ザ・グレート・カブキ

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ザ・グレート・カブキ
プロフィール
リングネーム ザ・グレート・カブキ
カブキ
高千穂明久
タカチホ
ヨシノ・サト
デビル・サト
ミスター・サト
ミスター・ヒト
ヒト・トージョー
スーパーX
本名 米良明久
ニックネーム 東洋の神秘
身長 180cm
体重 110kg(全盛時)
誕生日 (1948-09-08) 1948年9月8日(69歳)
出身地 日本の旗 日本宮崎県延岡市
スポーツ歴 水泳
柔道
トレーナー 芳の里
北沢幹之
デビュー 1964年10月31日
引退 1998年9月7日
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ザ・グレート・カブキThe Great Kabuki、本名:米良 明久(めら あきひさ)、1948年9月8日 - )は、日本プロレスラーレフェリー宮崎県延岡市出身。

東洋の神秘の異名も同リングネームに関連して持ち、アメリカでも大きな成功を収めた代表的なペイントレスラーの一人。

来歴[編集]

ザ・グレート・カブキ以前[編集]

生まれは宮崎県だが、中学2年生のときに愛知県知立市に移住[1]。学生時代は水泳選手として活躍したほか、柔道にも打ち込んでいた[1]

1964年日本プロレスに入団。同年10月31日、宮城県石巻市の石巻市立石巻小学校特設リングにおいて[2]高千穂 明久(たかちほ あきひさ / 出身地にちなんで芳の里が「高千穂」と名付けた[3][4])のリングネームで、山本小鉄を相手にデビュー[5][6]

1970年9月、アメリカ遠征に出発。初期は日系移民の多いロサンゼルス地区にて、タカチホTakachiho)としてベビーフェイスのポジションで活動していたが[7]1971年2月のデトロイト地区への転戦を機に、師匠格の芳の里にあやかったヨシノ・サトYoshino Sato)と名乗ってヒールに転向[8]日系アメリカ人ミツ荒川のパートナーとなり、同じ五大湖エリアのNWFにも進出、1972年1月19日にドミニク・デヌーチ&トニー・パリシを破ってNWF世界タッグ王座を獲得している[9]

1972年9月、日本プロレス崩壊の危機に際し帰国。坂口征二と組んで『NWAタッグ・リーグ戦』の第3回大会に出場し、優勝を果たす[10]。翌1973年3月8日、ジョニー・バレンタインを下しUNヘビー級王座を獲得[11](この試合は、NETテレビの『NET日本プロレス中継』における最後の放映試合でもあった)。4月19日にはキラー・カール・クラップを下して初防衛に成功したが[12]、同月に日本プロレスが崩壊し、王座を返上して全日本プロレスへと移籍(正式には1976年3月31日までは、日本テレビと3年契約を結んだ上、全日本へ派遣されていた。同年4月1日付で全日本正式所属選手となる)。

同年10月、ヒト・トージョーHito Tojo)のリングネームでヒロ・トージョーことサムソン・クツワダと共にオーストラリア遠征に出発。ヒロ&ヒトの「トージョー・ブラザーズ」を結成し、マーク・ルーイン&スパイロス・アリオンからNWA豪亜タッグ王座を奪取した[13]

全日本マットでもクツワダとの「豪州遠征コンビ」で活動し、1976年10月21日にジェリー・オーツ&テッド・オーツを破りアジアタッグ王座を獲得[14]。以降、覆面タッグチームのザ・クルセーダーズ(ビリー・レッド・ライオン&デューイ・ロバートソン)やグレート小鹿&大熊元司極道コンビを相手に2度の防衛戦を行い、1977年6月16日に極道コンビに敗れるまで戴冠した[14]。同年12月には国際プロレスマイティ井上をパートナーに『世界オープンタッグ選手権』に出場している[15]。また、1977年の韓国遠征ではスーパーXSuper X)なる覆面レスラーに変身、5月22日の仁川市大会において、大木金太郎(キム・イル)が保持していたインターナショナル・ヘビー級王座に挑戦した[16][17]

