潮崎豪

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潮﨑 豪
プロフィール
リングネーム 潮﨑 豪
本名 潮﨑 豪
ニックネーム 豪腕
プロレス界の豪腕エース
身長 183cm
体重 110kg
誕生日 (1982-01-21) 1982年1月21日(35歳)
出身地 熊本県熊本市
所属 プロレスリング・ノア
スポーツ歴 野球
バスケットボール
トレーナー 小橋建太
本田多聞
小川良成
デビュー 2004年7月24日
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潮﨑 豪(しおざき ごう、1982年1月21日 - )は、日本男性プロレスラー熊本県熊本市出身。血液型AB型。東海大学第二高等学校(現:東海大学付属熊本星翔高等学校)卒業。プロレスリング・ノアでデビューし、全日本プロレスを経て、現在はプロレスリング・ノアへ再所属している。

来歴[編集]

少年時代 - デビュー[編集]

兄1人と姉1人を持つ第3子として生まれる[1]。プロレスファンである兄の影響で、小学2年生の頃よりプロレス、特に全日本プロレスをテレビ観戦するようになり、超世代軍のファンとなる[2]。小学3年時よりやり始めた少年野球では、4、5番打者を任される捕手を務め[2]、地元・熊本の東地区優勝を果たしている[3]。同様に小学校時代はエースで4番を務める野球選手で後に東海大二高の1学年後輩となる女子プロゴルファーの古閑美保と、少年野球の試合で対戦したこともある[3]熊本市立西原中学校[4]ではバスケットボール部に入部、ポジションはセンターフォワードを務め、3年時にはキャプテンを任された[2]。高校に進学してもバスケを継続、2年時よりレギュラーとなり熊本県でベスト4という成績をおさめている[2]

高校卒業後、警察官の父に倣い警察官採用試験を受験するも失敗[5]、公務員予備校に通いながら[2]フリーター生活をおくっていた[6]。そんなある日、プロレスリング・ノアの創業者である三沢光晴の「ぶっちゃけ、プロレスラーは根性さえあれば誰でもなれる」という発言をテレビで耳にし[2]、またある日には、野球経験者で格闘技経験がないという共通項のある小林健太(後のKENTA、現:ヒデオ・イタミ)が全日本プロレスの新人テストに合格したという記事を『週刊プロレス』のバックナンバーを再読中に目にする[2]。それらに感化された潮﨑は[2]、子供の頃は「住む世界が違う」「なれるはずがない」という理由で自らの職業とする考えはなかったプロレスラーになることを思い立つ[6]

後日、三沢が小橋に対し花道からの断崖式タイガー・スープレックスを敢行した2003年3月1日のGHCヘビー王座戦をテレビ観戦していたところ、「プロレスリング・ノア第2回新人公開オーディション」の告知の「練習生募集」のテロップを目の当たりにする[2]。必要書類を送付したところ、書類選考を通過する[2]。受験直前には既に合格できるだろうという自信があったという[6]2003年4月17日実施の体力テストにおいて、参加者23名の中の合格者6名のうちの1人となり、1週間後に入団(21歳)[2]。憧れていた小橋建太の付き人となり、のちに合宿所の寮長も務めた[7]

2004年6月26日(22歳)、この日京都KBSホールで行われたバトルロイヤルでプレデビュー。同年7月24日、ディファ有明での秋山準&橋誠戦(パートナーは本田多聞)にて正式デビュー。第2回入門テスト合格者6名の中で、唯一デビューまでこぎつけた。ノアでは、2001年12月24日の鈴木鼓太郎(当時は鈴木康弘)以来2人目となる生え抜きの新人デビューであり、初のヘビー級からのデビューである。

なお、デビュー翌日25日の長岡市厚生会館大会の第1試合で行われた初シングル戦の相手は杉浦貴で、原爆固めで敗れている。

白GHC挑戦 - キング・オブ・ヨーロッパ・カップ出場[編集]

2004年11月21日、宮城県スポーツセンターで行われたKENTA蹴撃七番勝負最終戦の丸藤正道対KENTAの試合後、グローバル・ハードコア・クラウン無差別級王者である丸藤に「15分時間切れの場合王座移動」というルールで挑戦するも、時間切れ12秒前に不知火で敗れる。

2005年1月のシリーズで潮﨑豪七番勝負が全試合行われた。相手は小川良成、秋山準、齋藤彰俊、三沢光晴、リック・スタイナー田上明、小橋建太(試合順)。相手の得意技を出すなど健闘するが、0勝7敗で終了した。同年4月24日の日本武道館大会で、天龍源一郎・秋山準相手に小橋と組んで戦った一戦は、天龍のパワーボムで潮﨑が敗れた。

2005年8月24日、福島市国体記念体育館大会の対エディ・エドワーズ戦においてムーンサルトプレスピンフォール勝ちを収め、シングル戦初勝利を収めた。

2005年11月5日、日本武道館で行われた小橋・潮﨑組vs佐々木健介中嶋勝彦組という師弟タッグ対決で爆発。健介、中嶋へジェラシーをぶつけ、果敢に挑んでいったが、健介のラリアットで潮﨑が敗れた。試合後は礼は行ったものの、悔しさのあまり健介との握手は拒否した。同月11-15日、小橋・秋山と共にヨーロッパへ初遠征[8]

