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青木篤志

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青木 篤志
200
2017年
プロフィール
リングネーム 青木 篤志
本名 青木 篤志(あおき あつし)
ニックネーム 青き閃光
身長 170cm
体重 85kg
誕生日 (1977-09-25) 1977年9月25日
死亡日 (2019-06-03) 2019年6月3日(41歳没)
出身地 東京都大田区
所属 全日本プロレス
スポーツ歴 レスリング
トレーナー 秋山準
小川良成
デビュー 2005年12月24日
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青木 篤志(あおき あつし、1977年9月25日 - 2019年6月3日)は、日本プロレスラー。元自衛官東京都大田区出身。

来歴

高校時代からアマチュアレスリングで活躍。陸上自衛隊(市ヶ谷第32普通科連隊朝霞駐屯地、青森第5普通科連隊[1])時代の2000年には、全国社会人オープンレスリング選手権大会69kg級で優勝する。2005年5月、プロレスリング・ノアに入門。秋山準の付き人となった。

プロレスリング・ノア

2005年12月24日に行われた年末興行でデビュー。当時同じく新人だった太田圭則と組み、三沢光晴&田上明組と対戦した。

2006年スターネスに加入。

2007年12月23日の「SEMful Gift in Differ '07」での秋山との対戦を皮切りに、「青木篤志“閃光十番勝負”」が組まれた。その後、デイビー・リチャーズに勝利するもKENTAブライアン・ダニエルソン小川良成カズ・ハヤシ金丸義信獣神サンダー・ライガー丸藤正道2010年2月28日の鈴木みのるの順に敗れ、1勝9敗で終了した。

2009年新日本プロレスベスト・オブ・ザ・スーパージュニア」に出場。初戦でタイガーマスクに敗れたものの決勝トーナメント出場を果たし、ベスト4に食い込む。

2010年5月23日、新潟市体育館で行われたAAA世界タッグ選手権で王者組の森嶋猛石森太二潮﨑豪とのタッグで勝利し、AAA世界タッグ王座(第6代)を獲得した。同年6月6日、メキシコシティで行われたトリプレマニア18にて、AAA世界タッグ選手権(4WAY MATCH)に敗れ、王座から陥落した。

同年7月11日、新日本プロレス後楽園ホール大会において、プリンス・デヴィットが保持するIWGPジュニアヘビー級王座に初挑戦するも、ブラディサンデーで敗れた。同年10月、第4回日テレ杯争奪ジュニアヘビー級タッグリーグ戦にKENTAとタッグを組んで出場し、殆どの試合を自らがフォールを決めるなどしてKENTA以上の活躍をして[独自研究?]優勝。

同年11月23日、後楽園ホール大会において金本浩二&タイガーマスク組が持つGHCジュニアヘビー級タッグ王座に挑戦するも敗退。同年12月24日、ディファ有明大会にてパートナーを丸藤にして再度挑戦し、金本からアサルト・ポイントで勝利を収め、初のGHCタイトルを戴冠した。丸藤とのタッグで2度防衛に成功するが、丸藤が負傷で長期欠場することになり、これに伴って王座を返上。

2011年4月に鈴木鼓太郎、石森と「ANTI NO MERCY UNION(ANMU)」を結成し、金丸やKENTAら「NO MERCY」との抗争にかかる。5月25日に鼓太郎とタッグを組んで空位となっていたGHCジュニアヘビー級タッグの王座決定戦に臨むが、金丸&KENTA組に敗れた。8月24日のリターンマッチに敗れるものの、10月16日の2度目のリターンマッチで金丸&KENTA組から王座奪取。以後、2012年7月22日にスペル・クレイジー&リッキー・マルビン組に敗れて王座陥落するまで7度の防衛に成功した。

鼓太郎とGHCジュニアタッグ王座を保持している2012年3月には、秋山軍(後のS・A・T)に加入。12月、年内をもってプロレスリング・ノア退団が会社より発表。12月24日ディファ有明大会を最後にノアを退団した。

