青木篤志

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青木 篤志
青木 篤志の画像
プロフィール
リングネーム 青木 篤志
本名 青木 篤志
ニックネーム 青き閃光
身長 170cm
体重 85kg
誕生日 (1977-09-25) 1977年9月25日(40歳)
出身地 東京都大田区
所属 全日本プロレス
スポーツ歴 レスリング
トレーナー 秋山準
デビュー 2005年12月24日
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青木 篤志(あおき あつし、1977年9月25日 - )は、日本プロレスラー。元自衛官東京都大田区出身。プロレスリング・ノアを経て現在は全日本プロレスに所属。

来歴[編集]

自衛隊(市ヶ谷第32普通科連隊朝霞駐屯地、青森第5普通科連隊[1])でレスリングの選手として活躍した後、ノアに入門。秋山準の付き人となった。

プロレスリング・ノア[編集]

2005年12月24日に行われた年末興行でデビュー。当時同じく新人だった太田圭則(太田一平(引退))と組み、三沢光晴&田上明組と対戦した。

2006年、スターネスに加入。

2007年12月23日の「SEMful Gift in Differ '07」での秋山との対戦を皮切りに、「青木篤志“閃光十番勝負”」が組まれた。その後、デイビー・リチャーズに勝利するも、KENTAブライアン・ダニエルソン小川良成カズ・ハヤシ金丸義信獣神サンダー・ライガー丸藤正道、2010年2月28日の鈴木みのるの順に敗れ、1勝9敗で終了した。

2009年新日本プロレスベスト・オブ・ザ・スーパージュニア」に出場。初戦でタイガーマスクに敗れたものの決勝トーナメント出場を果たした。

2010年5月23日、新潟市体育館で行われたAAA世界タッグ選手権で王者組の森嶋猛石森太二潮﨑豪とのタッグで勝利し、AAA世界タッグ王座(第6代)を獲得した。同年6月6日、メキシコシティで行われたトリプレマニア18にて、AAA世界タッグ選手権(4WAY MATCH)に敗れ、王座から陥落した。

2010年7月11日、新日本プロレスの後楽園大会において、プリンス・デヴィットが君臨するIWGPジュニアヘビー級王座に初挑戦するも、ブラディサンデーで敗れた。

2010年10月、第4回日テレ杯争奪ジュニアヘビー級タッグリーグ戦にKENTAとタッグを組んで出場し、殆どの試合を自らがフォールを決めるなどしてKENTA以上の活躍をして優勝。

2010年11月23日、後楽園大会において金本浩二&タイガーマスク組が持つGHCジュニアヘビー級タッグ王座に挑戦するも敗退。2010年12月24日、ディファ有明大会にてパートナーを丸藤にして再度挑戦し、金本からアサルト・ポイントで勝利を収め初のGHCタイトルを戴冠した。丸藤とのタッグで2度防衛に成功するが丸藤が負傷で長期欠場することになり、これに伴って王座を返上することとなった。

2011年4月に鈴木鼓太郎、石森と「ANTI NO MERCY UNION(ANMU)」を結成し、金丸やKENTAら「NO MERCY」との抗争にかかる。2011年5月25日に鼓太郎とタッグを組んで空位となっていたGHCジュニアヘビー級タッグの王座決定戦に臨むが、金丸&KENTA組に敗れた。8月24日のリターンマッチに敗れるものの、10月16日の2度目のリターンマッチで金丸&KENTA組から王座奪取。以後、2012年7月22日にスペル・クレイジー&リッキー・マルビン組に敗れて王座陥落するまで7度の防衛に成功した。

鼓太郎とGHCジュニアタッグ王座を保持している間に、2012年3月には秋山軍(後のS・A・T)に 加入した。

12月、年内をもってプロレスリング・ノア退団が会社より発表、12月24日有明大会を最後にノアを退団した。

全日本プロレス[編集]

2013年1月に行われた決起集会で、小橋からバーニングを託された秋山をリーダーに、潮崎、金丸、鼓太郎で再結成した。

1月26日、全日本プロレス「2013新春シャイニング・シリーズ」の最終戦に5人で来場し、参戦する事が発表された[2]

