスを受けたものでいわゆる「ヘソ投げ式」のものであるが、低空で落とすまでのスピードが速く角度が鋭角であり、受身が取りにくい。大一番でしか繰り出さない技。2003年5月2日の小橋建太戦では、靭帯を損傷していたこともあって踏ん張りが効かず、ほぼ垂直落下式のような危険な角度で小橋を3連続で投げ飛ばした。
蝶野曰く低空で投げるのは「高速で投げようとするから」らしい[12]
ダイビングショルダーアタック
トップロープから跳んで相手の肩口に向かってショルダータックルを決める技。若手時代からの得意技。
蝶天魚雷
天山広吉と同時にトップロープから飛んで行うショルダータックル。公開された当初はバラバラに行っていた。
ダイビング・ローリング・クラッチ・ホールド
ダイビングショルダータックルが相手にしゃがまれてかわされた時にそれを空中で変換して放つ事がある。
CTC
天山広吉との合体技。膝を付いた相手に対し、蝶野の膝蹴りと天山のパンチを挟み込むように当てる。Chono Tenzan Crushの略。
ゴッチ式(ドイツ式、ジャーマン)パイルドライバー
股下をクラッチしたドリル・ア・ホール・パイルドライバー。相手の股に手を当てがい落差を増す程度でクラッチまでには至らないこともある。
G1パワーボム
第1回G1を優勝した際は、この技で最後粘る武藤を振り切った。そのときのインパクトから「G1パワーボム」と呼ばれている。蝶野のパワーボムは、自分の両膝を着きながら相手を叩き付けている。
ネックブリーカー・ドロップ
スイング式ネックブリーカーだが上記の技名で呼称されることがほとんど。ケンカキックやSTFへの布石、繋ぎ技として試合中盤に好んで使用している。
マンハッタン・ドロップ
相手の股間部分や尻に打撃攻撃を与える技。
エルボー
ヒールターン直後に多用。
フライングニールキック(バタフライニールキック)
大一番で稀に繰り出していた。「扇を広げる形」とは異なり、半身を返して当てて行くスタイル。
急所攻撃
厳密には反則技であるが、ヒールターン後の蝶野は試合時に股間攻撃を巧みに繰り出している。具体的にはバックを取った相手にバックヒールのような形、仰向けの敵の股間にヘッドバットや膝を落とすような形、など様々。
張り手
ダウンタウンのガキの使いやあらへんで!!』にゲスト出演した際に、強烈なビンタを見舞うことが「蝶野ビンタ」として有名になった。実際に喰らう事が多い月亭方正は「星が散った」と零す程威力があるそうで、それを見ていた松本人志は「川で熊が鮭を捕る時のよう」と称賛している。[13]
2013年5月22日に放送した『ナカイの窓』に出演した時、スタッフからは「とにかく山崎さんを叩いて下さい」と要望され、内容等も聞かされないままビンタしていた。最初は断ったのだが結局やることになったと語った。一緒に出演した博多大吉は「奥さんには頭が上がらず、そのストレスが溜まりに溜まって月亭方正さんがバーン」とコメントした。

獲得タイトル[編集]

NWA世界ヘビー級王座のベルトを掲げる蝶野
  • NWA世界ヘビー級王座(第75代王者)
  • IWGPヘビー級王座(第22代王者)
    • 8度目の挑戦で初獲得。しかし椎間板セキ椎症を理由に初防衛戦を行えず王座返上。以降も3度挑戦するも獲得できず、蝶野にとっては相性の悪いベルトとなっている。
  • IWGPタッグ王座(第12・25・28・33・34・43・48代王者。パートナーは武藤敬司天山広吉×2→武藤敬司→天山広吉×3)
    • 身内の不幸とパートナーの負傷欠場を理由に2度返上をしている。
  • HCWヘビー級王座
  • G1 CLIMAX 優勝 : 5回(1991年・1992年・1994年・2002年・2005年)
    • 最多優勝記録である。このことから蝶野のことを「G1男」「夏男」等と呼ばれる。これに関しては別の節で後述する。
  • SGタッグリーグ優勝 : 1回(1997年)

夏男[編集]

蝶野は新日本プロレスのシングル最強決定戦である G1 CLIMAXを5度優勝していることから夏男とも呼ばれる。ベビーフェイス時代に3度、ヒールターンしてからは2度優勝を果たしていて、しかも5回中4回がリーグ戦形式による公式戦を勝ち上がっての優勝である。

