KUSHIDA

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KUSHIDA
KUSHIDA 2016.jpg
2016年
プロフィール
リングネーム KUSHIDA
YUJIRO
櫛田 雄二郎
本名 櫛田 雄二郎
ニックネーム タイム・スプリッター
トルネード・スター
竜巻KID
身長 175cm
体重 87kg
誕生日 (1983-05-12) 1983年5月12日(33歳)
出身地 東京都大田区
所属 新日本プロレス
トレーナー 桜庭和志
TAJIRI
デビュー 2005年9月18日
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KUSHIDA(クシダ、1983年5月12日 - )は、日本男性プロレスラー東京都大田区出身。本名及び旧リングネームは櫛田 雄二郎(くしだ ゆうじろう)。新日本プロレス所属。

経歴[編集]

幼少時代からプロレスラーを志し、中学時代より高田道場に入門。2003年1月、総合格闘技団体ZSTにおける水野健次戦で総合デビューを果たす。2004年にはジェネシスライト級トーナメントで優勝を飾るなど総合では無敗を誇った。

専修大学経営学部経営学科在学中は東京スポーツ編集局でアルバイトをしていた。当時は風俗面で「SMイメクラ取材のモデルも経験した」という[1]。東スポからは正社員としての内定も得ていたが、プロレスラーとしての夢を捨てきれず内定を辞退[2]2005年に休学し、単身メキシコへ遠征。現地でトレーニングを積み、9月16日にプレデビュー戦を行う。また、覆面レスラーYUJIRO」としても活動していた。

ハッスル - SMASH[編集]

2006年2月10日に行われたハッスルオーディションに参加。選考から外されるも、その素質を買われて練習生として同団体に入団。TAJIRIの内弟子となってトレーニングを積み、9月7日に行われた「ハッスル・ハウス Vol.20」で、師匠のTAJIRIとのタッグで高田モンスター軍赤鬼蜘蛛 & 青鬼蜘蛛組と対戦。超新星ラナで赤鬼蜘蛛からピンフォール勝ちを収めた。

2007年からは活動範囲を広げ、アパッチプロレス軍ドラディションに参戦。7月には本名の「櫛田雄二郎」の名義で全日本プロレスに参戦。2008年2月、PLAYBOY CHANNEL NIGHTタッグトーナメントにてT28とのタッグで優勝。3月にはT28と共にジュニア・タッグリーグ戦に出場。カズ・ハヤシからピンフォール勝ちを収めるなど活躍を見せた。同年には大阪プロレスにもTAJIRIと共に参戦し、タッグフェスティバルで健闘する。

2009年3月末をもってハッスルを退団、海外修行に出る[3]。11月、チカラのマットに初参戦。フィラデルフィアアリーナ大会でヘリオスと一戦を交えた[4]

2010年には、同年より新たに旗揚げされたSMASHの所属選手となる。

5月8日、新日本プロレスが主催するSUPER J TAGトーナメント外道とのタッグで出場するも、二回戦で敗退。さらに、双方のファイトスタイルの相違が原因で遺恨が勃発する。6月、BEST OF THE SUPER Jr.に初出場。予選落ちが確定し、その最終戦である13日、外道とのシングルマッチが組まれるも、外道のリザーバーとして出場した矢野通に叩きのめされ、敗北。試合後、テーピングでロープに縛り付けられ外道に竹刀による殴打を喰らうも、棚橋弘至に救出され事なきを得る。

翌19日、DOMINION6.19にて、矢野と髪切り闘争を展開していた棚橋がルーザーボールド・ルールで矢野に勝利するも、矢野の奇襲により逆に髪を切られそうになるという事態に発展する。これに対してTAJIRIと共に棚橋を救出し、矢野を丸坊主にすることに貢献した。バックステージで棚橋、TAJIRIを交えたユニット「タナスマ」を結成。同月のJ SPORTS CROWN〜無差別級6人タッグトーナメント〜では同ユニットとして出場し、準優勝に輝く。

