新崎人生

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新崎 人生
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プロフィール
リングネーム 新崎人生
白使
白死
ハクシー
モンゴリアン勇牙
死国衛門三郎
ミスター神風
ミスター日本カミカゼ
ニックネーム 念仏大師
南無大師遍照金剛
地獄からの使者
マットの巡礼者
カミカゼ
身長 180cm
体重 108kg
誕生日 (1966-12-02) 1966年12月2日(50歳)
出身地 日本の旗 日本
徳島県の旗 徳島県徳島市
所属 みちのくプロレス
スポーツ歴 レスリング
トレーナー グラン浜田
デビュー 1992年
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新崎 人生(しんざき じんせい、1966年12月2日 - )は、日本プロレスラー、実業家。徳島県徳島市出身。血液型A型。元俳優。本名は新崎健介[1]。ニックネームは念仏大師など。

来歴[編集]

デビュー前からトップレスラーになるまで[編集]

小中学校時代には新田広一郎と一緒のチームでサッカーをしており、中学生の時にはゴールキーパーとして四国選抜にも選ばれた[2]徳島県立徳島東工業高等学校(現徳島県立徳島科学技術高等学校)でレスリング部に在籍(後輩にアレクサンダー大塚がいる)。卒業後は俳優を志し[3]JAC(ジャパンアクションクラブ)に在籍の後、菅原文太(後に新崎の後援会長となる)の付き人などを務めていたが、やがてプロレスに傾倒し、ユニバーサル・プロレスリングに入団。1992年11月19日、東洋系覆面レスラーモンゴリアン勇牙」としてデビュー(vs獅龍&テリー・ボーイ組。パートナーはバッファロー張飛=引退)。ユニバーサルの大半の所属選手がみちのくプロレスに移るとそれに追随し、1993年6月11日、青森・三戸町民体育館での獅龍戦で、四国遍路者ギミックを施したキャラクターレスラー「新崎人生」としての再デビューを果たした。

デビュー当初はヒールであり、悪役マネージャーのミスター・トヨタを帯同、トヨタが対戦相手を罵倒するも本人は試合前・試合後を通じ一言も発しないというスタイルを貫いた。 試合ごとに「○○番札所(大会の開催地)巡礼」と称し、「八十八番札所」にあたるデビュー88試合でザ・グレート・サスケを倒すことが「満願成就」としていた。 デビュー当初から短時間で若手選手を圧倒する試合を続け、「八十七番札所」に当たる能代大会でサスケと初対戦するが両者KO、決着戦となる1994年4月29日の対ザ・グレート・サスケ戦(大田区体育館)では、「念仏ケブラーダ」(後述)を初公開し、当時の団体エースであるサスケからデビュー1年足らずで勝利を収めた。 これを機に一躍トップレスラーの仲間入りを果たす。

白使(ハクシ)[編集]

白使(1995年)

サスケ戦直後の1994年5月、アメリカのプロレス団体WWF(現WWE)の日本興行シリーズ『WWFマニア・ツアー』に参戦。全身に写経を施した耳なし芳一スタイルで出場し観客の度肝を抜いた。その個性的なキャラクターをWWF幹部が高く評価し、すぐにWWFと契約を結ぶ。地元・徳島でWWF巡礼壮行試合を終えた後(1994年12月17日、徳島市立体育館)、それまでまったく喋ったことのなかった新崎がマイクを持ち、「心はみちのくにあり」という言葉を残した。

1995年1月、白装束の使者「白使Hakushi)」をリングネームに、怪奇派のヒールとしてWWFに登場。1-2-3キッドとの連戦に勝利し、1月9日には当時21歳のマット・ハーディーを下して『マンデー・ナイト・ロウ』のデビュー戦を飾っている[4]。以降はマネージャーに「信者(Shinja)」こと佐藤昭雄を従え、ジェリー・ローラーと共闘してブレット・ハートと抗争するなど活躍、3月14日に開催されたPPVイン・ユア・ハウス』の第1回大会ではブレットとのシングルマッチが組まれた[5]。同年下期からはベビーフェイスに転向し、ミッドカード戦線で活動。バリー・ホロウィッツとのコンビでサニー率いるスキップ&ジップのザ・ボディードナーズなどと抗争した[6]

1996年4月に一時帰国し、アメリカンドリームマッチとして東京ドームグレート・ムタと対戦したが、白使は大流血に追い込まれ、防戦一方のまま敗戦。試合後のインタビューで「まだ修行が足りませんでした。もう一度新たに巡礼の旅を続けていきたいと思います」と話し、WWFとの契約解除を明言した。

帰国後〜社長就任[編集]

2010年

みちのくプロレスに出戻った後はメインをサスケたちの正規軍、デルフィン軍団、海援隊☆DXに譲り、時折ビッグマッチなどで絡む以外は通常の大会ではセミファイナル以下の試合でシングルマッチを続けた。