  • 第1回(1991年)では、優勝決定戦の進出を橋本真也と争い、決勝の相手は武藤敬司であった。優勝を決めた瞬間、大量の座布団が投げ込まれた。
  • 第2回(1992年)では、第75代NWA世界ヘビー級王座を賭けたトーナメントで当時隆盛を誇っていたWCW勢が大挙して来日し、決勝ではそのリック・ルードを破っての優勝であった。
  • 第4回(1994年)では優勝決定後に「俺がG1男の蝶野だ、覚えておけ!」とリング上で周囲、マスコミ、ファンに叫んだ。
  • 第12回(2002年)では、高山善廣ら外敵と新日勢という構図となり、決勝戦は高山にケンカキックを10連発で叩き込んで優勝を果たした。
  • 第15回(2005年)では、7月に橋本が死去したのを受けて必勝を誓って出場し、公約通りに優勝を果たした。優勝決定後、リング上でのインタビューで橋本に優勝の報告をした。決勝戦での入場では、自身の入場テーマのイントロを「爆勝宣言」に差し替えた物を使用。

入場テーマ曲[編集]

FANTASTIC CITY
1991年まで使用。作曲はプロレス入場曲を多く手がける鈴木修
FANTASTIC CITY '92
FANTASTIC CITYのスローテンポバージョン。1992年から1994年のG1クライマックスまで使用。
MAIN EVENTER
1993年のG1クライマックス、G1クライマックススペシャルおよびWAR参戦時に使用[16]
BLACK RAIN 〜飛翔〜
1994年のG1クライマックスで当初使用していた曲。大会の期間中に再び「FANTASTIC CITY '92」に戻されており、使用期間の非常に短い幻のテーマとなっている。
CRASH 〜戦慄〜
ロイヤル・ハント「MARTIAL ARTS」のタイトル違い[17]。1999年以降、パフ・ダディーの「No Way Out」と「VICTORY (NINE INCH NAILS REMIX)」の一部を前奏として付け加えたバージョンを主に使用している。前奏部分の歌詞は、「Damn. I would have never thought it ever would have been like this. Fuck you all niggaz wanna do!(和訳:クソったれ、こんなになるとは思ってなかった。この野郎、一体何がやりてえんだ)」となっている。アメトーークでは江頭2:50の登場曲としても使用されたこともある。
  • nWo CRASH - 「CRASH」の前奏部分をnWo JAPAN共通のサウンドロゴにし、間奏部分に「nWo」などの音声を入れループを変えたもの。nWo所属時にのみ使用。
  • CRASH 君が代バージョン - 「nWo CRASH」の前奏部分を「君が代クラブミックス」(エレクトリックギターベースによる君が代)に変更したもの。東京ドームで行われた大仁田厚とのノーロープ有刺鉄線電流爆破デスマッチ、女性レスラーであるジョーニー・ローラーとのシングルマッチでの入場時に使用されて、ハマーに乗って登場した。
  • HARD CRUSH - 「CRASH」のハードバージョン。打ち込みサウンド主体・シンセサイザーを効かせた前奏・冒頭の肉声が入らない、などノーマルのCRASHとは一風異なる曲調。蝶野が現場監督を勤めていた一時期のみ使用していた。2003年に参戦したプロレスリング・ノアでも使用した。また、オールスタープロレスリングでも使用されている。
  • 2005 GIクライマックス優勝戦では同期でこの年亡くなった橋本真也の前奏曲を合体させた特別使用の「MARTIAL ARTS」を使用。この曲は大阪のプロレステーママニアが編集・投稿した合体曲。なお、このマニアはブルーザーブロディ新日バージョンもチョイス、投稿し、使用に至ったとの事。
FIGHT&LOVE
25周年記念両国大会試合から使用。本人が作詞・ボーカル。

人物[編集]

