ケビン・フォン・エリック
ケビン・フォン・エリック | |
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1977年 | |
プロフィール | |
リングネーム | ケビン・フォン・エリック |
本名 | Kevin Ross Adkisson |
ニックネーム |
The Golden Warrior 鷹の爪 |
身長 | 188cm |
体重 | 107kg |
誕生日 | 1957年5月15日(66歳) |
出身地 |
アメリカ合衆国 イリノイ州ベルビル |
トレーナー | フリッツ・フォン・エリック |
デビュー | 1976年 |
引退 | 1995年 |
ケビン・フォン・エリック(Kevin Von Erich、本名:Kevin Ross Adkisson、1957年5月15日 - )は、アメリカ合衆国の元プロレスラー。「鉄の爪」フリッツ・フォン・エリックの息子(次男。レスラーのフォン・エリック兄弟としては長男)である。
フォン・エリック・ファミリーでは唯一シューズを履かず素足でファイトしていた。
2012年には長男ロス・フォン・エリック、二男マーシャル・フォン・エリックがプロレスリング・ノアへ入団し、プロレスラーとしてデビューしている。また、これに合わせてケビン本人も同団体のGHCタイトル管理委員に任命されている。
来歴[編集]
ノース・テキサス大学でアメリカンフットボールの選手として活動後、1976年にデビュー。父フリッツの主宰するテキサス州ダラスのNWAビッグタイム・レスリング(後のWCCW)にてキャリアを積み、1978年12月にブルーザー・ブロディからNWAアメリカン・ヘビー級王座を奪取[1]。中西部のセントルイス地区でも活躍し、1979年11月にはディック・マードックを破りNWA世界王座への登竜門であるミズーリ・ヘビー級王座を獲得、翌1980年4月にケン・パテラに敗れるまで保持した[2]。
日本へは1979年5月にNWAルートで全日本プロレスに初来日。1981年5月の再来日では弟デビッドとのタッグでグレート小鹿&大熊元司の極道コンビからアジアタッグ王座を奪取したが、シリーズ中に石川隆士&佐藤昭雄に敗れ短命王者に終わった[3]。
以降もアメリカではWCCWを主戦場に、1980年代前半は弟のデビッドやケリーと組んでファビュラス・フリーバーズやダイナミック・デュオ(ジノ・ヘルナンデス&クリス・アダムス)などと抗争した。1985年からはWCCWと新たに提携を結んだ新日本プロレスにケリーと共に参戦。藤波辰巳&木村健吾の持つWWFインターナショナル・タッグ王座に挑戦している。
WCCW(WCWA)ではブッカー業務も兼任し、1986年10月にはブラック・バートを破りWCWA世界ヘビー級王座を獲得[4]。アル・マドリル、ジョン・ノード、キング・パーソンズらを抗争相手に防衛戦を行ったが、WWFの全米侵攻でテリトリー制が崩壊した1980年代末にセミリタイアし、1995年に引退。
引退後は母親や妻子とともにハワイのカウアイ島に居住し[5]、プロレス業界からは完全に身を引いていたが、2009年4月4日にフォン・エリック・ファミリーとして父や兄弟たちと共にWWE殿堂入り。インダクター(プレゼンター)は、かつて抗争を繰り広げたフリーバーズのマイケル・ヘイズが務めた。
2011年12月8日、長男のロス・フォン・エリックと次男のマーシャル・フォン・エリックが、2012年1月にプロレスリング・ノアに入団することが発表された[6]。2012年にはケビンも約24年ぶりに来日し、1月14日に息子たちとともに入団会見に登場[7]、1月15日にはGHC管理委員に就任することが発表された[8]。
得意技[編集]
獲得タイトル[編集]
- NWAミズーリ・ヘビー級王座:1回[2]
- NWAアメリカン・ヘビー級王座:5回[1]
- NWAテキサス・ヘビー級王座:2回
- NWAテキサス・タッグ王座:2回(w / デビッド・フォン・エリック)
- NWAアメリカン・タッグ王座:1回(w / デビッド・フォン・エリック)
- NWA世界タッグ王座(テキサス版):1回(w / デビッド・フォン・エリック)
- NWA世界6人タッグ王座(テキサス版):7回(w / デビッド・フォン・エリック&ケリー・フォン・エリック×2、フリッツ・フォン・エリック&マイク・フォン・エリック、ケリー・フォン・エリック&マイク・フォン・エリック×3、ケリー・フォン・エリック&ブライアン・アディアス)
- WCWA世界ヘビー級王座:1回[4]
- WCWA世界タッグ王座:3回(w / ケリー・フォン・エリック)[9]
- WCWA世界6人タッグ王座:4回(w / ケリー・フォン・エリック&ランス・フォン・エリック、マイク・フォン・エリック&ランス・フォン・エリック、クリス・アダムス&スティーブ・シンプソン、ケリー・フォン・エリック&マイケル・ヘイズ)[10]
- NWAサウスウエスト
- NWA北米ヘビー級王座:1回[11]
フォン・エリック・ファミリー[編集]
フリッツ・フォン・エリック | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
ジャック・アドキッソン・ジュニア (幼少期に死去) | ケビン・フォン・エリック | デビッド・フォン・エリック | ケリー・フォン・エリック | マイク・フォン・エリック | クリス・フォン・エリック | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
ロス・フォン・エリック | マーシャル・フォン・エリック | レイシー・フォン・エリック | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
脚注[編集]
- ^ a b “NWA American Heavyweight Title”. Wrestling-Titles.com. 2012年8月18日閲覧。
- ^ a b “NWA Missouri Heavyweight Title”. Wrestling-Titles.com. 2012年8月18日閲覧。
- ^ a b “All Asia Tag Team Title”. Wrestling-Titles.com. 2015年2月24日閲覧。
- ^ a b “WCWA World Heavyweight Title”. Wrestling-Titles.com. 2012年8月18日閲覧。
- ^ “Where Are They Now? Kevin Von Erich”. WWE.com. 2015年2月7日閲覧。
- ^ ロス・フォン・エリック&マーシャル・フォン・エリック 入団のご報告 プロレスリング・ノア オフィシャルサイト
- ^ エリック一家来日&公開入団記者会見の模様 プロレスリング・ノア オフィシャルサイト
- ^ GHCタイトル管理委員会よりご報告 プロレスリング・ノア オフィシャルサイト
- ^ “WCWA World Tag Team Title”. Wrestling-Titles.com. 2015年8月31日閲覧。
- ^ “WCWA World 6-Man Tag Team Title”. Wrestling-Titles.com. 2015年8月31日閲覧。
- ^ “NWA North American Heavyweight Title: Post-1993 NWA Version”. Wrestling-Titles.com. 2015年2月24日閲覧。
外部リンク[編集]
- Kevin Von Erich (@KevinVonErich) - X(旧Twitter)
- WWE Hall of Fame
- WWE Where Are They Now?
- Online World of Wrestling