鈴木みのる

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鈴木 みのる
Minoru Suzuki
Minoru Sukuzi.jpg
プロフィール
リングネーム 鈴木 みのる
鈴木 実
本名 鈴木 実[1]
ニックネーム 世界一性格の悪い男
「風」
ハマの喧嘩屋
カミソリファイター
性悪王者
身長 178cm[1]
体重 102kg[1]
誕生日 1968年6月17日(47歳)[1]
出身地 神奈川県横浜市[1]西区
所属 パンクラスMISSION[2]
サンミュージックプロダクション
スポーツ歴 レスリング
トレーナー ビル・ロビンソン
カール・ゴッチ
藤原喜明
デビュー 1988年6月23日[1]
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鈴木 みのる(すずき みのる、本名[1]・旧リングネーム鈴木 実/読み同じ、1968年6月17日 - )は、日本プロレスラー、実業家、総合格闘家神奈川県横浜市出身。パンクラスMISSION[2]サンミュージックプロダクション所属[3]。グッズ販売やイベント企画・運営を手掛ける株式会社パイルドライバー代表取締役[4]

来歴[編集]

新日本、UWF、藤原組[編集]

横浜高等学校時代はレスリング部に所属。国体2位という実績を残して新日本プロレスに入門。

藤原組はカール・ゴッチを顧問として据えており、ゴッチが直接指導することもあったため、ゴッチに傾倒したのもこの時期である。アメリカ人選手がゴッチのレクチャーを受けた際、「痛い、これじゃ鈴木じゃないか」とクレームをつけると、「私が鈴木であり、鈴木が私なのだ!」と返答したこともあるなど、ゴッチもまた鈴木に大きな期待を寄せた。

パンクラス[編集]

  • 1993年1月、船木らと共に藤原組を退団。
  • 1993年8月、パンクラスを船木らと共に旗揚げ。
  • 1993年9月21日、パンクラス旗揚げ戦の第1試合にて稲垣克臣にチョークスリーパーで勝利[5][10]
  • 1993年11月、神戸大会でモーリス・スミスとキックボクシング・ルールで対戦し3RでTKO負け[5]
  • 1994年5月、武道館大会でスミスと再戦し、3Rに腕ひしぎ十字固めで勝利。U-COSMOSから5年越しの雪辱を果たした[5]
  • 1995年5月、NKホール大会ではケン・シャムロックを破り、第2代キング・オブ・パンクラシストとなる[5]
  • 1995年9月、武道館大会で、バス・ルッテンにフロントチョークスリーパーで敗退し、キング・オブ・パンクラシストから転落[11]
  • 1996年1月、ルッテンが負傷により王座を返上し、空位になったキング・オブ・パンクラス王座の暫定王者決定戦をフランク・シャムロックと行うが敗退。以降、首の負傷(ヘルニア)が原因で連敗を重ね、6月にはデビュー半年の近藤有己にまで敗退。同年10月より長期欠場した[11].。
  • 1997年5月、ジョエル・サトゥン戦で復帰[11]。7月には負傷が再発し再び欠場した。以後、山宮恵一郎や、冨宅飛駈などに敗北。この頃の鈴木は、リングスとパンクラスとのトラブルに巻き込まれ、前田日明より「パンクラスは邪魔だから潰したい」、「高橋君(高橋和生)には付き合ってられない。鈴木、お前出て来い」などと挑発されたが鈴木は黙殺し続けた[12]、一方で当時シュートボクシングに在籍していた村浜武洋に「(言動が)ダサい」とインタビューで発言され、当時蜜月だったフリーライター・安田拡了経由で村浜に圧力をかけるなどの言動もあった。
  • その後は「キャッチレスリング」という組み技限定ルールとエキシビションを中心に活動。
  • 2002年6月、DEEP2001に出場し、ルチャドールエル・ソラールと対戦するが、試合中のアクシデントで(金的蹴りを食らい)反則勝ち[5]

指導者としては「出稽古禁止」などのルールを設けたが、これはパンクラスの練習を疎かにして他の所に練習に行くという行為を認めなかったという物である[13]。しかしマスコミや[14]一部の練習生からの反発もあり[13]、引退していた船木にも「鈴木を切った方がいい」と言われてしまう。

  • 2002年11月、横浜大会で獣神サンダー・ライガーに勝利[5]。本来はライガーではなく、佐々木健介と対決する予定であったが、同年9月に健介が負傷。その後、健介が新日本プロレスを退団したため、ライガーが代役として出場した経緯があった[15]

プロレス復帰[編集]

ライガー戦を最後に、総合格闘技の試合は行っていない(エキシビション・マッチ=非公式試合は有)[5]2003年4月にパンクラスのプロレス部門として「パンクラスMISSION」を立ち上げた。

全日本プロレス[編集]