  • 強面及び、威圧的な風貌と装飾品、胴間声の口調が特徴となっているが、若手時のプロレススタイルは別段特徴の無いオーソドックスなストロングスタイルのレスラーであった。巡業を終え、ホテルに入り、また試合という単調な日常に危機感を募らせ陰鬱になっていた蝶野は、現状打破を試みて思案、模索し、現在の“ギャングスター”スタイルに行き着く。
  • 遅刻癖があるため、本来より早く伝える集合時間を“蝶野時間”と言われている(PS2版レッスルキングダムクロストークDVDで暴露、収録当日も本来の集合時間より一時間早い時間を伝えられていた[18])。
  • 若手時代に日本文化センターテレフォンショッピングに出演したことがあり、体を鍛える器具を紹介していた。ファンの間では伝説のCMと呼ばれている。
  • 1999年12月、夫人との二人三脚のブランド「ARISTRIST」(アリストトリスト)を設立。デザインコンセプトはブラックを基調とし、「ストリート・フォーマル・ファッション」をキーワードにアパレル以外にもサングラスから靴までトータルデザインを手がけている。現在、表参道に出店。
  • 2007年10月6日に公開された松竹映画『未来予想図 〜ア・イ・シ・テ・ルのサイン〜』を撮った映画監督蝶野博は、従兄弟にあたる(蝶野の父の弟の息子とのこと)。
  • ルー・テーズの最後の試合相手である(1990年12月26日、浜松アリーナでシングルマッチで対戦)。
  • 自他共に口ひげがトレードマークと認められてきたが、2011年2月15日に行われたジレット製品「FASHION ProGLIDE[19]」のPRにて25年ぶりに剃った[20]
  • 新日本プロレスで初めて大仁田厚とノーロープ有刺鉄線電流爆破マッチを行ったことで有名(1999年4月10日の東京ドーム大会)だが、ノーロープ有刺鉄線電流爆破マッチに対しては否定的であり、2000年に長州力が大仁田とのノーロープ有刺鉄線電流爆破マッチで現役復帰した際には、解説席にいた蝶野は開口一番「あんなものはレスラーのやるものじゃない。(長州が)現役復帰したとは認めない」と発言した[21]
  • リングの上や会場のインタビューでは、相手選手を呼び捨てにしたり、ダーティーで凶暴な発言が目立つが、リングを降りたプライベートの場面や冷静な状態でのインタビューや面談などでは、年齢の上下をわきまえた紳士的な人物として定評がある。例えば新日時代、年上の武藤敬司に対しては「武藤さん」といったさん付け、年下の橋本真也に対しては「ブッチャー」などといった愛称で呼び、橋本が亡くなった後は「橋本選手」といった敬意を抱いて呼んでいるという。他団体の三沢光晴に対しても、「〜さん」、「〜社長」、「〜選手」などと、同様に使い分けしていた。
  • 娘と一緒に鑑賞したアニメ『ガールズ&パンツァー』に感動し、ガルパン応援大使として『ガールズ&パンツァー 劇場版』の宣伝を担当している[22]。お気に入りのキャラクターは佐々木あけび[23]。またスマートフォンアプリ『ガールズ&パンツァー 戦車道大作戦』で蝶野の入場用ガウンを羽織ったキャラクターが登場したり[24]、前述の「ARISTRIST」でコラボレーショングッズを販売するなどしている。

出演[編集]

テレビ[編集]