7月19日、未だ遺恨の潰えていない外道と対戦。ミッドナイトエクスプレスでピンフォール勝ちを収め、抗争に終止符を打つ。

新日本プロレス[編集]

2011年2月25日、SMASH.14の舞台で新日本プロレスに円満移籍することを発表し[5]、3月8日に入団会見を行った[6]。19日にはプリンス・デヴィットが保持するIWGPジュニアヘビー級王座に初挑戦。31日に開催されたSMASH.15にて、大原はじめとのシングルマッチをもってSMASHを退団し、4月1日付で正式に新日本プロレス所属選手となる。

8月14日、G1 CLIMAX最終日のセミファイナルで行われたIWGPジュニアタッグ戦終了後、IWGPジュニアヘビー級王者である飯伏幸太に同王座への挑戦を直訴し、飯伏がこれを承諾し対戦カードが決まる。しかし、飯伏が古傷の左肩を脱臼した為、ベルトを返上。急遽、前王者のデヴィットとの次期王者決定戦となった。序盤デヴィットを圧倒するも徐々に追い込まれ、最後はブラディサンデーでピンフォール負けを喫する。

2012年8月、アメリカに遠征しSWFに参戦。同興行でフォーエバー・フーリガンズロッキー・ロメロ & アレックス・コズロフ)に襲撃を受けたアレックス・シェリーを救出。これをキッカケにシェリーは新日本に定期参戦を果たし、タッグチームタイム・スプリッターズTIME SPLITTERS)」を結成する。10月8日、KING OF PRO-WRESTLINGにて、フーリガンズが保持するIWGPジュニアタッグ王座に挑戦するも、敗戦を喫する。

10月21日、11月2日、両日とも後楽園ホールで開催されたSUPER Jr. TAG TOURNAMENTにシェリーとのタッグで出場。一回戦で邪道 & 外道、準決勝でタイチ & TAKAみちのくを破り、決勝戦でApollo55プリンス・デヴィット & 田口隆祐)と対戦。合体技・I-94で田口からピンフォールを奪い、優勝を遂げる。11月11日、POWER STRUGGLEで、再びフーリガンズとのタイトルマッチに臨み、これに勝利。第34代IWGPジュニアタッグ王者に輝く。

2013年上半期は、ジュニアタッグ王座を巡ってフーリガンズと幾度となく対戦を重ねる。THE NEW BEGINNINGでは防衛に成功を収めるも、レスリングどんたくで敗北を喫し王座から陥落する。対戦成績を五分五分で迎え、DOMINION6.22で五度目の対戦を行ったが、コントラクトキラーで自身がピンフォール負け。負け越した状態で抗争は一時終結する。

2014年[編集]

2014年1月4日、レッスルキングダム8にて、ヤング・バックスマット・ジャクソン & ニック・ジャクソン)、フーリガンズ、タイチ & TAKA組を交えたIWGPジュニアタッグ選手権試合4WAYマッチにシェリーと共に出場。映画「バック・トゥ・ザ・フューチャー」に登場するタイムマシン「デロリアン」に乗り、同作品の主人公マーティ・マクフライが着用していたデニムジャケットダウンベストを着込んで入場した。

4月12日台湾大会において、石井智宏が保持するNEVER無差別級王座に挑戦したが、敗北を喫した。

5月、BEST OF THE SUPER Jr.に出場。5勝2敗という成績で予選を1位で通過し、決勝トーナメントに進出。6月8日、国立代々木競技場・第二体育館にて、準決勝戦でタイチを下し、決勝戦でリコシェと激突するも、最後はピンフォール負けを喫し、準優勝に終わった。

6月21日、DOMINION6.21にて、シェリーとのタッグでヤング・バックスの保持するIWGPジュニアタッグ王座に挑戦。これに勝利し、第38代IWGPジュニアタッグ王者に輝く。

7月4日、後楽園ホール大会のメインイベントで飯伏幸太の保持するIWGPジュニアヘビー級王座に挑戦。勝利を収め、第68代王者となり、ジュニアタッグと併せて二冠王に輝いた[7]