  • 2008年6月17日、後楽園ホールで、鈴木みのるデビュー20周年興行「風になれ」が開催。モーリス・スミスとのエキシビションマッチおよび高山との2度目のシングルマッチを行った。
  • 2009年8月30日、両国大会で、プロレス復帰した船木とタッグマッチで対戦(パートナーは鈴木が蝶野正洋、船木が武藤敬司)。
  • 2009年9月26日、横浜文体大会で、船木とシングルで対戦。感情むき出しで船木に突っかかり、鈴木のレフェリー暴行による反則負け。
  • 2010年3月22日、両国大会で船木と「金網マッチ」で再戦したが、レフェリーストップによるKO負け。
  • 2010年4月11日、チャンピオンカーニバル決勝で船木を破り、大会史上3人目の連覇を達成した(対船木戦初勝利)。
  • 2010年5月2日、愛知県大会で浜亮太を破り第42代三冠ヘビー級王者となる。
  • 2011年5月8日、プロレスリング・ノア有明コロシアム大会で杉浦貴のGHCヘビー級選手権に挑戦し敗北。
  • 2011年6月、全日本プロレスとの常時出場契約が満了、19日の両国国技館大会で渕正信とのシングルマッチで対戦し試合後「新しい実がついたら(選手が育ったら)収穫に来てやる」とコメントを残し全日本に一時別れを告げた。

2011年5月以降[編集]

  • 2011年5月3日、新日本博多大会に来場し、真壁刀義対小島の試合後、敗れた小島を襲撃し、それまで小島と共闘していたTAKAみちのくらと共に、「鈴木軍(仮)」を結成した。2011年6月18日、大阪府立体育会館大会より本格に参戦する。
  • 2011年6月25日、2回目の自主興行「PAILEDRIVER charity project カウント2.9 ~さあ、ここから~」を開催。鈴木は里村明衣子と組み、高山善廣栗原あゆみ組とのミクストタッグマッチで試合をした他、無期限謹慎中だったNOSAWA論外をリングに上げ(NOSAWA1人で、KIKUZAWA、高山、鈴木の3人と続けてシングルマッチを行う「3人掛け」をその場で組み)、NOSAWAのプロレス界復帰の後押しを行なった。
  • 2011年8月、G1クライマックスに出場。
  • 2011年8月、事前予告無し、マスコミ非公開という形で宮城県気仙沼市で試合(興行)を開催する[18]
  • 2011年11月12日、バーナード、アンダーソン組にランスとのタッグでIWGPタッグ王座に挑戦するも、ランスがフォールを奪われ敗北。
  • 2011年11月17日、金原弘光のデビュー20周年記念興行に出場。「U-SPIRITSルール」[19]で金原と対戦し、勝利した。この試合ではレガースを着用して試合に臨み、試合前には金原の握手に鈴木が応じ、試合後には金原の座礼に対して一度は断るものの応じる場面が見られた。
  • 2011年12月4日、ジャイアント・バーナードとシングルで対戦し、ゴッチ式パイルドライバーを決めて勝利。
  • 2012年1月4日、IWGP王者の棚橋弘至に挑戦したが敗北。
  • 2012年8月、2年連続でG1 CLIMAXに出場し、王者・棚橋にリベンジで成功したが予選で敗退。
  • 2013年1月4日、永田と対決し敗北。
  • 2014年6月8日、直前の横浜アリーナ大会でCHAOSを裏切り鈴木軍入りした飯塚高史とタッグを組み、矢野・桜庭らとの抗争を開始する。
  • 2014年7 - 8月、4年連続でG1 CLIMAXに出場したものの、5勝5敗(勝ち点10)で予選リーグ敗退となった。A.J.スタイルズとのリーグ戦試合が、レスリング・オブザーバー紙年間最優秀試合(Match of the Year)に選出される。
  • 2014年11月9日、中村あゆみとのコラボ興行「あゆみのるPresents"風になれ"フェスティバル」を開催、鈴木軍(鈴木、TAKAみちのく、タイチ組)のボスとして自身に縁のあるGURENTAI(高山、NOSAWA論外、MAZADA組)と闘った。
  • 2015年1月4日、桜庭和志と3カウントと場外カウントなしの完全決着ルールで対戦し勝利し一連の抗争に決着を付けた。

人物[編集]