2011年
  • 9月21日 - フジテレビ系列の『はねるのトびらSP!!』にゲスト出演。
  • 10月1日 - スカパー!サムライTV Versusの「蝶野正洋VS天山広吉」に出演。
  • 10月25日 - テレビ東京系列の『今夜もドル箱S』にゲスト出演。
  • 10月29日 - テレビ朝日系列『SmaSTATION!!』の「大人気ペット 犬&猫最新ランキング」にVTR出演。
  • 11月19日 - スカパー!サムライTVで、格闘ニュース番組『速報!バトル☆メン』に特別コメンテイターとして出演
  • 12月10日 - スカパー!サムライTVで、格闘ニュース番組『速報!バトル☆メン』に特別コメンテイターとして出演。
  • 12月30日 - 2年に渡って放映された、新日本プロレスのシリーズを総括する、J sportsレギュラー番組『蝶野正洋プロデュース STRONG STYLE MANIA』終了した。
  • 12月31日 - 日本テレビ系列『ダウンタウンのガキの使いやあらへんで!! ダウンタウンの大晦日スペシャル!! 絶対に笑ってはいけない空港(エアポート)24時!』に出演。
2012年
  • 1月1日 - 日本テレビ系列の『嵐にしやがれスペシャル』出演
  • 1月1日 - TBS系列の『KAT-TUNの世界一ダメな夜!』出演
  • 1月6日 - 全国J:COMチャンネルの情報バラエティー番組『つながるセブン』にゲスト出演。
  • 2月18日 - NHK BSプレミアム『アインシュタインの眼』の「徹底比較!イヌvsネコPart2」というテーマで猫派として出演
  • 3月25日 - NHK総合『双方向クイズ 天下統一』に愛猫家として出演
  • 4月28日・5月5日(土)BS朝日『SPORTS X』に「橋本大地育成プロジェクト」のプロデューサーとしてVTR出演
  • 4月28日 - 5月5日BS朝日『SPORTS-X』に『橋本大地育成プロジェクト』のプロデューサーとしてVTR出演
  • 4月28日 - TBS「使える芸能人は誰だ!?プレッシャーバトル!!」出演
  • 7月 - TBS BS朝日『極上空間〜小さなクルマ、大きな未来。〜』(前編)に全日本プロレスの武藤選手と出演。8月4日後編 9月15日未公開スペシャル放送
  • 8月24日 - テレビ東京系列で放送される『ウソだと思ったらホントだった!30秒後に絶対見られるTV』にVTR出演
  • 8月31日 - NHK総合テレビ『あさイチ』にVTR出演
  • 9月1日 - テレビ東京系列で放送される『FOOT×BRAIN』に出演
  • 10月22日 - 日本テレビ系列『しゃべくり007 秋の黒い祭典 旬の芸能人総勢51名暴露ロワイヤルSP』に出演
  • 11月3日 - NHK Eテレ(教育)『すくすく子育て』のミニコーナー『私の子育て』にVTR出演
  • 12月16日 - 山形放送『あの人がご推薦&大公開!山形・美食材ジャーニー THEオープンキッチン』にVTR出演
  • 12月18日 - テレビ朝日系列で放送される『お願い!ランキング』にVTR出演
  • 12月31日 日本テレビ系列『ダウンタウンのガキの使いやあらへんで!!大晦日年越しスペシャル!!絶対に笑ってはいけない熱血教師24時!』出演
2013年
  • 1月7日 - 日本テレビ系列で放送される『宝探しアドベンチャー 謎解きバトル TORE!』2時間スペシャルに登場
  • 1月8日 - FIGHTING TV サムライで生放送される『速報!バトル☆メン 2000万パワーズ』にゲスト出演
  • 3月9日 - テレビ東京系列『土曜スペシャル』の企画『房総街道歩き旅120キロ 6日間ふれあい珍道中』に出演、スタート地点の千葉県市原市から木更津市まで歩いた。途中、ミッションの物々交換のため訪れた自転車店で、店主に頼まれビンタをした。
  • 12月31日 - 日本テレビ系列『ダウンタウンのガキの使いやあらへんで!!大晦日年越しスペシャル!!絶対に笑ってはいけない地球防衛軍24時!』出演
2014年
  • 3月31日 - NHK Eテレ(教育)『Let's天才てれびくん』にレギュラー出演開始
  • 6月14日 - BS日テレ『おぎやはぎの愛車遍歴 NO CAR, NO LIFE!』に出演
  • 12月31日 - 日本テレビ系列『ダウンタウンのガキの使いやあらへんで!!大晦日年越しスペシャル!!絶対に笑ってはいけない大脱獄24時!』出演
2015年
  • 2月2日 - フジテレビ系『ネプリーグ』に初出演。
  • 12月31日 - 日本テレビ系列『ダウンタウンのガキの使いやあらへんで!!大晦日年越しスペシャル!!絶対に笑ってはいけない名探偵24時!』出演
2016年

映画[編集]

ビデオクリップ[編集]

CM[編集]

  • マルちゃんソース焼きそば Wソース(1998年)
  • 産経新聞(1999年)
  • 日本文化センターテレホンショッピング「パワートレーナー」
  • フジボウ 「B.V.D.」(武藤敬司と共演)
  • サントリー マグナムドライ(すべて声のみの出演)
    • 『頼れる男篇』(2003年2月8日 - )
    • 『マグナムグルメ篇』(2003年3月1日 - )
    • 『松井いくぞ篇』(2003年5月15日 - )
    • 『マグナム友情篇』(2003年5月20日 - )
    • 『マグナム秘訣篇』(2003年11月1日 - )
    • 『マグナムクエスチョン篇』(2003年11月1日 - )
    • 『おつかれ篇』(2004年7月10日 - )
    • 『みんなで乾杯篇』(2004年6月18日 - )
  • サントリー -196℃ストロングゼロ ダブルレモン
    • 『リングで説教篇』(石原さとみと共演)(2009年2月3日 - )
    • 『記者会見で説教篇』(石原さとみ、武藤敬司と共演)(2010年2月2日 - )
  • サントリー ジョッキ生(2009年10月 - )
  • 「スーパーオクトーバーフェスト in 東京ドーム 2012」スポットCMに春香クリスティーンと共演(2012年11月 - )[27]
  • ガールズ&パンツァー 劇場版 (2015年11月27月 -) [28]
  • BOAT RACE振興会 「16年 ダイナマイトボートレース」(2016年)[29]

