インターナショナル・タッグ王座

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
移動先: 案内検索

インターナショナル・タッグ王座(エヌダブリューエーインターナショナル・タッグおうざ)は、かつてNWAが認定、日本プロレスが管理し、その後PWF全日本プロレス)に管理権が移ったフラッグシップタイトルである。テレビ中継などでは「インター・タッグ王座」「インター・タッグ選手権」などと略されて呼称されることもあった[1]

現在は世界タッグ王座を構成する2本のベルトのうちの一つである。かつてはAWA世界タッグ王座WWWF世界タッグ王座とともに、「三大世界タッグタイトルの一つ」とも称された[2]

概要[編集]

フリッツ・フォン・ゲーリング&マイク・パドーシスが、1966年9月の日本プロレス参戦前に王者チームとして認定された(初代王者チームはアル・コステロ&ロイ・ヘファーナンファビュラス・カンガルーズで、ゲーリング&パドーシスは第6代王者とされるが、ゲーリング組が来日するまでの変遷はフィクションと見られている)[3]。同年11月5日にジャイアント馬場&吉村道明がゲーリング&パドーシスを破って王座について以来、日本を代表するタッグベルトとして幾多の名勝負を生んだ。

歴代王者には馬場とアントニオ猪木BI砲)、坂口征二(東京タワーズ)、ジャンボ鶴田(BJ砲)のコンビや、ディック・ザ・ブルーザー&クラッシャー・リソワスキーザ・ファンクス大木金太郎&キム・ドクタイガー・ジェット・シン&上田馬之助ロード・ウォリアーズ、鶴田&天龍源一郎鶴龍コンビ)、長州力&谷津嘉章などの名コンビが名を連ね、挑戦者チームも、フリッツ・フォン・エリック&ワルドー・フォン・エリック(フォン・エリック・ブラザーズ)、スカル・マーフィー&ブルート・バーナードダスティ・ローデス&ディック・マードックジ・アウトローズ)、キング・イヤウケア&ブル・ラモス(ザ・タイクーンズ)、アブドーラ・ザ・ブッチャー&キラー・トーア・カマタスタン・ハンセン&ブルーザー・ブロディミラクルパワーコンビ)、ミル・マスカラス&ドス・カラス(マスカラス・ブラザーズ)、マイケル・ヘイズ&テリー・ゴディファビュラス・フリーバーズ)などプロレス史上に残るタッグチームや、ハンス・シュミット&バディ・オースチンマッドドッグ・バション&キラー・カール・コックスジン・キニスキー&ジョニー・バレンタインブルーノ・サンマルチノ&キラー・コワルスキービル・ロビンソン&ワフー・マクダニエルといった即席ながら強豪外国人同士のドリーム・チームまで、幾多の名レスラー・名コンビの名前が並んでいる。大木金太郎&キム・ドクの戴冠時には、当時の国際プロレスの最強コンビだったラッシャー木村&グレート草津も挑戦した[4]

馬場&吉村の王座獲得から1973年4月までは日本プロレスの管理下にあったが、日本プロレス崩壊後の1973年5月から1975年2月まではザ・ファンクスがタイトルを保持し、本拠地のテキサス州アマリロや全日本プロレスにおいて防衛戦を行っていた(アマリロでは、1974年に馬場&パク・ソンザ・ブラックジャックスの挑戦を受けている[5][6])。1975年2月5日、テキサス州サンアントニオで馬場&鶴田がファンクスを破って王座を奪取、以降は全日本プロレスのフラッグシップ・タッグタイトルとなった。1982年8月30・31日にプエルトリコサンフアンで行われたNWA総会では「NWAは東洋シェアでの実績と信用を評価し、インターナショナル・ヘビー級王座、インターナショナル・タッグ王座、インターナショナル・ジュニアヘビー級王座の3つの王座は、今後はPWFと全日本プロレスに半永久的に管理および運営を一任する」(総会に出席した馬場・談)という決定がなされ[7][8]、NWAから全日本プロレスに管理権を委託したことが正式に発表された。

1988年、インターナショナル・タッグ王者のロード・ウォリアーズとPWF世界タッグ王者の鶴田&谷津の間で統一戦が行われ、鶴田組が勝ったことにより両王座は世界タッグ王座として統一された。

歴代王者(日本定着後)[編集]