全日本プロレス

2016年

2013年1月に行われた決起集会で、小橋からバーニングを託された秋山をリーダーに、潮崎、金丸、鼓太郎で再結成した。1月26日、全日本プロレス「2013新春シャイニング・シリーズ」の最終戦に5人で来場し、参戦する事が発表された[2]。4月には鼓太郎とともに、アジアタッグ王座を戴冠。

同年7月5日、全日本プロレスに正式入団。11月より潮﨑、鼓太郎と「Xceed」を結成するも、翌2014年2月にはXceedを脱退。

2014年、ウルティモ・ドラゴンのマスクを剥ぎ、世界ジュニアヘビー級王座挑戦を要求。5月16日、後楽園ホールで行われた「2014スーパーパワーシリーズ開幕戦」にて、ウルティモvs青木vs佐藤光留の世界ジュニア王座次期挑戦者査定3ウェイマッチ30分1本勝負を行ない、アサルト・ポイントで佐藤からフォールを奪い勝利。これに青木が「文句はないだろう?」とウルティモにアピールした。これに対しウルティモは、「このベルト賭けておまえとやろうじゃないか!」と受諾[3]。5月29日、後楽園ホールで行われた選手権試合にて、ウルティモ・ドラゴンを変形腕ひしぎ逆十字固めで破り、第37代世界ジュニアヘビー級王者となる。

7月27日、エボリューションに加入。加入後はやる気のない他選手の批判を続け、佐藤とのタッグでJr. TAG BATTLE OF GLORYに優勝、世界最強タッグ決定リーグ戦出場を果たした。ジュニアヘビー級同士のタッグでありながら、超ヘビー級戦士たちを相手に一歩も引かない戦いを見せた。[独自研究?]

2015年には2年連続でJr. BATTLE OF GLORYに出場、準優勝に終わる。3月27日には鼓太郎に敗れ、世界ジュニアヘビー級王座から陥落(防衛5回)。5月21日にはかねてから舌戦を展開していたXceed・宮原健斗とのシングルマッチに挑んだ。試合は両者持てる技術をフルに使っていたが、試合終盤の宮原のニーリフトを後頭部にまともに食らい、立ち上がれなくなったところでレフェリーストップとなりKO負けを喫した。また、6月4日のエボリューション対Xceedのキャプテンフォールマッチで、キャプテンの諏訪魔が宮原からフォールを取られ負けてしまうが、7月8日のキャプテンフォールマッチ再戦では、青木が相手チームキャプテンの潮崎からアサルトポイントでフォールを奪った。試合後に最終戦でジョー・ドーリングと組んでの世界タッグ王座挑戦をアピールし、7月25日後楽園ホール大会にて潮崎・宮原組の持つ王座に挑戦するが敗退。しかし試合後にはジュニアヘビー級でありながらヘビー級選手に混ざって存在感を発揮したことに喝采が送られた。[独自研究?]

同年6月27日、ハードヒットに参戦し、中学時代の同級生和田拓也と10分1本勝負を行う。結果は10分時間切れとなったが残りロストポイント2-1で勝利した。11月7日、ハードヒットにてダン・セオドアとユニファイドルール・3分1ラウンドで対戦。結果は引き分け。

2016年から2019年まで

2016年1月3日、佐藤光留プロデュースハードヒットルール「隊長vs組長」と題された試合にて、藤原喜明と対戦。試合内容は中盤から藤原が打撃禁止のルールを破り頭突き攻撃を行うなど躍動、高度な腕の極め合いを見せたところで時間切れ引き分けとなった。

同年2月、ドイツベルリンで開催される『GLOBAL WARNING』に、アジア代表として5日 - 6日と連続参戦。またJr. BATTLE OF GLORYで、Bブロック1位橋本和樹の負傷欠場を受け、丸山敦との挑戦者決定戦を勝ち上がってきた佐藤光留と決勝戦を争い勝利。優勝とともに第39代世界ジュニアヘビー級王者となる。また2月28日にはハードヒットに参戦、大江慎を相手にシュートボクシングルールで対戦し引き分け。