Web[編集]

2012年
  • 12月 - 横浜市発信ウエブサイト『ヨコハマダディ』に登場[30]

CD[編集]

  • THIS IS CHONO METAL(コンピレーション・アルバム、1999年11月10日発売、TOCP-65295)
  • タンソンミニアルバム内の 超重戦車級王者マウス 【マウス超重戦車】 (2015年12月2日発売 ASIN: B015CTULH0 EAN: 4540774155293)[31]
    • アニメ『ガールズ&パンツァー』の劇場版応援大使をしていることから蝶野にオファーが来た。なお、このCDのオファーが来た際、自分は音痴だからという理由で断ったが、結局最近の音響技術でカバーできると「騙され」オファーを受けたという[32]

雑誌[編集]

2012年
  • 2月 - カーラグジュアリー&カーカスタム専門誌『J-LUG』4月号に蝶野選手のインタビューが掲載
  • 3月 - ヴィレッジヴァンガードの全店舗で配布されているフリーペーパー『ヴィレッジヴァンガードプレスvol.73』に掲載
2013年
  • 1月 - Windows系の娯楽雑誌『Windows100%』2013年2月号のDVD-ROM付録に本人の声が収録される[33]
  • 2月 - 月刊メンズファッション誌『MEN’S CLUB(メンズクラブ)』(毎月24日発売)のBOOKコーナーでの書評連載がスタート[34]

著書[編集]

プロデュース商品[編集]

  • STF弁当(サークルKサンクスより発売されたお弁当)
  • STFおにぎり(サークルKサンクスより発売されたおにぎり)

コラボレーション商品[編集]

2012年
  • 7月 - エムズオート×蝶野正洋 カスタムハイラックサーフ『蝶野リミテッドエディション』[35]
  • 7月 - 進製作所×蝶野正洋 黒い石鹸『シュバルツ メンズソープ』コラボ商品!男のための手作り無添加自然派石鹸『シュバルツ メンズソープ』[36]
  • 8月 - 花月嵐×蝶野正洋『嵐げんこつらあめんBLACK MONSTER』が全国販売開始![37]
  • 12月 - カスタムFJクルーザー「FJ CRUISER L.A. METAL “ARISTRIST” COMBINATION」を新たにリリース[38]

講演[編集]

  • 2011年7月 - 東京・日比谷公会堂で行なわれた、警視庁東京防犯協会連合会主催の『全都大会』で蝶野正洋選手が講演。
2012年
  • 2月 - 福井県坂井市ハートピア春江・大ホールにて東日本大震災復興チャリティ講演会『自分に負けない喧嘩の仕方』で講師を務める[39]
  • 6月 - 全葬連青年部会 第37回福島大会において『原点・基本の大切さ』というテーマで基調講演を行った[40]
  • 6月 - 『社団法人日本介護ベンチャー協会大阪支部 特別講演』において、基調講演を行った[41]
  • 11月 - 金町消防署防災のつどいにて「命の大切さ」「災害に対する意識」をテーマに防災講演を行った[42]

社会貢献[編集]