その後は全日本プロレスを離れてアメリカ・マットを主戦場とするようになり、ミスター・サトMr. Sato)またはタカチホのリングネームで南部中西部などNWAの主要テリトリーを日本人ヒールとして転戦。フロリダではミスター・サイトーとタッグチームを組み、1978年3月にペドロ・モラレス&ロッキー・ジョンソンからNWAフロリダ・タッグ王座を奪取、ジャック・ブリスコ&ジェリー・ブリスコの兄弟チームともタイトルを争った[18]1980年セントラル・ステーツ地区にて、4月17日にパク・ソンと組んでディック・マードック&ボブ・ブラウン、6月21日にキラー・カール・コックスと組んでパット・オコーナー&ボブ・ブラウンをそれぞれ破り、NWAセントラル・ステーツ・タッグ王座を2回獲得した[19]

ザ・グレート・カブキとして[編集]

もともとは正統派の堅実なファイトスタイルであったが、アメリカ遠征中の1981年初頭、フリッツ・フォン・エリックが主宰していたテキサス州ダラスのWCCWにおいて、マネージャー兼ブッカーのゲーリー・ハートのアイデアで、歌舞伎役者をモチーフにしたオリエンタルギミックペイントレスラーザ・グレート・カブキThe Great Kabuki)に変身。1981年1月10日、ザ・スポイラーを相手にカブキとしてのデビュー戦を行った[20]。当初、ゲーリー側の思惑ではこのギミックは3ヶ月程で、次の大物を呼ぶまで繋ぎ役でしかなかった[21]

なお、カブキと名乗るレスラーはアメリカでは1970年代初頭にも存在していたが(正体はトーキョー・トムとしても活動していたフィリピン系のレイ・ウルバノ[22])、後の活躍によりこのリングネームは米良の代名詞となる(初代の「ザ・カブキ」と米良は1972年ごろ、デトロイトでタッグを組んだことがあるという[20])。また、ペイントレスラーの元祖とされているが、カブキ以前にもペイントを施して試合を行うレスラーはいた。しかし、コンスタントにペイントレスラーとして活動し、流行のきっかけを作ったのはカブキであり、かつてのパートナーであるマサ斎藤ワールドプロレスリング解説時に「僕も昔、顔に塗ってこういうスタイルでファイトしてました。外人には受けるんですよね。カブキ以前にもいたことはいるんですけどね。でもやっぱり彼が元祖ですよ」と語っている。

般若の面を付けた連獅子姿や鎖帷子日本刀を携えた忍者スタイルなどをコスチュームに、ヌンチャクを操り毒霧を吹く東洋の怪奇派ヒールとして異色の悪党人気を博し、WCCWでは1981年にチャン・チュンこと桜田一男と組んでケビン・フォン・エリック&デビッド・フォン・エリックからテキサス版のNWA世界タッグ王座を奪取[23]。同年9月25日にはケリー・フォン・エリックを破りNWAアメリカン・ヘビー級王座を獲得している[24]

以降もWCCWを主戦場に、ビル・ワット主宰のMSWAジム・バーネット主宰のGCWジム・クロケット・ジュニア主宰のMACWなど各地の激戦区にも参戦して、ブルーザー・ブロディハーリー・レイスダスティ・ローデスリック・フレアートミー・リッチら全米のトップスターと対戦[20]。MSWAでは1981年10月にボブ・ループからルイジアナ・ヘビー級王座を奪取し[25]、GCWではヒール時代のロディ・パイパージェイク・ロバーツとも共闘[26][27]

1982年12月25日にはGCWの本拠地アトランタオムニ・コロシアムにてマスクド・スーパースター&スーパー・デストロイヤーをパートナーに、アンドレ・ザ・ジャイアントスタン・ハンセンティト・サンタナ組と6人タッグマッチで対戦した[28]。WCCWでは1983年1月3日にアル・マドリルからTV王座を、1月14日にはバグジー・マグローからブラスナックル王座をそれぞれ奪取[29][30]。MACWでは同年5月23日にジョー・ルダックを下してNWAミッドアトランティックTV王座を獲得[31]、11月24日の『スターケード』第1回大会においてチャーリー・ブラウンに敗れるまで戴冠した[32]

