NWAインターナショナル・ジュニアヘビー級王座

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NWAインターナショナル・ジュニアヘビー級王座NWA International Junior Heavyweight Championship)は、かつてNWA内の反主流派と呼ばれたプロモーターが設立した王座で、当初は新日本プロレスが管理していた。その後 全日本プロレスに管理権が移り、全日本プロレスのフラッグシップタイトルである世界ジュニアヘビー級王座の前身でもある。

概要[編集]

誕生 - 新日本プロレス時代[編集]

元々はNWA認定インターナショナル世界ジュニアヘビー級選手権の名称で、新日本プロレスの藤波辰巳1980年2月1日札幌にてスティーブ・カーンとのダブルタイトルマッチを制して王座を奪取した。テレビ中継『ワールドプロレスリング』においては『NWA世界ジュニアヘビー級インターナショナル選手権』と紹介され、新日本プロレスに定着したものである[1][2][3]

当時NWA世界ジュニアヘビー級王座は、オクラホマ州のプロモーターであったレロイ・マクガークに管理が一任されていたため、マクガークの興行テリトリー以外ではタイトルマッチが中々組めない状況であった上、マクガークによる王座の専有が問題とされていた。そのため、新日本プロレスを始めとする一部のプロモーターたち(WWFビンス・マクマホンフロリダエディ・グラハムロサンゼルスのマイク・ラベールら当時のNWAにおいて『反主流派』と呼ばれていたプロモーター)が連携し、NWA世界ジュニアヘビー級王座と同等のタイトルを設立計画立てる。1979年、当時の王者であったネルソン・ロイヤルの引退に伴い、反主流派は同年12月10日、ロサンゼルスにてスティーブ・カーンとチャボ・ゲレロの間でNWA世界ジュニアヘビー級王座の決定戦を行い、チャボを下したカーンを新王者に認定するが、これに異を唱えたマクガークも1980年2月11日にオクラホマで王座決定トーナメントを決行し、ロン・スターを新王者に認定したため、一時期、2つの『NWA世界ジュニアヘビー級王座』が混在するなどの事態を招いたが、最終的にはマクガーク版のタイトルの正当性が認められ、反主流派が新設したタイトルはNWA認定インターナショナル世界ジュニアヘビー級王座としてマクガーク版の正統王座に次ぐジュニアヘビー級王座として認定されることになった。

1980年2月1日札幌にて、WWFジュニアヘビー級王者だった藤波はカーンとのダブル・タイトル戦を制し、NWAインターナショナル世界ジュニアヘビー級王座と WWFジュニアヘビー級王座のジュニアヘビー級二冠王者に輝く。しかし、同年7月に負傷(右手小指骨折)のためNWA王座を返上[2]。同年7月2日北九州にて ブレット・ハートとの王座決定戦に勝利した木村健吾が新王者に君臨するも、同年10月 チャボ・ゲレロにタイトルを明け渡す。

全日本プロレスへ[編集]

チャボ・ゲレロは1981年8月、この王座と共に全日本プロレスへ参戦(当時の新日と全日は外人引き抜き合戦の真っ只中だった)。そのチャボから1982年3月7日、ノースカロライナ州シャーロッテで大仁田厚が同タイトルを奪取したことで、今度は全日に定着、王座の管理も全日が実施するようになった。

しかし、1982年7月30日の川崎市体育館で行われた大仁田対チャボの同選手権試合で、チャボが放ったジャーマンスープレックス・ホールドについて「両者の肩がマットについたダブル・ピンフォールにより大仁田の防衛」という裁定が下ったことから紛糾し、タイトルはNWA本部預かりに。

同年8月30・31日の2日間、プエルトリコサンフアンで開催されたNWA総会において「NWAはファンに迷いを与えてしまっている現状を踏まえ、管理の杜撰な現在のジュニア・ヘビー級王座をすべて破棄し、新たに『世界』を外したNWAインターナショナル・ジュニアヘビー級王座を設ける。このインター・ジュニア王座の管理・運営はインターナショナル・ヘビー級王座インターナショナル・タッグ王座の他の2つのインター王座と共に、今後は半永久的にPWFと全日本プロレスに一任する」(総会に出席したジャイアント馬場談)といった決定がなされる[4][5]

ところが同時期に、既に新日本プロレスでタイガーマスク(初代)がNWA世界ジュニアヘビー級選手権をレス・ソントンから奪取し[6]、王者として防衛活動を行っていたため物議を醸すこととなり、後日「ワールドプロレスリング」の生中継(1982年9月17日放送分)において、実況アナウンサーの古舘伊知郎が、「一部のマスコミにおいてNWAのジュニアヘビー級に関する管理・運営の全てが全日本プロレスに任された云々という報道があった」と前置きしつつ、「NWA総会の議事録」という書類を片手に、事情説明を行った。

これはまず「NWAのタイトル委員会は、現在のジュニアヘビー級王者をタイガーマスクと、正式に認定している。さらにタイトル委員会は『タイガーマスクは優れた、(実力が)際立った選手である。改めて推薦する』とコメントしている」と弁明、さらにはまた「誤った報道を心配したジム・バーネット氏からも新日本プロレスにテレックスが届いている」「今回のNWA総会にも出席した新間寿氏は、『全日本の保持する“インターナショナル・ジュニアヘビー級王座”は、全日本固有のタイトルに過ぎない。しかし、タイガーマスクの持つ王座は、NWAが(直轄の形で)認定する世界ジュニアヘビー級王座である』とコメントしている」としたうえ、「よって、現在タイガーマスクの持つNWA世界ジュニアヘビー級王座こそが、NWAの正統の系譜である」と結論付けたもので、これで事態はますます混迷化する。