7月5日、全日本プロレスに正式入団。

2014年現在、長年組んでいた鼓太郎と決別し現在は無党派の選手として活躍している。チャンピオンカーニバル参戦中のケンドー・カシンとタッグを組むことが多い。また、ウルティモ・ドラゴンのマスクを剥ぎ世界ジュニア挑戦を要求した。

5月16日、後楽園ホールで行われた「2014スーパーパワーシリーズ開幕戦」にて、ウルティモvs青木vs佐藤光留世界ジュニア王座次期挑戦者査定3ウェイマッチ30分1本勝負を行ない、アサルト・ポイントで佐藤からフォールを奪い勝利。これに青木が「文句はないだろう?」とウルティモにアピールした。これに対しウルティモは、「このベルト賭けておまえとやろうじゃないか」と受諾した[3]

5月29日、後楽園ホールで行われた世界ジュニアヘビー級選手権試合にて、ウルティモ・ドラゴンから変形腕ひしぎ逆十字固めで破り第37代王者となる。

7月27日、エボリューションに加入する。加入後はやる気のない他選手の批判を続け、佐藤とのタッグでJr. TAG BATTLE OF GLORYに優勝、世界最強タッグ決定リーグ戦出場を果たした。ジュニアヘビー級同士のタッグでありながら、超ヘビー級戦士たちを相手に一歩も引かない戦いを見せた。

2015年には2年連続でJr. BATTLE OF GLORYに出場し、準優勝に終わる。5月21日にはかねてから舌戦を展開していたXceed宮原健斗とのシングルマッチに挑んだ。試合は両者持てる技術をフルに使っていたが、試合終盤の宮原のニーリフトを後頭部にまともに食らい、立ち上がれなくなったところでレフェリーストップとなりKO負けを喫した。また、6月4日のエボリューション対Xceedのキャプテンフォールマッチでキャプテンの諏訪魔が宮原からフォールを取られ負けてしまうが、7月8日のキャプテンフォールマッチ再戦では、青木が相手チームキャプテンの潮崎からアサルトポイントでフォールを奪った。試合後に最終戦でジョー・ドーリングと組んでの世界タッグ王座挑戦をアピールし、7月25日後楽園ホール大会にて潮崎・宮原組の持つ王座に挑戦するが敗退。しかし試合後にはジュニアヘビー級でありながらヘビー級選手に混ざって存在感を発揮したことに喝采が送られた。

6月27日、ハードヒットに参戦し、中学時代の同級生和田拓也と10分1本勝負を行う。結果は10分時間切れとなったが残りロストポイント2-1で勝利した。

11月7日、ハードヒットにてダン・セオドアとユニファイドルール・3分1ラウンドで対戦。結果は引き分け。

2016年から[編集]

2016年1月3日、佐藤光留プロデュースハードヒットルール「隊長vs組長」と題された試合にて、藤原喜明と対戦。試合内容は中盤から藤原が打撃禁止のルールを破り頭突き攻撃を行うなど躍動、高度な腕の極め合いを見せたところで時間切れ引き分けとなった。

2月5日、ドイツ、ベルリンで開催される『GLOBAL WARNING』にアジア代表として5日6日と連続参戦。

全日本の2月シリーズを通して行われた3回目のJr. BATTLE OF GLORYで、Bブロック1位橋本和樹の負傷欠場を受け、丸山敦との挑戦者決定戦を勝ち上がってきた佐藤光留と決勝戦を争い勝利。優勝とともに第39代世界ジュニアヘビー級王者となる。

2月28日、ハードヒットに参戦。大江慎を相手にシュートボクシングルールで対戦。結果は引き分け。

3月21日、沖縄・豊見城大会で琉球ドラゴンプロレスリングディンゴを相手に世界ジュニア初防衛。

4月開催されるチャンピオン・カーニバルに出場予定だったジョー・ドーリングに悪性の脳腫瘍が発見され、その代わりにチャンピオン・カーニバル初出場が発表される。

12月29日のハードヒットでは平直行と対戦。7月16日、ハードヒット・新木場大会でキックボクサーの前口太尊と対戦[4]

人物[編集]

