黒田哲広

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黒田 哲広
プロフィール
リングネーム 黒田 哲広
本名 黒田 哲広
ニックネーム 最高レスラー
身長 180cm
体重 100kg
誕生日 (1971-11-23) 1971年11月23日(45歳)
出身地 北海道函館市
所属 アパッチプロレス軍
トレーナー 大仁田厚
デビュー 1993年3月18日
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黒田 哲広(くろだ てつひろ、1971年11月23日 - )は、日本男性プロレスラーである。北海道函館市出身。血液型B型

人柄・特徴[編集]

筋骨隆々の体にオールバックのヘアー、細めの目が特徴。リングインの際はサングラスに「黒田3150(最高)」と書かれたバスタオルを下半身に巻きつけ登場する。

またプロレス界きっての色男で、性格の良さも随一で、観客に愛嬌を振りまき、特に女性の人気が高い。よくリングサイドに近い所に陣取る中年の熱狂的ファンが熱い声援を送る。必ず数人で押しかけ「黒田最高」のバスタオルを前面に掲げ過激な応援をするこのファン達は「黒田おばさん」と呼ばれ、アパッチプロレス軍大日本プロレス等の興行に必ず出没している。

自らの左足を地団駄させたりして観客の手拍子を誘いリズムを作ったり、下記の様な「定番のセリフ」を頻発させ、場内の観客を自分のペースに巻き込むのが得意。特に場外に出ての“助走付きラリアット”(ハッスルの時には自転車に乗り助走する)は圧巻である。

プライベートではパートナーの金村キンタローの暴若無人ぶりをサポートする。ちなみに金村キンタローの事を「オヤジ」と呼ぶ黒田だが、実は年齢は1歳しか違わない。

かなりの酒好きで、女子プロレス団体ディアナ井上京子が経営する「あかゆ」の常連客で、井上と同じくNEOに所属した「田村様」こと田村欣子などとは飲み友達である。

2006年7月に行われたアパッチプロレス軍ファン感謝デーのトークショーでファンから「彼女はいないんですか?」という質問に対し、稲松三郎から結婚したことを暴露される。本人は結婚したことを公表していなかった。週刊プロレス週刊ゴングはこの件に関して一切触れず。しかし、のちにアパッチプロレス軍のモバイルサイト内の自身のブログにおいて「実はちょっとわけがあってずっとひとりで住んでいる」と綴っていたことにより、すでに前から別居(離婚?)していたことが発覚する。しかし、2007年11月に行われた松井幸則レフェリー主催のびっくりプロレスでの試合中のやり取りにおいて菊タローに私生活を暴露(?)され、試合後には本人自ら「来月(12月)、結婚式を行います」とリング上でカミングアウトした。

週刊プロレスのインタビューではケガなく引退することが目標と宣言した。

経歴[編集]

PWCに入門し、ミスター・ヒトの指導を受け、1993年3月18日、愛知・露橋スポーツセンターの保坂秀樹戦でデビューを果たした。デビュー直後、同団体の行き詰まりから、保坂、戸井マサルらとともに、FMWに移籍する。大仁田厚率いる「ZEN」の若手エースとして活躍後、ベビーフェイスヒールを行き来しつつ、サングラスをかけてリングに登場する「最高」のキャラクターが人気を呼ぶ。FMW末期はハヤブサとの2枚看板になった。

FMW解散後は、WEWを経由して現在アパッチプロレス軍に所属しつつ、数々のプロレス団体に参戦している。2002年当時の主戦場の一つZERO-ONE火祭りに初エントリーし、誰もノーマークの中での何と準優勝(優勝は大谷晋二郎)を遂げる。2004年3月には自ら所属の冬木軍プロモーションのリングに於いてZERO-ONEの橋本真也との一騎討ちも実現した。

FMWと同じくエンターテイメントとしてのプロレスを掲げるハッスルでも、準レギュラーとして活躍中。2006年からは、老舗の新日本プロレスにもたびたび上がる一方、大日本プロレスでは、FMWで一時代を築き上げた田中将斗とタッグを結成(6人タッグのときは、金村キンタローも参加)し、関本大介 & 佐々木義人組との世代抗争に参加している。

2006年9月24日、黒田は自ら所属するアパッチプロレス軍の3周年興行において(於・後楽園ホール)敵対するたかし軍団に所属の越中詩郎との一騎討ちに備え、20年前のジュニアヘビー級の名勝負の再戦だという名目で、越中の好敵手であった高田延彦(当時は高田伸彦)にあやかり、高田の入場テーマ曲「トレーニング・モンタージュ」(ただし新日本所属時代の“青春のエスペランサ”と呼ばれた時代の高田には「疾風のライダー」というタイトルのオリジナル曲が存在し、この「トレーニング・・」を高田がテーマにしたのは、越中との名勝負の新日本プロレス所属時でなく、後の1990年代のUWFインターナショナル時代の話である)とサイドにUWFと書かれたレガースを着用し、トレーニングにもUWFばりのキックを多様に取り入れ、すっかり高田延彦になりきり、越中に合い対峙をしたが、その甲斐も無く敗れてしまった。(ちなみに黒田と高田は直接の接点が無いが、ハッスルにおいて高田総統率いる高田モンスター軍と、黒田が所属のハッスル軍とで抗争中(現在はモンスター軍に加入してくれと、盟友であるキンターマンこと金村キンタローと共に、クロダーマンというキャラで、往年のパーマンに似たマスクを着用して素顔をひた隠しにし懇願中である)であり、同じ会場には居るわけである)。2007年1月8日WEWヘビー級選手権で王者真壁刀義に挑戦するも敗北。