大仁田厚引退以降の新生FMWには継続参戦し、ハヤブサとのタッグではチームノーリスペクトのミスター雁之助金村ゆきひろ組と、シングルでは雁之助との長期間にわたる抗争を続けた。

1997年全日本プロレスの試合会場に突如現れ、ジャイアント馬場の前で合掌して参戦志願。それが認められ同年7月のサマー・アクション・シリーズに参戦。ジョニー・スミスと組んでの秋山準&馳浩戦で好ファイトを展開し、以降継続参戦していた。同年暮れの世界最強タッグ決定リーグ戦では、FMWのハヤブサと組んで出場。戦績は2勝7敗と奮わなかったものの、多くの好勝負を展開。中でも三沢光晴&秋山準組との試合では、あわや大金星と思わせた。

1998年5月1日の東京ドーム大会では、得意技であり代表的なパフォーマンス「拝み渡り」をジャイアント馬場相手に敢行した。継続参戦中には、三沢光晴や小橋建太(当時は小橋健太)らとのシングルマッチを行った他、タッグを組んだこともある。小橋が試合で初めてバーニングハンマーを三沢相手に繰り出した試合で、小橋のタッグパートナーを務めたのは彼である。この全日本プロレス継続参戦を経て、三沢や小橋らとの親交が芽生えた。

2000年6月、全日本プロレスが分裂騒動に見舞われると選手の大量離脱によって人員が手薄になった7月シリーズに緊急参加し、7月23日の日本武道館大会ではセミファイナルでスティーブ・ウィリアムスと戦った。

2001年2月18日には白覆面の姿で新日本プロレス武藤敬司村上一成戦の最中に登場。武藤が勝利した後リングインし、武藤やセコンドの太陽ケアと握手した後マスクを取り正体を明かし、以降BATTの一員として武藤らと共闘していった。また、武藤扮する黒使無双とは白使としてタッグを組み、拝み渡りを同時に披露するなどのパフォーマンスを見せた。

2003年6月、みちのくプロレス社長で創設者のザ・グレート・サスケの後を引き継ぎ、社長に就任(サスケは代表権のない取締役会長に就任)。このときみちプロは人気選手の離脱による観客減少に苦しんでいたが、フリー選手中心の試合編成を見直し、サスケ、人生などのみちプロ所属選手に遮那王ハポネセスなどの闘龍門X出身の若手を加えた若返り策を採用。

2006年からは女子プロレス部門であるセンダイガールズプロレスリングを旗揚げ。

2011年

2009年8月31日付で株式会社みちのくプロレスの代表取締役社長にサスケが復帰することとなり、新崎はコミッショナーに就任。センダイガールズ代表職、みちのくエンタテイメント社長職(センダイガールズ運営)は変わらず。新事業開拓にも注力している。

2010年3月9日、仙台市泉区にて、自身のプロデュースによる徳島ラーメン専門店「徳島ラーメン人生」を開店。さらには国分町に肉汁うどんとカレーうどんの店「まるじん」を、多賀城市には肉汁つけうどんの店「人生」もオープンさせた。

2011年7月末、センダイガールズ代表職を退任(後任は選手代表の里村明衣子)。会場にはよく登場する。

2013年3月3日、故郷徳島でデビュー20周年記念大会を開催。同年6月30日、第二の故郷仙台でデビュー20周年記念大会を行った。

2015年、センダイガールズのタイトル創設に合わせてコミッショナー就任。

レスラーとして[編集]

みちプロ初期はヒール軍団・デルフィン軍に属していたが、お遍路さんというギミックの性質上、レフェリーやファンに対しては礼儀正しく、典型的ヒールとは異なるキャラクターを演じた。当時はほとんど言葉を発しないレスラーだったが、デルフィンらの離脱によるみちプロ分裂事件の際には、リング上で観客の質問に回答し、事態を収拾したこともある。現在はエグゼクティブとしてインタビューや講演などで普段通りに言葉を発している。

リングネーム[編集]

新崎が現在、過去に用いたことがあるリングネーム

  • モンゴリアン勇牙
  • 新崎人生(現在も使用中)
  • 白使(WWF時代 日本復帰後も『ハクシー』などを使用、またハッスルへもこのリングネームで出場)
  • 死国衛門三郎(現在もマスクマンとして登場するときに使用)
  • ミスター日本カミカゼ(全日本プロレスで初代タイガーマスクとタッグを組んだ。モデルは「タイガーマスク」の同名の登場人物)

得意技[編集]

自身のキャラクターを活かした独創的なオリジナル技を数多く考案し、既存の技もネーミングを含めた新崎なりのアレンジを加えているものが多い。ヘビー級ながら、その身体能力で華麗な飛び技もこなすテクニックを併せ持つ。

