ミラクルパワーコンビ

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ハンセンとブロディのミラクルパワーコンビ

ミラクル・パワーコンビThe Miracle Power Combination)は、プロレスラースタン・ハンセンブルーザー・ブロディによるタッグチームの通称である。この他、超獣コンビとも呼ばれる。まれに全日本プロレス中継アナウンサーが、「超ミラクルパワーコンビ」「超ミラクル野獣パワーコンビ」と「超」をつけて呼称したこともある。

概要[編集]

結成[編集]

若手時代のブロディがまだ本名のフランク・グーディッシュを名乗っていた1974年8月、オクラホマルイジアナなどのアメリカ中南部を拠点としていたNWAトライステート地区にて初結成。当時、同地区はエース・レスラーのビル・ワットがチーフ・ブッカーを兼任しており、ワットの右腕だったバック・ロブレイが彼らのマネージャーを務めていた。ロブレイは日本での再結成当初も両者のマネージャーとなっている[1]

ブロディとハンセンはそれぞれウエスト・テキサス州立大学アメリカンフットボール出身の先輩・後輩であり、親友でもある。1974年10月10日には同地区認定のUSタッグ王座を獲得[2]しているが、これは両者にとって初タイトルであった。翌1975年7月にダニー・ホッジ&ジェイ・クレイトンに敗れ王座を失った後、二人はコンビを解消して別々のテリトリーを転戦[1]

以後、両者は1976年下期にWWWFで再びタッグを組み、イワン・プトスキー&ケビン・サリバンチーフ・ジェイ・ストロンボー&ビリー・ホワイト・ウルフボボ・ブラジル&S・D・ジョーンズなどのチームと対戦している[3]。しかし、当時は同じヒール陣営のジ・エクスキューショナーズ(1号=キラー・コワルスキー、2号=ビッグ・ジョン・スタッド)がWWWF世界タッグ王座に就いていたためタッグタイトルに挑戦することはなく、それぞれWWWFヘビー級王者ブルーノ・サンマルチノの挑戦者としてシングルプレイヤーとなって活動し、本格的なタッグチームを結成していたわけではなかった。

その後は1979年4月21日、古巣トライステート地区のルイジアナ州ニューオーリンズにて、トニー・アトラス&チャーリー・クックと対戦、反則負けを喫している[1]。以降、ハンセンは新日本プロレス、ブロディは全日本プロレスの看板外国人レスラーとなり、アメリカでの主戦場も異なったため再結成が実現することはなかった。

日本デビュー[編集]

本格的にこのコンビが売り出されたのは1981年末、新日本プロレスによるアブドーラ・ザ・ブッチャー引き抜きの報復として全日本プロレスがハンセンを引き抜き、年末の世界最強タッグ決定リーグ戦の最終戦に登場させたことに端を発する。この最強タッグにはブロディはジミー・スヌーカとのコンビで参戦、最終戦ではザ・ファンクスとの優勝決定戦が行われ、ハンセンはブロディ&スヌーカのセコンドとして登場。試合終盤、テリー・ファンクに場外でウエスタン・ラリアットを放ち、ブロディ組の優勝に貢献した。

その後、その師匠格でもあるファンクスに対して「テキサスの化石になれ」と宣戦布告し(外国人トップの世代交代を迫る意味合いもあった)、1982年より二人は本格的にタッグを組むことになる。以降、ジャイアント馬場&ジャンボ鶴田の師弟コンビ、鶴龍コンビ、ファンクス、タイガー・ジェット・シン&上田馬之助リッキー・スティムボート&ジェイ・ヤングブラッド、マスカラス・ブラザーズ(ミル・マスカラス&ドス・カラス)、ハイ・フライヤーズ(グレッグ・ガニア&ジム・ブランゼル)、ハーリー・レイス&ニック・ボックウィンクルブリティッシュ・ブルドッグスダイナマイト・キッド&デイビーボーイ・スミス)などのチームと対戦したが、彼らの強さは抜きんでていた。全日本の看板タッグ王座であるインターナショナル・タッグ王座には再結成直後の1982年4月に挑戦し、馬場・鶴田の王者コンビは完全に圧倒され、防戦一方でかろうじて両者リングアウト防衛、これ以降二度とミラクルパワーコンビが同王座に挑戦することはなかった。

世界最強タッグの戦績は、1982年はファンクスに反則負けで敗れるものの、1983年に初優勝。1984年は鶴龍コンビに次ぐ準優勝。しかも彼らの黒星はほとんどが反則負けによるものであった。1984年4月には新設されたPWF世界タッグ王座の初代王者決定リーグ戦で優勝[4]。最終戦で馬場&ドリー・ファンク・ジュニア組を破った時に馬場をツープラトンのパイルドライバーKO、馬場は翌日の試合を欠場し、デビュー以来の無欠場記録が3711試合でストップしている。

コンビ再結成が軌道に乗ってからはプエルトリコカルロス・コロン主宰のWWC)でも活動し、1984年にコロン&アブドーラ・ザ・ブッチャーと抗争した。

解散[編集]