パートナーである金村キンタローとは相反し、自分から椅子や机を利用したりするようなファイトスタイルは無いが、場外乱闘は殆どの試合で見られる。後楽園ホールの試合では相手を必ず東側の観客席に追い込み、「東」の方向表示板に相手の顔面を打ちつけるのが名物となっている。

ハッスルにおいてはErica&マーガレットと組み6人タッグに臨む時が有るが(黒田以外のハッスル軍の男子レスラーもパートナーになる場合もある)ハッスルスーパータッグをこの二人が保持している時に6人タッグで黒田が登場した時に、Ericaが試合後のマイクで「私達の今度の挑戦者はイケメンとしか戦いません」とアピールしたところ、すかさず黒田が「何ッイケメン。俺じゃ駄目かな」と直訴したが「ウーン、黒田さん。チョット駄目かな」と Ericaに駄目出しを食らった。

アパッチ所属でありながら、猥褻事件で後に同団体を退団した金村キンタロー率いるXWFに全戦参加している。その為、金村との縁を切っていない事に対する批判が強い。

2009年、第1次アパッチの解散とともにフリーとなる。

同年8月、以前準優勝(2002年)経験のあるZERO1の火祭り'09に久々に出場。Bブロック(黒田の他、田中将斗、崔領二、関本大介、マグニチュード岸和田)のなかで、1勝3敗で終了。但しその1勝は伸び盛りの関本から奪った貴重な勝利であった。

2010年12月、アパッチ再旗揚げに参加。

2012年に旗揚げされた「five」にもレギュラー参戦している。なお、当イベントのプロデュースは金村の元妻・椿志保である。

最近はかつての若さを前面に出すファイトよりは、第一線を退いた感じの円熟味を感じさせる感じである。自分の戦いというよりは、特に誰のといったわけではないが、若い人間の成長を見て喜ぶスタイルに移行しつつある。

2013年10月6日、大阪市立城東区民ホールで20周年記念興行を開催、第1次アパッチ解散後に袂を分かち旗揚げされたFREEDOMSからも一部選手が参戦。

得意技[編集]

哲っちゃんカッター
相手がコーナーのトップロープに登った段階で、黒田が相対する格好でセカンドロープまで登り、相手の首をロープに打ちつけながら落下させる技。自らが雪崩式ブレーンバスターをくらいそうになるときによく用いられる。
哲っちゃんバスター
ジョニー・エースのジョニー・スパイクと同型だが滅多に出さない(ZERO-ONEといったアウェーの試合では封印し、FMWやアパッチ自主興行などで限定して出していた。最近は封印している)
雪崩式ダイヤモンド・カッター
シャイニング・ウィザード
本家の武藤敬司の模倣で、最初の投げキッスまで真似ているが、助走の時に歩数が合わないのか、かなり小走りでぎこちなさがある。
ラリアット
エルボー

定番のセリフ[編集]

もう一丁
相手の体をコーナー鉄柱に両足がまたぐ様に滑り込ませ、黒田は場外に行き相手の片足を鉄柱に打ち付ける。最初の1発目は「○○最高!」と会場の地名を褒め観客を乗せた後に行い、2発目の前に「もう一丁」と観客に問い掛ける。3発目も同様に問い掛けた後に自ら「もう一丁、もう一丁……」とコールを煽った上で行う直前で鉄柱に打ち付ける動作をスン止めしエルボー・ドロップに切り替える。金村キンタローと組んでる時に、金村から4発目を要求する「もう一丁」コールがあった場合は、直前で鉄柱に打ち付ける動作を寸止めし、鉄柱に打ち付ける。
最高
どうですか、お客さん
This Is 哲っちゃんカッター
This Is 哲っちゃんバスター

タイトル歴[編集]

入場曲[編集]

  • STREET FIGHTER
  • STREET FIGHTER(最高バージョン)

その他[編集]

  • 2001年に発売されたドリームキャスト用ゲームソフト「ファイヤープロレスリングD」でレスラーの声を担当。ゲーム中には黒田を模したレスラーも登場しており、そのキャラクターが発する「最高!」「どうですかー」は本人の声である。
  • DRAGON GATEドン・フジイとは深い対立関係である。2007年6月5日のDRAGON GATE後楽園大会でフジイの試合に突如乱入。そして遂にDRAGON GATEの年に1度のビッグマッチである7月1日神戸ワールド記念ホールで2人のシングルマッチが行われ、最後はフジイのナイス・ジャーマンで3カウントを奪われる。
  • 最終決戦と銘打った試合でもドン・フジイとの完全決着はなかった。しかし、二人で黒フジタッグを結成し試合をしたこともある。

関連項目[編集]