その間の1983年2月、ジャイアント馬場から帰国命令が出たため、全日本プロレスに凱旋帰国。当時の全日本プロレスのブッカーだった佐藤昭雄の進言で、アメリカからの逆輸入の形でカブキのギミックのままリングに登場し、2月11日に後楽園ホールにてジム・デュランを破り帰国第一戦を飾る[33]。以降、アメリカでの活躍もあって日本でもファンの支持を獲得。専門誌だけでなく一般誌にも取り上げられ、子供向けの印刷媒体にまで登場するなど、馬場やジャンボ鶴田にも引けを取らない人気を集めた。同年12月12日には蔵前国技館大会(『'83世界最強タッグ決定リーグ戦』最終戦)のセミファイナルにおいて、アメリカでも対戦していたリック・フレアーのNWA世界ヘビー級王座に挑戦した[34]

しかし本人にとっては、待遇面においては決して満足できる扱いではなかったという。「若手のコーチ役を請け負っているから」という理由で馬場が提示したギャラアップ額が「1試合100円増(後に500円)」だったというエピソード[35]のほか、カブキの凱旋帰国シリーズがTV放映権料を除く興行収益で2月シリーズでは全日本プロレス設立以来初の黒字(馬場が欠場していたのにも関わらず)になったり[36][37]、一般マスコミからのTV出演依頼が殺到したりしたため、馬場を含む先輩レスラー達の嫉妬を買ってしまい、配給会社から名指しで出演を依頼された映画『カランバ』のプロモーション(映画CMを真似て、腕にロープを巻き、ジープで引っ張ってどこまで耐えられるか、というイベント)においても、出演に関して直前までもめたことなどが明かされている。しかしながら、馬場はカブキの技能を高く評価し、若手選手に「カブキの試合をよく見ておけ」などと言っていたといわれ[21]、カブキも「プロレスが一番巧いと思ったのも馬場さんだ」と回顧するなど[38]、レスラーとしてはお互いを認め合っていた。

その後、ダラスのWCCWと全日本プロレスを行き来する形となり、1985年頃からは日本に定着しつつあったが[39]長州力率いるジャパンプロレスの参戦や、WCCWが新日本プロレスと提携したことなどもあって扱いはさらに悪くなり、一時期は造反してテリー・ゴディと共闘するなど外国人サイドに加わるが、ギャラはゴディに比べて格段に低かったと言われる[要出典]。以降、長州らの新日本復帰前後に全日本の正規軍に戻される形となり、天龍同盟との試合などで再度脚光を浴びたが、1990年7月30日に全日本プロレスを退団。この直前の7月19日『サマー・アクション・シリーズ』武生大会では、鶴田と組んでゴディ&スティーブ・ウィリアムス組から世界タッグ王座を獲得していたが、防衛戦を行わないまま返上となった[40]

全日本プロレス退団後[編集]

1990年8月、メガネスーパーによって設立されたSWSに入団。以降、団体エース格の天龍源一郎が率いる『レボリューション』の所属選手兼ブッカーとして活動する。SWS崩壊後はWARを経て新日本プロレスにも登場するようになり、平成維震軍の一員となった。

1993年5月24日、WARの大阪府立体育会館大会において、カブキの「息子」としてWCWでデビューしたグレート・ムタとの「親子対決」が実現[41]。実況アナウンサーから「地獄絵図」と形容される程の凄惨な試合を展開。結果はムタがレフェリーの海野宏之にイスで暴行を加えたことによるカブキの反則勝ち。試合には勝ったものの、カブキは試合後血まみれでムタの名を叫び「My soooon! I kill you son of a bitch...」とマイクで続けた。同年6月15日には新日本プロレスの日本武道館大会において「二度目の親子対決」(IWGPヘビー級選手権試合)が実現[42]。ムタの猛攻に額を割られカブキは大流血となったが、血管が切れてしまい額から勢いよく噴き出す血を倒れているムタの体にかけるなどカブキ独自の世界観を体現。マサ斎藤は「口からは毒霧、額からは血が…」と語るに至った。結果はカブキが海野レフェリー(当時、WAR)に毒霧を吹きかけ、さらに止めに入った田山正雄レフェリー(当時、新日本プロレス)にもイスで暴行を加えたことによるカブキの反則負け。くしくも前回の親子対決とは立場が逆転した試合結果に終わった。試合後、カブキは「Hey! my son...look me father!? I'm tough I'm tough!! My son listen to me!! listen to me...next time next time! I kill you」とマイクアピールを行い、あまりの過激さから試合はタイトル戦にもかかわらずテレビ中継が中止となり、ビデオソフト化による放映となった。

