アジアタッグ王座

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アジアタッグ王座
詳細
現王者 秋山準&永田裕志
獲得日 2018年2月3日
管理団体 全日本プロレス
創立 1955年11月16日

アジアタッグ王座(アジアタッグおうざ)は、PWFが管理する全日本プロレスフラッグシップタイトル。正式名称はオールアジアタッグ王座

歴史[編集]

1955年11月に日本プロレスがアジアのシングル・タッグ両王者を決定するためのアジア選手権を開催し、そのタッグ部門で優勝したキングコング&タイガー・ジョキンダーをアジアタッグ王者として認定したのが始まりである。力道山&豊登が3代目の王者になって以来、日本プロレスの看板タッグタイトルとして幾多の名勝負が繰り広げられた。

日本プロレスがジャイアント馬場をエースとする時代に入り、インターナショナル・タッグ王座が日本に持ち込まれると二番手に降格された。とはいえ、日本プロレス時代の挑戦者チームには、ドリー・ファンク・ジュニア&ハーリー・レイスアブドーラ・ザ・ブッチャー&カリプス・ハリケーンクリス・マルコフ&ブル・ラモスジン・キニスキー&キラー・カール・コックスなどの強力チームが名を連ねている[1]。ブロンド・ボンバーズ(リップ・ホーク&スウェード・ハンセン)やミネソタ・レッキング・クルージン・アンダーソン&オレイ・アンダーソン)、ネルソン・ロイヤル&ポール・ジョーンズの牧童コンビ、アル・コステロ&ドン・ケントの2代目ファビュラス・カンガルーズなど、当時のアメリカン・プロレス界を代表する「タッグ屋」の挑戦も受けた[1]

当初は王者に授与されるのはベルトではなく、トロフィーだったが、第18代王者の吉村道明&大木金太郎からはベルトとなった。

日本プロレス崩壊後は他のタイトルとともに全日本プロレスに受け継がれたが、全日本側は崩壊当時の王者チームであるグレート小鹿&松岡巌鉄組に防衛戦をさせる気がなく、一時的に王座は休眠状態となる。1976年2月に新日本プロレスが「アジア王者がいないのはおかしい」とアジアヘビー・アジアタッグの王座創設を発表したのに伴い、それに対抗して日本・全日本版アジアタッグ王座の復活が決定し[2]、現在に至るまで受け継がれている。この時の復活王者はグレート小鹿&大熊元司極道コンビで、これ以降、若手・中堅用のタイトルという性格となり、現在では主力レスラーへの登龍門と化している。もう1つのタッグ王座である世界タッグ王座と比較すると軽視されがちであるが(1980年代にはアジアタッグ王者が世界最強タッグ決定リーグ戦に出場できないことも珍しくなかった)、60年以上の歴史を持つ、日本最古のベルトである。

なお、アジア選手権のシングルの王者が認定された「アジアヘビー級王座」も同様に力道山によって創設され、日本プロレスから全日本プロレスに受け継がれた。しかし、1977年に当時の王者・大木がジャイアント馬場とのタイトル戦に敗れた際に、新王者馬場がタイトルの封印を宣言。1981年に大木が当時所持していたインターナショナル・ヘビー級王座を返上する代替として、このアジアヘビー級選手権の返還を受け、そのベルトを所持したまま大木が引退したため、長い間タイトルがうやむやな状態になっていたが、2018年1月に韓国にて、復活王座決定トーナメントが開催され、優勝した崔領二が復活新王者に認定されている[3]

新日本プロレスが創設を宣言したアジア王座は、初代ヘビー級王者がタイガー・ジェット・シン、初代タッグ王者が坂口征二&ストロング小林と認定されたが、すぐに休眠状態に入り消滅した。なお、なぜかアントニオ猪木はアジアヘビー級のリーグ戦に参加せず、シンを相手にNWFヘビー級選手権を行なっている[4]

ジャイアント馬場が出場した最後のタイトルマッチが、1989年3月27日小橋健太と組み、川田利明&サムソン冬木に挑戦した、このアジア・タッグ選手権だった。なお、馬場が初めて奪取したタイトルも、豊登と組んでのアジア・タッグ選手権である。

歴代王者[編集]