  • 2007年からAIDS予防啓発活動に協力。イベント出演、冊子にコメントを寄稿。
2010年
  • 7月 - 「東京救急協会」編集・発刊の『てあて』にインタビュー記事が掲載される[43]
  • 8月17日 - 東京国際フォーラム主催『キッズフェスタ 親子で学ぼうAED大講習会』(東京救急協会・協力)
  • 9月9日の“救急の日”には東久留米スポーツセンターで行なわれた『平成22年東京消防庁救急セミナー』に参加。東京消防庁から救急医療活動への協力を評価され、消防総監感謝状を授与。
2011年
  • 3月25日から4月30日の約1ヵ月間、地下鉄などさまざまな場所に青少年非行防止キャンペーンポスターが貼られた。警視庁生活安全部から少年の健康育成や非行防止への協力的な活動を評価され、感謝状を授与。
  • を通じて「世界の子供たちの生活環境改善や社会福祉活動」を目的とする、国際こども花基金の活動を応援。花の力で、子供たちが、やさしく豊かな心を持って成長していくことを願い、冊子にコメントを寄稿。募金活動に協力。
2012年
  • 5月 - 東日本大震災の影響で結婚式を中止・延期されたカップルのための市民結婚式『釜石市民結婚式2012』に参加し新郎新婦の門出を祝った。
  • 6月 - 東京都主催の『6・26国際麻薬乱用撲滅デー都民の集い』秋葉原トークライブでドラッグの危険性について解説し、薬物乱用防止を訴えた。
  • 6月 - 『社団法人日本介護ベンチャー協会大阪支部 特別講演』において、基調講演を行った[44]
  • 8月 - 『気仙沼復興商店街 紫市場 夏祭り』出演[45]
  • 8月 - 金町消防署防災のつどいで「防災講演」を行い、金町消防署から感謝状が贈呈された[46]

ARISTRIST[編集]

ARISTRIST(アリストトリスト)は、蝶野正洋と夫人のマルティーナが二人三脚で始めたブランドで渋谷区表参道に個人事務所兼ショップを構えている。蝶野が試合で着用する黒色のガウン、レッグガード付きロングタイツも夫人のデザイン。アリストトリストは、アリスト(上流)&トリスターノ(庶民)の2つの言葉を組み合わせた造語。

脚注[編集]