  • 上地雄輔は高校の後輩にあたる[21]
  • プロレスに再進出してからはヘアスタイルを頻繁に変えるようになり、凝った剃り込みが入っている。常連である横浜の美容室の美容師を「おらが村のカリスマ美容師」と呼び、大きな大会の前にはヘアスタイルを変えている、ちなみにそれ以前のヘアスタイルはリーゼントか坊主だった。
  • 普段は黒のショートタイツに黒のリングシューズといういでたちであるが、パンクラス時代から現在に至るまで、ここ一番の大舞台では白のショートタイツを着用する[7](近年では先述のパンクラスでのライガー戦、ノアでの秋山戦など)。
    • 白のショートタイツについては一時期は鈴木本人も「願掛け」のように縋り、本人いわく「わけのわからない試合でも着用していた」が、高橋和生に、「昔は特別な時にしか履いていなかったものを、特別ではない時も履いているのはカッコ悪いですよ」と指摘されていたことを語っている[22]
  • 2005年7月18日のノア東京ドーム大会に息子を連れてきたり、「息子に自慢するから」とノアの5周年記念パーティでネブ博士と写真を撮ったりしている。
  • 2007年1月には、全日本沖縄大会に参戦するため沖縄を訪れたが、その際に与那原警察署で一日署長を務めた。しかし東京スポーツに「みのる逮捕」なる見出しが載っていた。
  • 中村あゆみの大ファンであり、入場テーマ曲は中村に直接製作を依頼したオリジナル曲『風になれ』である。会場ではリング・インする瞬間にくる「かっぜにぃなれー♪」の部分で大合唱が起こるようになってきている。2013年1月4日の新日本東京ドーム大会の永田戦やデビュー20周年興行のメインイベントなどビッグマッチでは、中村の生演奏をバックに入場したことがある。
    • 一部のビッグマッチなどでは、稀に2番の歌詞でリングインすることがある。2007年東京ドーム大会で永田と対戦したときも2番のサビでリングインしたが、解説を務めた高山が実況アナウンサーから「今日の試合はどう御覧になりますか?」と聞かれたときに「それよりもさぁ、2番の歌詞って『駆けて行け』なんだね」と呑気に答えていた。
  • 最近は役者としてテレビドラマや映画に出演するようになってきたが、“役者・鈴木みのる”について鈴木本人は『週刊プロレス』2008年4月16日号掲載の連載コラム「鈴木みのるの独り言」にて、「大根役者だな〜」とダメ出ししている。
  • 趣味に釣りがある。東京スポーツのインタビュー[23]によれば、元々実家が海に近いことから子供時代は兄弟でよく釣りに出ていたとのことだが、本格的に趣味としてのめりこみ始めたのは「28歳の時にパンクラスで大きなケガをして、ついでに離婚もして(笑)。一人で家でボーっとしていたら友達から誘われて」とのこと。同インタビューでは「引退したら釣り船屋か釣具屋をやろうかな。たぶん一生続けていくだろうな」とも語っている。なお、テレビ東京系列の釣り番組『釣り・ロマンを求めて』にパンクラスMISSIONの後輩佐藤光留と共に出演したことがある。
  • 漫画『ONE PIECE』のファンだと公言しており、ジャンプの巻末コメントでは作者の尾田栄一郎から親交があることも明かされている。またアニメにも出演している。
  • コンピューターゲームのファンでもあり、『ファイナルファンタジーIV』でロールプレイングゲームにハマる。パンクラス時代にプレイした『クロノ・トリガー』の大ファンであり、「週刊ファミ通」にニンテンドーDS版リメイク作品のレビューを書いたことがある[24]
  • パンクラス旗揚げ期には女性誌やファッション誌にモデルとして登場することがあり、『an・an』の「抱かれたい男ランキングの上位にランクインしたこともある[25]
  • さまざまな団体に参戦していてIWGPヘビー級王座に挑戦した次の日に崖のふちプロレスに参戦をするほかグレート・ムタ&矢野通と闘う1.4東京ドームの前日にDDTプロレスリングに参戦もする。

人物評[編集]

  • モーリス・スミスは、「昔、日本でスズキという奴と出逢った、彼が不利なルールで自分に挑戦してきたことを評価している、それで自分も総合格闘技に挑戦する気になった」と語っている[26]
  • 高木三四郎は、当時DDTで最大の人気を誇っていたメカマミーとの戦いや、マッスルハウス4の世界観[27]への対応を引き合いに出し「(SWSとの対抗戦のアポロ戦の印象から)頭のカタい人だと思っていたが180°ちがって自分たちの世界観に鈴木のキャラを崩さず対応して来て驚いた。DDTにレギュラー参戦されると乗っ取られかねない。」と高く評価している[28]
  • 伊藤崇文には、「船木さん(船木誠勝)とはちがう怖さ、鈴木さんはダイレクトな(見える)怖さ」と評された[29]、鈴木自身は「ゴッチさん(カール・ゴッチ)に影響された」、「(伊藤と知り合ったパンクラス旗揚げ期は)いつもカリカリしていて(自分にも他人にも)1ミリの狂いも許さなかった」と返答している[29]
  • 中村あゆみは、「みのる君[30]は、プロレス界では世界一性格の悪い男と言われているけど全然ちがう、モノをハッキリ言うし、嫌なこともズケズケ言うけど結構当たっている、キレイごとだけではなくすべてを見ようとしている。」から口が悪くなるのだろうと指摘しつつ、「自分(中村)は利害関係がないから優しい男の一面を見せてくれるのかもしれないが、私の前では照れ屋、私が話すとすぐ真っ赤になる」などと評し純粋で奥手だったのではないかと分析している[31]