同年4月、チャンピオン・カーニバルに出場予定だったジョー・ドーリングに悪性の脳腫瘍が発見され、その代わりにチャンピオン・カーニバル初出場。Bブロックで3勝3敗、得点6に終わる[4]

同年6月19日、佐藤光留との防衛戦に敗れ、世界ジュニアヘビー級王座を手放す(防衛3回)。

同年12月29日のハードヒットでは平直行と対戦。7月16日、ハードヒット・新木場大会でキックボクサーの前口太尊と対戦[5]

2017年11月頃より、マスクを被り試合をするようになる(コスチュームもツーショルダーのロングタイツに変更)。ただしリングネームは本名のまま変えておらず、またマスクを被る理由も明らかにしていない。

2018年2月3日、TAJIRIに勝利し第47代世界ジュニアヘビー級王座を戴冠(自身3度目)。4回の防衛に成功するも、同年8月26日に岩本煌史に敗れ、王座陥落。

2019年真霜拳號の負傷欠場を受け、チャンピオン・カーニバルに2度目の参戦。Aブロックで4勝4敗、得点8に終わる[6]

2019年5月20日、後楽園ホールで、岩本を破り、世界ジュニアヘビー級王者に返り咲く(第51代)。

2019年6月2日、神戸サンボーホールでの6人タッグマッチが生涯最後の試合となる。

2019年6月3日22時33分頃、バイクで走行中に首都高速都心環状線外回りの千代田トンネル出口付近で側壁へ衝突し、転倒。都内の病院に搬送されたが同日22時41分頃、死亡が確認された[7][8][9]。41歳没。同月18日に佐藤光留との世界ジュニアヘビー級初防衛戦を控えていた矢先の事故死であった[10]

得意技

アサルトポイント
レッグロック・スープレックスと同型の変形バックドロップ。
オブジェクト
相手の左太股越しに相手の右手首を左手で掴んで仕掛けるリストクラッチ・アサルトポイント。初出は2011年7月30日に行われた日テレG+杯の優勝決定戦。
ノーザンライト・スープレックス
一度決めてから一回転し、もう一度仕掛ける連続式や下記の腕ひしぎ逆十字固めへ繋ぐ連携技も持っていた。
腕ひしぎ逆十字固め
通常形であるグラウンド状態の相手に仕掛けるタイプ、飛びつき式、ミステリオ・ラナのように肩に乗ってから反転しつつ決めるタイプ、上記のノーザンライト・スープレックスから連携でかけるタイプの4タイプを使いこなした。
トラップオーバー
相手の右腕、首を自分の両足で極めた半うつ伏せの状態で左腕に仕掛ける変形腕ひしぎ逆十字固め。
ミサイルキック
通常のものとは違い、リング内に背を向けてコーナートップに上り、振り返りざまに放つものであった。2007年のヨーロッパ遠征を終えた頃から使い始めた。
スパイラルポセイドン
腕極め式のノーザンライトボム。命名は丸岡いずみ。オリジナルは藤田ミノルの「サスケだましセグウェイ」。
ムーンサルトプレス
2012年7月22日の両国国技館大会のGHCジュニアタッグ王座の防衛戦に備えて、小橋建太に指導を仰ぎ習得した技[11]
チキンウィングアームロック
脇固め
アームブリーカー
ヘッドバット

