バディ・オースチン

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バディ・オースチン
プロフィール
リングネーム "キラー" バディ・オースチン
フランシス・ガボール
本名 オースティン・ウェズリー・ロジャーズ
ニックネーム 狂犬
身長 188cm
体重 118kg(全盛時)[1]
誕生日 1930年2月27日[2]
死亡日 (1981-08-12) 1981年8月12日(満51歳没)[2]
出身地 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
カリフォルニア州の旗 カリフォルニア州
サンフランシスコ[1]
デビュー 1956年[2]
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"キラー" バディ・オースチン"Killer" Buddy Austin、本名:Austin Wesley Rogers1930年2月27日 - 1981年8月12日[2]は、アメリカ合衆国プロレスラー。生年は1926年1928年1933年など諸説ある[1]

ドリル・ア・ホール・パイルドライバーの名手として知られ、この技で1956年にアル・スミス、1957年にジョージ・サイモンという2人の対戦相手を死亡させたとして「キラー(殺し屋)」の異名が付けられたが[1]、このリング禍は虚構であり、実際にはそのような事故は起きていない[2]

来歴[編集]

昭和期からの日本におけるプロフィールでは、ハイスクール時代にボクシングを始め[3]海軍時代にレスリングの太平洋チャンピオンとなり、除隊後はボクサーとしてAAUにも出場した、などとされている[1]

1956年1954年ともされる[1])のデビュー後は、フランシス・ガボールFrancis Gabor)と名乗り、ジョン・ガボールことフリッツ・フォン・ゲーリングとのガボール・ブラザーズで東部地区にて活動[2]ヒールの偽兄弟タッグとして、1960年にはWWEの母体であるニューヨークのキャピトル・レスリング・コーポレーションにて、レッド・バスチェン&ルー・バスチェン、マーク・ルーイン&ドン・カーティス、ベアキャット・ライト&スウィート・ダディ・シキなどの人気チームと対戦した[4]

チーム解散後、バディ・オースチンBuddy Austin)と改名し、フロリダではハンス・シュミットとのタッグなどで活動[5]中西部地区では 1961年サニー・マイヤースターザン・タイラーNWAセントラル・ステーツ・ヘビー級王座を争った[6]

1963年にはキャピトル・レスリング・コーポレーションの後継団体WWWFに登場し、バディ・ロジャースの保持していたWWWF世界ヘビー級王座に何度となく挑戦[7]。3月7日にはグレート・スコットと組んでロジャース&ジョニー・バレンドからUSタッグ王座を奪取[8]ベビーフェイスのポジションでスカル・マーフィー&ブルート・バーナードの凶悪コンビなどをチャレンジャーチームに防衛戦を行った[9]。王座陥落後の1963年下期からはヒールに戻り、第2代WWWF世界ヘビー級王者のブルーノ・サンマルチノにも再三挑戦している[10][11]

1960年代後半はロサンゼルスWWAを主戦場に活動。1966年8月5日にペドロ・モラレス、同年9月16日にボボ・ブラジル1967年8月25日にアイアン・マイク・デビアスを下し、WWA世界ヘビー級王座を通算3回に渡って獲得した[12]。WWAではフレッド・ブラッシーとの金髪コンビでも活躍し、1967年10月20日にモラレス&ビクター・リベラを破りWWA世界タッグ王座にも戴冠している[13]

WWA崩壊後は各地を転戦し、1969年4月16日にはハワイリッパー・コリンズと組んでニック・ボックウィンクル&ボビー・シェーンからNWAハワイ・タッグ王座を、同年12月26日にはオーストラリアにてキング・イヤウケアをパートナーにスパイロス・アリオン&マリオ・ミラノからIWA世界タッグ王座をそれぞれ奪取している[14][15]。キャリア末期となる1970年代初頭は古巣の中西部地区で活動し、1971年6月11日にボブ・オートンと組んでNWA北米タッグ王座を獲得した[16]

1981年8月12日、心臓発作のため死去[2]。51歳没。晩年はキリスト教ミニスターに転じていた[2]

日本での活躍[編集]

1962年4月、日本プロレスの『第4回ワールドリーグ戦』に初来日[17]。残留参戦した6月の選抜シリーズではマイク・シャープをパートナーに、6月4日に大阪府立体育館にて力道山&豊登からアジアタッグ王座を奪取した[18]。以降も日本プロレスの常連外国人選手となり、1963年秋の再来日では11月5日に同所で力道山のインターナショナル・ヘビー級王座に挑戦[19]したほか、力道山の最後の試合となった6人タッグマッチでの対戦相手にもなっている(12月7日、浜松市体育館における力道山、グレート東郷吉村道明組vsオースチン、ザ・デストロイヤー、イリオ・デ・パオロ組)[1][20]。同年12月15日に力道山が死去した際にも日本に滞在しており、そのまま日本で年を越し、追悼試合および日本プロレスの新体制発足第1戦のメインイベントに出場した[1][21]