2006年1月11日、後楽園大会のKENTAとのシングルマッチにて、フィニッシュ技「go 2 sleep」の膝を顎で受けてしまい、同箇所を骨折。全治3か月の重傷を負って欠場。同年6月9日、選手会興行にて復帰。当初の復帰予定はまだ先だったが、谷口周平の怪我による欠場で、急遽出場の運びとなった。

2006年8月にSUWAと、2007年4月19日からは青木篤志と共に、それぞれ約1か月間ヨーロッパへ遠征。2007年4月下旬、キング・オブ・ヨーロッパ・カップ(英語: King of Europe Cup)に出場し、1回戦でRQW(英語: Real Quality Wrestling)所属のマーチン・ストーンに勝利するも、2回戦(準々決勝)でPWG所属のデイビー・リチャーズに敗れた。

GHC初挑戦 - アメリカ武者修行[編集]

2007年10月、田上明とのタッグで臨んだGHCタッグ選手権王座決定リーグ戦でGHC初挑戦。1点止まりの最下位に終わる。

2007年9月9日、ノアの日本武道館大会にて、三沢とのタッグで臨んだ無我ワールド・プロレスリング藤波辰爾西村修戦は、潮﨑が西村の足4の字固めで敗北。同年12月、無我ワールド・プロレスリングのトーナメントに参戦。1回戦で竹村豪氏に勝利するも、準決勝で吉江豊に敗れた。

2008年1月20日、ノアの後楽園大会で行われたROH世界ヘビー級選手権試合にて選手権者のナイジェル・マッギネスに挑戦するも、ロンドン・ダンジョンで敗れる。同年2月、ノアと業務提携を結んでいるアメリカのROHに、無期限の武者修行という形で派遣。

2008年4月、第1回グローバル・タッグ・リーグ戦に、田上明の要請を受け、一時帰国して田上とタッグチームを結成して出場。1勝止まりの最下位に終わる。リーグ終了後、再び渡米。

2008年8月23日、フロリダ州クリスタルリバーでエリック・スティーブンス(英語: Erick Stevens)が君臨するFIP世界ヘビー級王座に挑戦。ムーンサルトプレスで勝利し同タイトル(第7代)を獲得。同年9月1日、WWEセントルイス大会のダーク・マッチに出場、ジミー・ワン・ヤンと対戦し敗北。この直後、同団体より所属契約のオファーが届き、潮崎本人も「やってみたい気持ちはあった」というが、3年という契約期間が三沢社長の想定を超えていたことや、日本テレビのノアの地上波放送が翌年3月をもって終了することが内定していた時期ということもあり、契約は成立しなかった[9]

同年10月4日、ミズーリ州ウエストプレーンズで9人によるバトルロイヤルという形で行われたWLW世界選手権に勝利し、WLW世界ヘビー級王座(第43代)を獲得する。同年12月20日、フロリダ州クリスタルリバーで行われたFIP世界ヘビー級選手権試合でタイラー・ブラックに敗れ、王座から陥落した。

凱旋帰国 - GHC初戴冠&陥落[編集]

その後、風格・肉体も大きくなって凱旋帰国し、2008年12月23、24日にディファ有明で行われた「ザ・トーナメント'08」に参戦。1回戦で森嶋猛、2回戦で小川とチャンピオン経験者を連破する形で準々決勝(3回戦)に進出するも、当時GHCヘビー級王者であった佐々木健介に敗れる。しかし、その後も力皇猛バイソン・スミスなどチャンピオンクラスの先輩選手を次々撃破している。この頃、寮生活を卒業し、一人暮らしを始めている[10]

2009年3月1日、ノアの日本武道館大会にて、杉浦貴とタッグで自身初の新日本プロレスとの対抗戦となった中邑真輔ミラノコレクションA.T.戦では、潮﨑がミラノに勝利した。

2009年4月19日、自身初のGHCシングル挑戦となった札幌・月寒アルファコートドーム大会における秋山戦にてスターネス・ダストαで敗れ王座奪取に失敗する。

2009年5月6日日本武道館にて、 第2回グローバル・タッグ・リーグ戦のタッグパートナーである三沢と握手を交わす潮﨑(右)

2009年5月6日、三沢とタッグチームを結成し4月11日より臨んだ第2回グローバル・タッグ・リーグ戦の最終戦が日本武道館で行われ、佐々木・森嶋組と対戦。豪腕ラリアットで森嶋から勝利を奪い、合計9点をマークして優勝を決める。

2009年6月13日、広島グリーンアリーナ大会にて、齋藤彰俊・バイソン・スミスが持つGHCタッグのベルトに三沢と挑戦するも、奪取に失敗した。なお、この試合で三沢はアクシデントにより死去した(詳細は三沢の項目を参照)。潮﨑は三沢の最後のタッグパートナーとなった。翌日の6月14日、博多スターレーン大会にて、秋山が腰椎椎間板ヘルニアによりGHCヘビー級王座を返上、この日ベルトを賭けて秋山と対戦予定だった力皇の対戦相手として潮﨑を指名。GHCヘビー級王座決定戦となった対戦は、潮﨑が力皇を破り第15代王者となった。ノア生え抜き選手としては初の戴冠となった。