9月21日、DESTRUCTION in KOBEにて、IWGPジュニア王座の初防衛戦として田口隆祐と対戦するも、アンクルホールドでギブアップ負けを喫してしまい、王座から陥落する。11月8日、POWER STRUGGLEにて、ROHのレッドラゴン(カイル・オライリー&ボビー・フィッシュ組)を相手にIWGPジュニアタッグ王座の防衛戦に臨んだが、ピンフォール負けとなった。

2015年[編集]

バック・トゥ・ザ・フューチャー PART2の舞台が2015年であることから、入場コスチュームをマーティ・マクフライが2015年で着用したキャップと自動乾燥機能付きジャケットを模したものに変更した。

BEST OF THE SUPER Jr.にてブロック単独首位にて決勝に出場、決勝戦にてカイル・オライリーと死闘の末ホバーボードロックでギブアップを奪い悲願の初優勝を遂げた。

DOMINION7.5 大阪城ホールにてケニー・オメガのもつIWGP Jr. ヘビー級ベルトに挑戦。セコンドのヤングバックスに介入されたが、死闘の末ケニーの必殺技「片翼の天使」を切り返してホバーボードロックでギブアップを奪い、71代IWGP Jr.ヘビー級王者に輝いた。しかし9月23日、DESTRUCTION in OKAYAMA桃太郎アリーナで再びケニー・オメガとタイトルをかけ対戦、最後はセコンドのカール・アンダーソンの介入によるガン・スタンからケニー・オメガの片翼の天使でピンフォール負けを喫した。

2016年[編集]

1月4日、東京ドーム大会にてIWGP Jr.ヘビー級王者ケニー・オメガに挑戦し、前方回転エビ固めで見事勝利。第73代王者となり、ACHBUSHIウィル・オスプレイ獣神サンダー・ライガー、オスプレイ相手に防衛している。

8月、SUPER J-CUP2016に出場し、決勝において鈴木軍金丸義信を破って見事優勝した。

9月17日、BUSHIとのIWGPジュニアヘビー級王座戦でピンフォール負けを喫した。

10月11日、BUSHIのバッククラッカーにより試合中首を負傷、さらに試合後リング上にてSANADAのアシストによるパイプ椅子を挟んでのBUSHIのコード・ブレーカーを受け全く動くことが出来ず担架で運ばれる形になってしまった。

11月5日、IWGPジュニアヘビー級王座戦に勝利した。

獲得タイトル[編集]

IWGPジュニアヘビー級王座を腰に巻くKUSHIDA
新日本プロレス
その他

得意技[編集]