1967年2月の来日では、2月7日に札幌中島スポーツセンターにて、新王者ジャイアント馬場のインターナショナル・ヘビー級王座に挑戦[22]。1971年9月開幕の『第2回NWAタッグ・リーグ戦』にはキラー・コワルスキーとのコンビで出場し、アントニオ猪木&坂口征二と決勝を争った[23]1972年9月には国際プロレスに初参戦。ストロング小林IWA世界ヘビー級王座挑戦は同時参加していたビル・ロビンソンに譲ったものの、ビル・ドロモと組んで小林&グレート草津IWA世界タッグ王座に挑戦し、金網デスマッチにも出場して小林や草津、ラッシャー木村と対戦[24][25]。これが最後の来日となった(日本には残留参戦を含めて通算7回来日)[26]

得意技[編集]

獲得タイトル[編集]

チャンピオンシップ・レスリング・フロム・フロリダ
  • NWA南部ヘビー級王座(フロリダ版):1回[27]
NWAビッグタイム・レスリング
  • NWAテキサス・ヘビー級王座:1回[28]
セントラル・ステーツ・レスリング
  • NWAセントラル・ステーツ・ヘビー級王座:3回[6]
  • NWA北米タッグ王座(セントラル・ステーツ版):1回(w / ボブ・オートン[16]
NWAミッドパシフィック・プロモーションズ
ワールド・ワイド・レスリング・フェデレーション
  • WWWF USタッグ王座:1回(w / グレート・スコット)[8]
ワールド・レスリング・アソシエーション(ロサンゼルス)
ワールド・チャンピオンシップ・レスリング(オーストラリア)
日本プロレス

脚注[編集]

  1. ^ a b c d e f g h 『THE WRESTLER BEST 1000』P24(1996年、日本スポーツ出版社
  2. ^ a b c d e f g h "Killer" Buddy Austin”. Online World of Wrestling. 2011年3月27日閲覧。
  3. ^ 『'88プロレスオールスターSUPERカタログ』P105(1988年、日本スポーツ出版社)
  4. ^ The CWC matches fought by Buddy Austin in 1960”. Wrestlingdata.com. 2014年12月20日閲覧。
  5. ^ The CWF matches fought by Buddy Austin in 1960”. Wrestlingdata.com. 2014年12月20日閲覧。
  6. ^ a b NWA Central States Heavyweight Title”. Wrestling-Titles.com. 2011年3月27日閲覧。
  7. ^ The WWE matches fought by Buddy Austin in 1963”. Wrestlingdata.com. 2014年12月20日閲覧。
  8. ^ a b WWWF United States Tag Team Title”. Wrestling-Titles.com. 2011年3月27日閲覧。
  9. ^ WWE Yearly Results 1963”. The History of WWE. 2011年3月27日閲覧。
  10. ^ The WWE matches fought by Buddy Austin in 1963 (2)”. Wrestlingdata.com. 2014年12月20日閲覧。
  11. ^ The WWE matches fought by Buddy Austin in 1963 (3)”. Wrestlingdata.com. 2014年12月20日閲覧。
  12. ^ a b WWA World Heavyweight Title”. Wrestling-Titles.com. 2011年3月27日閲覧。
  13. ^ a b WWA World Tag Team Title”. Wrestling-Titles.com. 2011年3月27日閲覧。
  14. ^ a b NWA Hawaii Tag Team Title”. Wrestling-Titles.com. 2011年3月27日閲覧。
  15. ^ a b IWA World Tag Team Title”. Wrestling-Titles.com. 2011年3月27日閲覧。
  16. ^ a b NWA North American Tag Team Title”. Wrestling-Titles.com. 2011年3月27日閲覧。
  17. ^ JWA 1962 The 4th Annual World League”. Puroresu.com. 2016年3月3日閲覧。
  18. ^ a b All Asia Tag Team Title Title”. Wrestling-Titles.com. 2011年3月27日閲覧。
  19. ^ JWA 1963 World Competitions of the Fall Supporting the Tokyo Olympics”. Puroresu.com. 2016年3月3日閲覧。
  20. ^ JWA 1963 International Championship Series / Rikidōzan Memorial Card”. Puroresu.com. 2016年3月3日閲覧。
  21. ^ JWA 1964 New Year International Competitions”. Puroresu.com. 2016年3月3日閲覧。
  22. ^ JWA 1967 New Year Series”. Puroresu.com. 2016年3月3日閲覧。
  23. ^ JWA 1971 The 2nd Annual NWA Tag Team League”. Puroresu.com. 2016年3月3日閲覧。
  24. ^ The IWE matches fought by Buddy Austin in 1972”. Wrestlingdata.com. 2014年7月3日閲覧。
  25. ^ IWE 1972 Dynamite Series”. Puroresu.com. 2016年3月3日閲覧。
  26. ^ 『THE WRESTLER BEST 100』P126(1981年、日本スポーツ出版社)
  27. ^ NWA Southern Heavyweight Title [Florida]”. Wrestling-Titles.com. 2015年3月6日閲覧。
  28. ^ NWA Texas Heavyweight Title”. Wrestling-Titles.com. 2015年3月6日閲覧。

外部リンク[編集]