歴代 選手 防衛回数 獲得日付 獲得した場所
初代 キングコング&タイガー・ジョキンダー 0 1955年11月16日 蔵前国技館
第2代 フランク・バロア&ダン・ミラー 0 1960年6月2日 大阪府立体育会館
第3代 力道山&豊登 12 1960年6月7日 名古屋市金山体育館
第4代 ルター・レンジ&リッキー・ワルドー 0 1962年2月3日 日大講堂
第5代 力道山&豊登 0 1960年2月15日 両国日大講堂
第6代 バディ・オースチン&マイク・シャープ 1 1960年6月4日 大阪府立体育館
第7代 力道山&豊登 2 1960年7月1日 豊中市大門公園
第8代 力道山&豊登 6 1963年5月6日 札幌
第9代 豊登&吉村道明 1 1964年2月20日 名古屋市金山体育館
第10代 ジン・キニスキー&カリプス・ハリケーン 0 1964年5月14日 横浜文化体育館
第11代 豊登&ジャイアント馬場 7 1964年5月29日 札幌中島体育センター
第12代 ザ・デストロイヤー&ビリー・レッド・ライオン 1 1965年6月3日 札幌中島体育センター
第13代 豊登&ジャイアント馬場 3 1965年7月15日 駿府会館
第14代 キラー・カール・コックス&ジョー・カロロ 0 1966年5月23日 宮城県スポーツセンター
第15代 吉村道明&ヒロ・マツダ 1 1966年5月26日 札幌中島体育センター
第16代 キラー・カール・コックス&エディ・グラハム 1 1966年6月27日 名古屋市金山体育館
第17代 吉村道明&ジャイアント馬場 4 1966年7月1日 広島県立総合体育館
第18代 吉村道明&大木金太郎 4 1966年12月3日 日本武道館
第19代 吉村道明&アントニオ猪木 3 1967年5月26日 札幌中島体育センター
第20代 吉村道明&大木金太郎 0 1968年1月6日 大阪府立体育館
第21代 スカル・マーフィー&クロンダイク・ビル 0 1968年7月8日 東京スタジアム
第22代 吉村道明&大木金太郎 4 1968年7月30日 札幌中島体育センター
第23代 大木金太郎&アントニオ猪木 2 1969年2月3日 札幌中島体育センター
第24代 吉村道明&アントニオ猪木 3 1969年8月9日 愛知県体育館
第25代 吉村道明&アントニオ猪木 15 1969年10月30日 岐阜市民センター
第26代 吉村道明&坂口征二 9 1971年12月12日 東京体育館
第27代 グレート小鹿&松岡巌鉄 1 1973年3月3日 近大記念会館
第28代 グレート小鹿&大熊元司 3 1976年3月26日 ソウル特別市文化体育館
第29代 ジェリー・オーツ&テッド・オーツ 0 1976年10月2日 後楽園ホール
第30代 高千穂明久&サムソン・クツワダ 2 1976年10月21日 福島県営体育館
第31代 グレート小鹿&大熊元司 2 1977年6月16日 後楽園ホール
第32代 マイティ井上&アニマル浜口 4 1977年11月6日 後楽園ホール
第33代 グレート小鹿&大熊元司 0 1978年2月22日 岐阜市民センター
第34代 グレート小鹿&大熊元司 6 1979年5月31日 能代市体育館
第35代 ケビン・フォン・エリック&デビッド・フォン・エリック 0 1981年5月23日 後楽園ホール
第36代 佐藤昭雄&石川隆士 5 1981年6月11日 後楽園ホール
第37代 マイティ井上&阿修羅・原 7 1983年2月23日 大阪府立臨海スポーツセンター
第38代 阿修羅・原&石川隆士 2 1984年2月16日 長崎国際体育館
第39代 佐藤昭雄&石川隆士 0 1985年4月15日 長崎国際体育館
第40代 アニマル浜口&寺西勇 0 1985年7月18日 後楽園ホール
第41代 寺西勇&保永昇男 1 1985年7月18日 認定
第42代 マイティ井上&石川隆士 2 1985年10月31日 鶴岡市体育館
第43代 阿修羅・原&スーパー・ストロング・マシーン 0 1986年10月30日 青森県営体育館
第44代 マイティ井上&石川隆士 2 1987年7月30日 東村山市民スポーツセンター
第45代 サムソン冬木&川田利明 2 1988年3月9日 横浜文化体育館
第46代 仲野信市&高野俊二 0 1988年9月9日 千葉公園体育館
第47代 サムソン冬木&川田利明 3 1988年9月15日 後楽園ホール
第48代 ダグ・ファーナス&ダニー・クロファット 2 1989年6月5日 日本武道館
第49代 サムソン冬木&川田利明 1 1989年10月20日 愛知県体育館
第50代 ダグ・ファーナス&ダニー・クロファット 1 1990年3月2日 露橋スポーツセンター
第51代 タイガーマスク&小橋健太 1 1990年4月9日 岡山武道館
第52代 仲野信市&田上明 0 1990年6月5日 千葉公園体育館
第53代 小橋健太&ジョニー・エース 1 1990年9月7日 福井市体育館
第54代 ダイナマイト・キッド&ジョニー・スミス 0 1991年4月6日 大阪府立体育会館
第55代 ダグ・ファーナス&ダニー・クロファット 2 1991年4月20日 後楽園ホール
第56代 小橋健太&ジョニー・エース 0 1991年7月8日 大阪府立体育会館第2競技場