1994年1月22日、一度だけザ・グレート・カブキとしてWWFに参戦。ロードアイランド州プロビデンスにて開催された『ロイヤルランブル』のランブル戦に出場した(22番目に登場したが、レックス・ルガーにリングに落とされ15人目の退場者となる)[43]。この大会では、セミファイナルで行われたヨコズナジ・アンダーテイカーのカスケット・マッチにも、ヨコズナに加担するヒール陣営の一員として乱入し、アンダーテイカーを急襲した。なお、WWF(WWWF)にはカブキに変身する以前の1978年5月22日にも、ヨシノ・サトとしてマサ斎藤とのコンビでフロリダ地区からゲスト参戦しており[44]ニューヨークマディソン・スクエア・ガーデンにて、ドミニク・デヌーチ&ディノ・ブラボーが保持していたWWWF世界タッグ王座に挑戦したことがある[45]

新日本プロレスとの契約満了後はインディー団体を転戦するようになり、1995年9月には石川敬士が興した新東京プロレスに出場[46]1996年に設立が発表された「インディー統一機構(ファイティング・フォー・フューチャー、略称:FFF)」にも主力選手としての参戦が予定されていたが、FFFは旗揚げ前に頓挫[47]

1997年からはIWA・JAPAN所属となるが、1998年6月に現役引退を表明[48]。引退に際してムタの代理人である武藤敬司が「パパと一緒に試合がしたい」とコメント。そして同年8月の新日本プロレス大阪ドーム大会でカブキとムタの「親子タッグ」が実現。後藤達俊小原道由組と対戦し、後藤からカブキがピンフォール勝ちを収める。試合後、ムタは控室に引き上げる際「I miss daddy...I love kabuki kabuki!!」と声を上げ、さらに「I miss daddy I love you I miss you I love you!!」とムタなりにカブキの引退に際してのコメントを送っている。

同年7月20日には、漫画『プロレス・スターウォーズ』の中でしか実現していなかったケンドー・ナガサキとの「オリエンタル・ミステリー・タッグ」で後楽園ホールのメインイベントに出場した[49]

引退後[編集]

1998年に引退した後は、東京都飯田橋にて居酒屋「串焼き・ちゃんこ かぶき」(後に「BIG DADDY 酒場 かぶき うぃず ふぁみりぃ」としてリニューアル)を経営する傍ら、IWA・JAPANにてレフェリーを務め、時折観客として後楽園ホールなどにも足を運んでいる。インディレスラーのコーチとして指導に当たることもあるが「必ず基礎の受身からやる」「アルバイトをしながらプロレスをやっているようではダメになっていく」と語り、プロ意識を持つことの重要性を説いている[21]

2009年12月6日、大阪プロレスの6人タッグマッチにおいて久々にレスラーとして試合に出場。ミラクルマンくいしんぼう仮面タコヤキーダー組と対戦し(パートナーは松山勘十郎救世忍者乱丸)10分00秒、竹とんぼ式ラリアットからのエビ固めでタコヤキーダーからフォール勝ちを収める[50]

2011年折原昌夫からタイの地下格闘場にザ・グレート・カブキの子息としてTHE KABUKI(ザ・カブキ)と名乗る格闘家がいると聞き、カブキ本人は「アメリカ時代の前妻との息子とは20年以上会っていない」と語ったが、天龍と共に対面[51]。8月には天龍プロジェクトでのデビュー戦において自らセコンドに付いた[52]。11月には限定復帰し、カブキの「隠し子」という設定のTHE KABUKIとタッグを組むに至った[53][54]

2012年8月、古巣全日本プロレスの40周年記念興行大田区総合体育館大会のバトルロイヤルに乱入。バトルロイヤル優勝と思われていた浜亮太を襲撃し、見事優勝を掻っ攫っていった。2013年には我闘雲舞に初参戦。65歳の誕生日となった9月8日には、富豪富豪夢路とタッグを組んで信州プロレスにも参戦した。

2014年12月9日には、椿山荘で開催された『X'mas チャリティ・プロレス・ディナーショー!』においてヒロ斉藤とタッグを組み、天龍&西村修と対戦した[55]