主な得意技[編集]

UWFの流れを汲んだレスラーであることや、ヘビー級戦線では102kgと小柄であることもあり、基本的に大技を用いることはあまりなく老獪なテクニックと相手をおちょくる動き、そしてピンポイントで決める投げ技で試合を組み立てていく。鈴木について棚橋は「鈴木さんはあえて受け身をとらないし、もしくはあえて受け身を下手に見せて他の選手との差別化を図っているのではないか?」と評している[32]。技のバリエーションについて鈴木は、「(2003年にプロレスに戻って来た時点で)知っているのは前座の技だけだった」と語り、堂々と客に見せられる技しか使わないことにしている[33]

関節技の多さ・正確性から、対戦型格闘ゲーム鉄拳シリーズのキャラクターとして登場する、覆面プロレスラー・キングのモーションキャプチャに参加。ゲーム内に「ベルウッド・スペシャルコンボ」という名称を残す(ちなみにベルウッドは、鈴木というみのるの苗字の英訳)。

鈴木曰く「大技ではなく必殺技。ハヤタ隊員がウルトラマンに変身していきなりスペシウム光線を出さないのは、怪獣を動けなくさせてからでないと避けられるから。あと視聴者につまらない印象を与えないため」と、ウルトラマンに例えて自分のファイトスタイルを語っている。フィニッシュホールドの定義についても「誰でもできるけどその選手が使うとまったくちがう、っていうふうに見せられるのがプロ。フィニッシュホールドはなおさらそうじゃなきゃだめ。」と語る[34]

ゴッチ式パイルドライバー
カール・ゴッチが使用していた、相手の股をクラッチしてのパイルドライバー。元々の「ゴッチ式」は、通常のパイルドライバーの体勢で股をクラッチするように持ち替えて落とすものだが、鈴木の場合は最初から股をクラッチしたまま持ち上げて落としている(アマチュアレスリングの「がぶり」を切るクラッチの応用と鈴木が解説している)。
「ゴッチ式」とあるが、開発者はゴッチではなく、鈴木本人であると週刊プロレスで述べている[35]。しかし技の完成に至る経緯で藤原組時代にゴッチによるアドバイスを受けて技を改良したことから「ゴッチ直伝」であることは間違いではないとしている[36]
スリーパーホールド(裸絞め、チョークスリーパー)
後ろから相手の首をねちっこく締め上げる。基本的にこの時の鈴木は舌を出し、相手や観客を挑発する表情をしながら絞めていることが多い。スリーパーホールドで相手の抵抗力を奪ってから、ゴッチ式パイルドライバーにつなぐのが必殺フルコースだが、格下相手にはこれで失神を奪い勝利を決める。
逆落とし
スタンディング・スリーパーホールドの状態から後方へクルっと首を絞めながら払い腰の要領でマットに叩きつけるコンパクトながらも危険な投げ技。投げた後、そのままスリーパーホールドをかけ続けてギブアップを奪う場合が多い。たまに、投げた後フォールにいくこともある。稀に断崖式も使用。
張り手
相手の頬を叩くだけの技。得意技としながらも「ビンタだけなら2歳児でも出来る」と鈴木は認めており、プロレスラーだからこそ出来る立派な技としてのビンタへ昇華させようとしている。緩急をつけ易いため、思い切り行くと見せかけて途中で止め軽く叩き相手をおちょくったり、掌底のようにフルスイングで打ち付けたりと大きな幅を持って使用している。2006年3月5日のGHCヘビー級選手権試合・秋山戦では、お互いに213発にも及ぶ張り手合戦を繰り広げた。
ドロップキック
鈴木のドロップキックは、しっかり足を揃えてキックするので形が綺麗。プロレス再復帰戦となった成瀬戦でこの技を綺麗に決め、観客のどよめきを誘った。
腕ひしぎ十字固め
パンクラス時代から得意としている技。グラウンド・飛びつき式・タランチュラ式・技の切り返し等、バリエーションは多い。
脇固め
一番の使い手でもある師匠の藤原から勝利を奪った事もあり、(2006年3月22日 ビッグマウスラウド 後楽園ホール シングルマッチ)、他の関節技同様に相手を挑発しながら極める事が多い。
アキレス腱固め
若手時代より長年使用し続けている技。新生UWF時代には、師匠の藤原に「決め方」について試合中(1989年6月、愛知体育館でのシングルマッチ)直接「決め返される」形で「ダメ出し」された事もある。プロレス回帰後は、エプロン等を利用しロープ越しに決める「ぶら下がり式(タランチュラ式)」等バリエーションも多彩に。
ジェットスタンプ
プロレス回帰後使用し始めた技。ハーフダウン状態の相手に向かって走り込む、もしくはロープに飛んで勢いをつけて繰り出す顔面狙いのストンピング。名称は「心の中で(ゴムゴムの~…)って言いながら放っているとのことで[37]ONE PIECEモンキー・D・ルフィの必殺技の一つが由来であると匂わせている。
『週刊プロレス』の試合リポートではジェットブーツやフロントジェットと記載されていた時期がある(主に全日本参戦時代)。
ゴッチ式アームホールド(ローリングショルダーフック)
チキンウィングに捕らえた後、両前腕で挟み込みホールドして極める。
2014年3月6日の新日本プロレス旗揚げ記念日大会の第一試合に出場、42年前の旗揚げ戦の際にメインで戦ったアントニオ猪木カール・ゴッチの技のみを使用し、フィニッシュで繰り出したのがこの技だった。
技名に関して、新日本公式では「チキンウィングアームロック」[38]、カードゲーム「キングオブプロレスリング」では「ローリングショルダーフック」[39]となっているが、鈴木は「ゴッチ式アームホールド」としている。[40]
卍固め
新日本系レスラーが多用するお馴染みの技。鈴木はこの技をセカンドロープ上やトップコーナーなど、様々な場所で繰り出す。例によって相手を締め上げている間は良く舌を出していることが多い。
逆片エビ固め
鈴木の若手時代からの得意技のひとつ。2005年3月13日 対中嶋勝彦戦の決まり手。
クロスアームパイルドライバー
2004年、健介とのIWGP戦のために開発した秘密兵器。相手の腕を交差した状態でのパイルドライバーで、太陽ケアとの三冠王座戦でも使用した。

