天龍同盟

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天龍同盟(てんりゅうどうめい)は、かつて全日本プロレスに存在したプロレスラー天龍源一郎を中心としたユニット。別名「レボリューション」

概要[編集]

1987年-1988年[編集]

1987年長州力ジャパンプロレス勢が新日本プロレスにUターン移籍した後の全日本プロレスは、かつてのように「日本人レスラー対外国人レスラー」という構図がメインになりつつあった。しかし、それを潔しとしなかった天龍は全日本を活性化するためにジャイアント馬場に「阿修羅・原とタッグを組みたい」と直訴した。その後、2代目タイガーマスクの猛虎7番勝負の第6戦に出場した天龍は日本人同士の同門対決ながら非常に激しい試合をタイガーと繰り広げ、試合を見た馬場から原とのタッグ結成の了承を得る。2人のタッグは「龍原砲」と呼ばれ、同じ日本人レスラーであるジャンボ鶴田輪島大士との激闘、地方でも試合時間20分に及ぶ手を抜かない姿勢などがファンから絶大な支持を受け、マスコミはこの一連の行動を「天龍革命」「レボリューション」と呼んだ。「レボリューション」の名付け親は天龍の後援者で、ビートルズが1968年にリリースした『レボリューション』が由来である(天龍同盟のオリジナル・ジャージが制作された際、背中部分には同曲の歌詞の一節が縫い込まれていた)[1]。彼ら2人はリング外でも対立構図の意識化を徹底し、移動も全日本本隊と共にせずリング屋のトラックに乗ったり、近鉄に勤務した経験を持つ原が時刻表を調べて乗り継ぎなどを確認し、独自に電車で移動していた[2](のちに天龍同盟専用のバスが用意される)。

同年の8月21日、龍原砲と鶴田・ザ・グレート・カブキ組の試合中、本隊側のセコンドについていた川田利明が突如鶴田に攻撃を仕掛け、龍原砲側に加わる意思表示を見せる。この際かつて天龍の付き人を務め、川田とタッグを組んだ経験があるサムソン冬木は本隊に留まり、川田との抗争を展開したが、国際プロレス時代から縁のある原が間に入り、冬木も龍原砲側につくことになる[3]。さらに天龍の付き人の小川良成も行動を共にするようになりこの5人の軍団は「天龍同盟」と呼ばれた。同盟結成後、1987年に龍原砲がPWF世界タッグ王座を獲得、天龍が鶴田にシングルマッチで2連勝。1988年には天龍がスタン・ハンセンとの統一戦を制しPWFUNの二冠王となり同日に川田と冬木のタッグチーム「フットルース」がアジアタッグ王座を獲得、その直後には天龍とインターナショナル王者ブルーザー・ブロディとの間で史上初の三冠統一戦、8月には龍原砲が世界タッグ王座を獲得するなどまさにこの時期の全日本は天龍同盟を中心に回っていた。

1989年[編集]

しかし、1988年の世界最強タッグ決定リーグ戦開幕戦の大会前に記者会見が開かれ馬場の口から「生活態度の問題」により原の解雇が発表される。これによりパートナーを失った天龍だったが(リーグ戦には川田とのコンビで出場)、翌1989年にライバルであったハンセンから呼びかけられタッグ「龍艦砲」を結成する。この年には天龍個人としては6月鶴田をパワーボムでフォールし三冠ヘビー級王座を、龍艦砲としては世界タッグ王座を獲得。さらに最強タッグでは史上初の全勝優勝を果たすが、次第に同盟の意義は薄れていく。

1990年[編集]

1990年3月、殺人魚雷コンビ(テリー・ゴディスティーブ・ウィリアムス)との世界タッグ戦での敗北をきっかけに天龍とハンセンが仲間割れ。そして4月に天龍は「革命は完了した」として同盟の解散を宣言し川田らを全日本本隊に戻す。4月19日、鶴田の保持する三冠王座に挑戦するも敗北した天龍は試合後「もう終わったと思ってる」とコメントし、この試合を最後に全日本を退団し新団体SWSに移籍した。同盟の解散には「自分がいなくなった後に残った者の居場所が無くならないように」との天龍の思いやりからの意味もあった(しかし冬木と北原辰巳はその後天龍に追従しSWSに移籍する)。

メンバー[編集]

サポートメンバー
準メンバー
  • 北原辰巳 - 同盟活動時は全日本本隊の新人扱いであり、デビュー1年後に海外遠征に出たためリング上の接点も持てなかったが、リング外ではデビュー前から天龍・原と行動を共にしていた

獲得タイトル[編集]

その他[編集]

2005年に天龍がプロレスリング・ノアに参戦した際にタッグを組んだ秋山準が「REVOLUTION 2005」と称し、天龍同盟を復活させるような動きを見せたが、天龍のノア参戦がその年限りであったために大きなムーブメントは起こせなかった。

脚注[編集]

  1. ^ 天龍源一郎『完本 天龍源一郎 LIVE FOR TODAY -いまを生きる-』(2016年 竹書房 ISBN 9784801908444 p162)
  2. ^ 最後までプロレスは“辛口”で - 。天龍源一郎、堂々たる革命の終焉。”. number web (2015年11月17日). 2016年12月2日閲覧。
  3. ^ 天龍2016、p169-170

関連項目[編集]