2009年7月5日、ディファ有明で行われた選手会興行にて、当時GHCジュニア王者であったKENTAとの「GHCヘビー対ジュニア」のシングル対決が実現。垂直落下式変形リバースDDTでKENTAから初勝利を奪う[11]

2009年10月、AAAへ遠征。ケンゾー・スズキ(現:KENSO)、スギとトリオタッグを組む。

2009年12月6日、日本武道館大会でのGHCヘビー級選手権で挑戦者の杉浦に雪崩式オリンピック予選スラムで敗れ、2度目の防衛に失敗した。

2010年[編集]

1月4日、「エース対決」「イケメン対決」と宣伝された、新日本プロレス棚橋弘至との「レッスルキングダム IV」IN 東京ドームでの一戦は、棚橋のハイフライフローで潮崎が敗れた。

1月、テーマ曲を「Keep on Going」から「ENFONCER」に変更し臨んだ第3回グローバル・タッグ・リーグ戦であったが、同月16日の佐野巧真高山善廣戦にて、佐野に対するダイビング・ニー・ドロップの着地の際、右腕を負傷。後日「右撓骨骨幹部骨折及び右肘内側側副靭帯損傷」と発表され、1月19日からの試合を欠場した。 4月10日、「Spring Navig. '10」開幕戦の後楽園大会にて、6度目のシングル対決となる丸藤戦での復帰が、潮﨑の要望により実現した。過去5戦は潮﨑の全敗だったが、治癒したての右腕にタイガーフロウジョンからの腕ひしぎ逆十字を決められレフェリーストップという形で敗北した。

5月23日、新潟市体育館で行われたAAA世界タッグ選手権で王者組の森嶋猛・石森太二に青木篤志とのタッグで挑戦、潮﨑が石森に勝利しAAA世界タッグ王座(第6代)を獲得。同年6月6日、メキシコシティで行われたトリプレマニア18(英語: TripleMania XVIII)にて、AAA世界タッグ選手権(4WAY MATCH)で敗れ、王座から陥落した。

6月19日、新日本プロレスの大阪府立体育会館大会で行われたIWGPヘビー級王座選手権で同王座初挑戦[注 1]。王者の真壁刀義にキングコング・ニードロップで敗れ、王座奪取に失敗した。

7月30日-8月1日、金丸と共に4度目の欧州遠征。

8月6-15日に行われた新日本プロレスのG1 CLIMAXに初出場。4勝2敗1分けで9点を獲得し、Bブロック2位タイの成績をおさめた。同月22日、ノアの有明コロシアム大会にて、G1で30分時間切れ引き分けとなった新日本の中邑真輔と再戦、変形ゴー・フラッシャーで中邑に勝利した。

10月30日、後楽園ホール大会において、鼓太郎・小川と新ユニットを結成。名称は未定だったが、後日各マスコミにより潮﨑軍の名で定着するようになった。

12月3日、IGF両国国技館で主催した「INOKI BOM-BA-YE 2010」に参戦。澤田敦士と対戦し、豪腕ラリアットで澤田から勝利を収めた。

2011年[編集]

1月4日、「レッスルキングダム V IN 東京ドーム」大会で、リベンジを申し込んできた中邑と対戦。中邑のボマイェで敗れた。同月15日、秋山復帰戦となる大阪府立体育会館大会の秋山&齋藤組vs潮﨑&谷口組にて、ゴー・フラッシャーで秋山から初勝利を果たした。

5月1日、KAIENTAI-DOJOに初参戦。滝澤大志と対戦し、豪腕ラリアットで勝利する。

同月中旬にGHCヘビー級ベルト最多防衛記録を塗り替えた王者杉浦貴への挑戦を表明していた一人である齋藤を5月25日の後楽園大会で破り、その場で杉浦に対し挑戦を表明するも、同時に森嶋も挑戦を表明、杉浦が「どっちでもいいよ。次のディファ辺りで決着つけろ」とコメントしたことで、6月11日に潮﨑対森嶋の次期挑戦者決定戦が行われた。森嶋の重量攻撃に圧倒されながらも三沢の得意技だったエメラルドフロウジョンやランニングエルボーを使用、豪腕ラリアットで森嶋から初フォール勝ちを収めた。

7月10日、有明コロシアムで杉浦とのGHCヘビー級選手権試合が行われ、30分近くにおよぶ激闘の末、変形リバースDDT[12]で勝利し自身2度目の戴冠を果たした。これに伴い、8月27日のALL TOGETHERのNOAH選手代表を杉浦と交代することとなった(当時のALL TOGETHERの対戦カードは発表されていなかったため、これと言った大きな支障はなかった)。

同月23日、大阪大会で行われた小橋建太復帰戦で小橋のパートナーとして出場。また、同日のGHCタッグ選手権終了後に、谷口周平とのコンビで、王座防衛に成功したジャイアント・バーナードカール・アンダーソン組に挑戦を表明。10月31日にGHCタッグ戦が行われ、奪取に失敗。