結局これは、全日本がNWA世界ジュニアヘビー級王座の存在を“容認”するという形で落着した。

全日本プロレス第3のインターナショナル王座 - 世界ジュニアヘビー級王座へ[編集]

ベルトのデザインをインターナショナル・ヘビー級王座、インターナショナル・タッグ王座の先代両インター王座のベルトを足して2で割ったようなデザインに変更し(2017年まで使用された、世界ジュニアヘビー級王座の初代ベルトがそれである)、名称も世界とインターナショナルが混合していた前身からNWA認定インターナショナル・ジュニアヘビー級選手権として新装なった同タイトルは、NWA本部の指令により大仁田とチャボとの間で「新王者決定三番勝負」が行われ、1戦目はチャボのフライング・ボディアタックをキャッチした大仁田がそのままバック・フリップ・ホールドを決め勝利。2戦目はチャボが豪快なジャーマン・スープレックスを決め勝利。3戦目は大仁田が逆さ押さえ込みで勝利し、2勝1敗と勝ち越した大仁田が新王者に輝いている。

その後、王者であった大仁田が膝を負傷し王座を返上。空位となった王座をトーナメント戦で制したチャボが再び王座に返り咲き、その後マイティ井上 - ダイナマイト・キッド - 小林邦昭と王座が移動し、小林を破ったタイガーマスク(二代目)がヘビー級転向のため1986年3月王座を返上、そのまま王座は一旦封印された後、同年7月世界ジュニアヘビー級選手権として生まれ変わることになる。

その他のインターナショナル王座[編集]

現在ZERO1インターナショナルジュニアヘビー級王座天龍プロジェクトインターナショナルジュニアヘビー級王座、メキシコにNWAインターナショナル・ジュニアヘビー級王座[7]と名乗るタイトルがそれぞれ存在しているが、どれも上記王座の復活や継承ではなく、まったくの別王座である[8]

歴代王者[編集]

歴代数 レスラー 防衛回 獲得日付 獲得した場所(対戦相手、その他)
初代 スティーブ・カーン 0 1979年12月 チャボ・ゲレロとの王座決定戦に勝利。
第2代 藤波辰巳 0 1980年2月1日 札幌
第3代 マイク・グラハム 0 1980年2月15日 カリフォルニア州ハリウッド
第4代 藤波辰巳 2 1980年4月14日 川崎
6月、負傷のため王座返上
第5代 木村健吾 1 1980年7月2日 北九州
第6代 チャボ・ゲレロ ? 1980年10月3日 東京
第7代 ジノ・ヘルナンデス ? 1981年2月27日 テキサス州ヒューストン
第8代 チャボ・ゲレロ ? 1981年5月22日 テキサス州ヒューストン
第9代 大仁田厚 0 1982年3月7日 ノースカロライナ州シャーロッテ
第10代 サングレ・チカナ 0 1982年4月11日 グアダラハナ
第11代 大仁田厚 2 1982年4月30日 メキシコシティ
7月30日のチャボ・ゲレロ戦後王座預かりに。
8月のNWA総会にてNWAインターナショナル・ジュニアヘビー級王座として改称される。
第12代 大仁田厚 2 1982年11月4日 東京
チャボ・ゲレロとの王座三番勝負に勝ち越し。1983年4月、負傷のため王座返上
第13代 チャボ・ゲレロ 3 1983年5月26日 天竜
新王者決定トーナメントの決勝にてウルトラセブンに勝利
第14代 マイティ井上 6 1984年2月26日 大阪
第15代 ダイナマイト・キッド 0 1985年6月8日 高松
第16代 小林邦昭 4 1985年6月30日 古河
第17代 二代目タイガーマスク 1 1985年8月31日 東京
1986年3月、ヘビー級転向のため王座返上

主な記録[編集]

  • 最多戴冠記録:3回 - チャボ・ゲレロ(6, 8, 13代)、大仁田厚(9, 11, 12代)
  • 最多連続防衛:6回 - マイティ井上
  • 最多通算防衛:6回 - チャボ・ゲレロ?

脚注[編集]

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  1. ^ 「別冊ゴング 昭和55年11月号」P42他(1980年、日本スポーツ出版社
  2. ^ a b 「1945-1985 激動のスポーツ40年史(6)プロレス 秘蔵写真で綴る激動史」P162、P193(1986年、ベースボール・マガジン社
  3. ^ [1]
  4. ^ 月刊ビックレスラー 1982年11月号・P159他 (立風書房
  5. ^ 月刊デラックスプロレス 1982年11月号・P106 ジャイアント馬場インタビュー (ベースボール・マガジン社)
  6. ^ [2]
  7. ^ 2007年3月、メキシコで行われたトーナメントで新日本プロレスの後藤洋央紀が王者となり、その後ウルティモ・ドラゴンが王座を奪取するが、王者としてさしたる防衛戦も行わないまま王座が宙に浮いた存在となり、2012年5月にメキシコで王座決定戦が行われ、ウルティモ・ドラゴンが再び王者となっている。
  8. ^ ウルティモ・ドラゴンが王者となったタイトルは「NWAが認めるインターナショナル王座」という範疇でなら王座の継承もしくは復活ともとれるが(実際にウルティモ・ドラゴンサイドでは復活王座と主張している)、この王座は本来の管理者であった全日本プロレスは関わっておらず、認定もしていないので、別王座と考えた方が良い。

関連項目[編集]

外部リンク[編集]