  • 現在は全日本プロレスの道場長として若手選手のコーチ担当を務めている。
  • 2007年白GHCタッグトーナメントからは、リングコスチュームを青色のショートパンツから水色のロングタイツに変更。理由は、好きなプロレスラーがダイナマイト・キッドであったために彼と似たデザインとした。
  • レスリングのバックボーンからか非常に飲み込みが早く、自らの師匠である秋山にも「青木はアドバイスしたら次の試合ではもう出来ているから凄い」と絶賛されている。
  • コスチュームは青色の物を使っていたが、これについては青木曰く「(レスリングでは)チャンピオンはいつも赤タイツ、だからいつでも挑戦者の気持ち、常にチャレンジ精神を持っていたい自分は青色である」とのこと。また、2008年の汐留街頭プロレスではゲスト解説のアナウンサーに地デジカラーと称された。全日本移籍後は黒地に白いラインのショートタイツを使用していたが、エボリューション加入後から黒字にターコイズブルーのショトタイツとなった。
  • プライベートでは秋山や橋誠、金丸等と行動を共にすることが多く、そのため秋山のブログ内で橋と共によくネタにされている。
  • そのブログ内では、橋の天然な行動を後ろから眺めて笑っていることが多い。
  • マシン軍団のメンバーであるストロング・マシン・ジュニアの正体と言われているが詳細は不明。
  • AKB48柏木由紀推しとしても知られ、高木三四郎がプロデュースする「国民的プロレスグループ」のTKG48にも加入している。
  • 中学時代の同級生に総合格闘家の和田拓也、高校時代の後輩に大日本プロレスを中心に活躍中の稲葉雅人がいる。
  • 自衛隊時代の後輩に岡林裕二がいる(体育学校での競技は違うが、顔見知りだった)。
  • ニコニコプロレスチャンネルの月1放送番組「青木篤志の毒演会」はコメントを3000以上稼ぐ人気番組で、11月28日放送分では番組感想アンケートで「良かった」が100%を記録し、全ニコニコ生放送で見ても屈指の人気を誇っている。
  • 好きなおせちは数の子らしい
  • 自らのニコニコプロレスチャンネルでは40歳直前にして、”じじい”や”初老”と呼ばれている。しかし、本人は認めてはいない。

主な得意技[編集]

アサルトポイント
レッグロック・スープレックスと同型の変形バックドロップ。自衛隊出身らしいネーミング。
オブジェクト
相手の左太股越しに相手の右手首を左手で掴んで仕掛けるリストクラッチ・アサルトポイント。初出は2011年7月30日に行われた日テレG+杯の優勝決定戦。
ノーザンライト・スープレックス
一度決めてから一回転し、もう一度仕掛ける連続式や下記の腕ひしぎ逆十字固めへ繋ぐ連携技もある。
腕ひしぎ逆十字固め
通常形であるグラウンド状態の相手に仕掛けるタイプ、飛びつき式、ミステリオ・ラナのように肩に乗ってから反転しつつ決めるタイプ、上記のノーザンライト・スープレックスから連携でかけるタイプの4タイプを使いこなす。
トラップオーバー
相手の右腕、首を自分の両足で極めた半うつ伏せの状態で左腕に仕掛ける変形腕ひしぎ逆十字固め。
ミサイルキック
通常のものとは違い、リング内に背を向けてコーナートップに上り、振り返りざまに放つものである。2007年のヨーロッパ遠征を終えた頃から使い始めた。
スパイラルポセイドン
腕極め式のノーザンライトボム。命名は丸岡いずみ。オリジナルは藤田ミノルの「サスケだましセグウェイ」。
ムーンサルトプレス
2012年7月22日の両国国技館大会のGHCジュニアタッグ王座の防衛戦に備えて、小橋建太に指導を仰ぎ習得した技[5]
チキンウィングアームロック
脇固め
アームブリーカー
ヘッドバット

タイトル歴[編集]

全日本プロレス

プロレスリング・ノア

AAA

ハードヒット

  • グラップリングトーナメント - 第2回優勝

入場テーマ曲[編集]

脚注[編集]

関連項目[編集]

外部リンク[編集]