タイトル歴

全日本プロレス
プロレスリング・ノア
AAA
ハードヒット
  • グラップリングトーナメント - 第2回 優勝

入場テーマ曲

人物

  • 晩年は、全日本プロレスの道場長として若手選手のコーチ担当を務めていた。
  • 2007年白GHCタッグトーナメントからは、リングコスチュームを青色のショートパンツから水色のロングタイツに変更。理由は、好きなプロレスラーがダイナマイト・キッドであったために彼と似たデザインとした。
  • レスリングのバックボーンからか非常に飲み込みが早く、自らの師匠である秋山にも「青木はアドバイスしたら次の試合ではもう出来ているから凄い」と絶賛されていた。
  • コスチュームは青色の物を使っていたが、これについては青木曰く「(レスリングでは)チャンピオンはいつも赤タイツ、だからいつでも挑戦者の気持ち、常にチャレンジ精神を持っていたい自分は青色である」とのこと。また、2008年の汐留街頭プロレスではゲスト解説のアナウンサーに地デジカラーと称された。全日本移籍後は黒地に白いラインのショートタイツを使用していたが、エボリューション加入後から黒字にターコイズブルーのショトタイツとなった。
  • プライベートでは秋山や橋誠、金丸等と行動を共にすることが多く、そのため秋山のブログ内で橋と共によくネタにされていた。
  • そのブログ内では、橋の天然な行動を後ろから眺めて笑っていることが多かった。
  • マシン軍団のメンバーであるストロング・マシン・ジュニアの正体と言われていたが詳細は不明。
  • AKB48柏木由紀推しとしても知られ、高木三四郎がプロデュースする「国民的プロレスグループ」のTKG48にも加入していた。
  • 中学時代の同級生に総合格闘家の和田拓也、高校時代の後輩に大日本プロレスを中心に活躍中の稲葉雅人がいた。
  • 自衛隊時代の後輩に大日本プロレス岡林裕二がいる。(岡林は体育学校での競技は違うが、顔見知りだった。)
  • ニコニコプロレスチャンネルで月1回放送されていた番組「青木篤志の毒演会」はコメントを3000以上稼ぐ人気番組で、11月28日[いつ?]放送分では番組感想アンケートで「良かった」が100%を記録し、全ニコニコ生放送で見ても屈指の人気を誇っていた。なお、前述の交通事故が起きた当日も同番組に出演する予定であり、放送開始時刻になっても姿を見せなかったことから、別の映像を流したという[12]
  • 好きなおせちは数の子だったらしい。
  • 自らのニコニコプロレスチャンネルでは40歳直前にして、”じじい”や”初老”と呼ばれていた。しかし、本人は認めてはいなかった。

脚注

  1. ^ 2016年10月24日、ニコプロ「青木篤志の毒演会」
  2. ^ 全日本プロレス「2013新春シャイニング・シリーズ」|試合速報|格闘技|スポーツナビ
  3. ^ 全日本プロレス「2014スーパーパワーシリーズ」開幕戦 | スポーツナビ
  4. ^ 4/24【全日本】『2016チャンピオン・カーニバル』公式戦結果…”. プロレス格闘技DX (2016年4月24日). 2019年5月1日閲覧。
  5. ^ “ニコプロpresentsハードヒット「ALL格闘技総進撃」”. ハードヒット オフィシャルサイト. (2017年7月16日). http://hardhitpro.com/304 2017年7月16日閲覧。 
  6. ^ 2019 Champion Carnival 得点状況[全日程終了]”. 全日本プロレス (2019年4月29日). 2019年5月1日閲覧。
  7. ^ 首都高で単独バイク事故 プロレスラーの青木篤志さん死亡 - 産経ニュース 2019年6月4日
  8. ^ プロレスラー青木篤志さん死亡 首都高でバイク事故 - 日刊スポーツ 2019年6月4日
  9. ^ 全日本プロレス・青木篤志さんがバイク事故で死亡 41歳 - デイリースポーツ online 2019年6月5日
  10. ^ 青木篤志さんの事故死にプロレス界から追悼の意が相次ぐ – 東京スポーツ新聞社” (日本語). 東スポWeb – 東京スポーツ新聞社(2019年6月4日). 2019年6月4日閲覧。
  11. ^ “小橋が青木に「宝刀」特訓”. 東京スポーツ. (2012年7月16日). http://www.tokyo-sports.co.jp/prores/23143/ 2012年8月17日閲覧。 
  12. ^ 全日本秋山社長、元付き人青木篤志さん事故死に悲痛 - 日刊スポーツ 2019年6月4日

関連項目

外部リンク