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  1. ^ 蝶野正洋 黒の肖像. バーニング・スタッフ. (2005). p. 14. ISBN 4990185714. 
  2. ^ “プロレスラー蝶野正洋さん――寝姿に自分の夢重ねて(子どもと育つ)”. 日本経済新聞 (日本経済新聞社). (2009年2月10日). http://www.nikkei.com/article/NIRKDB20090210NKE0474/ 
  3. ^ http://www.oricon.co.jp/news/2063149/full/
  4. ^ http://nlab.itmedia.co.jp/nl/articles/1603/12/news027.html
  5. ^ a b c d e f John Molinaro, The Top 100 Pro Wrestlers of All Time, (Winding Stair Press: 2002), page 198.
  6. ^ 蝶野選手が立会人として橋本大地デビュー1周年のZERO1の3.2後楽園に登場”. CHONO MASAHIRO OFFICIAL SITE (2012年2月22日). 2013年1月27日閲覧。
  7. ^ T2000が復活!蝶野選手が4・20後楽園で藤波レジェンド軍と激突”. CHONO MASAHIRO OFFICIAL SITE (2012年3月19日). 2013年1月27日閲覧。
  8. ^ 蝶野選手が「いじめ撲滅イベント」で破壊王ジュニアと初合体”. CHONO MASAHIRO OFFICIAL SITE (2012年9月3日). 2013年1月27日閲覧。
  9. ^ 女川町復興・応援チャリティープロレス リポート”. CHONO MASAHIRO OFFICIAL SITE (2012年10月22日). 2013年1月27日閲覧。
  10. ^ 全日本プロレスアドバイザーに就任した蝶野選手が喝と怒りのビンタ!1・26大田区大会出撃表明!!”. CHONO MASAHIRO OFFICIAL SITE (013-01-04). 2013年1月27日閲覧。
  11. ^ 蝶野選手が1/13後楽園レジェンドプロにおける“2013年戦い始め”で勝利!”. CHONO MASAHIRO OFFICIAL SITE (2013年1月13日). 2013年1月27日閲覧。
  12. ^ VHS 闘魂Vスペシャルvol.10のゲスト解説時の「蝶野VS健介戦」での発言。
  13. ^ 『絶対に笑ってはいけないホテルマン24時』ではココリコの田中も喰らっている。
  14. ^ a b NWA Central States Television Title”. Wrestling-Titles.com. 2015年7月19日閲覧。
  15. ^ WWA World Heavyweight Title [Kansas City]”. Wrestling-Titles.com. 2010年7月27日閲覧。
  16. ^ 「闘魂三銃士 最強ベスト ULTIMATE COLLECTION」(XQKZ-1011)ブックレットより。
  17. ^ ただし、ループの回数が原曲より多い。また、かつて新日本プロレス所属選手の入場曲をプロデュースしていたペコカンパニィー(旧社名ウッドベル)によると、「MARTIAL ARTS」(JASRAC作品コード0D5-3114-1、作曲者ANDERSEN ANDRE PALLE)と「CRASH」(JASRAC作品コード058-5050-9、作曲者N.J.P.UNIT)は異なる楽曲である、としている。 これは同社が永田裕志の入場曲「MISSION BLOW」(JASRAC作品コード066-8931-1、作曲者中沢亮)とバックトラックである「INSANE」(JASRAC作品コード0E3-0887-9、作曲者KUEPPERS RAINER、LOHMANN STEFAN、SCHUETZLER REINER、 WEISS CHRISTOPH)を別楽曲であると主張しているものと同じである。
  18. ^ PS2用ゲームソフト「レッスルキングダム」公式サイト
  19. ^ [1]
  20. ^ 蝶野正洋、25年ぶりに口ひげを剃った!「寒くて風邪引いちゃう」
  21. ^ 2000年7月31日付日刊スポーツ
  22. ^ ローチケHMV 「蝶野正洋『ガルパン』を語る」2015年11月20日。なお、本作には同じ名字を持つ女性自衛官キャラクター・蝶野亜美が登場しているという縁もある。
  23. ^ 2016年1月28日放送の『アウト×デラックス』より。
  24. ^ https://twitter.com/ARISTRIST_SHOP/status/715753692679565312
  25. ^ 2008年のレギュラー放送で『山崎邦正 コソ泥裁判』が行われ判決が蝶野ビンタの刑となった。
  26. ^ AKB48のロケにも不定期出演。
  27. ^ 「スーパーオクトーバーフェスト in 東京ドーム 2012」スポットCM撮影 - CHONO(公式サイト)2012-11-08
  28. ^ 蝶野正洋ver.)
  29. ^ 蝶野正洋 猫好きな“遅刻奉行”に ボートレースCM第2弾”. スポニチアネックス (2016年2月29日). 2016年2月29日閲覧。
  30. ^ 蝶野選手が横浜市発信ウエブサイト『ヨコハマダディ』に登場 - CHONO(公式サイト)2012-12-17
  31. ^ 戦車(タンク)を歌った「タンソンミニアルバム」INDEXと全曲の視聴動画を大公開!
  32. ^ 大洗あんこう祭り2015年のトークショー内にて[出典無効]
  33. ^ 蝶野選手の声が1/12発売の雑誌『Windows100%』の付録連載「UTAU」に収録 - CHONO(公式サイト)2013-01-13
  34. ^ 月刊メンズファッション誌『MEN’S CLUB』で蝶野選手の書評連載がスタート! - CHONO(公式サイト)2013-02-01
  35. ^ 蝶野選手がカスタム専門誌『J-LUG』に登場! - CHONO(公式サイト)2012-02-25
  36. ^ コラボ商品!男のための手作り無添加自然派石鹸『シュバルツ メンズソープ』近日発売 - CHONO(公式サイト)2012-07-17
  37. ^ 『嵐げんこつらあめんBLACK MONSTER』が全国販売開始! - CHONO(公式サイト)2012-08-08
  38. ^ 『アリストCAR』が誕生!蝶野選手がM’sオート引き渡し式に参加 - CHONO(公式サイト)2012-12-10
  39. ^ 蝶野選手が福井県坂井市のチャリティ講演会に講師として出席します - ARISTRIST 2012-02-24
  40. ^ 蝶野選手が『全葬連青年部会 第37回福島大会』で講師を務めました! - ARISTRIST 2012-06-07
  41. ^ 蝶野選手が『社団法人日本介護ベンチャー協会大阪支部 特別講演』で講師を務めました! - ARISTRIST 2012-06-11
  42. ^ 蝶野選手が金町消防署防災のつどいで「防災講演」を行いました - ARISTRIST 2012-11-09
  43. ^ 「東京救急協会」編集・発刊の『てあて』に蝶野選手インタビュー掲載! - ARISTRIST 2010-07-17
  44. ^ 蝶野選手が『社団法人日本介護ベンチャー協会大阪支部 特別講演』で講師を務めました! - CHONO(公式サイト)2012-06-11
  45. ^ 蝶野選手が8月11日に開催された『気仙沼復興商店街 紫市場 夏祭り』にゲスト出演。 - ARISTRIST 2012-08-13
  46. ^ 蝶野選手が金町消防署防災のつどいで「防災講演」を行いました - CHONO(公式サイト)2012-11-09

関連項目[編集]

外部リンク[編集]