2015年1月4日には、新日本プロレスの東京ドーム大会『 レッスルキングダム9 in 東京ドーム』の「第0試合 1分時間差バトルロイヤル ~ニュージャパンランボー~」において、15番目の選手として登場[56]。翌2016年1月4日にも、東京ドームにおける新日本プロレスの『レッスルキングダム10 in 東京ドーム』のニュージャパンランボーに16番目の選手として出場。ヒロ斎藤、藤原喜明キング・ハク越中詩郎らと共に試合を盛り上げた[57]

獲得タイトル[編集]

日本プロレス
全日本プロレス
ナショナル・レスリング・フェデレーション
NWAハリウッド・レスリング
  • NWAビート・ザ・チャンプTV王座:1回[58]
ワールド・チャンピオンシップ・レスリング(オーストラリア)
チャンピオンシップ・レスリング・フロム・フロリダ
  • NWAフロリダ・タッグ王座:2回(w / ミスター・サイトー[18]
  • NWA USタッグ王座(フロリダ版):2回(w / ミスター・サイトー)
NWAウエスタン・ステーツ・スポーツ
セントラル・ステーツ・レスリング
NWAビッグタイム・レスリング / ワールド・クラス・チャンピオンシップ・レスリング
ミッドアトランティック・チャンピオンシップ・レスリング
ミッドサウス・レスリング・アソシエーション
  • ミッドサウス・ルイジアナ・ヘビー級王座:1回[25]
コンチネンタル・レスリング・アソシエーション
  • NWAミッドアメリカ・ヘビー級王座:1回[60]

得意技[編集]

派手な外見とは裏腹に、試合では決して技を多用せず「間」で勝負するレスラーだったと言える。一試合を通して技らしい技はボディスラムキーロックの二つのみを使用して組み立てたことがあるほどであり、投げ技・極め技・丸め込み技の類はほとんど使用せず独創的で限られたプロレスムーブで試合を行う。

毒霧
元祖であり、カブキが使用したことによって米マットで活躍する日本人怪奇派レスラーの定番技となった。
カブキの場合、あくまで見せ技としての使用が主要目的であり、試合中に攻撃として用いられることは少ない。
セミリタイア状態になってから徐々にその成分や仕掛けのヒントを書籍などで公開し出したが、使用する現役レスラーがいることを理由にその全貌は明らかにされていない。
トラース・キック
こちらもカブキが使用したことによりプロレス界に浸透したものであり、プロレス技としては元祖である。
主にコーナーへ振られたさいのカウンターとして用いたが、フィニッシュ・ホールドとしても用いられた。
アッパー・ブロー
右腕を大きく振りかぶり、拳を固めた反対の左手で下から相手の顎ないしは頬を引き打つ独特のアッパー・ブロー。
ヒト・トージョーとしてのオーストラリア遠征時、現地で一緒だったボクサー上がりのサイクロン・ネグロに教わって身につけた[61]
カブキが試合を組み立てる上で多用した技であり、主要打撃攻撃の一つ。ヘイトに伝授されている。
正拳突き(フィスト・ドロップ
最も多用されたフィニッシュ・ホールドで、カブキとしてのキャラクターを思案した結果開発された。
セカンドロープ上を綱渡りのように2~3歩移動し、拳を固めた右腕を大きく振りかぶって両膝着地式に相手の喉笛や胸元に叩き込む。
竹とんぼ式ラリアット
かねてより使用していたが、後年の主なフィニッシュ・ホールドとしても用いられている。
両手を広げて1~2回転してから左腕で放つラリアット
オリエンタル・クロー
カブキの使用するクロー攻撃の総称であり、単なるチョーク攻撃もこの名で呼ばれた。
コブラ・クローチョーク・クローショルダー・クローなど、その時々によって形は様々である。
各種反則攻撃
主にイス、ヌンチャクなどの凶器攻撃やガウジング、噛みつきなどの反則で急所攻撃はあまり行わなかった。
毒霧も米マットや全日本プロレス、WARでは反則と見なされ、即試合終了の扱いを受けている。
水芸
厳密に言うと技では無いが、流血したさいにまるで噴水のように額から血を噴出させる事が自らの意思で出来た。
やられ技としての使用のほか、来歴の項に記したように相手に血をかける攻撃としても用いられた。
指折り
これも技では無いが毒霧を上空に向かって噴き出すさいや、相手に攻撃を受けているさいに指の第一関節部分のみを折り曲げる仕草。
毒霧や水芸となどと同じく、レスラーカブキのキャラクター像を作り出すための工夫である。