タイトル歴[編集]

パンクラス
  • キング・オブ・パンクラシスト…第2代王者(防衛0回)
新日本プロレス
5度目の防衛戦は高山が脳梗塞からの復帰のめどがたたず、王座を返上しなければならない危機となり、高山がパートナーの座を健介に譲り、返上ではなく健介&鈴木組で新王者組と主張したが認められず、棚橋&中邑真輔組との王座決定戦に挑むこととなり、自らがフォールを取られて敗退した[41]が、試合後鈴木は、「新日本でも骨のあるやつがいるじゃないか」と語った。
パートナーはランス・アーチャー
プロレスリング・ノア
全日本プロレス
防衛回数は5回→1回
プロレス大賞
  • 2004年度プロレス大賞 技能賞、最優秀タッグチーム賞(&高山善廣)
  • 2006年度プロレス大賞 MVP[42]
  • 2008年度プロレス大賞 最優秀タッグチーム賞(&太陽ケア)
  • 2015年度プロレス大賞 殊勲賞[43]

入場テーマ[編集]

下記楽曲のオリジナルアーティストは全て中村あゆみが担当している。2015年にリリースされた中村の企画ベストアルバム『「風になれ」 完全版20周年ベスト〜鈴木みのるテーマ曲集』にすべての曲が収録されている[44]。使用順は下から。

  • 風になれ~I have to be a lonely warrior,tonight~ (2006 - )
2006年より使用。ファンからの熱い要望により、ミックスダウンし2013年1月4日にCD発売。
また、2014年9月3日リリースされた中村のベストアルバム『Ayumi of AYUMI〜30th Anniversary All Time Best』にも収録[45]
旧タイトルは『風になれ -Rough-Mix-』[46]
  • 風になれ ※New Version (2004 - 2006)
下記曲のニューバージョン。2004年より使用されメジャーレーベルでのCD化。当時、参戦していたNOAHのCDにも収録されている。
  • The Beautiful days~風になれ2~
2010年3月26日、船木との金網デスマッチにのみ使用。
  • where is my Hero
2004年11月13日、IWGPヘビー級選手権・佐々木健介戦にのみ使用。
大ファンである中村に直接依頼したことから生まれた楽曲。
インディーズレーベルよりCD化され現在は廃盤。次にリリースされるバージョンが主流となったため、こちら旧バージョンと称されている。前述の2014年にリリースされた中村のベストアルバムのボーナストラックに収録された。
  • Yesterday,Today&Tomorrow
入場に使用した音源は未CD化(マスターテープ紛失のため上記「風になれ」ベスト収録音源は新規録音)。
  • MIDNIGHT HALLELUJAH
パンクラス旗揚げ当時からモーリス・スミスへのリマッチ期にかけて使用。
  • 太陽の光の中で
藤原組時代(1992年)に使用。
  • BOY'S ON THE ROAD
藤原組時代(1991年)に使用。
  • BROTHER
UWF時代(1990年)に使用。
  • Rolling Age
UWF時代(1989年)に使用。自身初の入場テーマ[47]

自主興行[編集]

風になれ[編集]

2008年4月14日にFIGHTING TV サムライにて記者会見を発表し、その日の生放送番組『Sアリーナ」』にも出演し鈴木本人から詳細が語られた。

  • 大会名 : 風になれ 〜SUZUKI MINORU 20×2th Birthday Party〜
  • 開催日時 : 2008年6月17日
  • 開催場所 : 後楽園ホール
  • 観客 : 2,300人
  • 放送局 : FIGHTING TV サムライ
  • 主催 : 鈴木みのる20周年記念大会実行委員会

