マイク・カーシュナー
| マイク・カーシュナー | |
|---|---|
| プロフィール | |
| リングネーム |
"コーポラル" マイク・カーシュナー コーポラル・カーシュナー レザーフェイス(初代) スーパー・レザー R・T・レイノルズ |
| 本名 |
マイケル・ペンゼル (マイケル・カーシュナー) |
| ニックネーム |
空爆伍長 猟奇殺人犯 |
| 身長 | 190cm |
| 体重 | 115kg - 125kg |
| 誕生日 | 1957年9月7日(62歳) |
| 出身地 |
|
| デビュー | 1980年 |
マイク・カーシュナー(Mike Kirchner、本名:Michael Penzel、1957年9月7日 - )は、アメリカ合衆国のプロレスラー。イリノイ州シカゴ出身[1]。
軍人ギミックのコーポラル・カーシュナー(Cpl. Kirchner)および怪奇派覆面レスラーのレザーフェイス(Leatherface)としての活躍で知られる[2]。
来歴[編集]
アメリカ空軍のパラシュート部隊を除隊後、1980年にR・T・レイノルズ(R.T. Reynolds)のリングネームでNWAフロリダ地区(エディ・グラハム主宰のCWF)にてデビュー[3]。1984年よりテレビマッチ要員としてWWFに出場し、ブラックジャック・マリガン、バリー・ウインダム、マイク・ロトンドなどのメインイベンターのジョバーを務めた[4][5]。
1985年下期、前年にWWFを離脱したサージェント・スローターの愛国者キャラクターを引き継ぎ[6]、コーポラル・カーシュナー(Corporal Kirchner)と改名してコンバット・スタイルの軍人ギミックに変身。11月7日に地元シカゴのローズモント・ホライズンで行われたPPV『ザ・レスリング・クラシック』のワンナイト・トーナメントでは、1回戦でアドリアン・アドニスと対戦した[7]。以降はアイアン・シーク&ニコライ・ボルコフの反米ヒールと抗争を展開、1986年4月7日に開催の『レッスルマニア2』シカゴ大会ではボルコフからピンフォールを奪っている[8]。
ロディ・パイパーのインタビューコーナー『パイパーズ・ピット』にも出演し、キングコング・バンディ、ビッグ・ジョン・スタッド、カウボーイ・ボブ・オートン、マグニフィセント・ムラコとも対戦したが[9][10]、ドラッグ検査に違反してWWFを解雇され、1987年からはカナダ・カルガリーのスタンピード・レスリングなどを転戦した[6]。1989年6月には新日本プロレスに初来日。1990年3月の再来日ではスコット・ホールと組んで坂口征二の引退試合の相手を務めた(坂口のパートナーは木村健悟)[3]。
1991年、テネシー地区にて映画『悪魔のいけにえ』に登場する殺人鬼と同じネーミングおよびキャラクターのレザーフェイス(Leatherface)に再変身し、プエルトリコを経て1992年7月にW★INGプロモーションに来日[11]。劇中のレザーフェイスと同様のマスクを被り、チェーンソーを振りかざして観客を追い回す狂気的な入場パフォーマンスでセンセーショナルな存在となる。同年12月20日には松永光弘を相手に、日本では1978年のアントニオ猪木対上田馬之助戦以来となる釘板デスマッチを行い、松永を釘板上に転落させて勝利を収めた[11]。
その後もW★INGの主力外国人ヒールとなって活躍したが、来日中に傷害事件を起こして6カ月間の禁固刑を科せられる[6]。その間、W★INGの後継団体IWAジャパンではリック・パターソンが2代目のレザーフェイスを名乗っていたことから[12][13]、復帰後はスーパー・レザー(Super Leather)と改名し、1995年6月よりFMWを主戦場に活動[11]。ハヤブサやザ・グラジエーターらとハードコア・レスリングを繰り広げ、1996年2月23日には大矢剛功から世界ブラスナックル王座を奪取した[14]。
2002年の引退後、2006年10月にWWE.comにて死去が報じられ、日本のインディー団体では追悼セレモニーの10カウントゴングまで鳴らされたが、後に誤報と判明[2]。トラックドライバーに転じて健在であることが明らかになった[2]。この誤報は結果として彼の存在を再びクローズアップさせることとなり、2007年より本業の合間を縫ってインディー団体へのスポット出場を開始。レザーフェイスのギミックを復活させ、ヒップホップ・デュオのインセイン・クラウン・ポッシーが主宰するJCWなどに登場した。
日本にも、2010年1月26日に新木場1stRINGで行われたスーパーFMWの第2弾興行に来襲。ミスター・ポーゴ&ジ・ウィンガーとW★ING軍を結成し、ターザン後藤、大矢剛功、リッキー・フジのFMW軍と対戦した。2カ月後の3月26日には新宿FACEにおけるSMASHの旗揚げ戦『SMASH.1』に参戦し、コーポラル・カーシュナー時代からの得意技であるダイビング・フィスト・ドロップで小路晃に勝利[15]。同年11月22日にJCBホールにて開催の『SMASH.10』にも出場し、キム・ナンプンと組んで女子プロレスラーのリン・バイロンとのハンディキャップ・マッチを行った[15]。
得意技[編集]
- コーポラル・カーシュナー
- レザーフェイス / スーパー・レザー
- テキサス・マサカー(Texas Massacre)
- パワーボム
- ダイビング・ニー・ドロップ
獲得タイトル[編集]
- W★ING認定世界タッグ王座:1回(w / フレディ・クルーガー)
- 世界ブラスナックル王座:1回
- 世界ブラスナックルタッグ王座:1回(w / ジェイソン・ザ・テリブル)
- 世界ストリートファイト6人タッグ王座:1回(w / ザ・ヘッドハンターズ)
脚注[編集]
- ^ a b ギミック上の出身地は、コーポラル・カーシュナーは実際の居住地でもあるノースカロライナ、レザーフェイスおよびスーパー・レザーは映画の設定に合わせテキサスとされていた。
- ^ a b c “Cpl. Kirchner speaks: "I'm not dead!"”. SLAM! Wrestling (October 21, 2006). 2011年1月19日閲覧。
- ^ a b 『新日本プロレス 来日外国人選手 PERFECTカタログ』P25(2002年、日本スポーツ出版社)
- ^ “WWE Yearly Results 1984”. The History of WWE. 2011年1月19日閲覧。
- ^ “WWE Yearly Results 1985”. The History of WWE. 2011年1月19日閲覧。
- ^ a b c “Cpl. Kirchner sets things straight”. SLAM! Wrestling (October 25, 2006). 2011年1月19日閲覧。
- ^ “The Wrestling Classic Results”. Pro Wrestling History. 2010年1月19日閲覧。
- ^ “WrestleMania 2 Results”. pWw-Everything Wrestling. 2011年1月19日閲覧。
- ^ “WWE Yearly Results 1986”. The History of WWE. 2011年1月19日閲覧。
- ^ “WWE Yearly Results 1987”. The History of WWE. 2011年1月19日閲覧。
- ^ a b c 『THE WRESTLER BEST 1000』P235(1996年、日本スポーツ出版社)
- ^ “Rick Patterson”. Online World of Wrestling. 2011年1月19日閲覧。
- ^ さらにややこしいことに、IWA時代には「レーザーフェイス」の他に「オリジナル・レーザーフェイスというレスラーもおり、二人してチェンソーを振りかざしていた
- ^ “World Brass Knuckles Title”. Wrestling-Titles.com. 2011年1月19日閲覧。
- ^ a b “SMASH 対戦カード”. SMASH Official Website. 2011年1月19日閲覧。