8月7日、反体制ユニット「NO MERCY」の対抗勢力として結成された「ANTI NO MERCY UNION」(略称・ANMU)への加入を表明。

同月27日、新日本プロレス全日本プロレス・NOAH合同開催のALL TOGETHERに参加。7月のGHC戴冠に伴い、メインイベントで棚橋弘至・諏訪魔とタッグを組んで中邑・KENSO・杉浦組と対戦。この試合において棚橋・諏訪魔と一緒になって杉浦にトリプルドロップキックを見舞う光景の写真は3団体が1つとなった証としてALL TOGETHERの写真の中でも屈指の知名度を誇ることとなった。

9月7日、年上女性と結婚したことを発表した[13]

11月27日有明コロシアムにて行われたGHCヘビー級選手権試合で、グローバル・リーグ戦2011準優勝のKENTAと対戦、勝利をおさめ3度目(初防衛の相手は秋山準、2度目の防衛は高山善廣)の防衛に成功した。

2012年[編集]

1月22日、大阪府立体育会館で行われたGHCヘビー級選手権試合で森嶋にバックドロップで敗北、4度目の防衛に失敗した。

2月19日、仙台サンプラザホールで行われた「ALL TOGETHER ~もう一回、ひとつになろうぜ~」にて、真田聖也内藤哲也とのタッグで森嶋・諏訪魔・棚橋とメインイベントで対戦するも、森嶋に敗北。なお、潮﨑とのタッグで秋山&斉藤の持つGHCタッグベルトに挑戦を表明していた小橋が、同大会で両膝を負傷し長期欠場。代役として武藤敬司の参戦が決定したもののノンタイトル戦との発表がなされたため、潮﨑は秋山からタイトルマッチとして戦いたいとの要求を突きつけられる。潮﨑は後日全日事務所に出向き武藤にGHCタッグ王座戦として戦うことを懇願、武藤はこれを受諾し、同王座戦の開催が決定した。

3月18日、横浜文化体育館にてGHCタッグ王座戦が行われたが、秋山にスターネスダストで敗れた。その場で秋山から秋山軍入りを要請され、握手を求められるも拒絶したが、4月14日の大阪府立体育会館第二競技場で行われたグローバル・タッグリーグ戦にてマイバッハ谷口の反則攻撃にさらされていた秋山を救出、秋山軍加入を表明。秋山軍は後日正式名「S・A・T」と発表された。

7月22日、NOAH初進出となった両国国技館大会にて、GHCヘビー王座を王者・森嶋と争うも敗れた。

7月20日-8月5日に行われたZERO1の「火祭り2012」に参戦、最終日の後楽園ホール大会にて大谷晋二郎に豪腕ラリアットで勝利しAブロックを3勝1分=7点で優勝、決勝で田中将斗と対戦するも、田中のスライディングDで敗北した。

10月26日、新潟市体育館で行われたGHCタッグ王座戦にて、齋藤とのタッグで王者組のKENTA&マイバッハ谷口に挑戦、リミットブレイクでKENTAから勝利。王者組の初防衛を阻止するとともに、潮﨑にとって同王座6度目の挑戦にして初戴冠となった[14]。しかし、12月9日の両国大会における挑戦者組の丸藤&杉浦との防衛戦にて、杉浦のオリンピック予選スラムに齋藤が敗れ、初防衛に失敗した。

12月、年内をもってプロレスリング・ノアを退団する旨が会社より発表、12月24日の有明大会を最後に退団した。

2013年[編集]

1月、小橋からバーニングを託された秋山と潮﨑・金丸・鈴木・青木のノア離脱組で行われた決起集会において、バーニングを再結成。26日、全日本プロレス「2013新春シャイニング・シリーズ」の最終戦に5人で来場し、全日マットに参戦することが発表された[15]。その後、3月17日両国大会にて、秋山とのタッグで大森隆男&征矢学から世界タッグ王座を奪取。初参戦となった4月のチャンピオン・カーニバルでは、Aブロックを3勝0敗2分=8点の首位で終え、Bブロック2位通過のKAIとの準決勝に臨んだが敗北した。

5月11日に開催された「FINAL BURNING in Budokan 小橋建太引退記念試合」では、KENTA・金丸・マイバッハとのタッグで、小橋・武藤・秋山・健介と対戦。小橋・健介と逆水平合戦を繰り広げた。

7月5日、新体制を迎えた全日本プロレスに正式入団。同月14日、後楽園ホール大会のメインで諏訪魔とのシングル3本勝負に臨み、2勝1敗で勝利。8月25日大田区総合体育館で行われた、自身にとって三冠初挑戦となる王者諏訪魔との35分を超える王座戦は、諏訪魔のラストライドに敗れた。9月、初開催となる王道トーナメントを勝ち上がり、23日名古屋国際会議場大会にてと優勝を争うもヨコヅナインパクトで敗れ、準優勝に終わった。10月22日、新潟・三条市栄体育館で行われた世界タッグ戦にて、挑戦者組の諏訪魔&ドーリングに敗れ、4度目の防衛に失敗した。

同月、鈴木・青木と共にバーニングを離脱。11月18日、その3人にKENSOを加えた新ユニットXceedを結成。同月21日、初陣となるタッグマッチで早速KENSOの裏切りに遭ってしまうが、新たに宮原健斗が加わり、改めて新ユニット始動となった。11月30日から開催された世界最強タッグ決定リーグ戦を宮原とのタッグで戦い2位となり、12月8日大阪ボディメーカー・コロシアム第2競技場にて諏訪魔&ドーリング組との優勝決定戦が行われたが、宮原が諏訪魔に敗れ準優勝に終わった。