試合内容[編集]

第1試合 タッグマッチ 30分1本勝負
獣神サンダー冨宅イガー
獣神サンダー・ライガー
10分37秒
アキレス腱固め
獣神サンダー菊イガー
獣神サンダーメカマミー
※レフェリー:獣神サンダー良イガー
第2試合 シングルマッチ 30分1本勝負
中嶋勝彦 7分37秒
ジャーマン・スープレックス・ホールド
佐藤光留
第3試合 エキシビションマッチ(5分1ラウンド)
鈴木みのる 時間切れ引き分け モーリス・スミス
第4試合 バトルロイヤル(14人参加)
マッスル坂井 25分57秒
冨宅の"泣いてブラザーを斬る"⇒体固め
"brother"YASSHI
-参加選手-
内藤哲也真田聖也太田一平KUSHIDA風香佐藤光留
蝶野三四郎ジャンボ菊荒谷日明男色ディーノ冨宅飛駈TAKEMURA
第5試合 6人タッグマッチ 30分1本勝負
NOSAWA論外
MAZADA
丸藤正道
21分41秒
超高校級ラ・マヒストラル
カズ・ハヤシ
ザ・グレート・サスケ
TAKAみちのく
第6試合 シングルマッチ 60分1本勝負
鈴木みのる 22分01秒
スリーパーホールド
高山善廣
※リングコール:中村あゆみ

パイルドライバー[編集]

試合カード発表前に前売券が完売してしまったため追加発売が決定した。
  • 大会名 : PILEDRIVER charity project カウント2.9 ~さあ、ここから~
  • 開催日時 : 2011年6月25日
  • 開催場所 : 新宿フェイス
  • 観客 : 超満員札止め。(前売・追加・当日立見、完売。)
  • 主催 : パイルドライバー チャリティープロジェクト実行委員会
興行収益は、2011年7月7日付けの鈴木の公式ブログ[48]で、日本赤十字社の「東北地方太平洋沖地震宛」に募金したと公表した(チケット売上、グッズ売上、義援金プロジェクトの売上などの、「総収入」から、会場費、その他の「必要経費」を引いた利益額)。
その後、マスコミ非公開の興行を宮城県気仙沼で開催した。前もってその際の募金は、義捐金にはせず、次回の被災地での大会資金にすると公言した。

試合内容[編集]

第一試合 “楽”
×菊タロー
伊藤崇文
11分44秒
関空トルネード
くいしんぼう仮面
ランジェリー武藤
第二試合 “哀”
×佐藤光留 10分1秒
垂直落下式ブレーンバスター
真霜拳號
第三試合 “怒”
高木三四郎
×入江茂弘
(TKG48)
10分42秒
タイチクラッチ(仮)
TAKAみちのく
タイチ
(鈴木軍(仮))
第四試合 “喜”
KAI
日高郁人
15分22秒
スプラッシュ・プランチャ
HARASHIMA
藤田ミノル×
第五試合 “夢”
鈴木みのる
里村明衣子
18分3秒
デスバレーボム
高山善廣
栗原あゆみ×
緊急特別試合
KIKUZAWA 5分31秒
えびす落とし
NOSAWA論外×
高山善廣 2分12秒
ニーリフト
NOSAWA論外×
鈴木みのる 1分31秒
ゴッチ式パイルドライバー
NOSAWA論外×
当初はスーパーヘイトMAZADAが参戦予定だったが、在籍していたVOODOO-MURDERSのリーダー・TARUの暴行事件による、全日本からの無期限出場停止処分を受け、こちらも出場辞退となった。

メディア出演・プロレス以外の活動[編集]

映画[編集]

テレビドラマ[編集]

  • ジョシデカ!-女子刑事-(2007年10月 - 12月、TBS) - 溝之口吾郎 役
  • シリーズ激動の昭和・3月10日東京大空襲/語られなかった33枚の真実(2008年3月10日、TBS)- 憲兵 役

ネットドラマ[編集]

  • ジョシデカ!-女子刑事- ウェビソード(2007年10月 - 12月) - 主人公・溝之口吾郎 役 ※スピンオフドラマとしてネット配信

バラエティー[編集]

アニメ[編集]

  • ONE PIECE(2007年12月23日、フジテレビ)- 風野みのる 役

著書[編集]

共著

関連書籍

  • 週刊プロレス」別冊2008夏季号 「鈴木みのる 風になれ 〜SUZUKI MINORU 20×2th Birthday Party〜」ベースボール・マガジン社、2008年6月、雑誌コード 29688-7/25 L-8/17

連載[編集]

  • 新 鈴木みのるの独り言 - 週刊プロレス (ベースボールマガジン社)2010年1月 - 2013年5月 全169回
    • 2008年 - 2009年までは 『鈴木みのるの独り言』として連載。同連載100回目を持ってリニューアルし現在の連載名となる。
  • 鈴木みのるのふたりごと・KAMINOGE(東邦出版)2013年6月 - (KAMINOGE No.19より)