歴代数 王者チームのレスラー 防衛回 獲得日付 獲得した場所(対戦相手・その他)
第7代 ジャイアント馬場&吉村道明 6回 1966年11月5日 東京蔵前国技館
第8代 ビル・ワット&ターザン・タイラー 0回 1967年10月6日 福島市・福島県体育館
第9代 ジャイアント馬場&アントニオ猪木 0回 1967年10月31日 大阪市大阪府立体育館 BI砲の初タイトル
第10代 ジャイアント馬場&アントニオ猪木 11回 1968年2月3日 東京大田区体育館
1月の広島での初防衛戦の際に猪木がで会場入りできず王座空位になり、
2度目の決定戦でクラッシャー・リソワスキー&ビル・ミラーを破ってBI砲が王座復帰
第11代 ウィルバー・スナイダー&ダニー・ホッジ 0回 1969年1月9日 広島市広島県立体育館
第12代 ジャイアント馬場&アントニオ猪木 4回 1969年2月4日 札幌市札幌中島スポーツセンター
第13代 ディック・ザ・ブルーザー&クラッシャー・リソワスキー 0回 1969年8月11日 札幌市・札幌中島スポーツセンター
第14代 ジャイアント馬場&アントニオ猪木 14回 1969年8月13日 大阪市・大阪府立体育館
第15代 ドリー・ファンク・ジュニア&テリー・ファンク 1回 1971年12月7日 札幌市・札幌中島スポーツセンター BI砲最後のタイトル戦
第16代 ジャイアント馬場&坂口征二 2回 1972年5月19日 アメリカ合衆国ロサンゼルス
第17代 大木金太郎&坂口征二 1回 1972年12月2日 東京・蔵前国技館
馬場が日本プロレス退団により王座返上。
決定戦でジン・キニスキー&ボボ・ブラジルを破る
第18代 ジョニー・バレンタイン&キラー・カール・クラップ 0回 1973年2月23日 大阪市・大阪府立体育館
第19代 大木金太郎&上田馬之助 0回 1973年3月6日 名古屋市愛知県体育館
第20代 フリッツ・フォン・エリック&キラー・カール・クラップ 0回 1973年4月18日 焼津市・焼津市民体育館
第21代 キラー・カール・クラップ&カール・フォン・スタイガー 0回 1973年4月 エリックの王座返上により新パートナーを指名
第22代 ドリー・ファンク・ジュニア&テリー・ファンク 3回以上 1973年5月26日 アメリカ合衆国・テキサス州アマリロ
第23代 キラー・カール・コックス&サイクロン・ネグロ 不明 1973年8月29日 アメリカ合衆国・テキサス州ラボック
第24代 ドリー・ファンク・ジュニア&テリー・ファンク 3回以上 1973年9月26日 アメリカ合衆国・テキサス州ラボック
第25代 ジャイアント馬場&ジャンボ鶴田 12回 1975年2月5日 アメリカ合衆国・テキサス州サンアントニオ
第26代 大木金太郎&キム・ドク 0回 1976年10月28日 東京・蔵前国技館
第27代 ジャイアント馬場&ジャンボ鶴田 2回 1976年12月9日 東京・日大講堂
第28代 大木金太郎&キム・ドク 4回 1977年11月7日 大韓民国ソウル
第29代 ジャイアント馬場&ジャンボ鶴田 9回 1978年5月11日 大阪市・大阪府立体育館
第30代 アブドーラ・ザ・ブッチャー&レイ・キャンディ 0回 1979年10月12日 旭川市旭川市体育館
第31代 ジャイアント馬場&ジャンボ鶴田 19回 1979年10月19日 郡山市郡山総合体育館
第32代 スタン・ハンセン&ロン・バス 0回 1983年4月12日 松山市・愛媛県民館
第33代 ジャイアント馬場&ジャンボ鶴田 1回 1983年4月17日 長崎市長崎国際体育館
第34代 タイガー・ジェット・シン&上田馬之助 0回 1983年7月26日 福岡市福岡スポーツセンター
第35代 ジャイアント馬場&ジャンボ鶴田 4回 1983年8月1日 東京・後楽園ホール
第36代 ジャンボ鶴田&天龍源一郎 6回 1984年9月3日 広島市・広島県立体育館
馬場が負傷のため1984年5月に王座返上。
ブルーザー・ブロディ&クラッシャー・ブラックウェルを破り新王者に。
第37代 長州力&谷津嘉章 8回 1986年2月5日 札幌市・札幌中島体育センター
第38代 ジャンボ鶴田&天龍源一郎 0回 1987年2月5日 札幌市・札幌中島体育センター
第39代 ロード・ウォリアーズ 2回 1987年3月12日 東京・日本武道館
第40代 ジャンボ鶴田&谷津嘉章 0回 1988年6月10日 東京・日本武道館
鶴田&谷津が保持していたPWF世界タッグ王座と統一、世界タッグ王座となる

関連項目[編集]

脚注[編集]

[ヘルプ]
  1. ^ 尚、東京スポーツでは「インタタッグ王座」と略されて記載されていた。
  2. ^ 月刊ビッグレスラー 1982年10月号 『日本のプロレスと共に歩んだ栄光のインタータッグ』(立風書房
  3. ^ NWA International Tag Team Title”. Wrestling-Titles.com. 2015年5月31日閲覧。
  4. ^ インターナショナル・タッグ選手権”. Rodmann's Pro-Wrestling Site. 2013年10月12日閲覧。
  5. ^ The Amarillo match fought by Pak Song in 1974”. Wrestlingdata.com. 2014年9月7日閲覧。
  6. ^ The Amarillo match fought by Jack Lanza in 1974”. Wrestlingdata.com. 2014年9月7日閲覧。
  7. ^ 月刊ビックレスラー 1982年11月号・P159他 (立風書房
  8. ^ 月刊デラックスプロレス 1982年11月号・P106 ジャイアント馬場インタビュー (ベースボール・マガジン社)

外部リンク[編集]