念仏パワーボム
仕掛ける際、両手を合わせて拝んでから相手を担ぎ上げる。ジャンピング両膝着地式のパワーボム。フォールに入る際は方膝を立てて片腕のみで押さえることが多い。
念仏ショルダータックル
コーナーの上に乗り両手を合わせて拝んでから、相手に肩から突っ込んでいく技。仕掛けた後に一回転半捻りを行い、素早く立ち上がる。
念仏ダイビング・ヘッドバット
コーナーの上に乗り両手を合わせて拝んでから、ダイビングヘッドバットを放つ技。空中姿勢が反り返ったような形で独特である。白使のときには、ジャンプせずそのまま無の状態で落ちるように放つこともある。
念仏ケブラーダ
両手を合わせた形でラ・ケブラーダを放つ技。通称「拝みラーダ」。
高野落とし
前屈みの相手の前に立った状態から、相手の胴を両手でクラッチしてから高々と抱え、腋の下に手を差し入れる形で相手と背中合わせになり、ここから急角度のパワーボムを放つ技。投げ捨て式スプラッシュ・マウンテンで、スコット・ホールの「アウトサイダーズ・エッジ」に類似した技。
無間
変形のかんぬきスープレックス(サルト)で、相手のみぞおちに頭を当て、そのまま後方へ投げて、ブリッジをしてピンフォールする。相手をマットに叩き付けた瞬間にみぞおちにダメージを与え、そのままフォールを狙える技。無間とは仏教における八大地獄のひとつである。
極楽固め
極楽固め
うつ伏せ状態の相手に馬乗りになり、相手の腕を交差させて後ろから引っ張りその上体を反らせる技。両腕交差式キャメルクラッチ。初公開はFMWマットでのvs.レザーフェイス戦。
曼陀羅捻り
逆回転式ドラゴンスクリュー(レッグドラッグ)。相手の足先を両手で持ち、最初に軽く相手の足を捻ってから逆の方向に思いっきり相手の足を捻りつつ自身も回転する。
輪廻
オーバーヘッドキックのようにバック転しながら相手の延髄に片足で蹴りを叩き込む技。後方回転式延髄斬り
大金剛輪陀羅尼(だいこんごうりんだらに)
トップコーナーで両手を合わせてから行う丸藤正道のフロム・コーナー・トゥ・コーナーとほぼ同型の技。ヘビー級でこの技を使う選手は珍しく、公開時は衝撃を呼んだ。
拝み渡り
拝み渡り
拝み渡り
WWEジ・アンダーテイカーが使うオールドスクールと同じような技。相手の腕を取りトップロープに登って、そのまま片手で拝みながらロープの上を歩いて相手を引き回し、最後にジャンプして降りながら相手の肩に手刀を叩き込む。FMWのノーロープ有刺鉄線デスマッチでは有刺鉄線の上でこれを行ったほか、1994年10月30日の岩手産業文化センター屋外第1展示場大会では、高さ10メートルに設置されたやぐらの手すりの上で行っている。
地獄突き
トラース・キック
ドロップキック
打点の高さ、フォームの美しさから、隠れた名手である。
旋回式プランチャ
眉山(2段式ジャーマン・スープレックス
高校時代の後輩であるアレクサンダー大塚とのタッグ時に開発した合体技。相手を後ろからホールドした大塚ごとジャーマン・スープレックスで投げ捨てる。2人分の力で投げられる相手はかなり危険な角度で落ち、まさに一撃必殺。後に佐々木健介中嶋勝彦のタッグ(ただし、名称は「鬼嫁殺し3」)と、潮崎豪谷口周平のタッグ、関本大介岡林裕二のタッグもこの合体技を使用している。
技名の「眉山」とは、出身地・徳島市にある山の名前である。

獲得タイトル[編集]

全日本プロレス
みちのくプロレス

その他[編集]

  • 四国八十八箇所参りを実際に行ったこともある。
  • DRAGON GATE所属のドラゴン・キッドとは親戚である。
  • ジャイアントグラム2というアーケードおよび家庭用プロレスゲームが発売された際、全日系のゲームであるにもかかわらず、全日本プロレス、プロレスリング・ノア以外の人としては珍しくギャラをもらっている。
  • 同じく菅原文太の付き人をしていた宇梶剛士を、新崎は兄貴分として慕っている。リングネームの名付け親も彼である。
  • 無口なお遍路さんキャラだったころに、合掌する、首を振る、頷くなど身振り手振りだけで「トークショー」を行ったことがある。

脚注[編集]

  1. ^ プロフィール
  2. ^ 日本経済新聞「交遊抄」2014年12月10日
  3. ^ 鉄拳』(1990年)、『押忍!!空手部』(1990年)、『王手』(1991年)などに出演。
  4. ^ WWE Yearly Results 1995”. The History of WWE. 2010年5月17日閲覧。
  5. ^ Retro Rant: WWF In Your House #1”. Online Onslaught Wrestling. 2010年5月17日閲覧。
  6. ^ Wrestler Profiles: Jinsei Shinzaki”. Online World of Wrestling. 2010年5月17日閲覧。

外部リンク[編集]