ゲーム[編集]

  • 鉄拳3 モーションキャプチャー協力。

MV[編集]

脚注[編集]

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  1. ^ a b c d e f g 週刊プロレス別冊2008夏季号「鈴木みのる 風になれ 〜SUZUKI MINORU 20×2th Birthday Party〜」 P.74 目次ページ記載のプロフィールより
  2. ^ a b 『プロレスで〈自由〉になる方法』 p266 - 270の「あとがき」によると2015年現在はパンクラスMISSON所属という肩書きはあるが実際にパンクラスと契約関係はないとのこと
  3. ^ 鈴木みのる - サンミュージック
  4. ^ 会社概要 - パイルドライバー
  5. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t u v w x 「鈴木みのる 風になれ 〜SUZUKI MINORU 20×2th Birthday Party〜」 P.65 - 72 「鈴木みのる 全試合記録」(2008年5月までの戦歴)
  6. ^ 「週刊プロレス」別冊2008年冬季号「新生UWF証言集」 P.47 「新生UWF 闘いの記録」「UWF HAY HISTORY 2nd.」東京ベイNHホール
  7. ^ a b 「鈴木みのる 風になれ 〜SUZUKI MINORU 20×2th Birthday Party〜」 pp18 「VS モーリス・スミス 『白装束が「特攻服」になった日』」
  8. ^ a b 週刊プロレス」別冊2008夏季号 「鈴木みのる 風になれ 〜SUZUKI MINORU 20×2th Birthday Party〜」 P.59「神戸事件の夜、ミナミのスナックで…」(元週刊ファイト編集次長、波々伯部哲也による出筆)より
  9. ^ 船木がかつて担当していた「プロレス格闘技DX」のコラムによれば[要ページ番号]、当日の試合後、鈴木は控え室で泣いていたという。またこの興行は、北尾光司がプロレス史上に残る「八百長野郎」事件を起こしたことでも知られている
  10. ^ 「鈴木みのる 風になれ 〜SUZUKI MINORU 20×2th Birthday Party〜」 P28.「VS稲垣克臣 『"秒殺"の裏側で』」によると「パンクラスのルールでチョークを解禁したから自分が第1試合でチョークで決めることにより既存のプロレスとの相違点を周知させようという狙いがあったとのこと。
  11. ^ a b c 「鈴木みのる 風になれ 〜SUZUKI MINORU 20×2th Birthday Party〜」 P23 - 27「パンクラス時代 一瞬の栄光と挫折の連続、そして再生へ」
  12. ^ 「鈴木みのる 風になれ 〜SUZUKI MINORU 20×2th Birthday Party〜」 pp25. パンクラス時代の略歴より抜粋
  13. ^ a b 『プロレスで〈自由〉になる方法』pp58 - 59 本文中で鈴木は「パンクラスの練習をしっかりこなして他の練習に行くなら文句はなかった」と語っている。
  14. ^ 週刊プロレス別冊「UWF30年史」 (2013年、ベースボール・マガジン社)P78 - 82、「鈴木みのる×伊藤崇文 あの時横浜道場で……」
  15. ^ 「鈴木みのる 風になれ 〜SUZUKI MINORU 20×2th Birthday Party〜」 P4 - 10. 巻頭インタビュー「鈴木みのるを解放せよ。」(構成・聞き手:斎藤文彦
  16. ^ なお再試合、再々試合も行われいずれも勝利している
  17. ^ a b 「鈴木みのる 風になれ 〜SUZUKI MINORU 20×2th Birthday Party〜」 P34 - 35. 「MISSION時代〔PART.3〕vs全日本」
  18. ^ 鈴木みのるオフィシャルブログ「今日も明日も風まかせ~」Powered by Ameba 2011年8月25日更新ページ「気仙沼本吉町で、カウント2.9~さあ、ここから~」 2011年8月29日 閲覧
  19. ^ 「ダウン」もしくは「ロープエスケープ」毎に1ポイントをロストし、ロストポイントが5に達するとTKO負けとなるルール
  20. ^ a b 『ゴング』新装刊2号 pp10 - 13 掲載3・15決戦!!Part.1 プロレスリング・ノア 2015年3月15日『GREAT VOYAGE IN TOKYO 2015』試合リポート&鈴木みのるインタビュー「ノアなんてオンボロ船はほっといても沈むんだけど、昨日ちょっとだけムカついたから気が変わった。丸藤の減らず口を聞いて、沈めちゃおうってね」 聞き手:堀江将司(2015年3月、発行:アイビーレコード 発売:徳間書店 ISBN 978-4-19-710398-0
  21. ^ a b 遊助ニューシングルにRED RICE参加、MVには鈴木みのる出演”. 音楽ナタリー (2015年11月10日). 2015年11月11日閲覧。