ホバーボードロック
現在のKUSHIDAのフィニッシュ・ホールド。2014年のBEST OF THE SUPER Jr.から使用。
コルバタの要領で相手に飛びついて、空中で相手の左腕を捕らえながら旋回し、ダウンを奪った相手をキムラロックで極める。
技名の由来は映画「バック・トゥ・ザ・フューチャー PART2」の作中で登場する「ホバーボード」から来ている。
ミッドナイト・エクスプレス
ムーンサルトプレスの要領で後方宙返り中に360°錐揉み回転を加えて腹部から体を浴びせていく。
SMASH所属選手時代より使用していたが、KUSHIDAの新日本プロレス移籍後は同団体に所属している内藤哲也スターダスト・プレスと被ってしまい、それを考慮して使用頻度を減らしていたというわけではないとKUSHIDAがPodcast『KUSHIDAのナイショ話』で話している。ホバーボードロック開発以前のフィニッシュ・ホールド。現在はタイトルマッチなど大一番でのみ使用している。
技名の由来は沢木耕太郎の著書『深夜特急』から来ている。
ムーンサルトプレス
上述のミッドナイト・エクスプレスへのフェイント技として使用しているが、フォールを奪うことは少ない。
その場飛び式で使用することもあり、タッグマッチの際には二人同時に押しつぶす型も存在している。
KUSHIDAがハッスルに所属していた頃は「超新星プレス」の名称でフィニッシャーとして使用していた。
9469
読みは「クシロック」。相手の背中に膝を置き体重をかけ、手で相手の首を反り上げる変形式のキャメルクラッチ。ミッドナイト・エクスプレスに代わるフィニッシュホールドとして使用していたが、TIME SPLITTERS結成後は殆ど使用されなくなった。
バズソーキック
中腰の相手の側頭部への回し蹴り。KUSHIDAの師であるTAJIRIの代名詞的な技。
ハンドスプリング・エルボー
相手にロープへ振られた際、ロープ直前でハンドスプリングし、両足にぶつかったロープの反動を生かして後方の相手に向かってバックエルボーを放つ。
これもKUSHIDAの師であるTAJIRIの得意とする技の一つでもある。
タッグマッチの際は、コーナーに控えている相手に対して倒立型で打撃を与えて場外へ追いやる型も使用する。
ブレーン・チョップ
主にタッグマッチ時に使用。パートナーからタッチを受け、トップロープ上でバウンドをつけながら相手の脳天に手刀を振りかざすスワンダイブ式を使用。
トペ・コン・ヒーロ
トップロープを掴んでから放つ一般的な形の他にトップコーナーから放っていく型も使用する。
ジャパニーズ・レッグロール・クラッチ・ホールド
KUSHIDAが最も使用するクイック技で、ピンフォールを奪うことも少なくない。
マサヒロ・タナカ
野球の投球フォームの形で振りかぶってのナックルパート。2015年5月に行われた新日本プロレスの北米遠征で初披露。
技名の由来は、KUSHIDAの顔がメジャーリーガーの田中将大に似ていることから。
打った後に何故か自分の拳を痛がる素振りを見せるが、もちろん反則である。
ジャパニーズレッグロールクラッチホールドwithジャーマンスープレックス
主にタッグマッチで使用。相手の一人にジャパニーズレッグロールクラッチを仕掛けながら、同時に他のもう一人の相手にジャーマン・スープレックスホールドを仕掛けて相手二人をフォールする大技。
ラ・ミスティカ
低空ドロップキック
腰を落としている相手に側転して側頭部に低空でドロップキックを放つ。

入場テーマ曲[編集]

  • KUSHIDA MAKES YOU ROCK
2012年1月 - 現在まで使用。作曲者はGEEKS
ビッグマッチやタイトルマッチでは、映画「バック・トゥ・ザ・フューチャー」のテーマソングを前奏に付けて入場する場合もある。
  • KEEP ON BURNING
新日本移籍後のテーマ曲。2011年6月 - 2011年12月まで使用。
新日本移籍前より使用していたテーマ曲。

脚注[編集]

  1. ^ KUSHIDA 6度目挑戦でついにジュニアの頂点に - 東京スポーツ・2015年6月8日
  2. ^ 東京スポーツ 2010年12月16日付 6面「プロレス応援団長 柴田惣一のズバリ直撃!」
  3. ^ KUSHIDAです! - プロレスラーKUSHIDAのレスリング浪漫飛行・2009年4月22日
  4. ^ MANHATTAN DROP:KUSHIDA vs ヘリオス
  5. ^ “インディーの帝王”サブゥーが3.18参戦、地獄の使徒退治だ=SMASH (1/2) KUSHIDAが新日本に円満移籍、大森はFCF総帥に轟沈”. スポーツナビ. 2011年2月25日閲覧。
  6. ^ KUSHIDAの“新日本入団会見”にTAJIRI&酒井代表も出席! 3.18SMASH後楽園には棚橋が来場!!”. 新日本プロレス公式サイト. 2011年3月8日閲覧。
  7. ^ 試合中に脳しんとうを起こした飯伏が王座陥落!KUSHIDAがジュニア二冠王に”. Yahoo!ニュース. 2014年7月4日閲覧。

外部リンク[編集]