気仙沼二郎

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気仙 沼二郎
気仙 沼二郎の画像
プロフィール
リングネーム 気仙 沼二郎
気仙・沼ジローラモ
ケッセン・ヌーマ・ジローラモ
ヨネ原人
米河 彰大
本名 非公開
ニックネーム 戦う演歌歌手
身長 175cm
体重 90kg
誕生日 (1972-04-24) 1972年4月24日(45歳)
出身地 宮城県気仙沼市
所属 みちのくプロレス
スポーツ歴 レスリング
剣道
トレーナー グラン浜田
デビュー 1992年3月16日
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気仙 沼二郎(けせん ぬまじろう、1972年4月24日 - )は、日本プロレスラー

経歴[編集]

みちのくプロレスの旗揚げメンバーのひとりで1992年3月16日、みちのくプロレスプレ旗揚げ戦で、「米河 彰大(よねかわ あきひろ)」のリングネームでデビュー。その後、過去からタイムスリップしてきた原人レスラー ヨネ原人としてからブレイクした。

当時のアングルとしては、過去からきた原人の他、原人の魂が米河に憑依したなどと言われていた。

「クワッパ!」の雄叫びとビーフ・ウェリントンとの試合は名物となり、L字台車に乗せられ引き回されたあげく壁に激突させられ、そのまま両者リングアウト(回数は3桁を超える)というのがお決まりの展開だった。宮古市での試合後行方不明となり、そのまま太平洋を泳いでメキシコにたどり着いたこともある(実際は単なるメキシコ遠征)。なお、「メキシコに滞在したことでスペイン語を少し修得した」という設定がつけられ、それまで行っていなかったインタビュー等もスペイン語で答えるようになる。さらには「日本語も少し修得」し、西和辞典を片手に日本語とスペイン語を混ぜてコメントするようになる。その際は身をスーツにまとった「スーパーヨネ現代人」となる。

頭部の負傷により1度引退した後、カムバックしてつぼ原人との原人コントラ原人(最後はジャンケン勝負)で敗れ再び姿を消したが、ギミックを変え、デビュー曲「海の魂」をひっさげて演歌歌手として、現在のリングネーム「気仙 沼二郎」でカムバックした。

カムバック後は「みちのくプロレス若草杯」優勝をはじめ、ザ・グレート・サスケ新崎人生とのトリオで出場した「みちのくトリオリーグ」の優勝など徐々に実力を発揮。その後、南野たけし、マンゴー福田、パイナップル華井と「気仙沼二郎とロス・サルセロス・ハポネセス」というユニットを結成。連戦連勝を続ける。

2005年7月9日の青森産業会館で気仙沼二郎と同じく入場時に歌を歌う佐藤秀佐藤恵の「セーラー・ボーイズ」との、負けた方が入場時に歌を歌うのを禁止される「歌コントラ歌」というコントラ・マッチを行い勝利。歌を歌いながらの入場を維持している。

2005年12月9日に行われた、インディー7団体が参加した週刊ゴング主催のインディーサミットでは、スペル・デルフィン新崎人生TAKAみちのく関本大介柿本大地火野裕士組の試合に、ヨネ原人のギミックを一夜限り復活させて愚乱・浪花とともに登場。1994年以来約11年ぶりのデルフィン軍団集結を演出した。

2006年12月31日のインディーサミットでは、佐々木貴アブドーラ小林と組み、葛西純"黒天使"沼澤邪鬼シャドウWXとの蛍光灯6人タッグデスマッチにエントリー。血まみれ姿になりながらも、途中からはコスチュームを脱いでふんどし姿になって奮闘。試合には敗れたものの、最後は「海の魂」を血まみれのまま熱唱して締めた。

2009年7月、体調不良から検査を行ったら糖尿病と診断されたため治療入院(14日~27日退院)を発表。出場予定だった「鉄人リーグ」は開催前に欠場を発表した。

2012年6月、後楽園ホール大会にてウルティモ・ドラゴンとの敗者改名マッチにて敗戦。ウルティモからの提案でイタリアの演歌歌手「ケッセン・ヌーマ・ジローラモ」に改名することになる。なお、タレントの「パンツェッタ・ジローラモ」からはウルティモ自身が承諾を得ている。

7月、ウルティモの独断により、「気仙・沼ジローラモ」に再改名。

2013年12月、ウルティモがタッグ解消を宣言し、翌年より「気仙沼二郎」へ戻すことになった。

2015年5月5日の矢巾町民総合体育館でバラモン・シュウを破り、東北ジュニアヘビー級王座を奪取した[1]。東北ジュニア4度目の挑戦、デビュー23年目で初のシングル王座獲得となり、マイクで「浪花、見てるか。やったぞ、オレ」と絶叫した[1]

2016年12月7日、キングレコードから「気仙沼二郎メジャーデビューCD 『みちのくプロレス 俺の海~海の魂』」が発売されメジャーデビュー。

2017年3月19日、矢巾大会にて再婚を発表。また、4月5日に第一子が誕生。

得意技[編集]

気仙沼落とし
沼絞め
沼絞めII
銀鱗
フカヒレ折り
変形コブラツイスト
真マテマティカバスター
変形キン肉バスター

入場曲[編集]

  • Don't Let The Sun Go Down(X.Y.Z.-A)

タイトル歴[編集]

エピソード[編集]

  • リング外では入団時から一貫して営業の仕事をしており、現在も営業部所属。地元のラジオ番組などで、みちのくプロレスのスポークスマンを務めることもある。
  • 自身の曲である「俺の海」の歌詞は自身の体験をもとにしており、実際に1度結婚しているが性格の不一致から2年で離婚をしている[2]
  • 2006年から新潟県の風俗情報誌「新潟ナイトナビ」でコラム『新潟沼二郎ナビ』を連載中。
  • 前説では必ず歌謡ショーが行われている。現在はプロレス興行で所属選手が前座と歌謡ショーを行なうのは、みちのくプロレスのみである。
  • 糖尿病による入院でシリーズを欠場したレスラーは初めてではないかと金沢克彦に言われる。その他にも歯痛、痛風、ヘルニアなどと不摂生だがけがで欠場することは少ない。
  • 2016年時点で非公認であるがARABAKI ROCK FEST.で最も出場回数の多い歌手である。

メディア出演[編集]

映画[編集]

テレビドラマ[編集]

バラエティ[編集]

脚注[編集]

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  1. ^ a b 「試合リポート みちのく5・5矢巾」、『週刊プロレス』No.1792、ベースボール・マガジン社、平成27年5月27日号(5月13日発行)、94-95頁、2015年。
  2. ^ YOMIURI ONLINE 演歌ファイター 気仙沼二郎さん44 2016年06月22日より。

外部リンク[編集]