2014年[編集]

2014年9月、第二回王道トーナメントに出場。一回戦で三冠王者のジョー・ドーリングに勝利するとそのまま勝ち進み、優勝決定戦で諏訪魔と対戦してこれに勝利し、同トーナメント初優勝となった。

2015年[編集]

2015年1月3日、ジョー・ドーリングをランニングからの豪腕ラリアットで破り、第51代三冠ヘビー級王者となった。

5月6日、後楽園ホール大会にて&吉江豊の保持する世界タッグ王座に宮原健斗とのタッグで挑戦。試合は見事相棒の宮原が吉江をジャーマンスープレックスでピンを奪い、世界タッグ王座獲得とともに、史上10人目の五冠王となった。

全日本プロレスの退団、古巣ノア参戦へ[編集]

2015年9月30日付けで全日本を退団。11月11日に古巣のプロレスリング・ノアへの参戦が明らかになり同月20日の後楽園ホール大会に来場することとなった[16]

2016年[編集]

2016年1月31日、横浜文化体育館大会で鈴木みのる一騎討ちを行い、1月9日より昨年全日本を退団しフリーとして活動中だった金丸と結託するも、同試合で突然パートナーの金丸がまさかの裏切り行為で鈴木の勝利をアシストしてしまった。また、試合後に谷口と共闘をすることとなった。

3月17日、谷口とのタッグでランス・アーチャー&デイビーボーイ・スミス・ジュニア組(K.E.S.)の持つGHCタッグに挑戦するも、敗北。

5月28日、杉浦の持つGHCヘビーに挑戦し勝利し、王座返り咲きに成功した。

ノア再入団へ[編集]

6月12日、Emerald Spirits 2016 in KORAKUENにてシェルトン・X・ベンジャミンを相手に防衛戦を行い勝利。試合後ノアに入団を要請すると丸藤がノアのロゴ入りのジャージを潮崎に渡し再入団が決まった。

人物・エピソード[編集]

「豪」という名前は、「強い身体をもって健康的に生きて欲しい」[17]「強くたくましく育って欲しい」という願いを込め、父親によって名付けられた[1]。実際、潮﨑の身体は整体や針治療を受けに行っても「貴方は健康だから来なくてもいいですよ」と言われるほど健康だと秋山準が語っている[18]。子どもの頃の潮﨑について、父は「豪は特にヤンチャでもなくて、悪い意味での話じゃなくて、天衣無縫という感じの子でしたね。良識がある元気の良い子だったけど、まぁ、普通の子どもでしたよ。」と語っている[1]。また、潮﨑の人柄に関して「お行儀のいい選手」という意見があるのに対し、潮﨑は「育ちがいいですからね、お行儀もやっぱりいいでしょうね」とコメントしている[19]

一時期、新日本プロレス後藤洋央紀に顔が似ているとよく言われ、後藤もそれを認知している[20]。2009年12月13日に汐留日テレタワーで行われた潮﨑単独のファンイベントでは、近くを通りすがった中年女性に「イケメン韓流スター」と間違われた[21]。2013年、『週刊プロレス』9月25日号の「女性読者アンケート結果発表!」のコーナーにおける「イケメンだと思う選手」部門で、2位に選出された(1位はオカダ・カズチカ)。また、2015年2月16日放送の『めざましテレビ』プロレス女子特集において、「イケメンだと思うプロレスラー」2位に選出された(1位は飯伏幸太、3位は棚橋弘至[22]

趣味・特技[編集]

趣味は「S.I.C.」など仮面ライダー系のフィギュア収集や、カードゲーム「仮面ライダーバトル ガンバライド」のカード収集[23]。仮面ライダーの作品は全て愛好するが、とりわけお気に入りなのが『仮面ライダー響鬼[24]。「ストーリーもいいですがそれぞれのキャラがしっかりしていて最高です」とのことである[24]。なお、ノア退団時に着用していた試合用タイツには小さくではあるが、『仮面ライダースカル』のロゴが入っていた。

鈴木鼓太郎が、潮﨑のことを「同じ秋葉原を愛する男」としている[25]三沢光晴から、大好きな『超人機メタルダー』のDVD-BOXをプレゼントされたことがあり、ノアの携帯公式サイト内の三沢との日記で感謝の言葉を述べている[26]

小学生の頃から漫画を読んでおり、『エンジェル伝説』『ろくでなしBLUES』『わたるがぴゅん!』などを愛読していた[3]。カラオケの十八番は、CHAGE and ASKAの「YAH YAH YAH[10]増位山太志郎の「そんな女のひとりごと」[27]

フリーター時代に調理場を経験し、新弟子時代にちゃんこ番を長く務めており、料理が得意だとされている[7]。得意料理は角煮豚カツなど[7]。プロレスラー以外の職業では料理人に憧れていたほどで、プロレスラーとなった現在でも凝った料理を作ることがある[28]

アメリカ遠征時のエピソード[編集]