エピソード[編集]

  • 力道山日本プロレスへの入門を直訴すべく、1963年12月に15歳で東京・赤坂にあった日本プロレス合宿所を訪問した際、当時若手レスラーだった上田馬之助に声をかけられ新弟子になりたい旨を伝えたところ、上田から「今日は力道山先生はいないから、一晩泊まっていきなさい。明日には会えるから」などと親切に応対されたという[62]。翌年、改めて日本プロレスを再訪した際には豊登がおり、「学校を卒業したら(日本プロレスに)入門しなさい」と許可をもらったが、口約束では不安なので証文を書いてもらった[63]
  • アメリカでのザ・グレート・カブキの出身地は日本ではなくシンガポールとされていた。これは、すでに1981年当時のアメリカには日本製の自動車や電化製品が普及しており、日本出身というプロフィールではミステリアスなイメージを演出できなくなったためである(当初、カブキ本人はチベット出身という設定を考えていたが、マネージャーのゲーリー・ハートがチベットの存在を知らなかったためシンガポールになったという。なお、若手時代の高千穂明久は日本プロレスの東南アジア遠征において、実際にシンガポールで試合をしたことがある)[64]
  • アメリカでは大ヒールとして活躍したが、1985年に主戦場のWCCWにて、女性マネージャーのサンシャイン[65]が付いて一時的にベビーフェイスに転向[66]ジノ・ヘルナンデス&クリス・アダムスのダイナミック・デュオやワンマン・ギャングと抗争した[67]
  • プロレスリング・ノア三沢光晴社長が不動産仲介会社リーヴライフ トゥエンティーワン(通称:ザ・リーヴ)のCMに出演したきっかけは、カブキの紹介によるものである。ノア所属選手のCM出演を切望していたザ・リーヴの佐藤和弘社長が、親交のあったカブキから三沢を紹介され、同年齢で、生まれた月、血液型も同じであったため意気投合した[68]。2012年夏より放映が開始された「かぶき編」では、ノア所属選手(秋山準潮崎豪鈴木鼓太郎青木篤志)に混じって、カブキ本人もCMに出演している。また、撮影で使用されたのは、前述の「BIG DADDY 酒場 かぶき うぃず ふぁみりぃ」である。なお、CM映像は、ザ・リーヴ公式Webサイトにて視聴可能。
  • 現役時代にも飲食店「なべ小鉄」を経営しており各種プロレスマスコミや「リングの魂」等の番組で紹介されたが、現在は経営から撤退している。

リングネーム[編集]

米良が用いたことがあるリングネーム

  • 高千穂明久
  • タカチホ
  • ヨシノ・サト(アメリカ修行中に使用)
  • デビル・サト(アメリカ修行中に使用)
  • ミスター・サト(アメリカ遠征中に使用)
  • ミスター・ヒト(アメリカ遠征中に使用)
  • ヒト・トージョー(オーストラリア遠征中に使用)
  • カブキ
  • ザ・グレート・カブキ(アメリカ遠征中の1981年より)

入場テーマ曲[編集]

  • ヤンキー・ステーション
    • ザ・グレート・カブキ時
  • ザ・グレート・カブキ
    • SWS時代のザ・グレート・カブキ時

著書[編集]

出演[編集]

映画[編集]

  • 地獄プロレス(2005年3月26日、高橋厳監督)

MV[編集]

参考文献[編集]

  • ザ・グレート・カブキ 『"東洋の神秘" ザ・グレート・カブキ自伝』 辰巳出版2014年ISBN 4777813932

脚注[編集]

  1. ^ a b 『ザ・グレート・カブキ自伝』P12
  2. ^ 週刊プロレス No.1837号【2016年3月9日号】 57頁 プロレスアルバム『ザ・グレート・カブキ』参照
  3. ^ 『ザ・グレート・カブキ自伝』P38
  4. ^ 豊登が命名したという説も出回っている(門馬忠雄『日本縦断プロレスラー列伝』2002年 エンターブレイン ISBN 9784757709508 p.518)。
  5. ^ 『ザ・グレート・カブキ自伝』P36
  6. ^ 東京スポーツ 2011年4月7日発行 6頁参照
  7. ^ 『ザ・グレート・カブキ自伝』P70
  8. ^ 『ザ・グレート・カブキ自伝』P77
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外部リンク[編集]