  22. ^ 「新生UWF証言集」 P.75
  23. ^ 東京スポーツ2009年5月14日付「レスラー、格闘家のあんな話・こんな話 豪傑列伝」第4回
  24. ^ 「週刊ファミ通」2009年4月17日号 (通刊1061号)(2009年、エンターブレイン)P51.「ソフトウェアインプレッション」
  25. ^ 「鈴木みのる 風になれ 〜SUZUKI MINORU 20×2th Birthday Party〜」 P.40 - 41.「オフ・ザ・リング秘蔵アルバム」
  26. ^ 「新生UWF証言集」P75.
  27. ^ 「世界フィギュアレスリング選手権」というフィギュアスケートを模した、試合などのやり取りに採点をするというプロレスとしては極めて特殊な設定。
  28. ^ 『プロレスで〈自由〉になる方法』P158 - 161.
  29. ^ a b 週刊プロレス別冊「UWF30年史」 P79.
  30. ^ 中村は基本的に鈴木を「みのる君」と呼ぶ
  31. ^ 「鈴木みのる 風になれ 〜SUZUKI MINORU 20×2th Birthday Party〜」 P.52 「鈴木みのるを暴く! 証言者12 中村あゆみ」
  32. ^ 『プロレスで〈自由〉になる方法』P34 - 36.
  33. ^ 『プロレスで〈自由〉になる方法』P181 - 182.
  34. ^ 『プロレスで〈自由〉になる方法』P189.
  35. ^ 同誌連載のコラム「鈴木みのるの独り言」や、2008年に出版された週刊プロレス別冊冬季号「新生UWF証言集」のインタビューなどでも発言している
  36. ^ 『プロレスで〈自由〉になる方法』 pp188 - 189
  37. ^ 鈴木本人のTwitter 2014年7月27日 17:29の発言
  38. ^ 第1試合|03/06(木) 19:00 東京・大田区総合体育館|旗揚げ記念日|大会結果一覧|Match Information|新日本プロレスリング
  39. ^ カードリスト | 商品紹介 | キング オブ プロレスリング トレーディングカードゲーム
  40. ^ 鈴木みのるオフィシャルブログ「今日も明日も風まかせ~」Powered by Ameba 2014年3月6日更新ページ「1972年3月6日」
  41. ^ 「鈴木みのる 風になれ 〜SUZUKI MINORU 20×2th Birthday Party〜」P30 - 31. 「MISSION時代〔PART.1〕vs新日本プロレス」
  42. ^ 「鈴木みのる 風になれ 〜SUZUKI MINORU 20×2th Birthday Party〜」 P36 - 37.「MISSON時代〔PART.4〕多団体」
  43. ^ 【プロレス大賞】殊勲賞は鈴木みのる「ノアマットを性悪流に活性化」”. 東スポweb (2015年12月8日). 2015年12月8日閲覧。
  44. ^ 中村あゆみ「「風になれ」完全版20周年ベスト~鈴木みのるテーマ曲集」”. ワーナーミュージック・ジャパン. 2015年10月14日閲覧。
  45. ^ 中村あゆみデビュー30周年記念初オール・タイム・ベスト9/3(水)発売決定!「翼の折れたエンジェル」は勿論、プロレスラー:鈴木みのるテーマ曲「風になれ」も初収録!!”. Warner Music Japan. 2015年10月14日閲覧。
  46. ^ 一部入場テーマリスト等では-Rough-Mix PART2-との記載がある。
  47. ^ 鈴木本人のTwitter 2013年12月9日18:48の発言
  48. ^ 鈴木みのるオフィシャルブログ「今日も明日も風まかせ~」Powered by Ameba.7月7日更新ページ「義援金総額」

参考文献[編集]

  • 鈴本みのる『プロレスで〈自由〉になる方法』 毎日新聞出版、2015年10月30日、ISBN 978-4620323329
  • 「週刊プロレス」別冊2008冬季号「新生UWF証言集」 ベースボール・マガジン社、2008年1月、雑誌コード 29688-1/15 L-2/16 P72 - 76. 「鈴木みのる 二十歳過ぎた人間が怖くて6万人の前で泣いたでも全部他人のせいにした」(聞き手:鈴木健 現:鈴木健.txt)
  • 『週刊プロレス』別冊2008夏季号 「鈴木みのる 風になれ 〜SUZUKI MINORU 20×2th Birthday Party〜」ベースボール・マガジン社、2008年7月、雑誌コード 29688-7/25 L-8/17
  • 週刊プロレス別冊「UWF30年史」 ベースボール・マガジン社、2014年3月、ISBN 978-4-583-62100-5 P78 - 82. 「鈴木みのる×伊藤崇文 あの時、横浜道場で……」(聞き手:高崎計三)

外部リンク[編集]

前王者
ケン・シャムロック
第2代パンクラス無差別級王者
1995年5月13日 - 1995年9月1日
次王者
バス・ルッテン