2008年、遠征先のアメリカをバスで移動中、移動元のホテルで初めて出会った白人男性に身体を触られた上、唇まで奪われそうになったことがあるが[29]、アメリカ遠征での一番の思い出として、ラスベガスにて試合前に食べたKFC食中毒を起こし、そのまま試合に出場することになり苦しい思いをしたことを述懐している[30]。ほかにも、2009年10月、遠征先のメキシコのレストランにて食事中、現金、パスポート、携帯電話などが入ったバッグを盗まれるという被害に遭っており[31]、潮﨑自身、「どうも海外は相性が悪いみたい」と語っている[32]

得意技[編集]

ムーンサルトプレスフライング・ショルダー・アタックなど小橋建太が若手時代に愛用していた技を多く用いている。潮﨑はそのことについて、「意識して真似している訳ではないが、一番近くにいる人なので似てきてしまっているのだろう」「使い続けていくうちに、小橋さんではなく、自分のものにしていく」とコメントしている。

フィニッシュ・ホールド[編集]

ゴー・フラッシャー
変形のファイナル・カットブレーンバスターの姿勢で持ち上げたあと、前方に相手を放る。同時に相手の喉元に自らの片腕を叩き付け、そのまま勢いを利用しながら自分の体重を乗せつつ相手を背面からマットへ叩き落とす。初披露は2007年度に行われた白GHCタッグトーナメント1回戦。
アルゼンチン・バックブリーカーの体勢から相手を前方に投げて繰り出したこともある。
命名は鈴木鼓太郎で、元ネタはロボットアニメ『戦国魔神ゴーショーグン』の必殺武器から。
リミットブレイク
背後から相手の右腋に首を入れ、相手の左手首を股下から右手で掴み、左手を相手の右肩越しに首元に巻き付ける。そのまま勢いをつけ、自分の胸に相手の背中を載せるように垂直に持ち上げて左側に倒れ込みながら相手の顔面をマットに叩き付ける技[注 2]。初披露は2009年4月のグローバル・タッグリーグ戦で、相手は谷口周平であった。
潮﨑本人は名前はまだ付いていないとし、「精度を上げてから付けたい」と答えていた[33]。そのため呼称は様々で、変型ゴー・フラッシャーの他、リバース・ノーザンライト・ボム、リストクラッチ式変形リバースパワースラム、変型リバースDDTなどと呼ばれていたが、2011年11月のGHCヘビー級選手権試合で、KENTAを相手にバックドロップのように後頭部から落下させる改良型を披露し、両方の技ともに「リミットブレイク」を技名にすると回答した[34]。技名は『仮面ライダーフォーゼ』に由来する[35]
豪腕ラリアット[注 3]
小橋の長期欠場後に使い始めたもので、ランニング式/ショートレンジ式/上空ホイップ式/カウンター式の4種を使い分けている。現在のメインフィニッシュであり、ゴーフラッシャーの後に繰り出すことが多い。

打撃技[編集]

逆水平チョップ
豪腕ラリアット同様、小橋の長期離脱後に使い始めたもので、自分の代名詞となる技を会得すべく小橋の技を見て盗んだと語っている[4]。数発で相手の胸板が真っ赤に腫れあがるほどの威力で、秋山準に今一番痛いチョップであると言わしめている[36][37]。また、クリス・ヒーローも、今まで戦ってきたレスラーの中で一番強烈なチョップをするといった趣旨のコメントをしている[38]。相手をコーナーに振っての串刺し式逆水平チョップといった小橋の使わないムーブを考案しているほか、起き上がり小法師式逆水平チョップも使用する[39]
袈裟切りチョップ
バックハンド式、上空ホイップ式のほか、マットに尻をついている相手に傾れ込むようにして仕掛けるランニング式がある。
ローリング袈裟切りチョップ
小橋とは回転方向が逆で、素早く左回転しながら首筋に空手チョップを叩き込む(小橋は右回転で逆水平)。小橋の長期欠場が始まってから使い始めた技。バックハンドの要領で繰り出される袈裟切りチョップから決めポーズによる「ため」を経て繰り出されることが多いため、相手に隙を突かれカウンターの一撃を食らう場合も多い。小橋と同じローリング袈裟切りチョップも使用する。
ゴーハンマー[40]
屈んだ体勢の相手の後頭部にハンマーパンチを打ち下ろす技。
エルボー・バット(エルボー)
肘を相手の顔面や顎などに打ちつける技。通常の型に加え、ランニング・エルボーワン・ツー・エルボーローリング・エルボーなども使用する。デビュー間もない頃はフライング・エルボーも使用していた。
トラース・キック
テレビ中継で「丸藤正道を彷彿させる」と解説されたことがある[41]
ニー・ドロップ

投げ技[編集]