第57代 ジョー・ディートン&ビリー・ブラック 0 1991年7月18日 後楽園ホール
第58代 ダグ・ファーナス&ダニー・クロファット 4 1991年7月26日 松戸市運動公園体育館
第59代 小橋健太&菊地毅 3 1992年5月25日 宮城県スポーツセンター
第60代 パトリオット&ジ・イーグル 1 1993年6月2日 小山ゆうえんちスケートセンター
第61代 ダグ・ファーナス&ダニー・クロファット 4 1993年9月9日 大宮市民体育館
第62代 秋山準&大森隆男 12 1995年1月29日 後楽園ホール
第63代 ウルフ・ホークフィールド&ジョニー・スミス 2 1998年1月9日 鹿児島県立体育館
第64代 本田多聞&泉田純 1 1998年10月6日 新潟市体育館
第65代 ハヤブサ&新崎人生 1 1999年2月13日 後楽園ホール
第66代 高山善廣&大森隆男 0 1999年6月4日 札幌中島体育センター
第67代 三沢光晴&小川良成 0 1999年8月25日 広島市東区スポーツセンター
第68代 本田多聞&井上雅央 3 1999年10月25日 長岡市厚生会館
第69代 垣原賢人&長井満也 0 2001年6月8日 日本武道館
第70代 &北原光騎 0 2001年9月8日 日本武道館
第71代 嵐&荒谷信孝 3 2002年4月13日 日本武道館
第72代 佐藤耕平&横井宏考 2 2003年7月29日 日本武道館
第73代 金村キンタロー&黒田哲広 0 2003年10月10日 後楽園ホール
第74代 ミスター雁之助&黒田哲広 0 2003年12月25日 後楽園ホール
第75代 グレート・コスケ&獅龍 0 2004年1月2日 後楽園ホール
第76代 天龍源一郎&渕正信 3 2004年5月22日 後楽園ホール
第77代 長井満也&成瀬昌由 2 2004年11月3日 両国国技館
第78代 ブキャナン&リコ 0 2005年2月2日 後楽園ホール
第79代 近藤修司&"brother"YASSHI 1 2005年6月19日 後楽園ホール
第80代 佐々木健介&中嶋勝彦 4 2005年7月20日 国立代々木競技場第2体育館
第81代 鈴木みのる&NOSAWA論外 2 2009年1月3日 後楽園ホール
第82代 &浜亮太 3 2009年9月23日 後楽園ホール
第83代 TARU&ビッグ・ダディ・ブードゥー 1 2010年4月29日 後楽園ホール
第84代 真田聖也&征矢学 2 2010年8月29日 両国国技館
第85代 関本大介&岡林裕二 2 2011年3月21日 両国国技館
第86代 真田聖也&征矢学 1 2011年6月19日 両国国技館
第87代 関本大介&岡林裕二 6 2011年10月23日 両国国技館
第88代 曙&浜亮太 1 2012年7月1日 両国国技館
第89代 金本浩二&田中稔 2 2012年10月21日 名古屋国際会議場
第90代 佐藤光留&大和ヒロシ 0 2013年1月26日 大田区総合体育館
第91代 田中稔&金本浩二 1 2013年2月10日 博多スターレーン
第92代 鈴木鼓太郎&青木篤志 4 2013年4月25日 名古屋国際会議場
第93代 秋山準&金丸義信 3 2014年1月26日 神戸サンボーホール
第94代 入江茂弘&石井慧介 4 2014年4月29日 後楽園ホール
第95代 鈴木鼓太郎&宮原健斗 1 2014年8月16日 後楽園ホール
第96代 長井満也&南野タケシ 1 2015年1月3日 後楽園ホール
第97代 ウルティモ・ドラゴン&金丸義信 1 2015年3月22日 博多スターレーン、王座返上
第98代 木高イサミ&宮本裕向 6 2015年11月15日 八王子市総合体育館
第99代 佐藤光留&青木篤志 4 2016年7月24日 両国国技館
第100代 大仁田厚&渕正信 1 2016年11月27日 両国国技館
第101代 佐藤光留&青木篤志 2 2017年6月20日 帯広市総合体育館
第102代 TAKAみちのく&ブラック・タイガーⅦ 0 2017年8月27日 両国国技館
第103代 野村直矢&青柳優馬 4 2017年9月30日 グリーンドーム前橋、王座返上
第104代 秋山準&永田裕志 1 2018年2月3日 横浜文化体育館

脚注[編集]

  1. ^ a b 栄光の輝き 王座変遷史: アジアタッグ選手権”. Rodmann's Pro-Wrestling Site. 2014年9月30日閲覧。
  2. ^ 馬場が新日本へのカウンターとして復活させたものだが、外聞的には日本プロレス代表の長谷川淳三(芳の里)の意向とされていた。
  3. ^ だが、2017年11月5日発行の雑誌「GスピリッツVol.45」73ページにて、92年5月4日に韓国の李王杓が日本には殆ど報道されないまま、大木が保持していた王座を獲得していることが明らかになっているが、この件については管理団体である全日本プロレスや管理組織であるPWFは認定していない。
  4. ^ のちに新日本は、IWGP第1回大会が行われる直前に「世界統一の前にアジア統一を」と、IWGPの下部王座という形での新日本版アジア王座の復活構想をぶち上げたことがあった。ゆくゆくは全日本版のアジア王座との統一も狙うとしていたが、この構想はいつの間にか立ち消えとなった。

外部リンク[編集]