1984年末、全日本プロレスが新日本プロレスを退団した長州力らにより設立されたジャパンプロレスと業務提携したため、主力外国人によるメインイベントが減少化の傾向にあったこと、また初来日のロード・ウォリアーズが自分より厚待遇だったことなどに不信感を抱いたブロディは、1985年3月に全日本プロレスを離脱して新日本プロレスに移籍。翌月末、ハンセンとブロディはオーストラリアに遠征してロン・ミラー&マーク・ヤングブラッドなどのチームと対戦しているが[1]、同年をもってミラクルパワーコンビは事実上の解散となった。

後にブロディは全日本プロレスに復帰するが、1987年の最強タッグでは、ハンセンはテリー・ゴディ、ブロディはジミー・スヌーカをパートナーに別チームとしての参加であった。翌年7月にブロディが急死したことで、1987年最強タッグ公式戦での双方のチームによるタッグマッチが、日本における最初で最後の両者の対戦となった(アメリカでは1983年2月7日、ジョージア・チャンピオンシップ・レスリングウェストバージニア州チャールストンでの興行にて、ハンセンはトミー・リッチ、ブロディはバズ・ソイヤーと組んでタッグマッチで対戦し、引き分けている[5])。

なお、このチームは日本マットでピンフォール負けしたことは一度もない。

エピソード[編集]

  • ジャイアント馬場は生前、「ディック・ザ・ブルーザー&クラッシャー・リソワスキー組より超獣コンビの方が上、プロレスが生誕して以来史上最強のタッグチーム」と評していた[6]
  • ライバルであるジャンボ鶴田は、ミラクルパワーコンビとロード・ウォリアーズのどちらが強かったかというファンからの質問に対して、ミラクルパワーコンビの方が強かったと答えている[7]。また、当のブロディ、ハンセンはシングルプレイヤーとしても突出している自分たちと、タッグチームとしてのみ存在価値を持っているロード・ウォリアーズでは比較にならないとコメントすることが多かった[要出典]。また天龍源一郎も「ミラクルパワーコンビはレスリングも出来たし、30分、1時間といった試合も十分こなせた。現にブロディは猪木さんと60分やっている。だがウォリアーズにはそれは出来なかっただろう」と語っている[8]
  • 日本におけるこのコンビの入場テーマ曲はハンセンの「サンライズ」とブロディの「移民の歌」を合体(何度も交互に流れるように編集)させたものであり、「ミラクルパワーコンビのテーマ」「超獣コンビのテーマ」などと呼ばれた。また、二人とも同格であるということを意識して、リング・アナウンサーによる選手紹介の順番は必ず日替わりでどちらかが先に呼ばれることになっていた(通常、タッグでは最後に紹介される選手がチームリーダーであることが慣例)。
  • ミラクルパワーコンビの試合を数多く裁いたレフェリージョー樋口小佐野景浩などの関係者によると、大学の先輩でありアメリカマットでの序列も上だったブロディがこのコンビの指令塔だったという[9]。だがブロディは親友であるハンセンの「ウエスタン・ラリアット」の方が自分の「キングコング・ニー・ドロップ」より知名度は上と認めており、フィニッシュをハンセンに譲ることが多かった。
  • 全日本プロレスでは、1988年8月に開催した日本武道館大会の対戦カードを一般から募集しており、シングルで1位となったのが「ハンセン対ブロディ」であったが、ブロディ急逝により幻となった。代替としてハンセンは、アブドーラ・ザ・ブッチャー一騎討ちをおこなった。ブッチャーはブロディ同様のチェーンを帯同し入場、ハンセンはミラクルパワーコンビのテーマで入場した。ハンセンの入場テーマである「サンライズ」からブロディの入場テーマであった「移民の歌」にチェンジした瞬間、場内にブロディコールが爆発した。なお、来賓として、ブロディ夫人と息子が来日し、リングで挨拶も行った。

獲得タイトル[編集]

NWAトライステート
  • NWA USタッグ王座(トライステート版):2回(1974年10月10日にジョニー・イーグルズ&テリー・ラザン、1975年2月9日にボブ・スウィータン&プリンス・タプーを破り戴冠)[2]
全日本プロレス

脚注[編集]

  1. ^ a b c d 『Gスピリッツ Vol.18』P22-23(2010年、辰巳出版ISBN 4777808661
  2. ^ a b NWA United States Tag Team Title: Tri-State version”. Wrestling-Titles.com. 2012年1月3日閲覧。
  3. ^ WWE Yearly Results 1976”. The History of WWE. 2010年6月16日閲覧。
  4. ^ a b PWF World Tag Team Title”. Wrestling-Titles.com. 2012年8月26日閲覧。
  5. ^ GCW at Charleston 1983/02/07”. Wrestlingdata.com. 2014年9月9日閲覧。
  6. ^ バップビデオ ジャイアント馬場 ザ・ベスト・オブ・ザ・ベスト VOL.5 ~スタン・ハンセン、ブルーザー・ブロディ組~
  7. ^ 週刊ゴング 平成15年3月22日増刊号 プロレスBESTタッグチーム「名勝負100」
  8. ^ プロレススーパースター列伝」講談社漫画文庫版10巻の巻末インタビュー、P294
  9. ^ 『Gスピリッツ Vol.17』P49(2010年、辰巳出版、ISBN 4777808297