ジャーマン・スープレックス
新人時代はローリング・クレイドルからジャーマンへと連続で出すことが多かった。谷口と共に仕掛ける「眉山」と同型の技も敢行する。
ターンバックル式ジャーマン・スープレックス
ジャーマン・スープレックスで相手をコーナー目掛けて投げ捨て、後頭部にターンバックルを強打させる技。潮﨑のオリジナル技である。2005年11月5日、日本武道館で行われた小橋・潮﨑組vs佐々木健介中嶋勝彦組で中嶋に繰り出した。
フィッシャーマン・バスター
デビュー時はフィッシャーマンズ・スープレックスの形でホールドしてフォールを取りにいっていたが、次第に威力を優先させるようになっていった。
回転地獄五輪
潮﨑が使用するのは回転地獄五輪パート0だが、投げた後フォールの体勢に入らない。グラウンドでの変型肩固めを単独で使用することも多く、ギブアップを奪ったこともある。
旋回式スクラップバスター
左腕で相手の右肩上から背中を、右腕で相手の股座から尻を持ち自分の胸の前で水平に持ち上げる(このとき相手の身体は自分の方を向いている)。自分から見て右から左にスイングした直後に右腕を離すと同時に左腕で相手の後頭部をマットに叩きつける。雪崩式も使用する。
リバース・ゴー・フラッシャー
背後から「リバース・ブレーンバスター」の姿勢で持ち上げ、上記のゴー・フラッシャーの要領で相手を放りながら相手の後頭部に自らの腕を叩きつけ、相手を顔面からマットに浴びせ倒す技。初披露は2011年7月のGHCヘビー級選手権試合で、相手は杉浦であった。
オレンジ・クラッシュ
フランケンシュタイナー
雪崩式も使用する。
エプロンへのホイップ
ロープ付近で相手をブレーンバスターの体勢で持ち上げ、エプロンに投げ捨てる。場外マットに直接投げ捨てることもある。

飛び技[編集]

ドロップキック
潮﨑はジュニアヘビー選手に匹敵するほどの跳躍をするため、非常に打点が高い。その場跳び式にもかかわらず川畑輝鎮の顔面にヒットさせたこともある。
フライング・ショルダー・アタック
その場跳び式/ランニング式/ダイビング式の3種を使い分けている。
ムーンサルトプレス
潮崎が初期から使い続けている技。ただし初期には距離調整の失敗でムーンサルトヘッドバットや、ムーンサルトニープレスになってしまうことも多かった。相手に逃げられることも多い。初期は縦飛びではなく斜め飛び(武藤敬司式)であったが、現在は潮﨑のジャンプ力を生かし、コーナー近くに相手をダウンさせ、高く飛ぶことによって飛距離を短く、滞空時間が長い美しい弧を描くものに進化している。セカンドロープからライオンサルトを見せることもある。
ダイビング・ニー・ドロップ
トップロープに登っている潮﨑の側から見て、倒れている相手が右向きの場合は左膝を、左向きの場合は右膝を落とす。
トペ・スイシーダ
跳躍力を活かし、基本的にノータッチで繰り出される。

場外技[編集]

ランニング・ニー
相手をエプロンから頭部だけ場外に出した状態でうつぶせに寝かせ、場外端から走り込み膝を頭部に叩き込む技。
シーソースルー
コーナーポストから一定の距離を置いた場外で仰向けに倒れている相手の両脛を脇に抱え、コーナーポストを背にし後方に倒れ込むと同時に膝を曲げ、膝を支点としたシーソーの要領で後方のコーナーポストへ相手を投げやる技。

合体技[編集]

田上明との技
  • 田上の喉輪落とし+潮崎のジャーマン・スープレックス。
潮崎軍での技
宮原健斗(エクシード)との技
  • SHIN-SEKAI
宮原が2段式ジャーマンで相手を持ち上げ、潮崎がジャンピングラリアットを打ち込み、そのままジャーマンスープレックスで相手を落とす。2014年世界最強タッグ決定リーグ戦にあわせて開発された技。
マイバッハ谷口との技
  • 合体式チョークスラム
マイバッハ谷口との合体技。対戦相手の左横に立つ潮崎が相手の左足を自分の左肩の上に乗せ、相手の右横に立つ谷口が相手の喉を右手で鷲掴みして潮崎が右手、谷口が左手を相手の背中に添え、2人がかりで相手の体を高々とリフトアップして潮崎が尻餅をつくと同時に谷口が体を前傾させ、落下させた相手の背中を豪快にマットへ叩きつける新技。

タイトル歴[編集]

ユニット加入歴[編集]

プロレスリング・ノア
全日本プロレスリング
  • 第3次バーニング(2013年1月 - 11月)
  • Xceed(2013年11月18日 - 2015年9月)
プロレスリング・ノア(再参戦)

入場テーマ曲[編集]

  • GO ON BOARD AGAIN - 2016年5月20日〜[42]
  • ENFONCER (アンフォンセ)(作曲・鈴木修)- 2010年1月〜2016年5月15日
  • Keep on Going(作曲・A-bee) - 若手時代(〜2009年12月)
  • My Direction(作詞作曲・SUM 41)- デビュー時〜

出演[編集]

映画[編集]

ドラマ[編集]

  • Vシネマ『喧嘩の極意6』(2010年2月19日) - 前田信二役

ミュージックビデオ[編集]

脚注[編集]

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注釈[編集]

  1. ^ 本来は力皇猛が挑戦する予定だったが、調印後に力皇が怪我で出られなくなったため代わりに潮﨑が挑戦することになった。
  2. ^ ザ・グラジエーターが2004年12月4日のGHCヘビー級選手権試合で、ほぼ同型の技を小橋建太に放っている(ザ・グラジエーターの技では左腕も相手の右腋の下を通し、コブラツイストの形になっている)。
  3. ^ 小橋のラリアットは「腕ラリアット」と呼ばれるが、潮﨑のラリアットは「豪」という自分の名前に引っ掛けて「腕」という字を使っている。

出典[編集]

  1. ^ a b c 「プロレスラーの家族たち 第14回」『週刊プロレス』2012年6月27日号 p.48
  2. ^ a b c d e f g h i j k 「レスラーヒューマンストーリー 第109回 潮﨑 豪」『週刊プロレス』2012年9月12日号、pp.79-82
  3. ^ a b c プロレスリング・ノア携帯公式サイト インタビュールーム 潮崎豪編 2008年7月30日配信
  4. ^ a b 「首都圏ネットくまもと=プロレスラーの潮崎豪さん 心に響く試合見せたい [略歴]」『熊本日日新聞』2014年2月13日 朝刊
  5. ^ プロレスリング・ノア携帯公式サイト 潮崎豪日記 2005年11月10日配信
  6. ^ a b c Gスピリッツ』vol.11 p.72
  7. ^ a b c プロレスリング・ノア携帯公式サイト インタビュールーム 潮崎豪編 2007年6月20日配信
  8. ^ 週刊プロレス』2010年7月14日号 p.13
  9. ^ 潮崎3冠 WWE戦士イタミの勇姿に発奮”. 東スポWeb (2015年1月4日). 2015年1月19日時点のオリジナルよりアーカイブ。2015年2月26日閲覧。
  10. ^ a b プロレスリング・ノア携帯公式サイト 水曜コラム潮崎豪編 2009年3月11日配信
  11. ^ 『週刊プロレス』2010年7月14日号 p.24
  12. ^ 『週刊プロレス』2011年7月27日号 p.3では「リストクラッチ式リバース・ノーザンライト・ボム」と紹介された
  13. ^ 王者・潮崎豪が結婚「熱い戦い続ける」”. nikkansports.com (2011年9月7日). 2014年3月28日時点のオリジナルよりアーカイブ。2015年2月26日閲覧。
  14. ^ 『週刊プロレス』2012年11月14日号
  15. ^ 全日本プロレス「2013新春シャイニング・シリーズ」|試合速報|格闘技|スポーツナビ
  16. ^ 全日退団の潮崎豪がノア復帰「興味引かれたリング」 - プロレス”. 日刊スポーツ (2015年11月12日). 2015年11月12日閲覧。
  17. ^ プロレスリング・ノア携帯公式サイト 潮崎豪日記 2011年2月18日配信
  18. ^ 「秋山準の激論〈36〉」『週刊プロレス』2014年4月2日号 p.35
  19. ^ Sアリーナ』 2009年12月28日放送
  20. ^ 「ベルトを獲って潮崎選手と闘いたい」GHCヘビー級選手権・後藤洋央紀、杉浦貴囲みコメント 新日本プロレス公式サイト 2010年1月4日掲載
  21. ^ プロレスリング・ノア携帯公式サイト 小橋建太日記 2009年12月18日付
  22. ^ イマドキ男女の意外な流行を徹底調査!第一弾!!プロレスにはまる「プロレス女子」急増中!!”. フジテレビコンテンツストア (2015年2月19日). 2015年2月22日時点のオリジナルよりアーカイブ。2015年2月22日閲覧。
  23. ^ プロレスリング・ノア携帯公式サイト インタビュールーム 潮崎豪後編 2009年10月7日配信
  24. ^ a b プロレスリング・ノア携帯公式サイト 潮崎豪日記 2011年5月1日配信
  25. ^ プロレスリング・ノア携帯公式サイト 鈴木鼓太郎日記 2005年12月1日配信
  26. ^ プロレスリング・ノア携帯公式サイト 潮崎豪日記 2007年4月13日配信
  27. ^ プロレスリング・ノア携帯公式サイト 潮崎豪日記 2012年7月20日配信
  28. ^ プロレスリング・ノア携帯公式サイト 潮崎豪日記 2011年6月12日配信
  29. ^ プロレスリング・ノア携帯公式サイト 潮崎豪日記 2008年8月29日配信
  30. ^ プロレスリング・ノア携帯公式サイト 潮崎豪日記 2010年11月26日配信
  31. ^ プロレスリング・ノア携帯公式サイト 水曜コラム潮崎豪編 2009年11月4日配信
  32. ^ プロレスリング・ノア携帯公式サイト 潮崎豪日記 2010年8月6日配信
  33. ^ プロレスリング・ノア選手会興行2009「NO PAIN NO GAIN」 第6試合 スポーツナビ
  34. ^ 試合リポート『週刊プロレス』2011年12月14日号 p.7
  35. ^ 「選手本人が語る、21世紀の技解説<2>」『週刊プロレス』2011年12月21日号
  36. ^ 秋山社長の徒然日記 2009年4月11日付
  37. ^ 秋山社長の徒然日記 2010年1月10日付
  38. ^ クリス・ヒーローの日本語ブログ 2010/01/13栃木大会
  39. ^ プロレスリング・ノア携帯公式サイト 試合速報 2012年10月26日配信
  40. ^ プロレスリング・ノア携帯公式サイト 試合速報 2012年1月28日配信
  41. ^ 2010年1月4日の棚橋戦
  42. ^ 潮崎豪公式Twitter2016年11月閲覧

関連項目[編集]

外部リンク[編集]